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SBCast.#164 アートと教養のお寺(玉泉山 安国院 with 橘 Gallery 中山雅紀さん)
2026-04-10 1:13:19

SBCast.#164 アートと教養のお寺(玉泉山 安国院 with 橘 Gallery 中山雅紀さん)

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今回は、千葉県市川市にて、境内の多目的空間 橘ギャラリーを拠点に、音楽イベントや芸術の個展、地域の人々が集う寺庭マルシェなど、さまざまな活動を行う玉泉山安国院の住職、中山雅紀さんに活動の内容や想いを伺いました。

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サマリー

玉泉山安国院の住職、中山雅紀さんは、700年続くお寺の伝統を守りつつ、理系出身の視点から仏教を再解釈し、現代社会に開かれた活動を展開しています。仏教の根本にある「執着をなくす」という教えを、科学やアートの進化になぞらえ、偏見や無意識の価値観から自由になることの重要性を説きます。お寺の境内にある橘ギャラリーを拠点に、音楽イベントや芸術個展、寺庭マルシェなどを開催し、地域住民、特に子供たちが仏教や日本文化に親しむ機会を提供しています。 中山さんは、アートを既存概念を壊し「下脱」を促す仏教的な行為と捉え、娯楽と学びの融合を目指しています。また、伝統的な檀家制度に固執せず、広く多様な人々が交流できる「ファンを集めるお寺」の必要性を強調。かつての寺子屋のように、肩書きなく人々が平等に集い、対話を通じて新しい知識や価値観に触れる場を提供することを目指しています。 テクノロジー、特にAIの進化についても言及し、その利便性と同時に「AIへの執着」という新たな危険性を指摘します。AIが故人を蘇らせるようなサービスは、短期的な癒しをもたらす一方で、故人への執着を強め、真の供養とはならないと警鐘を鳴らします。AIを盲信するのではなく、その中身を理解し、適切な距離感を保つことの重要性を説き、多様な価値観に触れることで、世間体や性別、年齢といった固定観念から解放され、自分らしく自由に生きることを提唱しています。橘ギャラリーは、そうした「執着を見つめ直し、新しい自分を発見する」きっかけの場となることを願っています。

オープニングとゲスト紹介
中山雅紀
そしてアートと教養のお寺ですね。それで自由になっていただきたい。執着を下ろすのは苦しいことなんですけども。それを破って、自分の殻を破っていろんな知識を見てもらいたい。
高見知英
NPO法人 まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.のポッドキャスト番組 SBCast.です。
この番組は様々なステージで地域活動、コミュニティ活動をされている皆様の活動を紹介、活動のきっかけや思いを伺うポッドキャスト番組です。進行を務めますのは私、SIDE BEACH CITY.にてDX推進サポートなどの活動を行う高見知英です。どうぞよろしくお願いいたします。
それでは今回のゲストは玉川さんどうぞよろしくお願いいたします。
中山雅紀
よろしくお願いいたします。
高見知英
よろしくお願いいたします。それでは早速ではございます。簡単な自己紹介をお願いできますでしょうか。
中山雅紀
千葉県の市川市というところでちょうど江戸川のほとりで東京都の県座会なんですけども、そちらで一応700年続くお寺の住職をしております。
私は子どもの頃から科学少年でいろいろ理系というか、昔はもう秋葉原で部品買って半田付けするような子どもだったんですけども、そこからコンピューター、パソコン買ってもらったりしながら理系の道をずっと進みまして、
そこで中学からは慶応なんですけども、そこで慶応義塾大学の理工学部でコンピューターの学部ですね、IT学部、情報工学科に行きまして、そこでCGのコンピューターグラフィックスってやつですね、今は皆さんは映画とかゲームとかでは当たり前ですが、
そういうものの研究をしておりました。なのでちょっと理系出身のお坊さんとして、あまり神秘性とかには依存しないような、仏教哲学ってすごい理論的なんですよ。
なのでそういう、なんかこれがありがたいものだから拝みなさいみたいな、そういう頭ごなしの仏教ではなくて、なぜこういう供養とか仏教思想ってものが大切なのか、で僕らの人生に使えるものなのか、実は仏教ってお葬式するものじゃないんです。
お葬式だけのものではなくて、私たちの生きる道を説くものなんで、それを理系の視点と言いましょうか、理論的な視点で何か仏教していきたいなと思って、開かれたお寺ということでいろんなイベントをやったり、うちにはですね、境内ギャラリーがあったりするんですけども、そちらで音楽イベントから芸術の古典イベントからですね、いろんなことをしています。
あとはコンピューターグラフィックスっていうだけありまして、映像を作ったり、そういうのは好きなんですね。なのでちょっと下手の横好きでアーティストっぽいこともしてたんですけども、最近はそれを現実の世界にCGで作った映像を記事に印刷してドレスを作って、この前はパリコレ行ってきたんですけども、そのようなアーティスト活動もしております。
なのでお坊さん兼アーティストという形で、自由にみなさん自由に行きましょうという、特のがお寺の務めなので、そういうお寺を目指しております。よろしくお願いいたします。
高見知英
本当にそうですね、こちらのお話内容も調べさせていただいておりましたけども、幅広くいろいろやってらっしゃるんだなって思いましたし、本当にこういうお寺という場所自体、仏教の場というところ自体でも本当にいろんなことをやってらっしゃる方がいっぱいいらっしゃるんだなっていうのは常々考えて感じてはいるんですけども、
その一つとして本当にこういうようなやり方もあるんだなっていうのを今回話を聞いててすごく感じました。
中山雅紀
ありがとうございます。
高見知英
今回どうもよろしくお願いいたします。
中山雅紀
よろしくお願いいたします。
仏教哲学「執着」からの解放
高見知英
何かこういうような形で本当にいろいろな発信と、この仏教に関わりやすい場っていうのを作っていらっしゃるというような感覚ではありますけども、
何か特にこれを、こういうようなことを仏教とアートとかCGの融合ということを実践されていて、
じゃあこういうような形を実現したいんだとかこういうようなことを目指している、だからこういうような融合の作戦を、融合の活動を始めたっていうのは何かこういうようなことを一言で言えるような何かとかあったりするんですか?
中山雅紀
僕が仏教に興味を持ったのは、すごい理論的に組み立てていっているんですけども、一番根本的なところは仏教の一丁目一番地というか1たす1なんですけども、
本当は執着をなくせっていう話なんですよ。
原始仏教、日本に来る前のお釈迦様が説いたコロノからも、それがまず大基本でありまして、
執着っていうのはだから偏見とか一種、自分が無意識に持ってしまっている価値観ですね。
それは良い価値観、悪い価値観、いろいろあって、嫌いも好きもそれも価値観なんですけども、
それは物だけじゃなくて、執着っていうとね、物に執着するって言いますから、この宝石が大好きだとかお金が大好きだとかそういう物に執着するっていうのもあるんですが、
考えてみると組織に執着する、学歴だとか大会社の社長だとかいういろんな地位とかですね、組織とかにも関わりますし、
あと恋とか愛とかも執着の一つに入るわけですよ。恋とか愛は素敵なものですけども、それがこじれるとそれで人を殺せるような執着になるわけですね。
あといろんなガルト宗教みたいにいろいろと執着を植え付けられると、それがこのお守り持ってないと私は生きていけないとかですね、
そういういろんなものに執着、いろいろ概念に執着したり、組織とか男女国籍、あるいはあらゆるものが執着だと言えるんですけども、
そういうのから一旦、執着ってね、やってると楽しいんですよ。気持ちいいものなんですが、それ一旦解いてちょっと少し第三目線で見てみてっていう、
俯瞰して見てみてって思うと、この宝石大好き大好きと思ってたけど、そうか世の中にはいろんな宝石があって、これも素敵ねってなれば、
自分の世界って本当は開けるはずなんですよ。だから皆さんは、実は本当は根源的にはみんな自由なのに、みんな執着を持つことによってみんな自分で自分を縛っているっていうのが、
本当に政治から戦争からこの世のあれどあらゆる何かいざこざが何かそれで起きてる気がするんですけども、
例えばそれはそのいろんな分野にも、分野でも全部同じなんですよ。例えば、科学なんてまさに、例えば天動説と地動説なんてまさに執着でしたから、
地球昔はね地球の周りを太陽が回ってたんだって言って、お前それ信じないのかって言って殺し合いしてましたからね。それはもう当時の執着なわけですよ。
その執着を超える人が現れて、あれ理論的に考えて俯瞰してみたら、まずこの世界は神様が作ったものではないっていうことをまず前提してみたら、
実はこういう太陽の周りを回ってると考えるとすごい数学的に理論的にいくよっていう話ができて、本当はそっちが正しかったみたいなことがわかるわけですね。
科学ってのはまさに既存のニュートン力学からアインシュタインから量子力学からどんどん既存の概念を超えてって、実はその世界ではうまくいかなかったけど、
もうちょっと広い数学の世界で考えると実はつながってたみたいなことがどんどん解明されて広がっていく世界なんですよ。
科学ってまさにどんどん解脱を繰り返してるのかなって思うぐらいですね。それも科学もそうだし、ピカソとか絵もそうでしょ?
印象がなんて最初の頃は、だってアートって神様の絵をリアルに描くのが芸術でしたけど、印象派出た時なんて落書きって言われてましたからねみなさんにね。
リアルに描かなくていいんだ、印象とかで描いていいんだみたいな話になると、アートってもっと自由であるべきだってことがみんなそれで気づくわけですよね。
それがだから仏教でいう、そういう執着を一旦捨てて広い目的で見るってことが解脱って言うわけですよ、仏教ではね。
だからそういう視線に立つと、アートの世界もそうやってピカソがなんだこれって最初思うわけじゃないですか。
で、なんだこれって思うのは自分の中にその世界がないからなんですね。
ピカソの絵とか見てなんだこれ、何この下手な絵とか最初思っちゃうかもしれませんけど、その世界が自分の中にないからびっくりしてるだけで、
それを一旦受け入れれば、あ、広い世界、こんな顔の右左逆に描いていいんだとか、いろいろ考えるわけですよね。
で、あと携帯とかもだって、美人の世界だってみなさんボタンのない携帯なんて誰も考えなかったでしょ?
それを、だからボタンのないスマホなんて出た時にみんな愚痴ってましたよね。
ボタンがない、そんなの押しにくいだろってみんなバカにしてましたけど、今は当たり前になっちゃいましたよね。
だから何事も、何事もだから仏教思想ってなんか全てに通用するなと思って、
科学とか既存の概念を超えてみると実は違う世界は実はあって、それに気づいてないことが多い。
だからみなさんもう悩んじゃうと執着に収まっちゃうんですよね。
そうするとめちゃくちゃ視野が狭くなって、もう悩みって悩んでるから悩みなんですよ。
ずっと悩みの世界に入っちゃうと出られなくなっちゃうんですが、
それを一旦剥がしてみると、あれ?俺はなんかどうでもいいことにこだわってなかったかって、
結構昔の自分を思い出すと結構あると思うんですよ。
子どもの頃なんかくだらないことにこだわって悩んでたみたいなのあると思うんですけど、
だからまさに大人になって俯瞰した自分になって、そういうのは解脱したわけですよね。
それは大人になってからもずっと今後永遠に生きるたびには起こるという話なので、
皆さん自由に刀におろして、自由にやれば自由に生きられますよって言ってるのが仏教なんですよ。
仏教って、葬式って師匠のためにやってるんじゃないですか?
葬式って供養っていうのは生きてる人が亡くなっている方に執着を持っているので、
その執着を生産していくための家庭として供養っていうのが理論的に定義できるわけですよ。
だから天国がある、そんな霊とか信じてねえよっていうのは全然関係ないんですよ。
実は仏教とは霊とか関係ないんですよ。
あなたの心が癒されますかっていう話をしているだけで、供養、
そう考えるとすごい理論的で全部が収まるんですよ。
だから仏教もそういう考えで言ってもらえると、霊とか信じてないし、
もう仏教とか葬式でいいだろうって思うよりは、
自分がその心を持ちを、大切なお母様が亡くなって、
その心を癒させてますかってことを自分に問っていただくと、
仏教の意味とかお寺の意味とかわかってもらえるのかなと思って活動してます。
だから本当に執着を捨てる、それ一つだけちょっと考えて、
ずっとそこから理論展開していくと、全部繋がるなと思ってますね。
アートと仏教の融合:下脱を促す場
中山雅紀
はい、そういうことです。
高見知英
そうですね。
本当にこちらのお話を伺って執着するっていうのが、
いろんなところの原点になっていて、
それがやはり生還になってしまうこともあるっていうのをすごく感じます。
やっぱりその一つの執着を見直すきっかけとして、
お寺っていうところはあると思いますし、
やっぱりそういうところに入るきっかけとして、
やっぱりこういうようなアートによる入り口を作るというのが、
活動の一つという形になるんでしょうか。
中山雅紀
そうですね。だからアートってまさに解脱を体現しているというか、
仏教だなと思っていて、
科学とかビジネスとか他のお金儲けするとかいろいろ儲けがありますけどね、
アートって本当に一種既存概念を壊すことが仕事みたいな世界ですから、
確かにそうですね.
そう考えると、アートってやっぱり解脱を促すものがアートだと思っているので、
僕は、ああ、こんなものがあるんだ、
だからその快楽を刺激するためだけのものっていうのは、
結局はエンターテイメントだと思うんですよね、
娯楽になってしまって、
だから娯楽と結構芸術って微妙なところなんです、その差がね、
娯楽は楽しいわ、漫画とかだと楽しいになっちゃうことはあるんですけど、
漫画で勉強して、こういう大人になりたいみたいな思う時もあるじゃないですか、
中山雅紀
だから漫画に教えられることもあるし、
かわいい女の子が出てきてかわいいなっていうそれだけの漫画もあるし、
だからそれは娯楽と自分の考えを切り替える、
学ぶものとの差はあると思いますよね.
高見知英
そうですね、娯楽と学び、
結構やっぱりその二つと結構混ざっているものがすごく多い、
高見知英
やっぱりある程度見やすい場所にあるっていうのが、
やっぱりアートというものになってくるのかな、
アートだったらこそ、やっぱりそれを見て、
こういう二つが分かれている様、
二つがくっついている様を、
実際にこういうところで体感することができる、
というのは大きいなというふうに思います.
なかなかやっぱりこういう、
その二つがくっついていることって、
分かってはいつつも、
案外やっぱりそれを自覚していないとか、
伝える術を持っていないとか、
いうようなことって結構あると思うので、
そこはまずアートだからこそ、
そういうのが見やすいのではないかというところはありますよね.
現代仏教の課題と未来への展望
中山雅紀
そうですね、導入としてはやっぱり、
賑やかしというか、
客寄せパンダみたいなところはあるので、
それは、
客寄せパンダってまさに娯楽ですよね.
そうなっちゃうと、
それだけだとやっぱり学びがないので、
ああ、楽しいなって終わってしまうと.
それは根本的な解決、
自分の何か良いものの解決には
なってないだけなんですよね.
一時的な癒しっていうのは必要かもしれませんけど、
それはなってない.
だけど、
解脱って苦しいものなんですよ.
自分の偏見を捨てることって難しいので、
だから、
仏教の修行って辛いんですよ.
修行っていうのは基本的に、
執着を捨てるための行為であって、
滝行とかいろいろあるじゃないですか、
水かぶったり、人事練習だとね、
あるんですけど、
それ自体には価値はないんですよ、
別にその行為自体がやったことにはね.
だけど、そのやったことによって、
自分を、きつけ役ですから、
そこから、そこで何を悟れたかが重要で、
俺滝10回やったらすげえだろって言ってる時点で、
もうだめなわけですよ.
それは全然意味がなくて、
だから、苦行ってものが、
日本の仏教だと苦行するのが多いんですけど、
苦行にはあまり僕は否定的で、
お釈迦様自体が苦行して、
意味なかったって言ってるのに、
なぜ日本で苦行してるのかとか、
いろいろ仏教、
いろいろ考えていくと、
変なところがいっぱいあるんです.
日本仏教の変なところがいっぱいあるので、
そういうのも改めていきたいなとは思ってますね.
高見知英
そうですね.確かに.
確かにこういうお寺の方の活動とか、
思いとかをお話し伺う機会っていうのは、
ちょこちょこあったりはしますけど、
やっぱりそういうようなメッセージっていうのは、
結構いろんなところで聞きますね、確かに.
高見知英
やっぱりそういうようなものを、
もうちょっと近づいて話を聞いてみるっていうのも、
いいのかなっていうふうに思ったりはします.
なかなかやっぱり日本人って、
特に仏教にあまり関わりがない人だと、
自分も無宗教だからとかいうような形で、
仏教に関わるのって避けてしまいがちだったりするんですけども、
それとは別に宗教があるかないかとか、
別にちょっと関わってみることによって、
意外と見えてくるものってあったりするなっていうようなことを、
自分はいろいろな話を聞いていて感じます。
中山雅紀
そうですよね.だから、
無宗教だとは言いつつ、
いろいろまあ、日本はいろいろ混ざっちゃうんですかね.
クリスマスがあったり、
初詣があったり、
でもまあ皆さん、
なんかお寺の神秘性みたいなものは、
意外とまだ持たれてて、
お寺に来ると、
背筋がフィットするみたいな、
観光地に行くと、
名所、旧籍に行けば、
ちょっと神妙な気持ちにはなったりはね、
日本人だと多いと思いますけどね.
だからそういうのを、
組み取れてないっていうのが本当に、
お寺さんの怠慢じゃないかなと、
思ってますね.
お寺さんもやっぱり、
檀家さんとかに閉じちゃうんですよ.
檀家さんとかが何人もいますと、
それで生計が立ってしまうと、
もうそれでなっちゃうんですね.
だから檀家とあと、
一種ファンというか、
外から来る信者の方ですよね.
神徒っていう部類があるわけですけども.
檀家さんだけではなくて、
そういう神徒ってものも考えると、
だから本当に観光寺とか、
観光地で有名なお寺とかも、
お祭銭だけで何千万みたいな、
そういうレベルですから.
そうすると神徒の方にも、
布教したりするのが、
まずメインになってきますよね.
だからまあ、
寺離れとかやっぱり、
基本的にそういう、
無駄な習慣みたいなのは、
なくなっていくと思うんですよ.
なんかありがたいからやれみたいな、
そういう頭のなしなし、
そういう法要はなくなっていく気がして、
だからお墓っても何のためにあるのかっていうと、
あの大きさだって、
だってあの、
あの四角屋お墓だって、
明治に石切り場で安くなったから、
あれを普及してるだけで、
あの形がね.
だから別に、
いろんな形があっていいんですよ.
だから僕なんか、
3Dプリンターで七色のお墓とか作ってみようかな、
っていうぐらいで.
だから、
お墓ってだからその人の、
執着を一旦はつなぎ止めるための、
まあモニュメントなわけですよ.
まあアンカーというかね.
だから、
いろんな形があっていいし、
小さくたって大きくたって、
家の中に遺廃があるだけだっていいと思うんですよね.
だから、
そういういろんな形が考えれば、
お墓ってものを行々しく、
あのでかいのやつを何百万を使って、
建てるみたいなのは、
どうかと思うんですけど、
でもあそこになんか、
自分の生き様をなんか、
置けると思ったら、
ちょっと若い人にも興味持ってもらえるかなと思う.
確かに.
なんかね、
そういう言い方すればいいんじゃないかな、
と思ってますね.
だけどまあ、
ほとんどの方は、
そこまで自己主張したくないって言っても、
よいでしょうから.
基本的には、
集合墓とか、
まあ本当に散骨だとか、
樹木葬だとかね、
そういう、
集合、
集合文になっていくとは思うんですけど、
まあ、
その中でも一部、
そういう、
なんかね、
残したいって人はいると思うんで、
まあ、
そういう人たちに、
寄り添って、
いろんな形態を考えていくのは、
いいかなと思ってますね.
だから、
一種、
暖化というものに、
固守するよりかは、
広く広く、
ファンを集めるみたいな、
お寺の方が、
今後は、
そういう道しかないんじゃないかな、
とは思ってますね.
高見知英
そうですね.
やっぱり、
そういうような、
特に、
こちらはもともとが、
本当に、
コロナ禍前後からっていうような、
感覚はありますけど、
そういうような、
ちょっと、
いろんなところに、
声をかけてみようとか、
そういうようなことをされている、
お寺の方は増えたな、
というような感覚がありますね.
中山雅紀
そうですね.
なんか、
自分で音楽とかできる方は、
本当に、
ユーチューバーになっている方もいらっしゃいますし、
そういう、
1年くらいならいいな、
と思ったら、
羨ましく思いますよね.
高見知英
YouTubeもそうですし、
なんか、
ポッドキャストもそうですし、
いろんな形で、
何か発信をしてみるとか、
そういうような、
お寺が増えて、
自分自身も、
特に、
そういうような、
仏教のことを調べようとか、
そういうようなことを、
特に考えたわけではないものを、
実際にそういうような、
配信を見るに従って、
やっぱり、
中山雅紀
ああ、
高見知英
こういうところって、
意外と、
仏教は関係するしないにかからず、
やっぱり、
思いとして持ってる人多いな、
とか、
やっぱり、
そういうような、
考え方をすることは多いな、
とか、
そういうのは、
改めて、
お話を聞くことによって、
感じるということが、
結構あるな、
と思いますね.
理系住職の視点:学びと葬儀の本質
中山雅紀
そうなんですよね.
お話を聞いてもらったり、
その、
仏教思想とか、
一種、
なんか、
僕も本当、
理系だったんで、
なんか、
もう、
歴史とか、
勉強じゃなくて、
っていう感じで、
本当に、
拒否してたんですけど、
よくよく考えると、
政治から、
社会から、
文化から、
結局、
歴史とか、
本当に、
それまでの一種、
家庭を知らないと、
何も言えないな、
ってことに気づいて、
今さら、
焦って、
いろいろ、
哲学だとか、
社会学とか、
勉強してますけど、
本当、
科学の傲慢みたいなものを、
僕は逆に、
嫌いになっちまって、
理系ではあるんですけど、
なんか、
ちゃんと理系は、
なんか、
新しい技術は、
作ったりして、
世界を変える、
技術は、
作るんですけど、
それをちゃんと、
運用してくれるのは、
文系の方なのかな、
って思うぐらい、
なんか、
社会実装してくれるのは、
文系なのかな、
って思うぐらい、
ちゃんと、
やっぱり、
高見知英
その、
中山雅紀
家庭を大切にする、
ってことが、
テーマには、
なってますね、
結局、
表面だけ見ちゃうんですよ、
そうすると、
娯楽になっちゃうんですよ、
なんか、
表面だけ見て、
お葬式やって、
ああ、
お経やってる、
お経、
お経録音でいいんじゃない、
とかいう話になっちゃうわけですよ、
ロボット置いておけば、
いいんじゃない、
っていう感じで、
表面だけ、
あのセレモニーやること自体には、
意味がないんですよ、
正直なところは、
そこで、
あなたが、
あの空間で、
その、
お母様に感謝の意を、
ずっとこう、
自分の中で、
内省できて、
できるか、
っていう空間を、
提供しただけなんで、
うん、
自分の中で、
こうやってて、
ああ、
内省できるんだったらどうぞ、
って感じですけど、
まあ、
いろんな形があるんで、
自分の好きな、
お葬式の形をね、
うん、
まあ別に、
仏教の会話は関わらず、
同じだったんでね、
高見知英
本当に、
本当に、
中山雅紀
こういう、
高見知英
お葬式の時もそうですけども、
全てのことに、
全てを費やすってのは、
さすがに無理なので、
じゃあ、
自分なりに、
ここは大事にしたいなと、
ここは、
大事にしたいけど、
まず、
限界があるので、
ここで、
妥協しましょう、
ここは、
ここまでやれればいいかな、
中山雅紀
とか、
高見知英
そういうような、
自分なりの選び方っていうのは、
できる、
そのためには、
やっぱり知っておくことが、
一番重要ですし、
あるいは、
環境を理解しておくことっていうのも、
すごく大事ですし、
やっぱり、
そこはすごく感じますね、
中山雅紀
そうですね、
だから、
お葬式も、
だから、
自分のためにやってくださいって、
いつも言ってるんですよね、
だから、
あの、
亡くなった人のためっていうと、
もう、
口も聞けないから、
結局、
忖度したら、
キリがないんですよ、
だから、
もう、
あっちの方、
100万かけたら、
丈夫すんでしょうか、
いや、
200万かけないと、
丈夫しないでしょうかって、
で、
あっちの、
隣の方、
隣のご家族の方、
300万でやってましたけど、
どうしますかって、
言われた時に、
あ、
いや、
言い返せないじゃないですか、
だけど、
自分のためと思っていれば、
いや、
自分でやるんで、
あの、
もう、
お花とか、
じゃあ、
そこまでお金かけんだら、
いいです、
僕が、
あの、
お母様の大好きなお墓を、
僕しか知らないんで、
大好きな花を、
僕が全部飾ります、
で、
段ボールでいいんです、
別に、
それで、
僕が、
最高の、
組織やりますって言ったら、
それが最高に決まってんじゃないですか、
考えてればね、
それを、
皆さん、
金でアウトソーシングしてるだけの話で、
高見知英
今はね、
中山雅紀
あの、
ご遺体を洗ったりするのも、
家族でやったんですよ、
昔は、
あの、
ごい、
皆さん、
放棄して、
全部、
中山雅紀
金で、
人にやらせてる、
っていうのが、
今の状況であって、
不謹慎とか言い始めたら、
段ボールで、
祭壇作ったら、
不謹慎なんですか?
って言ったら、
いや、
そんなこと言ったら、
手で、
ちゃんと、
ご遺体を洗ってた、
あの時期を比べれば、
今の時代、
全部不謹慎ですから、
それ、
そんなこと言ったら、
損失者の尊厳とか言うんだったら、
あなたは自分で、
洗ってあげます?
って話になる、
まあ、
本当に、
今はね、
お仕事もいろいろあるし、
社会も変わってきたから、
まあ、
それはある程度は、
仕方ないところはありますよね、
しなきゃいけないことはあるけど、
でも、
それは今の、
葬式屋が考える、
形だけではないので、
自分の好きなように、
自分の好きなように、
やればいいだけなんです、
だから、
それを、
自分で、
自分が、
いや、
それで、
その価格で納得します、
って言わないと、
向こうの、
あの、
上限がないですよね、
もう、
お母様が悲しんでますよ、
いくらでもお金入れられちゃうじゃないですかね、
だから、
本当に、
こっちが主軸、
主役なんだ、
ってことを覚えておかないと、
うん、
だと思いますね、
うん、
高見知英
本当にそうですね、
やはり、
あの、
人が亡くなったという、
ちょっと、
非日常な空間だからこそ、
やっぱり、
そこは、
しっかり、
真として持っておかないと、
やっぱり、
そこを混乱してしまう、
っていうところは、
あるんだろうな、
っていうふうに思いますし、
中山雅紀
そうなんですよね、
一番こう、
悩んでる時期ですからね、
高見知英
そうですね、
中山雅紀
日頃からそういう意識を持っていただくと、
いいかもしれませんね、
高見知英
うん、
そうですね、
何か、
この、
今、
立花ギャラリーとして、
いろいろな、
アートと展示をしていて、
何かこういうところで、
メッセージ届けたい人とか、
こういうところに、
届いて欲しいな、
来て欲しいな、
中山雅紀
とか、
高見知英
いうような、
地域コミュニティと子供たちの育成
高見知英
方っていらっしゃいますでしょうか、
中山雅紀
やっぱり、
そうですね、
お子さんですね、
うちでは、
マルシェとか、
子ども向けの企画もやってまして、
子ども向けってわけじゃないんですが、
市場ですよね、
よくお寺で、
マルシェやってるところ、
結構あるみたいなんですが、
それで、
うちも始めまして、
ここで2年ぐらいになるのかな、
でも、
最初からもう、
1000人以上は来てたんで、
結構、
売れてる方の、
マルシェだと思うんですけども、
境内に、
キッチンカーから、
アクセサリーショップから、
子どものワークショップから、
もう30件ぐらい並べまして、
で、
もう、
皆さんに来てもらうっていうことを、
年3回ぐらいやってます、
で、
また、
3月28日にまた、
やるんですけども、
それなんかは、
本当に、
子どもさんとかも、
いましてね、
というかね、
うちの、
実は、
うちの幼稚、
あの、
祖父の代から、
実は、
幼稚園やってたんですね、
立花幼稚園ってあったんですよ、
で、
もう40年近く、
45年近く、
やってましたから、
もう、
4000人近い卒業生がいる、
第一巻はもう、
結構、
卒業生がいて、
いまも、
あの、
卒業生ですっていう方が、
来ていただくことも、
時々あるんですけども、
だから、
もともとは、
そういう楽しくて、
まあ、
境内が、
だから、
緑ではなくて、
本当に滑り台とか置いてあったんですよ、
砂場とかね、
まあ、
僕もそこの出身なんで、
楽しい思い出はあるんですが、
まあ、
ちょっと、
少子化とかでね、
一旦辞めちゃったんですけども、
まあ、
そういう、
お子さんとかが、
やっぱり、
お寺に、
慣れ親しむっていうのが、
やっぱり、
文化って、
醸成していかないとだめだな、
とは思いましてね、
まあ、
大人の方は、
まあ、
僕の活動とか見て、
あの、
共感してきていただける方、
結構多いんですけどね、
大人、
今は、
ほら、
葬式とかも、
子どもは、
参加しなくなってきましたし、
うん、
だから、
そういうのも、
昔ながらのやっぱり、
繋がりというか、
うん、
そういうものを、
醸成していく、
やっぱり、
そうしないと、
やっぱりね、
日本の文化とかもね、
廃れてっちゃう気がするんで、
お寺こそが、
例えば、
節分だとかね、
七夕だとか、
もうちょっとお寺とかの、
こう、
環境を生かして、
立派にしていきたいな、
とは思ってますので、
なんかこう、
日本文化とか、
うん、
子どもたちが、
楽しみながら、
学べるような場所をね、
高見知英
ちょっと、
中山雅紀
夢見ております、
はい、
高見知英
そうですね、
遊びながら、
学べるという意味でも、
そうですし、
やっぱり、
いろいろな文化の、
中心地に、
やっぱり、
お寺がなるっていうことが、
結構あるな、
というふうには、
中山雅紀
思いますし、
高見知英
自分自身も、
一つ前に住んでたところって、
近くのお寺があったので、
実際に、
そういうようなところで、
イベントが行われている、
っていうのを、
よく目にしていて、
やっぱり、
そういうようなところで、
集まれる場所がある、
なかなか、
やっぱり、
それ以外の場所で、
全然関係ない人たちが、
集まる場ってないので、
中山雅紀
だからこそ、
高見知英
やっぱり、
そういうような場がある、
っていうのは、
とても重要だし、
大事にしていきたいことだな、
というふうに思いますね、
中山雅紀
確かに、
もともとは、
寺子屋っていうぐらいですからね、
学問の、
大学みたいな機能も、
持ってたわけですよね、
まあ、
町の、
町の知識人だったわけですから、
だから、
そういうのが、
分離はしましたけど、
やっぱり、
大学ではできないような、
まあ、
いろんな、
多様な、
お寺に来ると、
みんな、
大会社の社長でも、
みんな、
肩書きないですから、
みなさん、
平等で、
解脱した状態で、
みなさん、
楽しんでいただけると、
いいかもしれませんね、
なんか、
色が、
特にないというか、
うん、
そういう場を提供できればな、
と思ってますね、
高見知英
そうですね、
本当に、
こういうような、
お寺という、
学ぶための場所、
というわけでもなく、
かといって、
本当に、
宗教の時、
宗教の用事だけで、
来る場所でもなく、
だからこそ、
やっぱり、
いろんな人が、
集まれる、
いろんな人が、
交流できることによって、
そして何かが、
生まれてくる、
というところも、
あるんだろうな、
というふうに、
とても感じます、
テクノロジーと仏教:AI時代の「執着」
中山雅紀
そうなんですよね、
だから、
仏教って、
だから、
みんな、
葬式仏教ってね、
揶揄されますけど、
みんにやっぱり、
葬式で、
みなさん、
葬式になって、
やっと、
パニックって、
お寺に来る、
みたいな、
感じになってしまうんですけど、
生きてる人のために、
高見知英
やる、
中山雅紀
だから、
日蓮さんは、
うちのは、
年次練習なんですけど、
日蓮さん自体も、
生きながら、
解脱する、
ということをね、
この世を、
天国に変える、
天国というか、
極楽に変える、
というか、
浄土に変える、
ということを、
主張されてた方でしたけど、
やっぱり、
あの、
成仏って言葉、
死ぬって意味に、
みんな取ってますけど、
あれ、
仏になるって意味なんで、
あの、
解脱するって意味なんですよね、
だから、
別に、
死ぬことが、
解脱ではない、
ですね、
だから、
それを、
神して、
まあ、
現世で、
あの、
刀に下ろすという、
解脱、
本当の解脱をね、
やっていただくと、
みなさん、
自由に生きられるんじゃないかな、
と、
それを、
いろいろ、
まあ、
公演、
公演とかいろんな、
アートイベントやってね、
そういうのに、
共感していただいて、
救われました、
みたいな、
方も時々現れますけどね、
はい、
高見知英
ですね、
中山雅紀
お話も聞いております、
高見知英
それでは続きまして、
やっぱり、
こういうアート、
いろいろな形で、
出していきながら、
本当にお寺の活動も、
しながらというところで、
中山雅紀
やっぱり、
高見知英
テクノロジーっていうのはね、
結構いろいろと関わって、
中山雅紀
いると思うんですけども、
高見知英
やっぱりテクノロジーって、
と、
お寺、
これからの在り方って、
どういうような、
役割といいますか、
どういうような関係性で、
いるといいなというふうに、
中山さんが自身は、
どう思ってらっしゃいますでしょうか、
中山雅紀
僕はね、
アルゴリズムが好きだったんですよ、
そういう、
世界を、
CGの世界って、
全部計算の世界で、
物理現象、
世界の見た目っていうか、
光の、
光の振る舞いを、
全部数式で解いて、
それを、
微分積分していく世界なんですね、
だから、
ゲームとか映画とかじゃ、
クリエイターの話はよく、
どういうキャラクター作るか、
みたいな話は、
あると思うんですけど、
実はその下に、
CG研究家たちがいるんですよ、
CGの技術を、
本気の、
ベーシックな部分を作っている、
基盤技術を作っている方々がいて、
僕はそっち系の人ですね、
僕は一種クリエイターじゃないんで、
中山雅紀
漫画も描ける、
手書きのキャラクターとか作って、
動かして、
映画作ったりはできないんですよ、
僕はプログラムして、
例えば、
ガラスのコップ作りたかったら、
中山雅紀
ガラスの屈折率は、
光が、
中山雅紀
太陽が、
太陽の光が当たったら、
どういう風に光が反射して、
屈折して、
それがカメラに入って、
中山雅紀
どう見えるかってのを、
あれ全部いちいち計算してるんですよ、
中山雅紀
だからもう、
CGの映画って、
中山雅紀
5分作るのに1ヶ月計算したりとか、
ざらにやってたことなわけですね、
中山雅紀
ゲームとかもそうですよ、
ゲームは超高速の世界なんで、
あの中で、
一瞬のうちに光のライティングとかを、
計算するんですけど、
あっちはまた違う分野で、
中山雅紀
高速化の分野で重要な技術なんですが、
だからそうやって、
世界を解き明かしていく、
一種、
科学のひとつなんですよね、
ビジュアルで解き明かしていくのが多い、
高見知英
だから、
中山雅紀
人間の肌とか、
最近リアルになったでしょ、
CGのキャラクターとかも、
見分けつかなくなったと思いますが、
皮膚って肌色じゃないんですよ、
これを肌色で書いて、
普通のプラスチックの肌色に書いちゃうと、
リカちゃん人形みたいな、
マネキンみたいになっちゃうんですね、
昔はそういう指示多かったんですけど、
今は角質とか、
皮膚って内部に光が浸透するから、
この艶やかな感じが出るんですよ、
だから今は、
細胞の、
よく化粧品のコマーシャルであるでしょ、
角質層とか、
いろいろあって、
それで、
あと髪の毛とかね、
髪の毛もちゃんとキューティクルまで
全部計算してるんですよ、
キューティクルに光が入射したら、
どれくらいの確率で反射して、
どういう角度で何パーセント反射するかって、
全部数式化してあれ書いてるんですよ、
だからそうやって、
CGの世界って、
プログラムで数式を得て、
映像を作っていく世界なんですけど、
逆に今AIの技術になってくると、
もう数式化いらなくなっちゃって、
学習によって、
その映像を大量に読み込ませれば、
髪の毛っぽいものは作れちゃう、
ちょっと新しい時代になったので、
AIの時代は面白いかなと思いますけどね、
新しいアートの世界っていうのが
広がるかもしれないし、
逆に僕らのやってきたこういう、
仕組みを解き明かして作るアートみたいなのも、
なんか逆に僕は、
価値が出てくるかなと、
逆にも、
僕みたいなことやってるの少なくなってきて、
みんなAIで作ってる人多いそうですからね、
まあそういうのもあるかもしれないし、
高見知英
自分としては本当に、
プログラムとかで、
多少でも本当に、
AIも、
今まで通りのプログラミングもする、
っていう立場からしても、
やっぱりそういうの両方してるってことって、
意外と大事で、
やっぱりAIでやることは感覚になるので、
どうしても再現性がないからこそ、
同じことを何度も何度も繰り返したい時は、
自分で書くしかなかったり、
っていうようなこともありますし、
その自分で書く術を、
できるためにAIに頼まなければいけない、
中山雅紀
とかもあったりしますよね.
高見知英
うまく協働で、
ここは自分たちでやるから、
ここはAIでやって、
っていうような、
うまく協力関係を築くってすごく大事だと思うんですけども、
なかなかやっぱりそれって、
やってみないと分かんない、
っていうところはありますので、
だからこそ、
今まで以上に、
使う側もある程度触れておくこと、
テクノロジーも触れておいて、
こういうふうにすればよりよく使える、
ってすごく大事だなっていうね.
中山雅紀
そうですね.
生成AIとかもいろいろ、
とりあえず動画生成から、
ChatGPTとか、
Geminiとか、
いろいろはいじってますけどね.
ただやっぱり、
問題としては、
技術的な問題というか、
人間の問題になってきて、
仏教的には、
AIに執着しちゃう人が現れるっていう、
僕は危険視してますけどね.
AIは神様じゃないので、
ロボットだから、
人智を超えていて、
人智を超えるぐらい、
頭が良くなってくると思うんですけど、
だからって言って、
やっぱり結局は、
一企業の製品でしかないわけですよ.
宇宙から降ってきた神様ではないので、
結局は何かしらの偏見を持っている.
AIは人間みたいに、
体が死なないから、
命への執着みたいなのはないわけですね.
人間としてはね.
男女で恋愛もしないし、
人間の肉体を必要とした、
人間って肉体があるっていう執着があるんで、
食欲弾、性欲弾、
そういうのも一種執着ですけど、
そういうのが発生するんで、
AIはないんですけど、
逆に人間のあれどあらゆる、
有象無象のデータを読み込んでるから、
AIも偏見を持つわけですよ.
海外の顔認識のソフトウェアとかで、
海外の白人は認識できるけど、
黒人は認識できないみたいな話もあったし、
あと、
黒人への悪口を言い始めちゃうとか、
だから、
白人コミュニティの情報だけ持ってると、
そういう人種差別みたいなのも、
継承してAIを持ってしまって、
止められたボットもありましたけどね.
だから、
AIって偏るもので、
普遍的なすごいものだとは思うかもしれないけど、
実は偏ってるものを内在している.
それを本気で考えないと、
本当にカルト宗教の教祖を何万人解放したみたいな話になるかな.
24時間、
24時間喋り続けるカルト教祖がいるみたいな状態があり得る.
まあ、
解放されたら、
カルト宗教は絶対手を出して、
これで勧誘ボットは絶対作るんで、
それは絶対避けられないかなと思うから、
むしろ、
そういうのを、
何かしら執着を植え付けてきたら、
危険だと思ってくださいっていうのは、
大人もそうなんですけど、
これは、
神様が作ったコップだよとか、
そうやって、
関係ないこの神コップは、
神様が作った神コップだよって、
神コップ時代には価値がないんですけど、
そうやって、
ナラティブを植え付けることで、
価値を高めるわけですね.
神コップが、
これ神様が作った神コップってなると、
もう、
会社でパワハラされてきたこと、
どこでもいいわってなるわけですよ.
一種執着をめちゃくちゃ強い執着を植え付けると、
人って救われちゃうんですよ.
気づけ役としてね.
だからカルト宗教って、
意外と人を救うんですよ.
極小、
短期的には救えるんですね.
長期的には、
カルト宗教に執着しちゃうんで、
また新しい強い執着を植え付けられて、
そこから出られなくなり、
散々お金を吸い続けられるっていう状態が起きるんで、
長期的には救われないんですけど、
短期的には救われるように見えるんですね.
だから、
すごい厄介なんですけど、
だからAIもまさに、
短期的には、
悩み聞いてくれたりして、
ああ癒されたわってなるかもしれないけど、
それに依存しちゃうと本当に、
チャッピーとかいって名前つけてるとどうなのかな、
ロボットのスイッチを切れなくなるじゃないですか.
だから、
今のAIBOでさ、
AIBOのペットロボットでさえ、
供養が必要になってきてるんですよ今ね.
AIBOの供養ってあったぐらいですから.
だから、
物に忠着するってのは人間の、
さがというか、
あるんですけど、
本当にAIとかボットに、
気をつけないと、
何かしら価値観を植え付けてきたら危ないなと、
人間に関しても思ってくださいっていう、
それがまず、
カルト宗教の入り口なんで.
そこさえ気をつけていれば、
大丈夫だと思うんですよね.
仏教では、
AIで個人を蘇らせとかね、
ちょっと危険視はしてるんですけどね.
死んだ方の、
AIとかを作って、
お父さんと喋れます、
死んだお父さんと喋れますみたいな.
だけど、それって一種、
AIって近似でしかないので、
所詮はその、
お父さんらしき何かなんですよね.
高見知英
その、
中山雅紀
お父さんの魂が乗り移ってるとか、
言いたがりたくなりますけどね.
それは単なる近似でしかなくて、
それに対して、
そういう執着を与えちゃうと、
お父さんが喋ってるパソコン切れますか?
みたいな話になってくると、
それはもう完全な執着に
囚われてる時代なんで、
それは全然供養にならないんですよ.
だから供養って実は、
個人と離れることもすごい供養であって、
常に抱き続けてるっていうのは、
供養じゃないんですよね.
だからそれを、
執着を押し付けちゃう、
そういう葬式ビジネスも絶対出てくるんで、
本当に気を付けないと、
死んだ方との
2ショット写真とか動画を、
永遠に作れますみたいな、
そういう執着で、
自分が生きたっているのは、
供養ではないので、
まあそこは気を付けていかなきゃいけないなと、
高見知英
本当に思います.
そうですね.
本当にそういうことができてしまうからこそ、
やっぱり、
程よい距離感を保つっていうのはすごく大事ですから、
やっぱりその程よい距離感を保つのには、
中身知っている必要がある程度あるのかなって、
気はすごくしますから.
やっぱりそういうのは、
本当に、
以前何かそういうような、例えば偽物とか、よく似た偽物とか、成功的なものを簡単に作れてしまう時代になって、これはまずいのではないかっていうところに、技術者の方は、それは別に誰もが偽物を作れるようになったからこそ、逆に自衛ができるんじゃないかっていう話をされて、なるほどなっていうふうに思ってはいたので。
やっぱりそういうのが大事なんだろうなっていうふうに思います。自分が偽物を作られて捕まされてしまうっていうようなことを、今までってなかなか認識できてなかったわけですけども、自分が簡単に偽物を作れてしまうことによって、改めて自分を気をつけなくちゃっていうふうに思うようになると思う。
それは一つ一歩進めたんじゃないのかなっていうふうに思ったりします。
中山雅紀
そうですね。だからAIができたことで、AIに拒否感というか、警戒感を持つ人も増えたでしょうけど、やっぱり慣れるんですよ。だから慣れた時が怖いなと思って、普通に死者が蘇る世界とかが当たり前になっちゃって、それを普段何もずっと慣れる可能性はあるんで、そこは本当に気をつけないといけないかなと。慣れるって怖いもんですね。
高見知英
本当にいい感じの距離感、慣れた上にこそ何かそのいい感じの距離感を築く方法っていうのも見つけられるんじゃないのかなっていうふうに思うので、中途半端に慣れた状態っていうのが確かに一番危険っていうところはあると思います。
そういうような形でしっかりと使うっていうことをやってほしいな、関わってほしいな、そのためにもこういうような橘ギャラリーのような場でいろんな方と話をすることによって、しっかりとした芯を持ってほしいなっていうのは。
AI時代のプログラミング教育と多様性
中山雅紀
そうなんですよね。だから一種五縁が繋がるお寺でもあって、いろんな方が繋がってきたんですけども、やっぱり地元の際も知らなかったですよね。僕自体がね、やっぱりこういうことをやらないと地元で、いろんな踊りやってる方もいるし、音楽やってる方もいるし、意外と地元何も知らなかったなと思うんですけど、やっぱりそうやっていろんな自分と違う世界の方と会ったりすると自分の世界広がるんですよ。
だからそれが修行だって言ってるんですよ、僕は。滝に撃たれることも修行なんですけど、それは一種自分のあの無駄だと思うでしょ。滝に撃たれるって、そんなあんなアホなことやるかって思っているあなたがまず、その滝を撃たれた心境がまず理解できない状態でしょ。それであの世界に入ったら自分が変わるかもしれないっていうのはあるかもしれません。
ただ、それだけがいいわけじゃないんで、滝がやったから偉いわけじゃない。それじゃなくて、いろんな人と会う、いろんなものを勉強する。こんな技術もあるんだとか、いろんな考え方もあるんだ、いろんなことに自分が打ちのめされることが。
いろんな変な人もあって、ピンクで紫ですごい人が来たとか、だから一種不快なことに自分から突っ込むぐらいな気合いしていかないと自分は変えられないよ、自分を変えるには少し障壁がある。だから僕、山で例えるんですよ。
みんな幸せな山を登りたいんですよ。みんな山を登ってるんですけど、最高の山を登ってるんですが、みんな小さい山で安住しちゃうんですよ。そうすると、隣の山見て、あの山は低いな、大したことないな、高齢の方が幸せだなってみんな言ってるだけなんですけど、
実はそこのちっちゃい谷を避けると、実はものすごい富士山が横にあったりするんですけど、皆さん視野が狭いと、周り見渡しても俺の山が一番高いなと思ってるんですけど。だから一旦山を降りる勇気を持てるのかってことが重要で、
AIも実はそれやってるんですよ。最適化技術ってAIの基本的な技術であるんですけども、AIも山を探すんですよ。最短な一種、例えば燃費のいい飛行機を作りたい、羽の長さ、胴体の長さ、エンジンのパワー、どうやって設計したらいいかっていうのを全部コンピューターで調べたりするわけですけど、ああいうのも最高のバランスがある山が存在するんですね。
その山をコンピューターが探すんですけども、実はコンピューターでもプログラムで最高の山を探せって、常に山を登り続けろ、常にいい答えしか出さないっていうプログラムを作ると止まっちゃうんですね。
なぜかというと、例えば富士山の山の中腹にある小山とかに引っかかっちゃうから、そこから降りられなくなる。だからプログラムでもわざとランダムに今見つけた答えを捨てるっていうプログラムを作る。
そうすると、実は隣にもっといい山があるのに気づかないっていうのがあって、だから遺伝的アルゴリズムとかもいい答え、優生学ってダメなことはもう理論的にわかるんです。
優生学って常に正しい子どもだけをやって、障害者とかダメなやつを全部殺すみたいな話ですけども、あれをやるとダメだってことはもう数学的にわかってるんですよ。理論的に山を降りられなくなるから。
山を降りられなくなって中腹のローカル未明っていうんですけど、ローカルな局所的な最適化にはまっちゃうと、それで全が統一されて多様性がなくなって死ぬっていう状態になっちゃうんで。
実は脚の遅い人もいれば、太った人もいれば、いろんな人がいて、違う世界を探しているから本当の良い解が答えられる。
だからそれはプログラムで実際に、数学的なプログラムで普通にやることだって、あれ人生も同じだよねって思ってますけどね。
山を降りれば、皆さん夜の山を彷徨ってますと、懐中電灯で探してもここが一番高いなぁとは思ってるんでしょうけども、一旦崖を降りてみましょう。
そしたら違う本当にすごい自分の大好きな山が本当に見つかるかもしれないけどっていう話をすると、AIと仏教って繋がってるなと思うんですけど。
高見知英
そうですね。
自分自身も本当にAIは何かをまとめることとかにも非常によく使ってはいますけど、そうやってみると見えてくることって結構あったりしますし、
逆に他の事実をまとめるのに使うと、それが合ってるか間違ってるかって、あくまで外の事象だからわかんない。
ただ自分が作ったものをまとめるんだったら、間違ったこと言ってんなってすぐわかるので、そういうのを使ってたりしてると結構見えてくるものがあったりします。
それを何度も何度も繰り返すと、AIってこういうことに使えばいいんだ、こういうことに使うとちょっと危ないんだとか言うのって見えてきたりしますし、
高見知英
いろいろ試してみることって、AIについてもそれ以外についてもいろいろ試してみることがやっぱり結果的に重要になってくることはすごく多いなって思います。
中山雅紀
そう、AIと仏教問答みたいなのをしてたこと、そういうのもやってくれますし、
ある程度簡単な文章なら書いてくれたりするから、文章下手な人としてはすごい楽でしたね。
高見知英
本当にお互いが補完できるような、やっぱり不得意分野をなんとかできるっていう力はすごくある。
だからそういうようないろいろな方法を試してみて、自分に合った使い方とか、
自分はこういうテクノロジーの使い方をすると楽やなとか、こういうの使いやすいなとかいうのをいろいろと探していってほしいなっていうのは思いますね。
中山雅紀
そうですね。やっとプログラム関係は良くなったのかな。
まだ自分で手で書いている、僕は書いている、ロートルな方なんですけど、
バイブコーディングとかどうできるのかな。まだちょっと上手くできてないんですが。
高見知英
そうですね、本当に。
そちらについても本当に圧倒的に不得意な分野があるかと思えば、圧倒的に得意な分野もあったりします。
中山雅紀
プログラマの人口とか考えると、学習ソースが多いほど精度が高いんですかね。
ウェーブとかのプログラマの方が多そうだから。
そうですね。
だからプログラムの授業とかどうしようかとか、僕は教育現場でちょっと困りますね。
プログラムの授業って今必要なのかなとか。
でもやっぱりプログラムAIが出したやつを検証するのも人間だから、ある程度分かってないとしょうがないっていうのがありますね。
高見知英
本当に自分自身もプログラミングの授業を時々受け持ったりはしてますけども、
そちらのほうでもすごく感じるのは、今必要なのは教える人じゃなくて見守る人だなってすごく感じます。
どうやっても、例えばまだ中学生なので英語を全部読めなかったりしてエラーメッセージが読めないとかいうこともあるかもしれないですし、
そういう時にこれはこういう意味だよとか、こういうエラーがあったらここを見てみてみるといいよとか、
そういうアドバイスができる人っていうのはとても必要になるんですけども、
これこれこういうふうにしなさいみたいな指示を投げる人っていうのは別にもういらない。
どうせAIができちゃうからっていう。
中山雅紀
そうですね。
高見知英
ただAIの使い方をこうしたらこういうところでやるといいよとか、
こういうところはちょっとやりすぎるとよくないよとか、
そういう話ができる人っていうのは今すごく必要とはされてるんだろうなっていうふうに思いますし。
やっぱりそれは自分自身が一から全部プログラムを組める人じゃなきゃいけないかっていうとそんなことなくて、
AIを使いながらいわゆるバイブコーディングとかそういうエージェンティックコーディングとかができるレベルの人だけでもいいので、
とりあえずそういう人がもっと増えること。
たぶんそれって、本当に自分が10年前とかまだスマートフォンが出て間もない頃とか、
もうちょっと前の時代に結構いたので本当に自分の子どもを、自分で作ったプログラムを遊ばせてたっていう方とか、
何度か会ったことがあるんですけども、やっぱりそういう人ってまだそういう開発環境補給だった時代にいっぱいいた。
そういう人が増える可能性は今の時代はあると思うし、やっぱりそういう人たちがもっともっといろんな地域の課題とか、
そういうところを変えていくとか、やっぱりCGももっと新しい形のものを作っていくとか、
そういう力があるんじゃないのかなっていうふうに思います。
だからそういう人がもっともっと増えてくれればいいなと。
そしてそういう人が中学生のわからないところとかを一緒に勉強していけるような状態になってくるかなと思いますし、
そういう時の案内人としてプログラミングの先生っているといいなと。
例えばここ行くといいよと。
中山雅紀
そうですね、一から教えるものではないですよね。
高見知英
そういうようなことができる人がいればいいのかなというふうに思いますね。
中山雅紀
一応プログラミングもプログラミングの教室みたいにやりたいなとは思っていたんですけどね。
うちでもお寺で寺子屋プログラミングをやりたいなと思って。
やっぱり僕も中学時代に初めてパソコンを買って、
たしか98、PCNECの98、921かな、その辺のパソコンでしたけど。
だから30年前に慶応の中東部っていう中学校がプログラミングの授業があったのがすごいなと思って。
でもあのおかげでプログラミングが好きになったから、
やっぱりあの時代に触れるって面白かったですね。
だから今の子にもやっぱり、
逆に子どもたちの方が楽しんでもらえるかなっていう、
役に立つプログラムを作るっていうんじゃなくて、
アートとかそういう名目で作ったらプログラミングをやる意味もあるかなとか、いろいろ思いますね。
高見知英
すごくそういう可能性はあるなと感じてます。
そんなお仕事で実際に使えるようなプログラムばっかりがプログラミングではないので、
中山雅紀
例えばほんのちょっと自分が毎回同じ計算をするのがめんどくさいからこれ作ろうとかいうのもいいし、
高見知英
1年に1回しか絶対使わないんだけど、
1年に1回絶対これやるからっていう時のためのプログラムでもいいし、
いろいろな、今までちょっとこれ作るの難しかったしめんどくさかったし、
やらなかったんだけど実はこれ自動化したいんだよねみたいなものを
作るっていう機会にはすごく恵まれているのかなっていうふうには思いますね。
中山雅紀
そうですね、だから結局文法って大したことはなくて、
結局そのプログラミングのめんどくささって、
ライブラリーを利用できるかみたいな、
使用書を読めるかみたいなところが一番重要で、
そういうところをAIに聞いてやれると、
などばなどGoogleの生成AIのAPIを叩いて、
映像を取ってくるみたいなプログラムを、
自分じゃ勉強する気にならなかったんですけど、
ちゃんと地味に聞きながらやりましたらよくできましたね、結構簡単に。
ああいうのはすごい使用書がすごくて読めないライブラリーがあって、
1個球体描くだけで3000行必要なんですけど、
それがいつも手に出せなくて悩んでたんですけど、
高見知英
これAIに会計ながら描けばアシストしてくれるかな、
中山雅紀
手に出せるプログラムが広がった気がしますね。
高見知英
本当にそういうマニュアルがあるんだけども、
すごく難解でわかりづらいものっていうのは、
AIに解説してもらうことによってよりわかりやすくなるっていう感覚がすごくあるなと思いますし、
多分そういう方向にいろんな人がプログラミングすることによって、
結果的にそのマニュアル自体もこなれていく。
こういうのを書いちゃったらわからないんだな、伝わらないんだなっていうのを
開発する方もわからないと思うので。
やっぱりそういう使い方とか普及していくといいなっていうのはすごく思いますね。
自由な生き方と多様性の受容:結び
中山雅紀
なんかね、AIの顧客の苦情をちゃんと上に伝えて、
マニュアルを自動改善してくれるAIとかあったらいいですね。
ここ質問がすごい多いんだけどってところが自動的に使用しても変わっちゃうみたいな。
それはいいかもしれませんね。
高見知英
それでは今後、インターネットで玉泉山 安国院 with 橘Galleryの活動を知るにはどのようにすればよろしいでしょうか。
中山雅紀
そうですね、一応ホームページの方はありまして、
安国院っていうのはですね、暗黒っていうとなんかダークサイドな感じがするんですけど、
その暗黒星雲とかの暗黒ではなくて、
安心の国の病院の院と書きまして、
暗黒寺じゃないんですよ。
安国院という病院の院で、
近くにある本山の寺も司っていたようなちょっと格式の高いお寺だったみたいなんですね。
だから院って名前がついてるらしいんですけど、院外っていう言葉があるらしくてね。
なのでちょっと安国院で調べておくと、結構Googleで出てくると思います。
そうですね、ホームページがあって、あとは一応LINEとか、
Googleマップにも載ってるんで一度遊びに来ていただけると嬉しいですね。
高見知英
そうですね、ホームページやLINE、Googleマップなどを見て、
ぜひこちらの安国院さん見ていただければと思います。
中山雅紀
はい、各種SNSもありますので、はい、お願いいたします。
高見知英
それでは最後の方にはなって参りますけれども、
こちらの玉泉山 安国院 with 橘Galleryの活動のキーワード、
お伺いできますでしょうか。
中山雅紀
キーワードですね、やっぱりアートのお寺、
そしてアートと教養のお寺ですね。
それで自由になっていただきたい。
集着を下ろすのは苦しいことなんですけども、
それを破って、自分の殻を破って、いろんな知識を見てもらいたい。
だからキャッチブレイズとしてはアートのお寺っていうのもあったんですけども、
アートと教養ですね。
いろんな勉強することもやっぱり自分を開く修行の一つなんで、
自由と新しい知識のギャラリーですね。
高見知英
アートと教養のお寺ですね。
中山雅紀
そうですね、お寺という感じを目指しています。
あと自然が大好きなんで、
境内は緑も豊富ですし、
野良猫ちゃんも今3匹ぐらいお世話してますし、
狸も出てきたりして、
あと今度のマルシェでは動物園も来ます。
カピバラとかヤギとかフクロウも来るらしいんで、
楽しみに。
境内はワンちゃん連れとかも来てもいいっていう感じになってます。
高見知英
そうですね。
本当にいろいろな人が来ていることになります。
そういう人と出会う機会、
そういう人との人となりを知る機会っていう場所にも本当になっているんだろうな。
中山雅紀
そうですね。
ありがたいことです。
高見知英
それでは何かこれは言い忘れるなとか、
これを最後に言っておきたいのは何かございますでしょうか。
中山雅紀
そうですね。
やはり皆さんは本質的に自由だっていうことですよね。
だから私がCGの世界にパリコレに行ったりしますと、
パリコレに行ってCGの着物を作りたかったんですよね、最初ね。
だけどうちの師匠の川口雄一郎先生っていう、
CG界で知らない人いない重鎮の先生がいるんですけど、
ハリウッドとかやる前からもうCGのアートをやってた先生なんでレジェンドなんですけどね。
その方が何十年も前にCG着物とかやってたんで、
ちょっと二番煎じもつまんないなと思っていろいろ探してたら、
ロリータファッションの和ロリっていうらしいけど和服ロリータがありましてですね、
かわいいひらひらのレースつけたお姫様みたいな服のサブカルチャーですよね。
あの分野で活躍してる広子先生っていうブランドがあるんですけど、
そちらの先生の和服ロリータの服部に一目惚れしまして、
それでオファーして、そしたらパリコレ行くから行かないみたいな話になっちゃいまして。
僕がやったっていうよりか先生のお力で連れて行っていただいた感じなんですけども、
でも本当に多様性があって面白いなサブカルというか、
あの世界はね、かわいいものとかを着たりする世界ですけど、
意外と男性の方とかもいっぱいいましてですね、女装してる方ですね。
女装というかかわいいものが好きっていう、だからトランスジェンダーではなくて、
まあそういう方もいるでしょうけども、よく原宿都会歩いてるでしょ。
原宿にもラフォーレの地下にロリータの聖地があるんですけども、
それを目当てで男性の方とかもね、かわいいフリフリの服着て歩いてる方もいて、
だから本当にジェンダーレスでもあるし、だから僕もそれから感化されて、
ファッションってものを自分で考えたことなかったんですよね。
自分のものである、自分の表現であって自分が楽しみたいに着るっていう発想がなかったんで、
今の子はね、そういう男の子でも多いと思うんですけど、
なんか男って縛られてるなって、男の方、売り場見るとグレーと青と黒しかないじゃないですか。
だからピンクとか今着る男性も増えましたけど、
スカートも履いたっていいし、フリルのブラウス着たっていいんじゃない?ってなって、
何が恥ずかしいの?って考えると、
ああそうだな、別に自分が好きなの着ればいいなと思って、
僕も小さい頃から可愛いものとかそういうものは好きだったし、
少女漫画とかも好きだったんで、別に何かあまり違和感もなく、
いろんなもの、レディースもいろいろ買ってみようって言って、
今はスカート履いたりとか、いろんなファッションをごちゃ混ぜで着たりして楽しんでますけど、
なんかそういうのも自由、それも執着なんですね。
男らしさ、女らしさっていうのも執着だし、
外国人とか日本人だとか、歳相応だとか、
いい歳してそんな格好してっていうのも執着なんで、
どうぞもう80になって赤いフリフリの服着てどうですか?全然いいでしょ?
誰に文句言われるの?って言われると、別に世間体が言ってるだけで、
誰が、僕も別にスカートで歩いてますけど、別に誰が言われることもなく、
なんか自分の好きに生きたらと、それで吹っ切れた思いがあるんですけど、
中山雅紀
だから皆さん本当に自由に行きましょう。
歳相応だとか、もう嫌な言葉ですよ。
男らしさ、女らしさとか、別にいいんですよ。
筋肉ムキムキが僕は好きだとか、全然それは多様性として全然いいんです。
男らしさ、助成らしく胸を強調して、ボディを強調して生きるっていうのもありだし、
それに違ういろんな形だってありだし、
だから可愛い服を着るのが男性だっていいし、
別に助成でもスーツが私は大好きでネクタイすすめるのが好きだっていう人だと別にいいんですよ。
女らしくないとか言われる方がおかしくて、
それはもう本当に仏教の葬式と一緒ですよ。
不謹慎とか言ってる人と同じです。
不謹慎って言ってる奴が大体不謹慎なんですね。
物事を分かってない人が多いんで。
だから皆さん自由にいきましょうっていうことですね。
それを僕は体現していきたいし、
皆さんもそういう多様性のある人どんどん来てくださいって思ってますね。
高見知英
そうですね。
本当にやっぱりそういうのは執着によって縛られていることっていうのはとても多いなと思います。
中には本当に実はこれ本当に手放しちゃダメだよっていう執着もあったりすると思いますけども、
やっぱりそんな中にも実はこれは手放しても大丈夫とかいうのもあったりすると思うので、
だから自分の持っている執着にまずは自覚的であってほしいなというふうに思いますし、
その中で本当にこれって手放しちゃいけないものなのかっていうのを見つめ直すっていうことをやってみてほしいなっていうふうにやったとも思いますね。
中山雅紀
そうなんですよ。
だからもう1回見つめてみようなんですよ。
だから欲しい私はこの服がピンクが好きっていうのはピンクが執着があるんですけど、
それは認識して好きだから別に執着じゃないんですよ。
別に執着なんですけど、それは別に認識してるじゃないですか。
理論的に言語化できてるからいいんですけど、
言語化できてない執着とか本当に危険なんで。
何か分かんないけど嫌いとか言ってるぐらいだったらそれは捨てていいんじゃないのとかね。
考えてみて一旦耐性してみてくださいっていうのを問い遂げたいんですよね。
高見知英
そしてなんか本当に自分一人でそれに向き合うのが難しいなった時は本当にそれこそ
いろんな人が集まっている場に行ってみてそんな話をしてみるとか、
そういうことによってこの執着って実はそこまで大事じゃなかったっていうのを
気づくきっかけになっていくのかなっていうふうには思いますし、
中山雅紀
ロリータやってる男性とかメイクとかすごいですからね。
ああそういう世界もあるんだとか知っちゃうと自分が壊れていきますから。
高見知英
本当にそのきっかけの場としてこの立場のギャラリーに訪れていただけるといいなっていうふうに思いますね。
中山雅紀
そうですね、多様性といろんな、
この前はスリランカのアーティストの方とかいらして仏教の絵とかを描いてる方、
中山雅紀
女性の方で日本で仕事されていた方もいましたし、外国人も時々いらっしゃいますね。
また中国の学生さんとかのインタビューの仕事とかあったり、
いろんな方が集まってきて自由に皆さん喧嘩せずに自由に人を差別せずに生きられたらいいなと思っています。
高見知英
それでは今回は玉泉山 安国院 with 橘Galleryの中山雅紀さんにお話を伺いました。
中山さんどうもありがとうございました。
中山雅紀
ありがとうございました。大変光栄なひとときでした。
ありがとうございました。
高見知英
今回は千葉県市川市にて境内の多目的空間立花ギャラリーを拠点に、
音楽イベントや芸術の個展、地域の人々が集う寺庭マルシェなど、
様々な活動を行う玉泉山安国院の住職、中山雅紀さんに活動の内容や思いを伺いました。
仏教はお葬式だけのものではなく、私たちの生きる道を説くもの。
高見知英
それを理論的な視点で何か復興していきたい。
そんな思いのもとに開かれているお寺、玉泉山安国院。
執着を一旦解いて、少し第三者目線で見てみる。
そのための築きの場として、この立花ギャラリーはあります。
従来の檀家制度に固執するのではなく、広く広くファンを集めるお寺。
かつての寺子屋のように、町の知識人の拠点であったお寺を目指して、
肩書なく人々が平等に交流できる場としてのお寺。
個人の表現や対話を補助する場としてのお寺。
そのような場を目指し、中山さんは活動を続けています。
玉泉山安国院with立花ギャラリーの活動のキーワードは、
アートと教養のお寺。
執着を改めて見直す。
その執着は手放していいものなのかどうか改めて判断する。
そのためには教養が必要となる。
執着を下ろすのは苦しいことなんですけれども、
それを破って、自分の殻を破って、いろんな知識を見てもらいたいと中山さんは言います。
世間体や男らしさ、女らしさ、土地相応といった固定観念も
執着の一つ。
それらを解き放ち、自分の好きに生きる。
そのヒントを得る場として、玉泉山安国院with立花ギャラリーがあります。
皆さんも、自分の中にある無意識のこだわりを改めて見つめ直し、
好きに生きるということを改めて考える。
一人で考えるのが難しい、そんな時には立花ギャラリーのような場所に足を運び、
多様な価値観に触れる。
そんなところから、もっと自分らしくいられる新しい景色、探してみませんか?
このポッドキャストの感想は、YouTubeやstand.fm、LISTENなどのコメント欄で受け付けています。
この後も、この番組では様々なステージで地域活動、コミュニティ活動をされている皆様の活動を紹介していきたいと思います。
それぞれの視聴環境にて、ポッドキャストの行動くないし、チャンネル登録などをして次をお待ちいただければと思います。
聞いていただきありがとうございました。コメント、評価などもお待ち申し上げております。
それでは今回のSBCast.を終了いたします。
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