2025-12-05 41:15

#46 43カ国を旅したAFCプロ監督!履歴書片手にアジアで掴んだキャリアと仕事術(松田裕貴・前編)

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今回は、記念すべきゲスト回第2弾!

パーソナリティの村中・岡田とアルビレックス新潟シンガポールで共に働いた、サッカー指導者の松田裕貴(まつだ ゆうき)さんをゲストにお迎えしました。

イングランドでの指導者留学を皮切りに、フィリピン、ラオス、カンボジア、中国などアジアを中心に10カ国で監督・コーチを歴任。本田圭佑氏がオーナーを務めるソルティーロ・アンコールFCを1部リーグに昇格させた実績も持つ、流浪の指導者です。

前編では、27歳でプロ監督になった経緯、履歴書を片手に海外クラブへ自分を売り込んだ話、ラファエル・ベニテス監督に練習見学を直談判したエピソードなど、その破天荒なキャリアの原点に迫ります。

海外で挑戦したいサッカー指導者、アジアサッカーのリアルを知りたい方、そして「好きなことで世界を旅する」生き方に興味があるすべての人に聴いてほしい回です。

🗣️ ゲストプロフィール
松田 裕貴(まつだ ゆうき)
滋賀県大津市出身のサッカー指導者。
びわ湖成蹊スポーツ大学を卒業後、光泉カトリック高校で指導者としてのキャリアをスタート。
その後、イングランド2部・プリマス・アーガイルFCやセレッソ大阪アカデミーのコーチとして育成年代の指導に携わる。
2013年からはアルビレックス新潟シンガポールのアカデミーマネジャー兼アシスタントコーチとして、海外での指導経験を本格的に積む。
2014年には フィリピンのパチャンガ・ディリマンFC(Pachanga Diliman FC)の監督に就任し、続いて ラオス/カンボジア/中国 でもトップチームの監督を歴任。
2017年には、本田圭佑氏がオーナーを務めるソルティーロ・アンコールFC(Soltilo Angkor FC)を1部リーグ昇格へ導く実績 を残す。
近年はフィリピンU-16代表監督、マカオ1部 MUST IPOで監督としてシーズン優勝と最優秀監督賞を受賞するなど、アジア各国で育成と強化に携わっている。

⚽️ 監督歴
2014–2015 パチャンガ・ディリマンFC(フィリピン)
2016 チャンパサーク・ユナイテッドFC(ラオス)
2017–2018 ソルティーロ・アンコールFC(カンボジア)
2019–2021 大連足球協会(中国)
2022 広西邕城足球倶楽部(中国)
2023 広州足球倶楽部(中国)
2024 フィリピン代表 U-16(フィリピン)
2024 メンディオラFC (フィリピン)※代理監督兼アシスタントコーチ 
2025 MUST IPO(マカオ)

✍ 今回のトークテーマ
・43カ国を旅した異色の経歴
・なぜ指導者の道へ?プレイヤーとしての限界とイングランド留学
・監督の仕事の見つけ方:エージェント、SNS、そして履歴書を持って直談判
・フィリピンで体験したヘリコプター移動のVIP待遇
・最も大変だった国、最も契約が良かった国
・中国で遭遇したラファエル・ベニテス監督への突撃交渉
・海外で働くリアル:歯の治療、怪我、言葉の壁
・若くしてプロ監督になるということ

👉️ 中編は12/12(金)、後編は12/19(金)公開予定

🎙️ 今回の放送で出てきたキーワード
海外サッカー, アジアサッカー, サッカー指導者, サッカー監督, AFCプロライセンス, キャリア, 海外就職, 旅, 本田圭佑, ラファエル・ベニテス, アルビレックス新潟シンガポール, セレッソ大阪, プリマス・アーガイル, ソルティーロ・アンコールFC, イングランド, シンガポール, フィリピン, カンボジア, 中国, マカオ, ラオス, タイ, ベトナム, アジア, 東南アジア, ヨーロッパ, 指導者留学, 育成年代, アカデミーコーチ, 代表監督, 移籍, エージェント, コネクション, 契約, 給料, 無職, 30代, Jリーグ, 英語, 就職活動, バックパッカー

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🗣️ パーソナリティ
✅️ 村中 翔一(むらなか しょういち)
旅×サッカーをこよなく”愛”する39歳。サッカー業界10年(東南アジア6年・日本サッカー4年🇸🇬🇲🇾🇰🇭🇲🇲🇯🇵) 。 妻と婚前・新婚世界一周旅・日本一周・東海道約500キロを徒歩など。2024年から静岡県富士市に移住。

✅️ 若林 玄樹(わかばやし げんき)
愛知県出身。33歳。心のクラブは名古屋グランパス。2011年に東日本一周、2014-15年に世界一周の旅を行う。サッカー以外では映画とモータースポーツが好き。メンバー唯一の真っ当な会社員。

✅️ 岡田 浩弥(おかだ ひろや)
サッカーと旅を軸に越境してきた37歳。シンガポールでは6年間、プロクラブの広報・マーケティングや代表チームのプロモーションに携わる。帰国後は国内でクラブ運営やスタジアムを拠点としたまちづくりに従事。現在は妻と多拠点生活を送りながら、岡田伝記株式会社の代表として“サッカーと旅の可能性”を探求中。1999年から清水エスパルスを応援している。

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サマリー

松田雄貴氏は、43カ国を旅しながらアジアでのサッカー指導者としてのキャリアを築いています。イングランド留学をきっかけに指導者の道に進み、フィリピンや中国を含む多くの国での経験を語ります。彼は履歴書を持って自らアプローチする姿勢や、エージェントとの関係、中国での待遇について、監督としての経験や心得を紹介します。また、特にイングランド留学や様々な国での指導経験が強調され、サッカー指導者への道を切り開くために行った努力や苦労についても触れられています。松田裕貴氏は、43カ国を旅しながらアジアでプロサッカー監督のキャリアを築いた経験と仕事術について語ります。

松田雄貴の経歴
聞くと旅に出たくなる、サッカーを見たくなる、サカたび。この番組はサッカーを愛する3人がサッカーと旅についてダラダラと語り合うポッドキャストです。
パーソナリティの若林です。パーソナリティの岡田です。村中です。はい、よろしくお願いします。村上さん、いつも言うようにか細い村中ですだったじゃないですか。本当に?
僕もこの挨拶の村中さん、なんか細すぎるだろって。 村上 確かに僕も聞き返したら、ふてふて、ふてふてしいなっていう、なんだこいつだってなるよね。
村上さん、その最初の村中ですと、ありがとうございました。なんかちょっと顔細い感じがするんだよね。 村上 本当に元気よくいきましょう。すいません。
いや別に大丈夫ですけど。あのですね、いつもダラダラフリートークをちょっと最初にするんですけど、今回はまたゲストに来ていただいています。記念すべきゲスト会第2回というところで、ちょっと早速お呼びしたいと思います。
本日のゲストはサッカー指導者の松田さんに来ていただいております。松田さんよろしくお願いします。 松田 お願いします。松田です。
はい、よろしくお願いいたします。 松田 お願いします。
早速なんですけれども、松田さんとまずちょっと経歴の報道をご紹介をさせていただければなと思っています。松田さん、松田雄貴さんは滋賀県大津市出身で、
2007年に美和子生計スポーツ大学を卒業後、高専カトリック高校のサッカー部で指導者のキャリアをスタート。
その後、当時のイングランド2部のプリマスアーガエルFCやセレス大阪でアカデミーコーチとして働かれた後、2013年から2シーズン、アルビレックス新潟シンガポールでアカデミーマネージャーとアシスタントコーチを兼任。
その後、2014年からフィリピンパチャンガディマリ・ディリマンFCで監督に就任されており、ラオス、カンボジア、中国でも監督を務めた経験をお持ちです。
2017年にはホンダ・ケイスケさんが実装を務めるカンボジアのソルティロアンコールFCを1部リーグ小角利ミチビックなど実績を積んでおり、直近ではフィリピンアンダー16代表の監督、マカオ1部リーグマストIPOなどで監督を務めた経験をお持ちの方でございます。
指導者の道と活動
はい、というところで松田さん、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
松田さんと、今回村中さんと岡さんとのつながりでというところでお声掛けをさせていただいた形にはなるんですけれども、さっきも紹介をさせていただいたんですけれども、
アルビレックス新潟シンガポールの際に一緒に働かれてたというところですよね。
そうです。たぶん僕が一番最後にアルビレックス新潟シンガポールに入ってきて、で、岡ちゃんと村中君は僕らの先輩という形でいろいろと仕事を教えてもらったり、会社の中での生き方を教えてもらったり、ご飯一緒に食べに行ったりとか、本当に水土の濃いシンガポール生活を送らせてもらいましたね。
先輩って言ったら数ヶ月でしょ、僕と松田さんなんて。いや、岡ちゃんは一年早いからあれだけど。
じゃあ大先輩ね。
大先輩。
でも村中さんとは確かに数ヶ月しか変わんないよね。
数ヶ月は変わんないよ。
ああ、そっかそっか。
ご年齢的には松田さんが3人の中では一番上になるんですかね。
そうだね。村中君が一個下?
そう、86年なんで僕。
だけど俺も86よ。だから早生まれやから。
だから学年的には1個目ってことですよね。
そうだね。岡ちゃんは?
今、松田さんの学年から3つ下って思うんだけど。
あ、3つも下なんや。
でも一番すっかりしてるよね。
いやいや。
それ、だから岡ちゃんメガネでごまかしやけど。
俺もメガネやけど。
松田さんメガネかけてたっけ?
かけてるよ、ずっと。
今はコンタクト外してるだけですか?
そうそう、PC見るときは近いからかけなくていいかなと思って。
指導されてるときは?
基本はメガネで、外に出たらガラスが暗くなる変更グラスをかけてて。
ああ、なるほど。
結構あれが楽で、もう5、6年前からずっとそのメガネを使ってサングラスかけへんみたいなスタイルでやってます。
なるほど。
そんな松田さんの話を今日も深掘っていければなと思っておりますので。
お願いします。
ゆるくやっていけたらなと思いますが、この番組では若干恒例と言っていいのかな、なってるんですけど。
サッカーにちなんで11個の質問をご用意させていただいているので、その質問をもとに松田さんのこれまでをちょっと深掘りしていければなと思っております。
早速なんですけれども、まず11個の質問に答えていただいてという形でやっていこうと思います。
まず1問目ですね。
ちょっと簡単な自己紹介と経歴、さっきもかぶってきちゃう部分もあると思うんですけれども、サッカーのところの自己経歴等々教えていただければなと思います。
もうさっきと本当にかぶっちゃうんですけど、松田雄貴で滋賀県出身、大学は美学生系スポーツ大学。
その後、滋賀県の社会体育施設に1年間勤めて、その後、逃兵してイングランドに部でコーチをしてました。
帰国をせれず、大阪のアカデミーに所属して、その後ベトナムに行って、そこからシンガポール、フィリピン、タイ、ラオス、カンボジア、中国、マカオの10カ国で指導経験があります。
フィリピン、ラオス、カンボジア、中国、マカオではプロのチームの監督をやって、フィリピンでU16の年代別の代表監督。
今年、AFCのプロライセンスを取得して、現在無職の39歳で旅行が趣味で、就職活動を兼ねてこれまで43カ国に滞在しました。
国際的な経験と印象
43カ国ですか。
はい、43カ国です。ただ、多いのはアジア、東南アジア、あとヨーロッパですね。なのでまだ南米とかアフリカとかは行けてない感じですね。
なるほど、わかりました。これだけ聞くだけでも深掘っていくのが楽しそうですけど。第2問、指導者の道に進もうと思ったきっかけは何でしょうか。
大学で教員免許取得を目指して入学して、学校の先生になって部活動を教えたい、サッカー部を教えたいと思っていたんですけど、
イングランドで指導者留学がきっかけで、そこから英語でサッカーを指導したいなと思ったのと、できるだけ年齢とキャリアを重ねるにつれて高いレベルでやっていきたいなと思ったのがきっかけですね。
ちなみにイングランド行かれたのは何歳の子ですか。
私が24歳ですかね。
卒業して行かれた感じですかね。
卒業して1年間、滋賀県の社会体育施設で働いてお金を貯めて、そのお金だけでは無理だったので、少し補助もしてもらいながらという感じで1年間行けたという感じですね。
なるほど。第3問、今はちなみにどういった活動をされていますでしょうか。
ご覧の中君が好きなフリーという言葉を使わせていただきたいなと思うんですけど、日本語で言うとただの無職で、
大体2ヶ月くらい前にマストIPOというマカオのクラブを退任して、その後にタイに1ヶ月半くらい住んで、場所はチェンマイです。
1ヶ月半の間に試合観戦をしたり、練習を見に行ったりしながらゆっくり滞在していて、
大体2、3週間くらい前に日本に帰ってきて、日本でも就職活動をしたり、Jリーグの練習とかユースの練習とか、
友達が監督をやっているチームの練習を見に行ったりして、楽しんでいる感じですね。
なるほど、わかりました、という声です。
次ですね、第4問、一番面白かった印象に残っているクイズとはどういった思い当たりとかありますか。
面白かったっていうのが結構難しいというか、楽しいっていう感情は人と接しているときに、
人と関わりがあるときに生まれると捉えるとすると、フィリピンのマニラでの生活っていうのが一番面白かったのかなと思っていて、
理由として、人とコミュニケーションを取らないと面白いって感じ取れないので、
英語でコミュニケーションが取れる簡単に、シンガポールもそうなんですけど、なので一層通話が比較的しやすい。
プラスアルファでフィリピンのサッカー協会の会長が知り合いなんですけど、
なんて言ったらいいのかな、自分がU-16の監督をしているときに、いろんな島、たくさんフィリピンって島が集まっているので、島から島へ移動するのに基本的にヘリコプターを使っていくんですね。
で、近くの島まで行って視察をして、すごいビップ待遇で、個人所有なんですよ、会長の個人所有のヘリコプターなので、
荷物チェックとかも全くなく、パスポートチェックもなく、何もなくそのまま乗り込んで島に行って視察を済ませてすぐに帰ってくるっていう、
1時間半ぐらいかけて行ったんですけど、なんかそういう特別な日本では味わえないようなビップ待遇というか、
そうなんですよね、そういうのができたっていうのがすごい面白かった、国の一つかなと思いますね。
なるほど、ありがとうございます。じゃあ逆に第5問ですね、一番大変だったなと感じる国はどこがありますか。
これ全部話してもうたら、後で何か質問くらったときに何も話せへんからちょっと、
その時何か思い出したらまた言います。
ひとまず大変だった国は、簡単に言ってしまうと、中国かな、中国4年、3年ぐらいいたんだけど、英語を通じる人が少ないっていうのと、
多分都市部はいけるんですけど、サッカーシーズがあるところって基本的に結構田舎のところが多いので、コミュニケーションのところですごい苦労しましたね。
なるほど、わかりました。次に第6問、一緒に仕事されたりとか対戦した指導者で印象に残っている指導者の方はいらっしゃいますか。
結構いるんですよね。もう指導者をしてだいたい17年ぐらいになるので、いろんな指導者の方と対戦とか関わらせてもらっている中で、
そうですね、やっぱり有名なところで言うとラファエル・ヴェンティスさんにお会いする機会が中国であって。
そうなんですか、中国にいましたよ。
そうなんですよ。同じ都市のその当時は大伝一報っていうクラブでラファエルさんは監督をされてて、
たまたまホテルで出会って、日本から来てて大伝で住んでて、指導者を知るで練習一回見させてもらえませんかって直接交渉して見させてもらえることになって、
すごい白い目で選手とかからは当日見られたんですけど、コーチとかも。多分ラファエルさん何も言ってなかったんで、そういう貴重な経験ができましたね。
すごいですね、それ。ホテルで行ってOKだったんですね。
そうなんですよ。多分日本人の選手とも結構関わりがあって、日本人に対する印象が良かったのかもしれないですね。
ベニテスってそうでしたっけ、ちょっとあれですけど、覚えてないけど。
それよりラファエルさんですね。
なんて言ったらいいの、ベニテスさん。
ベニテスはメジャーな名前かなと思うけどラファエルさん。
メジャーな名前ってまあそうですよね。一般的にはそうですよね。ファミリーネームは多分ベニテスですよね。
ごめん間違えた、じゃあ。
指導者としてのキャリア
いやいや間違えてはないと思う。
間違えてはないね。
じゃあベニテスさんで行こう。
了解です、ありがとうございます。
第7問ですね、目標にしている指導者とか、理想の指導者像みたいなのってありますか。
たくさんいるんですけど、自分のキャリアを聞いていただいたらわかると思うんですけど、あまり日本での活動がないので、
海外で出会う日本人の指導者っていうのにはすごく尊敬というか一応目を置いてます。
次にですね、これなんか第8問なんですけど、ちょっと素人っぽい質問になっちゃうんですけど、
指導者ってどうやって次の契約チームとかって見つけてくるんですかね。
本当選手と同じだと思うんですよね。これまで培ってきたコネクションとか、あとはFacebook、Instagram Xとかでエージェントさんを探して自分を売り込んだりだとか、
あと若い時、20代の時はそれこそ履歴書を持って海外のクラブに売り込みに行ったこともありましたし、方法はいろいろですね。
そうなんですね。変わりました。前回あれ、下野さんのゲスト会の時に、アルビシンガポールに履歴書を送ってくる外国人選手がたまにいるみたいな話をしてましたけど、
でも本当にそういう時もあるってことですよね。
僕一応ステータスが監督なので、自分、私の連絡先とかをどこかで見かけて、
来シーズン一緒にやりませんか?とか、今シーズン、例えば右サイドバック空いてませんか?っていう外国人も結構いますよ。
へー。国そうやって、なるほど。エージェント的な形の問い合わせも急に来るんですね。
そうなんですよ。そういうお仕事は全然してないんですけど、一応プレイビデオとか送ってくれたら、可能性があれば見るっていうことはしてますね。
分かりました。ありがとうございます。
第9問目で、履歴とかチームを決める上、もしくはポストを決める上で何か大切にされていることとかってございますか?
そうですね。チーム見つけてくる。契約チームどうやって見つけるかってことですよね。
そうですね。
さっき言った通り、エージェントにお願いしたり、人の繋がりっていうところですかね。
なるほど。ありがとうございます。
エージェントって決まった人というか、まささんでいつもお願いしてるエージェントさんみたいなのがいらっしゃるってことですか?
そうですね。実際にリアルでお会いしたエージェントの方も何名かいますし、ネット上で履歴書を送って、自分のキャリアに興味を持ってくれたり、自分のビジョンに興味を持ってくれたエージェントさんとお仕事を進めていくこともありますし。
会わないパターンがあるんですね。
そうですね。ありますね。ビデオ、例えばズームとかもせずにメッセージとただの音声電話だけで、マカオのチームとかは契約しましたし。
そうなんだ。すごい世界だ。勝手ながら会って話をしてみたいのが一般的というか当たり前なのかなと思ったけど、そういうわけでもないんですね。
そうですね。本当に特に海外とかって結構、村中君とか岡ちゃんはすごいわかると思うんだけど、即断即決みたいな場面が多くて、後先考えてないっていうのがネガティブな面ではあるんですけれども。
そこで言われたタイミングですぐに乗ったりとかしないと、その話が流れちゃったりとか向こうのクラブが興味を持ってくれなくなっちゃうこともあるので、チャンスがあればすぐ動くっていうスタンスではいます。
ありがとうございます。じゃあ第10問目が、契約内容で嬉しかったこと。話せる範囲で構わないんですけども。
難しかった国は中国だったんですけど、契約で嬉しかったのも中国で、簡単に言うと待遇面のところですよね。お給料が他の国に比べて多かったっていうのがリアルで、
あと基本的に中国では家、放熱費、あと三職がついてることが結構多いんですね。あと保険とか、メディカルチェックアップとか、そういうほとんど支出がない。なのでお金が勝手に貯まっていくっていうのが結構多くて。
そこに勝利給とかもついてくるので、契約的には交代具のプラブが日本人に対しては多いんじゃないかなと思います。
将来の目標
なるほど、了解です。ありがとうございます。最後第11問です。今後の目標だったり夢はありますか?
結構たくさんあって、U16のナショナルチームの監督をさせてもらったんですけど、まだトップチームのナショナルチームの監督っていうのはしたことがないので、一つはそのポジション。
あとは、AFCの大会でプロチームで出場したいっていうところと、まだ行ったことがない国とか大陸っていうのがたくさんあるので、いろんな国に行っていろんな人と関わりたいっていうのがありますし、あとこの経験とかを生かして、おかちゃんとかのようにビジネスをしたいっていうのもあります。
なるほど、了解です。ありがとうございます。じゃあちょっと11問答えていただきましたが、岡さんサッと答えてもらいましたけどどうでした?
松田さんとはもう10年以上知り合いというか、ちょくちょく連絡は繰りあっている中だけど、こんなにしっかりとした話を聞いたのが初めてだったので、新鮮でした。
聞いたんですか?文部は?
文部三角、文部三角も行ってるんですね。
うん、そうね。
すごいですね。指導者やってるってこんだけ国行ってる人ってなかなかいなくないですか、日本人で。
確かに。
どうなんだろう。さっきもそれこそ言ったと思うんだけど、就活を兼ねてたので、一つの例えばバングラディッシュもうすぐシーズン終わりそう、これから遺跡監督の契約更新とかありそうってなったらまずバングラディッシュ行って、
バングラディッシュ行って、インドも行って、近隣諸国も回ってしてたら結構それぐらい行っちゃったかなっていう。あとヨーロッパをどこからだ、フランスじゃないな、あれどこだったっけな、ドイツから入ってトルコまで一回行ったことがあるから、その時も結構国数は稼いだかなっていう。
ドイツから行って、トルコで行って、すごいですね。南下してったのか。
結構その当時は東に興味があって、東から結構優秀な指導者も出てたし、物価もそんな高くないって聞いてたから、これ結構滞在できるなと思って、いろんなクラブもあったりして、もちろん有名な観光地とか世界遺産結構好きだから見に行ったりとかもしてましたね。
そうなんですね、なるほど。なんか選手とかだとやっぱりプレイビデオ送ってっていうのがイメージでありますけど、監督はやっぱり現地に行って練習のなんかそういうの参加してみたいのが、そういうプロセスがやっぱ必要なんですね。
多分有名な監督さんとか日本で活躍されてて、メディアに取り上げられてるような監督さんであれば、こういうやり方はしなくてもチームはすぐ見つかると思うし、ただ僕のキャリアを見たりとか僕の実力を考えると、足で稼ぐしかないっていう。
それ以外他の指導者に勝る点がないので、まあガッツだけでやってきたっていう感じですね。
いやこれだって一番最初さ、いわゆる一部流の可能28歳とか9歳。 27かなフィリピンの。確か。
いやだから日本の指導者、今こうやって若者が、若者指導者が出てきたって言うけど、多分増田さんが多分一番だよね。
相当若いですよね。
そうそれは本当ラッキーで、正直言ってフィリピンのプロのリーグって日本のJリーグとかに比べたら全然だし、まあいい選手もいるんだけど相対的にはレベルが低い。
ラッキーだったのは、フィリピンにその前パチャンガデリマンというプロのクラブと契約する前に育成のクラブと契約をしていて、そのタイミングでプロの試合を見に行って履歴書を持って行って、
その時に現フィリピンサッカー協会の会長さんを見つけて、売り込みをかけて、その後連絡が来て契約するっていう形になるんだけどね。
そういうガッツがいいつようなのですね。で、今こうやって話しててるとなんか暴れたんで一個ずつ振り返っていこうかなと思いますので。
はい、お願いします。
はい、よろしくお願いします。はい、じゃあまず一つ目の質問で経歴のところをご紹介をしていただきました。もともとサッカーやられてたんですよね。
あ、小学校からずっとサッカーをやってて、まあ社会人の時も少しはやってたっていう感じですね。
イングランドでもやってましたし、それセミプロのクラブでだいたい5部ぐらいですね、一番上から数えて。
イングランドに行った時は、選手としてでも活動されてたんですね。
選手もしてましたし、プリマスターがいるっていうチームでアカデミーのコーチとかトップチームの通訳、通訳というか少し日本人選手がわからない文言だったりっていうのを教えてあげるっていうことをしてたんですよね。
日本人の選手がいらっしゃったんですね。
はい。林明洋さん、ゴールキーパーの元代表のとか、もう引退されましたけど太田選手、ジュビロで長くプレーされてた。
はいはいはい。
林選手はもうその後すぐにベルギーに行かれて、太田選手は練習参加だけっていう形だったんですけど、少しトップチームの方に来られてて、その時に自分が練習場に一緒にいて、少し言葉を訳したりとか、監督の意図を伝えたりとか、そういうことをしてましたね。
もうこの話だけで僕初めて聞いた、松田さんのこの話。そんなこともあったんですね。
松田 そうだね。それはあんまり多分言ってなかったよね。こういうほつかぼった話ってあんまりなくない。
いやいやいや、5部総統ってことは日本人の地域リーグってことじゃないですか。
松田 そうだね。
確か松田さんなんか上手いなとは思ったけど、じゃあ結構上手かったんですね。
松田 何中聞き方するんだよ。
松田さんがサッカーやってるのそんなに勝っちゃったの見たことないから、たぶん。
松田 いやけど、シンガポールのときそれこそ、たぶん岡ちゃんとか村中も一緒に、なんかどっかの大学生とかと試合とかしたでしょ。
大学生?
松田 やったよ。
親父レックスとかじゃなくて?
松田 いやいやいや、なんかあの子の大学生と、そう親父レックス説明して。
じゃあまあ親父とアルビレックスのマナー、お父さんとチームね。
でも松田さんって確かに自分サッカーやった記憶ありますよ全然。で、松田さん普通に上手かったのは覚えてます?
松田 そう、あのメンバーではマシな方だったかもしれないけど、一応後部ぐらいではやらせてもらってて、
けどまあもう指導者に行きたいってその時から思ってたから、そのプレーの方にはあんまり力を入れてなかったっていう感じかな。
指導者のキャリアをスタートしたのは結構ではかなり若い年齢だったと思うんですけど、
その年齢からそうやって指導者の道を進まれる方ってなかなかあんまり心出す方っていないんじゃないかなと思うんですけど、周りには。
指導者への道のり
松田 大学入った時に、まあもともと教師房だったっていうのもありますし、周りのサッカーのレベル、みんながやるレベルっていうのも高かったですし、
もういくつかな、21歳、3回生の時には駅前留学に行って、留学に備えるっていう形をしてて、半年間給分もしてましたし、
もうその時期ぐらいからは本格的に指導者になりたいっていう気持ちはいましたね。
ああ、そうなんですね。なるほど。その当時こそ、今でもかなり美学生系出身のプロ選手って多かったじゃないですか。
多かった方だと思うんですけど、その当時も同じ年代でサッカーされてた方でもプロ選手になった方もいらっしゃいますもんね。
松田 そうですね、一つ上の先輩で、神戸でプレーされてた近藤学徒さんとかは結構スーパースターでしたし、一つ下の学年とかでも何人もいますし、
また同期はJリーガーになったのはいなかったかもしれないですけど、毎年一人とか二人はJリーガーも60チームあるんで、どこかには入ってるっていう感じですかね。
ああ、そうですよね。もっと根本的なところなんですけど、なんで指導者になろうと思ったんですか?
松田 本当のところは、もちろんずっとサッカープレー続けたかったっていうのがあったんですけど、自分のプレーヤーとしての限界も見えましたし、
あとそれこそ大学の時に出会った友達がイングランドの帰国子女で、その方は少し年齢が高かったんですけど同期で、
その人からその人の知見ですよね、とか考えられる幅の広さっていうのを近くで目の当たりにして、自分もそういう人間になりたいって思ったのも一つのきっかけですね。
なるほど、そういうところですね。分かりました。ありがとうございます。今の質問ともちょっとかぶってくるんですけど、
第2問のところで指導者の道に進もうと思ったきっかけはというところで、イングランドの留学の経験が一番生きていたということなのかなと思うんですけれども、
このプリマスアーガイレフシーを選んだというか、それはどういうきっかけというか理由だったんですか?
留学するにあたって知り合い、海外で住んだことがあるような人たちに、どこに住むのがいいかって相談したときに、英語を伸ばしたいのであればロンドンとか大都市はたくさん日本人がいるから田舎に行ったほうがいいよって言われて、
留学時の体験
なんとなくプリマスっていうところに留学したっていう感じですね。
プリマスってイギリスのイングランドの中でいうとどこらへんなんですか?
左下です。南西部です。本当に何もないというか、草原が広がってて牛がいて、
一応このイングランドのプリマスアーガイレフシーはサックシーズン2年くらい前までルーニーが監督をしてて、
3部とか4部とかも行ってたんですけど、確か今シーズンとサックシーズンは2部にいますね、チャンピオンシップリーグに。
なので、そこそこイングランドでは有名なクラブですね。
なるほど。あの勉強、駅前留学されたりとか準備されたって言ってたんですけど、この当時のイングランドの生活とかはどうだったというかどうでした?
えっとね、歯が2本なくなってインプラントになりました。
大事故じゃないですか。
初めての一人暮らしで、それまで23までずっと実家で生活をしていて、初めて海外に行くってなって嬉しくて、実家でコーラ飲ませてもらえなかったんですよ。
お茶か水のどけって言われてて。
結構気持ちいい親御さんなんですね。
一応スポーツずっとしてたんで、コーラよくないと砂糖が多いんでね。
初めて自分で一人暮らしできるってことになってコーラを大量に飲んでしまって、それで歯磨きの仕方が悪かったんでしょうね。
向こうって虫歯になったらすぐ抜いちゃうんですよ。保険が多分適用されてて、みんなインプラントを入れたりとかっていうのをするので、
その当時自分全然英語もわかんなくて、ホストファミリーに会社さん紹介してもらって行ったんですけど、気づいたら日本抜かれてたっていう。
痛い思うもんね。
あんまり聞いたことない留学の話なんですよ。
本当ね、バカだったんですよね。英語ができなかったんで、対応策がなかったですね。
その当時あんまりインターネットもそこまで何でもすぐ調べられるっていう状況でもなかったですし、情報が本当になかったんで、仕方ないですよね。
ずっと実家にいたので何もわからず無知な状態で歯を抜かれるっていう経験をしました。
イングランドはそれ保険効くんですね。お母さんシンガポールで歯医者行ったら保険効かなかったって言ってなかったっけ。
アジアでのキャリア構築
海外は基本保険が効かないイメージなんで、あんまり現地で歯医者に行くイメージはなかったんですけど、いきなりイングランド行ってそこで歯医者に行くっていうのがすごいなってました。
痛さで耐えれなかったんよ。
なるほどね。
学校にも行けないぐらい痛くなっちゃって、もうすぐすぐ行ったっていう。
病院とかさ、僕8年間ぐらい海外で一度も病院にはいってないんだよ。
すごいんだ。すごいよな。
それこそ怖いじゃん。病院ってとんでもないお金請求されたらっていうのがイメージあったからさ。結構もちろん病院とか行ったりしたの?
俺もあんまり病院には行ってなくて、覚えてるのはイングランドの時にロングスケートボードで僕学校まで通ってて、それで坂道で思いっきり転んで、で、こけてお尻にすごいでっかい青たんができて歩けなくなったんよ。
それで行ったのと、あとカンボジアの時に選手をジェブに連れて行ってて、で、なんか椅子を調整しようとしてそこでなんか指が挟まっちゃって、それでジェブに日系の病院、タイやったかな、タイ系の病院にカンボジアに連れて行ってもらったって多分2回しかないかな。
なかなか痛そうな怪我をしてますね。
そうなんですよね。あんまり怪我とかしないですけどね。で、基本的に病院には行かないんで。
怖いっすね。
村中君と一緒です。
病院行くの怖いよね。僕もなんかシンガポールで寝起きで、それからスクールのなんか手伝いかな、松田さんと中村、寝起きでぐるって回んないといけなかったんでしょうけど、めんどくさくなってた。高さ5メートルは居過ぎかもしれない。かなり高いところがジャンプして、もう本当に腰とかやりましたね。
ジャンプした瞬間、あれ?全然着地しないじゃんって思ったら結構高かったみたいな。よくないね、そういうとおりで。
変な話。
あとミャンマーの時もあれだ、ちょっとイラついて物に当たってさ、指曲がってるもんこれ。
言ってましたね。
そうそうそう。
まあまあでもなかなか怖いですよね、日本の医療に絶対的な信頼がある分、海外ではなかなか、言葉の壁もありますし。
もう仕方ないよね、本当に。なんか僕一回、それこそ歯医者も行ったことあって、マレーシアで。で、もうなんかだいたい歯なんだよ、歯が痛くなっちゃうんだよ。もう仕方ないよね、そういう時は。
日本に帰るつもりがなかった。その時も確か就活のつもりで行ってて、渡航費考えたら、マレーシアでとりあえず見てもらっとくかっていう感じで行ったっていうのがあったね。
なるほどね、結構大変だよな、そういうところは確かに。
大変ですね。
その後に留学から帰ってきた後、セレスト大阪でアカデミーコーチをされてますよね、その後。
はい、だいたい2シーズンぐらいですね。
これはもう自分で売り込んでみたいな形だったんですか?
大学の時のゼミの先生が、その当時の育成部長とつながりがあって、それでいらっしゃってもらったっていう感じですかね。
なるほど、そういうこと。
その後にはアルビシンガポールに行かれるわけなんですけど、またこれ海外のクラブになるわけじゃないですか。
渡辺 さん、これはどういう経緯でアルビシンガポールには入られるんですか?
アルビシンガポールは確かB級のとき、B級ライセンスを取得するときに、同じライセンスコースにいたアルビレックス2型本体の指導者がいて、その方の紹介で入ったっていう感じですね。
なるほど。B級の指導、その当時ってB級、A級、S級っていう形ですね。
はい、そうです。
松田さん、かなりそのときB級ってあるのも若い方なんじゃないですか?そんなことないですか?
松田 いや、そんなに若くなかったと思います。最年少は自分よりもたぶんいましたし、年齢で言うとたぶん真ん中ぐらいだったのかなと思います。
そうなんですね。またそこで海外チームっていう形で。
松田 そうですね。
あれ、シンガポール来る前にベトナムもいたんでしたっけ?
松田 あ、ベトナムもいた。これはJATSっていうローカルのクラブで、一応日系の会社なんだけど、基本的には向こうのインターナショナルスクールとか日本語学校の生徒とかを指導するというか、サッカー一緒にするっていう仕事をしてました。
なるほど。それを後に繋がりでアルビシンガポールに入ってという形ですね。
松田 そうです。
プロ監督としてのキャリアは2014年のフィリピンからってことですよね?
松田 そうです。
これはもう自分で探してきたのかオファーをいただいたのかどういう形になるんですか?
松田 シンガポールのアルビレックスに行かれたシンガポールを退任しなければならないということになってしまって、理由はお二方がよくわかってると思うんですけど、無職になっちゃったので、仕事を探さないといけないと。
松田 世界中のクラブというか、アジアですよね。アジアのクラブに履歴書を送って、メールの返信があったのがオーストラリアとフィリピンがあって、なんとなくフィリピンに行こうと思って。
で、そこからさっき話した通り、最初アカデミーのクラブと契約したんですけど、現在会長、フィリピンサッカー協会の会長をスタジアムで見つけて履歴書を渡したし、そこで契約っていう感じですね。
すごいですね。てかその、自力でメールしたって、本当にいろんなクラブに履歴書を送りまくったみたいってことですよね。
松田 そうですそうです。皆さん指導者の方はやられてると思うんですけど、ホームページでメールアドレス見つけて売り込んでいくっていう形ですね。
えー、めっちゃ大変ですねそれ。
松田 そうですね、ただやりたい仕事なので、自分の実力を考えたらそれしか方法がないというか、若かったのでそこまで繋がりもないですし、日本でたくさん働いてないので、繋がりを使うってこともその当時は難しくて、そういう手段を取りました。
あとはよく聞く、フェイスブックメッセンジャーでひたすらそれっぽい人見つけてリアクション送るとかもよくあったりするんですか?
松田 そんなことあります。
そうだね、フェイスブックその当時だったらフェイスブックでも送ってたし、あとそれこそホームページのメールアドレスからっていう、いろんな方法でやってました。
松田の旅と仕事の経験
なんて俺ですら来るからね、アフリカンからサッカー選手だけどなんとかしてくれとか来るよメッセンジャーで。
なんかすごい話ですね。
そう、俺なんて一切関係ないわけじゃん。岡田さんは来たことない?メッセンジャーとかで。
特にアルビレックスシンガポールのときが一番多かった気がして、フェイスブックとかそういうのにプロフィールにここで働いてるよっていうのをなすと、来ない人からリアクションみたいなのが送られてきて、取ってくれみたいなのが来るんだよ本当。
俺だったら、フェイスブックは経歴が分かるよね、勤務先が。僕だったらカンボジアンのときも来たからね、カンボジアンさんは取ってくれみたいな。っていうことで松田さんは送る側だったんだ。っぽい人を見つけたとかってこと?
そう、本当にそうで、返信が返ってくる確率は多分10%とかかな。だって返さないでしょ。返さないでしょ、基本的に。俺もだって来ても返さないもん、そういうの。
松田さんは返してあげてくださいよ。
いやね、気持ちわかるんだけど、現状自分無職やし、働ける環境がないから無理だなと思って。
おかちゃんとか僕はただのフロントスタッフだから怒られていいんだって返しようがないからね。
まあそうですけど、やっぱパワーいるなって僕ちょっと思いましたね。監督で仕事を探すっていうのは、それはすごいなと思います、本当に。
いや、全然すごくないんですよ。たぶんすごい指導者は10年とか20年同じクラブにいたりとか、アウトになったっていうタイミングでお声がかかる指導者なので、自分はまだその域に達してないし、成長していかないといけないなっていうのが本心ですね。
なるほどね。了解です。ありがとうございます。
ちょっとこちらお時間になったので、第1回はこちらでここで締めたいと思います。松田さんありがとうございました。
松田 ありがとうございました。
第2回以降もよろしくお願いいたします。
松田 はい、お願いします。
お時間になりましたので今回はここで締めたいと思います。
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それでは次回の配信をお楽しみに。聞いてくれた皆様ありがとうございました。さよなら。
松田 ありがとうございました。
ありがとうございました。
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