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どうも、フェスティナ・レンテ・しらいです。よろしくお願いします。
今日も収録していきたいと思います。
今日は、ちょっと台本を軽く作ってみたりしました。
えーっと、そこまでしっかりしてはないんですが、
試しに作って、セレを使いつつやっていきたいなーっていう感じです。
で、今日は占いって意外と侮れないかもね、みたいな話をしたいと思います。
早速本題に入っていきたいと思います。
今日も文化がヒトを進化させたっていう本から、ちょっと読み進めていきたいと思います。
えーっと、これは占いと狩猟採集の、ちょっとそういう話ですね。
はい、で、まずその狩猟採集とか占いに入る前に、
人間のバイアス、陥りやすい傾向みたいな感じですね、を軽く紹介したいと思います。
えーっと、心理学分野の多数の研究で、人間、かっこ少なくとも西洋人は、
ギャンブラーの語尾に陥りやすいことが証明されている。
これは、ありもしない傾向や流れがあるかのように錯覚し、
負けが続いた後にはきっと勝つはずだと信じてしまうことだそうです。
そうですね、例えば、コインとすをして、
表、裏、表、裏、次何が出ますか?って聞かれたときに、表って答えてしまうような、
表、表、表、裏、裏、裏、次何が出ますか?って聞かれて、表って答えてしまうような、
そういったありもしないパターンを勝手に自分で作っちゃうっていう錯覚があるらしいです。
これは、ギャンブラーの語尾って呼ばれています。
で、その上で、人特有のこのような認識の癖がしばしば問題になる。
なぜなら、生存のための最適戦略を取るためには、
自分の行動をランダム化しなくてはならない場合もあるからだ。
ところが、私たちはありもしないパターンを見てしまう認識の癖をなかなか改めることができない、
だそうです。
そして資料採集の話に入っていきます。
カナダのラブラドール地方で移住生活を送っているナスカビ族は、
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トナカイの寮に出かけるとき、まずどの方角に向かうかを決定する必要があったと。
で、ごく常識的に考えると、
自分が以前にトナカイを仕留めたことがある場所や、
友人や隣人が最近トナカイを目撃したと言っている場所に向かいたくなるのではないだろうか、
ということなんですけど、
これはまあそうですよね。
自分が以前にトナカイ仕留めた場所に行くか、
友達に聞いて、あそこにトナカイいたからちょっと行ってみれば、みたいなことを言われてそこに向かうっていうのは、
まあ人間として当然のことかなと思います。
なので、ハンターは自分の居場所をトナカイの居場所に合わせようとすると。
それはそうですね。
で、一方、トナカイは撃たれて食われてしまうのを避けるため、
ハンターの居場所には合わせまいとする。
もし、ハンターの側に少しでもバイアスがかかっていて、
自分や知人がトナカイを見た場所に再び向かうならば、
そこ、人間に遭遇したことのある場所にはもう近寄れないとする。
トナカイ側が有利になる。
言い換えると、ハンター側にとって有利な戦略を取るためには、
自分の行動をランダム化する必要があるのだ、って書いてあります。
そしてここから占いにつながっていきます。
昔からナスカピ族のハンターたちは、狩りに出かける方角を占いによって決めていた。
トナカイの肩甲骨が指し示した方向に行けば、狩りは成功すると信じていたのだ、って書いてあります。
この骨占いって言うらしいんですけど、
骨を焼いて、そのひび割れでどっちの方向に行くかっていうのを決めていたそうです。
この占いによって方向を決めると、
占いのこの骨のひびの割れ方っていうのは、
まあおそらくデタラメだったでしょうと。
なので、それが逆にこう襲うしてランダム化された行動によって、
長期的に見ると、
狩りの成功率が高いっていう状態になるみたいです。
これがめちゃくちゃ面白かったポイントですね。
この占いによって、その占いがランダム化させてくれることによって、
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長期的に狩りがうまくいく。
で、筆者はこのように言っています。
こうした例は重要なことを教えてくれる。
人々は大抵、先祖伝来の風習にどういう意味があるのかを全く理解していないが、
むしろその目的も効果もわからずにやっているということにこそ、
意味があるのかもしれないということだ。
僕も本当にそう思います。
これは本当に信じて行動したからこそ、そのことにこそ意味があると。
意味とか、その先祖伝来の風習にどんな意味があるのかとか、
考えるだけ意味がないんですよね。
それをただただ実行することこそ大事であるみたいなのは、
めちゃくちゃ面白ポイントだったし、本当にそう思うなって思いました。
ここから得られた気づきとしては、
信じて行動できることが大事ですよねってことと、
形が変わっただけで、
現代でも同じような構造でやってるんじゃないのかなっていうこと、
この2点が個人的に得られた気づきです。
で、ここに関してちょっと自分の意見も入れつつ、
お伝えしていこうかなと思います。
結構いい時間なんですが、
今日ちょっと長くなりそうです。
はい、で、僕は、
個人的にエビデンスベースドな科学的なものがいいと思っていて、
で、ある種それを信じているんですが、
もちろんそれだって全然万能じゃないです。
有名な批判としては、
科学ってweird、英単語で奇妙っていう意味ですね。
で、その奇妙ですよねっていう批判があったりします。
で、weirdっていうのは、
W、E、I、R、D、それぞれがある言葉の頭文字になっています。
で、それぞれご説明していきます。
Wがwestern、西洋の。
Eがeducated、高等教育を受けた。
Iがindustrialized、先進工業国の。
Rがrich、裕福な。
Dがdemocratic、民主主義の。
まとめますね。
西洋の高等教育を受けた先進工業国にいる、
裕福な民主主義の社会で育った人々が、
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実験参加者になっているということです。
それを皮肉ってweirdって言ってるんですね。
で、この先ほど言ったweirdの人々っていうのは、
世界人口の12%を占めるにすぎません。
で、その世界人口12%しかいない、
その人たちを対象にした実験によって得られたデータを
エビデンスとして世界中の人々に当てはめるのって
weird、奇妙ですよねっていうのがこの批判です。
ここから分かるように、科学的にそうであったとしても、
もちろんそれが必ず自分に当てはまるわけではないですし、
それがひっくり返ることだって全然あります。
でも僕は、科学的にこうなんですって言われたら、
じゃあ信じてみるかってなるんですよね。
もちろん研究デザインとかはちょっと確認しますけど、
僕は信じることで行動が起こせるのであれば、
信じる対象は正直何でもいいと思ってます。
例えば、鼻占いとかをして、
好き、嫌い、好き、嫌い、好き、よし、合格しよう、
ってなれるんだったら別に全然鼻占いでいいなって思うんですよね。
その鼻占いによって確信を強められて
行動に移せるっていうことにこそ価値を感じているからです。
で、ぶっちゃけた話、正解なんてどこにもないわけですよね。
極論言っちゃうと、自分がこれって選んだ道を
自分の力で正解にするしかないじゃないですか。
結局、気合と根性みたいになる場合だって全然ありますよね。
で、その時々に自分が信じたものが自分の頑張りをブーストさせてくれたり、
信じるものがあるから踏ん張りが効くみたいなことが全然あって、
それが科学でも鼻占いでも、それこそ骨占いでも何でもいいと思ってます。
何でもいいって言うと語弊があるかもしれないですけど、
で、その中で僕は科学を信じられるから信じてるっていうだけなんですよね。
で、それって鼻占いとか骨占いとかと何か違いますって言われたら本当に
いや、本質的には違わないと思いますって僕は答えます。
ただ、一方でこれはちょっと違うんじゃないかなって思うこともあるので
少しだけお伝えさせてもらいます。
それは信じるものが違う人同士が
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お互いがお互いを否定しあったり攻撃しあったりするのは
それはちょっと違うんじゃないかなって個人的には思ってます。
あるいは信じるものを他人に押し付けたり
ましてや他人を殴るための梱包にするのは絶対に間違ってると僕は思います。
私はこう思います。だからあなたもこうしなさいみたいなのはやっぱおかしいなって思います。
これをやっちゃうと
優生学のようなこの異なる文化を迫害するような不納歴史を繰り返すことになっちゃうよなっていう風には思っています。
あくまで自分の人生において自分の責任の取れる範囲内で
信じたいものを信じるっていうのが大事なんじゃないかなっていう風に僕は思っています。
ちょっと話が脱線したんですがまとめると
伝統のある占いは意外と意味があるんだよってこと
そしてそれを信じて行動に移せるっていうことが大事なんですよ。
でこれって現代でも構造的には同じことやってるんじゃないですかっていうのが今回伝えたかった感じです。
はい、というわけで軽く台本を準備してやってみたんですがいかがだったでしょうか。
これはあれですね音声で伝えることの意義の一つは文章だけじゃわかんない感情を乗っけられることだなみたいな
やってみて気づきましたね台本ないと何言おうかなーってずっと考えててそこまで感情乗ってこないんですけど
台本あるとなんとなく感情を込められやすい感じがあるのでそこは今日やってみた気づきです。
これを台本なしでも感情乗っけてしゃべれるようにしていくのが今後の課題なんですかね。
そんな気がしました。
というわけでこの辺ではすごいずいぶん長く話してしまいましたがお聞き下さりありがとうございました。
それでは。
ではでは。
フェスナレンテ