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2025-03-11 16:35

【介護342】介護の原点は「カワイイ」だった。

#ケアマネ #介護 #子供 #病院
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サマリー

このエピソードでは、介護に対する思いが「かわいい」という言葉に凝縮されていることが語られています。幼少期の体験を通し、感情的に支えられた存在であるぬいぐるみと、現職の看護助手としての経験を結びつけながら、介護対象者に対する「かわいい」という視点が述べられます。介護の現場における「かわいい」の重要性が語られ、利用者の生活を本人らしく保つことの難しさが強調されます。また、コンサルタントとの対話を通じて、自身の仕事の価値観を見直し、転職の可能性について考察されています。

介護の原点
どうもボブです。今日はですね、介護の話をしたいんですけども、あの皆さんお仕事それぞれされているかと思うんですが、お仕事をする中で、何か自分のキーになること、大事なものって何ですかって聞かれたら、皆さん何て答えますか?
昨日ですね、僕がキャリアコンサルタントの方とズームでお話しする機会があってですね、今までの仕事のこと、介護だけじゃなくてですね、介護する前は何してたのとか、いろいろ話をしていく中で、今の介護の仕事において、何か一番大事にしていること、介護に限らずだけども、何かこう自分の一つ芯になっているものって何ですかって
聞かれたんですけど、その時にですね、なんかこうかっこいいことを言えばよかったんですけど、なんかその時浮かんだのが、なんかバーッと自分がなんでこう介護の仕事とか、今なんかね、ケヤマネの仕事もそうなんだけど、何がこう自分にとってこう
なんか感情的にですね、これが決め手でやってるんだろうなーって思ったことが、かわいいっていう言葉が浮かんだんですよ。なんでやってんの?って介護の仕事やってんの?って聞かれた時に、ふとなんかかわいいからっていうのが出てきちゃうんですよ。
で、それを思った時にしっくりきたんです。皆さんはどうでしょうかね?なんかいろいろとね、自分の価値観とか、そういったのがベースになっている部分あると思うんですけど、なんか僕はかわいいが出てきたんですね。で、なんでかわいいが出てきたと思う?ってまた聞かれたんです。
この方、コーチングを学んできた方なので、引き出すのが上手なんですよね。なんかあれよあれよと、自分の思っていることを話すことになってですね。で、そういえば子供の時、このかわいいに僕助けられてきたんですよ。
あのー、幼稚園の時からなんかね、最初はスヌーピーのぬいぐるみが大好きで、で、その後ケロケロケロッピーになって、それからというもの、ずーっとケロケロケロッピーが大好きで、いろんなケロケロケロッピーのぬいぐるみがもううちに1,2,3,4,5,6、もう6個ぐらいあって、他にもなんかいろんなぬいぐるみとか姉ちゃんが作った
お人形さんとか、いろいろ持ってて、ガンダムちょっとプラモデルとかじゃなくて、ぬいぐるみを戦わせて遊ぶとかね、ぬいぐるみに剣を持たせて戦うとか、そんな遊びをしてたんですよね。で、一個一個名前をつけて、で、あの声を、そのそれぞれに合った声を出しておしゃべりするみたいな。
そんなね、あのうちの父親からすれば、もうなんか心配してたと思います。こいつ大丈夫?みたいな。ねえ、姉からすれば、もう10歳ぐらい離れてる弟がそんな風に遊んでるからもう、まあもうかわいいかわいいでしょうね。で、そんな感じで、なんかこう、あのずっと僕、姉がその10歳差で離れてたもんだから、一人で遊んでたんですよ。
で、遊ぶ人がいなくて、兄弟とかでね、その遊べる人がいないから、一人で黙々部屋で遊んでて。で、なんか誰かに遊んで遊んでっていう感じではなくて、黙々と遊んでたんですよ。だから手がかからないねって言われてたんですけど、なんかね、こう、その後小学生になって、こうずっといじめられてたんですね。
誰かから、強い人が必ず現れて、で、自分を叩いたり、修行だとか言って、ドラゴンボールが流行ってましたからね、修行だって言って、ボコボコにされたりとか、傘で叩かれたり、なんかね、消火器ぶっかけられたり、まあいろいろとね、してきたんですけど。
で、それで、なんかこう、遊んでる、うちに帰ってきて、唯一、何でも話を聞いてくれて、唯一、なんかこう、癒してくれたのがぬいぐるみさんのケロケロキョロピたちだったんですよね。
介護の現場での気づき
で、その時のかわいいだったり、で、それがね、小6とかまでも普通に遊んでたんだけど、さすがに中学生になって、もうちょっと恥ずかしいわけですよ。まあ小6でも恥ずかしかったんで、もう誰にもバレないように、みたいな感じでこっそりこっそり、で、友達が急に遊びに来た時とかは、もう急いでぬいぐるみを片付けて、で、隠してっていう感じで、もうやってたわけですよ。
急にピンポーンとか来たら、もう大慌てでケロピたちを片付けないといけない、みたいな。で、そういうことをね、やって、なんかこう、外の人には、こう、本心を見せれず、そして、うちに帰ってきて、癒されて、で、このかわいいに癒されて、みたいな。
なので、かわいいものって、なんかこう、上から、なんか、かわいいね、かわいいね、っていうような存在じゃなくて、なんか、むしろ向こうが自分を助けてくれる存在、みたいな。そんな感覚で、おじいちゃんおばあちゃんの介護を始めた時に、最初、病院で看護助手っていう仕事をしてたんですけど、
看護助手の仕事は、やっぱりもう、入院患者さんで、ほんと寝たきりの方とか多いんですよ。で、話しかけると、にこーってしたりとか、もう、あの、意思疎通が全然できない。だけど、なんか、こう、話をしたら、こう、にっこりしたりとか、なんか、常に、こう、パクパク口をして、訴えたりとか、
もうね、あの、硬縮して、もう、足も手もぎゅーっと、なんか、こう、さなぎのようにね、ぎゅーってなっちゃってる人もいるんですけど、そんなのも、最初、衝撃だったんですが、なんか、それすら、なんか、一生懸命、口パクパクして、目を開けてとか、そう、なんか、話しかけたら、目開けたりとか、そういう、こう、意思疎通できないけども、なんか、訴えてるっていう、そういう、
人たちを見て、僕、なんかね、その、ケロケロケロっぴの、同じにしちゃいけないけど、かわいいっていうか、あの感覚になったんですよ。で、これ勝手にね、僕の感覚がそうなだけなんで、もう、みなさん、同じじゃないと思うんだけど、でも、あの、決して、なんか、向こうと、
対等な感じというか、いや、むしろ、その、癒してくれるような、そういう存在での、かわいいっていう感覚なんですよね。
えっと、そうなった時に、他の、まあね、肉たらしい、あの、高齢者もいるじゃないですか。で、でも、その人たちも、最初にそれを見たからなのか、
そういう人たちも含めて、なんか、こう、かわいいみたいな感覚になったんですよね。 最初から、なんか、怒鳴りまくるおじいちゃんとか、
と出会ってたら、また違ったのかもしれないけど、なんか、そう、全体的に、なんか、かわいい対象に、僕の中ではなってるんですね。
で、その、あの、働いてる時に、
看護助手で、病院で働いてたんで、看護師さんとか、そういった方たちが、まあ、ね、ドクターとかも、お薬飲ませて、もう、デロンデロンになって、
で、状態が悪くなりましたね、とか言って、あの、どんどんね、状態悪くなっていくわけですよ。 いや、悪くなっていったんで、いきましたね、って看護師さん言うけど、それって悪くさせたんだろう?って。
僕はその頃ね、ちょっと反発を持てたわけです。 いやいやいや、自分たちがそうさせてんじゃん、みたいなね、
誰しも、看護、看護をやってる人は、一度はね、思ったことがあるんじゃないかな、って思う感覚ですけど、
でもその、自分を癒してくれた、かわいい者たちを、脅かすような、そういう状況っていうのが、すごく嫌だったんだろうな、って思うんですね、今考えると。
で、そのね、あのケロッピたちも、あの、父親がね、もう心配して、もうなんか、もう男の子なのに、こんなぬいぐるみとばっかり、
小6にもなって遊んでからって言って、もうボーンってゴミ箱にしてたりとか、洗濯機でね、もうビリビリになってもいいやって言って、もうぐるぐるぐるって回して、
介護におけるかわいいの重要性
ネットとかにも入れずにね、ぐるぐるぐるって回して、で、案の定ビリビリになっちゃったりとかして、で、もう大泣きするわけですよ、その時に。
もうなんか、もう世界の終わりかのように大泣きするわけです。
その時と、なんかね、同じ感覚かなーっていう気がして、自分のね、あのかわいいものが、こう、脅かされて、なんか傷つけられたりとかするっていうのが、なんかすごくね、
嫌なんだなぁ。で、そのキャリアコンサルタントの方と話してると、なんかね、えーと、今後、自分が仕事をする上で、対象を、なんかこう、かわいいものを対象にすると、もしかしたらエネルギー高く仕事できるんじゃないかなっていう推測ができたわけですよね。
で、なんか自分がそのネックになってる価値観だったりとか、そういったものを見つけて、で、それに沿った仕事、それに合った仕事ができるっていうのが、もしかしたら転職を見つけるっていう、そういうものになるのかもしれないなーって思うんですよね。
で、ただ今がですね、あのー、どうしても、看護師、病院でね、働いてた時は、やっぱり医療重視だったから、かわいいものがね、傷つけられるっていう状況がやっぱりあったんです。
で、看護の仕事いったんだけれども、施設の中だと施設のルールもあるし、全体のこと考えないといけないから、結局対象となってる利用者さん、おじいちゃん、おばあちゃんがやっぱり傷つけられるようなことってやっぱり施設の中でもあるんですよね。
傷つけるって、あのー、実際に戦うとかそんなんじゃなくて、自由にできないとかね、そういうことです。で、在宅の看護の仕事を今はじめてやってるんだけれども、在宅でも同じだったんですよね。
言うたら、看護の制度の根本的な部分だと思うんだけども、やっぱり営業利益重視、経済優先、企業が儲かる仕組みになっていて、企業も儲かって利用者さんも儲かればいいんだけども、そうじゃないんですよね。
利用者さんはただただお金を払って、いい面ももちろんあるけれど、でも過剰になっている部分があったりとか、利益をこちらがね、サービスを使わせれば使わせるほど企業も儲かるわけで、どうもなんかフラットな意味で、
この介護保険の負担を減らそうという動きにどうしてもならない。で、その狭間の中でケアマネージャーもやっていってるんだけれども、なんじゃこれってたまに思うんですよね。何やってんだろうって。
で、その時になんかこう、今の可愛いの人たちが本当の意味で、最後まで可愛くいられるのか。可愛くっていうのはもう本人らしくっていう表現になっちゃうと思うんですよね。
だからもう本人らしく、なんか自分の人生歩んでいく、自分の生活を自分らしくやっていく人って、なんか可愛いになるんですよね。なんかそういうのが在宅でも実現できているのかって言ったら、そうでもないんだなーっていうのを感じていてですね。
どうにか奮闘しているつもりなんですけど、まだまだできていない部分もたくさんあるな、そういうふうに感じているところなんです。
で、今の介護の仕事とは別に、子供とかに対して、僕も今子供がいるので、僕の中でもやっぱり可愛いの対象の一番は今子供なんですが、子供たちにとって本当になんかこう、今すごい忙しいんですよね。
学校行ってる子供たちってめちゃめちゃ忙しい。塾も行きながら部活もしながら、本当のなんかこう自分の生活ってできてるのかな?本当にフラットな意味で。
そんな話してたら、高齢者だろうが子供だろうが、今って問題って結構みんな本当に自由に自分の選択ができてるのかな?
なんか結局のところ大人が仕向けた方向にレールに乗せて、ただただ行ってるだけで、そのレールは本当にその人に合ったレールなのかっていうのが、誰もわかんない、自分しか本当はわかんないのにそっちに乗せられていってるような、なんかそういう違和感を感じているんですよね。
そういう部分でのお手伝いを介護と別にできないかな?子供や、子供の前に親ですよね。僕たち親とか大人がこれからの今までちょっとずれてきたものを修正していく。
今の高齢者を見て、見ているからこそ気づいて、今の生活、ただなぞっていくだけじゃここにたどり着くんだよ。だからそうじゃない方向を見つけようよ。そういうね、提案していくのも僕らの仕事なのかもしれないな、というふうにちょっとね思いました。ではではご視聴ありがとうございます。
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