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どうも、ボブです。今日はですね、ちょっと本のご紹介というか、僕ちゃんと読んだわけではないんですけれども、ニュースとかでこういろいろ見てですね、これ読みたいなーって思っている本があるんです。
【アダムスミスの夕食を作ったのは誰か】っていうですね、スウェーデンの方が、カトリーン・マルサルさんっていう方が書いた本なんですけど、アダムスミスってご存知でしょうか。
この経済学、大学の時、経済学部だったんですけど、経済学部だった人はもう、嫌でも目にする名前なんですよね。
経済学の父って言ってですね、もう散々教科書に出てきてました。もう何した人かあんまりわかんないぐらい、今の経済のですね、最初の根本を作った人なんでしょう。
アダムスミスはですね、それぞれが自分の利己主義を貫き通してやっていくとですね、それがちょうど神の見えざる手でですね、ちょうどいい塩梅で、みんなが利益を追求すれば、社会がちゃんと整っていきますよ、みんな。
みんな利己的な考え方でずっとやっていって別にいいんですよ。それでちゃんとみんなお金儲けして、それが最終的に社会がどんどん成長していくことになるんですよっていう考え方なんですね。
この本で書いてあるのは、我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋、パン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからであるということで、アダムスミスはですね、そう考えてありました。
人々の利己心、利己的な考えのおかげで、我々は食事にありつける。合理的な経済人の自己利益の追求が市場を、そして世界を回すとアダムスミスはこう言ってありますよと。今、僕が言ったことと同じなんですけど、こういう考え方である意味ずっときてるわけですよ。
ただこのカールマルサルさんだったかな、カトリーマルサルさん、このスウェーデンの方はこう言っています。いやいや本当にそうだろうか。ちなみにアダムスミスさん、あなたの夕食、あなたの夕食のステーキ誰が焼いたんですかっていう問題提起なんですね。面白い。
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経済と女性の話をしようとプロローグに書いてあります。この方はこんなに真面目に働いているのに、家事もやっているのに何かがおかしい。そう思ったようですね。アダムスミスの食事を作ったのは誰かっていうことですね。
この目次だけなんですけど、女性はどうして男性より収入が低いのか。あと経済成長の果実は一体どこに消えたのか。私たちは競争する自由が本当に欲しかったのかっていうこと。
ナイチンゲールはなぜお金の問題を語ったのか。格差社会はどのように仕組まれてきたのか。個人主義は何を私たちの体から奪ったか。経済の神話にどうして女性が出てこないのか。
エピローグでは経済人にさよならを言おう。こう書いてあるんですね。いろいろ問題提起をしているなと思ってですね。全体的な経済のことをアダムスミスは一生懸命考えてはいたんでしょうけれども、
目の前のあなたの食事は誰が作ったのか。誰が提供しているのか。それはそれぞれの利己心、利己的主義で、それはあなたのステーキを焼いてくれたのか。本当にそうですかっていうことですね。
今このアダムスミスから始まって、経済ではケインズとかですね、いろんな人が出てきてました。でももう大枠の考えは多分同じなんですよね。今までずっとこうやってきた、利己主義をずっとそれぞれ追求してきた。
その結果が今これですよ。本当にこれでいいんですかっていうことですよね。確かに。今こそ新しい経済の話が必要だと言ってます。
本当ですね。利己主義を追求した結果、非常に温暖化だったり環境破壊ですね。そして病気、癌、認知症、めちゃくちゃ増えてますよね。
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これって大ぴらには言われてないけれども、経済の追求の行き先が、この癌、認知症、この病気に限定されないですけど、いろんな身体の失調、うつ病とかそういったのもそうかもしれない。
それとか、今のもしかしたら新型コロナウイルス、こういったものもですね、もしかしたらひも解いていけばですね、長い目でこういうことが関係しているんじゃないか。
この経済、どんどんたくさん作って売って、そしてお金を設けて、その結果格差も生まれてますよね。本当にこれが、アダム・スミスの言う、神の見えざる手によって調整されて、みんなが幸せになる方向にちゃんと進んでいるのかと、違いますよね。
僕はこのタイトルを見ただけで、うわ、なんだこれはと。これ絶対批判してるよね、アダム・スミスをっていうような、ちょっと惹かれるタイトルだったんで、いろいろ目次とかね、解説してる人の、ちょっと見てみたんですけど、読んでみたいなーって思いました。
なんかこれからどうあるべきかっていうヒントが載ってるんじゃないかなという気がします。
ここから先は僕の意見なんですけど、この経済の追求の結果、グローバル社会になってですね、どこの国に行っても同じようなビルが建って、同じようなトイレで。
なんか見た風景、そんなに日本と変わんないよな、みたいな。当然ね、なんかこう雰囲気違いますけど、でももっと違ったはずですよね。独自の文化があって、このグローバル化によってそこそこの文化も、潰された文化もたくさんあるはずです。
一年中、一年中どこでも同じような野菜が食べれる。
そして、果物もね、一年中食べれる。肉や魚もどこでも食べれて、その弊害はまたあるわけですよね。農薬だったり、いつでも食べられるような油を使ってるとかね。
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知らないための工夫とか、いろんな知恵はあるけれども、利好主義を追求した結果、どこでもみんな同じようなものが食べれて、どんな季節でも好きなものが食べれる。素晴らしい世の中になったんですけれども、その弊害として自分たちに返ってきてますよね。
健康被害、いろんな添加物、裏を見たらたくさん書いてますよね。それに表示されてないものもきっとたくさんあるんだろうと思います。
僕は介護の仕事をして、結局高齢になった時にどんなことになるか。今、日本もそうですけど、韓国も大変ですね。
やっぱり親を見るのが子供は当たり前だっていう、儒教の考え方、縦の関係の考え方がやっぱりこべりついてるということで、介護の苦しみがすごい増しているようですね。
なかなかまた日本とは別の大変さが出てきているんだと思うんですけど。
もういい加減、売り上げ、売り上げ、成長、成長、そればっかりを追求するのはもうやめた方がいいんじゃないかな。
アダム・スミスが自分の夕食を考えなかったと同じように福祉についてはやっぱり考えてなかったはずです。
全く考えてないというわけではないんでしょうけど、利己的な追求じゃ福祉は支えられないということがもうわかったんじゃないでしょうか。
これからは偉い学者さんが何か言うそれが正しいじゃなくて、それぞれ一人一人が、いやこれ違うよね。これ違ったよね。
じゃあこれからどうしよう。自分はこうしていく。そういうのをそれぞれが発信していく。
そんな世の中であった方がいいんじゃないかなと思いましたね。
今までの経済、それはもう今までは良かった。ありがとうございます。
ただこれからはもう違うよ。さようなら。というエピローグもね、経済よさようならみたいな話でした。
なので、仕事をする上でも普段でもですね、ちょっと視点を変えていこうかなと思いました。
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ではでは、ちょっとね、共感いただける方がいるかわかりませんが、僕の感想でした。ご視聴ありがとうございます。