弥生時代の特徴
おはようございます。トークの609回目、日本通史10回目になりますので、
今日も弥生時代についてお話ししてみたいと思います。
日本という国は縄文時代というのがあって、弥生時代というのがあって、それから古墳時代という時代に移っていくわけですよ。
じゃあ、縄文時代と弥生時代はどう違うの?とかね。
弥生時代と古墳時代はどう違うの?って、割と曖昧で、曖昧です、曖昧です。
特にこれっていうのもなくて。
ただ、なんとなく縄文時代と弥生時代の違い。
縄文時代は狩猟最終社会、弥生時代になって稲作農耕社会という言い方かな。
ところが、縄文時代だって農業をやってましたからね。
だから、なかなか難しいんですけどね。
あと、弥生時代の大きな特徴として、鉄が使い出したというのがありますね。
とりあえず、弥生時代になって、縄文時代から大きく変わったことはですね。
稲作をすることによって、みんなが協力する必要ができたわけですよ。
要は、田んぼって水路があるじゃないですか。そこに水を引かないといけないわけでしょ。
畑だと水をやりますけど、田んぼって水路を作って、そこに水を張っていく。
だから、そういうために、そういう田んぼを作る必要があるわけですよ。
それ一人でやるより、みんなでやったほうがいいじゃないですか。
ということで、グループとしてまとまる必要があって、
さらに、そうなるとですね、上下関係ができちゃうんですね。
そういう田んぼを作る技術を知っている人が、どうしても上になってしまいますよね。
米の一番大きな特徴は、保存がきくこと。
だから、どんどんたくわえる人と、すっからかんになる人がいて、
すっからかんになったらどうするかというと、やっぱり持っている人に頼みに行くんですよ。
すみません、米を分けていただきませんでしょうか。
そこで上下関係ができてしまいますよね。
そんな感じですよね。
あとですね、日本の大きな特徴というのは、地理的な特徴に言うと、
北と南に広いわけですよ。
北と南に広いって、どういうことが起こるかというと、
南で流行ったこと、文化とか技術を、そのまま北には持っていけないわけですよ。
だって、気温が違いますからね。
だから、ちょっとずつ改良していかないといけないんだよね。
だから、日本人はなんとなく今も得意じゃないですか。
何かの技術をちょっとだけ改良するみたいな。
自動車だって、ちょっとちょっと改良して、もっといいものを作っちゃうみたいな。
そういうのがね、ずっとやってきた民族なんですよね。
何かの技術をそのまま使うわけにはいかないんですよね。
これが東から西なら、割とそのまま使ったりできるみたいなんですけど、
南から北、北から南の移動って、ちょっと変えないといけないみたいで。
だから、日本人の特徴と意識には、何かの技術をちょっと変えて、さらに良くするのが上手いじゃないですか。
社会構造の変化
だから、そういうのは昔から上手かったんじゃないかなと。
上手かったというか、そう捨てたら得ないというかね。
縄文から弥生、古墳時代。
ただね、この辺謎が多くて、実は。
弥生時代に秘美子という人が有名ですね。
山太鼓か。
これ全部中国の歴史書に載っていることでね。
中国の歴史書に載っていることで、山太鼓、秘美子がいて、パッとそこで中国の歴史が途切れちゃうんです。
で、ここしばらくして、パッと気がついたら、山東王朝で日本ができてましたね。
なんかよくわからないというか、どうやって日本ができたのかなということが、結構謎に実は包まれているのが古代史の特徴ですね。
じゃあ調べりゃいいじゃんということなんですけど、やっぱりね、あんまり積極的に真実を探らないというか、そういう風潮が古代史の中にあるのかもしれないね。
なぜかというとね、例えばですね、都来人という言葉がよく使われていて、要は大陸から日本に渡ってきた人らなんですよね。
その人らがひょっとしたら日本を作った人かもしれないじゃないですか。極端に言えば天皇陛下が古来人だったとしましょう。
そうしたらなんか心よく思わないような、そういう人らもいるわけで、だからね、古代の古墳とかあんまり深く調べないみたいですよ。
ちょっとこれからどう変わって、確かに都来人というのは来たんですよ。
でもね、何度も大きな争いをしたような形跡はなく、だから日本に来た都来人って、日本を攻めてやろうと来たわけじゃない本国を追われてきたわけでしょうね。
もしくは戦争が嫌で日本に来たんでしょうね。
だから割と都来人が日本を作ったという説でも割と良い都来人じゃないかなとは僕は思っております。
韓国ですね。僕不思議に思ってるんですけど、韓国ってすごい不思議な国で、隣に中国があって、いつ中国に滅ぼされてもおかしくないような力関係でね、
常々中国にペコペコしながら、韓国って生きてきたわけですからね。
結構ね、韓国の人が多く日本に流れ着いたんじゃないかなと思います。逃げてきたんじゃないかなと思います。
で、この説が色々あって、そういう韓国の人が稲作技術を伝えてくれたっていう説がありますね。
でもわからなくて、実は稲作でずっとあって、ずっとあって、だから韓国は来たとされる年代よりもさらに古い年代から稲作っていうのは日本にあったみたいな証拠も見つかってて、
それじゃ逆じゃない?って日本から大陸の方に稲作の技術が伝わったんじゃない?っていう説を唱えてる人とかもいて、
だからその辺はちょっとよくわかんないですよね。
とりあえず稲作という技術がどんどん広まっていきましたっていうのが弥生時代ですよね。
広まっていくと同時に貧富の差が、貧富の差、格差。
狩猟採集民族。はい、イノシシが獲れました。じゃあみんなで分けましょう。はい、分けました。以上。
だけど稲作になると、どんどん貯めておくことができるわけですよね。
どんどんすっからかんの人もいるわけで。
で、ますます貧富の差が拡大。今とこれよく似てるなと思って。
貧富の拡大が始まったのが弥生時代ですよね。
で古墳ですよ。あんなあんなでかい。
日本の特徴で、そういって地方にバラバラと力を持つ人が現れたわけですよ。
現れたけど、いつの間にかそれがなんとなく合議制で一つにまとまりました。
大和朝廷みたいな。
で、バラバラって豪族って言われるようになった。
でも割と大きな争いはなかったみたいで。
はい、ということで弥生時代。
とりあえず今日はこんな感じかな。はい、失礼します。