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皆さんこんにちは。心のケアサロンココケアのボブことまさるです。 今日からですね、登校日。小学校1年生の子供がいるんですけど、
今日から学校、夏休みが終わって学校が始まります。 皆さんどうでしたか?もう楽しい夏休みが終わってね、
さあ今今日からってなったらもうね、嫌ですよね。普通に嫌。
子供は昨日までは、明日学校行くって言ってたのが、今日の朝なんかもう朝からぐでぐでぐでぐでやって、
もうなんか行きたくないというか、畑に行きたいって言うんですね。朝から畑に行きたいって言って。
夏休みの間、家の近くのシェア農園を借りていて、金ちゃん農法っていう無農薬の畑を栽培してるんですけど、
それを毎日見に行ってたんです。 今日も行きたいって言うけど、今日も朝、学校の準備でバタバタするし、
今日もうお昼までなので、お昼からお母さんとね、畑帰りに、畑見てから帰ろうよって言ってんのに、
絶対朝からじゃないと嫌だって言って、もう畑行きたい、畑行きたいって言って、もうぐでんぐでん。行きたいって言う割には、
もうただ寝っ転がって、もうでっかい声で、わーわーって叫ぶわけです。
ねえ、なんか、これはなんか、畑に行きたいというか、学校に行きたくないの、裏返しで言ってんだろうなぁ、みたいな風に思って、
まあ、いろいろ話するんだけど、全然効果なし。もうひたすら途中からは叫びまくるみたいな。
で、妻がですね、もう、
だいたいこう、やっぱ、こんなどうしようもない時って、妻も腹かくわけですよ。もういい加減しなさい、みたいな。
僕もそれまた、僕ももうどうしようもないし、なんか嫌な空気になるんだけど、
妻、すごいなぁと思うのが、もう、今日もう、畑、朝からもう行ってきていいよって言ったり、
もうね、あの、学校、電話して、ちょっと遅れますって言おうかとか、
言うんですよ。で、
でもね、効果なし。なんかずっと叫び続ける。
なんじゃこりゃ、と思って、で、
うちの妻がお父さんと、もうね、車でバッと畑行って、パッと見て、帰ってきたらって言って、
あ、え?今から?みたいな。お父さんバタバタみたいな。で、でも、まあ、それがいいかもなぁって思って、
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で、畑に行くってなったら、シャッと着替えて、で、行ったんですよ。
で、そしたらもうご機嫌になって帰ってきた。
で、その時にふと思ったのがですね、まあ、その、なんというか、
この夏休み後の学校の、なんていうか、これからのまた規則正しい、
もうね、ちゃんと決められたルールみたいなのがスタートしていくわけだけど、
なんか、こう、嫌な、やりたいことをこう我慢したまんま、
もんもんとした状態で行くよりも、やりたいことをやり終えてすっきりした状態で行くっていうのは、
あ、いいことかもなぁって思ったわけですよね。
なんかついつい、もう、学校に行かないといけないから、準備をしないといけないから、
えー、ダメ。やりたいことは後回しにしなさい。
これをずっと言われてきたような僕も気がするんですけど、
いいんだよっていう風になって、やりたいことを先にシュッと終わらせて、
シュッとじゃあ次、次のことやろうねっていう感じでする、この組み立て方みたいな。
こういうのを今後も、なんかこうやっていっていいのかもなぁ。
なんかこう、甘やかしてるだけとか、親は思ったりするんですよね。
でも甘やかしというか、
自分がずっとそうやって制限されてきて、
もう、やりたいことは2の次、3の次にしなさい。
やるべきことを先にしなさい。
こうやって育ってきた、この、なんていうか、負のループを打ち破るには、
親自身が打ち破って、子供にいいよって言ってあげることが一つ方法なのかもしれないな。
これは決して甘やかしではないのかもな。
で、これで1回スッキリしたことで、
自律的にもううちの子はもう今日、よし学校に行くってなったんですね。
で、今日取ってきたオクラをお昼ご飯にしたいって言って、
それが楽しみになってまたワクワクしてるんです。
あ、そっか、子供の感触をただの感触と思って、
なんかスルーしようとしてしまっていたなって、ちょっと今日思ったところでした。
で、昨日もね、夏休みの宿題。
これが、なんていうか、朝顔の色塗りとか、
あと、毎日やる日記とかそういったのもね、いろいろ課題があって、
ほぼ終わらせたんだけども、
もう、なんかちょいちょい抜けてるところもあるんです。
で、僕はもうなんか、
もうありのまんま、もうできんかったところはできんでいいや。
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もうこのまんま見せようって思ってたんですけど、
妻の方はね、やっぱちゃんとね、
出されたものはしっかり終わらせないというので、
もう残りを埋めなさいっていうことで、
最後バタバタね、妻の知った激励によって、
子供は完成させることができたんだけども、
なんかそれも妻としてはね、
僕にちゃんとやらせなさいよって思ったかもしれないんだけど、
最終的にはこういう形で、僕も言ってたんですよ。
僕も子供に、ここの部分が空いてるよ、ここをもう加工ねって言っても、
その時は言うこと聞かないんです。
もう何て書いていくかわからんって言って、
で、僕がこう言っても怒るみたいな。
そういう時ってあるんですよね。
でもちょっと時間を置いて、別の人から言ってもらうとすんなり書いたりとか、
でもまあこうやって長尻が合うようになってるのかもなーって思ったりするんですよね。
だからもう焦ってこっちのペースに乗せようとするのを手放すというか、
そういうふうにしていく方が、もしかしたら、
なんていうか、完璧にはならないかもしれないんだけど、
最終的には子供が自分で自発的にやるっていう方向になるのかもしれないなーって思ったんですよね。
今そのこの宿題を見てもね、
なんかこう、料理達人屋の道とかで、
夏休みに料理をした写真とか載せて、
レポートみたいなのを作るとか、
小学校1年生でそんなのあるんですよね。
読書感想文だったり、絵日記とかね。
でも、あと生き物の観察の日記とかね。
ただね、見てると親馬鹿なんですけど、
こんな宿題よりもよっぽど大事なものを貴重な経験、夏休みにしたぞって思ってるんですよね。
もうこれじゃ語りきれない、
いろんな朝顔の色塗りは本人もやらなかったんだけど意外と。
でも畑は毎日行って、畑の成長は毎日見た。
他にもね、日記も文字を書くのが苦手なもんだから、
その文字を、
日記を書くのがそもそも得意じゃないんですよね。
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でもまぁちょっと頑張って書いたけれども、
でもなんかその日記じゃとてもとても書ききれない、いろんな経験はできた。
それをやっぱり見せるために、表現をしないといけないんだけども。
どうなのかなぁ、もうなんか、
夏休みの宿題があることで、経験できることももちろんあるかもしれないんだけど。
本来は、もう自然の中で子供がのびのび過ごすことができれば、それさえできれば、
夏休みの課題とか宿題なんてものは、もうそもそも必要ないよね、なんとなく思います。
でも今そういう社会じゃないからね、
都会の中でそういった経験もできないから、あえてそういう課題も必要なんだろうとは思うんだけども。
でもなんかもう、格一的に全部やらせるっていうことで、
子供自身が何か必要性を感じてないような、そんな感じはしたんです。
これ何のためにやるのみたいな、朝顔の色塗りなんでやるのみたいな、そんな感じの印象だったんですよね。
だからまあ今後、なんていうか、学校のあり方っていうのも、
妻もね、ちゃんとやらないとっていうタイプだから、
もうやってないことをちょっともう、まあこれはもうやったことにしようみたいな、
そういうのもなんかあるじゃないですか。仕事でもちょっとそんなのはありそうじゃないですか。
で、もうなんか、バツか三角かわからんけど丸にしとけみたいな、
なんかね、そういう感じのを、なんかあえてそれを経験させる必要ないよねって思うんですよね。
なんかこう、ちゃんと揃えるのは大事なんだけども、
頂尻を合わせるとか、辻褄を合わせてもう終わったふりをするみたいな、そういうことを、
なんかこう今の小学校の1年の段階から、なんとなくそれが当たり前になるような、
そんな感じはもう、必要ないよね。必要なかったよね。
今仕事でもそんな必要のない仕事ばっかりあるんですよ。
で、それはもしかしたら、もう学校の宿題とかそういったことからもう当たり前のように染み込んでる、
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大人が染み込ませられているような、そんなことなのかもしれないな。
仕事は、その仕事の半分ぐらいはそういうことで成り立っているのかもしれない。
その思い出、経験、感情が原因で、今の仕事の半分が、
おそらく今後AIによってもう無意味なものになるんじゃないかなと思うんですけどね。
これからそういった意味のないことだったりね、形だけ整えるようなものっていうのは、
もううちの子供たちが大人になる時代にはもう全くなくなっているはずなんですよね。
不要なものになっているはずなんです。
なぜなら、やっぱりAIだったりとかこういったICTだったりとかが、
いい意味で発展していくことで、そういうのがもう無意味だ。
今の学校教育の中で、ちゃんと本質的なことを学んでいかないと、
時代の流れに逆に取り残されてしまうんじゃないかな。
学校そのものも、そんな気がするんですよね。
なので、なんかこの今回の夏休み、投稿日でちょっとふと思ったことでした。
ではでは、ご視聴ありがとうございます。