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2025-08-05 11:51

トーク598[日本通史]6 縄文時代5 from Radiotalk

サマリー

縄文時代は日本の歴史において重要な時代であり、狩猟と採集を中心とした生活が特徴です。この時代は約1万5千年続き、地域ごとに異なる文化や食生活が存在していることが語られています。

縄文時代の概要
おはようございます。今日は8月5日です。トークの598回目、日本通史の6ということで、今日も、縄文時代の話をしていきたいと思いますが、
なんかちょっと行き詰まってまして、いいんですけどね。
今日はウィッキーを見ながら考えていきたいと思います。
やっぱり、わからないことが多々出てくるわけですよ。
とはいえ、誰もわかってないですからね、縄文時代とかね。
それはそれでいいと思うんですけど、
意外になんか、
ちなみに、ウィッキーを見ながら読んでいきます。
縄文時代は日本列島における時代区分の一つである。
世界史では、旧石器時代の後の新石器時代、もしくは中石器時代に相当する。
だから石器時代、石器時代っていうのが世界的に言われているわけですよ。
要は、石の文化ですね。
石の文化からちょっと加工した石の文化。
縄文時代はその時代に、だから世界史の枠に入れようとするから話がややこしくなるんだと思いますね。
縄文時代というのは、
僕たち世界四大文明、四大文明かな、三大文明かな、
エジプト文明とか、コードガ文明とか、何とか文明とか、習ったじゃないですか。
忘れちゃったな。
でも、それに匹敵するくらいの文明を持ってたわけですけど、
アジアの猿が偉そうにということで、どうも世界的には文明として認められていないみたいですね。
で、縄文時代、だからいろいろごっちゃごちゃなんですよ。
当然、縄文時代は、縄文土器と言われるような焼き物、焼き物があった時代と言われるけど、
焼き物だけじゃないですね。
石も使ってたしね。
米もあったんだけど、田んぼ、水田という稲作、あれが大量に流行りだして、縄文時代の終わりということになりますね。
水田と金属がいっぱい来て、縄文時代の終わりとなりますけど、日本列島も広くて、
田作というのは九州から始まったわけですね。九州の方から始まって、そこからだんだん色んな地方に移ったんですが、
結構長い期間かかってるわけですよ。
だから、今日から弥生時代というわけではなくて、緩やかに縄文から弥生に移行していったのかなとは思いますね。
縄文時代の文化
縄文時代、狩猟最終生活が中心でありました。
貝塚時代と呼ばれる。貝をいっぱい食べたんですよね。
縄文時代は地球が温暖化したらしいですよ。
比較的狩猟最終って言っても、朝から晩まで獲物を探しに行って、空腹と戦うみたいな。
そういうノリじゃなかったみたいですね。
パラッと、一日そういう獲物を採るための時間が、三、四時間と言われてるんだから、現代人よりよっぽどのんびりしてたわけですよ。
あと、狩猟の大きな目的というのは、食べ物を温める。
日本人って煮物好きじゃないですか。なんとかの煮付けとか、ブリの煮付けとか、大根の煮付けとか。
それは縄文時代の名残かな。
温めて食べることによって、何がいいことがあるかというと、
一つは、悪い菌を食べることによってやっつけるというのが一つかな。
もう一つは、消化を助けるわけですよ。
これは大きいみたいで、
僕たち生き物って、人間もそうだけど、
消化っていうのは意外に大変な作業で、
ご飯食べるって、栄養補給のように思ってるわけじゃないですか。
でも、逆で、ご飯食べることによって僕たち疲れてるわけですよ。
そういう考えもあってね。
消化っていうのは、体のエネルギーをすごく使うわけですよ。
ところが、火を通すことによって消化がどうも助けられる。
動物とかよく見てると、飯食ったらあとはずっと寝てますよね。
寝てるっていうことは、消化活動をしてるわけですよ。
でも人類は、火を使うことによって消化活動が結構短縮できたということで、
時間が結構生まれました。
動物を見てると、一日の大半は食べる、消化する、食べる、消化する。
そんなサイクルなんですよ。
僕たち人間は、消化の時間がすごく減ったわけで、
しかも縄文時代、温暖化により食べ物はいくらでもあるんで、
割と自由な時間が多かったような、そんな時代でしたね、きっとね。
そこで文化が生まれました。
縄文時代っていうのは、だいたい1万5千年くらい続いたんだけど、
前期、中期、後期、晩期っていう感じで、いろいろ分離することはできるみたいですね。
縄文時代というのは、日本って北海道、東北、関東、北陸、東海、近畿とか九州とか結構広くて、
そこによっていろいろ食べ物が変わってはいますよね。
一概にこういうふうには言えないようですよね。
この縄文時代の前、木が、でも針葉樹が多かったわけですよ。
針葉樹って針の葉っぱっていう、代表的な例は松ですよね。
ここから縄文時代になって、紅葉樹がどんどん広がっていった。
そういう紅葉樹、要は落ち葉ができる木ですね。
がんがん広がっていった。
今の日本を見ていると、針葉樹が多いんじゃないかな。
落葉樹をもっと増やしたらいいような気がしますね。
この時代まだ大きな哺乳類がいたみたいです。
マンモスみたいなのがいたみたいですね。
縄文時代が海外から馬鹿にされる理由の一つは、言葉がなかった。
言葉はあったんだけど文字がなかった。
文字がなかった。
弥生時代も文字はなかった。
多少あったと思うんですけどね。
なので馬鹿にされている。
文明とは見なされていない。
でも文字がなくても立派な文明なわけですよ。
縄文時代の石のアクセサリーみたいなのがいっぱい出てるんですけど
これどうやって作ったんだろうねみたいな。
これ結構作るの難しいですよみたいな技術の装飾品もいっぱい出てたり
そもそも縄文式時ってこれ作るの難しいよねって実は言われてて。
その辺が謎が多いですよね。
そんな感じでですね。
今ウィッキを見ながらなんとなく思ってることを話してみました。
とりあえず今日はこんな感じです。
11:51

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