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どうも、ボブです。
あの、ちょっと例え話なんですけど、
学校のクラスでですね、A君とB君がいたとします。
A君が、ある時、B君を殴ったんです。
ボコーンと。
力で言うと、A君の方が圧倒的に強いんですよね。
で、強いA君がB君をボコーンと殴った。
で、B君は痛い〜と。
でも、必死にやり返してるんですね。
この野郎〜って言って。
で、負けるもんか〜って言って、ずっとやり返してる。
それを見たクラスのみんなが、
うわ〜B君が可哀想〜。
A君ひどいやつだな〜って言って、
A君をみんなが無視し始めたんですね。
こいつ悪いやつだ。
こいつは無視しようって言ってね、
ちょいちょい嫌がらせをクラスのみんながするようになった。
で、殴られたB君も助けてくれと。
で、A君はひどいやつだ。みんな助けてよ。
君も助けてくれるよね。
助けてくれないって逆にどういうこと?みたいな感じで助けを求めている。
で、周りもそれに賛同してね、
A君悪いやつだ〜悪いやつだ〜。
無視しろ〜。嫌がらせしろ〜。
ってみんなが言う。そういう状況。
でもこれ、まあ学校だとしたら、
あとまあ職場だったり、まあ人間関係の中で考えるとしたら、
こういう解決の仕方、いいんだろうかって思うんですよね。
で、殴った方、殴られた方がいますけど、
殴った奴がとにかく悪いやつだっていうことで、
関係のないクラスみんながそいつを無視したり嫌がらせしたりする。
これって本当に正しいことなんでしょうか?
例えが悪いかもしれない。
何の例えをしているか、
わかる方もいるかもしれませんが、
いや、置き換えてみると、
ですよ、これって本当にどうなのかなって思ったりするんです。
普通だったら、例えば、
なんでA君殴ったの?先生が入ってきてね。
なんでA君そんなことしたのよって聞くじゃないですか。
そしたら、よくよく聞いたら、元からA君、
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元からね、嫌われてて、クラスの何人かからですね、嫌われてたんです。
そしてちょいちょいA君も嫌がらせ、もともとされてたんですよね。
じわじわ、じわじわ、そのA君を嫌いな人たちが増えてきて、
席の周りはもう、自分を嫌っている人だらけにA君になっちゃってたんですよね。
で、そんな時にB君は元々友達だったんです。
B君は友達だったんだけど、急に裏切っちゃって、
そのA君を嫌っている人たちの仲間になっちゃった。
そうなった時に、なんでだよ、今まで友達だったんじゃないのかってなって、
ボコーンと殴った。
殴り方はえげつないので、ボコボコ殴っちゃったもんだから、これはこれで良くない。
A君も良くない。
でも、だからといって、これA君とB君のもともとはですよ、
A君とB君の中での問題なわけですよね。
背景はいろいろあったとしても。
このA君とB君の中の問題を、クラス全部が、
うわぁ、かわいそうって言って、A君を叩きまくる。
この構図どうなんだろう。
A君がちょっとでもその後、何か発言したら、みんな無視。
みんな席を立って、さーっと教室から出ていく。
もうこいつもう、はぶろう、はぶろうぜ。
もうこいつの言うこと聞くんじゃねえよ。
もうもう、あっち行け、あっち行け。
もうみんなで、あの、A君を叩こうぜ。
こんな解決方法ありますか。
ね、学校の先生がそんな解決方法していいんですかね。
そんなことしたら、A君転校するか、もっとブチ切れて、もっと悪いことするか、
もうそれしかないですよね。みんな敵なんだから。
A君が、なんでそもそもそんな周りの人たちから嫌われてるのか。
なんで、そのA君の周りの人たちは、A君にそういう関わり方をしたのか。
そこらへんちゃんと、もうちょっとね、第三者が、第三者がわーわー叩くんじゃなくてね、
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第三者がちゃんとそこらへんを見てあげないと、
この喧嘩、いつまで経っても終わらないどころか、悪化するばっかりになるんじゃないでしょうかね。
喧嘩両成敗って言いますけど、
ここまで来たら、A君だろうがB君だろうが、あとクラスの他の人たちも、みんな悪いやつ。
みんな悪い子で、みんなが反省しないといけない。
そんな感じじゃないですかね。
挙句の果てにはね、B君が、もうあの、いやいやここも、ここも殴られた、あそこも殴られた、ここももう骨が折れて痛い。
ちょっとね、B君はB君で、もう殴られたことをむちゃくちゃ大げさに言ったりとか、
実際たくさんね、殴られた痛い傷もたくさんあるでしょうし、
だけど、もうみんなにそれをね、うわーって言いまくる。
で、A君はA君で、嘘800ね、あのー、
周りのね、僕のことを嫌ってた人たちから、こんなことされた、あんなことされた、それも嘘。
嘘も混じってる。
もうお互いがね、いろいろ、
こう、腹をくくって、え?腹をなんて言うんだ?
もうあの、腹を割ってか、腹を割って、ちゃんと本音で話すっていうことが、そもそもできてない。
そこからなんですよね。
クラスや先生の道場を買って、どうにかしようっていう考えが、そもそもね、おかしくて、
ちゃんと、自分の本心で実際、こうだよ、こうだからこうしたんだよ。
A君とB君がちゃんと話さないとですね、こんなのを当たり前ってしてしまう。
それをね、例えば、子供が、ちっちゃい子供がそれを、その状況を見て、
あ、これが当たり前なんだ。
悪いことしたA君は、みんなからはぶられて、みんなから無視されて、意地悪されて、当然なんだ。
これがまかり通っていいんでしょうか?
僕は自分の子供に、そんな、そんなのが当たり前なんだよって言いたくないなって思いますね。
まあね、その実際のところ細かい部分は、当然わからないので言っちゃいけないんですけど、
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それでも、世界の大人たちが、こういうことをしているようなふうに見えますよね。
本当にそれでいいんだろうか?それを見た子供たちは、これが当たり前だと思っていいんだろうか?
そういうふうにちょっと、なんかこう心配に思います。
大人の社会でも、普段の仕事の中でも、小さないじめ、小さな戦争、そんなものがたくさん横行しているような気がします。
恥ずかしい限りです。
少なくとも、大きな話は置いといて、自分の周り、自分の中では、
こういった争いを極力なくしていく、これが大事じゃないかなと思いましたね。
ではでは、ご視聴ありがとうございます。