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はい、シェアする落語の四家です。
今日は特に落語を聞いたわけではないんですが、
仕事から帰る途中の電車の中で、
訃報を聞いて、
今一人で酒飲むのをやめてるんですけど、
飲みたくなって、
飲みたくなって、
お店で飲むと、こうやって録音してるとうるさいので、
公園で飲んでます。
新宿の道楽亭、
橋本さんが亡くなられたそうです。
抗がん剤使ってるって聞いたのが最近だったので、
がんは怖いけど、
お別れ言う時間をくれる病気ではあるっていう気もしてたので、
もう一回ぐらいお目にかかれるかな、
もう一回、もう二回、もう十回、
何度でもお目にかかれるかなって思ってたんですけど、
お年はお年ではありましたが、
率直に言うと寂しいですね。
録音を急にいろいろ聞くようになって、
道楽亭の存在を知って、
だから僕の場合、たぶん談吉さんじゃないかな、
立川談吉さんが、当時今はなきミュージック帝都と、
道楽亭で会を二つ目になったばっかりの頃にやってたので、
そこに行ったのがたぶん最初じゃないかなと思うんですけど、
もうそこから本当にいろんな方を聞かていただきました。
そうですね、あの落語だけじゃなくてね、
講談、一龍斎貞寿先生であるとか、
老曲、国本はる乃さんとかですね、
いろんなものが思い出されますよ。
コロナの時は本当に大変で、
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配信でなんとかみたいなことがあって、
クラウドファンディングをやって乗り切って、
道楽亭がなくならなくてよかった、
橋本さんに会いに行けるわっていうのがあって、
最近またちょっとずつ行き始めてたりしましたね。
やっぱり道楽亭、橋本さんがあの場所をプロデュースする、
橋本さんがプロデュースした場所は本当に素晴らしいのは、まず顔付け。
あの場所に行って、
例えば前座さんだけの会をプロデュースするなんて、
本当に橋本さんが始めたことだと思うんですよね。
でもベテランから若手から、
本当にいろんな会をプロデュースされてましたね。
毎日でしたもんね、毎日。
あの場所でやり続けた落語ライブハウスと言ったらいいんですかね。
あの声をやり続けたって本当に素晴らしいことで、
しかもほとんどの会で打ち上げがある、
店を探さなくてもそこで居続けで飲むことができる、
そして料理がめちゃくちゃうまいというですね。
だいたい飲み放題ですよね。飲み放題で飲んで、
ちょっとだけね、あんまりしゃべる人じゃないから、橋本さん。
酒入ってからちょっと話したりとか、
あとコロナの間でですね、
今の㐂三郎師匠、柳家㐂三郎師匠、
当時柳家小太郎さんの撮影をさせてもらって、
そのまま落語を聞いて、
ちょっとね、コロナなんで道楽亭の中では
打ち上げできないということで、
近所の居酒屋で5,6人で飲んだりしましてね。
楽しかったなあ。
本当に素敵な空間を作られた橋本さんには
感謝しかないですね。
行きたい会いっぱいあったんですよ。行きたい会はいつもいっぱいあって、
お金も暇も無限じゃないですから、なかなか足運べなかったんですけど、
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やっぱりね、落語というか話芸の文化のいいところ、
いいところなんでしょうね。
演者と直接話したりできるっていう、
必ずそうではないですけれども、
道楽亭はそういうことができる空間で、
そういうことが好きな演者がよく出演されていたと
いるということですよね。
そういう場を作られた、本当に橋本さんは素晴らしかったし、
感謝しかないなというふうに思います。
まあ、そういうところもありませんけど、
僕にとって代えがたい場所であることは間違いないし、
本当だったらね、もっと毎日のように行きたかったですね。
それぐらいいい番組が毎回揃ってたし、
思い出だらけですわ。
なんかね、とりとめもないことをお話ししましたけど、
本当に素敵な空間を作っていただいた、
素敵な時間を作っていただいた、
様々な演者との直接のコミュニケーションを含む
素敵な演芸会をいくつもプロデュースしていただいた
橋本さんに心から感謝です。
ありがとうございました。今日はこんなとこですね。
シェアする落語の四家でした。橋本さんありがとうございました。