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2021-04-25 31:50

音声030:倉下忠憲さんと「有限性の活かし方」について対談(後編)

前回に引き続き、倉下忠憲さん(@rashita2)をお招きし、「有限性の活かし方」について対談しました。

▼こんなお話をしています

* 9文縛りにしたらブログが毎日書けるようになった(※)

* 9文縛りは弁当箱に似ている

* 9文縛りで書くことでアトム化が促される

* 9文縛りで書いた記事は豆論文になる

* Scrapboxに転記しやすい

* 豆論文とダイラガー15

* 「再利用」可能な文章

* やたらと鍋を増やさず、スキレットだけでたたかう

* 「網羅性」と「整合性」が足を引っぱる

* 引用の功罪

* 引用をいっさいせずに書評記事を書くトレーニング

* 複数の連載を持っている人は「鍋」を変えているのではないか

* 橘玲 公式BLOG

※最近は「9文縛り」を気にせずに書くことも増えています。

 

▼ワークショップを開催します

お知らせです。

5月1日(土) ~プロコーチの大下千恵さんと

* 「このままで終わりたくない」人のための未来日記ワークショップ

を開催します。

ワークショップ後、30日間のオンラインサポート付きですので、GW中に「これからのこと」について改めてじっくり考えてみたい方は、ぜひご参加ください!

詳細・お申し込み方法は千恵さんとの音声対談をお聴きください。

番組内容についてのご感想やご質問などありましたら、Twitterのハッシュタグ #シゴタノラジオ または おたよりフォーム よりお寄せください!

メールで受け取られている方は、メールの返信でお送りいただいてもOKです。



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00:00
見てくださってるかもしれませんが、今、ブログを3月1日からですね、毎日書くようにしてまして、
で、前々回の話でですね、ちょっとブログの書き方を変えたというのがありまして、
で、必ずその9個の文章、9文ですね、9文しか書かないという、ちょっとこうエキセントリックな書き方を取り入れまして、
そしたらね、書けるんですよ。まさにこれが有限性だなと思ってまして、
でね、今までまさにそれまでは書いたり書かなかったりだったんですよね。
で、書くときはもう9文どころか、もう数えられないぐらい、2013年に書いてたと思うんですけど、
今やね、多分300字ぐらいだと思うんですよ。
はい。
10分の1ですよね。
はい。
で、そうなったときに、今までに書けなかった理由はやっぱりね、書くんだったら書き尽くさなきゃいけないと。
はい、わかります。
そうするとね、どこまでいったら書き尽くしたことになるのかっていうのは、毎回ね、ルールが変わるんですよ。
うんうんうんうん、なるほど。
サッカーでいったら、勝負がつくまで試合するみたいなね。
なんでとって勝ちになるかがわからないし、終了時間もわからないけど、とりあえずボール持ってみんな集まってるみたいな感じなんですね。
たぶんね、ゴールもね、2つじゃないんですよ。
たぶんゴールが、しかもだからそうですね、なんかハーフタイムごとに距離が変わったりする。
そうそうそう。だからね、毎回ルールをその場でアドリブで決めなきゃいけなかったんでね。
はい。
だからそうするとね、どんどん難易度が上がるというか、それはそれって面白いんですよ。
面白いんだけど、前回これくらい書いたのに、今回これで終わったらなんかまずいんじゃないかとかね。
っていうのはありますよね。
そう、不思議とね、自ら高速具をはめていくんですよね。
これ不思議なことに、ルール設定するっていうのはよくあるじゃないですか。
うん。
あれが維持されるだけじゃなくて、強化されるんですよね、不思議と。
緩くなることは絶対なくて、同じルールを守った上で何かまた増やそうとするんですよね。
どんどん、だからしんどくなるんですけど、元々のルールやったら飽きてるんでしょうね、きっとだから。
なるほどね。
飽きてるときに解体する方向じゃなくて、強化する方向に向いてしまうのが悪い癖なんでしょうね、きっと。
ちょっと僕、スポーツのことは詳しくないんですけど、野球とかサッカーとかって、少しずつだけどルールは変わってるんですか?
おそらく変わってるじゃないですか。でもほんまに少しずつだと思いますよ。
そうですよね。
はい。
今日から手を使っていいことにしますとかなんないですね。
言うことにはならないと思いますよ、さすがに。
03:02
球場の広さだとバットの性能が上がったからっていうこととかはあると思いますけど、バッポン的なルール解説は多分ないと思いますね。
でもそれ言ったらね、野球はさ、時間決まってないじゃないですか。
確かに。
あれはね、しんどいだろうなと思うんですよね。
だからバッティッチャーが打ち取られ続ける限りは、一応コールドはあるんですけど、点数はずっとその回続くわけですよね。
まあしんどいならしんどいか。
だからね、サッカーも差はあるでしょうけど、野球ほどさ、選手の負担の落差の激しい。
確かに。
あれはないかなと。ピッチャーとかかわいそうですよね。
まあね。
だいたい壊すのはピッチャーじゃないですか。
まあそうですよね。肘壊すのはピッチャーですよね。
なんかライトがさ、足首くじったとかないじゃないですか、あんまり。
まあね、瞬間的に動く必要はあっても、継続的に動き続ける必要はないですからね。
確かに。
だからね、そういうルールがカッチリ決まっているとね、なんて言うんだろうな。
これは弁当に近いかもしれないね。弁当って弁当箱買えないから、メニューが変わっても必ず収まるんですよね。
なるほど。
で、逆にね、今日はなんかまだ3文しか書けないと、あと6文どうしようって思う時もあってね。
ほうほうほう。
これは新しい悩みなんですよ。
まあそうか、悩みは常に発生はすると。
そうそう。けど、有限性のある悩みだから。
ある以上には絶対にならないわけですね。
なるほど。
だから書こうと思ったことが弁当箱という、9文の弁当箱に収まるか収まらないかっていう、この勘どころみたいなものがね、だんだんこう掴まるようになって。
うんうん、わかりましたわかりました。
だからこれはちょっと9文には収まらないなっていう時の、何つうんだろうな、でも収めるとかね。
はいはいはい。
あるいは、ちょっとテーマを分けて分割するみたいな。
はい。
結局これはね、後向かなんですよ。
うん、なるほど。
だから、そういう後向かが促されるというのが、この9文縛りだなと思っていて。
結局、9文短さっていうのは不随的だから。
ポモドル説25分っていう時間に別に画的な性質がないっていうのと同じで。
だから僕も結局毎日2センジ書くっていうことでずっと続けてましたからね。
そうやってるとやっぱりさっき言われたように、2センジの勘どころってわかってくるんですよね。
そうですね。
しかも書く書かへんを決めないんで、書くことはもう僕の中でその日の確定事項なんで。
だから絶対に実行されるんですよね。
絶対に実行させるっていうと、強い意識的なものを感じるかもしれませんけど、
朝起きたらご飯を食べるっていうのと同じくらいナチュラルに行われるっていうことなんですけど。
だからそういう縛りがもしなかったら、たとえ逆に500字でも多分続けるのは難しかったでしょうね、きっと。
06:02
さらに書きながら気づいたことは、これはマメロン文なんですよ。
そういうことですか。マメロン文になってるんですか。
なってます。
だから昔2センジ、3センジ書いてた頃は、書いた記事をスクラップボックスに入れようと思わなかったんですよ。
記事をね、きっと。僕もRスタイル入れようと思いませんもんね。
だけど、9文だったらちょうどいいんですよ。
なるほど。
で、そこの中で2つも3つも言うことがなくて、1つしか言ってないから、それで。
後ムカになってるわけ。まさに後ムカになってるわけ。
だから後ムカっていうのは原始化っていうのは多分サイズが小さいっていうことじゃなくて、手が伸びてるってことなんですよね、リンクの。
何が伸びてる?
分子みたいに原始から手が伸びて、つくじゃないですか、原始モデルで言うと。
ああいう感じで、手が伸びてるのがいい後ムカなんですよね。
そうですね。
短い書いても手が伸びてないやつは後ムになってないんですね。
だからスクラップボックス的に言うと、どの言葉もリンクにできない状態。
そんなことはもちろんないんですけど。
まあそういう孤独なやつは、記述としては後ムカにはなってない。
確かですね、確かに。
要は毎日記事を書いたら全部スクラップボックスに入れて、キーワードリンクも付けてあげると、後でね、つながってくるんですよね、当然。
これは当然っていうのも、本当に当然かどうかわからないですが、感覚としては非常に納得します。
だからね、これは非常にいろんな面でうまいあたりを引き当てたなと。
僕も最近スクラップボックスのアンネームドキャンプっていうところがあるんですけど、あれが非常にいいんですよね。
あれをすることで本当に毎日ちょっとずつの棚下ろしが進んでる感じがすごくするんですよ。
あそこに新しいビオトープを作ったってことですよね。
そうですね。そこに流し込めばいいし、その流し込む単位の感覚も徐々に整いつつあって、最初の頃はどれぐらいの流度で書いたらいいかわからなかったんですけど、
最近ちょっとずつわかってきて、書きやすくなったし、書きやすくなって、Rスタイルを書いてた頃は、記事で書いたときに書いたぞっていう充足感があったんですよね。
そのような充足感はキャンプにはないんですよ。
でも、さっき言った繋がっている感じ、他の記述と繋がっていく感じが別の楽しさがあって、だから違うゲームが始まってますね。
だからあそこの更新とRスタイルの更新は、僕が同じ文章を書いてるという行為でも全然違うゲームになってますね。
ちゃんとあれじゃないですかね、毎日パッケージ化できる何かを作ってる感じじゃないですかね。
09:01
そうかもしれませんね。
Rスタイルを書いてる頃は、何日かカレーを作っちゃう感じでさ、何日か食べられるけど、もうカレー嫌だなって思ってもずっと残ってるみたいな。
あと後から処理しづらいっていうのが使いづらいっていうのがあって、
ドマーぐらいはいいんですけど、Rスタイルの過去の記事で何か自分が仮にいいことを言ってたとしても、それが後向かいされてないんで、それについて言及できないんですよね。
最終的に記事を読んでくださいって言うしかなくなってて。
今であったら、この前強い分類っていうのをメルマネに書いたんですけど、強い分類っていう言葉を後文字として切り出したら、他の人が使えるようになるんですよね。
Rスタイルの記事って面白いよねっていうのが、その人にとっての知的な道具にならないというか。
ある種のプロダクトではあるんですけども、読み物ってプロダクトであるんですけど、その人にとってのツール、エレメントなどの道具にならないというか。
人が使える道具になってるってことは、僕が使える道具にもなってるということなので。
これね、僕は生物の勉強をちゃんとしておけばよかったんだけど、ある要素が固まると一つの生物として見直すことができますみたいなね。
なんかそういう、なんて言ったらいいんだろうな。
でもさっきの化学式が近いかな。これが繋がると酸素になりますとかね、あるじゃないですか。
そのようにだから、同じHでもOでも別の分子をそれによって初めて構成できるようになるんで、原子化することによって。
そういうふうに今なりつつありますね。
Rスタイルは化合物そのもの、C6H○○○ドーンみたいな感じで出してたのを、Cです、Hですっていうふうに出せるようになったっていう。
そうか。
こっちの方が、しかもより大きいことが言える気がするんですよね。
Rスタイルの記事3つ集めても論文にはならないんですよね。これそれぞれが別の完成した文章になっているんで。
だからより大きい構築物にするためには、実は材料単位に分解しておく必要があるんだと。
今それがようやくできるようになった。これできるようになったのは、結局Rスタイルをこうしようやめたからなんでしょうね、きっと。
平田さん、ダイラーガー15って知ってますか?
初めて聞きました。
そっか。ダイラーガー15というのは、多分40代50代の人は知ってると思うんだけど。
僕2歳ですね。
そっか。僕もかろうじて知ってるぐらいなんだけどね。
合体型のロボですね。
15っていうぐらいだから、15体のトランスフォーマーみたいに。
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多いな。
トランスフォーマーみたいに、それぞれ飛行機だったり車だったり乗り物が合体すると1体のロボになるんですよね。
まさにこの1体1体がアトムで、合体するとまた1つの意味を成すという。
これはでもあれですか、最終形態は1通りだけですか?
と思いますよ、多分。
さすがに。
あ、違うな。
バージョンがあるんかな。
すごいな。
ゲッターシリーズは、くっつき方によってゲッターの最終形態が変わってくるんで。
だから原始化分子化っていうとそっちのイメージが違うんですよね。
個々として機能しながらくっつき方もいろいろあるっていう。
だからこれ足が車になってますけど、足飛行機にしたら飛べるとかやったら面白いですよね。
マクロスとかは携帯が3つあってね。
ありますね。
あれは結構興奮したんだよね、子供の頃。
基本的に初代ガンダムの中にコーファイターっていうのがいて、あれ実はカロック合体ロボなんですけど。
確かにそうですね。
ガンダム地味にいろいろバージョンもありますよね。
ありますあります。
輸送するためだけのバージョンもあったし。
レゴ感覚で思ったことを書き出していくっていうことを、
それをマメ論文を書くという言い方をしてますけど、
Rスタイルはマメ論文ではずっとなかったんだなというのをしみじみ思ったところですね。
だからどれだけ書いても何か積み上がっていく感じが、自分の中で知的な積み上がりが感じられなかったんですよね。
定価物は残ってるし、ブログとしての価値も上がってるけど、
新しい、より大きな構築物に向けて準備ができてるかっていうと、そういう感じはしなかったっていう。
前どっかで言いましたけど、小さく切り出すことで、より大きく作れるようになるっていうアンビバレントな感じがあるんですよね。
プログラミングやられているのでわかると思うんですけど、再利用可能なものにならないって感覚じゃないですかね。
そうですね。あまりにもコードが滑らかに繋がりすぎてて、サブルーチン化するのにはかなりの処理を施さないといけない。
全体の中からそこだけをサブルーチン化、関数化しようと思ったら、結構記述を変えないと無理っていう状況になってるんですよね、Rスタイルの記事って。
それを再利用可能なように変えてしまうと、元の要素がなくなってしまうという。
というのはあるでしょうね。始めからその完成図で書いてるところがあるんで。
今は逆に部品から始めて、可能であればそれを元に記事を書くっていう風に市場が逆転してますね、おそらくは。
15:07
それでもちゃんと自分で納得のいくようなものになっていると。
そうですね。基本的にはRスタイルの更新を楽しみにしてる人にはいるかどうかわかりませんが、残念かもしれないですけど。
僕の知的生産の中ではこの感じが一番充実してますね。
Rスタイルを変えた時は毎日プロダクトを作ってる感じですけど、今はラボにいる感じですかね。
なるほどね。やっぱりだから再利用性みたいなものに目が向くという感じですかね。
そうですね。なぜそうなったのかは、それの必要性をどこかで感じていたんでしょうけど、
だから記事を書きたいという欲望を一旦制限した、有限化したっていうのと、文字の書く文字量も短くなって、これはもう必然的にそうなるんですけど、そういう有限化もありますし、
あとツールの名称ももうやめましたね。スクラップボックスでいこうということになりましたね。これも一つの理由で。
本当にその旅は尽きないからね。
いろいろ考えたんですけど、みんなでやるってことを前提にした場合、やっぱりスクラップボックス一択なんですよね。
そうですか。みんなが投稿できるんですね。
参加者が複数が投稿できるんで、リンクノートっていうリンクできるノートって考えると選択肢がめっちゃあるんですけど、
複数参加してそれぞれが独自にページ作ってってことができるっていうのとも、スクラップボックス以外はほぼないということになって、もうツールについてはこれでいこうと。
吹っ切れた感じがありますね。
ちょっとブログに話を戻すとですね、毎日書けるというのはこのイガタですね。
毎日この2000字、3000字というイガタがあったんだけど、それはイガタのようなものでしかなくて、作るときにそのイガタをいじることができちゃってたんですよ。
2000字格に比べると9文っていうのはより制約が強いですね。
たくさんフライパンもあれば煮込む鍋もあったような感じで、だからそうすると選べちゃうんですよね。
だけど、それで選べばいいのにまた新しい鍋買ってきよるわけですよ。
人間よくあるパターンですね、それは。
そうすると鍋がいっぱい増えてね、選べないと選択麻痺というかさ。
行動すべきときに迷ってしまうときに選択肢を増やすっていうより悪いことをしてしまうっていう、これ多分名前つけられると思うんですけど、非常によくありますよね。
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一方でそういうふうにいろいろやることによって自分に向いた鍋を見つける可能性はありますね。
それで僕は結局最終的にすべての鍋を捨ててですね、名前忘れたな。
フライパンでさ、そのまま調理した後。
ちっちゃいやつですね。
ちっちゃいフライパン。
カタカナで3文字ぐらいのやつですね、多分。
分かります。
スキレットだ。
はい、スキレットに絞ったと。
それで煮込みも焼き物も全部作るようになったと。
なるほど。それで例えばスキレット使って鍋料理はできないけどそれはもういいと。そういう感じになったわけですね。
カレー料理は作れないけどドライカレーでいいやんとかね。
なるほど。
結局そうやって作った料理を後でマージするとカレーにもなりうるよねってちょっとこれは例えの限界を超えてきたんですけど。
でもスキレット一択ってなるとこれだったらスキレットで作れそうだなっていうことで書き始められるんですよね。
しかもスキレット内での工夫が出やすくなるというのがあって聞く俳句とかもう言葉遣いの妙っていうのは文字の限界があるから生まれるんだってダラダラ説明してよかったらあの妙は多分生まれてこないんで。
そうそうだからね自分でもこの映画の話をいっぱい盛り込みたいんだけど。
はい。
そうするとまずこの映画というのはみたいなことじゃない?
そうですね間違いなく。
でもそれはもうリンクしとけばね見たい人見るし知ってる人は分かるしいいやっていう。
その諦めがねやっぱりね書くためにはね必要なんですね。
色々書きたい気持ちっていうのが逆に書けなくするっていうこれもアンビバレントな状況で。
ずっと長年そのマドカマギカっていうアニメについて論じようと思ってたんですけどもうそれについて書くことがめちゃくちゃなくて結局一つも書けないものに終わってるんですけど。
そうなんですか。
だからねやっぱりちっちゃく出していかなきゃというのは常々思ってます。
例えば今本に書いてることがあるとしてそれもその読んでる人をちょっと驚かせたいという思いもあり、ちょっと小出しにすることはまず無かったんですよね。
で今はちょっとこう呟いたりするんですよ。
小出しにしてるわけですね。
そうすると自分の中でもちょっと新たな発見があったりするんですよね。
いろいろ書きたいとか呆らせたいとか驚かせたいとか整合させたいとかそういう思いが足を重くする、行動を鈍くする、アウトプットを減らすみたいなことになっちゃうんですよね。
21:06
このね呆らと整合はねまさにこの両足を引っ張る。
引っ張りますね。
多分どっかでね公開するもんだからこの人わかってないなと思われたくないっていうのはありますよね。
っていうのはあるでしょうね、おそらく。
だからやっぱり結局ある種の文字を書けないものの原因って英語なんですよね、基本的には。
整合したいも自分の英語ですし、呆らせたいも英語ですし。
以前打ち寄せキャストでたくさん話してたんですけど、自分すごい本読んでるぜ系引用っていうのがあって。
ありますね。
でねやっぱりそれは書きたい気持ちは確かにあって、というかもう原稿の初版の頃には必ず出てくるんですけど、大抵そいつが足を引っ張るんですよね。
でやっぱりね、そういうのにこだわってるとやっぱり文章が完成しないんですよね。
英語を捨て去るっていう。
むしろそれってこうすげー文章引用しちゃうとさ、むしろ逆効果なんだよね。
まあそうでしょうね。
それと自分の文章を並べることになるので。
確かに。
だから、ある人がさっき言った9個の文で書くとか、僕で言うと2000字っていう縛りって、自分の注意を英語方向に向けない効果があって。
なるほどね。
書くことそのものに向けやすくなるんですよね。
ここが大きいなと。
だから僕も引用大好き人間だったので、それ今封じられてますからね。
そうでしょうね。
9文しかないのに引用に行ったわけにいかないみたいな感じで。
まあ事実上引用は禁止してはないけど、引用はしなくなったので。
そうするとね、自分の言葉で表現しようとするのがやっぱり良くて。
そうですよね。僕も思うんですよ今。
僕も同じルールを今本書いてるとき貸してて。
最初は引用行さんたっぷりで、知ってる人の本とかも並べてたんですよね。
もう自己起業力しかない。今思い返すと自己起業力しかないんですけど。
でも書かないと引用にしないとしても、その内容を紹介したいと。
どうしたらいいかっていうと自分の言葉で語り直すってことなんですよ。書かれてることを。
逆に言うと今までめっちゃ楽してたんですよね。
この本はこう語ってるって言っても、僕そのまま杉に行ってたことが多かったんで。
だからそれはやっぱりあんまりよろしくない。知的な態度としてもよろしくないなっていうのを今実感してますね。
引用って言ってみれば疎結合じゃないですか。
そうですね。確かに。
それをちゃんとアシミュレートを消化して三つ結合にした方がちゃんと後向かするし。
そうですね。文章としてもいいものになっていくでしょうね。
24:00
なんかあれは得してるのって書いてる本人だけなんですよね。
本当そうです。
読むほうが辛いですもんね。
引用を読んで、字の文との関連性を考えなきゃいけないですからね。
そうですね。しかもだいたい文体が異なってると解釈がややこしいことになってくるんで。
文体を一回設定しなおさないといけないんだ、あれ。
だからね、あんまりドラッガーが自分の本を書くときに自分の本を読んで引き込んでるのは別にエッセンシャル版とかそうなってますけど、それは別に全然いいんですけど。
他の文献、しかも特に必要はないかもしれないけどみたいな引用は、あえて禁じるぐらいのことをしといたほうが良さそうな気がしますね。
その本を読んだときに引用じゃなくて、やっぱり自分の中に取り込むっていうことがやっぱり大事で。
それがね、これはあの人から取った能力だなって気づかせないみたいなね。
ああ、なるほど。
だからパクったように思われると残念じゃないですか。
確かに。
だからちゃんと消化して自分のものとして出すのがやっぱり主席生さんなんじゃないかと。
そうですね。文章の話ですけど、こう言うとちょっと角が立ちますけど、できるビジネスパーソンに憧れてる人って引用みたいな喋り方するじゃないですか。
それどっかの本に書いてたよなみたいなことを言う人がいて、あれはだから咀嚼されてないんやろうなっていうのをすごく感じさせますよね。
まさに消化できずに流れていくと。
ただ引用しているだけという感じがして。
確かにだからそれって格好悪いですよね。だから本の文章の場合でも多分自分は格好良いと思ってても結構如実に格好悪かったりするんでしょうね、きっと。
いやー、でも結局そうすると自分のこの消化力みたいなものを身につけなきゃいけないってことですね。
ああ、確かにね。それは間違いなく。
それをどうやったら身につくんですか。
消化力はどうやって身につくか。
とりあえず本で言うと一番簡単なのは本の内容を自分で一切の引用を使わずにこういう本ですって説明することでしょうね。
引用を使わない消費用記事を書くみたいな。
あと他の消費用記事からパクってくるとかそういうのをせずに一から組み立てていくっていう。
で、最初から最後まで書き上げて提出するっていうことをして、2週間後ぐらいに読み直して顔が真っ赤になるっていうケースも何度か繰り返すしかないんじゃないですかね、きっと。
なるほど、なるほど。そうか。
そういう意味でもよく百字書評とか有限性のね、あれはいいんじゃないかと思ったんですよね。
確かに。
そうすると引用を知らないから自分の言葉を使わざるを得なくなって、それで上達するような気がする。
27:00
まあ僕の経験上真書なら可能ですね。真書をやったら140字で紹介することは堪えやすいとまでは言いませんが、可能な範囲ですけど。
だから同じ程度でのボリュームでのビジネス書も可能でしょうけど。
それをちょっとだからやっぱそのスキレットの限界っていうのがあるように文字の限界っていうのもあって。
さすがに無理なものもありますけど、だからある程度枠組みは決めつつも、さっき言ったように枠組みに閉じ込められてしまうってことが逆に起こり得るんで。
例えば9時になれたら文章にしてみるとか、なんかどっかちょっと変えてみるっていうことを組み込まないと、
その異型の虜になってしまうこともあるんで。
そういう異型化と変化っていう、その2つの武器をどう使っていくかってことですね。
セミで今毎日書いてるものとしては、さっきの9文の仕事と、あとはスタッフクッションとしては毎日書いているんですけど、
これね、やっぱりこの鍋が違うから書けるんだなって気づいたんですよね。
なるほど。
これが同じようなものを有料と無料で書き分けるのって結構辛いんですよね。
確かに。
だからなんか鍋を変えないと、同じ料理作ってこっちは無料でこっちは有料なんでってなっちゃうので。
確かにね。
だからなんか、複数の連載持ってる人とかってそういう鍋を変えてるんじゃないかなっていうふうに想像しますね。
それはだいぶ違うでしょうね。
橘明さんっていう方が、ブレイボーイと日経ベリタスといくつか連載を持ってらして、
彼はね、ちゃんと編集部に許可を取って自分のブログに連載記事を転載してるんですね。
なるほど。
それを見てるとね、明らかにやっぱり違うんですよ。
同じテーマをブレイボーイにはこういう味付けで出してるし、
ベリタスは経済の専門の方が読むから、こういう切り口だしとかってね、毎回その辺のメタな学びが大きいですね。
そうか。ブログとかにテーマを持つっていうのも一つの有限性で、
僕もだから仕事のほうに書くときはできるだけノウハウ寄りなことをして、
同じテーマでもあるされたらもうちょっと抽象的というか、ツール思想的なことを論じるみたいなことは決めてたほうが書きやすいですね。
そうなんです。だからちゃんと書き上げてるんだろうなっていうふうにね、見ていたのが、
あ、鍋が違うんだっていうとね、よりクリアになったというかね。
そうか。頭の中の胃がたっていうものに沿って。
だから基本的にそうなんですよね。
人が頭から外に何かを出すときって、どう言ったらいいんかな。
そのままドーンって出てくるんじゃなくて、その胃がたを通って出てくるんですね。
そうそう。
30:00
だからそこでだいぶ違うんですよね。出てくるものとか出てき方とか、出てくるときの振動さとかが違うんですよね。
そうそう、だからマヨネーズの口がたになっちゃうんですよね。
そうそう、ああいう感じ。それぞれにキャップが変えて出てくるのが違うみたいなことに人間の頭っていうのは多分なってて、
やっぱりメーラーで文章を書くとメールになるんですよね。メールっぽくなるんですよね。
それが同じことと、エディターでやろうとするともうちょっと文章っぽくなっちゃうんですよね。
だからやっぱり人間の自由意志っていうのがあるかないかは別にしても、環境にものすごく強く影響を受けて、
もっと言うと環境をどう認識してるかに強く影響を受けるんですよね。
胃がたと出口とか胃がたとかっていうのを絶対にあるとして、それが有限性をどの程度、どの強度発揮するかっていうのが胃がたの違いであって、
それを使い分けていくことが行動を生み出すためには必要であるという感じですね、多分。
だから自分で作り出すものでありながら、自分の行動を制約するものにもなるというね。
そうですね。
これをでも作らないと続かないなということを改めて実感してるなと。
そうですね。
習慣化の基本でもありますね。
で、やっぱり胃がたが縛ってしまうっていうところを全体の20%くらいは意識しておいたほうがいいなと僕は常々思ってますね。
はい。
今のところで。
はい。
今回ですね、フラッシュさんと有限性の生かし方ということについてお話をしました。
一応ありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
31:50

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