日記祭の出会い
先日、日記祭っていうイベントに行ってきまして、
日記祭っていうのは、日記を売り買いするイベントなんですけど、
会場が下北沢のボーナストラックっていう、
もともと小田急線の線路があったところを再開発で、
線路を地下に埋めたので、できた空き地に、
だから細長い土地なんですけど、そこにお店がてんてんとしてて、
なんか道のような、街のような、不思議な、
ちょっとこじゃれた、いい感じの場所があって、
そこを会場に、野外に椅子と机が置いてあって、
そこで日記祭に出展されている方が、自身の日記を冊子にして売ってるっていう、
それを読んだり買ったりできるというようなイベントがあって、
それに行ってきたんですね。
祝日さんとの交流
で、シティローストと剣忍術っていうポッドキャストを、
以前から拝聴しているポッドキャストなんですけど、
これをやっている祝日さんという名前の方がいらっしゃって、
その祝日さんが日記祭に出展して、
あの日記を売っているということで買いに行ったんですよ。
祝日さんと会うのは初めてだったんですけど、
ちょっと軽い挨拶をしながら、祝日さんの本を冊子…
冊子…てか本を買ったんですね。
この、The Worst Person in the Worldっていう、
私は最悪っていう映画の、多分現代からの引用だと思うんですけど、
文庫本サイズくらいの緑色の、かわいい、素敵な佇まいの本なんですけど、
それを買って帰って、帰ったんですけど。
で、その後祝日さんから、
このバナナブレッドのラジオと称してやっている、
ポッドキャストへのお便りという形でメールをいただきまして、
すいません、ここまで前置きが長くなったんですけど、
そういう経緯で祝日さんからいただいたお便りを、
ちょっと読み上げさせていただきたいなと思います。
鹿くんさん、こんばんは。
11月7日に更新された、「フクルは遠くへ連れていく」の回を聞いていて、
とても共感するところがあり、初めてお便りを書いてみています。
私も鹿さんのように、ポッドキャストを配信したり、
インターネットで日記を書くといったことを3年ほど前から何となく続けていて、
そんな中で、今年の2月に地元の長野から上京し、
なんやかんやあって、昨日の第5回日記祭にて、
初めて作った日記本を出展者として販売するに至ったのですが、
制作中も、イベント当日にブースで販売している時も、
日記に遠くに連れてきてもらった感覚がとてもありました。
なんてことない日記を書いて、なんてことないポッドキャストを配信しているだけなんだけど、
日記やポッドキャストをやっていなかったら、
そもそも東京に住むという選択をしていなかったと思うし、
そうしてなかったら出会えなかった人たちもいて、
だから、昨日の日記祭で鹿さんと初めてお話できたことは、
自分にとってすごく嬉しい出来事でした。
来てくれた上に日記本もお手に取ってくれて、
本当にありがとうございました。
日記の難しさと創作
こちらこそです。
ありがとうございました。
私は鹿さんの書く詩とか、
以前更新されてた詩みたいな日記も好きで読んでいたのですが、
言葉の選び方がとても素敵だなぁといつも思いました。
詩みたいな日記、またどこかで読めたら嬉しいです。
というお便りをいただきました。
ありがとうございました。
褒められると嬉しいですよね。
僕も以前文学フリマっていう文学作品の同人誌の即売会に
ブースを出展して、
本を売ったことがあって、
その時はその時に働いていた会社の同僚と一緒に
二人で一冊の本を作って出したんですけど、
僕たちの知り合いの方が買いに来てくれて、
それも嬉しかったんですけど、
文学フリマで回っている、
ブースを見て本を手に取ってくれて興味を持って買ってくれる方とかもいて、
あと、文学フリマって見本誌のコーナーがあって、
文学フリマに出展している人たちが、
一冊ずつ自分たちの本を買って、
その人たちが一冊ずつ自分たちの本を見本誌コーナーに置ける、
で、来場者がブースで見てもいいんだけど、
見本誌コーナーでいっぱいある本を手に取って、
興味があったらブースに来て買ってくれるっていう仕組みがあって、
そういう方が本当にいた時に、
見本誌コーナーに置いてあるのは僕たちの本が置いてあるだけなので、
本が連れてきてくれた、本がつないでくれたっていう感覚がその時あって、
しかも今までなんだかよくわからないと思っていた詩なのか何なのか、
わからない謎の自分の中のテキスト、
ウェブページに書いたりしてたテキストを印刷して紙にすって、
それを閉じて本にすることで、本と言い張ることで、
見本誌のコーナーに置けた文学フリまで本として売れたっていう経験が、
なんだかよくわからないものも本っていう形にすれば、
本が持っている流通の経路になることができるんだなってその時思ったんですよね。
僕たちはやらなかったですけど、例えば本屋に交渉して、
本を売ることもできるかもしれないし、
本っていう形式にすることによって、
本が売っている場所は自分たちが流通できる場所ということになったっていうのが、
結構面白い出来事というか、自分の中での経験として、
ちょっと流通の経路をハックする方法としての本っていうのがあるなって思ったんですよね。
人はなんだかよくわからないものには、
お金は払えないし、持ち運べるかどうかもちょっとわからない。
でもひとたび本と言い張れば、
誰かの手に本が勝手に渡っていって、
自分の力ではたどり着けない遠くに本だけが、
本が遠くへ旅に出てくれて、
そこで本が誰かに出会って、出会った人と僕につなげてくれるみたいな役割が本にはあると思ったんですよね。
食玩みたいな話かなと思って。
おもちゃって、そのおもちゃってだけだったらおもちゃ屋さんでしか売れないですけど、
申し訳程度に1個ラムネみたいなのが入っていれば、
それはほとんどおもちゃなんだけど、
お菓子っていうカテゴリーになるので、
スーパーマーケットとかコンビニのお菓子コーナーにおもちゃが置けるっていう。
そういう流通経路のハックみたいなのが、
自分の作るものをどうやって誰かに伝えていくか、届けていくかっていうときに、
1個本っていう形態が使えると思った。
僕たちはそれが本だったけど、もしかしたら誰かにとってはイラストかもしれないし、
音楽かもしれないし、あるいはハンドメイド作品だったりするのかもしれない。
そういう観点からすると、もしかしたら日記祭に出展されてた方は、
それが日記だったのかもしれないなっていうのが、日記祭に行った感想だったんですけど。
寒いっすよね。急に。なんか急に寒い気がする。
日記って書くのが難しいですよね。
僕もインターネット始めた中学生の頃から日記を書き始めていて、
ハテナダイヤリー、ハテナブログ、ムーバーブルタイプにワードプレスに、
最近は静かなインターネットまでいろんな場所を転々としながら、
その時々で日記を書いては消し、新たなブログ場所を作ったりしては消しっていうのを繰り返してきたわけですけど、
そもそも日記を書くっていうこと自体がすごい難しいなと最近は思っていて。
だから結構日記を書ける人っていうのに若干の憧れがあるというか。
だいたい日記の書き方みたいな話って、起きた出来事を淡々と書くだけでいいみたいなことは書いてありますけど、
それってすごい難しいですよね。
なんかそう、なんで難しいんだろう。日記を書くのってなんで難しいんだろう。
僕の中での一個仮説としては、もしかしたら日付の単位で日記っていうぐらいだから、
1日に1個書かなきゃいけないみたいな、単位の区切りを日付にしなきゃいけないんじゃないかっていう自分の中での先入観があって、
それでこの日には何もなかったので書けないみたいな。
そういうことでちょっとハードルが上がっているのかもしれないのかな。
それでいうと別に日付を単位にしなくたっていいんですよね。
なんかあることに書いたっていいんだよな。
詩を書くっていうのを趣味にしているわけですけど、
詩の内容、僕自身がそれを詩だと思っているものって、
結局普段の生活の中で思ったことを手元のスマホのメモ帳のアプリに書き残したりしているっていうこと、
その書き残したテキストの断片を無理やり編集して1個の文章にする。
そうするといろんな時間軸に、
時間軸の自分のいろんな時間にいろんな場所でいろんなことをしている自分の姿が、
いろんなことをしている自分の姿が1個のテキストの中に複数存在する状態になって、
そうすると1個1個はすごい具体的で、
何が書いてあるかわかる、とてもわかることなのに、
1つの文章になった途端に自分が抽象化されるというか、なんだかよくわかんない。
日記と詩の交差
だけどすごくわかる、みたいなこの淡いなのか、
具体と抽象を言ったり来たりするみたいなことが1個のテキストの中でできたら、
それは僕の中で詩っぽいなって思うんですけど。
そういうの、なんかそうなんですよね。
そう、なんか思い出すのは、僕の友達に言われた、
僕の詩を読んだ友達の感想が、
結局君は日記の人なんじゃないかっていう、
日記の人なんだねって言われたことがすごい印象に残っていて、
自分では日記は書けない、続かない、書きづらいものだと思っていたんだけど、
その詩と称して書いているテキストは非常に日記的だっていう風に思ってもらったことがすごく面白くて、
なんかそういう風に既存の日記と聞いて思い浮かぶようなものとはちょっと離れているんだけど、
自分は日記を書いているのかもしっていう形式を通して、
そのバラバラになった自分の姿を1個のテキストにまとめる、
そういう作業を通しながら、いつかの自分の日記を書いているのかもしれないなっていうのが、
最近日記について思うところなんですよね。
会社員の生き方
毎年参加させてもらっているアドベントカレンダー2024っていうのが、
今年も大蔵さんっていう方が主催で開催されていて、
そこの12日目の担当として、
僕は今年は毎年そのカレンダーのことを毎年何かやるアウトプットをする先として使わせてもらっているんですけど、
僕は今年はそこに自分の誌を書いて、
今年の生活を締めくくるような誌を書いて、それに曲を付けて朗読するっていう、
1個曲を作ろうっていうふりを持って、
昨日12月12日にバンドキャンプで公開して、
あとスポーティファイト、アプリミュージックでも配信して聞けるようになっているんですけど、
それが最近書いた、一番最近書いた自分の中の誌と呼べるテキストで、
それはどんなことが書いてあるのかっていうと、
電車の通勤が辛いって話。
満員電車の通勤が辛いよって話と、
あと会社員で働くっていうことと、
あとなんだろう。
とにかくこの今年を持ったもやもやしたことを、
自分のスマホのメモ帳アプリとかに残っているテキストの断片だったりツイートだったり、
ちょっとチロッと書いた日記の端っこから、
自分でセルフ引用してきて、それを組み合わせて1個、
今年の自分の日記みたいな感じに結局なったなと思っていて、
そうなんですよね。
最終的にはそうなったなっていうのがあるんですけど、
せっかくなんで、
ちょっとだけ僕が持っている曲ということで、
このポッドキャストで流したいと思います。
最近できた新曲です。聴いてください。
四角んで幻。
深夜1時ベッドに横たわると遠くに電車の音がする。
こんな時間にも電車に乗ってる人がいるし、
その人を運ぶために電車を動かしている人がいる。
満員電車を2本見送って座った席、
左隣と右隣に座った人がそれぞれうとうとうもたれかかってきたので、
そのまま両肩を貸してあげた。
転職して3ヶ月くらいは前の職場で働く夢をよく見た。
あれ、戻ってきたの?なんて声をかけられては。
またお世話になりますと照れる夢。
最悪な目覚め。
ちょっとしたホームシックのようなものだ。
だから、必死で働くうちにやがて悪夢も見なくなった。
会社員として生きることは、誰かのスマートフォンの角で背中をこずかれること。
会社員でいることは、経済の発展を信じ、
発展に合わせて自らの成長も信じるという姿勢。
それからの成長も信じるという姿勢を生き方に採用すること。
会社員とは職業ではなく生き方である。
その点において、会社員と詩人は似ている。
ここではないどこかへ行けば満たされるなんて幻想は、
ここではないどこかだから抱けるのであって、
どこかで折り合いをつけないといけない。
その折り合いがここなのか?というと、
自信が持てない。分からない。
答えのない問いに答え合わせがあるはずもなく、
早押しクイズにただひたすら回答し続ける。
全員が参加を辞退しましたと書かれたGoogleカレンダー。
あと数年もすれば全く異なるものへ変わってしまいそうな、
こんな仕事がある時代を経験できて幸せだったなって思う。
本当に自信があるかどうかなんてどうでもよく、
自信があるように演じられるかどうかだけが試されているのだと気がついてから、
電車は動き出した。
たぶん僕は幻を見ているのだ。
あの時選ばなかった僕がだんだん薄くなって、
やがて消えていく幻の姿を、
そうやって確認しないと、
無数の選択の果てに勝ち取った、
この椅子に座っている僕の姿もまた、
やがて消えてしまうような気がして、
生きることは選ぶこと、
選び続けること、
選ばなかった僕と別れること、
選んだ僕を信じること、
いつかこういう毎日があったことを、
懐かしく思い出せるように一生懸命やるだけ、
いつかこういう毎日があったことを、
懐かしく思い出せるように一生懸命やるだけ、
聴いていただいてありがとうございました。
幻というタイトルの曲でした。
バナナブレッドのラジオなどと称してやっているこのポッドキャストでは、
お便りをいつでも募集しています。
どんなことを書いていただいても大丈夫で、
それを元に自分が思うことを話したりできたらなと思うので、
もしよければ教えてください。
メールアドレスは、
ここまで聴いていただいてありがとうございました。
祝日さんもお便りありがとうございました。
それでは、また。