源頼朝と北条政子の関係
トークの685回目、日本通史。
頼朝さんと政子さんとのお話をしてみたいと思います。
鎌倉時代の創始者は、源頼朝。奥様は、北条政子さん。
北条家というのは、なかなか、なかなか親高な一族なわけですよ。
どれぐらい親高かというと、源家を追いやって北条家が乗っ取るわけですよね。
鎌倉時代は3代で終わります。
頼朝さんと息子、長男、次男。
その後は北条家が乗っ取っちゃうわけですよね。
だから、それぐらい親高な一族なわけですよ。
ただ、北条政子さんと頼朝さんは別にダサン的なものはなかったんじゃないかなと、そんなふうには思いますけどね。
純粋にお互いの愛情で一緒になったのかなと、そんな気がしております。
ただ、お互い利用しあったということは確かですよね。
頼朝さんは自分の部下ゼロですからね。
ゼロだけど、頼朝さんというのは血筋がいいわけですよ。
血筋がいい。どれぐらい血筋がいいかというと、源氏のトップの息子。
源氏のトップってどういうことかというと、源氏というのは天皇家にものすごい近い存在なわけですよ。
この当時、血筋というのはものすごく大切にした時代みたいで、血筋がいいというのは生まれもっての。
そういう才能ですよね。
かつね、頼朝さんという人は欲はなかったと思いますよ。
ギラギラしたものはなかったんじゃないかな。
ギラギラした人の代表格といえば、戦国時代の豊臣秀吉とか、ギラギラ、ギラギラじゃないですか。
そういうものはなかったよな。
涼やかな感じだったのかな。自分の欲は持たずに。
ただですね、やっぱり苦労されたんですよ。
だって敗戦のお父さんが死刑にあって、自分もいざ殺されようというところまで来たけど、一応助けられて。
島流し。
島流しって、軟禁、人質生活ですからね。
無茶苦茶、刑務所ほどではないと思いますけどね。
でも常に監視がついて、自由を奪われて。
ただね、いろんな人が会いに来ていたみたいですよ。
兵器との戦い
元々の源氏の息子ということで、いろいろな人が、元部下ですよね。
会社が壊れ、会社が壊れ、次の後取りと言われてた人に会いに来るって感じですかね。
会社が壊れ、会社なくなっちゃったけど、
元会社創業者の子供がいるってことで、お土産とか持ってきたり、そういうことはあったみたいですね。
で、北条雅子さんと源頼智。
これでお互い、頼智さんは何だかんでいって、たった一人で北条家が味方についてくれたわけですからね。
で、いざ兵器を撃てという命令がその当時出されたわけですよ。
で、じゃあやろうということで立ち上がったよりともなんですけど。
とはいえ、初戦といきなり負けてしまうんですよ。
いきなり負けてしまう。
で、どっか山に逃げて、で、なんとなく逃げていくんですけど。
その逃げる途中にいろんな人に会うんですけど、いろんな人に会って逃げながら、逃げながら、逃げながら配下を増やすと。
だからね、これがね、すごいとこですね。
勝って勝って勝ってで仲間が増えるのは当たり前ですけど、負けて逃げてるときに仲間が増えていくっていうのは、これはなかなかないんじゃないですかね。
戦国時代、織田信長とか豊臣秀吉も勝って仲間は増やしてきましたけど、負けたら終わりですからね。
そう思うと、いきなり負けて逃げてる間に仲間が増えていくっていうことは、やっぱりそれなりのものを持ってたんじゃないですかね、頼朝さんって。
で、あれをあれをという間に兵器をやっつけるということですね。
兵器をやっつけてから、天才的なバランス感覚なんですよ。やっぱり頼朝さんの素晴らしいところは。
勝って勝って相手を、敵は兵器やっつけたけど、貴族っていうのはそのままにしておいて、
当時の京都では、やっぱり兵器をやっつけろって言ってやっつけたはいいけど、とはいえ喜ばしくないわけですよ。
京都の貴族天皇側からしたら、あんまり力を持ってほしくない。
その辺は微妙ですよね。あいつをやっつけてほしくれって言って、兵器をやっつけたはいいけど、じゃあ今度こいつも同じことをするのかみたいな。
それを頼朝さんという人は距離を置いたんですよ。京都からは距離を置いた。とはいえ京都はそのままに置いておいて、頼朝を敵にしたわけですよ。
頼朝と義経を互いにさせたのは天皇なんだけど、その互いを利用したわけですよ。利用して守護自当というのを全国に置いて。
警察ですよね。義経が逃げた奥州藤原というところも滅ぼしちゃった。
だから上手く時代に、流れに乗りましたよね。
意識してやろうとしたんじゃなくて、そのまま時代に合わせてたのかなみたいな。
なかなか面白い時代なんですけど鎌倉時代ってね。とはいえ、まだまだこうやって上手く語れるぐらいの技量はないなというところで、また引き続き勉強していきたいと思います。
ありがとうございます。