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2024-08-15 31:08

#10 インタビュー対談「ラシュミの物語」

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インドから届く声のお便り〜

『ShivaShakti』はインド在住のトーシャンが日々の気づきやタントラについてお伝えしているラジオ番組。

 

今回は、タントリックな死の講座に参加したラシュミの物語を聞かせてもらいました!

 

ついつい面白すぎて聴いてしまう彼女との対談をぜひお楽しみにください♪

 

 

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インドからお届けする声のお便り。こんにちは、そしてこんばんは。しばシャクティーのトーシャンです。
今日もよかったらどうぞ最後までお付き合いください。
はい、じゃあ今日はですね、初ゲストをお迎えしております。
しばシャクティーがオンラインで初めて開催したね、タントリックなしっていう偉大なる生の扉を開け放つ、
というめっちゃくちゃ長い3日間のオンラインリトリートにライブで参加したんだよね、ラシミはね。
そのライブで参加したラシミから今日はお話を伺いたいと思います。
よろしくお願いします。
まず、よろしくお願いします。
覚えているかどうかは別として、まずこのタントリックなし。
今ね、ちょっとこの録音する前に話してた、タントリーカーはなぜ死を祝うのかっていうイントロの講座があって、そこから多分ラシミはスタートしたと思うんだけど、
この3日間の、じゃあその後3日間のこのリトリートも受けてみようかなと思ったきっかけっていうのは何だったんだろうね。
まず、あの時期、クリスマスを挟んで年末年始の時期だったよね、12月のでしたよね、12月30、31とか年迫ったという感じの時にオンライン講座を受けて、
いくつか思い返してみれば理由はあったなっていうふうに思いますが、
一番の理由は、なぜ死を祝うのかっていうのの、どんなことをやるんだろうなっていう興味と、
あとは年の瀬っていうか、私クリスマスが大嫌いなんですよ、世の中で。いろいろと、自分が鬱になった時もいつもクリスマス。
男と別れて、つったもんだしているのもクリスマス。
一番季節的な季節病、クリスマス大嫌い病になって、ジングルベルとか、
ワムのクリスマスなんか聴いた暁には落ちている時とかなんて、決してそのレコーダーを壊したいぐらいな感じの、
でもそういうような冬だったなっていうふうに思って、こんなところでまたずっとずっとうつうつしててもしょうがないから、
コーザーを聴いて、ちょっと気分を上げてみようかなっていうのも実際にあったと思う。
そっかそっか、その最初のね、なぜ死を祝うのかっていうのを、ほんと年末にやったからね。
年の瀬とか終わりとか、いろいろな表現をするけれども、セレブレーションと死っていうのが、
これが初めて聞いたコンセプトじゃなくて、何人かのやっぱりイギリス人の身内や、
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友人たちっていうのは、セレブレーションオブライフっていうのが一応お葬式っていうので、葬式反対、花束持ってくるな、みたいな、
そういうアンチ宗教な人たちの見送りっていうのは何度かやったことがあって、
まあメイドインインでもそんなもんかもしれないような、焼いちゃうのかな、遺体を、皮で、とかなんかイメージがあるじゃないですか。
そんななんかドキュメンタリーでもやりながらやるのかなとか、いろいろ考えてたんですけどね。
そんなきっかけがあって参加させていただきました。
あ、そうですか。たぶんイメージとは結構違ったかもしれないね、その3日間っていうのは。
やっぱりそのいろいろなその導入編で、今、むりくりこう思い返してみると、そのセレブレーションや祝うっていうコンセプトの裏側に、
死っていうのは死、独立したもの、その前に行く老いとか痛みとか周辺事情っていうのは全くもって別々。
死イコール老い、老いイコール痛み、苦しいなんとかっていうの全くこう別に取り出して、死っていうのはもう事実、それだけ。
で、痛みっていうのはまたこれ別物、老いるのも別物っていう、なんか関係性をこうばらしてばらして丁寧に一個ずつ瞑想していきませんでした、あの時。
そうです、そうです。
私の覚えてる限り。
はい、よく覚えてて下さいました。一つ一つ丁寧にね、あのぐちゃっとなってるところを綺麗にね、ちゃんとこことここっていう感じでね、綺麗に整理してったよね。
それで頭の整理ができたっていうのと、今そういうのも、死っていうのは唯一生きてるものの、地球で生きてる生命体、動物で例えると、
その生きてる動物にそれのみが全てイコールに与えられたチャンスというか、真実ではないでしょうか。
うーん、なるほどね、そうだね。
どう捉えてもいいんですけれども、それは私は、うーん、あの講座に出る前から、そういう本とかをいろいろこう読み漁り、西洋の本から日本の本まで。
で、そういうのを読み漁って、いや、今考えてる真実っていうのは、人間イコール、人間もみんな平等です。
それはたった一つ死を取り扱う時だけっていうか、みんな死ぬんで。
はい、みんな死にます。
動物も死ぬんで、っていうので、死っていうのは結構身近にいろいろあるので、死イコールエネルギーっていう風に多分最終的には落とし込んでいて、
そこからのエネルギーをどういう風に、なんていうの、自分の中にインクルーズするのかみたいな感じで、3日間が流れたんじゃなかったかな、っていう感じですけど。
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はい。
そうでした?
その通りです。
素晴らしい。
その通りです、まさに。素晴らしい、もう自分の中に落とし込んでる。
すごい、すごい、すごいです。
あとはイントロとしてはそうですよね。
死を扱うことっていうのはちゃんとどうやって生きるんですかっていうと、生きてるうちの感性を磨く、この2点に絞られるんじゃないでしょうか。
そう、だからこそこの永田らしいタイトルなんだよね、このコードが。
偉大なる生の扉を開け放つっていうね、サブタイトルがついてるんですけど。
意識的に死を自分で向き合ったときから、ちゃんと生きてるっていうふうに考えると、
大体小学校のミソラで死なんて考えてる人いるんだろうかって思うと、でもいたりするんですよね。
事故にあったりとか、難病にあったりとか。
そう、うん。
なんで病気とかにね、すいません、どうぞどうぞ。
いえいえ、だから死が年齢と共に近くなるというわけではないんだよね、人によってね、違うから。
なんか忍び寄ってきたときだけ、そこがみんなきっかけに多分なると思うんですけどね、怪我病気、自分のことに関しては。
ただ他人の死と自分の死っていうのをめちゃくちゃ混同しているのが一つ社会生活なので、
死は他人の死も自分の死もみんなイコールに1回だけ経験できる真実っていうのは、
分かっておいたほうがいいんじゃないですかね、生きてる限りは。
そうですね。確かにらじみが3日間のコース受けた後、たぶん身近な人の死だったりとか、
愛してやまないワンちゃんだったりとか、身近にすごく近くに、物理的にだけじゃなくて、
気持ち的にもすごく近い人だったり、動物だったりの死っていうものが、その講座というかリトリートね、後あったと思うんだけど、
っていうのは私覚えてるんだけど、
どんなふうに質問していいか分からないけど。
でもそのときの、その後、3日間死の瞑想っていう講座を受けた後に、
いろいろ身近な犬の死、友人の死、知人の死、いくつか向き合ったときに、
これは一つのエネルギー体験なんだっていうのもあり、
悲しいとか、そこも本当に死に至るまでっていうのはいくつか段階があるので、
お世話とかこういうふうにしたら、ああいうふうにしたら、実際に本当にこれで心拍停止して、
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もう体がボディになりましたって言ったときって、
なんか悲しいとか、そういういろいろなのよりも、ずっとその過程があるじゃないですか、
この3時31分に亡くなりましたっていう前って、3時31分で亡くなるのか誰も知らないんで、
3時31分かもしれないし、あと3ヶ月後の4時45分かもしれないんで、
でもなんか、そういうふうになってきたなっていうときは、
自分だけは、自分とその相手でも、犬でもいいんですけど、
ずっとなんか瞑想してましたね、アティシャのハート瞑想。
あれって、死のところでは出てこなかったかもしれないんですけど、
私がそのとき聞いたのは、アティシャのハート瞑想っていうのがあるよって言って、
それのハウトゥーをいくつか教えてもらって、
そのアティシャのハート瞑想っていうのは、結構ラジオを聞きながら、
アティシャというのはチベティアン、タントラマスターでみたいな、
そういう英語のガイドを聞きながら何度か聞いて、毎日なんかやってた時期があるんですよ。
亡くなっていく人が来て、あなたの痛みも私の痛み、私の痛みからまず始めましょうみたいな、
あの瞑想で、そして全世界にとかっていうので、
ヤライラマがアティシャの瞑想を毎日、世界平和のためにやってるっていうのを聞いて、
インスピレーションを受けて、やってみようみたいな。
それで始めて、すごく助けになりましたよ。
これから死んでいくその家庭の人と一緒にいるときに。
そうだね、アティシャの瞑想って、なんかその痛みを吸い込んで、
喜びとかね、幸福とか、ブリスフルネスとかサイレンスとかセレブレーションとか、
そういうのに変容、ハートで変容していくっていうね、呼吸を使った瞑想だよね。
呼吸を使った瞑想で、だからなんかあまり、その家庭にいる人と一緒にいれる、
どうやって付き合っていくのか、私も医療関係者とかでは全然ないので、
そういう実体験で習得していくしかないなっていうのの、
一つとして瞑想が人生に現れたみたいな感じで、
いや本当に良かったですよ、やっておいて。
エネルギーでしかないんだなっていうふうに全部落とし込むと、
もちろんいろいろ感情あるじゃないですか、嬉しい、悲しい、そこに存在がいなくなって、
悲しいとかですよね。あんまりこの人ここまで見切ったっていうのがあるので、
亡くなってしまったから悲しいと思いますよ、人間だから感情的には。
ただそれでも、
アティちゃんの瞑想で、あの場所はまあまあしのぎ、
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どういうふうな落とし映えをつけたらいいんだろうと思うけど、
エネルギーをその時に一緒にもらったので、
魂になって、いつも自分と共に一緒にいる感じに、
切れ事っぽいですけど、本当にそういうふうに落とし込んできたので、
嘘っぽく思っちゃうのよね、その体験がなかったり、理解がなかったりするとね。
言語化するのが本当に、この瞑想の世界というのは、
死も扱う瞑想っていう前に、まず死って何よ、瞑想って何よっていうところから入らないと、
ちょっと混乱をきたすので、
言語化してちゃんと伝わるのかなっていうのはいつでも、
私みたいに身体知、体験型大好きな人とかは、
自分がまだ死んでないので死ぬわけにはいかんのですが、
まだ体験してないですね。
まだ体験してないけど、最後のご褒美に体験するまでっていうところも、
映画の影響とか、本の影響でいろいろあって、
それ、もともと趣味かもしれないですね。
この真に扱うテーマっていうのが、私みたいな人は、もしかすると。
とはいえ、ただ、
とはいえ。
死神みたいな感じで思われちゃっても困るしなって、ちょっと思った、今。
そっかそっか。
そうなんですよね。
その講座を受けて、
一つ思うのは、3日間の講座を受けましたって言って、
きっと自分の中にスッと入ってきて、落とし込んできて、
じゅわーっと、需要競争みたいに広がっていくのって、
人にそれ、よりけりだと思うんですけど、少なくても、
3年ぐらいかかってますもんね、私だって。
そういうことだったのかっていうのを、
だんだん落とし込んでくるというか、理解できてきたのに。
この3年間の後に、いろいろ大切な生き物や人をなくしてきた時にも、
そこに戻っては忘れ、忘れては戻り、みたいなのをくり返し、
即効性があるといえばあるけど、
ちょっと薬と違うから、やっぱり漢方とか、そういう感じですかね。
漢方ってすごくいい表現だね。ゆっくりと少しずつみたいな。
ゆっくりと少しずつ。
瞑想ワールドのいろいろ、
死とかは誰もわかんないけど、死って言ったら死っていうことねって言うのでわかるけど、
瞑想って言うと、いろいろありませんか?他に、
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なんて言ったらいいの、キーワードが起こることとか、
干渉者であれ、見ていることとか、
何言っちゃってるのかな、みたいなね。
そんな聞いてるよりは、私みたいに、とにかく、
踊れとか叫べとか言われてる方が楽で、
体が覚えてるので、体よろしくっていうタイプはいいのかなって思います。
そうかそうかそうか。じゃあ、これから死について、瞑想していきたいとか、
死って何だろうとか、死ぬって何だろうとか、あるいは、今実際身近に、
死にすごく近く向かっている人とかもいると思うんだよね。
そんな人たちっていうか、どんな人たちだったら、
ダントリックのこの死のリトリートっていうのは、おすすめしたいなと思いますか?
もし、死の瞑想、
去年は私は乳がんで、同級生を亡くしてるんですけど、
彼女ともし連絡とかが取れていたら、これ絶対いいよとかっていう風に進めるのではなく、
がんになって亡くなりますというと、いろんな人からだいたいいろんなものを進められるんですよ。
薬から、漢方から、本から、
チベットの山奥の修行とかまで。
うざいじゃないですか、そういうのって。彼女は誰にも本当に言わずに、
末期の乳がんの人で亡くなっちゃったんですけど、
そういう人の中の1つの、こんなのあるよ、こんなのあるよっていうのには、
ちょっと1個選択として、お見舞いっていう感じで、
ポンって置いてあげたい気がします。今、病気な人。
ただ、これ絶対いいよって進めるじゃないですか、女子たち。
例えば、これを塗ると痛みがちょっとやわらぐとか、そういう感じで。
あんまりそういうクリーム、速攻性だって、やっぱり求めてるし、
それこそ感知するのかどうかわからないっていうので、
お医者さんにはいわれるし、あんまり気分があがることとかないから、
そういうお見舞い袋の中に1個、えー、瞑想みたいのもあるんだっていう、
プレゼントをしたかったなっていうふうには思いますね。おすすめっていう意味では。
本当だね。そのお友達が、実際に、このコースの中でも毎晩やってたけど、
死んでいくプロセスのガイド瞑想みたいなのを毎晩やってたんだけど、
そういうのとかが一緒にできたら良かったね、なんて思ったりしますね。
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あとは、他に進めてあげたい人って、
いきなりこれって、実はね、すごい良い何々があるのよって言ったときに、
誰にどういうふうに進めるんだろうっていうのがやっぱりすごくあって、
もちろん話をしやすいのは、きっと一緒にトレーニングをしてるヨガの仲間とか、
例えばそういう人たちには聞く耳も持つし、興味がある対象なので、
こういう瞑想っていうのは死の瞑想、もちろんそれは呼吸法でもあるしっていうふうに、
話がだんだんいくなって思いますけど、お見舞いとかに行ったときに、
今私はこれをやってる、あなたはそこにはまってるからねっていうので、
そこには大きな垣根がある感じ。
そうだね。
で、そういう人たちにはこんなのあるよっていうふうに、
なんか洗濯幅として置いといてあげるなぐらいな感じですかね。
こればっかりは今でも私も信じているのは、自分で本当に体験してみないと、
修行って多分そうだと思うんですけど、お弟子さんとかも、
イメージで修行しよう、お寺に入ってって思って、
お寺のDay1で修行が始まったときから、まずこんなはずじゃなかったと思い、
あるじゃないですか、こうやって体験してみて話がわかる。
で、大体その手記とか、その修行僧のお話とかって、
悟っちゃった有名な空海さんとか、そういう人の話しか聞かないから、我々は。
よっぽどすごいことが起こるんだろうなっていうのはわかっていても、
実際にこの日常とちょっとかけ離れた遠いところにあるのが、
瞑想なんだろうなっていうふうに思ってる人が多いのかなと思うので、
うちの父とか、年老いた両親とかに話をすると、
ああ、そっちの方に行くんだ、宗教かかったもの好きなんだね、お前は。
自分事っていうか他人事っていうふうに取られることが、
まあまあ多いなっていうふうに思いますね。
そうだね、それは確かに、今死ぬこととか死についての本もたくさんあるから、
興味ある人は本さらっと読む、少しこっそり読むみたいなこともあるだろうしね。
あとは、やっぱり死んでいきますっていう、要するに余命先行された人で、
いろんなタイプの人を私も見てきて一緒にいましたけど、
イギリス人だからっていうことはないんでしょうけど、
やっぱりこっちで何人か亡くなった、末期間で亡くなった人っていうのは、
本当に最後の最後まで一緒にいた人なんかのパターンを見ていると、
限られた命って言われてるんだから、
好きなものしか食べたくない、好きな人にしか会いたくない、
我慢することは一切やめます、みたいな感じの人などいろいろいて、
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薬膳とか瞑想とかっていうのは、
え、なんで今さら何か新しいことを始めなきゃいけないの?
もうなんか酒持ってこいみたいな人もいましたし。
そうだね。
みんなにおすすめできるかって言うと、ちょっとそうでもないかなと。
そこはすごく私の中でも、
瞑想ってどういうふうにやって人に伝えるのかな?
っていうのは、あまりまだ明確な答えはないかなって思います。
そうですね。やっぱり、和尚もいつも言ってるんだけど、
例えば今私インドにいて、和尚がいる場所に今いるんだけど、
やっぱりそこに興味がある人だけ、こういうとこがあるよって言いなさいって。
向こうが知りたいとか、向こうが来てみたいっていうことでなければ、
こっちがこう言っても、それが伝わらないよって和尚はいつも言ってるもんね。
なるほど。布教活動とはそこは違うってことですよね。
そこがね、布教ではないんだよね。来たかったらおいでっていう。
あともう一つ、もちろん私たち我々は、私にしてみれば、
そこからちゃんと定期的なその瞑想っていう、
社教とか自分で病気になったりとかした時とか、
毎日やってたりとかしましたが、何でもいいのかなっていうか、
自分がこれ合ってるなっていうのを見つけるまでって、
結構みんな右往左往するのかなって思い、
その中に興味がある人っていうか、いいんじゃないですか、瞑想に興味がある人と、
死ぬこととか死とかいう本とかを読んでる傾向性がある人には、
試してみる一つのチョイスとしてはすごくあるのかなと思う。
そうだね。はい。ありがとうございます。
あとはもう生きる、広告じゃないですけど、生きてる自分たちが広告党になるぐらいかな。
亡くなってった私の、その人たちは瞑想やってる人とかではなかったですけど、
生き方自身がほとんど、時代もありますけどね、
瞑想みたいなものだったのかなっていうふうに、今振り返ると思いますよね。
かっこよかったし美しかったっていうか、
ガンで亡くなっていく人たちってみんなどうしても横断が出てね、
私なんか結構そういうのビビるタイプだったので、
イヤン黄色いイヤンって言って、他の人に何かそういうこと言われません病院で怒られてましたけど、
そういうのも含めて、
硬質のなんか強いエネルギー、だから石とかそういう、何て言ったらいいんでしょうね、
鉱物とか土とかそういう石みたいなエネルギーをやっぱり、
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その人たちからだんだん感じ始めていって、
本当に魂となってどっかに行ってしまったっていうと、
硬質な、結構硬くて重いエネルギーですね、皆さんに変わっていくんだなっていうのは、
それ個人的な体験ですけれども。
いや、まさしくその通りというかまさしくで、
ちょい、たぶんらしみ覚えてるかどうかわかんないけど、
あのコースの中では、その鉱物ね、土とかその土のエレメントだよね、
に体はやがて戻っていくんだよっていう。
今そこに、その時は一瞬入るけど、またほら私の方は水とか精の方にきゅーって戻ってきてるから、
そうだったっけみたいな、
そういう死にゆく痛みみたいな人たちと一緒に過ごす機会とかがないと、
なんだったっけっていうのが抜け落ちちゃうんですね。
はい、何度も抜け落ちて大丈夫です。
もう何度も死ななきゃわからないって感じですね、私みたいに。
言ってみれば。
思い出したらね、ぜひまたやってみてほしいと思います、その瞑想も。
確かにそうであったそうで。
これから新しくこのビデオ講座で学んでいきたいなと思う人がいると思うんですけど、
その人たちとシェアするチャンスがもしあれば、
らしみもぜひ、らしみの体験をシェアしていただけると嬉しいです。
ありがとうございます。
個人個人の体験と受け取り方が全然違うので、
ビデオ講座っていうのも、一回やってみるとじわーっとくるので、
でもなんかあるみたいですよ。
本を読むのが好きな人、こういうビデオとか聞いたりするのが好きな人、
ビデオ自身、スマホで毎日いろいろやってるのに、
そこに瞑想的なものを持ってくるっていうのは、私もすごい抵抗感ありましたもん、最初は。
そうだね。
その日常の中で、3時間目を閉じて、自分がいつもこうやってるところに、
キットがなかったか、メールがパーンときたとか、そういうのあるじゃないですか。
シャットダウンするような環境を作ろうって思ってはいるのに、すぐに日常生活に戻されて、
今死んでる途中なんだからやめて、みたいな感じでしたね。
あの瞑想の時も確か。
起こさないで、みたいな。
そういう意味では、日常の延長上で、あのコースがみんなそれぞれの自宅でやって。
そうなんですよね、一点主義で考えないで、そこが一点主義っていうか、
みんながそこに行くので、いつ行くのかはわからないけれども、
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そこに行くまでは誰もが生活してるわけじゃないですか。
だから、そこの部分がシェアできるのは、やっぱり励みになりますよね。
オンラインコミュニティって、最近すごくいろいろなところで、みなさん所属してると思うので、
趣味ともみたいな、瞑想趣味ともみたいな人たちも来ていただけると、よろしいんじゃないかと思います。
ありがとうございます。
瞑想趣味とも。
瞑想趣味ともね、ほんとだね。
でも、そこでしか話せないというか、ほかではちょっと絶対話せないみたいなことも話せるし、
話してわかってもらえる変な人たちが集まってますもんね。
あとは、自分のやりたいことをすべてやってみるっていうので、手を出してみるっていうのもすごくいいと思いますけど、どうなんだろう。
セレピーなんかいらない。変容あるのみ。っていうのが私のスローガンだった時期はありますね。
いろいろ本とか読みまくって。
だからもう、そう思ったらもう全部食いつくすって感じですね。
そういうふうにやって、やっぱりタントラに来る人たち、そういうガブガブ系の人多いんじゃないの?欲張りな人たち。
そうですよ。私が欲張りでしたからね。私はもう何でも食ってやろうみたいな。
私なんか、私たちそうですよ。突き進むタイプ。食いつくすっていう感じではないけど、でもまあまあ欲張りな感じ。ほんとに。
ね、なんか体験、全部体験するまでも死ねないっていうところにずっとね、長いこと私も言ったけど。
全部?食いつくすまで?
まあまだ途中だな、私なんかは全然。
何をもってフルコースをするのか分かりませんが、美味しく食べさせていただいております。今もなお。
いいですね、それが長く続くというのは。
はい、楽しゅうございます。
終わりのないこの旅路。
終わりのないこの旅路、遊んで楽しむしかないでしょう、みたいな。
そうね、こうやって瞑想を続けていくと、そのうち。
でもタントラって扱うテーマが死っていうのから始めるのか、性、セックスから始めるのか。
あの時よりも後だったと思うけど、あの時に絶対言われたと思うんだよね、お金とセックスと愛と死っていうのを柱にしてるのがタントラなんで、死からまず始めますって。
はい、そうです。よく覚えててくださいました。
それでも、結構私の中では衝撃的に雷に打たれたような感じで、柱を立てるのに、なんでまだ死から行くわけよ、とりあえず金から行ってくんないみたいに、ちょっと思ったんです。
えー、まじ、金から行くの?金が今必要なのになんで死、みたいな。
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そうだね。
でも後から、そう。
後から、その後やってみたよね、そして腹落ちしてくれたでしょうか。
はい、しましたしました。
あー、よかったです。よかったです、腹落ちしてくれて。
はい、じゃ、この腹落ちのいい感じで、今日はこの辺りで終わろうと思いますけど、いかがでしょうか。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
この機会を与えていただいて。
はい、本当に楽しいらしみのお話が聞けて、私はすごい楽しかったです。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
今日のトピックはいかがでしたでしょうか。
この番組では、リスナーの皆様からの質問や感想、大歓迎しています。
よかったらメッセージを送ってください。
今日も最後までお付き合いくださって、本当にありがとうございます。
それではまた次回、皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
じゃあね、See you.
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