古い番地名にまつわるロマン
こんばんは、今を生きる Seize the dayです。
昭和生まれのコバマルが日々の生活の中で感じたこと、思ったことをつぶやきます。
今日のテーマは、生きな町名、番地名について話をしたいと思います。
この話をしたいなと思ったきっかけは、ある日の会社の先輩との食事中の会話がきっかけです。
先日、職場に出て仕事をしていた時に、先輩に誘われて、お昼ご飯を一緒に食べに行きました。
その先輩が、最近僕、古地図にハマっているんだよね、みたいな話をされていました。
特に江戸時代とか、それぐらいの時の古い地図にハマっていて、ヤフオクとかで買っている、みたいな話をしておられました。
その話を聞いていて、私も地図ではないんですけれども、古い番地とかそういったところに興味があったので、その話をちょうど先輩としていました。
特に思うのは、昔の番地にはいきなり名前があったのにな、ということを思ったので、その話をしたいと思います。
昔の番地で思い出すのは、東京の高木町というところです。
今でいうと南青山6町目とか7町目と言われるところで、少し前ですと富士フィルムの本社があったところあたりです。
今は首都高のインターチェンジの名前として残っているという、そういう番地名です。
あとは、昔どういう人たちが多く住んでいたところかというのはわかるような番地とか、地域の風情がわかる番地も私としてはロマンを感じるというか、そういう印象を持っています。
例えばですね、東京の日本橋には昔小壁町という番地があったそうです。
これは江戸城の修理の工事に従事するノコギリ職人の方たちが住んでいて、そのノコギリを小壁って昔は呼んでいたんだそうです。
他にも今でも残っている番地というのも、昔からの番地がずっと残っているというところもありまして、
例えば千代田区ですとか、千代田区だと一番町から六番町とか神田なんとか町、神田神保町みたいに昔の番地がそのものが残っていたり、その名残が残っているというところもあります。
東京の中央区でも日本橋箱崎とか、あとは日本橋兜町の証券会社が多くあると言われているところですね。
消えた町名と住居表示の実施
あるいは日本橋の柿原町とか、そういったような番地もあります。
そういった番地名が何で消えたかという話なんですが、いろいろインターネットで調べていたところ、
1964年に住居表示の実施というそういう取り組みというか一連の流れがあって、東京都内の町名はその多くが消滅したんだそうです。
ここからはインターネットでいろいろ調べて、番地のことに関して調べていたところ、
アーバンライフメトロというページに私は行き着いたんですけれども、
そちらのページから一部文章を引用させていただきます。
あとでリンクも貼っておきます。
引用始めですけれども、1964年の東京五輪を契機とした住居表示が実施されたからですと。
住居表示の実施で住所は整理されて、郵便配達は便利になって、
その地域を訪れたことがない人でも住所は分かりやすくなったんだそうです。
分かりやすさというところもすごく大事だなというふうには思うんですけれども、
その昔から有所あるような町名が消えるというのもちょっと残念だなというふうに私は思いました。
町名の変遷と昔の町名のロマン
たまたま私が今住んでいるところの近所を歩いていたところ、
昔の町名と今の町名を比較するという看板が出ていました。
私が今住んでいるところは昔、月見町という町名だったんだそうです。
昔の町名の方が粋な名前だなというふうに思いました。
ということで、今日は粋な町名、万地名というテーマでお話ししました。
今日も聞いてくださってありがとうございました。ではまた。