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2024-10-25 06:03

DD論と合意形成

note
https://note.com/shirai_aka/n/na313117cb04d

『共感という病』
https://amzn.to/3ULcEp1
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フェスティナレンテ、この放送は、SWC Sloth with Creatorsコミュニティメンバーのしらいがお送りします。よろしくお願いします。
さて、今日もノートにアップした記事を読み上げていきたいと思います。
タイトルは、DD論と合意形成、です。
では、早速いきたいと思います。
今回は、ケンスーさんのノートを読んで考えてみたことを書いてみます。
読んだのは、「大きな対立こそ忘却が大事になる。」というノートです。
こちらは有料記事なのですが、無料でも半分くらいを読めるので、ぜひ読んでみてください。
ざっくりまとめると、
過去の記憶を繰り返し想起することは重要だが、過度に囚われると憎悪の連鎖を生むことがある。
ロシア、ウクライナやイスラエル、パレスチナの争いでは、双方が過去の記憶に固執し対立が深まっている。
その対処法として、歴史的な忘却が必要。
第二次世界大戦後の西ドイツや日本では、過去を忘れ和解や再建が進められた。
憎悪を忘れ、どちらかが正義を決めず、互いに譲り合う、DDどっちもどっちの姿勢が重要。
このような感じです。
これを読んで、以前読んだ本の内容が重なりました。
その本は、共感という病という本です。
この本の著者は、テロと紛争の解決をミッションに、ソマリアなどの紛争地にて、
テロ組織の投降兵や逮捕者、ギャングなどの脱過激化、社会復帰支援や過激化防止を実施されている方です。
また、テロ組織との交渉及び投降の促進、国連機関や現地政府の政策立案やレビューなどにも従事されています。
本書は共感についての本なのですが、共感は社会や人間関係をつなげ、ポジティブな要素として評価される一方で、
同時にその嘘んくささも感じられることがあると著者は言います。
例えば、絆やワンチームといった概念が排他的に使われるなどです。
著者は、テロリストの公正支援や交渉の経験を通じ、共感の限界を痛感したそうです。
その経験を踏まえ本書では、共感の重要性を認めつつ、その負の側面を理解し、より良い社会のために共感とどう向き合うかを探求しています。
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今回取り上げたいのが、本書後半にあった著者と内田達主との特別対談です。
調べてみたら、以下のサイトで全文公開されておりましたので載せておきます。
以下は内田氏が合意形成について述べている部分です。
以下引用になります。
勘違いしている人が多いんですけど、合意形成って、誰かが正しい意見を言って周りの人間を説得して、その意見に従わせるというものではないんです。
そうではなく、みんなが同じぐらいに不満足な解を出すってことなんです。
全員が同程度に満足というのが落とし所なんです。
中略
合意形成でとりあえず目指すのは、みんなの不満の度合いを揃えるということなんです。
中略
現代人はそういった合意形成の要定をもう忘れていて、一番正しい意見にみんな従うべきだと思っている。
合意形成はルーズ・ルーズ・ルーズの三方一様存なんです。
だから、しょうがねえなあ、じゃあこれで手を打つか、という下打ちとともに終われば上等で、最後にみんなで万歳というようなことは期待しちゃいけない。
引用終わりです。
ここで内田氏は、合意形成は誰かの正しい意見に従うことではなく、全員が同じ程度に不満を感じる解決策を見つけることだと述べています。
つまり、合意というのは完璧な満足ではなく、妥協の結果であり、全員が少しずつ損をすることで成立します。
現代ではこの点が忘れられがちで、みんなが納得する理想的な結果を求めがちですが、それは非現実的だとしています。
これを踏まえると、過去の記憶や対立にとらわれている問題についても、理想的な正義を求めるのではなく、
互いに情報し、双方が不満を持ちつつも対立を解消するDDどっちもどっちの解決が現実的なんだろうなと思いました。
和解とは一方が勝つことではなく、双方が少しずつ不満を抱えながら手を打つことなのかもしれません。
というわけで、ケンスーさんのノート記事を読んで考えたことを書いてみました。
これが何かのお役に立てれば幸いです。
感想等ございましたら、こちらのコメント欄で教えていただけると嬉しいです。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
それでは皆さん、そろそろスロース。
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