1. 超実践的ヒモ理論〜宇宙叡智からの創造〜
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2025-01-15 28:30

#04 (後編) メメント・モリ「死を忘るるなかれ」

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▼今回のテーマ:
#現世 #生き方 #死生観 #意識 #内的世界 #宇宙意識


▼番組概要:

宇宙と人類をこよなく愛する「コズミック対話」のクリエイター2人がお届けする、人類の意識を拡張するチャンネル。「なぜクリエイターに宇宙的視点が必要なのか」「意識の本質」など、従来のビジネス書や自己啓発本では知覚できない宇宙的叡智と創造の真理を、起業家、クリエイター、アーティストのリアルな深層体験を通じて紐解いていきます。気づけば細胞レベルで意識がアップデートされちゃう、新感覚・宇宙的クリエイションプログラム!毎週火曜夜配信。


▼番組ハッシュタグ:#超実践的ヒモ理論


▼体験談、質問、MCへのメッセージはこちらまで

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▼パーソナリティ

須藤美幸(ソーシャルシャーマン/宇宙人):次元を超えた対話を通じて、見えない世界の真理を遊び心たっぷりに解き明かすナビゲーター。時に笑い、時に深く静まりながら、リスナーの意識を新たな領域へ誘う。実態はただのヒモ。

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河畠輝(空クリエイター/宇宙人):抽象と具体の行き来でメタ認知を促す思想家芸人カガヤキマン。経営、スタートアップ、エンジェル投資の経験と深い瞑想実践から得た洞察を活かし、論理と直感の調和を体現する。実態はただのヒモ。


⁠⁠https://x.com/kagayakimann⁠

サマリー

このエピソードでは、メメント・モリの概念や死に対する感覚を深く探求しています。特に、死の臨場感や解像度が生き方に与える影響について、さまざまな視点から議論されています。また、死を忘れないことの重要性やそれに伴う死生感についても探求しており、感謝や愛の意義が死に対する受け止め方に与える影響についても考察しています。

メメント・モリの重要性
ちょっと、メメント・モリっていうキーワードで、いろんなお話ししましたけれども、
私の感覚では、私よりも輝きまんの方が、なんかね、死に対する、なんか解像度だったりとか、
臨場感みたいなものが高そうだなーって、まず思ってるんですよ。
なんかそんな感じがするぞって、直感。 もう、私のセンサーが直感してるんですけれど、
その直感はあってるかもしれない。 前回のテーマを引用するんだったら、5次元的な愛の感覚でいる時間が長いっていうふうにも言うのかもしれないんですけれど、
なんか1個、私の目線で聞きながら感じるのは、やっぱり死に対する解像度の高さとか臨場感っていうところは、
ちょっと分岐点としてありそうだなーって思いますね。
それは、そうですね、こういうポッドキャストだから言いますけど、
僕、小学生の頃に、一応、自殺ミス的なことをしたことあるんですよね。
で、実際に薬めっちゃ飲んで、死にかけた瞬間があった。
なので、実際に死が近かったっていう体験を1回してたりとか、
あと、結構放行の時も友達が亡くなっちゃったりとか、あったりしたので、
死を感じる瞬間は結構あったなっていうのがあるんで、
そういった意味では、みゆみゆの直感はあってるっていう感じだと思います。
なんか私が嗅ぎつけました。
うん、そうかー、うん、そうですよねー。
そうそう、ていうのがあるとね、やっぱなんか、
そう終わりがあると思うとね、やっぱ感謝できるんですよね、何にでも。
うん、なんかこれ、お話いただいたので、なんか一個ちょっと聞いてみたいなーって感じなんですけれども、
生かされている感覚
なんか、うーん、なんて言うんだろう、
死っていうものと、一時期でもすごい距離が近づいて、でも今生きているっていう状態。
で、生きるってことへの、なんて言うんだろうな、
生に対する執着感とかは、なんかご自身としては変わった感じとか、
なんかこう、手触り感とかって、なんか変化ありましたか?
執着とかはないですね。
執着というよりも、なんか生かされたんだなって感じが強いです。
生かされてるということは、
まあ、その、ちょっと未遂をして生きてしまった時とか、
友人が死んでしまった時とかも、こう、生かされたんだな、自分はって感じになるんですよね、どっちかというと。
執着というよりも。
なので、生かされたからには、
まあ、なんだろうな、ちゃんと生きようかな、みたいな。
もう少し生きようかな、みたいな。
そういう質感の方が強いかもしれないです。
なんか執着というよりも。
なるほど。
引き続き、なんかその流れに乗ろうかな、みたいな、こうそうですね。
そんな感じが強いかな、そう聞かれると。
執着がないですね、寄りない感じはあって。
寄りないけど、なんか漂ってる感じの方が強いかも。
なるほど。
そんな感覚ですね。
なるほどね。
ありがとうございます。
あの、なんか、私の出会った方の中でも、人生の中で、なんか、
さまざまな形で、死との距離が近づいた人を出会ったことあるんですけれども、
なんかそれを経て、どういう感覚になったのかっていうのが、
過去に聞いたことだと、逆にその、自分が生きた、生かされたっていう感覚だったのかもしれないんですけれど、
なんかそれによって、自分自身って生きることへの執着が強くなったとか、
死に対する解像度と臨場感
強かったんだなって、逆に思ったみたいな話を聞いたことがあったので、
これって人それぞれなんかな、どうなんだろうな、みたいなものがちょっと気になって聞いてみました。
なるほどね。執着というふうに捉える人もいるんですね。
うん。そういう方もいらっしゃいました。
うーん、なるほど。執着はないな。
うん。
気持ちいいですか?
生かされている。
死の方が。
あ、うんうん。
瞑想とかも結局死ぬ練習なんですよね。やってることが。
だってあれ、あの、
余儀の有名な人、輝木真だったらお名前知ってそうですけど、
余儀のすごい人、余儀のすごい人って、余儀のすごい人はあれですよね、
死ぬ時に、死ぬ時のヨガで、自分で、
なんか、命が終わるタイミングを自分で決めて亡くなったみたいな。
あー、なんか、なんだっけ、えっと、
余儀のすごい人。
余儀のすごい人ね、あの、日本の仏教でもなんて言うんだっけ、
即死菩薩じゃなくてなんだっけ、
えーと、ちょっとね、言葉が、言葉をすぐ忘れちゃうんですけど。
余儀のすごい人しか出てこない。
僕もね、菩薩という言葉しか出てこない。
あれもありますよね、ありますよね。
瞑想したまま死ぬみたいなやつですよね。
究極の瞑想がそれなんですよね。
そうそうそうそう。
ティクダム瞑想とかって、確か、トゥクダムかな。
トゥクダム瞑想みたいのがあるらしいですけど、
死んでもなお、身体は生きてる状態と一緒っていう。
あー、そうそうそうそう。
魂だけ宿ってる説。
うん、なんかそれ、思い出しましたわ。
なんかね、その感覚がでも、なんとなくふわっと、自分も瞑想修行してあるんで、
なんか、死が怖いものじゃないんですよね。
あー。
死ぬと逆に、ずるいみたいな感覚です。
え、死ぬとずるい、おー。
ずるいみたいな。
ずるい?え?どうなの?
ずるい感覚がありますね。
え、ずるいって感覚は、どういう、あれからですか?
やっぱり、死の世界が悪いものじゃないっていう自分がいるんで、
むしろ、いろんなものから、肉体から解放されて、
自由な存在になれるみたいな感覚もちょっとある。
で、妻とかの会話で、私が先に死ぬわ、みたいな、老後ね。
そういった時に、ずるっていう言葉が出るんですよ。
ずるいって。
目先死んでんのよ。
ずるいって、初めて聞いたな。
っていう、でも、ていう質感です。死に対して。
え、そうなんだ。
けっこう、なんか、新しい感覚を受け取りました。
うん。
え、いや、なんか、
いや、でも、私、話を聞けば聞くほど、
やっぱ、私、死の感覚、けっこう遠いなって、
感じますね、自分自身が。
なんか、得体が知れなくて、怖いとも、ちょっと違う気がしてるんですけど、
なんか、はてな、みたいな、なんか感じ。
ぼやーんって感じですね。
うーん。
そう、なんか、死について、
考えるきっかけをくれる、カードがありまして、
ヨイシカードって知ってます?414カード。
414、知らない。初めて聞きました。
ヨイシカードっていう、
なんか、なんだっけな、自分が死ぬ時に一番、なんか、
失いたくないものは何?とか、恐れてるものは何?みたいな問いで、
バーって、カルタみたいな感じで、カードを広げた時に、
1枚選ぶんですよね。
それで、私はこれだったよ、みたいな感じで、
対話をして深めていく、みたいなカードがあるんですけど、
1回、それ、友達持ってるとき、やったことあるんですけど、
なんかね、その時から、まじで、死がね、けっこう、はてなって感じだったんですよね。
うーん。
はてな。
はてな、なんかね、わかんないって感じなんです。
ピンとこないみたいな。
なんで、なんか、あの、たぶんね、1個は今日の話を、
私が誰よりも最前線のリスナーとして、
この回を聞いているような感覚にはなってるんですけど、
私のここまでお話したり聞いた中での1個は、
やっぱりね、死に対する解像度とか臨場感の低さだろうなって思っているんです。
自分のこの死のよくわからなさは。
うん。
なんで、なんかこう、終わりみたいなものを決めるっていうふうに、
言葉では言って、やっぱ死っていうものを意識するっていうふうなことが大事だなとは思ってるんですけど、
なんかそこの解像度は、まだそんな高くない。
まあ、ちょっと何回か自分の中で、ヒプノで臨場のシーンとかやってみたりとかして、
もう私は、臨場のシーンで家族に見送られて、
私がその家族に対して、
もう私と今世家族になってくれてありがとう、みたいな。
もうめっちゃ楽しかったわ、みたいな感じで命を終わっていくっていう未来ヒプノを見ているんですけれど、
そう、なんかちょっとずつそういう感じでイメージは作ってはいるんですけど、
うん。なんか、私自身が結構死っていうもの、やっぱ遠そうだなーっていうのをちょっと感じましたね。
そのヒプノでそれを体験をして、
でも死に対して今、ハテナってなってるわけじゃないですか、ビュービューの中で。
ハテナですね。
えー、なんか、なんだろう、なんか、
まずなんかヒプノで見たときに感じたのは、死が結構明るいものだなってまず思いましたね。
なんか私自身が、そう、なんかもう私と家族になってくれてありがとう、
もう今世で家族になってくれてありがとう、みたいな感じだったから、
私って本当、家族っていうものをすごい体験したかったんだなーっていうのを1個思って、
ちょっとこうしみ、しみるみたいなこともあって、
なんかそう、死っていうものに対するバイアス、
なんか私の中では、私の隣住のシーンは、結構なんかもう明るい感じで楽しくて、みたいなところだけれども、
なんかそれが、まだカチッとはまりきってない感じっていうんですかね。
うん、なんか受け入れてはいるっちゃいると思うんですけれども、
なんかもう、なんて言うんだろうな、1層か2層ぐらい、死っていうものを受け入れる余地がありそうだなーっていう感覚のような気がします。
ちょっと私もなんか、まだ捉えようがなくて、なんとも説明がしがたいんですけれども、
なんかそんな感じかもしれない、なんかね、ちょっとファンタジーっぽく見えているみたいな感じですかね。
あー、はいはいはい。
うん、死がなんか終わりっていうか通過点に見えてるみたいな感じかな、魂の旅の。
確かに。全部質感がなんか明るいっす。
そうなんですよ。そうなんですよね。
ただ、なんか、あの、親とか他者、自分じゃない他の人の死については、
えー、いつ死ぬんだろう、怖い、みたいな感じとか。なので、自分自身に対する死と、他の人に対する死の捉え方もまだちょっと違う感じがしてるんですよね。
あー、なるほど。そこは、なるほどね。確かにそこの質感が違うんですね、人と自分で。
そうなんです。
手の振っていくと、死がますますよくわからなくなっていく、みたいな感じ。
うーん、なんかあれですね、でもなんか自分の死に対しては割とこう、ファンタジーな感じで、
相手の死に対しては割とこう、現実味があるというか、なんかもう、
いなくなってる感っていうか、そういう物質的な質感をなんか感じましたけど。
あー、確かに。そうですね。
うん。
あー、確かになー、いやー、なんか、このいなくなってる感とか、物質的な感覚とかは、
確かになんかちょっと、まあいろんな可能性があるので、まあわかんないですけど、
私自身の感覚じゃないのかもなーっていうのは、ちょっと思いましたね。
うーん。
なんか、周りの人たちが死の時の反応とか、こういう表情をしてたなーとか、
こういうエネルギー感だったなー、みたいなものをこう、ぴゅーって借りて、
あの、こういうイメージみたいなもので、再生している可能性もあるかもですし、
あとはもう一個は、あの、自分のそばからいなくなるっていう感覚に対する恐れとかもあると思います。
なんか、今はちょっと薄れてきたけれど、あの、一人になるっていう恐れと、
たぶん、ちょっとくっついている可能性があるかもなって思いました。
うん。
うんうん。
そこは、意外とそこの3次元的なつながりを求めてる、みゅみゅも。
なんか、いる感じがする。
意外とねー。
ね、意外と。
そうですね。
うーん、家族とか、ちょっとその、身近な関係性とかは、なんかそうなのかもなー。
あー、ちょっとね、こう、生まれたときの家族とかは、
うーん、またいろんな引力がある感じがするので、
うーん。
死の捉え方
なんともちょっとこう、シンプルに答えがたいところはありますけれど、
うーん、でもあるかもですね。
たしかに。でも、そうっすね。でも、おもしろいっすね。
その人の、一人一人の死のとらえ方が言語化されていくことで、
その人の、何がわかるんだろう?何かがわかっていくような感じも。
いやー、大切な何かが間違いなくわかる感じはしますね。
いやー、しますよね。
なんだろう?
しますよね。
うん。
しますします。
死が、死に対するとらえ方。
あー。
何がわかるんだ?
もうあの、今浮かんできたのは、死生感っていう、
そりゃそうだろう、みたいなキーワードが出てきちゃうんですけど、
まあでも、やっぱりどう生きているのかとかは、セットでわかりそうな感じがしましたね。
うん。
うん。
なんて、かがやきまんはあれですよね。
奥様が、もし先に死ぬみたいな感じになった場合は、
ずるいって思いながら生きてるわけですもんね。
ずるいね。でもそれもほんと、最初に感じた言葉がそれだったんで。
ずるい。
そう思ってるでしょうね。
面白すぎる。
えー、ちなみに私は今のところ暫定ですけど、
あの、よくご夫婦パートナーでどっちが、
自分が先に死にたいですか?とか、
相手を見届けてから死にたいですか?とか、
はいはいはい。
なんかそんな問いを聞いたことがあるんですけど、
うん。
もう私は寂しがりなので、同時に魂になりたいって説に願ってます。
同じ瞬間に。
同じ瞬間ね。
はい。
確かにそれが理想ですよね。
はい。もう喜んで、来世までついていくぞというふうに思って。
確かにそういうつながりというか、
そういうものを独りぼっちモデルの中でも、
それがすごく出てるんだなっていう。
あー、確かに。
そのアンサーでもなんとなく感じました。
先にも行かせないし、置いていきもしないぞっていう。
あの感じね。
すごいですよ。
今生よりも先まで見据えてますんで。
未来永劫ね。
はい。未来永劫。
輪廻転生も全部共にしていこうって。
私といたら絶対楽しいぞみたいな。
いいですね。
いやー、めめんともり深いテーマですね。
確かに。
めめんともりなのかっていうのがちょっとわからんところもありましたけど。
そうね。
でも死を忘れないからこそ、ここまで話が発展していったというか。
うん、確かに。
死を忘れないためには、そもそも死というテーマの話をするということでもありましたね。
感謝と愛の重要性
そうですね。
死がタブー化されてますよね。
そうそうそうそう。
死が隠されている感じがするって言ったのは、
多分それですね。タブー化されているという表現ですね。
ね、確かに。
Xとかでもね、死とか入ってるとリツイートとか拡散されづらいですもんね。
確かに。
あるアルゴリズムで。
社会的にもそういう扱いになってると思う。
確かに確かに。
案外ね、死について話してみたら、片方はずるいって言い出すかもしれないし、
片方は、もう死は通過点として、次以降の輪廻転生までついていくぞって言い出すかもしれないし、
意外となんか死がポップンに話されるとかあるかもしれないですね。
死の質感は何が正解かはちょっとわかんない。
死が近くて軽すぎて、
昔のポルポト政権みたいな、みんな殺しちゃうみたいな、
そういう死の捉え方をしてる時代ももしかしたらあったかもしれないですし、
あった、ありましたし。
一番誠実な死の捉え方って何なんだろうなっていう問いがちょっと最後に浮かびました。
誠実な死の捉え方か。
でも、今私が感じたのは、感謝ですね。
やっぱり。
やっぱり感謝につきます。感謝の、感謝のバイブレーションが一番強かろうって思う。
そうっすね、確かに。
それ、それだわ。
感謝。
感謝が、その人の死という終わりまでに向かってきたすべてのプロセスを祝福し、癒すと思いました。
確かに。感謝だね。感謝、そして愛ですよね。
他に。
そう、わかるわかる。
ネアリー、ネアリーコール。
そう、間違いない。結局愛。
違いない。
そう、結局、結局そこないよ。
そこないよ。
なんか、人間、人間以外もそうなのかどうかはちょっとわかんないので、
知っている情報としては、人間は心肺停止した後も、あれですよね、聴覚は結構最後まで残っているらしいので、
心肺が停止した時とかも、周りの人たちが言っている会話とかは、実は亡くなった方は聞こえていらっしゃるから、
それを魂になった時も持ち帰っていくっていう話を聞いたことがあるので、
じゃあもう心肺停止されたタイミングとか、もちろんその前もそうですけど、
された後もたくさん感謝とか愛の言葉を伝えてあげると、
それがね、その方の次の天聖時の時に向けた時のアファベーションになるだろうから、
素敵な感謝と愛をお話しいただくといいんだと思いました。
未来への視点
成仏できそう。
うん。逆にね、なんか、あの、いやもう、ほんと聖々しいタワーみたいなこと言われたらもう浮かばれないですからね。
浮かばれないですね、確かに。
えーって、うん。
感謝ですね、ほんとに。
感謝は、すべてを癒す。ほんとにそう思う。
そうね、結局感謝を、どうすれば感謝の気持ちを、
そのバイブレーションをより広められるのかっていうその人、一個人。
あー。
たとえ死に触れたとしても、感謝できない殺戮者とかもいるわけで。
うん。
みたいなね、ちょっとこれは次のテーマにしたほうがいいかもしれないですけど。
いやー深い。
はい。
確かに。
そう。
感謝のバイブレーション。
これは、ぜひあの、別回で深くお話できたらと思いますけれども、
キーワードだけ置き逃げしていくと、
日常のすべてから愛という高さを受け取るだったりとか、
日常自体がセレモニー化していくというものが、感謝のバイブレーションになっていくことだと感じています。
うん。
詳しくは別回で。
別回で。
はい。これは詳しくは別回です。
はい。じゃあ、締めていきましょうかね。
なんか、はい。
今日はまたなんか、あれですね、私の感覚的には、私自身も、
試行錯誤というか、なんて言うんだろうな、なんかこう、感覚を探索するような感じのテーマで、
非常に噛み応えのあるトピックでした。
確かに。やっぱあんま離さないテーマだからでしょうね。
死が人と。
離さないね。離さない。
だからこそっていうのはありそう。
うん。なんか、考えなかったようなことを考えたというか、なんかダウンロードした感じがありました。
うん。
そうですね。なんか回のちょっと質感も前回とは違うような感じ。
なんかね、すごいですよ。だって愛から死ですからね。
確かに。
死生きて、死生きて。
深い、深いな。
いやー、これは、50年後ぐらいにはもしかしたら、
哲学的ラジオとして、このラジオ紹介されてるかもしれないぐらい、非常に深い話をしてますよ。
最初の6回ぐらいでここまで深めちゃったら、
この先深くなんのか、めちゃくちゃね、浮上していくのかちょっとわかんないですけど。
確かに。でもこのディープさとニッチさを非常に楽しんでくださっているコアファンの方がいらっしゃるので、
このまま、このままいきましょう、ぜひ。
このまま進んでいきましょう。
このまま進んでいきましょう。
ありがたいことです。
そしたら、締めの挨拶していきましょう。
超実践的ひも理論では、宇宙、真相心理、内的世界といった意識の本質に関するテーマを配信しております。
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それでは、みなさんまたお会いしましょう。
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