縄文時代の歴史観
おはようございます。今日は7月の30日、594回目です。
日本通史ということで、日本の歴史なんですけどね、
部分的じゃなくて、通して学んでいきたいなと思います。
縄文時代の前に、歴史観というのがあるわけですよ。
だから、歴史観というのは、どういう視点で歴史を見るかということですね。
縄文というのは、歴史観に翻弄されているというか、利用されているというかが結構多いような気はしますね。
とはいえ、僕も僕なりの歴史観を持って話すわけなんですけどね。
縄文時代って、変に利用されますよね。
例えば、SDGsをやっている人とかね、縄文なんてエコなシステムなんだろうみたいな。
日本大好き、ちょっとした右翼みたいな方はね、縄文を、戦争がなくいい時代だったみたいな、そういうことを言いたがりますよね。
実際、大きな戦争はなかったということは証明できないわけですよ。
白いカラスがいないのは証明できないようにね。
ただ、大きい戦争があったような、遺跡が発見されなかっただけでね。
縄文時代を逆に、無きものにしようとする派閥の歴史観を持った人がいるわけですよ。
要は、未回避の民族で、こんなのを勉強にするに値しない日本に大陸から大勢の人が流れてきて、その人たちが日本を作ってきてくれて、そこからが日本の歴史の始まりなんですよ、というような意見を言う流派の人もいるわけですよね。
ただね、日本が素晴らしい、縄文時代という時代は素晴らしいという、
あ、だから岡本太郎さんの影響は大きいよな。岡本太郎さんが縄文素晴らしいみたいなんで、ちょっと火はついたと思うんですけどね。
僕は思っているのは、今とちょっと異なる文明があったんじゃないかなとは思ってますね。
だから何かというと、今の文明ってやっぱり西洋文明なわけなんですよ。だから縄文時代を遺跡発掘すると、文明と呼ぶのにふさわしい技術はあったわけですよ。
ただ文明として認めたがらない。アジアの猿が何が文明だみたいな、そういうのもあるのかもしれないけど、一番大きな理由は文字がなかったというのが大きな理由なのかなと思いますね。文字がなかった。
僕たち、文字ですよね、今の文明ってね。今の僕たちって文字で出来上がっていると言っても過言ではないですよね。
文字が来たのは、縄文時代から文字があったという説もあるみたいだけど、一応は弥生時代で文字が来ました。果たして文字がないから文明じゃないか。そこが大事かなと思いますね。
文字って要は、論理的、理論的に考えましょうじゃないですか。今のいろんなこと、理論的に考えましょう、理性的に考えましょう、その意見には根拠があるんですか、みたいなのは分からないけど。
要は、理論的に考えるみたいなのがもてはやされているわけですけど、必ずしもそうじゃないのもありなんですよね。理論的じゃない反対は感覚的。感覚的。
感覚的っていうのも僕たちわかるわけじゃないですか、感覚的。昔、最近お腹に鳴られた長島さんね、ボールが来たらカーンとパーンと打つみたいなのもよくわかんないけど、感覚的なことも僕たち日本人大好きなわけなんですよ。
そして、禅、禅、禅、座禅の禅、禅、禅、禅の世界もどちらかというと感覚的ですよね。感覚的。悟りって感覚的なんですよ。
高校、高校、高校、高校の理屈で高校あって、どうですか、分かりました、分かりました、みたいな世界じゃなくて、ある日、分かったという感覚ってあるじゃないですか。
僕たち、縄文時代で感覚的な、右脳と左脳という言い方をしたら、論理的は左脳ですよね、感覚的右脳。右脳で生きてたような時代が縄文時代なのかなというような、これ僕の仮説ですけどね。
だから、感覚、感覚、感覚的、感覚的から、僕、日本通史をこれから学んでいくにあたって歴史観というのがあるんだけど、
なんとなく感覚的というところに踏み込んでいきたいなぁとは思いました。
感覚的な生活
とはいえ感覚だから、言葉で説明したら感覚じゃなくなっちゃうんで、ちょっと矛盾してる感もあるんだけど、
なんとなく感覚っていうのをテーマ、日本通史のテーマにしたいなぁと思いました。
縄文時代というのは文字がなかった。人々は感覚で生活していた。理屈なんかじゃなかった。
だから、どっちがいいか悪いかわかんないけど、両方大事。両方だから僕は、両方の触れ幅を広くするのがいいのかなと思ってるわけですよ。
真ん中行きましょうじゃなくて、両極端に行きましょうが、割と僕はいつも思ってることなんですけどね。
感覚的に生きるってどういうことなんだろうということを、縄文時代のことを思い巡らしてみたらいいんじゃないかなと思いました。
はい、ということでですね、ちょっと具体的な縄文の歴史まではなかなかたどり着けなかったんだけど、
縄文時代の大きな特徴というのは、僕たちがちょっと今、理解できないような世界が広がってたんじゃないかな。
僕たちが理解できるんですよ。で、どういう世界かというと、無能の世界。文字がないということはどういうことなんだろう。
文字がないからって決して未開、未開、未開、野蛮でもない。
そういうふうに僕は思いますね。
はい、とりあえず縄文ということを考えてみました。
日本通紙記者。
はい、ありがとうございます。