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2025-08-27 11:57

とーく613[日本通史]古代史編 聖徳太子って from Radiotalk

サマリー

古代日本史について語っており、特に聖徳太子の役割やその時代背景に焦点を当てています。聖徳太子が仏教を日本に広めたことや、当時の天皇の立場について考察しています。

古代日本史の概観
日本通史古代史編
今日は8月27日、とーくの613回目です。
日本の歴史が面白くて、僕の中ではどうやったらいいかなと思ったんですけど、ちょっと分類をしてみましょう。
古代史が一つで、次が貴族社会、武家社会、近代、現代ぐらいの感じで、日本の歴史をお話ししてみたいと思っています。
今日は古代史です。古代史からなかなか進めないと思うんですけど、意外によく分かってないんですよね。
よく分かっていないのを、どういうふうに考えていこうかという。
日本通史というのは、考え方がありますよね。
なかなか面白いですね。
いろんな勉強になるし、歴史ってそもそもよく分かっていないもので、よく分かっていないものなんですよ。
こんな感じだろうと当たりをつけながら、僕は未だに、例えば現代史でもよく分かっていない。
なんで太平洋戦争が起こったか、よく分かんないじゃないですか。
そもそもなんで日本が真珠湾を攻撃したのか、さっぱり意味が分からないじゃないですか。
さっぱり意味が分からないんですよね。
こうじゃないかなみたいな当たりをつけていくことはできるんですけどね。
だから古代史にも近代史にも、よく意味が分からないといえばよく分からないよね。
古代史は特に分からないですね。
日本は文字がなかった時代というのが長らくあって。
不思議ですよね。
ところがですね、文字ができたらできたで、世界一難しいと言われるような言語なんですよ。日本語っていうのはね。
日本語を勉強する人は難しいと思いますよ。
漢字もありや、カタカナもありや、ひらがなもあって、漢字は読み方がいっぱいあったりして。
そういう難しい文字を文字がないところからいきなり作ったりね。
日本の歴史ってやっぱり面白いですね。
古代史でね、最近気になっているのは聖徳太子という人がいました。
貴族平安時代までを一応古代史にしたいかなと思っています。
聖徳太子ってよく分からないんですよ。聖徳太子という人もね。
聖徳太子がした一番大きなことっていうのは、仏教を日本に伝えた、日本に伝えたんじゃないか。
仏教を日本の中心に持ってこようとしたというのですかね。
聖徳太子ってそもそも何者っていう話もありますよね。
その時代をよくよくよく考えてみるとですね。
一応天皇陛下というのがいたんですよ。天皇陛下。
ところがですね、天皇陛下というのはお飾り状態ですね。
この時代、この時代というか日本の歴史、天皇陛下はずっといるんですけど、
ずっといるんだけど、ずっといるんだけど、天皇陛下が中心になった時代もありや、天皇陛下はただのお飾りになった時代もありや、
そういうのが繰り返し行われていますね。
しかも天皇陛下って本当にいなかったんじゃないかなみたいな説もあって、
初代天皇陛下とか本当にいたんですかみたいなことも言われてたりして、
その辺もよくわかんないものでありますね。
聖徳太子に戻るとね、聖徳太子は天皇陛下が弱かった時代の天皇家の一族なわけですよ。
なんとかの王子ってね、なんとかの馬やどの王子、馬やどの王子。
聖徳太子の影響
天皇陛下が弱かった時代の王子なんですよ。
どういうことかというと、ものすごい立場が弱かったはずなんですよ。
だから蘇我、蘇我の馬子、蘇我一族ってものすごい強い豪族がいたわけですよ。
豪族っていうのは要は勤力ですね。
天皇はちょっと弱かった。
だからどちらかというとですね、蘇我一族の手先だったんじゃないですかね、聖徳太子って。
手先っていうか使われてた。
だから聖徳太子が素晴らしい人であったとは思うんだけど、でも聖徳太子を使ってた人がいる。
それが蘇我一族でね。
仏教を広めようとした。
仏教というのはですね、
統治システム、仕組みなんですよ、仏教って。
本当の仏教はお釈迦様が悟りに至る道を明かしてくれた話だと思うんで、
そういうことじゃないと思うんですね、仏教って。
いろんな統治するのに、日本を治めていくのに便利な仕組みを持っていたのが仏教なのかなと思います。
その次にしたのはですね、細かい解律を決めていったことですね。
細かい解律、上下関係をピシッとしていく。
そうすることによって、上下関係、今でも日本はそんな感じがありますよね。
課長と係長を間違えたらえらい騒ぎみたいな。
なんとか課長って絶対つけないといけなかったりですね。
そういう上下関係をピシッとしたことによって、統治しやすくしたんでしょうかね。
あとね、聖徳太子の以前って古墳時代って言われてて、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代で平安となると思うんですけど、
古墳時代ってなぜ古墳時代かというと、名前の通り山ほど古墳があったわけですよ。
あっちもこっちも、今で言うコンビニとかドラッグストアとかそんなノリですよね。あちこちに古墳だらけ。
で、ある時ピタッと古墳の作りがなくなったわけですよ。
そもそも古墳って何?っていうのもいまいちよくわかってなくてですね。
おそらく宗教的なものと絡んでたんだろうなぁとは予測できるんですよね。
ということで仏教が日本に伝わってから古墳というのがピタッと作られなくなっちゃったわけです。
だから仏教というのが古墳に変わる何かであったことは確か、確か、確かなのかな、そういう説明しておきましょう。
で、仏教を広めたのが聖徳太子。だから国の中心に仏教を持ってこようとしたのが聖徳太子だけど、
馬宿の王子、馬子宿で生まれた王子、これイエスキリストの伝説なんですよね。
その辺から聖徳太子は盛られてないっていうことを言う人がいて、確かに聖徳太子は多少盛られてるとは思いますね。
で、聖徳太子を矢表に出して裏で操っていったのが多分蘇我氏。
で、そこを何とかしてしようというので、その蘇我氏を滅ぼしてやっつけて、再び天皇の時代にしようとしたのが中野王衛の王子、天地天皇ですね。
そういうなんとなくの流れかなと思っております。
ただね、古代史って意外によくわかってない部分があって、よくわかってない理由の一つは、あんまり真剣に調査されてないんじゃないかなという感じですね。
で、なんで真剣に調査されてないかというと、出てきちゃ困るものがあるんじゃないかなと思いますね。
そんなことですね。出てきて困るものって何かというと、要は海外、例えば天皇陛下がですね、実は海外からやってきた人だとしたら大変なことになるじゃないですか。
実際わかんないんですよね。実際わかんない。実際わかんない。
そういうことで古墳とかって国が面倒を見て、国会長とかに調査の依頼みたいなね、権限持ってるみたいで、わりと本気で調べたがらないのは、出てきちゃまずいものが出てきたらまずいなということもあるのかなというような気はしています。
古代史編、まだまだ勉強を続けたいと思います。失礼します。
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