#2-71 カルロス・ゴーンとの出会いとデザイナーの地位向上への挑戦 | 中村史郎 Part 1
2026-10-16 36:00

#2-71 カルロス・ゴーンとの出会いとデザイナーの地位向上への挑戦 | 中村史郎 Part 1

アジェンダ:
  • 日米欧を渡り歩いたカーデザインの原点と修業時代
  • 日産改革と「デザイナーの地位向上」への挑戦
  • 伝統と革新(ヘリテージ)の融合と、デザインマネジメントの本質

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🎙 出演者

Brandon Hill (CEO & Founder, btrax) ⁠⁠⁠⁠⁠X⁠⁠⁠⁠⁠

中村 史郎⁠ (SN Design Platform代表)⁠⁠⁠⁠⁠HP⁠⁠⁠⁠⁠

🏢 会社概要

btraxは "We design the future by bridging the gaps." がビジョンのデザイン会社です。これまで日本、アメリカなど諸外国を含め300社を超える企業様に向けてUXデザインを軸に最適なユーザー体験を生み出し新たな価値の創出に貢献してきました。詳しくは弊社⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ホームページ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠をご覧ください。最後までご視聴頂きありがとうございました!今後ともデザインに関するお役立ち情報を配信していきますので、是非チャンネルフォローよろしくお願いします。

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サマリー

中村史郎は、小学生の頃から車のデザイナーを志し、武蔵野美術大学を経ていすゞに入社した。いすゞでは尊敬する先輩から実務と仕事への姿勢を学び、アートセンターやGMデザイン、ヨーロッパのスタジオで経験を積み、ビークロスなどを手がけた。日本ではデザイナーがエンジニアの下に置かれ、発言力や待遇が限られていることに疑問を持ち、日産とルノーの改革期にゴーンから誘われて日産へ移った。日産ではデザイン部門を役員レベルに引き上げ、予算や人材を含む権限を持ってブランド全体を統括し、他社にもデザイナーの地位向上が波及したと語る。デザインは最後に見栄えを整える作業ではなく、コンセプトや体験の設計段階から関わるべきだという。ZやGT-Rでは、過去の形をコピーせず、ユーザーが感じるDNAやヘリテージを分析して新しい時代のデザインへつなげた。デザインマネージャーには、感覚だけでなく分析と説明によって、デザインとビジネスを結びつける役割が必要だと述べる。AIが大量の画像を生成しても、選択し、理由を説明し、ブランドや顧客の期待に沿ってまとめる判断は人間が担うと強調した。

車のデザイナーを目指した少年時代と進学
サンフランシスコ・デザイントーク
サンフランシスコ・デザイントーク、BTRAX CEOのBrandonです。
本日のゲストは、僕がずっと憧れてて、いつかゲストに出演していただきたいなと思っていた
カーデザイナーで、元日産のチーフクリエイティブオフィサー、そして現在はSNデザインプラットフォームの代表されている中村史郎さんです。
よろしくお願いします。
ちょっと簡単に自己紹介をお願いできれば。
自己紹介?僕が生まれたのはですね、1950年、生まれたのは僕は大阪なんですね。
で、高校まで大阪まで、大学は武蔵美に行ったんですけど、
まあよく車デザイナーがよくあるパターンですけど、小学校の時からノートの隅っこに車の絵を描くというタイプ。
それがずっと子供時代で、フェラーリとか、それからイギリスの、こう使うかな、やっぱりその辺の方が一番好きで、
まあそういうのを本を見て真似して描いたり。
武蔵美は自動車デザイン学科というのはあるわけじゃないんですよね?
ないないない。
普通の美術ですか?
あそこはね、だから日本の場合は車のデザイナーになる人はほとんどがいわゆる工業デザイン科に入っている。
インダストリアルデザインですね。
で、今はそのインダストリアルデザインの中に自動車をデザインをゼミみたいな、少しあるんだけど、
自動車デザイン学科というのはないのよ。今でも。
日本の大学には存在しないので、あるのは専門学校だけ。
これが日本の非常に不思議なところで、欧米にはいっぱいあるんだよ。
僕は高校の時にどこに進学しようかと思ってて、本当に車のデザイナーになりたいと思ってたから、
もう高校ぐらいの時から?
もう小学校の高学年ぐらいに本を見てこうやって、
これしかない?
それでカスタマイズ、毎年買ってたから、いろんな特徴があるわけですよ。
そうすると、イタリアのカロッツエリア特集とか、イタリアのカスタムカーみたいなのが出てくると、
こんなのあるんだと思って。
カーグラフィックってあるでしょ?
あれも中学生の頃から読んでたから、
イタリアにカロッツエリアっていうのは、ピニファリナとかあったりとか、
そういうのがあるってことは知ってたから、ベルトーネだと。
だからGMデザインっていうのがすごく良かったんだよ、コルベットとかね。
ああ、確かに。
だからすごくそういうものに憧れてたから、将来は車のデザイナーになりたいと思ってました。
すごい早いですね。
小学生、高学年くらいから。
小学校の高学年くらいには車のデザイナーになりたい。
キャリア決めて。
普通は野球選手じゃないですか、あの頃だと。
プロ野球選手だけど。
僕は車のデザイナーになりたいなと思ってて。
ただね、なり方が分かんないんですよ。
分かんないですよね。
分かんないんですよ。
ずっと分からないままずっと来てて、
高校3年になって、初めて大学を選ばなくちゃいけないじゃないですか。
その時にどうすればいいんだろうなと思って、
それで見てたら、カグラフィックって本、雑誌の中に、
児玉秀夫さんってね、僕らの世代にはもう本当に長島秀夫さんみたいなみんなが憧れた人がいるんですよ。
その人がオペルっていう、GMの系列にいて、その人がタマビを卒業されてた。
あ、そうか、美術大学なんだと思って。
それでいろんな本調べて、美術系のデザイン学校に行くと車のデザイナーになれるっていうことを知って、
それで休暇をあわてて、僕が行ってたところはどっちかというと新学校だったんで、
美術系の学校に行く人なんて誰もいなくて。
周りからすごい白い目で見られる。
白いってお前どこ行くのって。
え、何それみたいな。何やるのとか言われて、
いやいや俺車のデザイナーないんだからいいんだって言って、
それでみんなとは全然違うところ一人で受けて、
これで一流して、美大受験の予備校入って、美大に入ったんです。
で入ったら今度はね、日本の美大って面白くないんですよ。今は違いますよ。
あの頃は車のデザインなんかね、どっちかっていうとね、車のデザインはねスタイリングと言って、
割とこうインダストリアルデザインの亜流だと思われてた。
インダストリアルデザインの方が偉くて、車のデザインはその下ぐらいに思ってるんです。
今全く逆ですけどね。
先生はね、特に先生はインダストリアルデザインの先生ばっかりだから、
車のデザインなんてのはね、あれ形だけ作っていい。あれはね、工業デザインじゃないんだとかいう感じなんだよ。
もう一切学校では車のデザインなんかできないの。
で、あとサークルがあってね、そこのサークルでみんなで絵描いたりしてるのもあったんですけど、
まあそれだけだから、実はあんまり面白くなくて、
であんまり学校行かなくて、もう全然、僕はベースしてたんですよ、学生の時。
大学の時はあっちの方が本業やった。
ジャズとかやってた?
ジャズやってた。
本業、本業ジャズ。
もうだから六本木とかのクラブとかね、新宿のピットインとかで行ったんですよ。
だからそっちの方がもう遥かに面白いんですよ。
もうあの、だってね、プロの人とできるから、もう遥かに学校でね、先生でこう、なんか面白くない話聞いてるより、全然面白いじゃないですか。
だからもうサビの時はね、あんまりいい学生じゃなくて、とにかく卒業さえできればいいよと思う。
卒業しないと自動車の会社入れない。
確かにそうですね。
そのためだけに、そのためだけに行ってたぐらい。
そうそう。大卒業の資格を取るためだけに行ってたような感じで。
どこの学部でも結局良かったかもしれない。
でもやっぱり美大でないといけなかったね。
ああ、そうなんですね。
美大でないと受けられないんですよ。
ああ、自動車会社のデザイン?
来ないんですよ、募集が。
ああ、そうですか。
普通の大学には来ないから。
だから美大でも、造形大、芸大、美大、うさび、たまび、このぐらいからしかほとんど取らなかったんですよ、会社がね。
そこを卒業してないと受験資格がないみたいな。
いすゞ、アートセンター、GMでの修業
けど結局僕はイスズ選んだんですよね。
イスズ選んだのもね、今の人から見ると何でイスズなんて言ったんだろうと思われる人多いと思うんですけど、
2つ理由があって、ちょうど僕が入った前の年にイスズがGMと提携したんですよ。
唯一日本で外資系の会社だったんですよ。
その当時そんなのなかったんですか?
ないです、ないです。
それもあって、非常にデザイナーのレベルが高かったんですよ。
僕は外にいても見てたのね。
走ってる車はその頃117もあるし、ベレットもあるし、もちろん好きだったんだけど、
一番の理由はカスタイリングが学生の時に発行されたんだ。
その時にカスタイリングに出てる各社のデザイナーがいるじゃないですか。
そうするとね、イスズのデザイナーが一番センスがいいんですよ。
で、それを見て、安倍イスズってすごいな。
それからもう一人、インダストラルデザインの本を出してる人がいて、その人がその後イスズの部長さんになる方で、
その人の本をすごくよく見てて、その本にはジュージュアルのこととか色々書いてあって、数少ない僕の情報源だったんですよ。
その人はイスズの使徒だったんですよ。
そういうのもあって、結局デザイナーの人に良い人がいるところに行きたいなと思って行ったのと、
GMと提携すると色々チャンスが多いなっていうのと、
それからあとアースセンターっていう、僕が卒業したところじゃないですか、
あそこにね、なぜかイスズは定期的に送ってたんですよ。
ロサンゼルス、パサーダ。
僕がイスズに行った理由を見たら、デザイナーがすごく尊敬する人がいた。
GMデザインすごく憧れてたから、GMデザインで働くチャンスがあるだろう、
アースセンターにも行くチャンスがあるだろう、この3つなんですよ。
それで行ったんですよ。
入ったらね、やっぱり素晴らしくて、先輩のクオリティが本当に高くて、今僕ね、今もう50何年経ちますけど、
あの会社に入っての3年間ぐらいの、自分の先輩から吸収したものっていうのは、もう一生決めましたね。
いろんな意味で、仕事に対する姿勢だとか、デザインに対する取り組み方とか、
英語がすごく堪能な人もあって、
やっぱりちゃんと英語が喋れて、ちゃんとビジネスの話にもついていけて、デザインのセンスもあってみたいな、
デザイナー像みたいなのがすごくつかめた、その時に。
結局それがずっと僕の後、今も残ってるから、
やっぱり会社に入った3年間っていうのは、ものすごく人生にとって大きな意味があるなと思ったんですよね。
大学の4年間ってほとんど意味がなかったけど、会社に入って3年はね、すごかったですよ。
実践で。
実践でやったのと、自分がこうありたいなと思うような先輩が何人かいたっていうことね。
そういう先輩を見ながらずっと毎日仕事するじゃないですか。
これはね、どの社会でも問題だと思うけど、
やっぱり実社会で、実践で自分が尊敬できるというか、
こうありたいなと思う人が周りにいるということっていうのは、人生にとってすごく大切だなと。
その時もそこまで感じなかったけど、今思うとあの3年の意味がでかいなと。
で、その時に5年経って僕はアースセンターに留学しましたよ。
これもね、アースセンターもずっと通常しては送ってたんですけど、ずっとストップしてたんですね。
やっぱり毎年じゃなくてね。
それで久しぶりにやるっていうから僕は行きたいって言って、
英語の試験を受けないと、トイックあるじゃないですか。
トイック受けて合格してそれで行ったんですけど、
それも僕の上司に与える人がやっぱりアースセンターに行って、
で、GMにも行って、その人がやっぱりものすごく影響を与えてくれて、
アースセンターに行くことになったじゃないですか。
で、アースセンターに行く時に、勉強することないよって、僕全部教えたからと。
はいはい、今更。
今更ね、アースセンターで行っても教わることないと思うよと。
実際そうだったんですよ。
あ、そうですか。
だからね、何かね、違うことやってた方がいいですよ。
ただね、クラスで一番になるだけではね、物足りないと思うよって言ってくれたんですよ。
あ、そうか。
で、行ってみたら、やっぱりその人がアースセンターとかGMで全部やってたテクニックを徹底的に教えてもらってたから、
学校行ってもね、もうね、周りの生徒に教えるぐらいなんですよ、本当に。
そうなりますよね。
あ、俺もこれ全部やってるわみたいな。
あ、できるできるみたいなばっかりで。
まあでもすごくそれで周りのね、優秀なやつがいるから、意味あるんですよ。
教えるぐらいだけど、僕は29歳で言ってるけど、周りの人は23とかね、みんな22、3歳なんですよ。
だからそういう若いこう、もっと才能のある人たちと一緒にやってるのは、すごく良かったのね。
で、その時にね、何しようかなと思ったんだけど、
アースセンターっていうのはね、3年で卒業できるんですよ。
休み取らなければ。
普通セメスターでね、3学期生なんですよ。
で、それの車のメーカーからいくと、最後の1年半分だけね、普通の大学だけを組んだけど、卒業証書もらえないんですよ。
面白くないなと思って、卒業証書もらいたいって書いたら、
いいよ、お前ちゃんとアカデミックとかいろんなコース取ったらやってもいいよって先生が言うから。
別に卒業証書もらったからどうってことはないんだけど、
今まで取ったやつがいないって言うから、じゃあ取りますって言ったらね、
デザイン以外のね、論文のコースとか、音楽のコースとか。
ジェネラルエデュケーションですね。
それも全部。
本当はそれ一番最初に。
それを後から追いかけて。
ティーネイジャーが受けるってことですね。
それをね、全部単位取れって言うから。
関係ないの?
1年目のやつとか2年目のやつと一緒になって、後から全部取って。
デザインの単位はもちろん取れと。
それ以外もお前ここだけ取らないと、
日本から単位を移してもこれが足りないと。
これとこれ取れって言われて、じゃあ取りますって言って取ったんですよ。
アメリカだといろんな種類、おっしゃる通り音楽とかも取れるから、
僕とかもピアノのクラスを3回ぐらい取って、つぶしが効いたからよかったです。
面白いですよね。
だからそれがね、結果的にはですね、
日本から会社から行く人ってそういうのやらないんですよ。
やらないですね。
逆に普通の論文のコース、英語のコースを他の若い生徒と一緒に取ったっていうことがね、
結果的にはすごくそれも良かったし。
あれの方がしんどいですよね。
うん、しんどいです。
デザインより全然。
だからデザインの方もものすごく宿題がものすごく量で大変なんだけども、
さっき言ったように経験がそっちあるから、
そっちの方は割と他の若い学生よりはこなせちゃうからね。
その分こっちもアカデミックも取って、
結局、ちゃんと主席で、ディスティンクションで、
オーナーじゃなくてディスティンクションでいただいて、
ヨーロッパ進出とビークロスの経験
それで卒業して、結果的にアースセンターに行って、
ものすごく経験積んだことも良くて、
その後5年ぐらいして、今度はGMに1年ぐらい行ったんですよ。
デトロイトですか?
GMと共同プロジェクトいっぱいやってたので、
で、向こうで行って、そういった意味で言うとですね、
こういう方は椅子図に入って、目的としていた優秀な先輩と一緒に仕事する、
アースセンターで学ぶこと、GMデザインで仕事をすること、
これ全部繋がってできちゃったんですよ。
素晴らしい。
その当時、ホンダとか日産とかトヨタに同級生はみんな行っている人はいたんですけど、
僕はあえてそっちに行かなかったのは、
結果的にはね、自分の今に繋がっている感じが。
椅子図っていうのはすごく良い会社で、
業績はその頃はあまり良くなかったので、結局女優社から撤退したんだね。
僕はその後、ヨーロッパに行ったんですよ。ヨーロッパに5年ぐらい。
これはさっき言ったように、アースセンターも行って、GMも行って、
だいたい自分が会社に入る前に描いていた目標みたいなのを、
で、車のデザインもしたし、
自分で一人でジェミーとか結構デザインしたから、
もうだいたい30代後半で一通り全部、やりたいことをほぼやれた感じがしたんですよ。
そこでヨーロッパに、ロータスという会社とは提携を、
GMの子会社だったんですよ、その時、ロータスは。
ロータスと共同で、ハンドリングバイロータスとかいろんな仕事をやっていて、
そういうのもあって、ヨーロッパにスタジオを作ろうという話を提案して、
ヨーロッパに行って、ベルギーナですけど、スタジオを作ったんですよ。
それもいい会社で、行きたいと言ったら行かせてくれたという、
すごいですね。
すごいですね、懐が広いというか。
広いですね。
前何するかわからないけど行ってこいって、たった一人で。
日本の景気も結構良かった?
まあまあそんなに悪くはないけど、
80年代とかですか?
いや、89年。
ピーク時ですね、バブルの。
まだ西はあまり調子が良くないけど、社会全体がまだ発展するという、
日本はこれからまだまだ発展するというムードがあったから、
日本の会社もどんどん海外展開がいろんなところで行われていたから、
アメリカにはもう拠点があったんですよ、リスズは、その時代には。
なのでヨーロッパもやっぱり拠点を作った方がいいなというような話があって。
まだF1にもロータスいましたもんね。
そうそうそうそう。
アイルトンセナが乗ってたりとか。
そう、でね中島佐藤さん。
あの時ね、僕はヨーロッパに行ってスタジオを作って。
あの時に椅子を打ってF1エンジンを作ったんですよ。
YouTubeでも見れますけど。
確かにあったかもしれないですね。
あの時ロータスに乗せてシルバーストーンでテストしたんですよ。
あの時僕は駐載してたから、もう全部通訳してた。
F1チームの年度を見てあげてた。F1エンジンチームのね。
ロータスとの繋がりもあったから、あの頃はデザインしつつもそういったことをやったりとか。
ヨーロッパに5年間の間に色んな会社とデザイン会社とお付き合いしたりして、
自分たちもスタジオを作って、
Bクロスって車あるじゃないですか。
あれをデザインした。
ちょうど、あれのショーカーを。
それを最後に日本に戻ってきたんですよね。
あの4年半、5年近くも、
ショーカー3台くらい作って、
それと一緒に量産の仕事をGMとかオペルとやりとりして、
ヨーロッパを散々色んなところ経験させてもらって、
振り返ってもあんなに良い思いをさせてくれた会社ってのはないんじゃないかと思いますよ。
なんという幸せな。
すごい時代ですね。
だから時代が良かった。
時代がそうですよね。
やっぱり海外に行って学んで、
学んだことを活かして海外に進出していくという、
日本全体が全てそういう車の会社もみんなそういう時代だったから、
ちょうどその波に乗った感じなんですよね。
時代的に言うと我々の世代っていうのは非常に幸せというかありがたい世代なんですよ。
日産への転身とデザイナーの地位向上
中村社長さんが一番有名なのは、
日産のチーフデザイナーで、
フェアレディZとかGTRのデザインをされたっていう相当なんですけれども。
そこがね、またね、僕はずっとイスにいて、
ヨーロッパに行ってやってきて、
ショーカーもデザインして、ビークロスもデザインして、
ほぼね、子供の頃に海外の会社には勤めなかったけど、
いろんな、ヨーロッパもアメリカも学校もGMも経管したから、
なんかね、一通りやり遂げた感があったんですよ。
95年ぐらいですね。年齢というと45ぐらい。
それでもう、車のデザイナーとしてはやりたいことほぼやれたかな、
みたいに思ってたんだけども、
その頃、ほとんどもうイスの部長に近いポジションだったんですけど、
デザイナーの置かれている境遇とか日本のデザイナーの境遇に対して、
すごくこうやっぱり疑問を感じた。
なんでこんなにデザイナーの地位っていうのは、
エンジニアの下で部長より偉くなれないとかね。
日本の会社だから給料もそこそこしかないじゃないですか。
で、みんな同じようなことを感じてるのね、日本人の中で。
でもアースセンターに行った同級生は、
クルース・バングルって有名なやついるんだけど、
ガナッカ、フィアット行ってBMW行ったりとか、
ヨーロッパで一緒に働いてたボルボのチーフデザイナーだったら、
みんなこういい目でジョブホップしてキャリアを上げていってるんですよ。
みんな僕の友達だったり同級生だったりするんだけど。
名前も結構前に出ますもんね、デザインドバイの。
なんで日本はそういうことができないんだろうっていうのが、
僕の中のすごい疑問であり、
何かそれを突破するにはどうすればいいんだろうかなってずっと考えてたんですよ。
そうしてたら、ニューヨークのヘッドハンティングの会社から電話がかかってたんですよ。
ある会社が車のヘッドを探してるけど興味あるかって言って、電話がかかってたんですよ。
どっか会社も言わないけど、ニューヨークにインタビューしたいんでニューヨークまで来てくれないかって。
ニューヨークは悪くない。
遊びがあったらジャズ聴きに行くかみたいな。
2泊3日で行こうかって言ってきたんですよ。
大体ね、実を言うと日産だなって検討がついてたんですよ。
ちょうど日産が3月ぐらいに提携して、僕の話が来たのが7月だった。
3、4ヶ月経ってね。ゴーンさんがニュースにいっぱい出てて。
その頃。
その頃、ルノーと一緒になった。
僕、ルノーのヘッドだった、ルケマンさんって人を少し前からちょくちょく知ってて。
その人がすごくやってることがね、ルノーのすごく改革をして、
非常にブランド作りとか、すごくルケマンさんがやってることがベンチマークになるなってずっと思ってたんですよね。
ルノーじゃないですか、これはひょっとしたら何か新しいことができるんじゃないかなと思って。
インタビューに向けて、やっぱりルケマンさんがインタビューが。
あ、いたんですね。
ヘッドハンティング会社の人と一緒にね、やっぱりいたと。
いると思ったら、いましたねって感じで。
直接言ってくればいいの?
そう、事前には言わないんですよ。
行ったら行ったらいたと。
話もちゃんとあって、彼らが求めてることの像っていうのは、僕がやりたいこととほぼ一致してるし、
自分で言うのもなんですけど、僕の経験っていうのは他の日本人にはなかなかそういう人いないから、
可能性は高いなと思ったら、すぐゴンさんのところにインタビューに行ってくださいって言われて、日本語と。
一回ニューヨークを経由して。
一回日本帰って少し経って、1週間くらい経って、日産本社でガラスゴンさんにインタビューを受けてくださいって言われて、
そうか、日産行くのかって言ったんだけど、ゴンさんと話が結構あって。
その日の夜にゴンさんが、日産に来てくださいって言われて。
それで結構部長をしてたんで、まだ部長になって1年くらいしか経ってなかったんで、結構悩んだんですけど。
そうです。責任もありますから。
それはものすごく悩んだんだけど、でもこれはやっぱりそんな簡単にあるチャンスじゃないでしょ。
今まで日本でそういうこと起きてないじゃないですか。
同じ同業の中の部長が移るっていうのは。
横で移動するタウンスがないですよね、日本は。
これは前例のないことを、もともと流動性がないことをさっき言ったようにすごく思ってたから、
これは自分で一つ突破してやることが何か意味あるなと思って、それで作ったんですよ。
それで行ったらやっぱりすごく日産は改革の時だったから、その波もすごく良かったんですよ。
さっき言ったZとかGTRとかやれたし、それともう一つデザインの地位向上ってのがあって、
それまでやっぱりエンジニア部門の下だったんですよ。上にエンジニアがいたんですよ。
この関係がすごくデザインの発言力を弱めているんですよね。
やっぱりこうならないといけないっていうのが、僕もすごくずっと課題に思っていたら、
ちょうど僕の上司にあたる副社長が、ルノーから来たペラタさんという人もそういう考えで、こういうふうにしてくれました。
ひっくり返して。
それで役員にしてくれました。
デザイン部長?
役員にしてくれました。
これもデザイナーが役員にならないと、やっぱり車のデザインだけじゃなくて、それこそブランドを作ったりとか、いろいろあるじゃないですか。
そこまで広げるってことをやらないと、やっぱりデザイナーの本当の能力を全面発揮するには、
本当にエンジニアリングの下でスタイルだけ作っているとはダメだと思っていたから、
それもちょうどゴーンさんとか彼らの考えと。
ルノーがそういうふうに近いことをやっていたってなって、
それでうまく役員にしていただいて、
それで権限がバジェットとかヒューマンリソースとか、みんな自分で全部決められた。
今までは決められなかったんですよ。
全部上のエンジニアリングのボスがバジェットもヒューマンリソースも全部決めるから、それが全部全権もらえたんですよ。
子供の時はそんなこと考えていないけど、
マネージャーになって40くらいになってからのテーマだったんです。
デザイナーの地位というかデザイナーの発言力、
どうやったら大企業の中で発言力を高められるか。
それが本当に日産ルノーとの関係でやりたいことがあった。
それも実現できたんですよ。
デザインを経営とブランドの中心へ
今の日本企業、まだまだ中村さんが実現する前の状態の会社が多くて、
エンジニアとか技術の人が強くて、
デザイナーは後から色を塗るとか、
表面を飾り付けるみたいな役割に注視している会社が大半かもしれないですね。
そこはね、僕が行った時に、
私が初めてデザイナーが常務、専務まで名前上がったんだけど、
そういう立場にしてもらえた時に、
それをフォローしてくれた会社はやっぱりトヨタさんとか、
マネって変だけど、ベンチマークになって、
トヨタの役も多分変になったんですよ。
それから松田さんも、みんなそうなったんです。
だからね、自分でもなんだけど、
日産でそういうデザイナーの地位を上げたことで、
結構あの当時、ブランドマネジメント上手くいってたじゃないですか。
2000年代はね。
あれもやっぱり私が全部、車のデザインだけじゃなくて、
ショールームから、ブロッシャーから、
もう全部デザインが面倒見ますというやり方にして、
やったのは評価されたから、
割とそれをですね、
トヨタさんとか松田さんとかをちゃんと見てたんです。
そういう会社は上手くいってくれてて、
今でもトヨタさん、ほらすごく頑張ってたじゃないですか。
サイモンハンフリーって。
私がやった時以上に会社の中で発言力高くなってたりとか。
松田さんも前田さんが、
前田さん一回辞めて、また戻られてんだけど、
前田さんになってからそういう立場でやられて、
そういった意味では、私が日産でやったことが、
日本の自動車企業に良い意味で影響を与えられたという感じがすごくあって、
それは自分としてもすごく嬉しいことだったんです。
ただおっしゃるように、そうでないところがまだ多い。
自動車以外の業界でも、家電であれテクノロジーであれ、
ほとんどが、デザイナーっていうと最後にやってきて、
ちょこちょこっと見栄えを良くしてくれる人たちでしょっていう。
あれが本当にそこを変えないと、
日本のデザインのプロダクトは全部、もっと競争力をつけるために。
あれも一重に経営者の考え一つなんですよ。
間違いないですよ。
デザイナーにそういうことを任せると、
間違いなくブランド力も上がり価値が上がるということを、
どうやったら彼らが理解するか。
単純な話だと僕は思うんですけど、
良いデザインにした方が売れるっていう話。
全くその通りです。
経営者からすると、売上と履歴が最終目標であれば、
同じものを作るにしても、デザインが良くて、
そしてブランドがあれば、より高い値段で多くの人が欲しがる。
業績が上がる。以上ってことだと思うんですけど。
そのために、デザインを良くするためにどうすればいいかっていうときに、
ただデザイナーが頑張るだけじゃなくて、
デザイナーの能力を発揮できるような、
環境づくりをしようと思う経営者。
だからデザインにお金もかかるよねと。
ちゃんと優秀な人も採用しなくちゃいけないし、
デザイナーの発言力も上げないと、
いろいろ固まった後、うまくやってねと。
よくあるじゃないですか。いろいろ条件あるけど、
最後それを隠すのがデザインの力だろうと。そうじゃない。
最初のところから、コンセプトから入り込んでこそできるわけだから。
もう末期状態になっているのを持ってこられても、もっと早く声をかけてください。
ちゃんと最初からやらないと。
車だって最初のプロポーションが悪かったから、
デザイナーは最初の骨格づくりから入らないと、
骨格ができたところで、これに綺麗な衣装をかぶせてくれるなんて無理なんです。
そういうところがやっぱり理解できる経営者。
そういうのがやっぱり日本には少ないんだよね。
コンセプトからデザイナーが入った方がいいとすれば、
形とかのもっと前の話ですからね。
どういう人たちにどういう体験を届けましょうか。
そこから入らないと無理ですよ。
だってちゃんと成功しているところはそういうものづくりしているんでしょ。
実は中村さんが日産の役員をやられていた頃に、
うちの会社ビートラックスも少しお仕事をしていただいたことがありまして、
それは日産が今度改革を進めていく中で、
自動車を運転する人たちにも新しい体験とかを与えるために、
インターフェースとかを革新的にしたい。
なぜならコネクテッドになってくるから。
西海岸のデザイン事務所とかUIスタジオとかを、
一緒に日産の方と回ってですね、
それで紹介したりとかして、オードプロジェクトをやったりとか。
2008、9、10くらいの時期ですね。
次にも行かせていただいて、いろいろ話もさせていただいたときに、
一番記憶で残っているのは、僕が質問を日産のデザイン部の方々にしたのは、
ぶっちゃけテスラってどう思いますか?って聞いたところ、
2つの答えを言われていたんですね。
1つは、自動車としてはまだまだ作りが甘いと。
ただ、ああいうことをさせてもらえるような会社っていうのは、
正直羨ましいところもあると。
グラウンドアップで何もないところから新しいモデルを作っていくっていうのは、
前例がないから自由にできるし、
新しい発想でイーロン・マスクが革新的なことをやりたいということで、
今までの自動車の概念から全然外れたものでもいいから、
デザインをさせてもらえるっていうのは、
正直あれはサプライヤーとかも気にしなくていいから、
羨ましいねとは言ってましたね。
そうなんですよ。今中国はそうだけど、
スタートアップの強みって、やっぱりゼロベースで作れるところは羨ましい。
本当にブランドから全部作れますからね。
今でも日産は結構コネクティビティとか、
EVは最初から一番進めてたじゃないですか。
リーフとか。
自動運転も今でも日産すごくやってるし、
今言われたのはHMIとか、
日産はすごくそこに昔から力をかけてましたね。
形だけじゃなくてね。
それは日産の良いところだと思うんですね。
他の要素でなかなかビジネスがうまく回ってないと、
そういうところにせっかく注力してたのが、
なかなか商品に現れてなかったりするんだけど。
ZとGT-Rにおける伝統と革新
具体的にデザインされた、例えばGTRっていう車両、
あちらに模型ありますけど、
あれってR32、R33、R34っていう走り屋が大好きな世代のものがあって、
その後のリヴァイバルっていうか、
レボリューショナル的なデザインだと思うんですけど、
過去の伝統的なデザインと革新的なデザインのバランス取りっていうか、
どっちにするかとかって、
どういうふうに決めていかれたのがすごい興味があって。
それはね、GTRの前にZもそうなんですよ。
Zもそうでした?
33Zでしたね。
なので、まさに伝統と革新っていうのはテーマなんですよ。
特に伝統って、実はお客さんが気にしてることだったりもすごくするわけ。
よく言うんだけど、伝統は自分のものだけど、
会社のものじゃなくて、ユーザー側にすごくそういう思いが強いわけですよね。
911はこういう形であるべきって。
そうそう、同じ同じ。
Zも同じで、あのZやった時はS30って言われて、
あれがもう一番Zとして、
左にあるシルバーのがS33って私がやったやつなんだけど、
あの時に右側が伝統といえば伝統。
それに対して新しい時代を作るZだから、
いわゆるレトロ、昔のコピーには絶対にしてはいけない。
新しい時代を作っていくっていうのを監視させないといけない。
そこをね、やっぱりテーマにして、
そもそも何がそのZのDNAなのかと。
アイデンティティ。
アイデンティティなのかと。
いろんなパッケージングとか性能とかコストとか、
商品としてのあれもあるわけですよね。
もう一方、ピュアにね、形のスタイリングのDNAってあると思うんですよ。
あのところも言ったんですけど、
やっぱり親から子に受け継がれていくDNAっていうのは、
顔に現れるじゃないですか。
全然違うけど、見た目は。
でも何かそこにはDNAを感じるものがあるでしょ。
それは何なんだろうか。
例えば目だったり口だったり鼻だったり、
微妙なところがやっぱり受け継いでるんですよね。
だから全然プロポーション違うんで、
でかい親からちっちゃな子が生まれることもあるけど、
そういうものって一つ一つ形とか、
本当に言うとプロポーションとかライン取りとか、
そういったものも一個一個分析していって、
そういったものをうまく新しい世代の車に入れていくってことを結構やったんですよ。
プロポーション全然違いますからね、あの2台比べて。
違いますね。
だからまあ本当にこれとこれ全然違う車じゃないですか。
でも並べた時にね、何か繋がっているものがあるよねって思わせたい。
思わせないといけない。
サイドビューなんか全然違うしね。
こんなに違うわけですよね。
ここに繋がりを感じてもらえるようにするために、
いろんなことをみんなでこの辺のフェンダーとかいろんな形とかを分析してやったのをやりまして。
プロポーションが違うんだけど、
このある伸びやかさ、こういったものをどうやって出すかっていろいろやってるわけ。
分析力でデザインとビジネスをつなぐ
結構ね、頭で考えている部分がすごく多いんです。
感覚的に選んでいる部分と、
僕はいつもデザイナーというかデザインマネージャーの仕事っていうのは、
分析力がないとダメだと思う。
これが何がいいかっていった時に、
どこがなぜいいのかってところにたどり着かないと、
最終的に選んでまとめていけないんですよね。
確かにそうですね。
綺麗な絵を描いたり、かっこいい絵を描くのはデザイナーの仕事なんだけど、
そこから何を読み取って、それを最終的にどこに帰結させていくか。
AIの話も同じなんですよ。
AIっていくらでも綺麗な絵が出てくるじゃないですか。
でもそこから何を取り出して一つのものにまとめていくかっていうのは、
AIじゃやってくれないんですよ。
ディセジョンメイキング、セレクションとかは人間がやらないといけない。
そうそう。
そのセレクションする時に、なぜこれを選ぶの?
その理由をしっかりと自分の中で人に納得させるような分析ができないと、
これが俺に気に入ったからこっちが好きだからだったって、
周りの人、会社のやる人は納得しないですから。
理屈づけかもしれないけど、
どういう理由でここの部分がふさわしいとかってことを
説明できる能力っていうのはデザインディレクターにとってすごく大事なことだと思ってるんですよ。
それはデザインとビジネスをつなげる役割ができなきゃいけない。
できなきゃいけない。
だってこちら側にいる人は、何でこれがいいの?って。
デザイナーじゃないですからね。
僕これ好きだからですけど、前の個人的な趣味で決めないよ、
ふざけるなって言われちゃうじゃないですか。
そうじゃなくて、こういうブランドのヘリテージがあって、
こういうことを実現するためにこちらの方が良くて、
特にこの部分のプロポーションの考え方は、
こちらのプロポーションの考え方を新しいパッケージングで置き換えるとこうなります。
そういったことを分かりやすく説明するってことが、
さっき言ったビジネスマンとデザイナーをつなぐ役割が
デザインディレクターのすごく大きな役割だと思ってるんですよ。
もしかしたら消費者のトレンドとか、
そういったことも諸々知っておかなきゃいけない。
もちろんです。
市場の状況とか。
これをやる時も、このS30が好きな人たちって大勢いるんですよ。
ファンクラブがいるんですよ。
この人たちの期待値ってものすごくあるんですよ。
これが出てくるとき。
もうカルト的なファンがいるんですよ。
だからこれを出した時に、いやいや、これ違う。
今フェラーリのルーチェがそういう状況に入ってたんだけど。
いや、聞こうかどうか迷ってたんですけど。
あれがまさにその状況で、違うよ。
水色かよって。
ここまでやられたら、俺たちの考えてるのとは違うって言われても、
拒絶反応に近いじゃん。
拒絶反応まで持っていちゃダメで、
ある程度の抵抗が新しいものを提案するときに必ず好きもんだから、
それはいいけど、拒絶するとこまで行ってしまうとダメなんですよね。
ブランド価値も下がっちゃいますからね。
下がります。
だからやっぱりお客さんの期待するものが何であるかってことを
しっかり捕まえてないとどこまで飛ばしていいかってわかんないじゃん。
もうそういう人たちの期待を裏切らないよ、ちゃんと考えてるよと。
ただし、同じものを作るわけじゃないよと。
レトロでコピーはしないよと。
自分たちの新しい時代を作るデザインになってるけども、
しっかり皆さんの考えてるZ像っていうのを壊すことはないよ、
ということとかをやって、これ発表したんですよ。
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