強かったんだなって、逆に思ったみたいな話を聞いたことがあったので、
これって人それぞれなんかな、どうなんだろうな、みたいなものがちょっと気になって聞いてみました。
なるほどね。執着というふうに捉える人もいるんですね。
うん。そういう方もいらっしゃいました。
うーん、なるほど。執着はないな。
うん。
気持ちいいですか?
生かされている。
死の方が。
あ、うんうん。
瞑想とかも結局死ぬ練習なんですよね。やってることが。
だってあれ、あの、
余儀の有名な人、輝木真だったらお名前知ってそうですけど、
余儀のすごい人、余儀のすごい人って、余儀のすごい人はあれですよね、
死ぬ時に、死ぬ時のヨガで、自分で、
なんか、命が終わるタイミングを自分で決めて亡くなったみたいな。
あー、なんか、なんだっけ、えっと、
余儀のすごい人。
余儀のすごい人ね、あの、日本の仏教でもなんて言うんだっけ、
即死菩薩じゃなくてなんだっけ、
えーと、ちょっとね、言葉が、言葉をすぐ忘れちゃうんですけど。
余儀のすごい人しか出てこない。
僕もね、菩薩という言葉しか出てこない。
あれもありますよね、ありますよね。
瞑想したまま死ぬみたいなやつですよね。
究極の瞑想がそれなんですよね。
そうそうそうそう。
ティクダム瞑想とかって、確か、トゥクダムかな。
トゥクダム瞑想みたいのがあるらしいですけど、
死んでもなお、身体は生きてる状態と一緒っていう。
あー、そうそうそうそう。
魂だけ宿ってる説。
うん、なんかそれ、思い出しましたわ。
なんかね、その感覚がでも、なんとなくふわっと、自分も瞑想修行してあるんで、
なんか、死が怖いものじゃないんですよね。
あー。
死ぬと逆に、ずるいみたいな感覚です。
え、死ぬとずるい、おー。
ずるいみたいな。
ずるい?え?どうなの?
ずるい感覚がありますね。
え、ずるいって感覚は、どういう、あれからですか?
やっぱり、死の世界が悪いものじゃないっていう自分がいるんで、
むしろ、いろんなものから、肉体から解放されて、
自由な存在になれるみたいな感覚もちょっとある。
で、妻とかの会話で、私が先に死ぬわ、みたいな、老後ね。
そういった時に、ずるっていう言葉が出るんですよ。
ずるいって。
目先死んでんのよ。
ずるいって、初めて聞いたな。
っていう、でも、ていう質感です。死に対して。
え、そうなんだ。
けっこう、なんか、新しい感覚を受け取りました。
うん。
え、いや、なんか、
いや、でも、私、話を聞けば聞くほど、
やっぱ、私、死の感覚、けっこう遠いなって、
感じますね、自分自身が。
なんか、得体が知れなくて、怖いとも、ちょっと違う気がしてるんですけど、
なんか、はてな、みたいな、なんか感じ。
ぼやーんって感じですね。
うーん。
そう、なんか、死について、
考えるきっかけをくれる、カードがありまして、
ヨイシカードって知ってます?414カード。
414、知らない。初めて聞きました。
ヨイシカードっていう、
なんか、なんだっけな、自分が死ぬ時に一番、なんか、
失いたくないものは何?とか、恐れてるものは何?みたいな問いで、
バーって、カルタみたいな感じで、カードを広げた時に、
1枚選ぶんですよね。
それで、私はこれだったよ、みたいな感じで、
対話をして深めていく、みたいなカードがあるんですけど、
1回、それ、友達持ってるとき、やったことあるんですけど、
なんかね、その時から、まじで、死がね、けっこう、はてなって感じだったんですよね。
うーん。
はてな。
はてな、なんかね、わかんないって感じなんです。
ピンとこないみたいな。
なんで、なんか、あの、たぶんね、1個は今日の話を、
私が誰よりも最前線のリスナーとして、
この回を聞いているような感覚にはなってるんですけど、
私のここまでお話したり聞いた中での1個は、
やっぱりね、死に対する解像度とか臨場感の低さだろうなって思っているんです。
自分のこの死のよくわからなさは。
うん。
なんで、なんかこう、終わりみたいなものを決めるっていうふうに、
言葉では言って、やっぱ死っていうものを意識するっていうふうなことが大事だなとは思ってるんですけど、
なんかそこの解像度は、まだそんな高くない。
まあ、ちょっと何回か自分の中で、ヒプノで臨場のシーンとかやってみたりとかして、
もう私は、臨場のシーンで家族に見送られて、
私がその家族に対して、
もう私と今世家族になってくれてありがとう、みたいな。
もうめっちゃ楽しかったわ、みたいな感じで命を終わっていくっていう未来ヒプノを見ているんですけれど、
そう、なんかちょっとずつそういう感じでイメージは作ってはいるんですけど、
うん。なんか、私自身が結構死っていうもの、やっぱ遠そうだなーっていうのをちょっと感じましたね。
そのヒプノでそれを体験をして、
でも死に対して今、ハテナってなってるわけじゃないですか、ビュービューの中で。
ハテナですね。
えー、なんか、なんだろう、なんか、
まずなんかヒプノで見たときに感じたのは、死が結構明るいものだなってまず思いましたね。
なんか私自身が、そう、なんかもう私と家族になってくれてありがとう、
もう今世で家族になってくれてありがとう、みたいな感じだったから、
私って本当、家族っていうものをすごい体験したかったんだなーっていうのを1個思って、
ちょっとこうしみ、しみるみたいなこともあって、
なんかそう、死っていうものに対するバイアス、
なんか私の中では、私の隣住のシーンは、結構なんかもう明るい感じで楽しくて、みたいなところだけれども、
なんかそれが、まだカチッとはまりきってない感じっていうんですかね。
うん、なんか受け入れてはいるっちゃいると思うんですけれども、
なんかもう、なんて言うんだろうな、1層か2層ぐらい、死っていうものを受け入れる余地がありそうだなーっていう感覚のような気がします。
ちょっと私もなんか、まだ捉えようがなくて、なんとも説明がしがたいんですけれども、
なんかそんな感じかもしれない、なんかね、ちょっとファンタジーっぽく見えているみたいな感じですかね。
あー、はいはいはい。
うん、死がなんか終わりっていうか通過点に見えてるみたいな感じかな、魂の旅の。
確かに。全部質感がなんか明るいっす。
そうなんですよ。そうなんですよね。
ただ、なんか、あの、親とか他者、自分じゃない他の人の死については、
えー、いつ死ぬんだろう、怖い、みたいな感じとか。なので、自分自身に対する死と、他の人に対する死の捉え方もまだちょっと違う感じがしてるんですよね。
あー、なるほど。そこは、なるほどね。確かにそこの質感が違うんですね、人と自分で。
そうなんです。
手の振っていくと、死がますますよくわからなくなっていく、みたいな感じ。
うーん、なんかあれですね、でもなんか自分の死に対しては割とこう、ファンタジーな感じで、
相手の死に対しては割とこう、現実味があるというか、なんかもう、
いなくなってる感っていうか、そういう物質的な質感をなんか感じましたけど。
あー、確かに。そうですね。
うん。
あー、確かになー、いやー、なんか、このいなくなってる感とか、物質的な感覚とかは、
確かになんかちょっと、まあいろんな可能性があるので、まあわかんないですけど、
私自身の感覚じゃないのかもなーっていうのは、ちょっと思いましたね。
うーん。
なんか、周りの人たちが死の時の反応とか、こういう表情をしてたなーとか、
こういうエネルギー感だったなー、みたいなものをこう、ぴゅーって借りて、
あの、こういうイメージみたいなもので、再生している可能性もあるかもですし、
あとはもう一個は、あの、自分のそばからいなくなるっていう感覚に対する恐れとかもあると思います。
なんか、今はちょっと薄れてきたけれど、あの、一人になるっていう恐れと、
たぶん、ちょっとくっついている可能性があるかもなって思いました。
うん。
うんうん。
そこは、意外とそこの3次元的なつながりを求めてる、みゅみゅも。
なんか、いる感じがする。
意外とねー。
ね、意外と。
そうですね。
うーん、家族とか、ちょっとその、身近な関係性とかは、なんかそうなのかもなー。
あー、ちょっとね、こう、生まれたときの家族とかは、
うーん、またいろんな引力がある感じがするので、
うーん。