大事だな、ちょっと思いました。なんか80回くらいのやつとか最近ちょっと聞き直してて、全然覚えてないっていう問題があるんですか。
まあでも地肉になってるなという感じもしますけれど、ということでちょっと増村さんに最初にちょっと簡単に自己紹介をいただけたらと思うんですが、いいでしょうか。
はい、自己紹介ね、いつも不得意なやつですね。
多すぎて。
そうそう、どう説明していいかわからないみたいな感じですけど、Webマガジングリーンズ編集長の増村恵理子です。
10年前までは東京都新宿区に住んでたんですけど、移住をしまして、今は長野県の富士見町というところに住んでいます。
横1000メートルぐらいあるので、まあまあ寒いですね。
寒いですね。
寒そう。
5度ぐらいですか、朝。
いや、この間1度だったな。
1度。
だいぶ寒い。
今週札幌に出張に行ったんですけど、いやあったかいなって思って。そんなに対して変わらない、北海道と変わらないなぐらいに思いました。
まあそんな高原都市に住んでおりますが、編集者でもあっていくつか授業を持っていたりとか、その辺は聞いてもらった方がいいのかもしれないですね。
そうですね、そうなんですよ。
松村さんは稲谷シーズンのアドバイザーもお願いをして。
そうなんですね。
そうなんです。したりしてて、僕も取材をしてもらったり、取材に一緒に貸していただいたりしているんですが、松村さんのことは分からない。
皆さんはそうなんじゃないのかと思っているんですけど、分からない人が多いんじゃないのかなっていうふうに。
めちゃくちゃいろんな方とお知り合いも多いし、皆さん松村さんのことを存じ上げていると思うんですけど、松村さんがどういう人なんですかというのは。
なので、さっきもちょっと話してましたけど、何かトークイベントがあればどちらかというとファシリテッターをやっていて、取材の場所では編集者として帯同しているので、インタビュアーともまたちょっと違ったりするときもあるなという感じなんですけど、
グリーンズが随分最近記事も量産してるというか、めちゃくちゃ記事増えてるなっていうのもあって、だからこんだけ世の中の自然環境を含めて触れてる人たちの取材をしている松村さんは、今どういうふうに社会を見てるのかなみたいなのを改めて聞きできたら嬉しいなって。
どうしよう、めっちゃハードルが高いぞ。
思っているので、そうですね、なんかざっくりなんですけど、グリーンズの編集長を引き受けられたっていうところもあると思うんですけど、グリーンズを通してどんなふうになったらいいよねみたいなのを今考えてらっしゃるんですか。
そうですね、去年の7月ぐらいにウェブマガジンのタグラインを変えたんですよね。生きるを耕すっていうふうに変えたんですけど、そこにある背景というか思いとしては、耕すってその普通に田畑を耕すみたいに使われますけど、もちろんそれも含めての意味なんですが、なんだろうな。
今って下手したら何もしなくても、何もしなくてもじゃないな、それは言い過ぎですけど、いろんなサービスとかを享受して普通に生きられてしまう社会だなって思ってて、東京とかで電車に乗るとすごくないですかアナウンス。
どれですか。
閉まるドアにご注意くださいとか言われて、でもなんかもう一回ドアにご注意くださいとかって言われて、下手したら3回くらい言われますよね。ご注意くださいみたいな。
確かに。
なんかそんなにアナウンスをされて生きていくみたいな、なんかそれってすごいおかしなことだなって思っていたりとか、
あと別にそれはアナウンスの過剰さの話なんですけど、水とかも普通に蛇口をひねれば出てくるので、お金さえ払えば水を飲めるみたいな、なんかそんな風になってしまっている社会だなと思っていて、
そういうの全部そのひっくり返すぐらい、自分でそれを取り戻したり耕し直したりしていくような生き方をみんなしてほしいなって。
私もそんなできてるわけじゃないんですけど、でもみんなそういう方向に向かってくれたら、社会は大きく変わっていくんじゃないかなって思ったりしていますね。
その社会の過剰なサービス世界みたいなのによって、なんか失われてんじゃないのっていうのって何なんですかね。
それはもう生きること自体のリテラシーだと思いますね。
なるほど。
例えば震災時にね、この間、野党に行ったんですよね。野党に行って、いろんな話を聞いて、聞く中で印象に残っていたのが、
一つは、2週間ぐらい、孤立してしまった集落があったっていう話を聞いたりして、でもそこのおじいちゃんとかおばあちゃんとか本当にたくましくて、
自衛隊がヘリで駆けつけるわけですよね。食料とか物資を持って。ヘリでやってくるんだけれども、自衛隊の人が降り立ってみたら、みんなね、おじいちゃんたちサザエ焼いてたんですって。
すごい。
それでサザエ焼いてて、海底が隆起したもんだからサザエがいっぱい取れたって話になってたらしくて、
お前ら座ってけ、なんなら食べてけみたいな感じで、大丈夫ですかとか言って、自衛隊の方が心配そうに駆け寄っているのに、お前ら食ってけみたいな、
なんかそういう強さって素晴らしいなっていうか、そういうのってなんだろうな、どこにどんな自然資源というか、自然資本というか、食材があるかとかをちゃんと知ってて、
こういうことがあったら、こんなふうに食材が取れるとか、なんかいろんなその自然と離れない暮らしをしてるからこそ、生き延びることができるっていうか、すごい大事な話だなって思ったりしたんですよね。
なんかそういうリテラシーが失われつつあるんじゃないかとか。
これもね、のとの話なんですけど、水道の復旧がなかなか難しくって、まだ未だに20%とかね、全然戻ってなかったりするらしいんですけど、
震災後に一番最初に復旧したのが、昔ながらの簡易水道を引いている地域だったんですって。
これって多分、つまりは自分たちで水道を引くことを知ってるから、直し方がわかるってことなんじゃないかなと思って、
それもすごい大事なリテラシーだなって思うんですよね。
もう今わかんなくなっちゃってると思います。
そうですね。ありとあらゆるものがきっとそうなんですよね。
そうなんだろうな。
作られたものは直せないし、故障したら捨てるしかないみたいな。
確かに僕は日の原村に3年半住んでて、地域の自治体に参加させてもらって、そこはやっぱり簡易水道があって、
年間で2回ぐらい水道の掃除とかで、みんなで川から引っ張ってるホースをちゃんと見に行ったりとか、
あとろ過がちゃんとされるかというか、砂がちゃんと落ちるようにできてるかみたいなところとか、窯洗ったりとかっていうのをみんなでやってるから、きっと壊れてもそこは直すことができるんだろうなって思いますね。
ですね。複雑になりすぎたものとかってどうしようも手に負えないですね。
そうだよね。配管どうなってんのみたいなことは絶対わかんないしね。
そういう意味合いで僕らも電気ってどうやってできてるのかって感じで、昔聞いたけど結局わからなかったっていう。
今はもうそうだね。全然完全に理解なんかできてないもんね。
恋いるねみたいな話を一応なんとなく聞いたけど、じゃあそういう自分と生きるがかけ離れて本当にいいの?みたいなことがなんだろうな。
個人とか人々の幸福とかにひも付いて回復したいみたいなイメージなんですかね。
そうですね。
なんかそれなんか結構両方あるじゃないですか。自然を豊かな自然を取り戻すために人々がこういう暮らし方をしようよ。
あの位置づけと、なんかもっと自主主体的に生きるってことを取り戻すために生きるとか自然と触れ合うをあった方がいいよねみたいなのがどっちもあると思うんですけど、
すむらさんの視点ってどっちが強いんですか?
どっちかな?主体的の方かな?
言いづらい。踏み込んだ質問だなって思っちゃったんですけど。
でもその社会を健やかにしたいって思った時にその健やかさっていうのは社会だけではなくて人も健やかじゃないと社会は健やかにならないよねって思っているので。
つながってますね、全部ね。
環境問題とかそういうところで言いますか、編集、グリーンズとかで編集されて課題感を持たれてると思うんですけど、
すむらさん自体が最初に環境問題とかそういうところに興味を持ったのって、今話されているところのその課題感とかを持った理由みたいな体験とかってあったりするんですか?
幼少期の思い出みたいな話で言うと、私当時横浜に住んでたんですけど、公園に遊びに行けばたくさん蝶が飛んでたんですよね。
でも自分がその小学校高学年ぐらいになると、中学生とかになっていくと昼間になんだろう、高価格スモックが出ているのでみたいな、そういう街からアナウンスが入るみたいな、そういう時代だったんです、昭和のね。
そうすると蝶も見かけなくなっちゃったみたいなのは現体験としてあって、今一体自分の街で何が起こってるんだろうっていうか、高価格スモックって目に見えないというか、自分にはよくわからない、得体の知れないものというか事柄なんだけど、
なんか怖いなみたいなものは抱えているのが現体験としてずっとあったような気がしますね。
なるほど。
毎日のようにアナウンスが流れる、なんかそういうのはずっとあるにはあったんですけど、やっぱり決定的だったのは3.11だったと思いますね。
震災なんですね。
震災ですね。津波の映像とかを見てかなり、やっぱりショックはショックでしたけど、それ以上に自分がそれまで電気というものを湯水のように使っていたっていうことの方がショックで、一体私は何を見てたんだっていうか、自分自身にショックだったんですよね。
暮らしている足元が揺らぎ始めたみたいな感覚だったってことですか。
そうですね。それもやっぱり目に見えないというか、スイッチのパネルの奥がどうなってるかとか想像したこともなくて、電線で運ばれてきてるぐらいはもちろんわかるんですけど、
それが福島の原発で作られた電気が電線をこう伝って伝って伝って東京まで運ばれてくるなんて意識を向けたこともなかったし、スイッチね、オンすれば電気がつくぐらいのことでしかなかったのが本当にショックだったんですよね。
それを取り戻さないとダメだってその時思ったんです。それが減体験だと思いますね。
じゃあそこまではそんなに環境問題とかへの取り組みとかっていうのもすごく積極的にされてたわけではなくて、結構そこでシフトチェンジが起こったっていう感じなんですね。
大きなシフトチェンジですね。人並みでしたよ。毎晩ぐらいはやってたと思いますけど、本当に人並みでしたよ。
でもやっぱりそういうあれですよね。体験とか外で起こっている事象に対して自分がどう感じるかっていうところがすごく感覚がというか、自分の行動が変わるきっかけとしてはやっぱり大きいですよね、本当に。
多分震災でそうやって行動が変わったりとか、自分の考え方が変わった方ってめちゃくちゃ話聞いても多いなっていつも思うんですけど。
そうですよね。私の場合はやりすぎちゃう傾向があって、そこから家電をやめていくということをやるっていう。
極端っすね、結構。
そうなんです。でも楽しくなっちゃって。
いいっすね。それで今もだいぶ電気を使わない?得らしている状態なんですか?
だいぶね、一時期は冷蔵庫もやめて、洗濯機もやめてみたりとか、でも洗濯機は大変すぎて手洗いが。
時間がめちゃくちゃかかる。
手が荒れるよね。
3ヶ月ぐらいで諦めて戻しました。
すごい、でも3ヶ月もやったのに。
やりましたよ。
でも確かにそれが大事かもしれないですよね。
道具を生まれた時の基準じゃなくて、人としてこうやってきて今こんだけ便利だよねみたいなのも。
農業とかでも多分そうなんですけど、手で桑で耕した後のトラクターとかの革命ってすごいじゃないですか。
ダイナモ、トラクターから乗っちゃうとそれが当たり前だけど、手の技術としてはクワの技術も必要だよねみたいなところもあるし。
あと冷蔵庫ってめっちゃ便利じゃんみたいなアホみたいな感想を持つみたいなのいいですよね、実際。
すごい、冷蔵庫のない生活って本当に寒冷地だとまだ可能かなって思うんですけど、今この暑さの中で都市部でやろうとしたら結構大変で、
本当に腐らない方法を自分で考えていかないといけないみたいな、みんな塩漬けにするのが悪かったけど。
でもそれが知恵だね。
でもそういう知恵考えたりやったりするの楽しくないですか?
いや楽しそうな顔してないな、今二人は。めんどくさいなって思ったかもしれないけど。
いやいやいや、楽しいというか大事だし。
でも僕も割とめんどくさいながらにそういうことに触れてきた人生だったので、どちらかというとおばあちゃんの知恵袋とか、
おばあちゃんみたいなお母さんだったんで、そこは割と霧干し大根、梅干し、木そり照らしが高いっていう。
田舎の標準装備的な感じで。
素晴らしい。
だってあれですよ、僕どっかで話したかもしれないですけど、幼少期からずっと薪風呂担当で薪で風呂を沸かす家だったから、
でも小学生の時はすごい楽しくて、火の番をするのがすごい楽しくて、若しすぎるんですけど。
で、中学生ぐらいになるとシャワーがないということに恥ずかしくなるっていう。
シャワーなかったんだ。
シャワーあるけど結局水しか出ないんですよ、シャワー。
普通に釜に直接火を入れてきたら。
お湯はそこにしかないんだね。
そうですそうです。昔の銭湯みたいな感じで。
だからね、僕はいいんですよ。十分やってきた。十分昭和の暮らしをやってきたなって気がしますけど。
でもそうですよね。そうですよねというか、全部享受してもらえる。
それがビジネスになるからなんですけど、人の不便を解決することがイノベーションとしてビジネスを押し上げて、経済を押し上げてきたと思うんですけど。
その結果、人が本当に幸福になるのかみたいなのは考えた方がいいなって思いますし。
逆もしかりではあるんですけど、昔の人は幸せだったのかみたいなことも含めて議論しないといけないんだろうなと思うんですけど。
この話どこかで知ったら恥ずかしいけど、宇宙飛行士の野口さんが都市の人たちが生きるのが簡単になりすぎて死んだように生きているっていうのをトークイベントで言ってて。
これを言えるのは宇宙飛行士だからだなってめっちゃ思ったんですけど。
僕が言ったらいけないやつだってすごい思って。
これは毎回野口さんの言葉として紹介してるんですけど。
僕の、僕言ってないですみたいな感じなんですが。
でもまさにそうだなっていうふうに思う。
自分自身もそうだなって感じるところがあって。
山に登ってめっちゃ怖い思いをした。
足が震えながら降りた後に、生きててよかったなって思うし。
小距離を移動して家に帰ってきた時に事故らず帰れてよかったとか。
その生を感じる時間みたいなのが抜け落ちた時に、命とか血液に感謝する時間なくなるわなみたいな思って。
それは死んだように生きると言われたらそうかもしれないみたいなのを感じたんですけど。
それが例えば震災が起こった時に、なんで水が出ないのか。
なんでこんな暮らしなのかっていうこと。
なぜ食料が来ないのかっていうことを多分僕も言う側になる可能性は存分にあると思うんですけど。
そこに自衛隊が飛んできて、それを空から見たらきっと餌を待つ雛のように見えるかもしれないみたいな。
ピヨピヨ言ってるなみたいな感じで。
餌取りに行ったらええやんって思われるかもしれないなっていうのは思ったりしました今日ね、さっきの話聞きながら。
そういうところで、この間キノコ取りに引退した時も感じましたけど。
やっぱり知恵とか知識が失われているっていうことに対してどういうふうに振る舞っていくのかみたいなのは重要だと思うんですけど。
たぶんグリーンズもウェブメディアの役割を変えていこうみたいな議論がされてるじゃないですか。
違います?
いやいや、出してますよ、いろいろ。
読んでも人は行動しないっていうことを何十年物語にする中で、どうやったら人は自分たちが届けたいものを読んでよかったという次に行くのかみたいなのはどういうふうに今感じられたりしてますか?
そうだなぁ。でもなんかこう、どこか諦めきれない気持ちもあって、確かにね、ずっと冷蔵庫いらないですよねとかって冷蔵庫のない暮らしとかを話をしたりしても
すごいですねとか、興味がありますとかいいですねとか言ってはくれるけど、誰も真似をしないわけですよね。
それはずっとずっと思っているし、記事を読んで何か心に残ったり何かを変えるきっかけになったとしても本当に実践がすぐに現れるかどうかなんか全然わからなくて、わからないんだけど、
でもそれを信じるのも私たちの役割だなって思っているところもあって、いいんですよそれが10年後だっていいと思っています。
でも何かのきっかけにはなってほしいなと思っているところはありますね。
基本的には諦めないみたいなのは気持ちとしてはあります。
そうですね、でも確かにその行動を変えるというのはすごい大変ですけど、行動している人たちが社会にお届けするみたいなのも大変ありがたい話だなというか、
だって孤独ですからね、私たちもというふうに思っちゃいますけど、
ヤマトワをやっていても、高谷さんと話したけど、謎のカルマをなんで僕たちを持ってビジネスの中で生きるのかみたいな、
背中に背負いながら歩くことを話していたよね。
ビジネスルールの中では圧倒的に不利なように見えるものをあえて好んでやっているみたいなことの中で、
理解されないこととか馬鹿にされることもたくさんあるなって思うんですけど、
それをこんなふうにやっている人たちがこの社会にいますよと言っていただけるだけで、あと2年ぐらい頑張れている。
グリーンズさんの記事を読んでいると、スケール前提じゃない人たちばかりが取り上げられているというか、
そういうところがすごく共感できる内容がめちゃくちゃいつも多いなって思うので、
そうだね、確かに個人でもね。
個人でも。自分が見聞きしたことで終わらないようにはしてますね。
自分もやってみるとか、自分もその場に行ってみるとか、自分自身がその人に話を聞くとか、
そうやって自分の手足をちゃんと動かして得たものって、ちゃんと自分に響くような、自分のなんか血となり肉となっていくというか、こんな気がしているので、
何かしらのアクションをするようにはしているところがあるかもしれないですね。
そこの掘り出して、面白いというか熱い人たちをどんどん取材していくっていう、何だろう。
ペースが早い、どんどん記事を作っているなっていう中では、何て言うんですかね。
急いでそういう人たちをお届けしなきゃみたいな気持ちなんですか。そういうわけでもない。
全然そういうわけでもないですね。
そこの何か、どんどん記事を社会に出している現状っていうのは、何て言うんですかね。
何でそうしているって聞くと変なんですけど、その記事の出す量とかが上がっているよねっていう、上げたいよねっていうのは何かに基づいているんですか。
いや、私の行動量に基づいているかもしれないですね。
これは単純にタスクのこなせる。
私だけじゃなくて。
技量によって。
私だけではもちろんないんですけどね。
チームが強くなっているからこそみたいなところが。
あるかもしれません。
そうだよね。なんかGreensは多分長らく変わりつつ、編集長になられたのは2、3年前ですか。
2年くらい前ですね。
2年前くらい。その中で、社会そのもので結構温度感は常に変わっているなって感じがするんですけど、
橋村さんの中でこの数年の変化ってどんなふうに見えているんです。
なんかさっき電気の話で見えなくなっているみたいな話をしましたけど、それを取り戻そうとする動きがあるよなって思っていて、
ちょっとつらつら話をしてみると、私たちって戦後、戦後ってどこまで遡るんだって話ですけど。
でも、ずっと自然に対して統治をしようとか制御をしようって頑張ってきたんだと思うんですよね。
例えば木だったらエネルギー源として使うし、当時だったら電車の枕木とかでたくさん必要だったから、
どんどんどんどん切り出して、そして励山になって、大水害時代みたいな励山になっちゃったから土砂災害とかたくさん頻繁に起きて、
そして流域の地不意がスケールアップしていって、ダムを作ったりとか、
下手したら川の水路変えちゃってるじゃないですか。
なんかそこまでして、川の流れを曲げてしまうぐらい制御をしようとしてきたんだと思っていて。
でもそうすると河川というものとそこで暮らす人たちとのつながりが、
つながりもなくなっていくし、つながりも見えないものになっていってるなっていうのをずっとずっと感じているんですけど、
でもそこに気づいて、それは良くないよねっていう人たちがだんだんこの2,3年で出てきたような気がしているんです。
もっと前からやってる人もいるかもしれないけど、海もそうですよね。
津波があったから防波堤を建てましょうとか言って、もうすごい何キロにも渡って防波堤を建てるわけですけど、
もう海を見る景色そのものもなくなっていくみたいなことだし、森もそうだと思うし、
使われなくなっていくというか森と人が暮らしが離れていくみたいなことを取り戻す動きがようやくなんかこう出始めてるんじゃないかなっていうのは感じます。
なるほど。いいですね。でも確かにそういう話がしやすくなっている感じはすごく感じますね。
なんか防波堤の話とかダムの話とか聞いてて、それを作る人たちの気持ちになった時に、しめたって思うんだろうなって思いました今。
例えば土石流が発生してとか水が目が減ってみたいな時に、ダムを作る口実として理由が立つな。
津波がこんだけ来たからいっぱい防波堤作らなきゃヤバいなみたいな。仕事出せるなみたいな感じで。
なんか大きな話でもないような気がしてきましたね。今それを聞いてて。
結構小さな偉い人、小さな偉い人の、こっちにこうしたらお金、水がこう流れるなみたいなことで、日本の国土とか前提っていうのはそういうふうになっていったような気もするな。
それを作り直すにはどうしたらいいの?みたいなところで考えると面白いんだろうなって思いますし、日本の歴史が長すぎて綿々と続き続けてるけど、もう一回デザインし直すならどうする?みたいな議論があってもいいんだろうなってすごい思いますよね。
そうですよね。例えば水一つとってもすごい分かれてるなって思うんです。浄水道、水道、農業用、工業用みたいな。利用目的ごとにすごい分かれてて、そんな分ける?みたいなこととか、分け方のデザインみたいな話とか。
確かにそうですよね。分けずに考えたほうが全体的には良さそうな設計ができそうだけどって思いますよね。
そうなんですよね。
そっか。じゃあここ2、3年で人々のイメージというか前提がちょっとずつ変わりつつあるなっていうところで、例えばグリーンズの周りの人たちは変わり始めてるし幸せそうになってきているみたいな。これも見えてきてますかって聞くと難しいかもしれないですけど、どうなったらいいんだろうなってどうですかね。
どうなったらいいのかな。でも自然と共生してそこに住むっていうよりは流域の中に住み直す姿勢とか実践とか、そういうことってもっと注目されていくだろうなっていうふうに思うし、
身の丈みたいなことをもう1回分解して本当に必要なものってなんだっけみたいな。できるために必要な、そういうの何て言うんだろうな、作法みたいなことを取り戻すみたいなところは目指したい、伝えられたらいいなみたいなのはありますね。
そうですね、確かに。
でも本当、奥田さんとも話したことがあるかもしれないですけど、青森のヒーバーの研究された方がこの間亡くなってしまってみたいな話とかもあったと思うんだけど、地域の中でもそういうふうに知っている人たちがこれから亡くなっていってしまう時代に、あと20年くらいになったときに実践できる人たちが減ってしまうという怖さは本当にあるから、
それがここ10年、20年で学び直さないといけないっていうタイミングなのかもしれないですよね、本当に。
そうですね、なんか僕は20年とか絶対無理だと思って、あと5年以内じゃないかなって気がする。
短いスパンが。でもそうだよね、本当。
元来の自然王と、いったら釣り吉三平みたいに川で遊び続けるから川の気持ちがわかるみたいな状態の人たちっていうのが、たぶん本当僕のじいちゃん世代だったんだろうなと思ってて、3年、5年前くらいに100歳で死んだから、今90歳くらいなんじゃないか。
85歳から90歳くらいが、いったら軽トラに人々が乗り出したときに自然の速度から飛び越えちゃったみたいなところで、技術的な継承がなくなったタイミングがその辺にありそうってすごい思ってて、
20年なんか経ったら、マジでその辺にある加工品すらなくなるんじゃないかっていうスパンが。
確かにね。
母さんたちが作ってるなんか、まんじゅうみたいなやつが御兵持ちみたいなのとかも危ぶまれそうだぞみたいな思っちゃうけど、今だって思うし遅かったと思ってる。
そうだよね、いや、すでにそうだよね。ちょっと遅かった感は否めないけど。
まあでも本当このタイミングで、各エリアでそういうことを知って、いまだに実践ができる方々からいろいろ学び直すチャンスでもあるし、そういうのができるというか、
でも習えるところがやっぱりないから、たぶんそのところの掘り起こしとかがグリーンズさんとかでやってもらいつつ、僕らはきっと学ばせてもらう機会を得るみたいなことができると、だんだんと楽しめる人たちも増えてくるんだろうなっては思いますね。
確かに。
アクセスできないですよね。だって誰ができるかわかんないもん。
地元に帰ってきたけど、誰がどういうことを知ってるのかって、意外とやっぱりわかんないなって。
わかんないですよね。
今、増村さんと企画してたやつも、人を探すのめっちゃ難しくて、取材先を探すのがめちゃめちゃ難しいんですよ。
今オンタイムでやっているやつってことですか?
青森のひばい、青森、下北半島といったやつもそれですけど、柴田さんが亡くなっちゃって遅かったって思ったし、じゃあそれぞれの地域でそういう話ができる人って誰だろうって思って、ウェブには絶対載ってるから。
そうだよね。
だからやりたいんだけど、だけど難しいって感じですよね。
本当に人捨てで探す以外に方法がない。
そう、人捨てで今回も結構トライしたけど、それでもやっぱり難しかったというか、こんなにも見えないんだっていうのはすごい感じたところはあって。
それはね、結構大事な話だと思ってるんですけど、僕たちが立ち戻る過去とか作りたい未来を考えるときに、どこに立ち戻るのかっていう、戦後の萩山も含めて、日本の森は今が一番ボーボーだけど、過去の森は豊かだったみたいな幻想があるから、
僕たちどこら辺を目指すんでしたみたいなのを考え直したいなっていう。
それすごい思って、自然というものもそうだし、どの視点で見るのがいいのか。
例えば、地価が今増えているって言うんですけど、30年前に比べればもちろん増えてはいるんですけど、一時期萩山だった時代には地価はすごく減ってたわけで、すごくもっと昔から見れば地価はようやく戻りつつある、まだ戻ってないみたいな状況だったりするわけですよね。
そういうどこまで戻るのか、どこの視点で切り取るのかってすごい難しいなと思ってて。
人の一生なんて100年ぐらいのスパンだから、自然のスパンに比較しようがないほど短くて、たった100年のスパンで見れない世界観をどこまで想像膨らませるのかみたいなのも難しいし、
立ち戻る場所、地点みたいなものは高度な対話が必要だなって思いますね。
確かに。立ち戻る地点と新しく、それこそ耕す文化的未来みたいなのを考えたいなっていうのは常々思うけど、
やっぱりその時に難しいのは人口規模だなっていう気はするんですけど、
エネルギーとか木材利用も含めて木材自給率が50%に近づいているみたいな時に、