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こんばんは、ボブです。
今日、お悩み相談会、介護のお悩み相談会をやりますということで、案内をさせていただいてました。
本当は、Zoomとかで予定もしてたんですけど、参加者がいればという形だったんですが、
なかなか先週金曜日くらいに案内したくらいだったので、すぐすぐは来ないということで、
もし来ないにしても、こうやってスタンドFMを使って、いろいろとですね、介護のお悩み、こういうお悩みを最近抱えている方がいますよ。
個人情報があるので、個人情報に引っかからないように、架空のような形で、実際とはちょっと話を変えてお話できたらなって思ってます。
それを聞きながらですね、そういえばね、うちの親もとか、自分のところもこういうことがあるんだとか、
介護の仕事をしていて、こういう部分で困ってるんだとかですね、そういった話をしたい方がいたら、どんどん参加してください。
ご自由に話してもらって大丈夫ですし、コラボみたいな形で話をするのも大歓迎ですので、よろしくお願いします。
つらつらと、もうなんかこう話していきたいなと思うんですけどね。
介護の悩み、前、今日ですね、ちょっと配信をさせてもらったんですが、介護の悩みの正体、介護疲れの正体っていう話をさせてもらったんですね。
最近強く感じるところです。この介護の悩みって、これ実は鏡写しで自分の問題なんだ。介護の悩みの正体って自分自身なんだっていう、そういう話をさせてもらいました。
これ本当に思うんですよね。介護じゃなくてもそうだと思います。普段の仕事でも嫌いな人が目の前にいるとか、嫌なことを言われた。
こういうことで感情がイラッとしたり、悲しい気持ちになったり、そういった感情が触れる時って必ず原因があるんですよね。その原因というのも単に相手が何か言ったからということじゃなくて、相手が言ったことに対して何で自分が引っかかったのか。
そこに反応するかしないかなわけですよね。基本的にこんなことを聞いたことがあります。本当は人は人を傷つけることはできないんだよ。
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自分を傷つけてくる相手がいたとしたら、それは深層意識、自分の潜在意識の中の自分が言ってるんだっていうことだ。
相手が何か言ってきたとしても、例えば僕は身長ちっちゃいんですよ。なので、例えばチビって言われたらちょっとショックを受けるかもしれない。でも僕がめっちゃ痩せてて、痩せてる自分に誰かがデブって言ってきてもビクともしないわけですよね。全然デブじゃないから。
全然違いますけどみたいな。反応はできないわけですよ。怒りも何も感じない。ということは、デブとか言ってきてイラッとしたってことは、自分がデブだって自分でわかってる人が怒りを感じるわけですよね。
そういうのと同じで、何かこうイラッとした一言、職場で言われたとかそういうのがあったとしても、言われたの、そこに反応したってことは、自分の中にもそれがあるんです。自分の中にもそういう部分があるんだ。自分でも気づいてるんだっていうことですね。
そういう意味では、自分で本当はわかっていて、その相手は自分の分身みたいなもんなんだ。自分と反対側の意見を持っている人で、その人から言われることに対してやっぱりイラッとするわけですよね。
でも、自分も相手も一つだと思ってしまえばいいんじゃないかっていう考え方があります。
その介護をしているときもですね、例えば自分の親が認知症になって、いろいろ徘徊をしたりとか、あと物を盗られた、誰か泥棒が持っていったなんてことを言ったりするわけですよね。
でも、そのときにどうですかね、自分の全く理解ができないですよね。認知症の方って、本当に今の現世と別のところを見てるんじゃないか、みたいな夢の中にいるような感じですよね。
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でもこの感じって、どこかで見覚え、なんか経験したことないですか。僕は今子育てをしていて思います。あ、これって認知症とあんま変わんないんじゃないかなって思うんですよね。
違うのは年齢、あと見方によっては子供はかわいいですけど、もう全然かわいくないって思うこともあるかもしれないですね、自分の親とかだったら。他人でおばあちゃんとかだったらかわいいって思うかもしれないけど。
そういうね、イラッとしたりとか介護をしていて、あると思うんですよね。理解もできないし、理解もしたくもないし。でもそれもなんかの気づきがあるって考えたら、普段は考えれないと思います。
でもあえてちょっとこう離れて、あえて考えてみると、もしかしたら何か親はこの身を呈してというか、もう最後の最後、自分の子供に何かを見せようとしてるんじゃないか、大事なこと。
というよりも、自分の裏にある、自分の奥底にある潜在意識とか超意識とか言われる、そういったものが本当の自分の課題、人生の課題をこう、今目の前に映してくれてんじゃないかなって思うんですよね。
これ本当にでも介護をしていて、ある娘さんが言ってました。認知症の介護をしたことで、自分に隠れていた悪い部分が表面に出てきたとかですね。
自分の認知症と向き合うことで、すごく今まで抑えつけてた感情とかそういったのがどんどん出てきて、むしろ楽になったと後で。楽になって優しくなった、そんなこと言ってるんですよね。
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でも乗り越えた方って本当にそういうふうに思えるかもしれない。見てて思いました。
子供でもまだまだ僕もイラッとしたりとかしてますけど、でも乗り越えたら、もしかしたらその不安とか恐れとか、こんなに体に悪いものばっか食べてとか、あともう同じこと何回言っても言うこと聞いてくれないとか。
でもそういうのって、なんか親の肩にはめようとしたりとか、常識という固定観念に合わせようとしたりとか、大人になったらこうだから今のうちから学んでおきなさいみたいなね。
勝手に将来を決めようと親がしたりとか、そういうような勝手なこっちの押し付けから脱しようとしてるのかもしれないですね、子供。
いやそれよりも自分自身に自分自身の潜在意識、超意識が今の自分を自分自身を肩にはめようとしているとか、そういうのを気づかせてくれてんじゃないかなって思うんですよね。
介護のこういった悩みからいろいろと感情が炙り出されると思います。もうイライラしたりとか、もう自分今まで穏やかにやってきてたのに今まで何にもね、
親にも親の言うことをずっと守ってきた。親に歯向かわずにやってきた。自分を押さえつけてやってきた。だけども介護をきっかけにもうその押さえつけも効かないぐらい爆発しちゃうような、そんな出来事が起こったりするわけですよね。
だからそれによって、その時に向き合うことでいろんな気づきがあるんだと思います。
なので、この感情表出ですね。感情がいろいろもう湧き出てくるこの経験。これが今、今の自分にとって必要なことなのかもしれないですね。
これが介護の悩みの中で結構大きい部分かもしれないです。感情の部分ですね。
あとその悩みっていうのは基本的に何かと何かを選択するときに起こるものですね。
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どっちにしよう。もうどうしたらいいんやろう。どうにかできる悩みだったり、悩みに対してどうにもできないような八方塞がりの悩み。
このどっちにしようで迷う時もありますね。でもこれってどっちを選んだとしてもOKなんですよ。
どっちを選んだとしても。だから悩むだけ時間の無駄なんです。悩む、もうどんだけ悩んでも悩んでも悩んだ分の時間がもったいないんですよね。
で、例えば今日も配信の中でちょろっと言ったんですけど、施設を選ぶときもそうですし、デイサービスを選ぶときもそうです。
とにかくうまくいく人って、選択した結果をよしと思える人はやっぱりよしって思えるんですよね、その後も。
でももう癖として、もう疑うとか最初から施設どこの施設がいいかなって散々散々迷って、でもやっと決めた施設なんだけど、元からもう癖でですね。
もう、ここの金額が結局のところ高いとか、結局ここの人たちが良くないとか、あれこれあれこれ後でやっぱり良くなかったってなる人って、
元々のベースの固定観念、これが疑い、疑うことがもう当たり前になっている人、で、あと選んでもこれが良くなかったって思っちゃう人、そういう人ってどうやっても良くない結果を引き寄せちゃうんですよね。
引き寄せって言ったらもうスピリチュアルになっちゃうんですけど、でももう本質としてはやっぱり良いって思える人が良い現実を起こしてますよね。
で、もう、なんか疑いとか選んだことが悪い悪い、やっぱりあっちにしておけば良かったっていうのがそっちの割合が多い人、それがもう結構当たり前になっている人、これは何をやってもどこを選んでも悪い結果になりがちなんですよね。
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だから、何か選択する時も自分の癖を見直しておくっていうことが大事かもしれないですね。
で、この自分の癖、これをわかりなさいっていうメッセージなのかもしれない。
この介護を通して、今のまんまだと本当に幸せに生きたいって思ってても、どう考えてもどんどん悪い選択ばっかりしてしまうよ。
選択自体には悲はないんです。選択自体に罪はないんですよ。
選択した結果、良しと思えるか悪いと思えるか思ってしまうか、これあなたの心次第になってくるんですよね。
なので、どっちにしよう、でもこっちが良かったんじゃないか、こういう悩みと後悔ってセットなんですよね。
悩み、どれを選んでも良し、そして決めたことに責任を持って、これは良いんだって思える。
こういう決断をしていけるかどうか、そういう風にね、変わっていく必要がありますよ、あなたの場合は。
というメッセージが起きた時は、こういう後で結局ね、後悔するような出来事、ああ痛って思えるような出来事が起こってきます。
起こった時にどう考えられるかですね、ああ余計ね、もう自分の固定観念が余計強固されるかもしれない。
やっぱりそうだ、やっぱり施設、ここの施設はダメだった、ここの人はダメだった、別のところに行こう、別のところでもダメだった。
もう私の親が行くところはもうどこ行ってもダメだ、さらにどこ行ってもダメだっていうのが固定観念としてこびりついてしまうんですね。
でも行き着くとこまで行かないと、その気づくことしないと、もうどこ行ってもダメだ。
だったらもうここで納得するしかないやって思うところまで行かないと、その人って幸せになれないんですよね、納得いかないんですよね、最後まで。
だからやっぱりその悩みっていうのはなるべく短くして、もう今の時点でどっちが良かったかなんて判断つかないです。
わかんないです、どうせわかんない。後悔したってどっちが良かったかなんて結局わかんないんです。
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後悔といえば慰労をするかどうか、こういう悩みも大きいです。
家族としては、今のまんまこれで決断してしまったら、親を自分が殺す決断をしてしまうことにイコールになるかもしれない。
これで長生きしたらしたで命ばっかり長くなって、苦しむのは本人なのかもしれないとかですね。
はたまた年金が入るからという理由で命だけは長生かしてくださいっていう風に思ってたりとか、いろんなケースがありますよね。
でもこれも決断、これも後悔をしないっていうことが大事なわけですよね。
どうにか自分の親がですね、最終的にはどうありたいか、やっぱり聞いておく必要があると思うんですよね。
どういう最後を迎えたいかっていうのは聞いておきたいところですけど、でも聞けない場合もあるし聞いてない、考えてない、そういったことだってたくさんあります。
大抵はそうですよね。じゃあその場合にもう家族が決めるしかないんですよね。その時にどっちがいいだろう、当然悩むと思います。
でも大前提としてどっちを選んだとしても後悔をするかどうかはその家族、あなた自身が決めることなんですよね。
どんな選択をしても後悔、マイナスな面に目を向けてしまう、そういうことをすると、どんな選択をしてもいい結果にならないんですよね。
こういう方本当におられるんですよね。だからできる限りいい結果、どうやっても良くなるっていうね、そういうふうな気持ちでいたほうがいいんじゃないかなって思います。
もうだらだら話しちゃいましたけど、何分話しましたっけ?20分話しました。
このお悩み相談、今日はなかなか入ってくる人がいないものでなかなかペースがつかめないんですけど、
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今後もですね、いろいろ事例を深めながら話していきたいなって思うんですけど、
でも最近このお悩み相談会しようと思ったのは、今お話ししたように、
介護の悩みって自分自身の課題だったり自分自身の悩みじゃん、そういうふうに思ったことがきっかけなんです。
自分だったら変えられるんですよね。
お母さんとか、介護している親とか、相手だったら変えられないんですけど、自分だったら変えられるんですよ。
なので、これって自分の問題なんだって思った時に可能性がかなり広がるはずなんです。
これって、もう親の問題、親の課題かと思いきや、この悩み自体は自分の問題なんだっていうことなんとなくわかりますかね。
介護、妊娠症になった、とか病気になった、これ自体はその本人の問題ではあるんだけれども、
それに対して悩んでしまっているとか、怒りとか悲しみの感情が出てしまっているということに関しては、これはその思ったあなたの問題になってくるんですよね。
なので、そこだったら変えられるわけですよね。
そう、だから、介護の感情がね、イラッとしたりとか感情が触れた時、あと、どうしようもないねあみ、洗濯に迫られている時ですね。
こういう時って、あ、まささんまみさんどっちかな。
こんばんは。お久しぶりです。僕はもう勝手に覗いているので、久しぶりな感じはしませんが、僕がライブするの久しぶりですね。
ありがとうございます。
どっちも聞いています。
ありがとうございます。
もうあの、3周年でしたっけ。おめでとうございます。
いやーもうね、あのー、ちょっと全部は全部聞けなかったんですけど、でもなんかいつもね、もういろいろとお二人配信されて、いやーすごいですねー。
あのー、あとはその、インスタもね、もうみなさん、あのーまささんまみさん、スタンドFMもしつつ、SNS投稿いろいろ伝されて、結構また面白いんですよね。
24:05
おしゃれな、おしゃれなお二人なのかなって思っていつも見てます。
でも夫婦で旅行に行ったりとか、好きなお店行って、カフェ行ってとか、なんかそんなの見てたら、わー、なんか素敵だなーって思います。
いいですねー。お仕事忙しい中でもこうやって、
おしゃれに見せかけてるだけですよ。
でもね、あの、まささんなんて料理ライブとかしてますもんね。
トントントントン料理しながらライブして、かっちょいいですよねー。男料理ができちゃうなんて。
でも本当、そういうのを夫婦でやってるって。
夫婦で、なんかちょっと打ち合わせとかするわけでしょ。
そのライブするときとかもテーマとか考えたり、そういうので、こう共通の話題があって、話して考えて、
いいですよねー。いいですよねーってもう家でやればいいんですけど、なかなかこう、いざやろうってあんまならないんですよねー。
何するの?みたいになっちゃうんで。
料理ライブやってますよ。よく聞いていただいてありがとうございます。
いやー、もうね、自然体なまささんがまたいいですよね。
自然体なんですよねー。なんか日常な感じの、これがまたいいんですよねー。
マミさん、子供たちに癒されてます。
ありがとうございます。もうあの、我が子の、親ばかなもので、子供のインスタとかですね、動画とかYouTubeとかでも子供の動画を出してるんですけどね。
今だからこそ、もうあと数年で、たぶんもうね、小学校とか入っちゃったら、こういうのさすがにアップはできないでしょうから。
このちっちゃい、かわいいときに、いろいろね、動画作って出しておきたいなーって思ってるんで。
しかもこの成長してるこの段階がですね、子供って神様なんですよね、もうほんと。
あ、すごいなーと思って。
なんかこう、全部吸収してる時期なんですよね。
いいことも悪いことも、全部吸収して。
で、なんかね、これ、今その介護のお悩みのお話をしてたんですけど、これって子育てでもほんとドンピシは同じな感じでですね。
介護っていうのはもうまさに、自分の悪い面とか、自分のなんていうか、今までちゃんと解消されなかった課題とか、そういったのが炙り出されるんですよね。
27:11
ああ、介護のどんな話されてたんですか。
そうそうそう。
介護をしてるときって、認知症介護とか、自分の親の介護とか、そういうのをしてるときってですね。
その、相手、親の問題と思いきや、実は実は、この介護をする中で、自分の問題なんですよね。
介護の悩みとか、感情で怒ったりとか悲しんだりとか、いろんな感情が出てくると思います。
これって、炙り出されるんですよね。炙り出されて、まだまだ本当に、あの、未消化な感情。
自分が今まで、常識で抑えつけてた感情だったりとか、あとその人間関係で本当は解消しないといけなかった問題とか、
あと、その常識、これが当たり前でしょとか、そういったものが強ければ強いほど、こういうのが介護をきっかけに炙り出されるんですよね。
もう、そういうのが溜まってれば溜まっているほど苦しいんだと思います。
で、両局面見てみると、なんかわかってくるんですよね。
同じ認知症の介護をしている人がいました。
だけど、ある方は、もう限界です。地獄です。もう私はもう倒れます。そういう人もいますが、
旗から見ると、同じような状況の親、認知症の方がいて、その娘さん、同じような状況なんだけれども捉え方が違うんですよね。
そうなると、全然状況が違う。
当たり前ではあるんですけど、性格によって、やっぱり認知症の介護でも大変かどうかって変わってきますよね。
でも、改めて考えてみると、なんか不思議な感じがするんです。
現象は、ほぼほぼ似たような現象が起きているだけれども、見方、角度によって全然状況が違う。
マサさん、まゆみさん、真正面から受け取っていると疲れてきますよね。
そうなんでしょうね。でもその真正面から受け取るっていう方っていうのも、これもずっと真面目に現実を対処しないといけない、対処しないといけないとか、
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私が何かやらないといけない、娘、長女がやるのが当たり前だとか、いろんないろんな当たり前、固定観念っていうのがあるんですよね。
それがきっかけ、それが引き金で苦しくさせてしまってる。
いい意味での割り切りって必要だと思います。
マサさん、まゆみさん、そうなんですよね。
でも今まで割り切るっていうことが他の面でもできてなかったかもしれない。
親との関係性の問題で、親に対してはついついそういうガチッと、親に対して厳しいく当たってしまうとかいうのも、今に始まったことじゃなくて、昔からのずっと繋がりがあって今に至ってるんですよね。
でもこれで苦しい状況になったっていうことは、一つのメッセージかもしれないんですよね。
今あなたに必要なのはこれですよ。
今あなたに必要なのは、今までガチガチに考えてきた、あなたの固定観念。
これを割り切って、もっと柔軟にしないといけないんですよっていうことを教えてくれる。
その出来事が介護をきっかけに炙り出されてくるっていうような、そういうことってあるんじゃないかなというか。
実際そういうことが起こってるなって思うんですよね。
でもこれって介護だけの話じゃなくて、子育てでもまさに同じような、今までまだまだ親だって、親として完璧じゃないわけですよね。
それを子供を通して教えてもらえるような、子供に関してもそうですね、その固定観念。
こうしないといけないとかいうのが強ければ強いほど苦しむんですよね。
マミさん、親子の関係性は介護することで出ると思います。
そうなんですよね。これ、今まで親子関係は、仕事をバリバリしてる世代の時はあんまり出てこなかった。
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ちょっと離れてるからですね。それよりも仕事とかそっちの方に意識が向いてたから、あんまり気にならなかった。
でも介護がきっかけで向き合わざるを得なくなった。
本当は向き合いたくなかった。向き合わずに入れるもんだったらそれがいいなって思ってたけれども、介護をすることでもう向き合わざるを得なくなった。
こういうことってでもあるなって思うんですよね。そう言ってた方がいました。
でもこれを向き合うことでですね、ちゃんと親って実はこういうふうに考えてたんだとかですね。
そういうのがわかったったら固定観念が崩れたんですよ。
今までこうじゃないといけないとか、周りに地域の人とかご近所さんに言うのは恥だって思ってたり恥ずかしいことだって思ってたりですね。
相談ができなかった。人に相談するのはいけないことだとかですね、そういうふうに思っている方も相談せざるを得ないような状況になるんですよね。
もうそれで思い切って相談してみた。そうしたら言ってよかった、言っていいんだみたいになったとたん、ガラガラガラっと今までの固定観念が崩れるわけですよね。
こういうのってよく想像しやすい部分かもしれないですけど、こういう出来事がたくさんたくさん出てくるわけですよね。
介護は長女がしないといけないとか嫁がしないといけないとかですね、そういうのも固定観念として今までずっといろんな自分のおばあちゃんとか親戚家族がやってきたことを見て、それで作られてきた固定観念。
でもこれがあくまで自分も同じようにしないといけないかどうかはこれ自分が決めることなので、いいや自分が全部やらなくていいんだ。ちゃんと他の兄弟にも相談して役割分担しようとかですね。
そういうふうになかなかいつもだったら思えなかったこと、提案もできなかったし言えなかった。だけれどももうせざるを得ない状況に落ちらせてくれるのがまた介護だったりするんですよね。
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それで気づいたことで家族関係が良好になったなんてこともやっぱりありますね。そう考えてくるとその人自身がまた変わるきっかけになってるんですよね。
なので介護ってそうか、全部が全部やっぱり苦しいものとか悲しいものとかそういうわけじゃなくて、これって自分の人生に残されてた課題を気づかせてくれる出来事なんだ。
そんなふうに考えることもできるかもしれないですね。でもこれって一発目からそんな言ったらあんたに何がわかんのよって言われちゃうと思うんですよね。なので決してね、徐々に徐々にそういうのがはって思えるきっかけって出てきたりするんですよね。
そういう時にちょっとお話ができるようなことができたらいいなぁと思ったりするんですね。
僕もまだまだねわかんないことがあるんですけど、でも僕は僕で今こういうのを気づかせてくれるケースがたくさん今目の前に出てきてるということは自分も今気づきの段階なのかなと思ってるんです。
一人っ子なので相談できる相手はマミさんだけなんですが、自分が思うペースで思うようには介護できるので、どっちがいいのだろうと思いますね。
兄弟がいることで逆に難しいなんてことあるでしょうからね。これは本当にあると思います。
でもまあそれでも相談できる人がちゃんと目の前にいるわけですよね。やっぱこれはまたありがたい状況ですよね。
もし介護が必要になったとかですね、そんな状況があったとしてもちゃんと一緒に考えてくれる人が目の前に今いるっていうのがわかってるので一つ安心ですよね。
でも何かいろいろと人生の課題というものがあるのであれば本当に介護だったりこれ病気もそうです。病気だったり子育てもそうだしいろんなことすべてにおいてメッセージなんですよね。
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今こういうことを感情が揺らされるような出来事があったり落ち込むような出来事があったり起こるような出来事があったりそういう時って大体メッセージなんですよね。
体の声を聞きなさいっていう本を最近ね読んでいろいろ発信もしてるんですけどそういうのを聞いたりとか腸臓診断っていうですね腸のストレスとか感情をため込んでるのって腸を触るとわかるんですよね。
そういうのを勉強して代表の方といろいろ話したり会ったり勉強会体験会をやっていくとやっぱり本当にそういうのってあるんだなーって肌身感じてお腹を触るとまた余計わかるんですよね。
そういうのやっていくと単に自己啓発本だったりスピリチュアルだったりそういう話で自分にはあんま関係ないやーって思ってたような話もお腹にちょうど出てきてんじゃんそれがみたいな風に思うんですよ。
何のこっちゃですけど。そういうのをいろいろ通じてやっぱりため込んできた感情っていうのが必ず誰しもあるしかもある世代なんですこの高齢者今70代80代の方って60代50代もそうかもしれない。
今から介護の方今から介護になるような世代の方っていうのは時代がもう厳しい世代だったわけですよね。
ちゃんと社会のルールに合わせてやっていきなさい。仕事も残業が当たり前でどんどん働けと。会社の意向にルールにそぐわないものはもういらないみたいなね。
途中から実力主義もなったしそんな厳しい厳しい世代上下関係の厳しい環境で育ってきた。そういう方ってやっぱりどうしてもね抑えつけた感情ってたくさん潜んでるんですよ。
本当はこうしたかったんだけどでも大人になるってことは我慢することだ。もうねあの社会に出るっていうことはこういうことだみたいな。
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自分を抑えつけて怒りを抑えつけて悲しみを抑えつけてそうやってやってきた方たちの世代なんですよね。この介護を受けている今の人たちって。
そして介護の娘さんとか息子さんとかその2世代は本当に今まで我慢してきた世代なんです。だからこそたくさん課題が潜んでるんですよ。
本当は若いうちに解消しないといけないような部分も大人になって結構な大人になってから解消しないといけない。そういうのが人生後半になっていっぺんに現れてきた。
これが言ってしまえば介護っていうものなのかもしれないなって思うんです。もう本当は途中でねいろんな感情出していきながら自分っていうものを作り上げていく人生。
それが自分を中心じゃなくて周りを優先して周りのために家族のために会社のためにそうやってやってきた世代の人たちは本当の課題をずっと先延ばしにしてきた。
それがその課題がドーンと最後の方にやってきた。
介護を受けるという形でやってきたり、介護をするという側としてやってきたり、そういうもの概念的にはそういうものなんじゃないかなって最近思うようになって見てみるとあれ?
ということは今苦しんだり悲しんだり悩んだりしている方々たち、これって全部この人たちの問題を自分できっかけを作った。きっかけを作ったって病気になったわけじゃないですよ。
自分で介護に対する怒りとか悲しみとかが起こったとしたらその手前に固定観念があるんですよ。
さっきも言ったんですけどね、長女が親を見るのが当たり前だとか、誰にも相談してはいけない恥だとかですね、そういうような固定観念があって、それがあるもんだからその感情の段差によって怒りとかが湧いてくるんですよね。
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こういうのを解消していくっていうのが大事。どうやったらこの固定観念っていうのがネックでいろんな苦しみとか大変な部分が出てくるんだったらどうしたらいいのかってなったらその自分とイラっとさせる側の相手のことを理解するっていうのが大事だったりするんですよね。
家族関係で揉めてるとしたら、長女の私ばっかり頑張らないといけない、次女は何もしてないと思ったとしたら、でも次女のこと本当にちゃんとわかってんのかな。
よくよく次女は楽していいね、いやいや決してそんなことなかったよっていうことがあったりするんですよね。
自分の大嫌いな人っていうのは自分と正反対の価値観を持っている、自分にできないこと、自分には考えつかないようなことを持っている相手でもあるんですよね。
その相手のことを理解するっていうことが、歩み寄るっていうことができさえすれば、本来はその嫌いな相手っていうのも自分自身なんですね。鏡写しなんで。
なので、自分にないものが写ってるんですね、鏡として。相手のことを理解しさえすれば、まるっとプラマイゼロでその感情、怒りの感情って消えるって言うんですよね。不思議なことに。
これなかなかちょっと上手に説明ができてません。できてませんが、もうちょっとしたら説明ができるかなと思います。また今度もね、少しずつお話ししようと思うんですけど。
固定観念を覆すのって本当に難しいんですけど、自分と一番遠い部分、イラッとさせる相手とかね、のことをよーく知って歩み寄って、その人を好きになるぐらいのことが、
もしできれば、できないから困ってるんだよって言うかもしれないですけど、できさえすれば一気に解消するはずなんです。原理的には。
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でもなかなかね、そんなことする、絶対俺は許さない。あいつのことは許さないとかですね。兄弟間でもあったりするんですけど、でもまあ、それを選んでいいんです。
でも、ずっとイライラした状態とか喧嘩した状態とか、それで上手くいきますかと。結局いかないんですよ。でも最後の最後までその感情を持ったままっていう方ももちろんおられます。
かといってね、仲良くなってくださいよって調整しまくるのもおかしな話で、どっかで気づきが出てくるはずなんですよね。その時に、どんなお話ができるかな、こんな若造で、
何がわかるんだ、俺のこと、うちの親のこと何がわかるんだって言われちゃうかもしれないんですけど、それでもね、原理はそんなにね、いろいろあるわけじゃないはずなんです。
だから、どんなことがあっても必ず出口がないことはないですし、必ず相手は自分の鏡で、本来は自分のこう闇の部分とか影の部分が出てきてるだけだよ。
自分に対して怒ってるんだよ。自分に対して悲しんでるんだよ。そういうふうにね、そんな説明はしないにしても、どっかで気づきが出てくるはずなんですよね。
なので、そういう意味では、介護って、面白いなって言っちゃいけないんでしょうけど、介護って、そうか、自分のことを教えてくれてるんだ。子育てて未熟な親を本当の親にさせてくれてるんだとかですね。
病気っていうのは、今まで無理をしてきた自分をちゃんと愛するってことなんだとかですね。すべてがメッセージなので、大事に日々の出来事をかみしめないといけないなって思うんですよね。
なので、何が起きても大丈夫。悩みっていうのは、どっちを選んでもOK。そして、後悔は時間の無駄。そういうふうに思いながらですね、後悔するんじゃなくて、全部OKと思えるかどうかが大事なんですよね。
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なので、本来は介護の悩みというものは存在しないとすら思っています。おいおいおいと、やってみろよって思うかもしれないんですけどね。
でも、今いろいろといろんな方に教えてもらってます。いろんなケース、いろんな困難事例、いろいろケースをあたる中でも見ていてやっぱり思いますし、その家族、直面しているご家族とお話すればするほど、これって大事なんだな、その人に今大事なことなんだなっていうのがやっぱりわかりますね。
ということで、長くなりました。今日はちょっとこのくらいにさせていただこうと思いを。
兄弟間の中の吉橋は親の影響もあるのではと思いますね。
そうですよね。ほとんどの場合、やっぱり親の影響ってありますよね。あるって言われてます。
精神疾患の方とか、トラウマを抱えている方とか、そういうのってやっぱりたどっていくと、生活歴っていうのをたどっていくんですけど、ずっとたどっていくと親にぶち当たります。
親、小さい、幼い時の感情、幼い時に何か言われたとか、聞いたらポンって、そういえばってか言われる方がいるんです。
やっぱり幼い時の出来事って、何か言われた一言、これって大きいんですよね。
一人っ子なのでわからないですが、一人っ子でも、そうですよね、一人っ子でも親の影響っていうのは大々に受けてますね。
これ、いろんな高齢者から教えてもらいましたし、長相診断っていうのをやっている中でも、みんなどんどんどんどん玉ねぎの皮を剥くように、いろんな出来事を紐解いていくと、
生きつくところは親、母親、父親、あと学校の先生、やっぱりそういう自分より自分の尊敬する人だったり、権威的な人からどんな言葉を浴びせられてきたか。
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だいたい6歳7歳ぐらいまでの間って、人間の脳みそはシータ波っていうのが出ていて、何でも、瞑想状態と同じような感じらしいですね。
何でも吸収して、自分の中に取り入れようとする、そんな時期に、何を言われているかで人生大きく変わってくる。その先ほどから言っている固定観念というものがそこで形成されるんですよね。
どんな家族の中でどんなことが当たり前だったか、どんなことが常識って言ってたか。
普段から後悔をする。何をつけてもメリットデメリットで判断をして、もうこっちにすればよかった、あっちにしとけばよかった、後悔するような親とかですね。
優柔不断で決めきれないとか、そういうのを見てきた。積み重ねて自分もやってきた。無意識にやってきた。そういうことから、介護をする状況になっても、介護をされる状況になっても、その時の固定観念が未だに残っている。
なんてことはほとんどの方であると思います。僕も含め。なのでこれはもう兄弟がいるいない一人っ子関わらずですね、みんなに共通してるんじゃないかなと思います。
でもまあね、これはこれで、こういうのをどこかで外す必要も出てくるんじゃないかなって思います。人それぞれ使命とかっていろいろ違うんでしょうけど、
でも、ずっと重しを乗せて、本来の自分はもっと自由なのに、こういう固定観念で蓋をしてしまっているという状況の方がいれば、どこかで外さないといけないようなガツンとした出来事が起きてくるはずです。
それが介護となって出てくるのか、病気となって出てくるのか、いろいろ仕事のトラブルとして出てくるのか、いろんな形であると思いますけどね。これはもう僕も含め、これちょっと意識していかないとなぁと思ってます。
なので、僕も今子育てをしながら、どんな固定観念を子供に植え付けてしまっているのか、そこら辺はチェックしながらやっているつもりです。なかなか難しいですけど、この難しさっていうのを楽しみながらやっていきたいなと思ってるんですよね。
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今後もお悩み相談会という形で、今日はマサさんマミさん、いろいろ聞いてくださってありがとうございます。いろいろコメントもくださったおかげで、もう20分ぐらいした時にもうやめようかなと思ってたのが、もう1時間話しちゃってました。ありがとうございます。
こうやって話してる間にいろんな方が通りすがりで聞いてくださりましたので、もうありがとうございます。今後もいろんな形で、Zoomでお話しすることもあったり、こうやってライブでお話しすることもあったり、いろいろしようと思ってますので、
本当に悩んでいる方とか、介護の仕事をしていて悩んでいる時とかあったら、僕は全部が全部対応できないかもしれない。ただふんふんって聞くだけかもしれないですけど、何かちょっとでもお力になったらと思います。
マミさん、こちらこそありがとうございます。ではでは、今日はこれで終わらせていただきます。皆さん、明日もお仕事あるかもしれないので、頑張りましょう。おやすみなさい。ありがとうございます。どうもどうも。