縄文時代の特徴
今日は、8月6日、トークの599回目です。
日本通史ということをですね、ちょっと勉強してみようと思ってですね。
日本通史、通史っていうのは、最初から最後まで、最初から最後というか、現代までね。
始まったばっかりでね、今まだ縄文時代、今日6回目だな、縄文時代で行き詰まってるという感じですけどね。
とはいえ、なんかね、やっぱり、僕たち日本人っていうのはですね、
素晴らしいという言い方はあまりしたくないんだけど、ユニーク。ユニークな歴史を持っているわけですよ。
で、そのユニークで、何がもっとユニークかというと、多様性ですね、多様性。
多様性の一番大きな原因は、日本って縦に長いじゃないですか。それはあると思うんですよ。
一応、北海道から沖縄までが日本ですよね。
北海道と沖縄は日本なんですかという意見があるかもしれないけど、一応日本になってるから。
沖縄から、北海道から沖縄まで。
結構長くて、横に長い文にはあまり変わりがないんですよ。
横に長いというのは、基本が同じだと同じような割と風習。
縦に長いと、北と南って別世界なわけですからね。
縄文時代というのはすごく長く続いたわけですよ。1万年くらい続いた。1万6千年くらい続いたわけですよ。
歴史学者に言うと、縄文も色々な時期がありますよ。
緩やかに弥生時代に変わっていった。
弥生時代の定義は稲作、金属、そういうことが言われてますね。
そこからだんだん貧富の差が広がっていくわけですよ。
持つものと持たざるものがだんだんと広がっていって、古墳時代になるわけですよね。
日本の歴史というか、今の日本人というのは、古代と貴族文化、武家文化、この3つぐらいの文化をDNA的に受け継いでいるのかなと思いますね。
縄文文化というのは何かというと、縄文文明と本当は言いたいんだけど、文明じゃねえわみたいなことを海外の人から言われてて。
ただね、海外では縄文は立派な文明でしょうみたいなことを言ってくださる海外の研究者もいてね。
どちらかというと日本人の縄文熱より海外の人の縄文熱の方が高いのかもしれないなと。
自然と共存してたっていうのが縄文時代の大きな特徴ですね。
自然は共存してた。
基本、飼料最終民族であるものを取っていくっていうか。
でもね、実はそうじゃないですよっていう説もいっぱい出てて。
縄文時代の山内丸山遺跡っていうのは青森のある結構一番有名な縄文時代の遺跡には栗を育てたんじゃないかって。
栗を育ててましたねみたいな跡が見つかってたり。
自然に生えるんでしょうこんな栗みたいな。
明らかに育ててたのかなと思います。
稲の作り方は、稲作っていうのはあったみたいです。縄文時代から。
ただ代々的な稲作っていうのはなかったっていうか、あんまり関心持たなかったんですよね。
他に食べ物がいっぱいあったからでしょうね。
食べ物がいっぱいあった一番の原因として土器ですよね。縄文式土器。
土器と食べ物どういう関係があったかというと、土器で主に何をしたかというと煮炊きですよね。煮炊き。煮炊き。
だから日本人って煮物を好きじゃないですか。多分縄文時代からの名残なんでしょうね。
煮物を覚えたおかげで食べれるものの数が増えたわけですよ。
生でそう食べれるもので限られてますからね。煮炊きして料理することによって色々食べれるものが増えた。
稲作とその影響
縄文時代から弥生時代に移っていくわけですよ。
ただですね、移り変わりも徐々にですよ。廃墟から弥生時代とかそんなわけじゃなくて。
何が原因かというと、縄文時代というのは平和でのほほんとした時代だったわけですよ。
そんなに食べ物に苦労しなかった。そこからプラプラと行けばいくらでも食べれるものがあったんですよね。
だからですね、縄文時代1万年続いた割には大した進歩もなく、寒冷期を迎えたわけです。
色々食べるものがなくなってきて、貯蓄。稲作の大きなメリットはたくあいが効くということなんですよ。
たくあいが効く。僕たち今でも備蓄米とか言ってるじゃないですか。国王米とかね。
たくあいが効くということなんで、昔から縄文込めたたくあいが効いたわけですよ。
多少の困ったことがあってもたくあいが効いた。
あと米ってね、意外にすごくいい。何がいいかというと、
米一粒から何粒の米ができますか。そういう計算があるわけですよ。
米は割と優秀。対して小麦、西洋小麦文化です。小麦って意外に悪くて。
例えば米一粒に対して10とか30になるんですって。米一粒。小麦は3とか5とか。
だから圧倒的に米の方が効率がいいわけですよ。
あと稲作することによって連作障害。今年取ったら来年が取れなくなるみたいなことがないんですよ。稲作ってね。小麦はあるわけですよ。
これ米っていいなということで日本で米がどんどん作られるようになっている。
縄文時代は米はあったんですよ。縄文時代の人も知ってたと思うんだよね。
でもまあまあまあいいかという感じで。
寒冷期がどうも来たみたいな。縄文時代の終わりのきっかけで寒冷期だった。
今まで通りに食べ物が取れなくなって、さあどうしましょう。
で、稲作はずっとやってた人がいると思うんですよ。
で、だんだんその人らの力がこう。
だからちょっとすいません米分けてもらえませんかと言ったら米作ってるとか。
まあじゃあ働くんなら分けてあげるよみたいな。
そんな感じで上下関係がどんどんできていったのかもしれないですね。
で、その上下関係がさらにどんどん広くなって五分時代。
とはいえ、いつからこうっていうのは多分ないと思うんだよね。
稲作が広まった時期っていうのも北と南いろいろみたいですし。
北海道には稲作は広まらなかったですし。だから北海道はずっと縄文時代だったわけで。
北海道は弥生時代なかったわけだよね。沖縄もね。
そんな感じで縄文時代が世界から馬鹿にされている理由の一つは文字がなかっただろう。
あとねやっぱりね、西洋の歴史って支配者と支配される人の歴史で支配者がいなかったわけですよね。縄文時代ってね。
そんなうだうだなのは文明とは認めないみたいな。
というのが縄文時代が世界に認められない理由みたいですけどね。
とはいえ、日本にこんだけ外人が来てるっていうのは、
外人が日本に来るのは縄文と貴族文化、武家文化、この三つの文化。