古代史の概略
おはようございます。今日は8月26日です。
トークの612回目ですね。
歴史通史。全然、はかどっていないんですけどね。
考えたんですけど、古代、古代史。古代史ということでね。
まずはまとめてみようかなと思っていてですね。
古代史って何かというと、平安時代以前を古代史と言うみたいなんです。
古代史、だから古代史、古代史、貴族、貴族、武士、近代という感じに。
近代、現代か。近代。こういう感じで歴史を見ていこうかなと思いました。
そもそも歴史を区切るのはおかしな話なんですけど、とはいえ、区切った方が分かりやすいというのもありまして。
まず古代史から話してみようかなと思います。
古代史というのは平安以前だから、昔はちょっと置いておきましょうか。
石器時代とかね。とりあえず縄文時代ぐらいから始まるのかなと思います。
縄文時代というのは狩猟採集、狩猟採集を中心としていた時代ですよ。
狩猟採集の大きな特徴として、人口が増えないっていうことかな。
なぜなら、牌は決まっているわけですよ。取れる量って決まっているわけですよね。
それ以上は、それに合わせた人口調整というのが何となく自然に行われていたのかなと思います。
というのも、縄文時代というのは意外に良い時代で、生まれるなら縄文時代に生まれてはぐらい良い時代で、あまり争いの跡ってないんですよ、縄文時代って。
身分差、貧富の差もあまりなくて、割とフラットな社会で。
一日何をしていたかというと、朝から晩まで獲物を取っていたとか、そんなことはなくて、獲物を取るのもそんなに苦労しなかった。
それ以外の時間は、なんとなく楽しく生きていたというのが、僕の縄文時代の感覚かなと思うんですけど。
でもそんな感じじゃないですかね。
ところが縄文時代は長く続いたので、1万年以上続いていますからね。結構長いですよね。
1万年ぐらいのほんとした平和な時代が続いたわけですよ。
ところが、なんとなく縄文時代に終わりがやってくるんですよ。
それ何かというと、寒冷期が来たみたいで。
世界的に多分来たんじゃないかな。
寒冷期が来ると何かというと、いつも通りの獲物が全然取れなくなる。
じゃあどうしたかというと、稲作を始めた。
正しくはね、稲作って始めたんじゃなくて、最初から稲作っていうのがあったと思うんですよ。
縄文時代から稲作を中心に生きていたグループって言ったと思うんですよ。
縄文時代で、大きな塊の中で、個々の小さな塊で生きていたような集まりで。
中には稲作をやっていたグループもいたと思うんですよね。
でもあんまり一般的には稲作って受け入れられなかった。
なぜなら、めんどくさいから、腹減ったら取りに行きゃあうという感じだったんでしょうね。
ところが寒冷期になって、稲作の大きな特徴は、蓄えが効くっていうことですね。
この現代でも、年単位で蓄えが効く、それは大きいですよね。
だから、いざ獲物が取れなくなっても、蓄えた米を食べていたら、なんとなく生きていくことができるというかね。
で、稲作が流行りだして。
で、稲作が流行ると、だんだんここから身分の差ができてくるんですよね。
なぜ身分の差ができてくるかというと、稲作をやろうとしたら、リーダーが必要となるんです。
持つもの、持たざるものって、だんだん分かれていくんですよね。
ということで、弥生自体、稲作と同時に身分差ができてくるということですよね。
大和王朝と卑弥呼
さらにですね、その象徴が古墳時代というものになりますね。
古墳時代。
古墳時代、要は身分の高い人のお墓ですよね。
古墳がですね、結構な数があるんですよ、日本って。
いくつぐらいあるんだろう。数万単位ですよ、古墳。
日本の古墳の数。
日本の古墳の数で検索をするとですね、日本の古墳の数を16万あったらしいです。
16万ってどれくらいかというと、コンビニの3倍って書いてある。
だからもうあちこちに古墳の数。
大きいのと小さいのを合わせてね、だと思います。
ここで注意しないといけないのは、縄文時代、弥生時代、古墳時代でしょ。
ここがポイントなんですよ、古墳時代っていう時代が。
何かというと、これ大和時代って言われてたんだよね、昔。
大和王朝っていうのがあってね。
大和王朝。
よく似たことで、大和大国ってあるね。
大和大国って聞いたことある。大和大国の卑弥呼って有名ですよね。
これは弥生時代。古墳時代って実は大和時代って言われてる。
この大和大国と大和時代、大和国、どう違うのかちょっとわかんないんですよね、実はね。
一緒でしょっていう人もいるし、違うよっていう人もいるし。
というのは、日本っていうのはですね、歴史ってよくわかってないんです、実はね。
実はよくわかってない。
なぜわかってないかというと、文字がなかったからなんですよね。
文字がなかった。
でも卑弥呼ってわかってるじゃん。
これ中国の歴史書に、中国の歴史書で日本の歴史を知るみたいな。
そんな感じ。
中国の歴史書でも日本のことを書いてくれてたんですけど、
ちょっと一時、途切れる時代があって空白の150年とか言われて。
その間に一切わかってないんですよ、何があったのか。
卑弥呼がいた大和大国ですよ、150年くらい経ってポッと出てくるのが大和王朝。
その間何があったの?みたいなことなんですけどね。
で、大和国。
大和国で大和国という言葉を使ったらいけないということがどこから来たわけですよ。
どこから来たのだろう。
日本の伝統文化とか日本人の価値観をなくしたいというような勢力、圧力ですよね。
大和という言葉を。戦艦大和とかね。
良き、そういう大和を使うなというお達しが来たらしいですよ。
古墳。古墳いっぱいあるから古墳時代にしようということで古墳時代になったわけですね。
その次に飛鳥時代という有名な聖徳太子の時代かな。
という流れで平安時代という流れになるわけですよ。
城門弥生古墳。
実はなかなかこの古代史というのを調べてみたら面白いなとは思うんですけど。
よくわかんないこともあってですね。
一つはいろんな説があるということでよくわかんなくする原因ですよね。
もう一つはいろんな説があってどれが本当かも意外にわかんないみたいな。
そういうのがありますね。
まあまあでもそんな感じで。
歴史通史、古代史ということでちょっとお話ししてみました。
すいません。失礼します。