2022-10-21 34:10

S1E15 おたより「体育って得意でしたか?」/他人の不得意笑わない人でありたい

今回はおたより回!いただいた質問「体育って得意でしたか?」を受けて思うところをしゃべります。我々は2人とも体育は不得意で、まいこうは顕著に体育への嫌な思いが残っているタイプです。なんだか体育ができないと人としてダメな気がする?いやいや、体育に限らずなんでも環境によってはそんなものなのか?強制的にチームプレーをさせられる苦悩をしゃべります。本編中では時間の都合で割愛しましたが、自虐は反動がすごい上に誰かに笑われる前に自虐するのもあるあるですよね。自分も面白半分で友達をいじっちゃってたことはあるかも…他人の不得意を笑わない存在でありたいなと改めて思わされました。

出演:まいこう、オカ
00:03
皆さん、こんにちは。しゃべり足りない部です。しゃべり足りない部は、30代会社員同士のまいこうとおかが、時々ゲストを交えつつ、自由に雑談するポッドキャストです。
まいこうです。よろしくお願いします。
はい、おかです。よろしくお願いします。
はい、そして今日はですね、しゃべり足りない部のツイッターに質問箱を設置していたんですけど、そこにメッセージが来てまして、
そのお便り回答会ということで、ちょっとありがたいですね。すごい。本当にありがたい。本当に嬉しい。
すごい。ありがとうございます。もう、ジャンジャン送ってください。何でもかんでも。
今日はお便りの内容を読みますね。
学生の頃、体育は得意でしたか? 体育が得意な人に感じる気持ちがあるんですが、言葉にうまくできません。そういうのありませんか?
ということで、私もこのお便りを見て、おおっと、ちょっといろいろ思うところがあるんで、ちょっと取り上げてみました。
この質問を読んだ感じで、得意でしたか、得意な人に感じる気持ちがあるんですが、言葉にうまくできませんっていうのは、
この質問した方は、体育は得意ではなくて、得意な人に対して何か思うところがあるのかな、どうなのかなっていう感じかなって思ったんですけど、
そうですね、私の感じからいくと、私は学生の頃は体育はもう完全に不得意ですね。
不得意だし、特に球技とかできないみたいな、体育の授業が好きじゃなかったっていう感じですかね。
運動をするのは好きだし、できないけど好きみたいな感じも、ゲームとかと一緒ですね。できないけど好きだけど、体育の授業っていうのは全員が一斉に同じことをやらないといけなくて、
体力測定とかはしょうがないとしても、得意だろうが得意であるまいが、今日はサッカーをやりますとかなったら全員サッカーやらされる。
今日はバスケやりますとかなったら全員バスケをやらされるっていう感じで。
運動ができないと怒られたり笑われたりするっていうのがすごいストレスだったかなと思いますね。
なので結構体育に対してはけって思うところがありつつ、っていう感じですね。
ただいい思い出もちょっとあって、例えば小学生の時の授業とかでバスケの詳しいやり方を教えてくれる人がいたり、友達とかでもこうやってやるといいよって教えてくれる子がいたり、そういうのでやっぱりうまくいく瞬間っていうのはあったから、
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何というかもう全員一律にされてもなっていうのが一番不満に思ってるところかな。その体力作りのためだったらレベルで合わせてほしいけど、体育の先生も多分体育が得意だから先生になってるんだろうから、
感覚派の人が私は多かった。はい、やってください以上みたいな人が多かったから、ちょっとうーんみたいな、あれでちょっとなんか嫌な気持ちになっちゃったなーみたいな瞬間があったかなっていう感じですね。
運動部でもないんですよね。私はあのちょっとずっとそうだな、小学生の時にはクラブ活動、4年生が確かあって一輪車クラブに最初入ったんだけど、一輪車乗れるようになったから
で、あのなんかイラストを描くクラブみたいなのに入った、そこからは。なのでそこからずっと美術部美術部で中高も、全然運動とかしてなかったから、水泳とか習ってたけど、まあそのいわゆる体育で活躍するようなこともなかったですね。
でもさ、私は得意では全くなかったけど、別に嫌な思いを特にしていない。今思い返せばね、嫌な思いしてたと思うんだけど、成績も体育だけ悪かったし、あとマラソン機会とかそう、私万年延べだったなってことを今思い出してて。
私もだよ。
うちは小学校が120人ぐらいだったけど、小中ってすれば何か万年延べだったな、120番とかだったなみたいな。最後先生がさ、自転車でさ、うちは河原を走るスタイルだったから、河原で先生がなんか横にいてくれて、それが恥ずかしかったなっていうのを今思い出してたぐらい。
だから結構ダメだったんだけど、別になんて言うんだろうな、そんなにトラウマになるほどの記憶ではなくて、で、それって何でなのかなっていうのをちょっと今考えてたんだけど。
確かに。
マラソンはちょっとあるあると、私もね、最後か最後から2番目のことがほとんどで、そうなるとね、先にゴールしてる子とかが、頑張れみたいになったり、もうほっといてくれってこっち思ってるんだけど。
あと、マラソン大会とかだと、時給走大会みたいなのがあって、大会だとさ、わざわざグラウンド借りて走ってるわけで、保護者の人とかも拍手とかして、もうほっといてほっといてって感じなんだけど、もうなんかそういうのもあったなぁ。
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なんか、でも、そうだね、嫌な思いはあんまりしてないってことだよね。体育が不得意、不得意ってかめっちゃ得意ではないって感じ?
いやでもね、不得意だったと思うわ。で、しかもなんだったら、確か運動会は嫌いだったし、時給走とかは嫌いだったし。
だから、不得意だった。で、高校の時は部活がソフトボール部だから、走りとかができなくて、鉄棒とか飛び箱とかができなかったから、嫌な思いはしてるんだけど、別に大人になった今、体育に対して何か投手箱に投げてくれた方のように、
今更掘り出して、なんかすごい、なんかもやもやするとかではないんだよね。
多分何か違う、何か状況が違うんだろうなと思ってて、できなさに言うとまあまあできなかったはずなんだよね。
なんかね、自分ができないこと自体は事実なんだけど、それに対して建設的じゃない周りの反応みたいなのが、何でできないのって言われたりとか、めっちゃ笑われる、何その投げ方みたいな、ゲラゲラみたいなのがあるとストレスみたいな感じで、
友達とかも、私のキャラ的に多分私が傷ついてると思ってなかっただろうけど、なんかボールとか投げる姿とか本当に変なんだよね。ぽいって投げて、なんじゃそれやってなるんだけど、そうじゃないでしょって言われるけど、こっちは本当にセンスがないんだよね。
何も習わなくてもできる人もいるじゃん、ぽいって。ただ、それこそ体力測定のボール投げみたいなやつとかでさ、最後力を一瞬入れて抜くだけみたいな言うけど、そんなこと言われたってさ、こっちはわかんないから、もう本当にその投げた瞬間地面に落ちてますかぐらいの距離にしか投げられなくて、
友達とかも笑うし、なんなら特に仲良くない人も笑ったりするんだけど、なんか笑わないでくれみたいな、私は投げられないから教えてくれみたいな感じなんだよね。
なんかそういうことが積もり積もって嫌だなって感じなのと、あと世の中的に、私体育の中でできた種目といえば、水泳は小学生から中学校上がるまでぐらい習ってて、一応いろんな泳ぎ方、バタフライとかもできるようになって、そこそこ早い泳ぎの種類もあったから、
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水泳で悪目立ちするってことはなくて、普通に人並みか人よりもできるっていうのは水泳と、あと機械体操系はめっちゃできた、マット運動、バーンって飛んで回ったりとか、そういうのはできたから、それだけは高度な技を練習するときに教えてもらったりとか、楽しく普通にやってたし、
でもそれもね、小学校上がる前に入ってた体操教室で、教え方が上手い先生がいて楽しかったんだよね。だから体育の授業でも基本的な逆立ちするときに手をつくときはこうだよとか習ってるからわかるから、楽しくてなんとなくやってたらできるようになったみたいな感じだったんだけど、
あと本当に飛び箱とか人よりできることとか、人並みにできることって飛び箱とか50m走とかは平均よりちょっと早い時もあったから、短距離走とかだと目立つこともないって感じで、普通に楽しく走るの、短距離走るのは好きだったから楽しいなーみたいな感じだったんだけど、
でもなんか、やっぱり学校の体育だとこれちょっと感じることがある人はいると思うけど、やっぱり球技系ができないとヒーローにはなれないので、別にそれができてたからって言って、その球技ができてないことの帳消しにならないというか、できない感は残ってるし、結構ショッキングだったのは、クラスの対抗戦とかでバレーボールとかできないのをしないといけなくて、
本当にバレーボールとかできる友達とかと一緒になってる時に、私のミスとかで負けるわけ普通に、普通にボール受け取れないからさ、うまくできる時もあるけど、できない時の方が確率的に高いから、それでなんでできないのーみたいな感じでめっちゃ友達が泣いてる時があって、うわーごめんけど本当にわかんないんですみたいな、
それがちょっと結構、そういうショックな思い出も結構あるんだよね。友達が笑われる以外に、本当にこっちはわかんないけど、友達は本当にストレスに思ってるっていうパターンもあって、本当ごめーんって感じなんだけど。
なるほど、わかったかも。今話聞いてて、みんな一律同じことをしないといけないって毎校は嘆いてたけど、でも個人的には勉強も一緒じゃないって思ってて、嫌なさ、例えばナポレオン時代は嫌いですと思ってもテスト出るわけじゃんか、この時代じゃねーだよ日本史なんだよと思ってもさ、それってあるから何が違うのかなって思ってたんだけど、
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勉強はチームじゃないからさ、例えば計算とか漢字が書けなくて、そんな漢字間違えてるんだって笑われることはあるから、だからそれって体育の特徴ではないけど、だから一緒なんだよね、体育が悪いわけじゃなくて、字が書けない計算ミスして笑われるのは別に一緒なんだよね。
計算ミスして笑われることの方が、なんか私ちょっと感じてたのがさ、私がボールを投げられない、私学生時代は英語がめっちゃ得意で英語だけは1位になれるっていう、それは小さい時に海外に住んでたからチート機能で英語だけ得意だったっていう感じなんだけど、英語だけは1位になれるっていう時が多かった、高校ぐらいまでは。
だから、私がボール投げられないことを人の目の前で笑うなら、英語ができないやつを人の目の前で笑えやって思ってた。
笑われてないから、発音が悪かったりすると笑われて、それがトラウマで英語の勉強なんて言って嘆いてるポッドキャストもこの世界にはあると思うよ。
そういう人はスポーツができたけど、英語とか計算ができなくて笑われて、なんか勉強ができないってヒーローにはなれないんだよなーって言ってるポッドキャストもあると思うよ。
体育ができないって、私個人的に動物としてダメみたいなことをめっちゃ突きつけられてる感じがして。
だから、突きつけられた側は動物としてダメなんだってなるけど、逆に勉強ができない側は、自分は動物的でしかないんだって嘆くと思うよ。
スポーツができてるけど、人間としての勉強ができないからって嘆いてるポッドキャストはこの地球の裏側にはきっとあると思うよ。
そうか、ちょっと分かり合いたいな。
なんか運動できる人いいなーみたいな気持ちもあってさ、なんか運動部に仲良い友達が中学に上がった時にバスケ部に入るって言って、
なんかバスケやってみたいな、それこそスラムダンクとかもさ、ちっちゃい時アニメでやってたし、バスケやってみたいなーみたいなのもあったんだけど、
なんかその瞬間にいろんなちょっと嫌な笑われ思い出が頭をよぎって入んなかったんだよね、結局。
なんでできないのとか言って最悪な感じになったら、自分が一番できなかったらやばいとか思って行かなかったっていうのもあったりで。
あとまあ、これちょっとね、いろんな人に言ったことがあるから、あるし、世の中で思ってる人めっちゃいると思うんだけど、
多分10年ぐらい前ぐらいからアメトークでさ、運動神経悪い芸人を取り上げるようになったじゃん。
だからさ、あれは誇張で本当は悪くないけど悪いふうに見せてる人もいるのかなって思ってるんだけど、
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運動神経悪いことによるさ、できなさを笑ってるじゃん、ネタとして。
そう、あれ構造は良くないよね、そうだよね。
あれ良くないよね。
ダンスができない芸人も同じ構造だよね。
そうそうそうそう、いやそうそうそうなんだよね。
なんかそのダンスもさ、もはや小学校の授業に取り入れられてるじゃん。
ダンスは個人的には、今ダンスの授業があったら多少、今じゃない、自分が小学校の時にダンスの授業があったら多少マシな人生を送れたのに、
ダンスだったらまだできるからって思うけどさ、逆にそのダンスの授業が苦痛って子供が言ってるって言ってる私の周りの人とかもいて、
ダンスができないからっていう人もいるから、なんかそのできないことを笑うのは良くしてくれって思ってたんだけど、
なんかその流行ってたから、私ができない瞬間にもう運動神経悪い芸人と一緒じゃんとかみたいな感じになってたり、
運動神経悪い芸人をさテレビで見てて友達とかがあーって笑うと、
この人は私ができなかった時に私のことも笑うだろうなとか思っちゃったりとかして、
なんかそういう世の中的に笑ってもいいっていうそのできる側の人間が馬鹿にしてくれる。
絵心ない芸人もそうだよね。
そうそうそう、絵心ないはさ、一般化してるよね、絵を描かせて面白いみたいなのってアメトーク以外でもさ結構あるけど、
なんか多分現実世界ではショック受けてる人もいるよね。
それはもちろんそうで、それこそ我々の大学は入試によってはデッサンをして入っている人もいる中で、
私のクラスは結構デッサンをして入試入っている人多かった、デッサンの授業があったんだけど、
でも中にはデッサンをせずに入試で入っている人も同じクラスにいて、勉強で入っている人もいるから、
デッサンの授業は本当に嫌だって言って、死ぬほど嫌だって言ってた。
じゃあなんで入ったんだってそれは別にやりたいことがあるからってことで、
だからそれはもちろんそういう人もいたよ。周りがしかも入試でデッサンで入っているってことは標準よりできる人たちの中で、
習ってるったりするもんね。
できない状態でみんな一列でしかも見えちゃうしね、絵も描かなきゃいけないので、
すげえ嫌で嫌でしょうがないって言ってる友達もクラスにいたし、大学生でもそうだし。
確かに、大学の時はそうだね、私は岡ちゃんはグラフィック寄りの専攻だったんだけど、
私の学科は工業製品をやるみたいな感じで、それこそ私も絵を描く入試で入って、
デッサンではなかったんだけど工業製品の絵を描かないといけない入試みたいな感じなんだけど、
その専攻内には、衣装系、デザイン系の人もいれば、工学系希望の人もいるんだよね。
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設計希望の人とか、プログラミングとかの人もいるから、そういう人は別に絵に重きを置いてないんだけど、
授業では描かなきゃいけないって言うんで、
じゃあ30分で何枚描いてくださいって、はーみたいな感じになるじゃん。
だから、もーみたいななってる人もいたし、
なんかそういうのもあるよね、別に体育に限らずのさ、
笑うことでショックを受けちゃう瞬間ってあるよね。
笑うことを世の中的に正当化されると、ちょっとやめてくれっていう瞬間もある。
笑うやつが悪いんだけどね、普通に。
体育が悪い、構造的にね、授業のやり方とかもあるかもしれないけど、
苦手だからやらせないでくれよっていう主張じゃないじゃんか、教育上。
だからそれは体育の問題ではなくて、人間関係の問題なんだと思うんだよね。
なんかそうなんだよね、どうなんだろう、先生も笑ってたのかな、
もしかして先生が笑う派だから気にならなかったのかな、先生も。
なんかそう、笑うなよとは思ってた。
別に私は英語できてない、自分が英語がそのクラスの中では一番できるから
できてない奴にやいバカみたいなのは言わないけど、
言う人もいるじゃん、自分が得意なことに対してさ、できないバカバカみたいな、
バカバカとは言わないかもしれないけどさ、できないの?みたいな感じになる時もあるじゃん。
だからそれがなければなって、仮にさ、できる人から、別に体育に限らずよ、
そんなこともできないの?ってなったらやる気なくしちゃうじゃん、やっぱり人として。
だからさ、話ちょっと広げちゃってあれだけどさ、別に体育に限らずさ、
例えば歩き方がおかしいとか、身体的なコンプレックスがあるとか、
もう全てじゃんか、例えば変な歩き方だとかさ、
それは何かいろんな事情もあるかもしれないし、身体的な特徴かもしれないけど、
それって別に体育に限らず、そういう人の何かを笑うと、
体育だったら体育の授業休むとか、行かないとか、あんまりできないけど、
だけどそれがさ、生きてる上で笑われたら、
それが生きること自体を笑われるような行為も世の中にはあったりするじゃん。
歩くだけで笑われるとか、そこにいるだけで笑われるとか、
めっちゃ私あるよ、知らない人に笑われるとかめっちゃあるから。
だから構造は一緒で、話戻すと、
広げといてあれなんだけど、構造は一緒だから、体育がどうこうじゃない部分はもちろんあるし、
体育が得意な人は人生別に勝ってるわけでもないし、
それは一緒だと思うよね、どこかで笑う奴がいるからそういうことになる。
21:01
自分も笑ってたかもしれないけど。
ただちょっと狭い範囲で話戻すと、
勉強でもできなかったら笑われるとかはあったかもしれないけど、
でも体育の場合って構造的な違いで言うと、
一つはチーム戦になるから、笑うつもりがなくてもがっかりさせちゃうとか、
そういうのが起きてしまうっていうのは一個と、
あともう一個が、個人的に思ってるのはね、
体育って、家帰ってわからなかったら漢字を覚えるとか、
努力する可能性があるんだけど、
体育って鉄棒ギリいいけど、バスケとか練習できないじゃん、家で。
細便できないじゃん。
わかんないのよ、こっちは。
場所もないしさ、100m走とかもさ、
100m毎日走るトレーニングをすることができないから、
家で漢字ドリルやるのとわけが違うなとは思う。
その難易度が高いなと思う。
そうそう、勉強系だとさ、ここ間違ってるとかあるから、
間違った単語を覚える、間違った漢字を覚える、
間違った年号を覚えるとかで、
多少改善していけるじゃん、家でも。
でも体育って本当にできない側からしたら、
感覚ですべてできる人かっこいいな、すごいなって思うけど、
本当にできない側からしたら、どの瞬間の動きが変なのか、
構えから変なのか、途中が変なのか、
最後ボールをリリースする時が変なのか、
何も分かんないし、遺伝的にね、
家族も多分分かんないわけだから、
弟たちは運動部に入って運動とかできるようになってたけど、
ミニバスとかに入ってたから、
ちゃんと教えてもらえる環境があって、
その都度都度を習って上手になっていったのかなと思うけど、
自分で学習するって難しいよね、体育の場合。
チームプレーだし、
圧倒的に晒し者になっちゃう確率が高いよね。
それは分かんないけどね、
確率が高いのは勉強も一緒な気はするけど。
当てられてみたいな、じゃあここ解いてくださいって言って分かりません。
あとさっきの話でいくと、個人的には私は、
鉄棒とか走ったりとかができなくて、
球技はできてたわけじゃなくて、
球技って手を抜くじゃん、みんな。
鉄棒は出番が来たら絶対やらなきゃいけないけど、
サッカーとか走ってないやついっぱいいるじゃん。
端っこにいるやつ。
だからサッカーなんてボール追いかけてるだけで、
できてる風に思いっきり蹴飛ばせば遠くに飛ぶから。
思いっきり蹴飛ばすことがまずボールに足が当たらないから、
こっちはそういうレベルだから。
そこのレベル感は分かんないけど、
個人的には得意じゃないんだけど、
やってない人たちがいるから、
ボールを奪うわけでもないし、
みんなやる気ないからっていう意味で、
球技に関しては多少別にできたのかもしれないけど、
24:06
立ち振る舞いだけで、身体能力じゃなくて、
立ち振る舞いだけで乗り越えることができたなって思うわけだよね。
鉄棒は出番が来たらやらなきゃいけなくて、
できないのは予定するけど、
サッカーは私は目立つ方でやってたけど、
別にサッカーを追いかけなくてもいいわけじゃん。
バレーとかタイミングが来ちゃうやつももちろんあるんだけど、
スポーツチーム戦に関しては結構友達との関係性を大事にしていたというか、
どうせみんなやる気ないから、
岡田元気に走っておくからボール渡しておくかみたいな感じで、
ボールもらったりしてたのよ。
その辺はカバーが効いたから、
逆に良かったなって思っててさ。
なるほどね。
コミュニケーションでカバーできるのが球技だなって思ってたけど、
舞妓の話を聞くとそれはもちろん状況によって、
それに何か苛立ちを覚えるような、
試合だとそうなっちゃうけど、
体育の授業だとそんなにみんなやる気なかったから、
乗り越えられたけど、
ジャッジされるのは嫌だったなって思う。
だからそれが、
球技が嫌じゃなかった私と球技が嫌だった舞妓って、
本当に捉え方が全然違うなっていうのは面白いよね。
そうだね。
大学の時に遊びでバスケしようみたいな感じで誘われて、
あまりにもできないから、
友達も笑ってて、
その瞬間は私も笑ってたんだけど、
家帰って泣いてた。
なんでこんなにできないのと思っても最悪みたいな。
バスケしてる時間、他のことすればよかったなって思って、
すごい悲しくなっちゃってた。
あまりにも嫌な思い出が多すぎて。
でもそれってさ、
歌うのが楽しいからとか、
試合じゃないよとか言ってさ、
別に歌う歌って笑われるのはさ、
歌う人は下手な人も結構たくさんいる世の中でわかってた。
笑われることはあんまりないけど、
めっちゃ苦痛だしその時間、家帰って寝とけばよかったと思うことはあるよね。
寝とけばよかったってなるよね。
それはそうだよね。
笑う人が悪いってさっき言ったけど、
笑われる場所に行かないだな。
笑われる場所に行かないといけないんだよな。
笑われるじゃなくて、
自分が嫌なんだよね。
笑ってるやつももちろんいるんだけど、
例えばカラオケとかも、
別に笑われなかったとしても嫌じゃんか。
体育もさ、笑われなかったとしても嫌になると思うんだよね。
自分だけボール落としちゃうとか。
大衆の前で囚人監視の中、
27:02
私が運動ができない姿を見られるっていうのが、
ちょっと恥ずかしい。
大人の運動と体育は状況が違うから、
大人の運動と体育は状況が違うから、
あんまりもう、
子供たちのために訴えかけるシーンがあれば、
声を台にして訴えればいいけど、
それを引きずって今生きていくのもなって私は思ってるのかもしれないな。
もう引きずりませんってできれば、
楽なんだけどね。
今後に望むこととしては、
とにかくこのポッドキャストを聞いている人は、
運動ができない人はどうか笑わないで、
笑われている人は別に気にしていないように見えるかもしれないけど、
笑われている人は別に気にしていないように見えるかもしれないけど、
とにかく子供であろうが大人であろうが、
できなくても優しくしてくれとは思うし、
体育に関してはちょっと思うのが、
今大人になってリングフィットとかで軽めに運動しているけど、
今大人になってリングフィットとかで軽めに運動しているけど、
それは深刻に体力が低下していっているし、
小中高、美術部だから体力なんかないわけよ。
でも体力がないと本当に生活がやばいなと思っている方とかさ。
でも体力がないと本当に生活がやばいなと思っている方とかさ。
だから今となっては、
本当にチームプレー的なことを身につける意味でもさ、
球技系の部活とかに何か入ればよかったよ、中学校ぐらいって思うわけよ。
別に中学校も高校もさ、
力の入っている美術部じゃなかったからさ、
別に家で帰ってても一緒だったかな、
友達がいて楽しいってのがあったからそこはよかったんだけど、
と思うから、
でも原因となっているのは、
小学校の体育で運動が嫌になっちゃっていることだから、
とにかく、
嫌な場所に行かないようになっちゃったんだよね。
部活であろうが、
なんで授業終わった後に嫌な思いをしないといけないんだ、
みたいな感じになって、
美術部に逃れたみたいな感じだったから、
そこで行くと、
体力作りのために体育を学校でやっていますよってことだと思うんだよね。
本来はね。
始める前に筋トレとかするような感じだったから、
私の高校の時とかは、
始める前に腹筋、背筋、腕立て、スクワットをやらされるみたいな感じで、
たぶんあれを週2回か3回かやっていることによって、
体力はついていたと思うんだけど、
大学以降それをやっていないからさ、
どんどん体力は落ちているわけよ。
だからそういう本当に体力作りのためだったら、
嫌になるような教え方はやめてくださいと思いつつ、
本当に段階的に、
大学だと英語の授業とか段階によって
分かれていたりするじゃん。
得点高かった人と低かった人で分けますとか、
言う時もあるけど、
そういうちょっとできなくても進むんじゃなくて、
段階的だったらよかったなとか思ったりはしたかな、
という感じですね。
30:02
本当はやっとけばよかったのにな、
もっとって思うことだから、
運動系は、
あの瞬間に嫌になってなかったらよかったな、
みたいなのも結構ありますね。
そうですね。
時間もあるので1個だけ言ってもいいですかね。
でも思ったんだけど、
笑わないでください、確かにそうだし、
さっき私もそう言ってたんだけど、
これって結構難しくて、なぜかというと、
その場でみんなで笑われて、
自分も笑ってたみたいなの言ってたじゃんか、
それがもうちょっと強い人だと、
自分ができないことを笑いに変えることで
自己肯定感を保つ人も多分いると思うんだよね。
それもあるよ、自分もあるけど、
反動がすごい。
だからそれがさ、
失敗しちゃったみたいな、
笑いを誘っては、
全然できないよ、みんな笑ってくれよ、
みたいな空気を出しているのに、
笑わないってできないじゃんか、
本人がそれを笑ってくれないと消化できない
って思っているんだったら、
じゃあみんなであははって言うことって
おそらく全然あるから、
でも本人がそれで家帰って笑ったことに対して
状況も起こりうるわけでしょ。
自虐は反動がすごいからね。
だからそれに対してさ、
今ここでさ、私たちが別に誰かに届くわけじゃないけど、
笑わないでくださいって主張するのもまたちょっと英語なんだろうなって思って、
世の中はそんなに簡単じゃないんだろうなって。
もちろんそう、笑わないでほしいけど、
それを聞いて、いやいや、笑うだろうって思ってる人もいると思う。
でもできない、
笑わないでくださいっていうか、
流れ的に笑わないでくださいと言ったものの、
全世界にそういうのが不可能だから、
自分よりできない人の気持ちを考えてちょっとはって思うけど、
できないからといって、
バカにしてはいけないかなと思う。
だからそうだね、
体育だけの話とかじゃなくて、
多様性の話になってくるし、
多様性っていいようで、
多様だったら逆に困ることもあるというか、
うまく処理できないこともあったりするから、
これちょっとすごい難しい問題だなと思ったっていうのを
最後にちょっと投げました。
難しいねってことですね。
言葉にうまくできませんというお便りだったけど、
難しいけど、
私はまとめとしては感じる気持ちはあるけど、
得意な人が教えてくれてうまくなった時は嬉しかったし、
得意な人が笑ってきたらやっぱり悲しいから、
できてもできなくても
33:00
フラットに接していたかったなっていうのが、
私の率直な気持ちですね。
小中高の体育に関するね。
っていう感じですね。
うん、そうだね。
という感じかな。
笑わないでって強く思ったきっかけは、
今残り何分くらいある?
今ね、もう1分未満だね。
1分未満ですか。
笑わないでって、
自分の子供ができなかったら笑うのかなってことを
ちょっと考えてほしいかなって思いましたね。
大人に対しては。
じゃあ、そういうことで大丈夫でしたでしょうか。
ベリタリナイフではクエリーで質問を受け付けておりますので、
ぜひツイッターからお寄せください。
ツイッターもしくはスポッティファイの概要等からお寄せくださいということで、
今回は以上です。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。
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