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高見知英
何かこういうような形で本当にいろいろな発信と、この仏教に関わりやすい場っていうのを作っていらっしゃるというような感覚ではありますけども、
何か特にこれを、こういうようなことを仏教とアートとかCGの融合ということを実践されていて、
じゃあこういうような形を実現したいんだとかこういうようなことを目指している、だからこういうような融合の作戦を、融合の活動を始めたっていうのは何かこういうようなことを一言で言えるような何かとかあったりするんですか?
中山雅紀
僕が仏教に興味を持ったのは、すごい理論的に組み立てていっているんですけども、一番根本的なところは仏教の一丁目一番地というか1たす1なんですけども、
本当は執着をなくせっていう話なんですよ。
原始仏教、日本に来る前のお釈迦様が説いたコロノからも、それがまず大基本でありまして、
執着っていうのはだから偏見とか一種、自分が無意識に持ってしまっている価値観ですね。
それは良い価値観、悪い価値観、いろいろあって、嫌いも好きもそれも価値観なんですけども、
それは物だけじゃなくて、執着っていうとね、物に執着するって言いますから、この宝石が大好きだとかお金が大好きだとかそういう物に執着するっていうのもあるんですが、
考えてみると組織に執着する、学歴だとか大会社の社長だとかいういろんな地位とかですね、組織とかにも関わりますし、
あと恋とか愛とかも執着の一つに入るわけですよ。恋とか愛は素敵なものですけども、それがこじれるとそれで人を殺せるような執着になるわけですね。
あといろんなガルト宗教みたいにいろいろと執着を植え付けられると、それがこのお守り持ってないと私は生きていけないとかですね、
そういういろんなものに執着、いろいろ概念に執着したり、組織とか男女国籍、あるいはあらゆるものが執着だと言えるんですけども、
そういうのから一旦、執着ってね、やってると楽しいんですよ。気持ちいいものなんですが、それ一旦解いてちょっと少し第三目線で見てみてっていう、
俯瞰して見てみてって思うと、この宝石大好き大好きと思ってたけど、そうか世の中にはいろんな宝石があって、これも素敵ねってなれば、
自分の世界って本当は開けるはずなんですよ。だから皆さんは、実は本当は根源的にはみんな自由なのに、みんな執着を持つことによってみんな自分で自分を縛っているっていうのが、
本当に政治から戦争からこの世のあれどあらゆる何かいざこざが何かそれで起きてる気がするんですけども、
例えばそれはそのいろんな分野にも、分野でも全部同じなんですよ。例えば、科学なんてまさに、例えば天動説と地動説なんてまさに執着でしたから、
地球昔はね地球の周りを太陽が回ってたんだって言って、お前それ信じないのかって言って殺し合いしてましたからね。それはもう当時の執着なわけですよ。
その執着を超える人が現れて、あれ理論的に考えて俯瞰してみたら、まずこの世界は神様が作ったものではないっていうことをまず前提してみたら、
実はこういう太陽の周りを回ってると考えるとすごい数学的に理論的にいくよっていう話ができて、本当はそっちが正しかったみたいなことがわかるわけですね。
科学ってのはまさに既存のニュートン力学からアインシュタインから量子力学からどんどん既存の概念を超えてって、実はその世界ではうまくいかなかったけど、
もうちょっと広い数学の世界で考えると実はつながってたみたいなことがどんどん解明されて広がっていく世界なんですよ。
科学ってまさにどんどん解脱を繰り返してるのかなって思うぐらいですね。それも科学もそうだし、ピカソとか絵もそうでしょ?
印象がなんて最初の頃は、だってアートって神様の絵をリアルに描くのが芸術でしたけど、印象派出た時なんて落書きって言われてましたからねみなさんにね。
リアルに描かなくていいんだ、印象とかで描いていいんだみたいな話になると、アートってもっと自由であるべきだってことがみんなそれで気づくわけですよね。
それがだから仏教でいう、そういう執着を一旦捨てて広い目的で見るってことが解脱って言うわけですよ、仏教ではね。
だからそういう視線に立つと、アートの世界もそうやってピカソがなんだこれって最初思うわけじゃないですか。
で、なんだこれって思うのは自分の中にその世界がないからなんですね。
ピカソの絵とか見てなんだこれ、何この下手な絵とか最初思っちゃうかもしれませんけど、その世界が自分の中にないからびっくりしてるだけで、
それを一旦受け入れれば、あ、広い世界、こんな顔の右左逆に描いていいんだとか、いろいろ考えるわけですよね。
で、あと携帯とかもだって、美人の世界だってみなさんボタンのない携帯なんて誰も考えなかったでしょ?
それを、だからボタンのないスマホなんて出た時にみんな愚痴ってましたよね。
ボタンがない、そんなの押しにくいだろってみんなバカにしてましたけど、今は当たり前になっちゃいましたよね。
だから何事も、何事もだから仏教思想ってなんか全てに通用するなと思って、
科学とか既存の概念を超えてみると実は違う世界は実はあって、それに気づいてないことが多い。
だからみなさんもう悩んじゃうと執着に収まっちゃうんですよね。
そうするとめちゃくちゃ視野が狭くなって、もう悩みって悩んでるから悩みなんですよ。
ずっと悩みの世界に入っちゃうと出られなくなっちゃうんですが、
それを一旦剥がしてみると、あれ?俺はなんかどうでもいいことにこだわってなかったかって、
結構昔の自分を思い出すと結構あると思うんですよ。
子どもの頃なんかくだらないことにこだわって悩んでたみたいなのあると思うんですけど、
だからまさに大人になって俯瞰した自分になって、そういうのは解脱したわけですよね。
それは大人になってからもずっと今後永遠に生きるたびには起こるという話なので、
皆さん自由に刀におろして、自由にやれば自由に生きられますよって言ってるのが仏教なんですよ。
仏教って、葬式って師匠のためにやってるんじゃないですか?
葬式って供養っていうのは生きてる人が亡くなっている方に執着を持っているので、
その執着を生産していくための家庭として供養っていうのが理論的に定義できるわけですよ。
だから天国がある、そんな霊とか信じてねえよっていうのは全然関係ないんですよ。
実は仏教とは霊とか関係ないんですよ。
あなたの心が癒されますかっていう話をしているだけで、供養、
そう考えるとすごい理論的で全部が収まるんですよ。
だから仏教もそういう考えで言ってもらえると、霊とか信じてないし、
もう仏教とか葬式でいいだろうって思うよりは、
自分がその心を持ちを、大切なお母様が亡くなって、
その心を癒させてますかってことを自分に問っていただくと、
仏教の意味とかお寺の意味とかわかってもらえるのかなと思って活動してます。
だから本当に執着を捨てる、それ一つだけちょっと考えて、
ずっとそこから理論展開していくと、全部繋がるなと思ってますね。
中山雅紀
そうなんですよね。だから一種五縁が繋がるお寺でもあって、いろんな方が繋がってきたんですけども、やっぱり地元の際も知らなかったですよね。僕自体がね、やっぱりこういうことをやらないと地元で、いろんな踊りやってる方もいるし、音楽やってる方もいるし、意外と地元何も知らなかったなと思うんですけど、やっぱりそうやっていろんな自分と違う世界の方と会ったりすると自分の世界広がるんですよ。
だからそれが修行だって言ってるんですよ、僕は。滝に撃たれることも修行なんですけど、それは一種自分のあの無駄だと思うでしょ。滝に撃たれるって、そんなあんなアホなことやるかって思っているあなたがまず、その滝を撃たれた心境がまず理解できない状態でしょ。それであの世界に入ったら自分が変わるかもしれないっていうのはあるかもしれません。
ただ、それだけがいいわけじゃないんで、滝がやったから偉いわけじゃない。それじゃなくて、いろんな人と会う、いろんなものを勉強する。こんな技術もあるんだとか、いろんな考え方もあるんだ、いろんなことに自分が打ちのめされることが。
いろんな変な人もあって、ピンクで紫ですごい人が来たとか、だから一種不快なことに自分から突っ込むぐらいな気合いしていかないと自分は変えられないよ、自分を変えるには少し障壁がある。だから僕、山で例えるんですよ。
みんな幸せな山を登りたいんですよ。みんな山を登ってるんですけど、最高の山を登ってるんですが、みんな小さい山で安住しちゃうんですよ。そうすると、隣の山見て、あの山は低いな、大したことないな、高齢の方が幸せだなってみんな言ってるだけなんですけど、
実はそこのちっちゃい谷を避けると、実はものすごい富士山が横にあったりするんですけど、皆さん視野が狭いと、周り見渡しても俺の山が一番高いなと思ってるんですけど。だから一旦山を降りる勇気を持てるのかってことが重要で、
AIも実はそれやってるんですよ。最適化技術ってAIの基本的な技術であるんですけども、AIも山を探すんですよ。最短な一種、例えば燃費のいい飛行機を作りたい、羽の長さ、胴体の長さ、エンジンのパワー、どうやって設計したらいいかっていうのを全部コンピューターで調べたりするわけですけど、ああいうのも最高のバランスがある山が存在するんですね。
その山をコンピューターが探すんですけども、実はコンピューターでもプログラムで最高の山を探せって、常に山を登り続けろ、常にいい答えしか出さないっていうプログラムを作ると止まっちゃうんですね。
なぜかというと、例えば富士山の山の中腹にある小山とかに引っかかっちゃうから、そこから降りられなくなる。だからプログラムでもわざとランダムに今見つけた答えを捨てるっていうプログラムを作る。
そうすると、実は隣にもっといい山があるのに気づかないっていうのがあって、だから遺伝的アルゴリズムとかもいい答え、優生学ってダメなことはもう理論的にわかるんです。
優生学って常に正しい子どもだけをやって、障害者とかダメなやつを全部殺すみたいな話ですけども、あれをやるとダメだってことはもう数学的にわかってるんですよ。理論的に山を降りられなくなるから。
山を降りられなくなって中腹のローカル未明っていうんですけど、ローカルな局所的な最適化にはまっちゃうと、それで全が統一されて多様性がなくなって死ぬっていう状態になっちゃうんで。
実は脚の遅い人もいれば、太った人もいれば、いろんな人がいて、違う世界を探しているから本当の良い解が答えられる。
だからそれはプログラムで実際に、数学的なプログラムで普通にやることだって、あれ人生も同じだよねって思ってますけどね。
山を降りれば、皆さん夜の山を彷徨ってますと、懐中電灯で探してもここが一番高いなぁとは思ってるんでしょうけども、一旦崖を降りてみましょう。
そしたら違う本当にすごい自分の大好きな山が本当に見つかるかもしれないけどっていう話をすると、AIと仏教って繋がってるなと思うんですけど。
高見知英
そうですね。
自分自身も本当にAIは何かをまとめることとかにも非常によく使ってはいますけど、そうやってみると見えてくることって結構あったりしますし、
逆に他の事実をまとめるのに使うと、それが合ってるか間違ってるかって、あくまで外の事象だからわかんない。
ただ自分が作ったものをまとめるんだったら、間違ったこと言ってんなってすぐわかるので、そういうのを使ってたりしてると結構見えてくるものがあったりします。
それを何度も何度も繰り返すと、AIってこういうことに使えばいいんだ、こういうことに使うとちょっと危ないんだとか言うのって見えてきたりしますし、
高見知英
いろいろ試してみることって、AIについてもそれ以外についてもいろいろ試してみることがやっぱり結果的に重要になってくることはすごく多いなって思います。
中山雅紀
そう、AIと仏教問答みたいなのをしてたこと、そういうのもやってくれますし、
ある程度簡単な文章なら書いてくれたりするから、文章下手な人としてはすごい楽でしたね。
高見知英
本当にお互いが補完できるような、やっぱり不得意分野をなんとかできるっていう力はすごくある。
だからそういうようないろいろな方法を試してみて、自分に合った使い方とか、
自分はこういうテクノロジーの使い方をすると楽やなとか、こういうの使いやすいなとかいうのをいろいろと探していってほしいなっていうのは思いますね。
中山雅紀
そうですね。やっとプログラム関係は良くなったのかな。
まだ自分で手で書いている、僕は書いている、ロートルな方なんですけど、
バイブコーディングとかどうできるのかな。まだちょっと上手くできてないんですが。
高見知英
そうですね、本当に。
そちらについても本当に圧倒的に不得意な分野があるかと思えば、圧倒的に得意な分野もあったりします。
中山雅紀
プログラマの人口とか考えると、学習ソースが多いほど精度が高いんですかね。
ウェーブとかのプログラマの方が多そうだから。
そうですね。
だからプログラムの授業とかどうしようかとか、僕は教育現場でちょっと困りますね。
プログラムの授業って今必要なのかなとか。
でもやっぱりプログラムAIが出したやつを検証するのも人間だから、ある程度分かってないとしょうがないっていうのがありますね。
高見知英
本当に自分自身もプログラミングの授業を時々受け持ったりはしてますけども、
そちらのほうでもすごく感じるのは、今必要なのは教える人じゃなくて見守る人だなってすごく感じます。
どうやっても、例えばまだ中学生なので英語を全部読めなかったりしてエラーメッセージが読めないとかいうこともあるかもしれないですし、
そういう時にこれはこういう意味だよとか、こういうエラーがあったらここを見てみてみるといいよとか、
そういうアドバイスができる人っていうのはとても必要になるんですけども、
これこれこういうふうにしなさいみたいな指示を投げる人っていうのは別にもういらない。
どうせAIができちゃうからっていう。
中山雅紀
そうですね。
高見知英
ただAIの使い方をこうしたらこういうところでやるといいよとか、
こういうところはちょっとやりすぎるとよくないよとか、
そういう話ができる人っていうのは今すごく必要とはされてるんだろうなっていうふうに思いますし。
やっぱりそれは自分自身が一から全部プログラムを組める人じゃなきゃいけないかっていうとそんなことなくて、
AIを使いながらいわゆるバイブコーディングとかそういうエージェンティックコーディングとかができるレベルの人だけでもいいので、
とりあえずそういう人がもっと増えること。
たぶんそれって、本当に自分が10年前とかまだスマートフォンが出て間もない頃とか、
もうちょっと前の時代に結構いたので本当に自分の子どもを、自分で作ったプログラムを遊ばせてたっていう方とか、
何度か会ったことがあるんですけども、やっぱりそういう人ってまだそういう開発環境補給だった時代にいっぱいいた。
そういう人が増える可能性は今の時代はあると思うし、やっぱりそういう人たちがもっともっといろんな地域の課題とか、
そういうところを変えていくとか、やっぱりCGももっと新しい形のものを作っていくとか、
そういう力があるんじゃないのかなっていうふうに思います。
だからそういう人がもっともっと増えてくれればいいなと。
そしてそういう人が中学生のわからないところとかを一緒に勉強していけるような状態になってくるかなと思いますし、
そういう時の案内人としてプログラミングの先生っているといいなと。
例えばここ行くといいよと。
中山雅紀
そうですね、一から教えるものではないですよね。
高見知英
そういうようなことができる人がいればいいのかなというふうに思いますね。
中山雅紀
一応プログラミングもプログラミングの教室みたいにやりたいなとは思っていたんですけどね。
うちでもお寺で寺子屋プログラミングをやりたいなと思って。
やっぱり僕も中学時代に初めてパソコンを買って、
たしか98、PCNECの98、921かな、その辺のパソコンでしたけど。
だから30年前に慶応の中東部っていう中学校がプログラミングの授業があったのがすごいなと思って。
でもあのおかげでプログラミングが好きになったから、
やっぱりあの時代に触れるって面白かったですね。
だから今の子にもやっぱり、
逆に子どもたちの方が楽しんでもらえるかなっていう、
役に立つプログラムを作るっていうんじゃなくて、
アートとかそういう名目で作ったらプログラミングをやる意味もあるかなとか、いろいろ思いますね。
高見知英
すごくそういう可能性はあるなと感じてます。
そんなお仕事で実際に使えるようなプログラムばっかりがプログラミングではないので、
中山雅紀
例えばほんのちょっと自分が毎回同じ計算をするのがめんどくさいからこれ作ろうとかいうのもいいし、
高見知英
1年に1回しか絶対使わないんだけど、
1年に1回絶対これやるからっていう時のためのプログラムでもいいし、
いろいろな、今までちょっとこれ作るの難しかったしめんどくさかったし、
やらなかったんだけど実はこれ自動化したいんだよねみたいなものを
作るっていう機会にはすごく恵まれているのかなっていうふうには思いますね。
中山雅紀
そうですね、だから結局文法って大したことはなくて、
結局そのプログラミングのめんどくささって、
ライブラリーを利用できるかみたいな、
使用書を読めるかみたいなところが一番重要で、
そういうところをAIに聞いてやれると、
などばなどGoogleの生成AIのAPIを叩いて、
映像を取ってくるみたいなプログラムを、
自分じゃ勉強する気にならなかったんですけど、
ちゃんと地味に聞きながらやりましたらよくできましたね、結構簡単に。
ああいうのはすごい使用書がすごくて読めないライブラリーがあって、
1個球体描くだけで3000行必要なんですけど、
それがいつも手に出せなくて悩んでたんですけど、
高見知英
これAIに会計ながら描けばアシストしてくれるかな、
中山雅紀
手に出せるプログラムが広がった気がしますね。
高見知英
本当にそういうマニュアルがあるんだけども、
すごく難解でわかりづらいものっていうのは、
AIに解説してもらうことによってよりわかりやすくなるっていう感覚がすごくあるなと思いますし、
多分そういう方向にいろんな人がプログラミングすることによって、
結果的にそのマニュアル自体もこなれていく。
こういうのを書いちゃったらわからないんだな、伝わらないんだなっていうのを
開発する方もわからないと思うので。
やっぱりそういう使い方とか普及していくといいなっていうのはすごく思いますね。
中山雅紀
なんかね、AIの顧客の苦情をちゃんと上に伝えて、
マニュアルを自動改善してくれるAIとかあったらいいですね。
ここ質問がすごい多いんだけどってところが自動的に使用しても変わっちゃうみたいな。
それはいいかもしれませんね。
高見知英
それでは今後、インターネットで玉泉山 安国院 with 橘Galleryの活動を知るにはどのようにすればよろしいでしょうか。
中山雅紀
そうですね、一応ホームページの方はありまして、
安国院っていうのはですね、暗黒っていうとなんかダークサイドな感じがするんですけど、
その暗黒星雲とかの暗黒ではなくて、
安心の国の病院の院と書きまして、
暗黒寺じゃないんですよ。
安国院という病院の院で、
近くにある本山の寺も司っていたようなちょっと格式の高いお寺だったみたいなんですね。
だから院って名前がついてるらしいんですけど、院外っていう言葉があるらしくてね。
なのでちょっと安国院で調べておくと、結構Googleで出てくると思います。
そうですね、ホームページがあって、あとは一応LINEとか、
Googleマップにも載ってるんで一度遊びに来ていただけると嬉しいですね。
高見知英
そうですね、ホームページやLINE、Googleマップなどを見て、
ぜひこちらの安国院さん見ていただければと思います。
中山雅紀
はい、各種SNSもありますので、はい、お願いいたします。
高見知英
それでは最後の方にはなって参りますけれども、
こちらの玉泉山 安国院 with 橘Galleryの活動のキーワード、
お伺いできますでしょうか。
中山雅紀
キーワードですね、やっぱりアートのお寺、
そしてアートと教養のお寺ですね。
それで自由になっていただきたい。
集着を下ろすのは苦しいことなんですけども、
それを破って、自分の殻を破って、いろんな知識を見てもらいたい。
だからキャッチブレイズとしてはアートのお寺っていうのもあったんですけども、
アートと教養ですね。
いろんな勉強することもやっぱり自分を開く修行の一つなんで、
自由と新しい知識のギャラリーですね。
高見知英
アートと教養のお寺ですね。
中山雅紀
そうですね、お寺という感じを目指しています。
あと自然が大好きなんで、
境内は緑も豊富ですし、
野良猫ちゃんも今3匹ぐらいお世話してますし、
狸も出てきたりして、
あと今度のマルシェでは動物園も来ます。
カピバラとかヤギとかフクロウも来るらしいんで、
楽しみに。
境内はワンちゃん連れとかも来てもいいっていう感じになってます。
高見知英
そうですね。
本当にいろいろな人が来ていることになります。
そういう人と出会う機会、
そういう人との人となりを知る機会っていう場所にも本当になっているんだろうな。
中山雅紀
そうですね。
ありがたいことです。
高見知英
それでは何かこれは言い忘れるなとか、
これを最後に言っておきたいのは何かございますでしょうか。
中山雅紀
そうですね。
やはり皆さんは本質的に自由だっていうことですよね。
だから私がCGの世界にパリコレに行ったりしますと、
パリコレに行ってCGの着物を作りたかったんですよね、最初ね。
だけどうちの師匠の川口雄一郎先生っていう、
CG界で知らない人いない重鎮の先生がいるんですけど、
ハリウッドとかやる前からもうCGのアートをやってた先生なんでレジェンドなんですけどね。
その方が何十年も前にCG着物とかやってたんで、
ちょっと二番煎じもつまんないなと思っていろいろ探してたら、
ロリータファッションの和ロリっていうらしいけど和服ロリータがありましてですね、
かわいいひらひらのレースつけたお姫様みたいな服のサブカルチャーですよね。
あの分野で活躍してる広子先生っていうブランドがあるんですけど、
そちらの先生の和服ロリータの服部に一目惚れしまして、
それでオファーして、そしたらパリコレ行くから行かないみたいな話になっちゃいまして。
僕がやったっていうよりか先生のお力で連れて行っていただいた感じなんですけども、
でも本当に多様性があって面白いなサブカルというか、
あの世界はね、かわいいものとかを着たりする世界ですけど、
意外と男性の方とかもいっぱいいましてですね、女装してる方ですね。
女装というかかわいいものが好きっていう、だからトランスジェンダーではなくて、
まあそういう方もいるでしょうけども、よく原宿都会歩いてるでしょ。
原宿にもラフォーレの地下にロリータの聖地があるんですけども、
それを目当てで男性の方とかもね、かわいいフリフリの服着て歩いてる方もいて、
だから本当にジェンダーレスでもあるし、だから僕もそれから感化されて、
ファッションってものを自分で考えたことなかったんですよね。
自分のものである、自分の表現であって自分が楽しみたいに着るっていう発想がなかったんで、
今の子はね、そういう男の子でも多いと思うんですけど、
なんか男って縛られてるなって、男の方、売り場見るとグレーと青と黒しかないじゃないですか。
だからピンクとか今着る男性も増えましたけど、
スカートも履いたっていいし、フリルのブラウス着たっていいんじゃない?ってなって、
何が恥ずかしいの?って考えると、
ああそうだな、別に自分が好きなの着ればいいなと思って、
僕も小さい頃から可愛いものとかそういうものは好きだったし、
少女漫画とかも好きだったんで、別に何かあまり違和感もなく、
いろんなもの、レディースもいろいろ買ってみようって言って、
今はスカート履いたりとか、いろんなファッションをごちゃ混ぜで着たりして楽しんでますけど、
なんかそういうのも自由、それも執着なんですね。
男らしさ、女らしさっていうのも執着だし、
外国人とか日本人だとか、歳相応だとか、
いい歳してそんな格好してっていうのも執着なんで、
どうぞもう80になって赤いフリフリの服着てどうですか?全然いいでしょ?
誰に文句言われるの?って言われると、別に世間体が言ってるだけで、
誰が、僕も別にスカートで歩いてますけど、別に誰が言われることもなく、
なんか自分の好きに生きたらと、それで吹っ切れた思いがあるんですけど、
中山雅紀
だから皆さん本当に自由に行きましょう。
歳相応だとか、もう嫌な言葉ですよ。
男らしさ、女らしさとか、別にいいんですよ。
筋肉ムキムキが僕は好きだとか、全然それは多様性として全然いいんです。
男らしさ、助成らしく胸を強調して、ボディを強調して生きるっていうのもありだし、
それに違ういろんな形だってありだし、
だから可愛い服を着るのが男性だっていいし、
別に助成でもスーツが私は大好きでネクタイすすめるのが好きだっていう人だと別にいいんですよ。
女らしくないとか言われる方がおかしくて、
それはもう本当に仏教の葬式と一緒ですよ。
不謹慎とか言ってる人と同じです。
不謹慎って言ってる奴が大体不謹慎なんですね。
物事を分かってない人が多いんで。
だから皆さん自由にいきましょうっていうことですね。
それを僕は体現していきたいし、
皆さんもそういう多様性のある人どんどん来てくださいって思ってますね。
高見知英
そうですね。
本当にやっぱりそういうのは執着によって縛られていることっていうのはとても多いなと思います。
中には本当に実はこれ本当に手放しちゃダメだよっていう執着もあったりすると思いますけども、
やっぱりそんな中にも実はこれは手放しても大丈夫とかいうのもあったりすると思うので、
だから自分の持っている執着にまずは自覚的であってほしいなというふうに思いますし、
その中で本当にこれって手放しちゃいけないものなのかっていうのを見つめ直すっていうことをやってみてほしいなっていうふうにやったとも思いますね。
中山雅紀
そうなんですよ。
だからもう1回見つめてみようなんですよ。
だから欲しい私はこの服がピンクが好きっていうのはピンクが執着があるんですけど、
それは認識して好きだから別に執着じゃないんですよ。
別に執着なんですけど、それは別に認識してるじゃないですか。
理論的に言語化できてるからいいんですけど、
言語化できてない執着とか本当に危険なんで。
何か分かんないけど嫌いとか言ってるぐらいだったらそれは捨てていいんじゃないのとかね。
考えてみて一旦耐性してみてくださいっていうのを問い遂げたいんですよね。
高見知英
そしてなんか本当に自分一人でそれに向き合うのが難しいなった時は本当にそれこそ
いろんな人が集まっている場に行ってみてそんな話をしてみるとか、
そういうことによってこの執着って実はそこまで大事じゃなかったっていうのを
気づくきっかけになっていくのかなっていうふうには思いますし、
中山雅紀
ロリータやってる男性とかメイクとかすごいですからね。
ああそういう世界もあるんだとか知っちゃうと自分が壊れていきますから。
高見知英
本当にそのきっかけの場としてこの立場のギャラリーに訪れていただけるといいなっていうふうに思いますね。
中山雅紀
そうですね、多様性といろんな、
この前はスリランカのアーティストの方とかいらして仏教の絵とかを描いてる方、
中山雅紀
女性の方で日本で仕事されていた方もいましたし、外国人も時々いらっしゃいますね。
また中国の学生さんとかのインタビューの仕事とかあったり、
いろんな方が集まってきて自由に皆さん喧嘩せずに自由に人を差別せずに生きられたらいいなと思っています。
高見知英
それでは今回は玉泉山 安国院 with 橘Galleryの中山雅紀さんにお話を伺いました。
中山さんどうもありがとうございました。
中山雅紀
ありがとうございました。大変光栄なひとときでした。
ありがとうございました。
高見知英
今回は千葉県市川市にて境内の多目的空間立花ギャラリーを拠点に、
音楽イベントや芸術の個展、地域の人々が集う寺庭マルシェなど、
様々な活動を行う玉泉山安国院の住職、中山雅紀さんに活動の内容や思いを伺いました。
仏教はお葬式だけのものではなく、私たちの生きる道を説くもの。
高見知英
それを理論的な視点で何か復興していきたい。
そんな思いのもとに開かれているお寺、玉泉山安国院。
執着を一旦解いて、少し第三者目線で見てみる。
そのための築きの場として、この立花ギャラリーはあります。
従来の檀家制度に固執するのではなく、広く広くファンを集めるお寺。
かつての寺子屋のように、町の知識人の拠点であったお寺を目指して、
肩書なく人々が平等に交流できる場としてのお寺。
個人の表現や対話を補助する場としてのお寺。
そのような場を目指し、中山さんは活動を続けています。
玉泉山安国院with立花ギャラリーの活動のキーワードは、
アートと教養のお寺。
執着を改めて見直す。
その執着は手放していいものなのかどうか改めて判断する。
そのためには教養が必要となる。
執着を下ろすのは苦しいことなんですけれども、
それを破って、自分の殻を破って、いろんな知識を見てもらいたいと中山さんは言います。
世間体や男らしさ、女らしさ、土地相応といった固定観念も
執着の一つ。
それらを解き放ち、自分の好きに生きる。
そのヒントを得る場として、玉泉山安国院with立花ギャラリーがあります。
皆さんも、自分の中にある無意識のこだわりを改めて見つめ直し、
好きに生きるということを改めて考える。
一人で考えるのが難しい、そんな時には立花ギャラリーのような場所に足を運び、
多様な価値観に触れる。
そんなところから、もっと自分らしくいられる新しい景色、探してみませんか?
このポッドキャストの感想は、YouTubeやstand.fm、LISTENなどのコメント欄で受け付けています。
この後も、この番組では様々なステージで地域活動、コミュニティ活動をされている皆様の活動を紹介していきたいと思います。
それぞれの視聴環境にて、ポッドキャストの行動くないし、チャンネル登録などをして次をお待ちいただければと思います。
聞いていただきありがとうございました。コメント、評価などもお待ち申し上げております。
それでは今回のSBCast.を終了いたします。