授業参観の様子
こんにちは、はるままです。8歳の男性の男の子と小学校5年生の女の子を育てています。
今日は2024年4月22日火曜日の朝に撮っているんですが、
昨日、お姉ちゃんの小学校の授業参観と学級懇談会があったんですよね。
昨日の授業参観は、学年合同の授業参観で、外部から講師の方をお呼びして、
初めての子たちと先生がおっしゃっていたんですが、
タイトルが、多様性時代の生き方、相互理解と寛容について。
一番最初に子どもたちの間で道徳の授業があって、その後に講師の先生からのお話があったんですが、
一番最初の道徳の授業の内容は、
事前に子どもたちが道徳の教科書のある文章を読んだ上での話し合い、議論みたいなことしの授業参観だったんですが、
親の私たちはその内容を知らないので、
掲示された画面上に映されている図しか見えていなかったんですが、
その図の中には登場人物が4人いて、
その授業参観で聞いた内容によると、
私という女の子が、どうやらAさんに何かものを申したようだと。
で、そのくらい言ってもいいんじゃない?
そのくらい強く言わなきゃ伝わらないよっていう矢印と、
Aさんから私に向けられてた矢印が、正しいこと言ってるのにどうしてっていう矢印と、
私からBさんに向けられてる矢印が、
言いたいことを言ったら友達がいなくなっちゃうっていう矢印と、
Bさんから私に向けられてる矢印は、
人によって言い方がコロコロ違うから信用できないっていう矢印と、
BさんからAさんに向けられた矢印は、
言ってることは正しいんだけど言い方がきついんだよっていう矢印と、
AさんからBさんに向けられた矢印が、ごめんねっていう、
違う、ありがとうっていう矢印。
で、AさんからCさんに向けられた矢印が、ごめんねだったんですよね。
その授業の内容としては、
なんで私は本当のことを言ったら友達がいなくなっちゃうって思ったんだろうとか、
なんでBさんは言い方は、
言ってることは正しいんだけど言い方がきついんだよって言ったのかなとか、
なんでAさんは正しいこと言ってるのにどうしてって思ったのかなとか、
そういう感じで授業が進んでいって、
子どもたちから思ったこと、意見を引き出して、
先生がその意見をちょっと言い換えてもらって、
でも最終的には、これってすごい答えのない問題なんだよねっていう話になり、
どうやったら理解できたかな、お互いのことっていう問いがあったんだけども、
答えは出ずにその授業が終わったんですよね。
道徳授業の内容
で、すごいモヤモヤしたんです。全体では見えないの。
なんでBさんが、
人によって言ってることが違うと信用できないって、なんで私に対して言ってるんだろうとか、
B、Aさんから私に対して向けられた矢印の中に、
正しいこと言ってる、私の言ってること間違ってないって言ったんだけど、
正しいこと言ってるのになんで、みたいな矢印だったかな。
なんでそう、正しいこと言ってる、正しいことってなんだろうとか、
あと、私からAさんに向けられた矢印の中に、それくらい言ってもいいんじゃないっていう矢印が、
それくらいって何を指してるんだろうとか、
AさんからBさんに向けられた、
あ、違う、BさんからAさんに向けられた、
言ってることは正しいんだけど、言い方がきついんだよっていうのはなんとなく理解できたし、
それに対してAさんがBさんにありがとうって言ったのもなんとなくわかるんだけど、
なんでAさんがCさんに向かってごめんねって言ってるのか、
全然わからなくて、全容がわからないなと思って、
もやもやしながら家に帰って、
お姉ちゃんに道徳な教科書を出してもらって読んだんです。
それでやっと全体像がつかめたんですけど、
その話の全体像としては、
まず一番最初の事象、言葉だとして、
Cさんが学校クラスの本を借りて、学級文庫を借りて自宅に持ち帰りました。
そしたら、Cさんが学級文庫の本を汚してクラスに持ち帰ってきた。
それを見たAさんが、
Cさんが学級文庫を汚して持って帰ってきたのは、今回は初めてじゃない。
前にも同じことがあったよね。
だから、Cさんには学級文庫を貸さないっていう風に言ったっていうのがまず事の始まりなんですよね。
それに対して、私がAさんに対してそれぐらい言ってもいいよねって思っていて、
そこにBさんが現れて、
言ってることは正しいんだけど、言い方がちょっときついよって言ったんですよね。
そこにそれに対して、Aさんが正しいこと言ってるのにどうしてって思ったわけですよ。
そこでまたBさんが出てきて、
どうしてCさんが本を汚してきてしまったか考えてたことある?みたいな言い方をして、
実はその背景の中には、Cさんのお家の中には小さい弟がいて、
Cさんは汚してないんだけど、弟がちょっかい出して汚しちゃったんじゃないかなって言ったんですよね。
BさんがAさんに対して。
で、言ってることは正しいんだけど、言い方がきちいんだよって言ったんです。
それに対してAさんが、
あ、そうか、私言っても言葉がきつくなってしまうから、
どうしても、なんだろう、
どうしてもってか、私言っても言葉遣いがきついんだよね、ごめんね、ありがとうみたいな言い方をしたんですよね。
で、AさんはCさんに対してごめんねって謝った。
で、その一連の流れを見ていて、
私が、え、なんでそうなるの?みんなおかしいよって思ったってことで話が終わっていたんですけど、
で、たぶん、その教科書の意図としては、
それぞれ、私とAさんとBさんとCさん、それぞれを理解する、
それぞれがお互いがお互いに理解し合うためにはどうしたらいいのかっていうのを話し合ってくださいっていう意図でそういうのが作られたと思うんですけど、
大人でも難しい問題だとは思うんですが、
昨日のその授業の持っていき方はすごくこう、
なんか残念だな、残念だなと思って見てましたね。
それぞれの気持ちを、
子供に聞いてどうかなって聞くのはよかったんですけど、
問いかけ方がなんかちょっと中途半端に終わってたなっていう気がしていて、
昨日の問いの中には、
私の思い、考えについて子供たちに意見を聞くっていう場面と、
Bさんの発言や思いに対して子供たちに意見を聞くっていう場面が多く見られたんですが、
Aさんの発言の背景とか思いについて子供たちに意見を聞くっていう場面がすごく少なかったのと、
Cさんの行動の背景や思いについて聞くっていう場面がなかったので、
全体像がつかめてなくて相互理解には至らないなっていうふうに私は思ってしまったんですよね。
講師の話と授業の印象
大人でも難しい問題を授業で取り上げているので、
先生も若い先生だからなかなか難しいと思うし、
私の考え方が正しいわけでもないので違いには言えないんですが、
なんかもやるなって思いましたね。
昨日お姉ちゃんに帰ってきてからどうだったって聞いてもよくわかんないとか言ってたから、
これは果たしてどうなんだろうなって思いながら帰ってきました。
私の考えとしては、その授業の相互理解をするためにはどうしたらよかったのかっていう問いに対しては、
それぞれの意見を聞くと。
私とAさんとBさんとCさんの意見を聞くと。
起こった事象、起こった出来事は何なのかっていうのをまずはっきりさせて、
それぞれの考えていること、思いをはっきりさせて、
その背景には何があったのかっていう深掘りまでいけば、
もうちょっとその相互理解が深まったんじゃないかなっていうふうに思ったんですよね。
そこまで持っていくのって子どもたちにとっては、
そういう考え方のベースじゃないけど、
こういう考え方があるんだっていうのがないと、なかなかそこまで思いつかないと思うので、
大人でも難しいと思うし、
私も昔の私だったら表面的なことだけ考えて関係してしまっていたんですが、
ボイシーとかポッドキャストとか聞くようになって、
事実と感情を分けなきゃいけないっていうことと、
それぞれの言動の背景には何があるのかっていうところまで深掘りしないと、
相互理解するためには事実と感情を分けて、
それぞれの人たちの背景まで深掘りすることが大切だっていうのを学んだので、
こういう発想が出てくるんですが、
なかなか難しいっていうかどうしたらいいのかなっていう。
これを私がデシャバって教えるのも違う気もするし、
でも知ってほしいしっていうもどかしさがありましたね。
その後に外部の講師の先生からのお話があったんですが、
タイトルが多様性時代を生き抜くためにみたいなタイトルだったので、
めっちゃ期待してしまっていたんですけど、
内容としては何が言いたかったんだろうな。
ここが重要だよって先生がおっしていたのは、
チームで何かをやっていくためには、
心理的安全性が大切なんだよっていうのを伝えていたんですが、
あんまり頭にそこ残ってなくて、
お姉ちゃんは何が一番印象に残ってるって聞いたけどわからないって言ったし、
子どもたちにとってはちょっと難しい内容だったかな。
最初、場を和ませるためにクイズをしてくださったんですよね、先生が。
私の名前、苗字は何でしょうっていうクイズとか、
私はどこの大学、学校に勤めている人でしょうっていうクイズとか、
幸せになるためには何が大事だと思うとか、
お金の話をするとして、
この4択の中から一番年収が高いのは、一番お金持ちなのは何でしょうか。
で、結局上がったのが、
Googleの会社が一番年収が高かったっていうのがあって、
それからのGoogleの会社のあり方、
Googleは森林的安全性を大事にしてるんだよっていう話からの、
それを学級に置き換えたらどうだろうっていう話に先生は持って行ってたんですけど、
多分、このお姉ちゃんの学年って去年結構ちょっといろいろ大変なことがあったので、
何て言ったらいいんだろう。
許す、許せないみたいな感じでトラブリーになってたらしいんですよね。
だから、人ってみんな違うんだよとか、相互理解するためにはとか、
違う人を寛容する、受け止めるためにはみたいな、
そういう話の持って行き方をしたかったから、
森林的安全性とはみたいな話をしたかったんだと思うんですけど、
多分ちょっとこう、最初のクイズはインパクトが強すぎて、
一番大事なところの印象がずれてしまったかなっていう印象になってしまいましたね、私の中で。
その後に保護者向けの講義があって、
先生は読み書き商売がご専門ということで、
読み書き障害の理解
読み書き商売の体験をしてみましょうっていうと、
あと、読み書き商売の体験をしてみましょうっていうことで、
まず1個動画見せてくださって、
それがある小学校のクラスを一連にしたちょっとしたドラマみたいな感じの短い動画で、
健常の子が音読する場面と読み書き商売、読むのに障害がある子が音読するのが写ってる動画。
それを見た先生がうまく読めなかった子に対して、
ちゃんと家で勉強してこなかったんだろうって怒ったっていう。
でも怒られた子は、ちゃんとやってきたんですって言ったっていう短い動画だったんですが、
短い時間帯だったから、なぜ読み書き商売が起こるのかとか、
読み書き商売がある子にとって何が普通なのかとか、
そういう具体的な例が示されてなかったのがすごく残念だなって思ったのと、
そういう読み書き商売の専門家とかが各学校に行って講義するのが理想というか、
もっと早くうちの学校に来たかったけど、なかなか読んでもらえなかったっていう風に先生はおっしゃってたんですが、
何かあったら協力するのに言ってくださいみたいな感じのお話だったんですけど、
すごくもったいない伝え方だったなって思ってしまって、
最後の質問コーナーで、もやもやした感情を耐えなきゃって思ってしまって、
言ってしまった言葉があったんですけど、
すごく言葉足らずだったなってすごくその後反省したんですよね。
何を言ったかというと、私は障害を持っている子どもを育てています。
だからいろいろ知識を身につけてきたけれども、知識がない人にとっては障害に気づけないこともあると思うんです。
そういう場合はどうしたらいいと思いますかっていうふうに質問したんですが、
ちょっと場の雰囲気が変な雰囲気になってしまったのと、
思ったような舞台が帰ってこなかったっていうのが失礼な話なんですけど、
私が学校に行くことで、みたいなお話があったんですよね。
講師の先生が提示してくださった動画にもあったように、
知識がない人が見ると、読み書き障害がある子は、
ただただ勉強してこなかった子、怠けてる子に見えてしまうんですよ。
この間も見た光景があるんですけど、
とある子が上手にダンスができなかったり、
それを見て、こうやるんだよって教えてるんだけど、なかなかうまくできない。
なんでちゃんとできないんだって怒られてるっていうケースを見たんですけど、
できないのには必ず何か理由があるんですよ。
理由があるし、背景があるんですよね。
体調が悪いのかもしれない。
筋肉の動かし方がわからないのかもしれない。
すらすら読めないのは何でなのか。
なかなか文字に書かれてる文章がスッと頭に入ってこないのかもしれない。
スッと頭に入ってこないのは何でなのか。
それは障害なのか。
体調的な問題なのか。
トレーニングすればうまくなるのか。
トレーニングしてもうまくならないのか。
いろんな背景があるんですよね。
それを知っている知識があるのであれば、
そういう色眼鏡で子どもたちを見るじゃないですか。
つまずいてる子がいたら、
なんでつまづいてるんだろう。どうしてなんだろう。
っていう色眼鏡で見ることはできるんですけど、
そういった知識がない人がそういう子たちを見ると、
ただ怠けてる子。
なんでできないんだ。ちゃんとやってないんだ。
っていうふうになるじゃないですか。
それってすごく残念だなと思っていて。
支援学校の先生の中にもそういう先生がいらっしゃるんですけど、
最近ちょっと心苦しいんですけど、
春君の先生に、
どうしても楽な人生を取ってしまう。
お絵描きするときとか、
どうしても楽な人生を取ってしまいがちなので、
っていう話が連絡書に書いてあって、
先生が言いたかったのはそうじゃないのかもしれないんですけど、
どうしても楽な人生を取ってしまうって書かれたと、
春君が怠けてるように聞こえてしまうんですよね。
疲れてるからそれなのか、
それとも、
普通の健常の子は体をまっすぐ背中を起こして文字を書けるけども、
春君みたいに低筋調の子は、
そうやって背中を起こして、
その状態を保って文字を書くってすごく大変なことなわけですよ。
それをうまくできるようになるために、
領域に通って筋力トレーニングしたりとか、
細かい手の動かし方をトレーニングしたりとかしてるわけで、
面倒くさがってやろうとしてないとか、
怠けてやってないとかそういう言われ方しちゃうと、
本当にそうなんだろうかって思ってしまうところがあって、
すごく心苦しいですね。
だからそういうのも全部ひっくり寝て、
なんていうか、相互理解と関与だと思うんですよね。
支援と相互理解
そういうお話がなかったのがすごく残念だなって思いましたね。
多分、私はずっと春君と一緒に8年間過ごしてきたし、
領域の場に行ったりとかして、
知識があるけれども、
そういう障害がある子に触れてこなかった人たちにとっては、
そういう眼鏡を持っていないじゃないですか。
〇〇という発言に対してこの子はすごく怒っているけれども、
なんで怒っているのかよくわからない。
なんで声を上げるのかよくわからない。
そうすると、
いろんな眼鏡を持っていない人はそういう場面を見ると、
怒るのはよくない。
みんなと仲良く。
なんでお前だけが怒るの。
なんでお前が手を出すの。
手を出すのはよくない。
っていう感じになると思うんですけど、
なんでその子が声を上げてしまうのか。
なんでその子が手を出してしまうのか。
そこまで考えてあげると、
もうちょっと手を出してしまった、
声を出してしまった子に対しても、
被害に遭ってしまった子に対しても、
お互いにとっていい意味になるような感情を提示できるかなと思います。
声を荒げてしまう子は、
言葉を持っていないことが多いし、
いろんな言い方を知らないから、
声を荒げて怒るってことは怒りうる。
手が出てしまう子は、
言葉で言いくるめることができないから、
手が出てしまうことが多いし、
ダラダラお話ししてしまったんですけど、
何が言いたかったかっていうと、
何が言いたかったんでしょうね。
理解するためには、もっといろんな背景とか、
その子の思いとか深掘らないと、
そこまで至らないんじゃないかなっていうのを
みんなに伝えたかったんだけど、
ちょっと難しかったなっていう話でした。
最後までお聞きくださいました。
ありがとうございました。
それではまた。