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2022-05-03 16:11

【介護151】家を建て替えて高齢の親と同居したら、認知症になった❗️なんで!?

ボブです。
“本人も同意の上で家族も親のために考えて行なった行動は何ひとつ間違いはない!”
そう思います。
認知症になったのは、家を建て替えたから?同居したから?いやいや、どうであれ認知症になる可能性は誰しもあるんです。家族も本人も何も悪くない。
悪いとすれば、「認知症になったら困ってしまう社会」の方だろう。ここをどうするか、本気でかんがえないと…
#介護  #認知症  #ケアマネ
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どうもボブです。今日は介護の話なんですけれども、
高齢になった親とですね、これから一緒に住もうっていう方っておられませんか?
今まで一人暮らしでね、頑張ってきたけれども、いつボケるかわからないし、足腰もね、いつまででも丈夫とは限らない。
だからこれから、この今の家のまんまじゃね、ちょっと一緒には住めないから、家を建て替えて新しくして一緒に住もうよ。
そういう風になった方がいたんですよ。
それを聞いて、それは良かったですねーって周りもね、言うわけですよね。
これで安心だと。
お母さんもね、嬉しい、良かったと思ってて。
子供たちもね、自分もやっと親孝行ができるわと。
一緒にこれで何かあっても大丈夫だよっていうことで住んで暮らしていって、
最近言動がおかしいなお母さんっていう風になって、検査をしてみたら認知症になっていたということでですね。
家族も同居ではあるとしても仕事してるんでですね、一日中ずっとつき添ってるわけじゃないわけです。
で、その間、仕事に行ってる間に転倒してたりとかですね、そして入院になって。
帰ってきたと思ったらまた転倒して怪我して入院になってとかですね、大変な状況になっていると。
そういうの聞くとですね、どうしたらよかったのかって本当にわかんなくなるんです。
よくね、環境が変わるとその認知症の症状が悪化するよとかいう話があったりします。
家族もね、家をもう建てたことが良くなかったんだろうかとかですね。
やっぱりこうちょっとよぎるわけですよ。後悔したりするわけですよ。
でもね、いやいやいや、もう一緒に同居したことが良かったんだろうかとか。
良かると思ってやったことが悪い結果になるっていう風に、どうしてもこの結果を見ると思ってしまいますよね。
ただ、これはね、全然そんなことないと思います。
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確かに環境が変わるストレスっていうのはあったかもしれないけど、それがあろうがなかろうが認知症にはなってたのかもしれない。
仮に一人暮らしでそのまま行ってたとしても、いつの間にか認知症になってただったら、
倒れて骨折してたとか怪我したとか、そうなった時にも発見が遅れたはずですよね。
だから、絶対に良かれと思って、お母さんのためと思って、
お母さんも喜んで合意の上でですね、一緒に住むことになったっていうことに関して絶対に間違いではないと思います。
そういうことで後悔することは非常にもったいない。
このことに関して後悔の感情を持つ必要は全くないと思います。
僕の祖母もですね、認知症で一人暮らしをしているんですけれども、家族でちょっと話したことがあるんです。
一緒に住もうっていう考える機会って今まで何度かあったんですよね。
でも本人、その母である本人が拒否したんです。
家族もですね、あの時におばあちゃんが一緒に住もうって、
家族と一緒に娘たちと一緒に住もうって言って、一緒に住んでたら認知症にならなかったんじゃないのっていう話も出たんですけど、
いやちょっと待ってと、今別居で別々で暮らしているにもかかわらず認知症になって、
変なこと言うとそんなはずないでしょって怒ったりするわけですよねやっぱり。
で、じゃあ同居してたらもう毎日がみがみ喧嘩ざんまいだったはずですよ。
もう喧嘩ばっかりだったはずです。
じゃあもう認知症になる前からね多分ね、お互い気が強い親子だとしたら、
もうもしかしたらそのストレスで認知症になってたかもしれない。
どんなに健康的な生活をしててもですね、あと運動を頑張ってしてたとしても、
やっぱり認知症になる人ってなぜかなるんですよね。
これは遺伝子的にも影響があるんだろうと言われてます。
アポリポタンパクEっていうそういう遺伝子があるんですよね。
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それがある人とない人っていうのがあるんです。
アポリポタンパクE、アポE4って言ったりするんですけど、
そういうアポE4を持っている人っていうのはアルツハイマー型認知症になりやすい。
遺伝子的にもどうしてもねあるんですよね。
ただまあそれを持ってたとしてもその遺伝子がオンになるかオフのままなのかっていうのは
やっぱり生活習慣でも変わってくるっていうことなんですけどね。
でもどちらにしても認知症になる運命だと仮定すればですよ。
家族と同居をしようがしまいが認知症になってたわけです。
僕の祖母の場合はですね、
それでも何とかね一人で自分のやりたいように畑仕事をしたりですね、
友達と会ったりそんなことしながら生活が長いことできていた。
今はねデイサービス行ったりして楽しんでる。
そういうふうに生活できている方がもしかしたらストレス軽く生活が今できているのかもしれない。
一緒に家族が住んであれしなさいこれしなさいがみがみ言われるよりはね、
もしかしたらいいのかもしれないなって思ったりします。
かたや一緒に住もうよって言って住んだ方にとってはこれはこれでやっぱり良かったことなんですよね。
どちらがいいどちらが悪いということは絶対にないと思います。
本人も家族もこれがいいと望んだ結果は結果的にやっぱりいい結果になるんですよね。
もうそのうちの祖母の場合はやっぱり一緒に住みたくないやっぱりそういう方もいますよ。
結果一緒に住まない方がお互いストレスかからずですね。
介護の保険のサービス使いながら生活ができた。
だからそこの家がこうだったからこうした方がいいよ一緒に住んだ方がいいよとかそんなことは決してないんだなって思ったんです。
だからこう正解がないんですよね。
ちょっとそのやっぱり一緒に住もうよって良かれと思って家まで建てて住んだけれども認知症になって病気になって入院になっちゃったって話を聞いたらですね。
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ケアマネージャーの僕としてもどうしたら良かったのか神様無情だなって思ったりするんです。
もうどっちをとってもダメだったじゃんっていう風なねちょっと行き通りも感じるぐらいなんですけどちょっと待てよと。
その認知症になったことをやっぱり悪いことと捉えてますよね。
僕自身と思ったんですよ。
それは僕だってなりたくはないですよ自分が認知症にはなりたくはないんですけど。
でもじゃあ年を取ることそのものがその体の老化がその年を取ることと思いがちですけど体もそうだし脳も老化するって考えたらですね。
自然な流れの一つかもしれないんですよね。
そう考えるとじゃあ年取っちゃダメなんですかと。
この年も年取って脳も衰えていくこの自然な流れがこれだとしたらですね。
いろんな年の取り方があるこっちの方で衰える人もやっぱりいるんだと思えばそれが悪いことと捉えてしまうこの世の中と社会の仕組みと家族構成。
家族構成はおかしいか家族の役割とかですね。
この周りの環境そのものがこの人間の老化に対応してない社会なんじゃないかなって思ったんですよね。
みんながこうなるって思えばお互い様だから周りの地域の人に迷惑かけたとしても私だっていつなるかわかんないんだし。
みんな年老いていくもんだから助け合いましょうよっていうようになっていく。
全部家族が背負うっていうのが当たり前ではなくてね。
社会全体でこれもうみんながそうなるもんだったらみんなで助け合っていこうよっていう風にやっぱりならないといけないんだろうな。
仕事を全部ね 家族の人たちが辞めてまで介護しないといけないとか
そういう風になってしまうのがおかしい。
認知症の人を変えようっていうのはもう不可能なことで。
じゃあそれに対応する社会を作っていかないといけないよな。
じゃあなんでそうなっていないんだ。
というのは介護保険のこのサービスそのものがこの認知症に対応結局まだまだしていないっていうことなんじゃないかな。
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そう思うんですよね。
なんか予防予防に力入れてるんですよ。
介護予防介護予防って。
介護保険使うときってもうその恒例になって支援が必要になったから受けるわけですよね。
もはや予防が大事な人もいるでしょう。
でももうそれを通り過ぎてる人もいるっていうことを念頭に置いた上で制度を作らないといけないはずなんですけどね。
対応してない。
ヘルパーの役割も一律一律。
夜間の対応できるところはない。
見守り徘徊になったときはできることは限られている。
なので結局のところその認知症になることを恐れるとかですね。
認知症になったら終わりだとかいうふうにどうしても今思ってしまいます。
本当にそうだから実際ですね。
だけどそうじゃない。
認知症になるのは老化の一つであり。
若年性のアルツァイマー型とかはやっぱりねこれはこれで早期の治療等ですね必要なのかもしれないです。
でも93歳とかうちの祖母とかですね。
ほんと高齢になってからの認知症っていうのはそんなにね特殊なことと思わない方がいいのかもしれない。
なんか災難にあったような大きなもうあのなんていうか
運が悪い災害にでもあったっていうような感覚で捉えがちなんですけどね。
いやこれは普通のことなのかもしれないよ。
それが普通だと思えないようなサポートしかできないこの社会になってしまったことが問題なのかもしれないな。
そんなふうに思います。
もっと昭和の時代の地域の関係性とかだったらもっともっと支え合いがあったのかもしれないです。
家族だけが背負う必要がなかったかもしれない。
今の社会の価値観がむしろ人間の一生を終える特に老後に向けての生き方にそぐわないのかもしれないですね。
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どうすんだよじゃあっていう話ですけどそこはねまだまだわからないとこなんです。
ちょっと今後もねあのもっと広い範囲じゃなくて小さい範囲コミュニティという言葉は使いたくないんですけど近所付き合いですかね。
そういうご近所関係だったり近所じゃなくてもその近い地域の人たちでの助け合いっていう部分がこれからキーになってくるんじゃないかなって思うんです。
そのためには個人情報個人情報なんて言ってられない個人情報の考え方をもう一度改める必要もあるんじゃないかなって思います。
この壁のせいで民生員さんだって何も動けない。
なのでねちょっと今後いろいろ考えていきたいなと思います。
今日はこのくらいに長くなっちゃいました。
以上です。ご視聴ありがとうございました。
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