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2025-09-06 12:01

トーク620[日本通史]古代史編 なんとなく古代史の流れ from Radiotalk

サマリー

このエピソードでは、日本の古代史における縄文時代から弥生時代、さらに古墳時代の文化や権力者の変遷について解説されています。特に、狩猟採取から農耕への移行や、天皇と豪族の関係性に焦点を当てています。

縄文時代の文化
おはようございます。9月6日、トークの620回目、日本通史、古代史編です。
前回までで学んだこととして、歴史というのは嘘っぱちだらけということが分かってきたわけですよ。
嘘っぱちだらけというか、嘘という言い方は良くないのか。
時の権力者が作ったものが、歴史のわけです。
そこには、2種類の権力者がいますね。
今の権力者と、その当時の権力者。この2種類がいるのかなと思います。
その辺を踏まえて、なんとなく日本の古代史、どういうことがあったかをちょっと喋ってみます。
ちょっと分からない部分とかも、自分の中で挙げていきながら喋っていきたいなと思います。
まずは、いろいろあるけど、とりあえず縄文時代がありました。
縄文時代から始めましょう。その前は置いておいて、縄文時代から始めます。
縄文時代というのはどういう時代かというと、
一番大きな特徴は、狩猟採取というのがキーワードですね。狩猟採取。
僕たちが思っている狩猟採取って、とても大変なイメージがあります。
朝から晩まで獲物を探しに行って、結局何もなかったね、みたいな。
お腹減ったね、みたいな。そういうのじゃないということですね。
縄文時代の狩猟採取というのは。
というか、日本に関してだと思います。
日本というのはですね、四方、海に囲まれている。
あと山、森があるということで、食べ物が豊富にあった狩猟採取民族なわけですよ。
海に行けば貝をいっぱい拾う。
だから、獲物を採ったかもしれないんですけど、そこらに食べ物が落ちていた感じでしょうね。
一日、食べ物を採る時間は3時間とか、そんなもんだったみたいですよ。
僕たちは一日の大半をですね、食べるために働いているわけですよ。
だから、僕たちは一日8時間働きますよね。
狩猟採取の人は3時間ぐらい。
どっちが優れた文化を築けますか、ですよね。
ということで、縄文時代は文化がたくさんあった時代です。
ところが、一つだけ大きな欠点があったとしたら文字がなかったということですね。
文字がなかった。
だから、世界的には、縄文時代って文明とはどうも認められないみたいで、お前ら文字がないな、何が文明だ、みたいな。
とはいえ、出てくる遺跡とかを見たら、すごくレベルが高いんですよ。
例えば、縄文式土器を見たとしましょう。
これが何を意味をするかというとですね、ものすごい細かい模様で、これ作るの結構大変じゃねえ、みたいな。
今の人が見ても思うレベルの土器が出てきているわけですよ。
あと、土器ということで、もう一つのポイントは、土器って何をするもんだというと、主に煮炊きをする。
日本人って煮物好きですよね。
だから多分、その頃の名残じゃないっていう、縄文時代の名残じゃないっていうことを言う人もいますね。
煮炊きすることによって何がすごいかというと、食べるものの種類が増えることですよ。
煮炊きすることができることによって、食べるものの種類が格段に増える。
だから縄文時代というのは、結構楽しい文化が栄えた時代だったんじゃないかなという、そういう想像ができますね。
弥生時代と権力者
出てきてくる縄文時代のものを見ても、これ結構すごいよねっていうのがいっぱい出てきている。
ところが縄文時代に、もう終わりを迎えるわけですよ。
なぜ終わりを迎えるかというと、寒冷。これが大きいと思いますね、寒冷。
今まで簡単に取れていた食べ物が、全然取れなくなった。
そこで命を落とす人もいっぱい出てきた。
と同時に流行ったものは農作、稲作、田んぼですね。田んぼが流行りだした。
流行りだしたということは何かというと、田んぼというものは縄文時代からあったわけですよ。
新しい技術でそれに飛びついたというのではなくて、昔からあったんですよ、田んぼ。
縄文時代でも田んぼを作っていた人もいたみたいです。
だから飼料採集と言いながら、農耕はやっていたわけです。
でもそんなに流行らなかったんですよ。
なぜかというと、ちょっと歩けば食べ物いっぱいあるでしょうみたいな。
ところが寒冷期になって、いっぱいあるでしょうというのがなくなってしまったことによって、みんな田作に転化しだしたんですね。
それが弥生時代の始まりですね。
今日から弥生時代、昨日まで縄文時代、来年から弥生時代、そういうのではなくて、緩やかに弥生時代になっていったんじゃないかなと思います。
日本の大きな特徴は東西、北、北と南だ。南北、南北という言い方に長いわけですよ。
南北に長いというのは何かというと、南北の気温の差が大きな違いがあります。
今でもそうですよね。北海道の人と沖縄の人、着ている服も全く違うしね。
温度が違うと文化も違ってきますよね。
なので、いろんな考え方がありますよね。
ユーラシア大陸は、南北もでかいけど、東西に大きい。
東から西に文化を持っていくって割と簡単なんですね。
南から北に持っていく、北から南に持っていくって、ちょっとひと手間を加える必要があるわけですよね。
そういうひと手間を加えながら、だんだん田んぼがいっぱいできてきた。
田んぼができるに伴って、農耕が生えるに伴って、貧富の差ができてきましたね。
貧富の差ができてきて、ものすごい貧富の差ができてきて、ものすごい格差社会になって、古墳時代というのになってきましたね。
古墳時代の中から、特にその辺で天皇陛下というのが出てきて、古墳時代。
古墳時代で権力者がいっぱいいて、でも天皇というのが出てきて、
天皇というのは一極集中ですよね。
対して権力者豪族というんですけど、これはパラパラパラって。
一人一人の天皇と豪族、VSの時代が始まっていくわけですよね。
それが飛鳥時代、七時代となって、古代の終わり、今度は貴族の社会、平安時代と移っていくわけですよ。
ちょっとタタターって話してしまったんですけど。
ちょっとわかんないですね。天皇と豪族、この関係がうやうやってした感じですよね。
なぜかというと歴史書がないわけですよ。
唯一ある歴史書は日本初期とか古事記とか、そういうもんになるわけです。
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