1. 世界から見る日本
  2. ⑧『完璧な国はない』リビーさ..
2025-10-02 25:22

⑧『完璧な国はない』リビーさんの流転の人生観

リビーさん第二回インタビュー: 今回はメキシコでのキャリアの集大成と、ヨーロッパへの転身について深く掘り下げます。

・何故メキシコを離れたのか?

・日本へ戻る選択肢はあったのか?

・自分のValue(価値)とは?

前回に引き続き、就職氷河期にメキシコに渡り、インターカルチャル・ファシリテーターでもあり、ビジネス開発のサポート及びトヨタ生産方式を専門とする工業通訳としても幅広く活躍中のリビーさんをゲストにお招きしての、第二回目インタビュー。

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【ゲスト紹介】今日ご紹介するのは、インターカルチャル・ファシリテーターのリビーさんです。

東京生まれで慶應義塾大学総合政策学部を卒業された後、なんと15年以上メキシコで暮らし、2016年からはスペインを拠点に活動されています。


日本、メキシコ、アメリカ、スペインといった異なる文化に深く関わってきた経験をいかし、異文化ビジネスコミュニケーション研修を行ったり、ビジネス開発のサポート及びトヨタ生産方式を専門とする工業通訳としても幅広く活躍中です。


特に、メキシコ・チアパス州のコーヒー生産者を支援するプロジェクトに携わり、現地の人たちと一緒に改善活動や事業づくりを支援したのは大きな実績の一つです。今もコーヒー生産者の協同組合で技術アドバイザーを務めるなど、世界中の人々とチームを組んで成果を出すことに情熱を注いでいます。さらに、日本語はもちろん、スペイン語と英語も流暢に操り、ハリスコ州最高裁に認定された公認の翻訳者・通訳者としても活躍。国境を越えて活躍する、グローバルな方です。

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・『世界から見る日本』は、世界から見た日本はどう映るのか、他国はどうなのかといったことを比較しながら、より良い日本へのヒントを探り、世界から見る日本といった視点をリスナーの方々と共有する番組です。


・ナビゲーター: ゆき 海外在住歴30年以上、現在オランダ在住の日本人コンサルタント


『世界から見る日本』という視点が気になる方、是非こちらを聞いて戴けたら嬉しいです。

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サマリー

リビーさんはメキシコでの経験を通じて、日本人特有の文化的課題や現地人との関係形成について語ります。その後、メキシコの政治情勢の変化を背景に、自己の価値観や生活の選択について深く考察し、キャリアの新しい方向性を見出す様子が描かれます。リビーさんはメキシコとスペインでの生活を振り返りながら、各国の文化や生活の質について考えています。彼女は自分の居心地の良さが一時的なものであることを認識し、完璧な国は存在しないと感じています。リビーさんは国や居場所をオーガニックな存在とし、永住の概念を否定しつつ、完璧な国は存在しないという認識を持っています。彼女はメキシコでの経験を生かし、異文化ビジネスコミュニケーションのワークショップを提供しながら新たなスキルアップを目指しています。

メキシコでの経験と課題
世界から見る日本へようこそ。
グローバル社会と言われている今、世界各国との距離が近くなったように感じる一方で、
皆さんは日本が世界にどう見られていると思いますか?
この番組では、世界から見た日本はどう映るのか、他国はどうなのか、といったことを比較しながら、
より良い日本へのヒントを探り、世界から見る日本、といった視点をリスナーの方々と共有していきます。
番組のお相手は、海外在住歴30年以上、現在オランダに住み、日本とオランダを結ぶコンサルタント業務を営んでいる私、ゆきです。
前回に引き続き、インターカルチャルファシリテーターでもあり、ビジネス開発のサポート、
およびトヨタ生産方式を専門とする工業通訳としても幅広く活躍中のリビーさんをゲストにお招きしての第2回目インタビューとなります。
リビーさんとのインタビュー第1回目は、就職氷河期に日本を飛び出し、メキシコに渡ったきっかけなどについてお話ししていただきました。
第2回もこのままインタビューを早速続けていきたいと思います。
リビーさんのメキシコ時代には、他の日本人の方との交流などはありましたか?
いわゆる法律事務所だから、お客さんは基本的に駐在院さんなんですよ。
駐在院さんと、現地のローカル採用の人たちの条件の差とかも、20代に入った時からものすごい明確に見てきたし、
いわゆる大企業さんで、駐在院で見えてる人たちっていうのが、どういう苦労して、あとどういう風に仕事をしてきてっていうのもすごい見てきて、
どういうところで苦労するとか、ご家族も含めてどういうところで苦労してるのかとか、見てきたし、そういうのをサポートする仕事だったから、
自分がいることで他の人たちの役に立ってるみたいなのすごいあったけど、でもやっぱりそういうところで、日本風の、なんていうか知らない、
日本人的なところでの弊害とか、日本人的なところでうまく物事が浮かないところとか、そういうのもすごい見てきたし、
中途半端にメキシコ文化を理解して、むちゃくちゃなことをして失敗する例とか、そういうのも見てきてるから、
なんかすごい、ああいうところから、私その後に結局独立、10年後に独立した後に、
アメリカのいわゆるインターカルチャルビジネスコミュニケーションの会社に雇ってもらって、
ワークショップなんかをやったりとか、チームビルディングをやったりとか、いわゆる日系企業さんでメキシコでオペレーションしてるところに入って、
そのいわゆるミドルマネージメントとか、ああいうところの人たちにどうやってコミュニケーション、
ストラテジを作っていけば、自分がその会社の中で生産性の高い仕事ができるようになるかみたいな、そういうのをやり始めたんだけど、
その時に、法律事務所で10年間、駐在院さんのお仕事をやってきてよかったなとはすごい思った。
ただやっぱり、すごい情報が集まってくる事業にいたから、やっぱりすごい、それを狙って寄ってくる人たちとかにずいぶん傷つけられたりとかはしたよね。
自分のことが好きでお友達になってるとか、もしくは慕ってくれるとか、探してくれるとかだと思ってたら、
実はその情報が欲しかったとか、情報を例えばこれで渡したら、他のところと比較して、
こっちはこっちで顔を通したりとかしてるのに、もっと安いところを見つけたのにそっちにしましたみたいな。
そういう、なんていうか、一番傷つけ、そのキャリアの中で一番私を傷つけたのは、やっぱり日本人っていうのもすごいある。
なるほどね。
メキシコ人は絶対そんなことしないよ、みたいなことは結構あった。
だからすごいプライベートでの付き合いっていうのは、すごい絞ってた。
逆にメキシコ人の方がそういうところをちゃんと筋を通して、ちゃんとリビーが一生懸命やってくれたことに対して顔を立てて、
それにフォローするっていうところがあるのに、日本人は。
そう、というか、逆に言ったら、メキシコ人に対してはそんなに期待をしてないっていうのがすごいあったのかもしれない、それは自分として。
人情はあるけど義理はない人たちなので。
だからそれはもともと期待してない。
だから日本人は、なんかやったら義理があるっていうのを勝手に思ってるから、こっちが。
政治的変化と自己の再考
だからそれはこういうことにはならないだろうと思っていて、自分の思い込みのせいなんだけど。
だけど結構、お金関係とかね、やっぱりそういうのすごく問題は多かったね、日本人の人っていうのは。
独立されて、それでもまだメキシコにいて。
でもある時点を過ぎてから、メキシコとはおさらばして。
そう、そうなんですよ。
ペインに行くことになると思うんだけど、またそこでどうしてメキシコとさよならをしなければいけなかったのか。
メキシコ、やっぱりその時期ちょうど、私が法律事務所にいたときって、保守的な、いわゆるちょっと中道右みたいな感じの政府が。
メキシコの政治って本当に腐敗の歴史ではあるんだけれども、それでもすごくプライベートセクターの発展に対してすごく自由っていうか。
ものすごく好きなようにやんなさいみたいな感じの雰囲気があった。
だからすごくメキシコがすごい発展してる感じの時期に法律事務所にずっといて。
そしたらやっぱり、麻薬組織の問題とかすごいいろいろ出てきた時期にたまたま最後の保守党の方がぶつかって。
元々の革命党っていう、70年ずっと独裁してきたようなところがまた戻ってきたの。
その後にものすごいいろんな理不尽なことっていうのが生活レベルでもいろいろ赤いまみえてきて。
なんか私はこの国にいて、こういう腐敗したシステムっていうのに飲み込まれて生きていくってことは、つまりダブルスタンダードで生きていかなきゃいけない。
例えば正直な人間でありたいとか、あと何かあったらごめんなさいっていうような、そういうなんか自分のモラルとかがあるわけじゃない。
だけどそういうことをしてると食いつぶされるような、例えば車の事故やった時に私じゃないって絶対言わなきゃいけないような、そうじゃないと何されるかわかんないみたいな、
そういうような人生を外国人として、私結婚もしなかったから、そういうとこで一人でやっていくのかって考えた時にちょっとこれはどうかなって思ったのと、
あと何か年を経ていくごとに、海外にこんなに出て生活してるにもかかわらず、許容範囲っていうのがものすごい狭まってきてる自分を感じて、
今までは若くて、メキシコそんなもんだよねみたいなんで許せたことっていうのが自分のポリシーとして受け入れられなくなってきたことがすごく増えてきて、
これはちょっと考えないといけないなと思って、それでヨーロッパに自分の市場はあるかなっていうのをすごい考えだして、
新たなキャリアの道
っていうのは私その時ちょうど2005年ぐらいから工業通訳でお話を受けたりとかすることになって、
法律事務所にいたから公式文章をきちんと日本語に訳せなきゃいけなくって、
それがハリスコ州最高裁判所の公認通訳翻訳士っていう資格なんだけれども、
その他にも市役所とかそういうのもだんだん許可を取ってたんだけど、当時は。
そういうところから声がかかってきて、工業分野の仕事っていうのが増えてきて、
それって現場に行って日本人の方とメキシコだとか上の経営人のアメリカ人だとかそういう方たちの間を持つっていうやつなんだけど、
加工業とか製造業っていうのは法律分野から来た人間にするとすごく美しくて、
っていうのは1たす1は2、それは周りにとって絶対的な真実。
法律事務所っていうのは裁判とかいっても、白いものをいかに黒くしていくかとか、黒いものをいかに白くしていくかっていう、
ああいうような交渉をやってなんぼっていう世界から見てると、素晴らしいなって思っちゃったのね。
そういうのがあって、あと工業通訳でなんですごい仕事が入ってくるようになったかっていうと、
私は英語とスペイン語と日本語でできるっていうので、私は自分ではそれをオファーするつもりはなかったんだけど、
お客さんがあんた英語もできるねみたいななんかの時に英語もできるねっていうのがわかって、
それで進めてくれてアメリカのエージェントさんとかそういうところからその三カ国語で入るようになった。
たぶんそれって私よりスペイン語うまい人めちゃくちゃいっぱいいて、私より英語いっぱい、もっとうまい人いっぱいいるんだけど、
その3つすごいニッチな工業分野でできるっていう人っていうのはそんなにいない。
そしたらこれでフランス語とかやったらもっといけんじゃないかと思って、
で、法理事務所を辞めた時にフランスに留学したんですよ。
ほんと?
それでヨーロッパ40代、40代じゃない30代だまだの時は30代で、
普通のクラスメイトが私は16歳ですとか言ってる時に、
私がその30とか言ったらもうなんか難しいわけ。
私まだ30までやってないみたいな、数まだ習ってないみたいな、そういうレベルで行って、
だからヨーロッパに行きたいなってすごい思った。
フランスからスペインへの流れ
仕事でやっぱりフランス行ったりとかしてて、すごいなんていうのかしら、
これはフランス語すごい好きっていうのもあったし、
なんかこれはいけるんじゃないかと思ったんだけど、
後々いろいろ見てみたら、バッグも持ってなかったら全然仕事にならないとか、
いろんなのが分かってきて結局ダメだったんだけど、
フランスに行こうっていう、フランスにしばらく行ったりしてて、
そのヨーロッパにちょくちょく行く途中で、
結局私、うちの主人って高校の同級生なんです、アメリカの。
そういうので、同時進行でいろいろそういうのがあって、スペインに落ち着いたっていうのがある。
だから結局狙ってないんですよ、どこも私の最終値。
全部結果論だから、全部流れ流れてっていう。
だけど結局メキシコって、じゃあさよならってなったわけじゃなくて、
メキシコは、結局仕事全部メキシコ国境とかね、アメリカとかだったんで、
ヨーロッパにはまだそんな仕事なかったわけですよ、その当時は。
だけどお客さんに聞いて、私スペインに拠点を移そうと思うんですけど、
私はもうお仕事はちょっと受けられないですよね、みたいなこと言ったら、
出張できますかって言われて、出張全然できますって言ったら、じゃあこのまま行きましょう、みたいな。
だから私はメキシコと突然お別れするっていうことにならなくて、
今でも実は最低でも1ヶ月半か2ヶ月に1回メキシコに出張していて、
ひどい時だと毎月、ここから年末なんか毎月メキシコ行くんですよね。
だからそういう、メキシコとの別れ自体がそんなにドラスティックじゃなかったから、
すごく良かったっていうのは、キャリア的に言うと私が今持っているすべてのことはメキシコが教えてくれたことだから、
だからそれに対して急に切って全く違う新しいことをするっていうことになったらまた、
それはそれですごい大変だったと思うんだけど、
メキシコの仕事を維持しつつ、生活の拠点はスペインになって、
しょっちゅう行ってるっていう感じで、すごく良い、メキシコとは良い関係になったっていうか。
日本のシステムへの不安
そのときに、ちょっとメキシコで自分のモラルとかそういうところに会わなくなってきて、
自分の許容範囲がちょっと狭まってきたなって感じたときに、
じゃあ日本っていう選択肢は全くなかったの?
日本なかった。
どうしてなんでしょう?
なんでかわからないんですけど、
日本のお客さんとずっとやってきていたから、
それぞれのお客さん、会社ももちろん違うし、立場も違う方達だから、
一概には言わないのは十分わかってるんだけども、
ああいうシステムの中で、自分が一番そのとき大きなお仕事だったのは工業通訳なんで、
工業通訳だとかやっていくときに、
法律事務所とかそっち系だったとしたら、
私をメキシコに置いとく以外に、私がそういう仕事をするメリットがまずないっていうのをすごく思ったのと、
もちろんそれは後で、私のお友達なんかで日本に帰って、
日本でそういう仕事をしだした人たちいたから、
もちろんそれは私の勝手の思い違いではあるんだけれども、
あのシステムにまた取り込まれて、私はその中で生き延びていくっていう自信がないなってすごい思ったのがすごいあるかな。
リビーがさっきから言うあのシステムっていうのは、
なんとなく感覚的にはわかるんだけど、
具体的にどういうこと、やっぱりリビーにとっては、
日本のあのシステムが生きづらさとか、ちょっと居心地の悪さとかを感じさせてるのかな。
なんか一番大きいのは、なんか無意味なコンペティションがすごいあるっていうか、
で、なんかそれってすごく精神的に大きなインパクトがある。
私のような心臓強くないタイプは。
だから、こうしなければいけないっていうものにすごい縛られちゃう。
それはたぶん流される、自分は流されるってわかってるから、
なんかすごい資格をいっぱい取らなきゃいけないとか、
自分が自分のままでいいって言って、
それもなんかその成長の仕方も、自分は何やるんでも遅いから、
なんかそういうスピードっていうのが許される分野っていうのが、
自分では見つけきれないんじゃないかなってすごい思って。
あと、それの割には、私はすごいあの、
自分の対価みたいなものっていうのは、ある程度あると思っていて、
それで年収っていうか、まあなんていうのかな、
自分は生きていく上で、これぐらいの生活レベルを維持したいみたいな、
それだけははっきり決めてあるわけ。
だから、それはあの満たされるような仕事に就けるかどうか不安みたいな、
そういうのも多分漠然とあった。
でもやっぱりそのすごい無意味なコンペティションだとか、
それを何て盛り上げ強制するような雰囲気とか、
そういうのがすごい感じてしまう、外から見てると。
特にだんだん海外長くなってきちゃったから、
日本の実際のそうでもないよみたいなところってのが見えないから、
すごい不安そういうのが。
そうだよね。
すごい無意味なコンペティションとか、
その点数に全部自分がなっていくみたいなところっていうのは、
私はそういうのに向いてないってすごい。
外のことはわかんないけど、自分のことはわかるから、
そういうコンペティションだとか、
メインストリームで競争していったりとか、
何か勝ち抜いていかなきゃいけないみたいなのは、
自分には向いてないってすごいわかるから。
それがすごい成功に直接つながってるシステムのような気がしてる。
海外長くなってきちゃったから、
それは私の思い違いかもしれないけれども、
それは最近よく思う。
多分日本の人たちが見てる日本の現実と、
自分が外から見てそう思ってる現実って、
メキシコとスペインの比較
多分すごい剥離が生じていて、
ただそれを是正するために日本にしばらく住もうとか、
そういうスピリットもないみたいな感じ。
やっぱりすごい生活しやすいところってすごく、
メキシコもそうだったけれども、
メキシコは最近すごく治安が悪くなってきて、
スペインに来てもう10年近くなるんですけど、
でもスペインってすごく日本とメキシコの間みたいな感じで、
すごく私にちょうどいいんですよ。
ゆるさ加減が。
こっちにいると、
ラテンのグループ、
ラテンの人たちの感覚にすごく近いと思う。
だからすごい、
なんであんなことをずばずば読んだらスペイン人は?
とか思ったりとかするけど、
その辺って日本とラテンアメリカと
オブラートに巻いてみたいなすごい似てるから、
だけどメキシコみたいに、
全てがカオスみたいな、
ああいう感じではなくて、
スペインっていうのはEUの諸国の中の一つの国でもあるから、
すごくインフラとかも整ってるし、
なんかあったらお巡りさんに言うとか、
だってメキシコなんかの、
とにかくお巡りさん呼ばないようにみたいな、
ああいう生活してたら、
お巡りさんちゃんとお話聞いてくれて、
なんとかしてくれるとか、
ああいうのはなかったからね、
17年近く住んで。
だからそういう安心、
夜道歩いてて安心とか、
この夜空の風が気持ちいいとかって、
メキシコでやったらそのまま何起こるかわからないけど、
スペインはそういう夜のソゾロ歩きとかができるし、
なんかそういう、
体幹治温とかそういうのもすごく、
生活の質の中では重要だから、
なんかそういうの考えると、
スペインすごいちょうどいい、
クオリティオブライフが高いかな、
じゃあこのままもうずっとスペインにいるっていう、
うん、もう、
感じなのかな、
そうですね、なんか、
やっぱりメキシコにも住んで、スペインにも住んで、
仕事でいろんな国に行くので、
完璧な国っていうのがないっていうのは、
結構若い頃に気がついてしまってる、
だからその、
あとその自分が今居心地がいいとか、
自分がクオリティオブライフが高くて気に入っているっていうのは、
テンポラリーであるということもわかってるから、
今、
例えば私がもっと若い時代に、
ヨーロッパに来ていたら、
同じふうに思ったかどうかはわからない、
刺激が足りないって思ったかもしれないし、
メキシコはその若い20代、30代の時にいて、
パワーがあったから、
よかったと思う、
なるほど、なるほど、
やっぱその時々によって、
オーガニックな存在としての国
メキシコだったり、スペインだったり、
自分もそう変わっていってるっていうことだよね、
そう、
うちの両親が家を買う時に必ず、
家はオーガニックなものだっていうコンセプトで生きていて、
それにすごい近いかもしれない、
国も自分がオーガニックな存在だから、
その時はいいかもしれない、
だけどその後に、
永住ですかとか、永住組のリビーさんとかって、
よくメキシコで言われたけど、
私は絶対に永住しますって言ったことがなくて、
それは常にその頭の中に、
これは、
なんていうのかしら、
私が入れ墨を入れないのと同じ理由で、
世の中に未来英語みたいな、
永久のものはないって思ってるから、
永住するとかも言ったことないし、
スペインも永住するんですかって言われた時に、
それはまあわからない、
特にうちは主人も、
幼少時代はコロンビアで育っていて、
パナマ、コロンビアで、
15ぐらいでこっちに戻ってきてるし、
ギリのお母さんも幼少時代をスイスで過ごして、
大学はスペインで行ったっていうコロンビアの人だから、
家族全体で、
ギリの弟たちも今マレーシアに住んでるんですよ、
長いこと。
誰も永住って言ってない。
今はここにいて、
今自分はハッピーっていう会話しかないっていうのは、
すごいあるかなって。
弟たちは日本に住んでて、
親も日本に住んでるけど、
あの人たちはあの人たちで、
日本ですごい今ハッピーって思ってる。
嫌なことはあるけど、
みんなそれは完璧な国はないからっていう、
それは自分がオーガニックの存在だから、
それはもう、
自分が合わせていくか、
もしくは自分にどうしても合わない部分があったら、
それは探すしかないっていうところ。
それはもう、
世代によって変わってくることだから。
またどこに引き寄せられていくかはわからない。
こういう目的があって、
メキシコに行きました、
達成しましたとか、
そういうのではないので、
他の人とかには、
一切役に立たないと思う。
そんなことはない。
それではこのあたりで、
リビーさんのメキシコからスペインへの
編成の会は終了したいと思います。
さて、今回のエピソードはいかがだったでしょうか。
メキシコでの10年間の法律事務所勤務を終え、
リビーさんの新たな挑戦
退職独立を決意。
独立後は法律事務所での経験を生かし、
日系企業向けに
異文化ビジネスコミュニケーションの
ワークショップなどを提供しながら、
この時、自身の日本語、英語、スペイン語の
三角語能力が工業通訳などのニッチな分野で
大きな強みとなることを発見し、
さらなるスキルアップとして
フランス語習得のため
ヨーロッパへの留学を決行。
結果的にスペインに拠点を移しますが、
現在もメキシコでの仕事は継続し、
今持っている全てのことは
メキシコが教えてくれた、
とのリビーさんの言葉が印象的でした。
また、自分の対価は分かる。
外のことは分からないけど、
自分のことは分かる、という
自分のバリュー、価値をしっかり認識している
力強い言葉は聞いている私も気持ちが良かったです。
最後に、自分自身や国をオーガニックな存在として捉え、
完璧な国はない、という認識を持ち、
永住の概念を否定。
居心地の良さや幸福感は一時的、
テンポラリーであるという留天の人生観、
そしてその人生の舵を取るのは自分なのだ、
という大切なメッセージを教えてくれたように思います。
次回はリビーさんのインタビュー最終回にて、
彼女のライフワークともいえる、
メキシコ・チアパス州のコーヒー生産者を支援するプロジェクトについて
お話を聞きたいと思います。
番組が気に入っていただけた方は、
ぜひ番組のフォロー、
および概要欄にあるフォームより、
感想や質問をお待ちしております。
お相手はオランダに住み、
日本とオランダを結ぶコンサルタント業務を営んでいる
ユキでした。
それでは次回、木曜日にまたお待ちしております。
25:22

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