ブログ本を読み返して
大橋ですこんにちは 佐々木ですこんにちは
はいえっと今日はですねあの『「手帳ブログ」のススメ』という本について話をしたいなと
思ってましてまぁこれあの書いた人は僕 なんですけども
2006年の7月に 翔泳社さんから刊行した本で
僕自身はですねこの2005年の5月かなにシゴタノ!というブログを始めまして
そのブログを書いている中でブログを 見つけてくれた編集者の方がですね
おはしさんこれを本にしませんかというふうに 声掛けをいただいてなので2005年の10月
ぐらいから書き始めたのかな
2005年の10月に書き始めて2006年の1月か2月に 書き上がったと思うんですけど
4月に刊行だからね もう今から何年前だ17年
そうそんな前でねもうだから20年近く前 なわけですよ
僕自身ブログ書いてるからこのブログは時々 自分でも読み返すことがあるんですけど
でも本という形にしたものがさやっぱり そのなりにこうまとまっているというか
凝縮されている感じがあるんですよね
当然プロの編集者の方に見てもらっていて 構成こそね僕の方でこういうふうにしたい
ということを言ってなっているのである程度 自分の意思も入っているけども
でもねやっぱりもはや覚えてないけど結構 編集者の方もね色々と手を加えてくださっているので
そういう意味ではね読みに値するというか 読みに値するというとあれですけど
ブログに比べるとねその拡散してないというか
そういうまとまった形で読めるもの 読み物になっているという意味では
本ってすごくパッケージとして優れてるなと思うんですけど
この本をね時々読み返すんですよ
ツイートの読み返し
その読み返すってのはもうパラパラ読み返すんじゃなくて
がっつりと1ページ目からちゃんとページをめくりながら読んでいってね
気づいたことがあればとに対してそれをねメモを書きながら
普通の他の人の本を読むときの同じようにですねメモを取りながら読むと
今は読書メモを残したがね
読んでるんですけど多分これ3回目ぐらいですねこの本を出してから
こうやって本格的にちゃんと読み返しながら
自分でいうのもなんですけどすごく自分っぽいことを書いてあるわけですよ
当たり前なんですけどね
書いてる時は当然その時の最善を尽くしてベストを尽くして書いているので
言ってみたら頑張って書いてるわけですよ
それを読んだ時にね
うわこれ自分みたいな考え方してるやつ頃はっていうふうに思うんですよね
でも同時にねこの今だったらこういうふうに言い換えるよなとかね
これってこの時からもうすでにこうやって言語化できてたんだとかね
なんかそういうねとにかくこう
どう転んでもね今の自分のこの出力何かを発信する時のヒントになるというか刺激になるというかね
そういうのを感じるので
なんで今日そもそもこの話をしようと思ったのかというと
この本を出版してる人はそんなに多くないかもしれないけれども
ブログなりツイッターなり何かを発信してる人っていうのはたくさんいると思うんですよ
最近はツイログがなくなってしまうというか
ちょっとした騒動になって
だからねツイログ僕すごい過誤ツイートを探すのにめちゃくちゃ使ってたから
まあそうですよね大橋さんは
困るなーと思っていてね
そう一応そのイフトで自分のツイートをね
ツイートをしたら1,2分後にはエバーノートに入ると
ということはしているんだけども
このイフトもねいつかツイッターのAPIのあれでね
オフになってしまうこともあると思うので
そうなるとね読み返しをしている人にとっては苦難の時代になるなと思ってるんですけど
そうですねツイッターすごいですもんね今ね
でも逆に言うとねこれまで無料でよくここまでやらせてもらえたなとも思ったりはしますけどね
そこにあれのユニークさがありましたもんね明らかに
でももはやインフラになってるじゃないですか
そうなんですよねそこがなんかちょっと難しいなって思いますね
ツイッターっていうサービスに見てると僕は一応そのある種の難しさと悲哀を感じますね
うーん
まあそれでねこのアウトプットをしている人にとっては
多分ねこのそれをちゃんとしっかり読み返すっていうことを
習慣にしている人はそんなに多くないんじゃないかなと思っていて
なるほどなるほど
なのでもうね読み返すだけで絶対にねこう
もう本当これはやってみてほしいんですけど
なんて言うんだろうな
ずっと読み返しを一切せずに新しいことを書き続ける言い続けることだけよりも
ちょっとでも読み返すことでねこの発信のクオリティというか
なんつーんだろうなこの方向性みたいなものがね
手応えを感じた形でできるようになるんじゃないかなと思うんですよね
手応えか
これは
アウトプットクオリティの向上
これはちょうどねあの
大谷さんもやってると思うし
まああらゆるアスリートの人がやってると思うんだけど
絶対にこう自分のプレーとかね
自分の試合出た試合とかを見返してると思うんですよ
ねえまあ例えば
騎士将棋やってる人であれば
自分の寄付を追ったりとかね
絶対それしてると思うんですよ
でそれによって次に備えてるわけじゃないですか
まあでもしない人もいるかもしれないけど
でも大体
大体いらんじゃないかな
そうじゃないですか
でもかかわらず普通の仕事してる人はそれやらないっていうのはなんかね
なんかもったいなくないかなと思ったりするんですよね
なるほどね
だからなんか
自己アウトプットの効用と読み返すことの気持ちや熱量の違い
であとねなんか新しいねすごい人が書いた本とかさ
そういうのを読む代わりに自分の残した記録とか
自分の書いた記事を読み返すっていうのは無料じゃないですか
なるほど
うん
だし自分が書いてるわけだから
なんていうんだろうな
読みやすいと思うんですよね
読みやすいそれはもう確実にあります
でも一方でなんだこの読みにくい文章はっていう風に
不満を感じることももちろんあると思っていて
なるほどなるほど
でもねそういう風な不満っていうのは結局
それが怒りになってね
この新しいアウトプットにね
なんていうんだろうな
いい作用を及ぼすというか
まあだから例えばこの自炊をする人はね
自分で食べるわけじゃない人だと思うんですよね
はいはいはい
そしたらこれまずいとか思ったらまた工夫しますよね
なるほど
うん
だからまさにだから
自分で作った料理を自分で食べてるかごとく
自分の出したアウトプットを
ちゃんとね
それはだから受け取る側として
インプットする側として
インプットして直すと
いうことをしないのもったいないんじゃないかと
自炊する人と自己アウトプットを読み返すこと
いうことをですね
今日は声を代理して
声はそのまま起きたですけども
言いたいなと
なるほど
これぐらいで僕はもう今日は言いたいこと言い終わったんで
これで終わってもいいんですけど
ありますか沢橋さん
うーんとね
この話は
僕の中では結構
大橋さんから聞くたびに
難しい話を結構
突きつけられてるなって
感じることが多いんですよね
ちょっとね
その辺を整理して
喋ってみようと思ったんだけど
まずその
大橋さんのような熱意を
持ってはこれは僕はもうできないんですよね
うーん
それはまあなんかね
分かってきたんですよ
でいちいち言ってることはおっしゃることはもっともだなと思うんですよ
おっしゃることはもっともだと
いつも思ってるんだけど
僕は同じ熱量で
自分の書いたものなの
記録なのを読み返すってことを
ついに自然には
してないなっていうのもある
自己アウトプットを読み返すことの意外性と熱意の差
これがねまず一つ
前提としてありますね
あのー
もう今となっては
これは自然のパーソナリティとして
ちょっと僕は
相当強いないとできないことなんだなっていうのを
感じたんだけど
あのー一緒に仕事を
するようになって最初の頃は
大橋さんがそこまで言ってるし
原則大橋さんが言ってることは
僕は受け入れて
動いてきたから
そこまで言う、大橋さんがずっと言ってたからね
言うのは
やるっていう方向で頑張ってた時期は
あったんですよ
書くし読み返すと
でもね
努力は必要なんですね
できるならできるんだけど
こんな風に機器としては
やらないんですよねやっぱり
いろんな理由があるんだけど
えっと
まず一つは
僕のやっぱり
なんて言うんですかね、多分大橋さんが言うところの
もったいないというのと
関係があるとは思うんですけどね
あのー僕
は
なんて言うんですかね
新しいもの好きなんですよね結局ある意味で
うんうんうん
で、新しい発見は
あるんですけれども
あのーやっぱりね
意外性に驚きたいというのが
強いんですね
非常に強いんだと思うし
これが世の中に一般に
多いんじゃないかとやっぱ思うんですよね
よくあの、引きって言うじゃないですか
え?
なんて言うんですかね漫画でもそうなんだけど
時効へ続く
あーそうねはいはい
あれはつまり時効で何が起こるかが
分かってないから意味があるわ
確かにね
そこの感じなんですよね
僕もいい加減まあ
30話ともかく
40話になってくると
いやこの時効へ続くとかでやだら引っ張ってるけど
これはどうせこの辺だろうなみたいなのが
しかも予測して当たるという
事態を招き始めて
前ほどはね夢中になれなくなったんですけど
やっぱりあれが
お目当てで読んでるところは
多いから
自分のだとそれは絶対にと言っていいが
起きないんですね僕は
やっぱり
僕は自分で一番
自分のジャンルが小説で好きかと
考えてみると推理小説なんですよ
やっぱり
つまりびっくりしたいっていうのがやっぱりね
一番強くあるんですよね
びっくりしないもの
だから推理小説ってまず読み返すことは
僕はしないんですよ
あのネタ割れた
推理小説を2回読むっていう機は
起きないんですよね
どうしても起きないんですよ
やっぱりだからそれと
同じ理由で僕は自分のものを
読むという時にはもう一つ熱意が
入らないってことが
ありますね
これはもう確実に僕の中では
抜けないそもそも僕は
推理小説を書けないんですよね
そういうこともあります
森博さんのなんかはかなり読んだけど
やっぱりそれは
どうしてもあれはね
読み返す効用
僕の予測を超えてくるんで
それを常に読んでるっていうのは
ありますね
あとさっきの大谷さんとか
お菓子とかいう話を聞いてて
僕がちょっと感じたことは
ですね
彼らが見返す最大の理由は
勝ちたいから
これはもう確実に
あると思うんですよね
特に皮膚なんてのは
絶対で
同じ戦術だったら必ず負けるんですよ
プロの騎士は
だから毎度毎度
ある意味新しい手を
発明していかなければ彼らならない
そういう宿命があるんですね
多分
野球選手もそうだけど
やっぱり打たれたやつとかを
見返すんですよ
よくダルビッシュ投手なんか一球一球見てる
っていうのをよくやってるんですけど
すごいんですよ
今大橋さんがおっしゃったようなことを
まんまやってますねあの人は
投げた球の回転数とか
回転させると
どのくらい曲がって
どっちに曲がっていってどっちに落ちるかとか
それと指のかかり具合とか
いつもチェックしているんですよね
うん
勝ちたいからって絶対僕はあると思うんですよ
それは
遠球ってやつですね
遠球に?
あのーすっごい強い
オスモウさんでも引退してましたけど
白鳳もそうですよずーっとビデオ見てるって言って
うん
で、僕は本書いて
誰かに勝ちたいと思ったことはない
ない
なんだろう
過去の佐々木昌吾の
自分の著作を超えたい勝ちたいとかってのはないんですか
うん、それはね僕はないんですよね
うーん
そういう発想はないんですよね
そのテーマとその時の
一応ベストは
ベスト尽くせてなかったかなって
全くないとは言わないけど
基本ベストは尽くしてきているつもりでいるので
あのー
その時その時ベストっていう状態に
持っていきたいとは思うんだけど
なんかにこう
気取ってる感じは僕は
あんまり物を書いてる時はしないんで
うんうん
そこかなと思うんですよね
僕はその、これは否定も肯定もする気ないんですが
えーと
たくさん部数を出したいとか
えー僕が思った時は
もっと真剣にその辺のことはやると思います
うん
だから
数を多く売るために
最大限の努力を払うという時には
今大橋さんのおっしゃったようなことは
全部やると僕は思いますね
これをやらないと
やる以外に僕にはその
マーケット的な能力を直感だけで
持っていけるという自信はないので
そういうことだったら
考えられるけどあんまりそこを真剣に
やらなかったので
あのー
そういう意味では読み返すっていうのは
全然しなかったわけではもちろんないんですけど
何度も読み返った本も
自分のもあるんですけどね
今おっしゃったように
何すべてを
単回ずつ読むみたいなことは
そこまでやるエネルギーは
湧かなかったなーっていうのも
ありますね
でもそんな感じで
やったほうがいいぐらいには
思っています
タスクシュートジャーナル
うん
で、あのー今僕はね
平日毎日タスクシュートジャーナルというですね
まあ2センチから3センチぐらいのね
記事を書いてるんですけど
それね
これから毎日続けるのかなっていうね
ちょっと時々恐ろしくなるんですよね
2センチから3センチを
毎日書いてるんですか?
平日毎日ね
すごいなー
でも一方でね
こうやって今
600?もうすぐ700本になるんですけど
2020年から書いてるからね
うん
もうね覚えてないんですよ
最初の方に書いたやつとか
だから時々
今ね全記事を
プライベートのスクライブボックスに入れていてね
記事の変化
うん
スクライブボックスだから検索できるじゃないですか
はいはい
例えば三つ森市間とかね
先送りとかそういうキーワードで検索すると
うん
とにかくね想像してる以上の記事が
ボンと書いてくるんですね
うん
そうするとね、あ、これまだこういう風にしか書いてなかったんだとかね
うん
自分の今の頭の中と
もう既に書かれた記事とかね
常にねこのフォーがあるというか
うん
何つうんだろうなーまだ書ききれてないということに気づくことがあたたって
うん
何つうんだからね
もうだからねもう全て書き尽くしたよと
時々こう弱音を吐きたくなるんですけど
うん
でもやっぱりねこう生きていけば必ずこの変化していくので
うん
あの過去記事たちはね
その僕の変化に追い出できないわけですよ当たり前ですけど
うん
別にだから常にすごく進化してるわけではもちろんないんだけど
で、あるいはね
その、これはダメだと思って捨てたやり方が
書いてあって
それを見返したらねいやいや
実はこの方法の方が良かったんじゃないかみたいなね
そういう風にして行き詰まって
行き詰まってしながら
何つうんだろうなーね、完全に戻るというよりは
箱の中身を追い続ける感覚
ちょっとね改善して同じやり方を
こう試し直すみたいなね
うん
なんかそういうことをするときに
今からあるいは有名な
アリアドネの人ですよ
うん
ここは通った道だけどちょっと前とは違う通り方をしてるぞと
うん
っていうところでなんかね
そこに新しい切り口が見えてきたりとかね
大橋さんは
700本ですか
もう、PCジャーナル
はい
そこまでこう行ってみればですね
グラフボックスとか
知的生産の技術の極地みたいなこと
ある意味に当たっているんですけど
あんまり僕はそういう方針で
プログじゃないとは思うんだけど
これは分かんないですよ、僕の単なる
印象ですけどね
えーと、そうして
その、それこそ
いろんな切り口でまでやって
つまり、ぶっちゃけ何がしたいんでしょうね
はははは
つまりなんかね
伝えたいことがまだあってなお
PCジャーナルだからテーマは時間なのか
それともログを何とかするとか
何とかするとかなのか分からないけど
何をどうしたいんでしょうね
あのね、まあちょっとこれは
話が長くなるのでリンクを載せておきますけど
この僕が好きな概念にね
箱というのがあるんですよ
箱、ボックスね
うんうん
僕の好きな映画監督にね
J.J.イブラムスという人がいるんですけどね
まあ最近だと
スターウォーズとかね
あとはスタートレックとか
まあ名たたるシリーズものの
最新作から監督を手書き始めて
プロデュースをしたりと
いうことをやっている人で
で、自身は最初は
シリーズドラマから配信始まったんですけど
うんうん
僕が好きなロストとかね
そういうのを作った
クリエイターなんですけど
その人がデッド動画で
プレゼンをしていたのに
そのテーマが箱だったんですよ
で、箱の
動画についてはまた概要欄に貼っておきますけど
このね
箱があるから人は
見たくなるんだと
彼は主張していてね
まさにさっきさっきさんが続きが気になるとか
そういう話をしてたじゃないですか
はいはい
人がこのドラマとか映画を見て
見続けてしまう、ハマってしまう理由は
結局ね
その人がどういう存在なのか
っていうね
人を箱に名乗られているんだけども
箱の中身を知りたいんですよ
なるほど
で、そのなんか知らないけど
このね、不意に登場した最初に登場した
登場人物なんか意味ありえないね
なんか曰くありえない
なんか秘密が書いてそうだなと
だけどそれを人には言わないでおいて
いるみたいだぞと
ちょっとこの人気になるなと
なったらもう見続けるしかないんですよ
なるほどなるほど
で、時々その箱の中身を一部見せてね
わ、こんな面があったのかとかね
なんかそういうところで
人を驚かせながらね、いやいやもっとまだあるだろう
っていうことでまた見てしまうと
うん、なるほどね
それが興に乗ってくるとシーズン2、シーズン3と
重ねていくわけですよ
うん
で、僕はロストというシーズン6まである
ドラマをね、ほんとこれはもう
5回以上見てますけど
108話あるドラマをですね
もう何回見てるんだっていうね
だから全部買っちゃいましたからね
ライムビデオのね
時々あの、有料になったり
無料になったりするんで
見たい時に無料じゃないと嫌なので
買ったんですけど
どうやってこのね
引き込むために
この箱の中身を小出しにしていくかみたいなところがね
見るたびにこう
新しい発見があるというかね
ここでこういう伏線あっといて
こんなに離れたところで
回収してんのかとか
いやこれどこまで事前に
後から提示されても見え方は変わる
脚本で繰り込んでんのかなとかね
でもいろいろとインタビュー記事とか
読み込んでいくと
割と結構ね、アドリブなんですよね
なるほどね
よくそれで整合性合うなとかね
うん
だから、まあ多分後からね
後付けで、じゃあこの人は
実はこの人の息子とやることにしよう
みたいな感じで
後から親子関係が結ばれることもあるとは思うんですけど
うん
それもね、後から提示されても
別にこの、何て言うんだろうな
最初からそうであったかのように見えたりするわけですよ
そう、だから結局それは
読み返すことで新たな発見がある
何をしてるかというと
箱の中身をどんどん
奥へ奥へとね、追い続けていく感覚があって
うん
それがね、読み返すことによって
まだ見えてなかった箱の隅のね
だから獣箱の隅って言ったら
ちょっとよくない言い方ですけど
もうね、いくらでもこの箱の先が
あるんだなと思ってね
うん、で、なんか分かったと思ってたけど
実は分かってなかったみたいなところに
人はこう、カタルシスを覚えるじゃないですか
うん
もしかして、自分はこうだと思ってたけど
実はそうじゃないんじゃないかっていうことを
自分で書いたものを読み返す効用
感じるときにね、まただから
その、知る余地があることに喜びを
覚えるというかね
そう、そういうのをね
この、追求したいんだろうなと思って
うん
それで、ジャーナルをね、カゴキジを自分で読み返すとね
あ、これまだこういう風にしか
表現できてなかったわ、とかね
今はこうは思ってないぞ、とかね
うん
だから、自分の中に、あの、なんか今
脱線しちゃってるじゃないかと
もともとのこういう風に考えていたことに
の方が良かったから
ここに戻った方がいいんじゃないか、とかね
なんかそういう風にですね、自分のこの箱庭の中を
ぐるぐる歩き回ってる感じがしますね
うん
それが楽しくてやってる?
うん、ね、それが何かしら
役に立っているのであれば、まあそれは
さらに良いことだと思うんで
なるほどね
うん、でもね、あらゆる人はね、そういうのを持ってると思うんです
そういうのをね
まあ、おかしさんそこは持論にありますよね
そうです、そうです、だから
皆さんも自分の箱の中身を出していってほしいな
というメッセージもありますね
なるほど、なんか、なんとなく
わかった気がしました
そうなんです、なんか逆に言うと
箱を持ってるのに、その箱を放置してね
新しい、その外の
世界にある箱を開けに行ってるのは
もったいないなと思うんですよね
なるほどね
だから僕の好きな言葉にあるの、足元を掘るというね
これは例えというか
言い方は言葉なんですけど
そう、だからなんか
自分の足元を掘った方が
そこにヒントが眠ってるぞと
というある人の教えでね
なるほど
まさにだからそれは自分の箱を
開けに行くというか、覗きに行くというか
そういうことなんじゃないか
ということかな
はい、ということで
自分の箱庭の中を見渡す
ぜひ、ブログを書いている人もですね
Twitterをやっている人もですね
「私、普通にやってないぞ」という方でもですね
まあ、それこそ手帳を使っていれば
何かしら残っていると思うので
なんかそういうのを読み返すというところから
始めてみてもいいんじゃないかなと
いうふうに思います
はい
じゃあ、そんな感じで今日は終わりたいと思います
ありがとうございました