渋谷サウナスでね、最初にやられていたじゃないですか。
ああ、そうですね。
もう、はいはい、2022年になりますけれども。
その後、高輪に行った時に、めちゃめちゃアップデートされていると思った。
めっちゃアップデートされている。
ああ、そうですか。はい。
渋谷サウナスでやった経験が全部、高輪に入っているじゃないですか。
そうですね。渋谷サウナスの頃はですね、あの時はまだ、やっぱりこう、欧州型サウナ。
フィンランド式のサウナっていうところに、最初特化して作ろうと思ってたんですよ。
ところがですね、コロナ禍を経てですね、私がちょっとそのヨーロッパのサウナに、やっぱり影響を受けすぎた部分もあるんですけれども。
時はですね、ちょうどその頃ですね、ちゃんとGPTとか出てきたんですよね。
そうですね。AIでサウナ誌ずっと書かれてましたもんね。
いやいや、そうなんですよ。で、やっぱりこれは偉いことになったなと思って。
一人でゆっくり入るサウナもいいけれども、やっぱりこういうそのAIみたいなのが来た時に、どんな人の生活がその後来るのかなって想像した時にですね。
やっぱり仕事の問題性があるかなと思って。
なるほど。それはどういう。
やっぱりこの仕事の内容がもうずいぶんきっと変わるだろうし。
おおよそこう人間がやるサービスっていうか、そういう職人ですよね。
例えば対話のサービスとか、あるいはお寿司職人とか美容師とか。
人間ならではのこの仕事、あるいはケア産業とか、そういうところがつぶだってくるのかなってやっぱり当時思って。
で、慌ててフィンランド式まずいんじゃないかなってちょっと思って。
フィンランド式をベースにした、やっぱり人が何かやるサービスっていうのを、やっぱりもっと積極的にやらないといけないんじゃないかなって思い直しまして。
本当はアウフグースやるつもりで設計してなかったんですよ。最初は。
でギリギリになって、やっぱりアウフグースやりたいし、なんならウイスキングもがっつりやっていきたいということで。
ウイスキングはマストで考えてたんですが、やっぱりこれアウフグースもやろうと。
そこに行ったらやっぱり人間のこの息吹とかエネルギーの交換があるような場所にしたいということになったんですよね。
もうちょっと解像度を上げると、AIがこれだけチャットGPTとかもうもはやみんな誰でも使えるようになってきたときを想定したときに、ウイスキングもそうだしアウフグースを絶対入れなきゃいけないと思った理由っていうのがどういうところにあったんですか。
やっぱりちょっと繰り返しになりますが、これからきっとああいうもう意識みたいなものがね。
意識は一応ないっていう体になってますけれども、まるで意識があるような振る舞いしてくると思うんですよ、これは。
今はまだ、そうですね。今はまだ汎用性とか言って、おおよそ独創的なアイディアがまだ出にくいとかね。
いろいろ言ってますけれども、いやそれ今だけでしょうって私は思うんですよ。
やっぱこれまでのテクノロジー見ててもとんでもないところまでやっぱり行くんで結果、やっぱりAI恋人やAIメンターとかね。
もう本当に親友がもうAI、もうそれか人間かどうか分かれへんみたいなね。
そういう意識の世界がどんどん肥大化してくるんやろうと。
ってなるとですね、私たちが何を置き去りにするかっていうと、やっぱりこの体、身体、感覚みたいなものなんじゃないかなっていうね。
感覚をやっぱり満たすものっていうのがやっぱりつぶたってくるなってやっぱり思いました。
それは自分がサウナが好きっていうところもそうですし、やっぱり意識ややっぱりシステム、社会システムから一旦外に出ることができる。
やっぱり暑いとかね、冷たい、いい香りとか、やっぱり意味の世界の外側じゃないですか。
ちょっと意味を超えたところの感覚の世界。
やっぱりこういうものをやっぱり届けるっていう仕事っていうのがこれからもっと尊くなるでしょうし、もっと注目されるんじゃないかなっていうのがやっぱり一つあったんですよね。
やっぱりこれは特に私はヨーロッパではやっぱりそういう経験非常にやっぱりします。
そのサウナ施設内で。
そうですか。
やっぱり彼らっていうのはサウナ施設を作るときにいかにそこで情報を減らしてあげるかっていうようなアプローチをしてきます。
情報を減らすんですか。
一見なんか増やしそうな感じがすごいじゃないですか。
日本のやっぱり温浴産業っていうのはレジャー産業としてアップデートしたんでプラス志向なんですよ。
全部プラスプラス。
サウナがビールおいしいですよっていうことはそうだと思うんですよ。
なるほどこれができたらいいんじゃないか。これができたらいいんじゃってどんどん足していく。
どんどん足していきますよね。
向こうはやっぱコースター1枚ないですから。
絶対こう目に入るような情報も極力こう無に近い。
サウナも本当にそうだよね。
話しましたよね一回。もう本当にサウナ目だけとかもう必要以上の情報が最低限に抑えられてるなって思った。
それでやっぱすごいさすがだなと思ったのが今目浴ですって言ってないですよね。
サウナで静かに居たい人もいるから協力してくださいっていう張り紙1枚だけあって。
そう。
えー。
でね張り紙っていうのが私あんまり好きじゃなくてそれをプレートにしてるんですよ。
そうかプレートですよね。
できるだけ情報にタッチしないような。
情報っていうのは文字情報ですよね。
文字情報はもう普段からもう目に入りすぎてるんで。
嫌ですからね。
ここはもう感覚だけの世界になってくださいっていうことでできるだけ案内も少なく。
でねある程度案内少ない方が実はですねちょっとこう緊張感もあるんでダラダラするような気分にならないですよ。
で実はダラダラするって意外と大変で意外と疲れたりするんですよね。
でも一方でやっぱりダラダラしに行きたいという意識がどこかにある人もいると思うし
そのようなダラダラするということによって自分がリラックスできるって思うこともあるじゃないですか。
そうですね。
それをあの要は本当にそうなのか思い込みなのかもしれないし。
そうですね。
ダラダラという言葉が持つ何か特異性というか。
そうですね。私もダラダラするのすごい好きですけれども。
じゃあ実際に部屋でダラダラしましたってなった時にうっすら疲れてるんですよ。
なんか部屋でソファに座ってダラダラしてても意外と次なんかよっこらしょって起きないとダメですし。
そうですね。
私の考えるリラックスっていうのはもうちょっと緊張感がある神社とか美術館ってちょっと例えたらいいかもしれないですけど。
少しなんかあんまり体を横たえてダラっていうかはちゃんと起こして体をちゃんと呼吸しやすいようにして。
血の巡りをある程度良くした状態っていうのがなんかリラックスにつながるんじゃないかなっていう考えがあるんですね。
これはですねエビデンスも実はありまして。
例えば結構私受け売りなんですがやっぱ狩猟を最初民族やった頃のリラックスっていうのはじゃあダラダラしてたのかってことなんですよ。
彼らがやってたことっていうのはやっぱり例えば森の中でちょっと囲われた中で火を中心に置いて竹木を車座で囲んでトークするみたいなね。
でそこにはいつなんか獣が襲ってくるかわかんないじゃないですか。
だから実はうっすらと緊張しながら談話するっていうことをずっと人類やってきたんで。
やっぱうっすら緊張するっていうのはこれはある程度なんか理にかなってるのかなって思ったりするんですよね。
すると次の立ち上がりが早いっていうかね。
なんか一方で心理的安全性みたいな言葉はよく言うじゃないですか。
そうですね。
だからそれはなんか囲われている場所っていうのは一つ大事かもしれないですね。
あるいはそこに揺らぎがあったりね。
あんまりこの人工物の中にいるとちょっと見慣れない素材ですからね。
無機物なんていうのは人間にとって。
やっぱり森の中で。
でまあそれは目翼にも関係する話かもしれないですけどうっすら人の声っていうのは私安心すると思うんですね。
水の音とか。
はい。水の音もそうですし人間の声。
これもなんか話の内容が入ってこないぐらいの人間の声って実はリラックスにつながる。
生き物の気配というか。
それはずっとなんか自分たちの生理機能に組み込まれたなんかリラックス法かなと思ったりしますよね。
なんかその話につながるかわからないですけどやっぱサーナス行った時に目の前にまだこれから開発されるとする工事現場と放送ビルあったじゃないですか。
ありましたね。
あれがものすごい独特だなと思って。
そうですね。
確かに確かに。
でなんかあれを見た時に僕はなんかそのなんかディストピア感という言葉が自分でじっくり聞きますけど。
週末終わっていく感じがすごいするのとちょっとしたその教習みたいな東京の懐かしさみたいなものとなんかいろんな感情がごちゃごちゃになったというか。
でもこっち側は守られている。
裸でいるわけですよ。
あんなものが目の前にあるのに自分は裸でいてここは安全な場所という。
そうですよね。
そのものすごい不思議な感覚っていう。
確かに。
やっぱり境界線っていうだけで少し私たち安心するっていう部分あると思うんですよね。
やっぱりなんかこうみんなと私たちが溶け合ってっていう世界も素敵なんですけど。
その前に自分が自分でいられる場所みたいなそういう自分の部屋みたいなそういう境界線があってのみんなかなと思うんですよ。
だからやっぱりこのみんなだけだとやっぱり自分を失っていくっていうこともやっぱりありますから私はなんかある程度の境界線は必要なのかなと思って。
でその高輪サウナースではその都市が出来上がっていく。
いわゆる私たちが本来あそこで暮らしている社会の代表ですよね代表格があって。
でそれがきっとあの自分は今は裸だけどガラス扉の向こうではきっと自分も何かの役割があって何かを演じてて。
それが実はほとんど虚構でね極端な話をするとフィクションで虚構で実態がないようなことをずっと24時間晒されてるわけですよね。
でもこの扉のこの境界線の内側だけは自分は裸でそこは木に囲まれてて温かい冷たいいい香りっていう現実の手触りっていうのがそこにはある。
やっぱこういうものをやっぱり1日の中にどっかに持っておくことによって何かちょっと安心して暮らせるのかなと思ったりするんですよね。
なんかそれめちゃめちゃ面白いっていうか何かだからかっていう外が本当虚構の世界すぎて
その中で生きてる実感みたいなものもある意味それ緊張感があるっていうのは
やっぱりそのなんだろう外では人が働いている社会が回っているっていうのって
なんか今自分がいるところとは全然違うしそこっていわゆるそのある意味
昔の人たちでいうと敵だらけというか敵だらけの中に晒されている社会主義というものと一方で今は裸だっていう自分たちのその感覚を同居するって異常だなと思ったわけですよ。
だから年型サウナのやっぱ面白いところってそこなんですよ。私やっぱり年にサウナ作りたいですね。
やっぱりそれは都市という虚構がはっきりと浮かび上がるからということがあるんですね。
やっぱりサウナっていうのは森や自然の役割これをサウナが担っている。
だから都市に作れば作るほど私は面白いと思ってるんですよね。
そういうこと森とかの役割がサウナ。
サウナなんですね。それはやっぱり感覚の世界です。