メンタルモデルの挑戦
どうもボブです。今日はですね、またメンタルモデルのお話をさせてもらいたいんですけど、
今日午前中にもですね、一度メンタルモデルについての解説みたいなことで配信をさせてもらいました。
僕の例も含めてお話をしてるんですけど、
今日ですね、介護の僕はケアマネージャーの仕事をしていて、
その中でこのメンタルモデルを使ったアセスメント、本人のですね、状態の確認だったり生活歴を確認していく中で、
このメンタルモデルを使って、その人が今何か不都合な現実があるとして、
その不都合な現実が何の感情に基づいて、過去の自分の生活歴の中で、
どこでそれが生まれたのかっていうのを把握して、そこに意識を向けてですね、
自分はこういう過去に傷が、こういう傷を負って、感情的な傷を負って、
今のこの自分の固定観念、信念を作り上げたんだ。
でも、この信念っていうのは今はもう必要ないから、別の信念に書き換えようね、
そういうふうな作業をするわけですけど、すごく難しかったんです。
なぜ難しかったかというと、何か今不本意な現実があるとして、
それに対していろんな対処をするんだけども、やっぱり自分の心の奥底の信念、
さっき言った信念、固定観念ですね、つまりは。
これがまた同じ、何か対処をしても同じ現実を作り出すわけですけど、
でも本人はその不本意な現実よりも、この過去に作り上げた、自分が作り上げた信念、固定観念の方が大事っていう場合があるんですよ。
なぜなら、この信念をもういらないよ、信念がいらないよ、
自分が作り上げてきたものがいらないよってなったら、今までの人生がもう意味なかったかのようなガラガラと崩れ落ちるような感じがする。
だからこの固定観念は持っておきますっていうような意思がある、そういう方が今日いたわけです。
しかも二人。
そうかと、そうだよな、だって今まで本当に自分の中苦しいことがあって、嫌な出来事があって、傷ついて、それでもうやむなく自分の固定観念っていうのを作り上げたわけです。
例えば、自分には価値がないとか、自分はこういう誰かに認められてないと自分は価値がないんだっていうことを強く思っていくタイプの方、価値なし型っていうんですけどね。
そういう方はやっぱり、例えば今価値がないことで作り上げてきた地位だったりとか資格だったりとか、何かこう自分が身につけたものがあったりするわけですよね。
それをもうないものにはしたくないんですよね。手放したくないんです。
そして、自分は愛されてない。いろんな過去に虐待にあった方だったりとか、みんながそうじゃないですよ。あくまで一例ですけど、家族が離婚して寂しい思いをして自分は愛されてなかったとか、いろんな出来事で作り上げてきた愛なしモデル。
でも、これは自分が誰かに奉仕をして尽くしてやっていくことで、自分が愛されてるっていう感覚を得ようとする。
一生懸命、あんまりやりたくないんだけどボランティアめちゃめちゃやるとか、本当はしたくないことなんだけど、誰かに愛されたいっていう根底の思いから行動をやっていく、そういう方もいるんですけど。
でも、それがあるから今の自分があるわけで、ここを直視したくないとか、ここを崩したくない、そういう感情があるなあ。
これもメンタルモデルを開発したユサミカコさんだったら、もっと上手な形で気づきを与えて、そっかーっていう風に気づかせてあげることができるはずなんですけど、僕まだまだやなーって思いましたね、やってみて。
高齢者の望む治療
もう一つ、私は一人ぼっちだっていう、そういうメンタルモデルもあります。一人ぼっちだっていうのも、誰も理解者がいない、だけどそれでもいいんだ、一匹狼でやっていく、そういう方もいるんですけど、それもいろんな出来事があって、そうせざるを得なかったんですよね。
でも自分でやってきたこの自信やプライドあるわけですよ。そのプライドを崩したくはないんですよね。これで崩れるわけじゃ決してないんだけども、でもこれがいらないんだよって、今の自分にはもう不要なものかもしれないよ、今までは大事だったけどねっていくら言っても、それをもう手放すってどうしたらいいのっていう風になっちゃいますよね。
あと、欠陥欠損型。おそらく僕がこれのタイプなんですけど、自分は何か足りない、何かやってもやっても認められない、そういう風なメンタルモデルを持ってるんですけど、
これも自分で一生懸命資格を身につけたりとか、スキルを身につけたりとか、いろんなことをやってきて、どうにか自分はまだまだ出来ない部分あるけど、それでも出来ることもたくさん増えてきた。
この自分を手放したくない。そういう難しさがあるなと思いました。
カウンセリングをイサミカコさんが、この社長を切らせていただきますっていうYouTubeで話してるのは、その社長さんたちはどうにか自分の今の不本意な現実をどうにかしたいっていう、そういう思いで相談に来て、どうぞ自分の心を見透かしてくださいというつもりで入ってきてるから、
だからもしかしたら、うまくスムーズにいく部分あるかもしれないんだけど、
高齢者、介護を受けている高齢者の方は別に自分の内側をどうにかしてくれなんて思ってないわけですよね。自分の外側をどうにか対象療法をしてくれ。今の苦しみをどうにかやってくれ。どうにか軽くしてくれ。
そういうふうな対象療法を求めていて、本当の根本治療は望んでないかもしれない。
もうひたすらね、内面に目を向けるっていうことをいろいろ話しながらやっていってたんだけども、それよりショートステイ行かせてくれっていうね、その対象の方に意識が向いてしまうとか、それが悪いことじゃないんだけども
そっちの方にどうしてもすぐ今までの意識はそっちに行っちゃうんですよね。
だから、介護の状況で、特に体が満足に動かない、何か行動で対処しようとしても、なかなか高齢者の方ってうまくいかないからこそ、内面に目を向けて、内面の方が変わると今の捉え方も変わるし、起こってくる現実そのものも変化してくる。
可能性がある。
だからすごくいいんじゃないかなって思ったんだけども、本人は自分の深いところ、内面には目を向けたくないし、それを動かされたくない。
そういうのが強かったなーって思いますね。
だから今日いろいろ話をしたんだけども、すっきりはうまくいかなかった。
感情へのアプローチ
でもこれもすっきりうまくいかせようとしている自分の自我、エゴがあるわけですよね。
だから今日はこれで良かったかもしれない。
後でメールが届いたんです。
今日お話しした方からですね。
こんなに話を聞いてもらったこと今までなかったです。
そして自分の内面を昔のことを思い出して、今の自分を誇らしく思えました。
自分を褒めたいと思います。
っていう風にメールが送られてきました。
だから一つ、今日の時点ですぐに何か変化が起こらないとしても、それはそれでいいんだ。
今日話したことで、久しぶりに過去に目が向いたりしたことで、何かこれから捉え方が変わったりとか、何かしらの変化があるかもしれない、ないかもしれない。
それは今の本人のタイミング次第ということで、これでとりあえずはOKかなとは思いました。
ただ本当に、こういう人に最終的には自分の過去の感情に目を向けるわけですけど、
僕がやっている超想診断とか超心セラピーっていうのは、こういう目を向けたくない部分の感情に対してアプローチができるんですよね。
だから本当は、今この場でお腹触ってもらって、そこに反応した部分を癒してあげるっていうセラピーをやりたいぐらいだったんだけども、
介護の現場でこういうことはやっぱり望まれてもないし、本人もそれでセラピーを受けたいというわけじゃないし、言ってもないんですけど。
だから特にはしてないんですが、でも本当にこういうカウンセリングをしながらセラピーを組み合わせていくと、
もしかしたらすごくピンポイントで深い部分の感情にアクセスできるかもしれないなってすごく思いました。
なので超心セラピーのいいところは、自分で自分の感情にダイレクトに目を向けなくていいんですよ。
自分のお腹に反応が出た部分、そこを癒すっていうことがセラピーでできるので、
もうこれが何なのか本人が分からないとしても変容が起こるっていう、そういう部分なんですね。
今話を、その人が過去の出来事で自分のネックになっている信念、その感情に目を向けた時にお腹に必ず反応が出てるはずなんです。
今日話している中でも絶対にお腹に反応は出てたはずなんですよね。
意識して目を向けると、何かどっかが張ってるなとか、痛みが出たなとか、ちょっとした変化が出てるはずなんです。
そこをセラピーで癒していくっていうことができれば、もう無意識の変化が起こってくるはずなんですね。
これを組み合わせた部分で、今後セラピーをさらにレベルアップしていきたいなと思ってますので、
興味のある方、直接お会いできる方がセラピーの対象にはなるんですけど、
Zoomとかで調走診断、お腹の反応の部分がどこの部分で、それがどういうメッセージがあるのかっていうのはお伝えがZoomとかでもできるので、
この調走診断も上手に活用してもらえると、いろんな悩みや困ってる心相心理の部分にアプローチしやすいんじゃないかなって思いますので、
興味のある方、いつでもお声掛け、メッセージ、コメントください。
ではでは、ご視聴ありがとうございます。