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2024-10-29 07:43

チームとコミュニティの違い

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フェスティナレンテ、この放送は、SWC、スロースウィズクリエイターズ、コミュニティメンバーのしらいがお送りします。よろしくお願いします。
さて、今日もノートにアップした記事を読み上げていきたいと思います。
タイトルは、「チームとコミュニティの違い」。では、いきます。
今回は、チームとコミュニティの違いについて書いていきたいと思います。
私は、フィナンシェというサービス内のスロースウィズクリエイターズ、学校SWCというコミュニティに参加しているのですが、
SWCでは、バウンダーであるケンスーさんが、読み物というメルマガのようなものを書いています。
この記事では、その読み物から考えたことを書いてみます。
今回の記事は、IT批評家の小原和弘さんとケンスーさんの対談を受けての記事です。
対談の中で、チームとコミュニティの違いについての話がありました。
チーム、目標、ゴールのために集まる。活動、ドゥの価値に重点を置く。
コミュニティ、価値、理念に共感して集まる。状態、Dの価値に重点を置く。
ざっくりこんな感じです。
これを聞いていて、人の性質みたいなものを強く認知できた感覚がありました。
チームについて、そもそも人は自分たちの集団と他の集団を区別する習性があります。
ある集団をランダムに赤と青の組に分ける実験をしたところ、
たったそれだけで、同じ組になった人には仲間意識を、
違う組の人には別の集団としての意識が芽生えたそうです。
子供の頃、グーとパーでグループ分けして遊んだことがある方なら、
別れた瞬間に敵と味方として区別されるという感覚を理解できるのではないでしょうか。
チームについて、そのまま子供を例にしてみると、
ドッジボール、活動をするとなったとき、
グループに分かれて相手に勝つために目標ゴール、試合をする。このような感じです。
このドッジボールの例えは、コミュニティにつながります。
子供のときからこうなので、人間の本能みたいに考えられるかもしれません。
コミュニティについて、人には類似性バイアスというものがあります。
バイアスは無意識の偏見、潜入感みたいな意味です。
この類似性バイアスというのは、興味や経歴、経験などが似ている人を好む傾向のことで、
私たちは自分と似たような人のそばにいると安心する傾向があります。
自分に似ている人に親近感を覚えた経験が皆さんにもあるのではないでしょうか。
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そして、この類似性から価値・理念に共感して集まった人たちのことを、
コミュニティと呼んでいるんだと思うんです。
対談でもありましたが、チームとコミュニティは完全に分離されているものではなく、
行ったり来たりし得るものです。
再び、子どもたちのドッジボールを例に見てみましょう。
子どもたちは試合が終わった後、どうなるのでしょうか。
そのまま敵と味方に別れ続けることはありませんよね。
敵・味方関係なく、元の友達同士に戻りそうです。
一緒に楽しくドッジボールをしていた友達、かっこ同じ価値・理念を持って、
つまりチームからコミュニティに戻るんです。
これがまさにチームとコミュニティの行ったり来たりです。
で、これもまた子どもの時からこうなので、人間の本能みたいに考えられるかもしれません。
ここまでで、何となくチームとコミュニティがどんなものなのか見えてきました。
そしてここで見てきたことで、新たな疑問が生まれました。
具体的に言うと、チームのようなコミュニティ、あるいはコミュニティのようなチームがあるのかどうかということです。
細かく分けたときに、チーム的チーム、チーム的コミュニティ、
コミュニティのチーム、チーム的コミュニティ、
つまりチームとコミュニティとの共通点が分かれているのか、
細かく分けたときに、チーム的チーム、チーム的コミュニティ、コミュニティ的コミュニティ、コミュニティ的チーム、こんな感じになったりするのかなと疑問に思いました。
肌感覚としては普通にありますよね。
ケンスーさんは、コミュニティを作ろうとしているのに、チーム作りの動きをしてバグるのようなことがあるとおっしゃっていました。
これって作ろうと思えば、チーム的コミュニティやコミュニティ的チームを作れるのか、あるいは自然発生的に生まれるのか、というのも疑問に思ったところです。
現時点では、チームとコミュニティは行ったり来たりするという解釈をしています。
なので、グラデーションではなく切り替えが行われているだけなのかなとも思ったり、
チームというとどうしても広角機動隊のようなプロフェッショナル集団を連想してしまうので、それが障壁になってチームの中にコミュニティってどうなんだろう、というふうに考える邪魔をしている可能性があります。
我々の間にはチームプレイなどという都合の良い言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレイから生じるチームワークだけだ、というやつですね。
でもこれはチーム的チームなのかもしれないなと思いました。
チームとコミュニティが混ざったような例は何かあるかなと考えていたら、
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2013年4月8日の研修日記、目的があっての手段だなんて考えつまらなくないですか、この記事を思い出したので載せておきます。
以下引用します。
過去遺跡の話は記事内のハンター×ハンターの説明です。
今まで誰も調べていない遺跡を調べるという目的のためにいろいろ頑張っているのですが、そのゴールよりもその志を一緒にした仲間の方が大事、みたいな話です。
ゴールについたことよりその仲間と一緒に頑張ったりする方が価値があった、みたいな話です。
陳腐な話に聞こえますか?陳腐かもしれません。物語ではよくあるパターンです。
でもすごくわかります。目的なんかよりも手段の方が輝いていたりすることよくあります。
引用終わりです。
ゴールよりも仲間と頑張ったことに価値があるというのはチーム的コミュニティなのかなと思いました。
でもチームとコミュニティが切り替わっただけだよって言われるとそうなのかなと納得してしまいそうになる。
というわけであまり煮え切らない投稿になりましたが書いてみました。
この後に読み物のコミュニティについての連載が始まり回答がありました。気になる方はチェックしてみてください。
感想等ございましたらこちらのコメント欄で教えていただけると嬉しいです。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
それでは皆さんスロスロスロース。
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