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どうも、ボブです。今日はですね、正しく生きることと幸せに生きることって、全く別問題だよなーって思った、ということを共有したいなと思います。
まずですね、この気付くきっかけっていうのが、船越康博さんっていうですね、僕の大好きな重ねにっていうのを提唱していて、
いろいろ全国にですね、教えてある方のお話を聞いた上でですね、皆さんにシェアと、あと自分の中の気付きをシェアしたいなと思います。
ではですね、この正しく生きると幸せに生きる、皆さんですね、健康とか、介護予防だったり、あとダイエットだったりしたときに、
ついつい正しく生きるっていう、正しく健康になろうとしているっていう方、多いかもしれないなって思うんですね。
で、ただそれを一生懸命やったとしても、もしかしたらその中に幸せに生きれてないなっていう方っているんじゃないかなって思うんです。
で、これちょっとね、僕も健康のいろいろね、勉強をして、習って、資格を取って、実践してってやっていってる中で、ちょっとね、感じるんですよ。
自分も一部分そういうところってあるなっていう反省も含めてお伝えしたいなと思うんですけど、この正しく生きる、正しく健康になろうとかいう風にするときって、
ついついね、あれ食べちゃダメ、これ食べちゃダメ、この中にアミノ酸と、これってグルタミン酸ナトリウムなんでしょ?
これってやっぱりね、体にとって良くないんだ。味覚もね、子供に食べさせたらね、やっぱり味覚が変わってしまうんだとかね、これは食べちゃいけない、あれ食べちゃいけない。
水銀がお魚のね、マグロとかには多いんだとか、いろいろ知識が増えれば増えるほど、正しさっていうのがどんどん積み上がっていく、そんな気がするんですよね。
で、その正しさのせいで、その反対側にあるものが悪っていう風になって、そのね、悪の方をけぎらいしたり、何か攻撃したり、これがもうダメよ、ダメよ、ダメよって。
あと自分を責めて、あぁ食べてしまった、ついついうっかり食べてしまったとか、そういう風にね、感情がなりがちじゃないかなって思うんです。
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で、それが、いわゆるでも、体に食べない方が、体に取り入れない方が良いものであれば、それで良いじゃんって思ったりもするんです。
ただ、これね、トータル、それって、本当にね、美味しく楽しくありがたく食べているのと、いや、これはダメ、あれはダメ、これだけ食べて、でもちょっとね、味もそんなにね、美味しくないけど、でもこれが体に良いんだからって言って食べているのと、
どっちが幸せですか?
言ったら、やっぱりね、もう好きなもの食べて、いつものこれを食べるのが一日の楽しみなんだよって言いながら、食べている人の方が幸せ度高いって思いますよね。
じゃあ逆に、好きなものを食べて、体に良いとか悪いとか考えずに、好きに食べるっていう方で、じゃあ結局良いじゃんってなるかもしれない、幸せを求めるんだったら。
でも、今僕がね、介護の現場で見ている方っていうのは、好きなものを食べて、結局後ですごく苦しんでしまっているっていう状況があるわけですよね。
これも、美味しく食べているっていうよりも、ストレスから、ストレス発散のために食べ物を食べている、そういう方すごく多いなって思うんですよね。
あと、特にね、自分の体が求めているものではなく、その欲から食べている、そういうものですね。やっぱりね、病気になってしまうリスク高くなると思うんです。
じゃあどうしたらいいのよ、思いますよね。
僕最近すごく思うのが、脳科学のかばさわしおんさんが言ってやることなんですけれども、
ドーパミン的な幸せ、欲だったり快楽とかね、そういった意味での幸せを求める方と、あとセロトニン、幸せホルモンが出るって言われる、セロトニン的な幸せを求めるで大きく違う。
このセロトニンとかね、この幸せホルモンをバランスよく出すには、ありがとうっていう言葉が一番大事なんだ。
幸せホルモンに欠かせない、セロトニン、オキシトシン、ドーパミン、この3つがね、とても幸せホルモンっていう意味で大事で、このバランスが大事って言われるんですね。
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で、この一番ベースになるのが、そのセロトニンっていう部分なんですけど、このありがとうとか感謝の気持ちを持つっていうことが、バランスよくこれをね、ホルモン出してくれる。
じゃあ、この感謝っていう部分が大事なんだなと。
そこで、最初にお伝えした船越康博先生が、いつもいつも教えてあることがですね、食材に失礼のないようにいただくっていうことがね、とっても大事なんです。
で、食材をちゃんと丁寧にね、扱って、包丁の切り方一つ、なんか別のこと考えながらバカ野郎と思いながら切るとかじゃなくて、ちゃんとね、細胞を無駄に潰さないっていう意味では、包丁をしっかり研ぐっていうことが大事だったりとかですね。
あと、皮の部分を無駄に捨てないとか、芯を捨てないとか、そこもすごい生命力がある部分なんですよね。
そういう部分もちゃんと余すところなくいただくとか、そういう部分、今の超加工食品を食べてる限りは、なかなかファーストフードみたいなのとか、完全に粉末の調味料とか、そういったのばっかり使っていると、
その食材に、本当に失礼のないように感謝していただくっていうことが、本当の意味で実践できないと言われてるんですよね。
なので、そういった調理法が全て含まれているのが重ね煮って言われるものなんですけど、また別の回でお話はしたので、そこで詳しい説明は聞いていただけたらなと思うんですけど、
そういった料理を作ってですね、重ね煮だけじゃないですよ、ちゃんと一つ一つ食材を無駄にせずに大事に使って、そして食べるときにですね、ちゃんと手を合わせていただきますっていうのを心を込めて言うんです。
船越康裕先生流で言うと、雨土のお恵みとこれを作られた方々のご愛念に感謝しいただきます。この食べ物がじたともにお役に立てるようお祈りいたします。ありがとうございますって言って、いつも作るわけですよ。
手をいただきますの時も、うちの子供の保育園で言ってる言葉がとても良くて、すべての皆様に感謝していただきますって言ってるんですね。これいいじゃんって言って、難しい雨土のじゃなくて、子供でも言える、すべての皆様にって保育園で言ってるんだったら、
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これをちゃんと食べるときに声に出して言う。ごちそうさまでした。美味しかったですとかでもいいし、これで体が元気になりましたとかね、そういう風に言葉をちゃんとかけるっていうこと。
そういうことを一つ一つの書作とか言葉を大切にして食事をとるっていうことが大事じゃないかなと思うんです。
なので、体だったり自然だったり、作ってくださった生産者さんとかね、そういった方々に本当に感謝の気持ちを向けていただくっていうことを続けていったらですね、
添加物がわんさか入っているものとかを選ばなくなる。これもね、知識はある程度必要だと思うんですよ。
ある程度わかった上で、その後は敵対するんじゃなくて、添加物とか農薬とかを敵対するんじゃなくて、ちゃんと食材に感謝するっていうこと。
それが幸せに生きるっていうことの一つの入り口になるんじゃないかなと思います。正しく健康になろうってすればするほど善悪とかね、敵対心を生んでしまうので、
そうじゃなくて感謝の気持ちっていうのをベースに考えていくと、実際にいただきますとか、そういった言葉を使ってやっていくと、
より健康オタクにならずに、自然体な形で力を緩めて、片肘張らずに健康になっていけるんじゃないかなって。
あれだめよ、これだめよってもう言わなくていいんです。
とにかく食材、自然、体に感謝して、自分の体自身も自然の一部なんで、本当に喜んでくれてるかな、負担かかってないかな、
ある程度知識を入れた上で、それを真正面から向き合ってみるっていうことで、徐々に自分と一致していくんじゃないかなって思うんです。
それが最終的な幸せな生き方に繋がっていくんじゃないかな、
そんなメルヘン的なお話に聞こえる方もいるかもしれないですけど、本当にこういうもんじゃないかなって最近思いました。
興味のある方、共感された方、ぜひコメントください。ご視聴ありがとうございます。