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今日は9月3日、トークの234回目、読書感想をしてみたいと思います。
今日の本は、ChatGPTの先にまっている世界という本を読んで、
なんとなく感想、考えたことを話してみたいと思います。
ちょっとその前に、小話をしましょうか。
最近は、生意気な子供が増えているんですね。
生意気な子供が増えていて、うかうかしていると大人でもやり込められてしまいました。
そんなお話ですね。
子供が、おじさん、落語をやっているんだって。
ああ、作業でございますか。
じゃあ、小話を知っているかい?
そりゃあ、小話の一つや二つ知っていますよ。
じゃあ、こんなの知っているかい?
ええ、どんなのですか?
昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいたんだ。
あのね、ぼっちゃん、それは小話ではなくて、昔のおとぎ話ではございませんが。
いいから、黙って聞いてな。
それで、おじいちゃんが可愛い選択を言ったんだ。
おお、可愛い選択を言ったんだ。
それは、昔話と逆だね。
じゃあ、おじいさんが川なら、おばあさんは山?
いや、そうじゃないんだ。
おばあさんも可愛い選択を言ったんだ。
それで、二人でジャブジャブ洗ったんだ。
それから、おしまい。
おしまいというのは、ぼっちゃん。
小話というのは、落ちが大事なんですよ。
その小話は、落ちないじゃございません。
落ちないから、洗ってたんだい。
じゃんじゃん。
これね、もうちょっとうまく話したら、面白くなりそうですね。
これはちょっと、話術がいないな。
はい、本題。
読書感想。チャットGPTの先に待っている世界と本を読みました。
感想ですからね。ようやくじゃないですよ。
ようやくじゃない。
感想。
まず、受け入れないといけないのは、
チャットGPTみたいな人工知能というか、AIというか、
そういうのは、もう避けられないもんだ。
避けられないもんだ。
もう昔には戻れないということですね。
もう来ちゃったんだなという。
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賛成しようが反対しようが、もうそうなっちゃったんですよね。
自動車みたいなもんだ。文明みたいなもんだよね。
自動車が、いくら反対って言ったところで、もうなっちゃってるじゃないですか。
もうなっちゃってるんですね。人工知能っていうのはね。
戻れないということをまず一つ。
戻れないというのがまず考え方のベースですね。戻れない。
でも思うことはですね、誰も分かってないんですよ。これからどうなるのか。
誰も分かるわけないじゃないですか。台風の予測すらできない。
人類は台風の予測も地震の予測もできないんだよね。
だから今後、人工知能がどうなっていくのか予想できないんですよね。
いろんな人の話を聞くことが大事じゃないかなと思ってまして。
肯定、肯定、肯定、肯定、否定。両方ありですよね。両方ありなんですよ。
肯定してもいいし否定してもいいんですよ。人工知能がダメですので否定してもいいよね。
もちろん逆肯定してもいいんですよね。
両方をよく分かることかなと思いますよね。
肯定したら次は否定の人の話を聞いて。
ただね、あんまり否定する人いないんだけど。
世界の流れは否定してますよ。肯定してるかのように見せかけて。
だからチャットTPTの新しいやつとか、全然進歩してないじゃないですか。
あれ、なんで進歩してないかというと、ちょっと待ってるんですよね。時代が追いつくのをね。
きっと。あんまりいいもの作りすぎたら、もっと叩かれるわけじゃないですか。
だからちょっと待ってて。
いろんな人工知能とか、人工知能そのものじゃなくて、ユーザーインターフェースっていうんですか。
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使い勝手とか、そっちに今行ってるじゃないですか。
それなぜかというと、否定派が結構いるんですよね。
で、ちょっと待ってる状態かなという気はしますね。
僕たちっていうか、否定する話もよくわかるし、肯定するのももちろんありだし、両方だなと思いますよ。
ただ、一応根底には、もう昔には戻れないよっていうのはあるかなと思いますね。
だからいろんな人の話を聞くと。
結論はまだ自分じゃ出さない。
もちろん今現在の自分の考えというのは持ってていいと思います。
今現在僕はこうは思ってますけどね、ぐらいの感じですね。
僕はね、今現在どう思ってるかというとね。
2種類の使い方があるのかなと思いますね。
1つは創作ですね。
AIと一緒にものづくりをするっていう感じですね。
代表選手は、ほとんどこっち。
絵を描いたり、論文を書いたり、資料を作ったり、ブログを書いたり。
こっちですね、創作ね。
もう1つが、勉強のために使う。
自分の学習に使う。
創作のために使うと、学習のために使う。
この2つが主な使い方かなと思ってまして。
僕は創作のために使うのは、どちらかというと。
どちらかというと、あまり僕、興味はなくて。
ただね、仕事には使っていいと思います。
面倒くさい仕事とか来たら、それは使っていいと思います。
ただ、自分の創作。
音楽作曲をAIにやってもらおうって、さらさらないですよね。
たとえっていうか、そっちのほうがいいものができるんですよ。
でも、僕は楽器を弾くのが楽しいから弾いてるわけであって。
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おそらくは、小説とか文章を書く人もそんな感じじゃないかなと思いますよ。
AIに使ったほうがいい文章を書けるけどね。
でも、僕は自分が書くのが好きなんだよって。
分かんないけど。
だから、創作に作るのは、僕はどちらかというと。
ある時、資料を作った人がいるんですよ。
資料をAIに作ってもらったとか、そう言ってるんですけどね。
僕はね、そんなもんなら作らなくていいじゃんなんですよね。
AIに作れるぐらいの資料なんか作らなくていいじゃん。
ただ、言わないですけどね。
僕はね、もう一つ考えてて、
勉強のためにAIをどんどん使っていくのがいいんじゃないかなと思ってますね。
だから、創作のために使うのは別にアリだし、
多くの人はそうだと思うけど、
僕はね、学習のためにもっと使えないかなと思ってまして。
一番ね、学習のために使っているのはね、将棋会ね。
藤井聡太君ね。
そうそう。
学習のためにもっと使えない。
だからね、僕はね、AIを否定するとしましょう。
否定の理由の第一番は、
人をバカにするんじゃないか。
思考能力を奪うんじゃないかなというのが、
もし否定派に回るならそれが第一の理由ですね。
人をバカにするんですよ。
もしくは賢くならさないというか、勉強させないというか。
これはね、よくないことだとは思いますし、
人をバカにするのがバカにするって、
アホにするっていうか、考えさせなくする。
権力者のやることだと思っていて、
それには対抗したほうがいいなと思っているだけですね。
人をバカにさせて、あとどうでもいい勉強をさせない。
資格の勉強ね。
そういうのが権力者のやることで、
それには真っ向に勝負したほうがいいなとは思っていますね。
だからちょっとね、
DPT、AI、もう戻れないと思うので、
これからも肯定否定、いろんな人に話を聞いていきつつ、
自分の結論をあまり出さないでいきたいなと思っております。
はい、読書感想でした。