00:00
みなさん、こんにちは。 自然を愛するウェブエンジニア、セミヤマです。
今日は、ノーベル文学賞を受賞したスペインの作家と、彼に寄り添った一頭のロバの物語、
プラテーロとわたしについてお話ししたいと思います。 このセミラジオ、今回でちょうど70回ということで、
ここまで回を重ねることができたのも、聞いてくださるみなさんのおかげです。 本当にありがとうございます。
これからも、次回何について話すのか、自分でも予想がつかない、 無機動なポッドキャストとして続けていこうと思っていますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。
今回はめでたい70回記念ということで、本題には可愛いロバが出てくる ほっこり要素のあるお話を持ってきました。
せっかくの節目のお会いなので、本題以外のお話も多めにのんびりとお話しできればと思っています。
まず前回、新潟ロシア村と富士ガリバー王国という かつてあったテーマパークのお話をしたんですけども、
そちらにお便りやメッセージをいただいていますので、いくつかご紹介したいと思います。
まず前回の新潟ロシア村回を配信した直後に、 お便りフォームの方からミニトマトさんという方からメッセージをいただいたんですけども、
この方がなんと新潟ロシア村があった 旧笹上村のご出身の方なんですね。
いやーまさかご出身の方からメッセージをいただけると思ってなかったので、 すごくびっくりしたんですけども、
まずはいただいたメッセージの方を読み上げさせていただきますね。
私は新潟ロシア村のありました新潟県旧笹上村出身です。
実家はロシア村の建物が見えるくらいの場所でとても近くです。
新潟ロシア村ができた頃は私はまだ子供でしたが、 バブル時代だったこともあり、とてもきらびやかだったことを思い出しました。
ご紹介いただいたようにみるみるうちに衰退してしまいましたが、 一つの歴史として出身地を紹介していただくのは少し嬉しいような気持ちになりました。
ありがとうございました。 というメッセージをいただきました。
新潟ロシア村の配信でも光と影の両面についてお話しさせていただいたんですけども、
ミニトマトさんは新潟ロシア村ができた頃は子供だったということで、 とてもきらびやかなワクワクするような印象を新潟ロシア村に抱いていたということなんですね。
03:08
新潟ロシア村が成立した背景にどんな意図や側面があったにせよ、 ミニトマトさんが子供時代に感じられたきらびやかさや素敵さも、
それも一つのリアルな感情であったり思い出だと思いますし、 うまく言えてるかわからないんですがすごく納得感がありました。
配信では明暗両面から語っていたので、 地元の方が聞かれた時にどう受け取ってもらえるかわからなかったんですが、
一つの歴史として出身地を紹介していただくのは少し嬉しいような気持ちになりました。 というふうに言ってもらえてすごくほっとしましたね。
ミニトマトさんお便りを送っていただき本当にありがとうございました。
続いてこちらも新潟ロシア村と富士ガリバー王国の会へのメッセージなんですが、
いつもセミラジオでもご紹介させていただいているポッドキャスト番組 生物をざっくり紹介するラジオぶつざくと、
教育をざっくばらんに語るラジオいくざくのパーソナリティーのシロさんからメッセージをいただきました。
読み上げますね。ガリバー王国山梨の施設だったんですね。
たぶん小学校低学年ぐらいの時に家族で行った記憶があり、横たわるガリバーはすごく覚えています。
またヘッドホンして座ったまま耳だけで聞く、お化け屋敷みたいのがトラウマになった思い出もあります。
確かガリバー王国だったはず。とのメッセージをいただきました。
シロさんは小学校低学年の時に富士ガリバー王国を訪れていたということで、
横たわるガリバーのあるテーマパークというのは明らかに富士ガリバー王国の特徴なので、
これは間違いなくシロさんは富士ガリバー王国に行かれていたんだと思います。
実は自分自身も自分の周りでも富士ガリバー王国に行ったことあるよという人に会ったことがなくて、
お話しする機会もこれまでなかったので、なんだかすごく嬉しかったですね。
しかもシロさんは山梨県出身の方ではないので、そこもまた意外だったんですけど、
実際テーマパークって意外と地元の人って行かなかったりしますし、
特に富士ガリバー王国があった山梨県の藤五甲地域って観光地だったりもするので、
実は山梨県外の方の方が多く訪れていたのかもしれないですね。
06:00
ヘッドホンして座ったまま耳だけで聞くお化け屋敷みたいなのがトラウマになった思い出もあります。
ということで、これについては僕の方でも調べてみたんですが、
こちらは同じ時期に富士急ハイランドの音声アトラクションとして、
牢屋に捕まって処刑されるという疑似体験ができる処刑の館というのがあったみたいで、
ツイッターでその話をシロさんにリプライしてみたら、確かにそちらかもしれないですね。
ガリバ王国にネレギヌを着せてしまっていました。
かっこ笑いというご返信をいただきまして、
ツイッター上でそんな面白いやりとりも発生したりしていました。
シロさん、貴重な富士ガリバ王国の思い出やエピソードをお話しいただいてありがとうございました。
横たわる巨大なガリバ、今にして思うと見に行っておけばよかったなぁと悔やまれますね。
全長45メートルですからね。
ものすごい迫力だったんじゃないかと思いますね。
続いてはお知らせになるんですが、
いつもセミラジオでご紹介させていただいているイラストレーターのすすむさん、
そして仏作のトヨさんの3人で企画を進めているセーブジオーシャン2というプロジェクトがありまして、
これはすすむさんが立ち上げられたプロジェクトなんですが、
海の環境を守るためにすすむさん、トヨさん、あと僕、セミ山の3人で海の生き物についてのデザインを作ってグッズ化して販売し、
その売上げを海洋保護に取り組まれている団体さんに寄付するというものなんですね。
こちらのデザインが先日完成しまして、とても面白いデザインになったので、
皆さんにお見せできるのが待ち遠しいんですけども、
そのグッズの発売にあたってすすむさんの配信されているポッドキャストすすむアートにトヨさんと一緒にゲストとして呼んでいただけることになりました。
これもどんな会になるのか僕自身も楽しみなんですけども、
このコラボ会についても詳細が決まりましたらセミラジオでお知らせさせていただきますね。
それとですね、セミラジオの第66回でフィフネルの宇宙服というトキメキメモリアルという恋愛シミュレーションゲームから生まれた曲についてお話しさせていただいたんですが、
そのフィフネルの宇宙服会をやるきっかけになったブライトビットブラザーズ、通称BBブロスというポッドキャスト番組がありまして、
こちらはパーソナリティの1P川崎さんと2P長谷川さんがレトロゲームをテーマに毎回お話しされているポッドキャスト番組なんですけども、
09:07
このBBブロスのトキメキメモリアル会がきっかけでフィフネルの宇宙服という曲を再発見してそれについてセミラジオで取り上げることになったという経緯がありまして、
そのことも含めてBBブロスのお二人にお便りを送らせていただいたんですね。
そしたらBBブロス第150回でお便りをご紹介していただけまして、
しかもセミラジオのこともすごく詳しく紹介してくださって、いやーめちゃくちゃ嬉しかったですね。
1P川崎さん、2P長谷川さん、ありがとうございます。
このBBブロス、レトロゲームがテーマのポッドキャストということで、僕も割とレトロなものやレトロゲームが好きなのでとても楽しく聞かせていただいてまして、
BBブロスは基本的には一つのゲームソフトについて掘り下げていくスタイルなんですが、
時にはゲームソフト日本立ての会があったり、ゲームメーカーであったり、ゲームジャンルであったり、
ゲームにまつわるお話であれば幅広く取り上げているポッドキャストです。
お話しされているゲームソフトはドラクエとかストリートファイターとかメジャー作品についても掘り下げられていますし、
一方で真相世紀ラグナセンティとかデビュー21とかサイレントボマーとかBBブロスを聞くまで僕はタイトルを聞いたことがなかったんですが、
内容もかなり独創的ですごく気になるみたいなゲームも数多く取り上げられていまして、
本当にお話の内容に振り幅があって面白いんですよね。
お二人のお話がお上手ですごく聞きやすいのと、2P長谷川さんが不意に差し込んでくるボケに対して、
1P川崎さんがすかさず突っ込んできっちり回収するというお二人の会話のテンポの良さや、
お二人が生み出す和やかな雰囲気も魅力の一つかなと思いますね。
レトロゲームに少しでも興味がある方であれば、その深い世界に足を踏み入れるきっかけになる
ポッドキャスト番組だと思いますので、概要欄に貼っておきますのでぜひチェックしてみてくださいね。
それではそろそろ本編の方に行きたいと思います。
今日はプラテーロと私という本をご紹介したいと思うんですけども、
この本皆さんご存知でしょうか?
僕は最近まで知らなかったんですけども、このプラテーロというのはあるロバの名前なんですね。
12:07
プラテーロと私はスペインの作家のヒメーネスという人が、故郷の小さな町で、
プラテーロという自分の飼っていたロバとの静かな生活を綴った三分子なんですね。
で、例によって前回新潟ロシア村の話をしてたのに、なんで急にロバの三分子の話なの?ということなんですけども、
しばらく前にいつもセミラジオを聞いてくれている身内の子が、
僕の誕生日プレゼントに尾道ロバ牧場のクッキーを送ってくれたんですね。
クッキー自体はロバの形のクッキーと草原をイメージした杉菜のクッキーが入っていて、
優しい甘さで、杉菜クッキーの方はほろ苦さもあって、どちらもとても美味しかったんですけども、尾道ロバ牧場というところも、
このクッキーをもらうまで知らなかったんですけども、その名の通り広島県の尾道にあるロバの牧場なんですね。
ロバに餌をあげたり、散歩をさせたりして触れ合うことができる、ロバ好きにはたまらない牧場なんですね。
この尾道ロバ牧場のホームページを見てみたんですけど、気になる一文がありまして、その部分を引用させていただきますね。
瀬戸内海を見下ろす尾道の小高い丘の上に住み始め、いつしか大学時代の授業で読んだプラテーロと私、J.R.ヒメネス作のアンダルシアの情景が目の前に浮かぶようになりました。
と書いてあったんですね。その文章から読み取れるのは、プラテーロと私という本がロバ牧場設立のきっかけになったということだったんですが、僕はそこで初めてプラテーロと私という本の存在を知ったんですね。
で、本の概要をネットで調べて、どうやらロバと作家の田舎町でののどかな暮らしを描いた作品っぽいということが分かって、アマゾンで調べてみると、いろんな出版社から翻訳本が出てたんですね。
で、いろいろ検討した結果、岩波文庫版のプラテーロと私を購入して読んでみたんですが、これがすごく良かったんですね。ぜひセミラジオでご紹介したいなと思いまして、今回取り上げさせていただきました。
15:01
このプラテーロと私を書いたのはスペインの詩人のファンラモン・ヒメーネス、あるいはヒメーネスという方で、1956年にノーベル文学賞を受賞している人なんですね。
以前スペインではペセタという独自の通貨が使われていたんですが、1982年から発行されていた2000ペセタ紙幣にはヒメーネスの肖像がプリントされていました。スペインを代表する作家なんですね。
さっきも少し触れたんですが、このヒメーネスさんはスペインのアンダルシア地方にあるモゲールという町の出身で、このモゲールはプラテーロと私の舞台でもあります。
モゲールは大西洋に注ぎ込む河口に近く、ワインの醸造と海上輸送で栄えた土地でした。ヒメーネスのお父さんも広大な農地とワインの醸造所を運営する裕福な人だったそうです。
ヒメーネスは15歳の時にアンダルシアの中心土地であるセビリアに出て、家業を継ぐために法律の勉強を始めたんですが、自分の道は文学にあると考えて方向転換をするんですね。
家業を継がないという選択をしたヒメーネスだったんですが、そんな彼にお父さんは理解を示してサポートをしてくれていました。セビリアの滞在中にヒメーネスは詩を作り始めて、それを新聞に投稿して徐々に若い才能ある詩人として認められるようになっていきました。
詩人として順調なスタートを切ったヒメーネスだったんですが、1900年、彼がまだ20歳より前の頃に、彼の最大の理解者だったお父さんが急死してしまうんですね。このことがヒメーネスの人生に深い影を落とすことになります。
この直後にヒメーネスは精神を病んで、南仏のボルドーやスペインのマドリードの精神療養施設を転々とすることになります。
1905年、24歳の時にヒメーネスは故郷のモゲールに戻り、そこで療養生活を送ることになるんですが、その間も詩人として詩を作ることは片時もやめることはなかったそうです。
このモゲールでヒメーネスは一頭のオスのロバのプラテーロと暮らすことになります。そのプラテーロとの生活を元に生み出された138編の3文章をまとめたのがプラテーロと私という作品なんですね。
18:10
この作品の見どころなんですが、なんといってもプラテーロが可愛いんですよ。
今回のエピソードのタイトルにもしてるんですけども、本当に読むとロバが飼いたくなりますね。
ロバと一緒にひなびた農村でぼんやりと何をするでもなく過ごしたいなぁと心から思うんですよね。
あとでどんなエピソードがあるのか詳しくお話ししていくんですけども、この時ヒメーネスはモゲールで療養中の詩人として暮らしていたわけで、決まった時間に出勤して働いてという労働生活をしていたわけではなかったんですね。
療養中ですし精神的にはきついところはもちろんあったと思うんですけども、そういうスケジュールに縛られるようなことはなくて比較的自由に過ごしていたわけです。
で一方のプラテーロなんですけども、モゲールにはプラテーロの他にも多くのロバがいたわけなんですが、
その他のロバの多くは荷物を運んだり人を乗せたりする労働力として使われていたわけなんです。
プラテーロもヒメーネスを乗せて歩いたりはするわけなんですけど、気ままに蝶々を追っかけたり子供たちと遊んだり、人に飼われているロバの中でもかなり自由に過ごしていた方だったんですね。
ヒメーネスとプラテーロのこの自由さ、時間に追い立てられていない感じがまずいいんですよね。
しかし逆にそういう悪セクした日常の忙しさに囚われていない反面、
ヒメーネスはその感受性によって忙しく働く人たちが見過ごしてしまうような日常の中にある心を乱すものや
悲しみ、寂しさにも気づいてしまうんですね。
で、ヒメーネスははためからはただプラプラしているように見えるので、時には悪ガキの集団に
イェーイ!みたいな感じで割と小馬鹿にされたりもしてまして、
まあそのほのぼのとのんびりとしたロバとの生活と胸に迫るような感情の両方がプラテーロと私にはあって、
それが未だに全世界でいろんな翻訳本として出版されている理由なのかなと思いますね。
あとはですね、今回プラテーロと私を読み通して思ったんですが、
21:01
プラテーロと私に限った話ではないんですが、
詩っていいなと思いましたね。
何事にも厳密さが求められる世の中で、ここ数年特にそうなっていると思うんですが、
そういう世の中って息苦しいですよね。僕はそう思うんですよ。
詩は一つの物事について厳密に定義した文章ではないですし、
読むたびに違うイメージが湧いてくるし、それが許されるジャンルだと思うんですよね。
今回プラテーロと私は最初のページから順番に読んだんですけど、
これからはたまたま開いたページを読んでみるとか、お気に入りのページを何度も読み返してみるとか、
そういうふうに楽しんでいけるかなぁと思っています。
例えば推理小説だったら、犯人は誰なんだろうとスリルを味わいながら、
一気に読み通すみたいな読み方をすることが僕は多かったんですけど、
それはそれですごく面白いし、ありなんですが、
詩はもっと緩やかに繋がることができて、味わうことができるものなんだなぁと思いましたね。
厳密な世界の中でこういう心を自由に遊ばせる時間って贅沢だし、
こういう時間を大切にしたいなぁと思いますね。
ということで、そんなプラテーロと私から僕が特に印象深いエピソードをご紹介していければと思います。
ネタバレありでお話しさせていただきます。
まずは第1のエピソード、プラテーロを読んでみたいと思います。
プラテーロはまだ小さいが、毛並みが濃くて滑らか。
外側はとてもふんわりしているので、体全体が面でできていて、中に骨が入っていないと言われそうなほど、
ただ鏡のような黒い瞳だけが2匹の黒髄章のカブトムシみたいに固く光る。
手綱を離してやる。すると草原へ行き、薔薇色、空色、黄金色の小さな花々に、
鼻面をかすかに触れさせ、生温かな息をそっと吹きかける。
私が優しくプラテーロと呼ぶと、嬉しそうに駆けてくる。
笑いさざめくような軽い足取りで、絶えなる鈴の音を響かせながら、私の与えるものをみんな食べる。
とりわけ好きなものは、マンダリン、オレンジ。
一粒一粒が琥珀のマスカットブドウ。透明な蜜の雫をつけた小紫の一軸。
可愛らしくて甘えん坊だ。男の子みたいに女の子みたいに。
けれども芯は強くてがっしりしている。石のように。
24:01
日曜日、プラテーロにまたがって、私が町外れの路地を通ると、
小雑把りした見ないで、ブラブラやってくる村人たちが足を止めて、プラテーロをじっと見送る。
筋金入りじゃ。その通り。筋金入りだ。鋼づくり。そして同時に月の銀色。
ということで、うちの奥さんのバクコに、この第一のエピソードのページを見せたんですが、
一行目からプラテーロが可愛い、と言ってびっくりしてましたね。
確かに僕もそう思うんですよ。一発目からいきなりプラテーロが可愛いんですよね。
プラテーロと私では、作者のヒメーネスを投影した私がプラテーロに語りかけるという体で、詩が綴られていきます。
ねえ、プラテーロ。という感じで、私がプラテーロにいろんなことを語りかけていくんですね。
でも、プラテーロを擬人化してプラテーロが人間の言葉で語りかけてくる、みたいなことはないんですね。
プラテーロはあくまで作中の私に寄り添う、可愛いロバとして存在しています。
ツバメというエピソードでは、春にやってきたツバメが、突然冬に逆戻りしたように気温が下がってしまって、身動きが取れずにいる様子が描写されます。
暖かくなったと思って、せっかくやってきたツバメがどうしていいかわからずに震えている、そんな様子を観察していたヒメーネスは、
これでは寒くて、ツバメたちが死んでしまうよ、プラテーロ、と嘆くんですけども、そこまででこのツバメというエピソードは終わってるんですね。
実際にこの後ツバメがどうなったかまでは描かれないわけで、いろいろと想像が膨らむエピソードかなぁと思います。
トリガー続くんですが、オウムというエピソードでは、タイトルの通りオウムが出てきます。
このエピソードでは、鹿を密漁しようとした男の獣が暴発して、自分の片腕に弾を打ち込んでしまうという痛々しいシーンが描写されるんですけども、
その漁師はモゲールに住むフランス人医師の元に運び込まれてきて、ヒメーネスはたまたまそのフランス人医師の友人としてその場に立ち会うことになったわけですね。
怪我人の手当てをしながら、その医師は時々フランス語でスネリアン、意味としては大丈夫と言うんですけど、
そうしていると、近くの木にオウムがやってきて止まって、スネリアン、スネリアンと声真似をする、そんな風にオウムというエピソードは終わっていきます。
27:12
これもとっても印象的なエピソードなんですよね。
このエピソードに登場する怪我人は、鹿を密漁しようとしてたということで、ルールを破った人なわけなんですけど、
彼にもやむにやまれぬ事情があったのかもしれないですし、でも結構な怪我をしてしまって、涙を流すほど辛いんだけど、
たまたま来たオウムが機械的にスネリアンという言葉を繰り返すという、人生のひきこもごもというか、そういうものを感じるエピソードかなぁという気がしますね。
続いては司祭ドンホセというエピソードです。
ここに出てくるドンホセという人物が、とても癖が強くて面白いんですね。
こちらも本編を読んでいきたいと思うんですけども、
ほらね、プラテーロ。あの司祭はもうすっかり敬虔な面持ちで、密のような甘い話ぶりに変わったよ。
だけど、いつも変わらずに天使みたいなのは、あの人のメスロバであって、そちらの方が本物の宿女なのさ。
いつだったかあの人が果樹園でダブダブの水平ズボンを履き、ツバの広い帽子をかぶってね、オレンジを盗みに入ってくる子供たちに対して罵声を浴びせ、石を投げつけているのを、君も見かけたことがあっただろう。
あの人のかわいそうな下難のバルタサールが、サーカスの球のような大きなヘルニアを引きずるようにして、手製の粗末な宝器を売るために、あるいは金持ちの死者の冥福を祈るために、貧乏な人たちと一緒に町まで歩いていく姿を、君は金曜日に何度も見たことがあるね。
あの人よりも汚い言葉で悪態をつき、天に向かってあの人よりも大声で呪いの誓いを立てる人を、私は一度も見たことがない。
天国では一つ一つのものがどこにどうしてあるのか、あの人がそれについて知っていることは確かに疑いの余地がないし、少なくとも五次のミサで彼自身がそのように断言しているのだ。
木が、土くれが、水が、風が、炎が、とても優しい、とても柔らかな、とても清らかな、とても爽やかな、とても生き生きしたこれらのものが、あの人にとってはそれぞれ、乱雑、顔面、冷淡、激烈、破壊の手本に過ぎない。
毎日果樹園の中の石ころという石ころが夜になると、前の晩とは違った場所で休むことになる。
30:02
たけり狂った憎しみを持って、小鳥たちや洗濯女たち、子供たちや花たちに向かって投げつけられるからだ。
ところがお祈りの時間になると全てががらりと変わる。
どんほせの無言の響きが田園の静けさの中で聞こえる。
ほうえの上に長マントを羽織り、僧帽をかぶり、眼差しをほとんど閉じて、足取りの緩やかなあの目そろばにまたがり、暗くなった町へ今入っていく。
十字架へ向かうイエズス、キリストを思わせる姿で。
ということなんですけども、果樹園の中の石ころという石ころが夜になると、前の晩とは違った場所で休むことになる。
というくだりが、詩的な表現ではあるんですが、どんほせしさへの凶暴性を表していますよね。
神父なんだから果物くらい気前よくあげたらいいのにと思うんですけども、どんほせしさいにはそういうつもりは一切ないということなんですね。
そんなどんほせしさいなんですが、お祈りの時間になると雰囲気を一変させて、足取りの緩やかなロバにまたがって僧帽をかぶって、暗くなった町へおごそかに入っていく。
その神聖な雰囲気を漂わせているのと、果物を取りに来た子供に怒鳴って石を投げつけているのが同じ人なんですね。
そのギャップがなんかいいなぁと思いますし、人って場面が違えば違う雰囲気を出しているものなんですけども、
どんほせしさいはそれがかなり極端な形で出ている人なんですね。
続いては、海鮮闇の犬というエピソードです。
海鮮はダニによって起こる皮膚の病気で、犬の海鮮では体中の毛がまだらに抜けて、激しい痒みを引き起こし、見た目も痛々しくなってしまいます。
この海鮮を患った犬がヒメーネスとプラテーロがいる果樹園の番小屋にやってきます。
周りには果樹園の番人と彼の飼い犬のディアナもいます。読みますね。
海鮮闇の犬。その犬は痩せこけてハーハー喘ぎながら時々果樹園の番小屋にやってきた。
いつも大声で罵られ石をぶつけられて可哀想にビクビク逃げ回っていた。犬仲間でさえそいつには牙を剥いた。
それでもう一度真昼の太陽に照りつけられ、のろのろした足取りでしょんぼりと山から降りて帰っていった。
ある日の午後、その犬はメス犬のディアナの後についてきた。
私が番小屋から出かかった時、残忍な衝動に駆られて、両重を持ち出した番人がその犬をめがけて発砲した。
33:05
私が止める間もなかった。その哀れな奴は腹に一発ぶち込まれ、鋭いうめき声を立てながら一瞬きりきり舞いをするとアカシアの根元に倒れて死んだ。
プラテーロは頭をすっくと持たげ、その犬をじっと見つめていた。ディアナは怖がって私たちの後ろにちょろちょろ隠れた。
番人も多分後悔したらしく、その気持ちを紛らわそうとしたが、どうしようもなくて腹を立て、誰にと言うこともなく長々と言い訳をするのだった。
という、両重で野良犬を撃ってしまうというショッキングな展開のエピソードなんですけども、
これで番人が自分の犬を守るために当然のことをやったまでだ、みたいな感じでいれば、
まあそういう価値観の人なんだなとなるかもしれないんですけど、衝動的に撃ってしまったことを自分でも後悔して、
誰にともなく言い訳しているというあたりが、なんとも居心地が悪く表現されていますよね。
あー人間だなぁと感じるというか。
撃たれてしまった犬に対してプラテーロはじっと見つめる。
メス犬のディアナは怖がって人の後ろに隠れる。
そしてヒメーネスはその犬の死がもたらした情景を後で死として残す。
それぞれの死に対する反応が静かに語られるエピソードなんですね。
続いては悪魔というエピソードです。
こちらは特に印象的なところを読んでいきますね。
悪魔
突然裏米通りの角のところに一頭だけの荒々しい足音を立て、高く舞い上げた砂ぼこりで一層汚く汚れ、そのロバは現れる。
それからちょっと後で子供たちがハーハー息をけらし擦り切れたズボンがずり落ちて黒っぽい下っ腹が覗くのを引っ張り上げながら棒切れや石ころを投げつけてやってくる。
そのロバは色が黒く大柄で歳をとり骨張っていて主席司祭そっくりの姿。
あまりゴツゴツしているので毛の抜けた皮を突き破り骨がどこからでも飛び出しそうだ。
ふと立ち止まると大きな空豆みたいな黄色い歯を剥き出し、空へ向かって丈々しい鳴き声を立てる。
そのしょぼくれた老齢に似合わない力強い声で、あれは離れロバかな。
君は知らないかね、プラテーロ。何をしたいのかな。
あんなに乱れた激しい早足で一体誰から逃げてきたのだろう。
中略して黒いロバはプラテーロのそばを通る。
プラテーロに体を強くこすりつけにぐらをぐいと引っ張りプラテーロの匂いを嗅ぐと
36:05
修道院の塀に向かって一声高くいななき裏塀通りを早足で下がっていく。
中略して私たち二人が沈黙している間プラテーロはまだ震えている。
そして時々なぜかしら怯えたように私を見つめるのだ。
ねえプラテーロ、あのロバはどうもただのロバじゃないぞ。
するとプラテーロは黙ったままもう一度体全体をブルンと柔らかな音を立てて震わせると
臆病そうにむっつりと溝の方向を見下ろす。
ということで大きくて年をとって荒々しく異様な雰囲気を持ったロバがやってきて
プラテーロが怯えるというエピソードです。
暑いアンダルシアの空気の中に黒い大きなロバがいて
その異様な雰囲気が描写から伝わってくるんですよね。
本からアンダルシアの暑い空気が伝わってきて
読み手の頭も伸ぼせたようになって
本当にあのロバ悪魔なんじゃないかそんな風に思えてくるんですね。
これもすごく印象的なエピソードです。
続いてはヒルというエピソードです。
プラテーロと歩いていたヒメエネスは
プラテーロが口から血を流していることに気づいて
プラテーロの口の中にヒルがいるのを見つけます。
プラテーロに泉で水を飲ませた時に
ヒルが口の中に入り込んでいたわけですね。
で、取ってあげようとしてプラテーロに口を開かせようとするんですけど
プラテーロは嫌がって口を開けないんですね。
ヒメエネスはかわいそうにプラテーロは私が思っているほど利口でないことが
情けないけれどわかったと書いているんですけども
まあ動物ってそうですよね。
嫌なことは嫌だという感じで。
で、ちょうど通りがかった知り合いと力を合わせて
プラテーロの口を開かせてヒルを取ってあげます。
で、ヒメエネスは二度とロバの血を吸わせないようにと言って
小川の上でそのヒルをちぎるんですね。
なかなかワイルドなんですけど
すると一瞬泡粒の小さな渦巻きがプラテーロの血で染まると描写されています。
こういう身体感覚に訴えかけてくる描写って記憶に刻まれるんですよね。
続いては子守娘というエピソードです。
これはプラテーロの可愛さを楽しめるエピソードになってるんですが
炭焼き屋のまだ小さな女の子が小屋の入り口で赤ん坊の弟を寝かしつけています。
39:05
で、その女の子は弟のために優しく子守唄を歌うんですね。
で、それを聞いたプラテーロはなんだろうという感じで近づいていくんですが
いつまでも続く子守唄を聞いているうちにプラテーロまで眠くなってきてしまって
子供みたいに歌うとし始める、そういうエピソードなんですね。
昼をちぎって皮が血で赤く染まったというエピソードもあれば
こういう平和でのんびりした気持ちになれるエピソードもあるんですね。
うとうとしているプラテーロがとても可愛いエピソードです。
あとこのエピソードとちょっと近いシュエーションで
僕の好きなエピソードを一つご紹介したいんですけども
それはシエスタの終わる季節というエピソードです。
スペインは夏の日中の気温がとにかく高くて暑いので
一番暑い時間帯にはシエスタと言ってお昼寝をする習慣があるんですね。
で、このエピソードでは野原に立つ一軸の木の下で
ヒメーネスがシエスタをしているんですけども
ヒメーネスが目を覚ますとそこにはプラテーロがいて眠そうな目をしてるんですよ。
そのプラテーロの眠そうな目を見ていると
さっきまで寝ていたヒメーネスもまた眠気が襲ってきて
気持ちいいそよ風も吹いてきたりして
そのまますやーっと寝てしまうというエピソードです。
いやーいいですよね。
僕も一軸の木の下でロバとお昼寝したいですね。
続いては子を産んだ犬というエピソードです。
短めの作品なので読んでみますね。
子を産んだ犬
ねえプラテーロ
これから君に話してあげる犬というのは
あの鉄砲打ちのロバートの犬のことなんだよ。
君はあのメス犬をよく知っているね。
だってリアーノスへの生き返りによく見かけたものを覚えているね。
薄雲のかかった5月の夕暮れ空のように
毛色が金と白のあのメス犬さ。
あの犬が子犬を4匹産んだのだ。
すると牛乳居のおばさんサルーが
マードレスの橋のたもとの自分の小さな家に
子犬たちを運んでいったのさ。
というのはね
おばさんの男の子が病気で死にそうなので
子犬のスープを飲ませてやるようにと
ドン・ルイースが教えてやったからさ。
君はよく知っているね。
ロバートの家からタブラスのところを通って
マードレスの橋までどのくらい離れているかを。
あの犬はね、プラテーロ。
42:01
あの日一日中まるで気が狂ったように
出たり入ったり道路を覗いてみたり
土手の上によじ登ったり
通行人の匂いをくんくん嗅いだりしたそうだ。
アンチェラスの鐘が鳴る時刻になっても
まだレンガ工場の番人小屋のそばで
墨袋を積み重ねた上に乗り
夕日に向かって悲しそうに吠えているのを
見かけたという。
君はよく知っているね。
中町通りのロバートの家からタブラスのところを通って
マードレスの橋までどのくらい離れているかを。
あのメス犬はね、プラテーロ。
夜のうちにあの道を四回も行っては帰り
子犬を一匹ずつ食わえて運んだのだよ。
そして夜が明けてロバートが戸口を開けると
敷居のところであの犬が主人の顔を甘えた目で
見上げていたというのだ。
バラ色に膨れたちぶさには子犬たちが四匹とも
体をブルブルさせながらしがみついていて。
という病気の子供に子犬のスープを飲ませようとするという
かなりショッキングな展開なんですけども
牛乳売りの女性も自分の子供が病気で大変なことになっていて
必死だったということなんですね。
子犬のスープをおすすめしたドン・ルイースという人物は
他のエピソードで同名のドン・ルイースという医師が出てくるので
その人ではないかと言われています。
匂いを頼りに子犬を探し当てて長い距離を一匹ずつ
大切に子犬を運んだ母犬の行動がシンプルに胸を打ちますね。
自分の息子に子犬のスープを与えようとした女性も
その子犬を連れ戻したメス犬も
どちらも自分の子供のために行動したわけですね。
日曜日というとてもほっこりするエピソードも
ぜひご紹介したいんですけども
これはお祭りがある日曜日に
ほとんどの人がお祭りを見に町へ繰り出していく中で
ヒメエネスとプラテーロは二人きりで
お気に入りの丘に登って静かな時間を過ごすんですね。
騒がしいお祭り騒ぎは好きじゃないわけですね。
プラテーロも丘の草原を自由に歩き回って楽しそうにしていて
ヒメエネスは草原に寝転んで
ペルシャのオマルハイアームという人が書いた詩集をゆっくりと読んで
その隣でプラテーロはのんびりと草を食べていたりします。
このエピソードの最後の一節がとてもいいんですけども読みますね。
45:04
二人の関係性や空気感が伝わってきてすごく好きなエピソードですね。
続いて古い墓地というエピソードでは
ヒメエネスがプラテーロと一緒に古い墓地にお墓参りにやってきます。
普段はロバを墓地に入れてはいけないとお墓の番人に言われているんですが
ヒメエネスはどうしてもプラテーロと一緒にお墓参りがしたくて
こっそりとプラテーロを墓地に連れ込むことに成功します。
読みますね。
古い墓地
私はねプラテーロ君も一緒にここへ入ってきて欲しかったのだよ
だから墓掘り人に見つからないようにして
レンガ職人のロバたちの中に君をこっそり入れておいたのさ
やっと静かになったぞ
さあ行こう
ご覧これが聖ヨゼフの区画だよ
鉄の柵が壊れている薄暗い
そこの緑の隅っこは歴代の司祭たちの墓地だ
石灰を白く塗ったこの小さな一角は
西空を背にして午後3時のギラギラする日差しに溶け込んでいるが
これは子供たちの墓だよ
さあさあこれは提督さんの墓
これはドニア・ベニータ
この溝のように低くなっている列は
これは貧しい人たちの区画だ
プラテーロ
雀たちが糸杉の木々に出たり入ったりしているよ
ねえなんと楽しそうなこと
あそこのサルビアの花の間に八頭が一羽見えるね
あの鳥は壁の墓の中に巣を作っているよ
ほら墓掘り人の子供たちだ
ご覧赤いバターをつけたパンをずいぶん美味しそうに食べているね
ほらプラテーロ白い蝶が2つ
新しい区画だ
お待ち…聞こえる?
鈴の音だ
3時の乗り合い馬車が街道を通って駅へ行くところだな
あれは風車小屋の松の木だよ
さてこれはルトガルダおばさん
これは船長さん
これはアルフレディとラーモス
私が子供の時ある春の日の午後
兄とペペ・サエンスとアントニオ・リベーロと一緒に
この友達の白い小さな羊をここへ運んだっけ
し、あれはリーヨティント行きの汽車が鉄橋を渡っている音だ
さあついておいで
プラテーロこれはね
あんなに愛らしかった血覚の少女
あのかわいそうなカルメンのダヨ
ご覧日の光で輝いているそのバラを
黒い瞳のままで生きられなかった月下光の花のような少女が
ここに眠っているのだよ
それからこれがねプラテーロ
48:01
私の父が
プラテーロ
ということで
ヒメーネスは自分の最大の理解者だったお父さんのお墓に
今の自分が一番心を許している存在であるプラテーロを
連れてきたかったんだと思います
とても胸に迫るエピソードになっています
広大な農地とワインの醸造所を持っていたヒメーネスの家だったんですが
お父さんが亡くなった後で家は傾き
そもそもこのモゲールの町自体の開運業も
この頃にはもう壊滅状態になっていました
ヒメーネスはこの故郷のモゲールで
本当に煌びやかな栄光映画と
あまりにも突然の没落の両方を味わうことになったわけなんですね
そして親友のプラテーロとの別れもまた
あまりにも突然に訪れることになりました
ある日プラテーロがぐったりと衰弱して
亡くなっているのに気づいたヒメーネスは
すぐに獣医を呼んで見てもらうんですが
獣医はゆっくりと首を横に振るんですね
獣医によると何か毒性の植物に当たったのではないかと言うんですが
そしてあまりにも悪気なくプラテーロはお昼頃に死んでしまうんです
静まり返った馬屋の中にはプラテーロが好きだった蝶が
ひらひらと飛んでいました
プラテーロが死んでしまった後も何編か物語は続くことになります
最後から一つ前の編は
ボウル神のプラテーロというエピソードになっていて
これもすごく印象的なので読んでみたいと思います
ボウル神のプラテーロ
プラテーロ、今から1年前にね
君の思い出として書いた作品集の一部分が人間世界へ出ていった時
君と私の女友達がこのボウル神のプラテーロを私に送ってくれたのだよ
そちらから見えるかい?
ほらね、体の半分は灰色で半分は白いよ
口は黒と赤に塗ってあるね
目はとてつもなく大きくて一面に真っ黒
ボウル神のプラテーロにはバラ色と白と黄色の薄髪の造花を刺した鉢を6つ乗せてある
ごとごと回る車輪を4つ付けた青色塗りの板に乗って
頭を動かしながら歩くよ
プラテーロ、君のことを思い出しているうちにね
私はこのおもちゃの小さなロバがだんだん可愛くなってきたのだよ
私の書斎に入ってくる人は誰でもニコニコしながら
51:03
プラテーロと呼びかける
もし知らない人がこれは何ですか?と尋ねるならば
私はプラテーロですよと答える
プラテーロという名前は私の気持ちにすっかり染み付いているものだから
たとえ今は一人ぼっちでもこのロバが君であるような気がし
私はこの目で可愛がるのだよ
それで君は?
人間の胸の中の記憶なんて本当にひどいものだね
このボール髪のプラテーロの方がこの頃では本物の君よりも
もっとプラテーロらしく見えるのだよ
ねえ、プラテーロ
ということで
アリシヒノプラテーロを好きだった人たちが
ボール髪のプラテーロにプラテーロと呼びかける
ヒメーネス自身も目に見える存在として
身近にあるボール髪のプラテーロに感情を引入していく
なんかわかるなぁと思いましたね
モゲールでのプラテーロとの生活を終えたヒメーネスが
その後どうしたかなんですが
1913年セノービアというプエルトリコ人の女性と
ヒメーネスは恋に落ちてその後結婚することになります
1914年にはプラテーロと私が初めて本になり出版されました
結婚したヒメーネスとセノービアは
マドリードに信教を構えて暮らし始めるんですが
1936年にはスペインで内戦が始まるんですね
この内戦は当時の政権だったスペイン共和国に対して
軍人のフランコ将軍率いる反乱軍が
フーデターを起こしたことによって始まりました
1937年にはフランコ将軍を支援したナチスドイツによって
ゲルニカという都市が爆撃され
ピカソの作品であるゲルニカが描かれるきっかけになりました
ヒメーネスとセノービアの夫妻は
内戦が始まった直後にスペインを出国し
生きて再び母国に戻ることはありませんでした
その後二人はプエルトリコに定住します
そして1956年
ヒメーネスはノーベル文学賞を受賞することになるんですが
その時点でセノービアは病床に伏せており
とても悲しいことにそのノーベル文学賞受賞の知らせが届いた
数日後に亡くなってしまいます
その2年後の1958年
ヒメーネスもまた亡くなり
二人の亡き殻はヒメーネスがプラテーロと暮らした
54:00
モゲールに送られ埋葬されることになりました
プラテーロと私の最後のエピソードで
ヒメーネスがプラテーロのお墓参りをしているシーンがあるので
プラテーロのお墓もまたモゲールにあることは間違いないようです
勝手な思い入れや感情ではあるんですが
ヒメーネスのお墓もプラテーロのお墓もモゲールにあるということを知って
何か僕自身が救われたような気持ちになっているということをお伝えして
今回は締めとさせていただきます
プラテーロと私
本当に素敵な作品なので
いろんな出版社から翻訳本が出ていますので
ぜひチェックしてみてくださいね
セミラジオではお便りを募集しています
概要欄のフォームやハッシュタグセミラジオでご感想いただけると嬉しいです
今日はある一人の主人と彼に寄り添った一頭のロバの物語
プラテーロと私についてお話しさせていただきました
ご視聴ありがとうございました