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ご番です。この配信は、日本のどこかの都市を描いた歌だと、その歌にまつわる話をお届けしていきます。
ご相手は、MCワタンドです。よろしくお願いします。
そんなわけで、今回お届けする曲は、JUKEの「織田宮柿生」という歌です。
この歌の描く舞台は、タイトルの通り、織田宮船の柿生駅というところが舞台になっています。
織田宮・織田原線という、織田原と新宿を結ぶ線かな、その途中にある駅で、この場所自体は神奈川県川崎市の麻生区にある駅になっています。
歌の中では、おそらく柿生に住んでいた主人公が、別れもあったりしたのかな、思い出の詰まった柿生を立ち去るというようなところが描かれていて、
両親的な家族の八百屋さんがあったとか、そんなところが出てきます。
柿生駅自体は、そんなに大きくない駅なんですよね。
ですが、川崎市麻生区にある駅としては、本当に織田宮・織田原線開業時からある一番古い駅にもなっています。
麻生区の中には、他にも新百合ヶ丘とか、結構大きい駅もあるんですけれども、
他は戦後の開発・住宅地をどんどん作りましょう、みたいな流れでできた駅というところなので、戦前からある鉄道駅としては唯一というふうになっています。
そんな歴史ある柿生駅なんですね。
この名前、柿生というのは、果物の柿が生きると書いて生ですね。柿生という字を書きます。
その名前の通り、果物の柿である全地丸柿というのがこの地域原産ということで、その名産を取った柿生村というところがかつてあった地名というところで、その地名を冠した駅になっています。
ただ、この柿生駅の元になった柿生村自体は、1939年、戦前川崎市に編入されてしまって、今はもうない地名になっています。
柿生駅自体の周辺も、川崎市麻生区、上麻生という形で柿生という地名は出てこない地域になっています。
そういう意味では、柿生というのは駅が唯一の名前を残すようになっているんですよね。
古くあった地名というのは、今は日本各地でどんどんなくなっているんだろうなというふうに思います。
その名前の名残を残すものとしては、博物館みたいなところで残されるような古文書というか、昔の書籍だとか、民謡だとか、紅蓮だとか、いろんな形で文化的に残されているものはあるのかなと思うんですけども、
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実際のリアルな場所として名前が残っているというのは、失われちゃうということは多いと思うんですよね。
住居表示とか、本当の地名としては残っていないけれども、通りの名前として残っているとか、施設の名前として残っている、神社の名前とか、それだけで残っているとか、
あとは石碑とか広場とか、そういう形で残っている場合もあるのかなというふうなところです。
だからなかなか地名を残していくというのは難しいなというところなんですけども、この柿代は駅自体が名前をギリ残していることによって、
波及効果というか、周辺のコンビニの名前とか、あと交差点の名前とか、そういうのも柿代駅前とか、ファミリーマート柿代駅前店とか、
あと周辺の病院も柿代クリニックみたいな感じで柿代駅が残っていることで、もう一回波及して、周辺には柿代の地名を関するものが増えているんですよね。
やっぱりこういうすごい誰もが使うものであり生活の拠点である駅に名前が残ると、本当に何々の地域の名前というのは残していけるんだなというふうにも思ったところです。
ご当地ソングとか、歌の中でだけで残される地名というのもたくさんあるなというふうに思うんですよ。
これまで紹介してきた都市の歌なんかでは、もう今は無きデパートの名前とか、施設の名前なんていうのが過労死で歌の中で描かれているなというのもあるんですよ。
そういったデパートとかお店の名前なんかは、もう消滅しちゃったら跡形もなくなって、もう下手したら誰も覚えていないということになるのもよくあるかなと思います。
そういう意味で貴重な歌の中で残す、句伝で伝えていくというのは、非常に地域の名残りを未来に繋げていくバトンなのかなというふうにも思いますので、
ご当地ソングはそんなバトン的な意味も込めて面白いなというふうに思っています。
そんなわけで柿代の地名から、いろいろ地域の地名が名前が残ることについてちょっとお話ししてみました。
ぜひ聴いてみてください。
10区、小田急柿代。