00:00
たきさん、あの、島本隅さんって知ってますか?
初めて聞く名前でございます。
でもね、島本隅さんの声はね、何度も聞いてるはずですよ。
声優ってやつですね。
島本隅さんはですね、ナウシカの声ですね。
なるほど。何度も聞きましたね。
あとは、アリウストロの城のクラリス。
あー。
いや、で、この方のインタビューというか、インタビュー記事がありまして、
そこで目に留まった言葉が、
これまで演じた役はほぼ私の自声、ま、地の声ですね。
作ってはいないんですよ、と。
声優ってどうしてもこの普段の自分の自声とは別の声を作って出してるというふうに思われがちだけれども、
実際には、彼女の場合は自分の自声ですよ、と。
で、自声に合う役は必ずある、それを見つけほしい、と。
いう自分がですね、極めてこう、ちょっと最近話している、なんでしょうね、転職とかね。
自分に合う、あの、ポジションというか、
なんか没頭できる対象と言ってもいいと思うんですけど、
あるよね、自分がいるべき場所とかね。
夢を追いかけてる人、あるいは夢を探してる人にはすごく刺さる話だろうなと思ったわけですよ。
僕もそんな詳しくないですけど、この声優の世界っていうのもね、
すごく売れてる人から、全くこう、名前を知られない人までたくさんいると思うんですよね。
前回のM-1の話と同じ。
そう、そう。
それはつまり、見えやすい世界だからだと思うんですよね。やっぱりね。
だってえげつないですよ、その、なんか写真集とかね、歌手デビューしたりとかね。
もうマルチに活躍する人がいる一方で、声優一筋で、
で、なんならバイトはしてますみたいな人もいると思うんですよ。
うん、そうですね。
だからね、その、一流のね、売れている声優の人がどんなことをしてるかっていうのは、
当然、声優じゃなくても興味聞かれるところなんだけども、
その人がやってることを残らず全部実践しても、その人にはなれないわけじゃないですか。
それはあれですよね。あの、藤井壮太さんのように、かつ丼食っても将棋強くないっていう話ですよ。
単に体重が増えるだけですよね。
そう、だからね、このインタビュー記事にも、あの、おとれい知らずの声の秘密としては、
あの、腹筋、背筋を毎日100回ずつやってますと。
うーん。
声を出すにはパワーが必要だから、欠かしたことありませんって書いてあると、
あの、腹筋、背筋を毎日100回やろうとする人が出てくるわけですよ。
まあ、そうでしょうね。
こういうのって、そうですね、一つには、
自声で今のところ何も起きてないから、
自声のままずっと生き続けたのでは、やばいんじゃないんだろうかっていう感覚に苛まれるよね、どうしてもね。
うん、今のままの自分では誰からも相手に足りないんじゃないかっていうことから。
そういうことが、まあ、恐怖感としてありますよね。
コメカシをしないと振り返ってもらえないという。
まあまあ、そうですよね。
それがまあ、今の時代からちょっと昔の時代な気もしますけれども、要するにトレーニングっていうやつですよね。
トレーニングをしたくなる。
03:00
スキルアップしたくなるわけですね。
そうです。
まあ、あれ本当に結構昔のノリだと思うんですよ。
一番そういうのが例えば、コミックとかでももてはやされたのは1970年代だと思うんですよね。
巨人の星とかそういう世界ですよね。
血の滲むような特訓みたいな、そういうのがすごくこう作り出すんだって。
あれってすげえ過酷なようなんだけど、実はある意味ではなんていうか優しい考え方でもあって、要は血が滲めばプロになれるわけですよ。
なるほど。
まあ違うと、今の時代、ちょっとキャプテン翼っていう漫画あたりから変わってきた気がするんですけども、
あんまり血の滲む特訓出てこなくなっちゃったんですよね。
確かに、翼くんは血が滲んでないよね。
滲んでないんですよね。
で、藤沢さんとかもそうなんだけど、すげえ頑張ってるに違いはないんだけど、
もしですね、そういう血の滲む特訓じゃないものになっちゃったら、結構残酷でね。
じゃあどうしたってダメなんじゃんってことになっちゃうじゃないですか。
なんか特殊な能力を持って生まれてきた人が最初からいるみたいな話になると。
だからスポ根ってある意味受けたんですよね。
やりようでは生きると。
まあそうですよね。要するに血が滲めばなんとかなるっていう側面が、それがどれほど非人間的であろうとも、
要するに努力であれば、ここがおかしいんだけど、努力があれば誰でもできるっていう考え方があったんですよね。
ところが、ある特定の世代から多分そうじゃないんじゃねえかっていうのがちょっとあって、
努力次第ではどうにもならない。だから自語彙ってのはそういうある意味怖さがあって、
みんな認めたくないんですよ、そこをね。
自語彙でいけるということになるとですね、
じゃあその人は結局この島本さんは、自語彙でナウシカできていいよねって話になる。
それはある意味不公平だよねっていうことになるわけですよね。
でもね、例えばプラリストがナウシカってポジションとしたらね、
自分がたまたまそのポジションに居合わせたってことですよね。
そうですそうです。
だからそこに居合わせるために何か移動したんですよ。
そうそう、そういうふうに捉えないと、ちょっとね、やっていられなくなっちゃうと思うんですよね。
努力をするとしたら、自分の自語彙が合う、マッチできるような何かを探すという方がやっぱりいいんだろうと思いますね。
だからゲームでね、シューティングゲームとかって時期、自分の機体を操作するじゃないですか。
だけど現実には自分の機体が画面内に動き回るゲームもあれば、操作をすると画面の方が動いていることもあるじゃないですか。
あります。常に自分は真ん中にいる。
そうそうそうそう。なんかね、そういう世界観なんじゃないかと思うんですよ。
なるほどね。
だから動かしている時は自分が動いているんじゃなくて、世界が動いているという。
06:00
つまり世界を動かしているわけですよね。
なるほど。
そしてこう自分に合うような場所を自分に持ってくると。
まあやっぱり合うような場所を持ってくるってことなんだね。
そうそう。だからね、場所を見つけるんだけれども、自分が形を変えなくても、自分の形の下くぼみがあってそこにポコッとはまればいいんだよっていうね。
そうですよね。まあこういう観点がやっぱりでも一番、何点ですかね、残酷すぎないし、一定の努力でなんとかなるし、リアルという意味ではいいんじゃないのかなと思うんですけどね。確かに。
なんか多分ね、それをやろうとすると、なんか何の努力もしてないくせにあいつはとかって言われることも起こるんじゃない?
現実の努力っていうのの難しさって、多分どういう血の滲む努力がそれにつながってるんだかが、そんなにわかりやすくはないってことだと思うんですよね。
そうそう、因果関係は不明ですよね。
不明だし、実はその因果関係って不明なばかりでなく、存在すら怪しいんですよ。
例えば『巨人の星』とかは、大橋さんは多分ご覧になってないと思うんですけど、結構あの人、ヒューマのやったトレーニングってめちゃくちゃなんですよ。
大リーグボール妖精ギブスなんですよ。
ああ、あれね。はいはいはい。
ああいう世界になっちゃう。つまり、実はわかって書いてるわけじゃないんですよ。それは努力が血が滲んでるだけであって、要するに血が滲む努力ってどういう努力だかなんて、僕らはわかってるわけじゃないから。
野球だったらまだね、わかりやすいけれども、自分が何やるかも決まってないのに、努力だけできないんですよね。
だから余計その種の話っていうのは、混迷を深めちゃうと思うんですよ。
私のような人間が、例えば本出すといった時に、毎日1万字ずつ文字書いてても、本は出せないと思うんですよね。
そういう、何の努力をすればいいのかが、そもそも、完全としない中では困っちゃうと思うので、それが、努力もしないでって話なんじゃないですか。
このやり取りをしながら、ちょっとわかったことが一つありまして、
島本さんは絶対努力はしてると思うんですけど、自語彙でいけるとしたら、その努力というのは、そういう自語彙でいける世界に入った人が、この人は努力したというふうに思ってもらうために始めることなんじゃないかと。
あの、そこまでは言わないにしてもですね、僕よく思うことがありまして、例えばそうだな、藤井聡太さんがやっぱり、よく最近見てるけれども、
ああいう形になってしまったところからする努力というのは、ある意味楽なんだよなって思うんですよね。
すっごい将棋の研究とかしてるけど、彼らはもうそれが、かつプレッシャーを別とすれば、それが辛いとはちょっと思えないんですよ。
それこそ、僕らだったらタスクシュートとかに置くと思うんだけど、リピートタスクというものが、かなりの、なんていうのかな、必然性を持っていて、固定ができていて、
09:11
しかもそれをやることが、必ず身を結ぶことが分かっているリピートタスクって、畳から見ると大変そうでも楽だと思いません。
そういう状態に入っている人たちの努力を、努力と呼ぶのならば、そういう状態に程遠い人がする、何らかの活動は、努力とは違う辛さだと思いますね。
ああ、だから、血が滲む努力と、血が滲まない努力があるわけですね。
うーん、どっちが血が滲まないのか分かんないんですけど、藤井聡太さんとか大谷昌平さんがね、やってる努力というのは、非常にこう、なんていうんですかね、
ルートにきちっと乗れている努力なんですよね。
なるほど。
例えば私が、これからタスクシュートの方を書いてくださいと言われて、タスクシュートに関する細かいことを調べる、そういう努力を多大に払ったとしても、それはなんてことないわけじゃないですか。
すごく簡単にできちゃうわけですよ。時間が、たとえ2日かかるとか3日かかるとか言ったって、なんてことはないわけですよ。
でも、私が例えば引きこもりでですね、大学も卒業できていなくて、すごく毎日辛くてっていう状態にあったとした場合、そういう私が、これからちょっと職案に行って職を探すんですっていう努力っていうのは、時間がたとえ短くても、辛いと思うんですよね、その方が。
なんだろう、系統的な意味を成してる感じがしない努力って大変だと思いますね。
獣道を切り開いて進む努力と、高速道路をスピードとさずに走る努力って違いかな。
そうですね。そして、後者の方がはるかに早く見えるし、えっと、なんつーんだろう、要するに努力感というのをはっきり見えるんで、後者の方を見ながら前者の努力をするっていうのは、僕は、よしといた方がいいって。
そうですね。
よく思います。
まったく車種が違うし、運転の仕方も違う。
そうです。すっごい見ててやると辛くなると思いますね。
ということで、無駄な努力はやめましょうって言ってますかね。
いや、あの、だから、その獣道やってる時というのは、本当に、まあ、よく大橋さんがおっしゃってる通り、ぼっとしてね、自分何やってるかなんて忘れてやるのが一番いいと思います。
確かに、努力してると思ってないことにぼっとしましょうってことかな。
そうですね。高速道路を乗ってる時はいいんですよ、俺努力してるわって感じで、もう辛くないんでね、結局。
まあ、努力を最低限するということですね。
そうですね。僕、このことは時々思いますね。
はい。