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2023-03-21 20:15

新潟ロシア村と富士ガリバー王国

かつて存在したテーマパーク「新潟ロシア村」と「富士ガリバー王国」についてお話しました!


・廃墟ファンに愛される新潟ロシア村

・バイカルアザラシの愛称を募集していた

・巨大プロジェクトの光と影

・全長45mのガリバー像

・某宗教団体の施設跡地(付近)に建設


新潟ロシア村(wiki)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%9D%91


新潟中央銀行(wiki)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%8A%80%E8%A1%8C


新潟ロシア村跡地の写真が見られるページ

https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/news/00001/02211/?ST=msb


新潟ロシア村の記録(阿賀野市ブログ応援隊)

https://blog.goo.ne.jp/agano1/c/00f06c1d121349a550efb806ba7d1f78


富士ガリバー王国(wiki)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E7%8E%8B%E5%9B%BD


不気味なガリバーが横たわる廃墟「富士ガリバー王国」跡地の現在(スパイシー)

https://spaicy.jp/fuji-gulliver-kingdom


ガリバー王国と館林見晴(みきはる)

https://yogurtmushroom.hatenablog.com/entry/2019/04/07/150535



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00:02
みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、セミヤマです。
今日は、かつて存在したテーマパーク
新潟ロシア村と富士ガリバー王国についてお話ししたいと思います。
今回はテーマパークについてのお話なんですが、
このセミラジオでも以前、僕の地元の山梨県にある遊園地についてお話ししたことがあります。
第22回の山梨県唯一の動物園にあるカオスすぎる遊園地という回なんですけども、
あとは山梨県にあるテーマパークという括りで言うと、
藤五甲地域にあるフジキューハイランドという遊園地が有名ですね。
まずは新潟ロシア村というかつて存在したテーマパークについてお話ししていきたいんですけども、
新潟ロシア村は1993年に新潟県北カンバラ郡笹上村、現在の阿賀野市笹上地区に
ロシアとの文化交流を目的としたテーマパークとして建設されました。
ロシア民族舞踊の実演や的漁師家など民芸品の販売、
ロシア料理のレストラン、マンモスの骨格標本の展示、
ロシア固有種のバイカルアザラシの飼育展示など、
ロシアの文化やフードに触れることができる総合テーマパークとして運営していたんですね。
園内にはランドマークであるスーザリー教会をはじめ、ロシア風の建物が立ち並んでいました。
開園当初は大きな話題になったそうなんですが、交通の便が悪く入場者が伸び悩み、
開園10周年にあたる2003年には休業状態になりました。
そして業績回復の見通しが立たないことから、そのまま2004年に閉園を迎えることになりました。
2004年の閉園以降も建物などはそのまま残されて、廃墟ファンの間で愛好される存在になっていきました。
新潟ロシア村廃墟なんかで検索すると、閉園後の写真を多数見ることができます。
心霊スポットとしてテレビ番組の取材が入り、放送されることも度々ありました。
そんな中、2009年に不審日によってホテル棟が全焼をするという火災事件が発生しており、火災の後では園内施設の撤去が進められました。
現在も教会棟や一部のホテルは残っているようなんですが、新潟ロシア村の跡地一帯は企業の所有になっていて、
03:11
現在はメガソーラー発電所として運営されていて、一般の立ち入りは禁止されているようです。
そのロシア村の跡地にできたメガソーラーの写真を見たんですけど、
切り開かれた森の中にびっしりとソーラーパネルが置かれて、その端っこにスーズダリ教会らしき建物が見えて、恐ろしいものを見せられたなぁという感じがしました。
概要欄に写真が見られるリンクを貼っておきますので、ご興味があればチェックしてみてくださいね。
で、ここまで新潟ロシア村の概要をお話ししてきたんですが、そもそもなぜ急に新潟ロシア村の話ししてるの?っていうことですよね。
順を追ってご説明させていただければと思うんですけども、そもそもの発端はうちの奥さんのバクコとの会話からでした。
最近バクコと話していた時に、山梨県にロシア村という施設があったという話が出まして、話を聞いてみると、そこはどうやらバクコの記憶によると山梨県の中央市のあたりにあった施設で、
どんな施設だったかというと、棚に所狭しと並ぶ大正の的漁師家、ロシアにまつわる本、ロシアの絵付絵細工など、ロシアの伝統工芸を見ることができたようです。
で、気になって山梨県ロシア村とかで調べてみたんですけど、全く情報が出てこないんですね。
なので、実はバクコが子供の頃に一度だけ訪れたという山梨県のロシア村については未だに謎なんですよね。
今のところネット上で一件も情報を見つけることができてないんですよ。
もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると嬉しいんですけども。
その代わりにヒットしたのが今回の新潟ロシア村だったんですよ。
山梨のロシア村の情報は全く見つからなかったんですけども、新潟ロシア村の情報はネット上で大量に見つけることができたんですね。
で、いろいろ調べているうちにこの新潟ロシア村に当時何度も訪れていて、当時のパンフレットや資料を保管されている方のブログにたどり着いたんですね。
06:02
そのブログはあがのしブログ応援隊というタイトルのブログで新潟ロシア村の記録というカテゴリーで100記事近く投稿されていて、新潟ロシア村についてはおそらく最も情報量が多いサイトなのではないかと思います。
こちらも概要欄にリンクを貼っておきますのでぜひチェックしていただきたいんですけども。
で、このブログでは新潟ロシア村のパンフレットの画像などから当時の様子をうかがい知ることができてとても面白いんですよね。
バイカルアザラシの愛称を募集してたんだとか、こういうレストランがあったんだとか、新潟ロシア村のwikipediaを見るだけではわからない当時のフィーリングを感じることができるんですね。
で、そういうパンフレットとか当時のロシア村の楽しげな雰囲気を垣間見ることができる一方で、この新潟ロシア村の記録では新潟ロシア村の生々しい不の側面についても触れていて、それも含めてすごく興味深かったんですね。
そもそも新潟ロシア村はなぜできたのかなんですけども、旧笹上村の後に新潟ロシア村が建設されることになる土地を持っていた方が、新潟の不動産屋へ土地を売却したそうで、で、人手に渡ったその土地には有効活用のためにケーマンゴルフ場が開業したんですね。
ケーマンゴルフというのは飛距離が通常の約7割のボールを使うため、通常のゴルフ場よりも小さな面積で運営できるゴルフ場なんだそうです。
で、そのケーマンゴルフ場に人を呼びつつ独立して収益を上げるための施設として新潟ロシア村建設計画が浮上したそうなんです。
この新潟ロシア村、想像以上に多くの人が関わり、動くお金も大きいプロジェクトだったようで、この新潟ロシア村の構想を立てたのは当時の新潟県知事だったそうです。
なんですけど、この当時の新潟県知事が1992年に失脚するんですね。
なぜ失脚したかはここでは詳細は言わないでおこうかと思うんですが、
この元新潟県知事の失脚によって笹上村から新潟市をつなぎ、ケーマンゴルフ場やロシア村へのアクセスを強化するはずだった道路の新設計画は大幅な変更を余儀なくされました。
09:04
まあそれが良いか悪いかは別にして、当初立てていた計画が狂ってしまったんですね。
これが新潟ロシア村の開業前の話ですから、オープン前からすでに大きく計画は狂い始めていたんですね。
新潟ロシア村が建設された当時、日本はすでにバブラが崩壊していて、すでにこういう地方に大規模リゾートを作って集客するというビジネスモデルが簡単に成功するような風潮ではなくなっていたという事情もありました。
そんな中で危機感を一番強く持っていたのが地域の旧笹上村やその近隣に住まれていた方たちで、新聞に反対意見のチラシを織り込んで新潟ロシア村の建設中止を求めた方や反対運動をされていた方もいたようです。
なんですけども、そんな状況の中、1993年に新潟ロシア村は開園を迎えることになったんですね。
先ほど新潟ロシア村の提唱者は当時の新潟県知事だったというお話をしたんですけども、この新潟ロシア村計画にはもう一人の中心人物がいまして、
それは新潟中央銀行というかつて新潟に存在した銀行の盗取でした。
この新潟中央銀行は1999年に経営破綻して現在は存在しないんですが、新潟ロシア村を建設するための資金はこの新潟中央銀行から出てたんですね。
この新潟中央銀行の盗取が主導で、新潟ロシア村と新潟県柏崎市の柏崎トルコ文化村、そして山梨県の旧上杭敷村にあった富士ガリバー王国という3大テーマパークがゴールデンリング構想なる計画の上で建設されることになりました。
この3つのテーマパークが一つの大きな計画の一部だったということなんですね。
新潟の2つはわかるんですが、最後の一つが山梨県というのがどういう経緯なのかと思うんですけど、この富士ガリバー王国の話はまた後で触れようと思います。
この3つのテーマパークはそれぞれ新潟中央銀行からその影響下にある開発会社に融資をする形で建設が進められていたようです。
12:03
そのゴールデンリング構想の結果生まれた3大テーマパークのすべてが破綻、閉園することになり、出資元である新潟中央銀行もまた破綻しました。
さらに盗取や経営人が自らの利益のために銀行に損害を与えたとして、旧商法の特別廃人容疑で逮捕されるなど、いろいろときな臭い展開になっていたようです。
そうですね、ロシアと日本の文化交流のシンボルとして立ち上げられた新潟ロシア村だったんですけど、きっとそこで働いていた方の多くは純粋にお客さんに楽しんでもらいたかったり、
自分たちが日本とロシアの架け橋になるんだという誇りを持って働かれていたと思うんですね。僕はそのことは本当に素晴らしいと心から思うんですよ。
でもそういう人たちを利用して、いろんな人や物を利用して、地域の人たちの生活や思いを踏みにじって利益を上げようっていう利権構造があったのかなぁと、そういうふうに見えてしまうんですね。
まあ、いまだに世の中、そういうことって少なくないですね。需要がなかったり、環境や人にものすごく大きな影響を与えるのに、ご利用しで勧められているものって、だいたい利権が絡んでるんですよね。
それを勧める過程で誰かの懐にお金が落ちるっていうことですね。全く需要がないのに勧められているあれとか、環境への負荷がものすごく大きいのに勧められているあれとか、生きていく中ですごく違和感を感じるものって多くが利権だと思うんですよね。
はい、話がちょっと大きくなってしまったので、続いてはさっきもちらっとお話にあがった富士ガリバー王国についてお話ししたいと思います。
富士ガリバー王国は1997年に山梨県の旧上久井敷村に作られたテーマパークです。この場所は現在は南鶴群富士川口湖町に編入されています。
このテーマパークも建設のための費用を出していたのは新潟ロシア村と同じゴールデンリング構想でおなじみの新潟中央銀行でした。
僕の地元である山梨県にあったテーマパークということなんですけども、山梨にあったというロシア村を探し求めて新潟に遠征したつもりでいたんですが、なんとまた山梨に戻ってきてしまったということなんですね。
15:19
富士ガリバー王国ってどんなテーマパークだったのということなんですけども、当時の公式サイトがアーカイブで残っているので、ちょっとその説明文を引用させていただきますね。
富士ガリバー王国は環境自然との共生をコンセプトにしたアニューズメントエコロジーパークです。
十万坪の敷地内にはガリバー旅行記で有名なリリパッド国を想定したガリバー島、北欧の美しい街を再現した北欧村、富士山陸の自然を生かした触れ合い牧場、900メートルの世界初のアミューズメント用ボブスレーコースを誇るボブスレーランド、日本初大型バルーンを設けたバルーンワールドの5つのテーマゾーンからなっています。
北欧をイメージして開発した環境に優しいヒューマンタッチの夢と感動でいっぱいの施設です。
ということなんですけども、園内には全長45メートルのガリバーが横たわるガリバー島があり、この横たわる巨大なガリバーは富士ガリバー王国の象徴のような存在だったんですが、
残っている写真なんかを見ると正直かなり異様な雰囲気がありますね。
この富士ガリバー王国、旧上杭敷村と聞いてお気づきの方も多いんじゃないかと思うんですが、
宗教団体オウム真理教の施設サティアンがあった場所から3キロメートルほどの場所に作られました。
僕はつい最近までサティアンの跡地にできたと記憶してたんですが、サティアンの跡地そのものではなく少し離れた場所に作られてたんですね。
実際はそうだったんですが、当時はサティアンの跡地にガリバー王国ができるらしいみたいな印象を僕は持っていまして、
それについてどう思っていたかというと、正直意味がわからなかったんですね。
サティアンの跡地にガリバー王国?みたいな感じで、頭にいくつもハテナが浮かぶような感じでした。
あまりにも唐突すぎて理解できなかったんですよね。
その後富士、ガリバー王国には一度も行くことなく閉園し、新潟ロシア村と同じように廃墟になったわけなんですけども、現在は45メートルのガリバーも解体されているようなんですが、
18:07
テーマパークとしてのイメージ的にはマイナスからのスタートになってたと思いますし、実際破綻したわけですから、どういう判断だったのかなぁと思うんですけども。
なので地元に住んでいた僕からすると、意味のわからないまま始まって、そのまま終わったテーマパークという感じだったんですけど、
まさか新潟県の銀行が出資して作られていたなんて、本当に夢にも思いませんでした。
それと富士、ガリバー王国については、こちらもセミラジオ名物、シンクロニシティ案件なんですけども、
何回か前にフィフネルの宇宙服という曲と、トキメキメモリアルという恋愛シミュレーションゲームの登場人物、タテバヤシミハルについてお話をしたんですけども、
このタテバヤシミハルというキャラクターのイメージアルバムであるドリームオブユーというCDが発売されているんですが、
このCDのブックレットのページは、写真を加工した背景にタテバヤシミハルのイラストをコラージュしたものになってるんですね。
で、この背景写真の一部が富士ガリバー王国の写真なんですよ。
45メートルの巨大ガリバーとトキメキメモリアルのキャラのイラストがコラージュされているというものすごくシュールな絵面になっていて、
こちらも概要欄に貼っておきますので、ぜひチェックしてみてください。
セミラジオではお便りを募集しています。
概要欄のフォームやハッシュタグセミラジオでご感想いただけると嬉しいです。
今日は、かつて存在したテーマパーク新潟ロシア村と富士ガリバー王国についてお話しさせていただきました。
ご視聴ありがとうございました。
20:15

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