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どうもボブです。今日は介護の話をしたいんですけれども、今日言われた一言でですね あーと思ったことがあったんです
利用者さんからですね、もう歳もとって昔はね、いろんな
地域の貢献もしたりとか、仕事でもバリバリね 役目を持って自分しかできない役割を持ってやってたけど、今は何にもそれがね
もう体も動かなくなって 一人ではね何もできなくなったから、もうオンブに抱っこで周りの人の
なんか何の役目もない。早くね、お迎えに来てくれた方がいいと思うんだけど 長く生きて、こんなにね長く生きると思わなかった
ってその方言ってたんですね で最近ね思うんですけれども、これはなんか綺麗事を言おうとしてっていうつもりではなくて
本当に 役割があるんだろうなぁという気がするんです
歳をとってでももう生きているだけでその人にはちゃんと役割があるはずだって 最近本当に思っています。なぜかというかですね、あの
例えば お子さんがおられる方にとっては
その方はね、お子さん2人いるんですね 個人情報もあるのでちょっと事実とはちょっと別に変えて話をさせていただきますけど
息子さんと娘さんがこの方はいるというかとにしますね 息子さん娘さんが近くにいて関わってくれてるわけです
で じゃあもうあの
ぜひね息子さん娘さんに 親孝行をさせてあげる機会を
与えてくださいって僕は思います そのね親孝行っていうのも本当にただね
こう介護で大変なだけの状況かもしれません 病院に連れて行ったり仕事を休んで何かしないといけないことが出てきたり
何かあったら飛んできて関わったり それをねちょっとでも家族の負担を軽くしたり本人の負担を軽くするための
介護保険制度ではあるんだけれども じゃあ誰でも彼でもあの介護保険制度を使って家族の役割を全部奪ってしまうっていうのは
果たしてこれはいいことなのかどうなのかなんですね まあ本当に負担が大きくて仕事の状況もあって負担を取らないといけないという方も
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いるでしょうけど それが必要な方もいるかもしれないそう思うんですよね
こうなんというか その家族に起こっている課題がそれぞれあるんですけれども
その課題ってその家族にとって必要があって起こったこと っていうふうにやっぱり思うんです
子供にとって親の面倒を見るっていうのは やっぱりね子供と違ってあの自分の子供を見るのと子育てと違ってやっぱり大変な部分
あと感情的にもねイラッとする部分とかたくさんあると思うんだけども でも
子供の時にしてもらったこととかそういったのの恩返しをするような そういう機会に人によってはねそういう気持ちでする方もいるでしょうし
でもみんながみんなそういう必要はないかなとは思いますが ただいろんな意味でその子供にとってその親を見るということがとても
なんというかある種の成長に必要なことだったりするんじゃないかなと思うんですよね 大変だ大変だって言いながらもやっぱり気になって頑張ってやってる方もいます
ねー かといって逆に本当になんか関わりたくない
本当は縁も切りたい だけれども
私しかできる 家のつながってる家族がいないから
仕方なく 関わりたくないけど仕方なくやってるそういう方もいますでもそれでもちゃんと
つながってるんですよね で
そこをなんというか全部切ってしまうっていうのはまたやっぱりいいことではないのか もなーっていうふうには思うんですね
お孫さんがいるっていう方にとってはお孫さんねあのちっちゃい 孫がそのおじいちゃんを見るおじいちゃんがいる体が弱いいつも寝てばかりだとしても
横になっているおじいちゃんがいるそれを見ている自分のお父さんお母さんがいるっていう その状況を見るだけでも
孫にとってはおじいちゃんのイメージがつくわけですもんね 僕の父はですね
まあもう亡くなったんですなので僕の子供におじいちゃん を知る機会というのはまあ妻の方のね
父は元気なのでまあの妻の方のおじいちゃんだけということなんですね なので何かこうおじいちゃんねまあ片方でもいるからまだいいんですけど
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やっぱり
いてくれるだけで本当にいいんですよ いてくれるだけで
勝手に子供や孫はいろんな
捉え方をして それなりにやっぱり学んでくれるんですよね
できなかった親孝行がやっと今できたって思っていたり あと大変だなんで私がこんな私だけが他の兄弟いるのになんで私だけ
介護しないといけないんだとかねそういうこう そういうふうに思われることもあるかもしれないけれどもそれはそれで大事なことなんですよね
自分の身として経験したことがあるわけではないので こんなこと言ったら実際にね本当に大変な人にとっては
そんなね簡単に言うんじゃないよって思うかもしれないんですけど でも
両極端を見ているとですよ大変な本当に大変な状況の方と 介護しながらも幸せに何か感謝しながらしている方と両極を見ると
どちらの曲の 方にとっても
この状況って大切なことなんだっていうふうに本当に思えてくるんですよね ということは
その方生きているだけで本当に周りにとって いい影響を与えているってことになるんですよね
自分は無意味だとか無価値だとか言ってる方がいたとしても絶対にそんなことはない そういうふうにね
本当に思うんです 仮にじゃあ
私は息子も娘もいない 誰もね親族いないんだっていう方
だとしてもですよそれだとしても 現に今僕と関わってるじゃない
介護の人と関わってるじゃない 介護を受けてなくても誰かと関わってるじゃない
その人たちにとって何か迷惑かけてたりとか いろいろ負担をかけてたりとかするかもしれないけれども
それ 僕たち支援者の学びにつながってますよ
結構ね困難事例とか言って見下りがない方大変だとか言ってね 言われちゃいますけどでも
それはそれで経験になってますよ その分いろんなことをね考えます
で あとね事業所の収益にちゃんとなってますよ
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経済のね一つに貢献してるわけですよね なのでどんな方でも何にも無価値になっているなんてことはありえないんですよね
ある本で言ってたんですけどもう世の中ってこの世界はパズルのピースみたいなもん なんだっていうことなんですよね
誰か一人がかけても完成しない そういうふうになっているんだ最初から必要のない人間だったらそもそも生まれてきてないわけです
なので何かしら今どんなに体が動かないにしてもどんな状況でも役割がある もう私なんて無価値だわって言ってる方が目の前にいたら
ああ僕の学びのためにあなたがいるんだねって思うわけですよ ああそうかそうか
ね娘さんが怒ってたらあそっか娘さんが怒るためにこのね お母さんがいるんだとかね今イライラして自分の感情をコントロールできない
このね課題をそのね娘さんの課題を作ってくれてんだっていうふうに思うわけですよ なので
無価値な人なんて誰もいないそう考えると僕自身ももう仕事もできない どこ行っても使えないって言われて
営業職の時はですねもう毎日殴られたりとか営業成績も上げられなくてもうね 怒られている毎日
介護の仕事をしても全然覚えが悪くてね 正義感ばっかりあって実際のねもう口と手が行動がねあの結びついてない
もうずっと怒られて 何の価値もないな自分なんてって思ってたわけです
でも今やっぱり改めて高齢者とあと僕の子供にもですね教えられます あ
価値ないなんてことってやっぱないんだ 今ねあの子供がもうねえともうお父さんお父さんと言ってくっついてきてくれる子供
だったり a ねえあの
ボブさんって言って電話してきてくれる長話のおじいちゃんおばあちゃん そういう方々見てると
そっか僕も役割があってその電話してきてくれるおじいちゃんおばあちゃんも役割があって 今その役割に従って僕もいろいろと考えている
みんな誰も無価値な人なんていないんだ そういうふうにね本当に思います
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でこういった聞いてくれる方がいるおかげで スタンド fm 今ね話させていただいてます本当にありがとうございます
何かねこう普段の生活でプラスになればなーっていうかととか僕の気づきのシェアを させていただいてます
本当に今日はねあのちょっと今日はこういったことをお伝えしたかったもので配信させて いただきました
ご視聴ありがとうございます