43カ国ですか。
はい、43カ国です。ただ、多いのはアジア、東南アジア、あとヨーロッパですね。なのでまだ南米とかアフリカとかは行けてない感じですね。
なるほど、わかりました。これだけ聞くだけでも深掘っていくのが楽しそうですけど。第2問、指導者の道に進もうと思ったきっかけは何でしょうか。
大学で教員免許取得を目指して入学して、学校の先生になって部活動を教えたい、サッカー部を教えたいと思っていたんですけど、
イングランドで指導者留学がきっかけで、そこから英語でサッカーを指導したいなと思ったのと、できるだけ年齢とキャリアを重ねるにつれて高いレベルでやっていきたいなと思ったのがきっかけですね。
ちなみにイングランド行かれたのは何歳の子ですか。
私が24歳ですかね。
卒業して行かれた感じですかね。
卒業して1年間、滋賀県の社会体育施設で働いてお金を貯めて、そのお金だけでは無理だったので、少し補助もしてもらいながらという感じで1年間行けたという感じですね。
なるほど。第3問、今はちなみにどういった活動をされていますでしょうか。
ご覧の中君が好きなフリーという言葉を使わせていただきたいなと思うんですけど、日本語で言うとただの無職で、
大体2ヶ月くらい前にマストIPOというマカオのクラブを退任して、その後にタイに1ヶ月半くらい住んで、場所はチェンマイです。
1ヶ月半の間に試合観戦をしたり、練習を見に行ったりしながらゆっくり滞在していて、
大体2、3週間くらい前に日本に帰ってきて、日本でも就職活動をしたり、Jリーグの練習とかユースの練習とか、
友達が監督をやっているチームの練習を見に行ったりして、楽しんでいる感じですね。
なるほど、わかりました、という声です。
次ですね、第4問、一番面白かった印象に残っているクイズとはどういった思い当たりとかありますか。
面白かったっていうのが結構難しいというか、楽しいっていう感情は人と接しているときに、
人と関わりがあるときに生まれると捉えるとすると、フィリピンのマニラでの生活っていうのが一番面白かったのかなと思っていて、
理由として、人とコミュニケーションを取らないと面白いって感じ取れないので、
英語でコミュニケーションが取れる簡単に、シンガポールもそうなんですけど、なので一層通話が比較的しやすい。
プラスアルファでフィリピンのサッカー協会の会長が知り合いなんですけど、
なんて言ったらいいのかな、自分がU-16の監督をしているときに、いろんな島、たくさんフィリピンって島が集まっているので、島から島へ移動するのに基本的にヘリコプターを使っていくんですね。
で、近くの島まで行って視察をして、すごいビップ待遇で、個人所有なんですよ、会長の個人所有のヘリコプターなので、
荷物チェックとかも全くなく、パスポートチェックもなく、何もなくそのまま乗り込んで島に行って視察を済ませてすぐに帰ってくるっていう、
1時間半ぐらいかけて行ったんですけど、なんかそういう特別な日本では味わえないようなビップ待遇というか、
そうなんですよね、そういうのができたっていうのがすごい面白かった、国の一つかなと思いますね。
なるほど、ありがとうございます。じゃあ逆に第5問ですね、一番大変だったなと感じる国はどこがありますか。
これ全部話してもうたら、後で何か質問くらったときに何も話せへんからちょっと、
その時何か思い出したらまた言います。
ひとまず大変だった国は、簡単に言ってしまうと、中国かな、中国4年、3年ぐらいいたんだけど、英語を通じる人が少ないっていうのと、
多分都市部はいけるんですけど、サッカーシーズがあるところって基本的に結構田舎のところが多いので、コミュニケーションのところですごい苦労しましたね。
なるほど、わかりました。次に第6問、一緒に仕事されたりとか対戦した指導者で印象に残っている指導者の方はいらっしゃいますか。
結構いるんですよね。もう指導者をしてだいたい17年ぐらいになるので、いろんな指導者の方と対戦とか関わらせてもらっている中で、
そうですね、やっぱり有名なところで言うとラファエル・ヴェンティスさんにお会いする機会が中国であって。
そうなんですか、中国にいましたよ。
そうなんですよ。同じ都市のその当時は大伝一報っていうクラブでラファエルさんは監督をされてて、
たまたまホテルで出会って、日本から来てて大伝で住んでて、指導者を知るで練習一回見させてもらえませんかって直接交渉して見させてもらえることになって、
すごい白い目で選手とかからは当日見られたんですけど、コーチとかも。多分ラファエルさん何も言ってなかったんで、そういう貴重な経験ができましたね。
すごいですね、それ。ホテルで行ってOKだったんですね。
そうなんですよ。多分日本人の選手とも結構関わりがあって、日本人に対する印象が良かったのかもしれないですね。
ベニテスってそうでしたっけ、ちょっとあれですけど、覚えてないけど。
それよりラファエルさんですね。
なんて言ったらいいの、ベニテスさん。
ベニテスはメジャーな名前かなと思うけどラファエルさん。
メジャーな名前ってまあそうですよね。一般的にはそうですよね。ファミリーネームは多分ベニテスですよね。
ごめん間違えた、じゃあ。
いやいや間違えてはないと思う。
間違えてはないね。
じゃあベニテスさんで行こう。
了解です、ありがとうございます。
第7問ですね、目標にしている指導者とか、理想の指導者像みたいなのってありますか。
たくさんいるんですけど、自分のキャリアを聞いていただいたらわかると思うんですけど、あまり日本での活動がないので、
海外で出会う日本人の指導者っていうのにはすごく尊敬というか一応目を置いてます。
次にですね、これなんか第8問なんですけど、ちょっと素人っぽい質問になっちゃうんですけど、
指導者ってどうやって次の契約チームとかって見つけてくるんですかね。
本当選手と同じだと思うんですよね。これまで培ってきたコネクションとか、あとはFacebook、Instagram Xとかでエージェントさんを探して自分を売り込んだりだとか、
あと若い時、20代の時はそれこそ履歴書を持って海外のクラブに売り込みに行ったこともありましたし、方法はいろいろですね。
そうなんですね。変わりました。前回あれ、下野さんのゲスト会の時に、アルビシンガポールに履歴書を送ってくる外国人選手がたまにいるみたいな話をしてましたけど、
でも本当にそういう時もあるってことですよね。
僕一応ステータスが監督なので、自分、私の連絡先とかをどこかで見かけて、
来シーズン一緒にやりませんか?とか、今シーズン、例えば右サイドバック空いてませんか?っていう外国人も結構いますよ。
へー。国そうやって、なるほど。エージェント的な形の問い合わせも急に来るんですね。
そうなんですよ。そういうお仕事は全然してないんですけど、一応プレイビデオとか送ってくれたら、可能性があれば見るっていうことはしてますね。
分かりました。ありがとうございます。
第9問目で、履歴とかチームを決める上、もしくはポストを決める上で何か大切にされていることとかってございますか?
そうですね。チーム見つけてくる。契約チームどうやって見つけるかってことですよね。
そうですね。
さっき言った通り、エージェントにお願いしたり、人の繋がりっていうところですかね。
なるほど。ありがとうございます。
エージェントって決まった人というか、まささんでいつもお願いしてるエージェントさんみたいなのがいらっしゃるってことですか?
そうですね。実際にリアルでお会いしたエージェントの方も何名かいますし、ネット上で履歴書を送って、自分のキャリアに興味を持ってくれたり、自分のビジョンに興味を持ってくれたエージェントさんとお仕事を進めていくこともありますし。
会わないパターンがあるんですね。
そうですね。ありますね。ビデオ、例えばズームとかもせずにメッセージとただの音声電話だけで、マカオのチームとかは契約しましたし。
そうなんだ。すごい世界だ。勝手ながら会って話をしてみたいのが一般的というか当たり前なのかなと思ったけど、そういうわけでもないんですね。
そうですね。本当に特に海外とかって結構、村中君とか岡ちゃんはすごいわかると思うんだけど、即断即決みたいな場面が多くて、後先考えてないっていうのがネガティブな面ではあるんですけれども。
そこで言われたタイミングですぐに乗ったりとかしないと、その話が流れちゃったりとか向こうのクラブが興味を持ってくれなくなっちゃうこともあるので、チャンスがあればすぐ動くっていうスタンスではいます。
ありがとうございます。じゃあ第10問目が、契約内容で嬉しかったこと。話せる範囲で構わないんですけども。
難しかった国は中国だったんですけど、契約で嬉しかったのも中国で、簡単に言うと待遇面のところですよね。お給料が他の国に比べて多かったっていうのがリアルで、
あと基本的に中国では家、放熱費、あと三職がついてることが結構多いんですね。あと保険とか、メディカルチェックアップとか、そういうほとんど支出がない。なのでお金が勝手に貯まっていくっていうのが結構多くて。
そこに勝利給とかもついてくるので、契約的には交代具のプラブが日本人に対しては多いんじゃないかなと思います。
なるほど、了解です。ありがとうございます。最後第11問です。今後の目標だったり夢はありますか?
結構たくさんあって、U16のナショナルチームの監督をさせてもらったんですけど、まだトップチームのナショナルチームの監督っていうのはしたことがないので、一つはそのポジション。
あとは、AFCの大会でプロチームで出場したいっていうところと、まだ行ったことがない国とか大陸っていうのがたくさんあるので、いろんな国に行っていろんな人と関わりたいっていうのがありますし、あとこの経験とかを生かして、おかちゃんとかのようにビジネスをしたいっていうのもあります。
なるほど、了解です。ありがとうございます。じゃあちょっと11問答えていただきましたが、岡さんサッと答えてもらいましたけどどうでした?
松田さんとはもう10年以上知り合いというか、ちょくちょく連絡は繰りあっている中だけど、こんなにしっかりとした話を聞いたのが初めてだったので、新鮮でした。
聞いたんですか?文部は?
文部三角、文部三角も行ってるんですね。
うん、そうね。
すごいですね。指導者やってるってこんだけ国行ってる人ってなかなかいなくないですか、日本人で。
確かに。
どうなんだろう。さっきもそれこそ言ったと思うんだけど、就活を兼ねてたので、一つの例えばバングラディッシュもうすぐシーズン終わりそう、これから遺跡監督の契約更新とかありそうってなったらまずバングラディッシュ行って、
バングラディッシュ行って、インドも行って、近隣諸国も回ってしてたら結構それぐらい行っちゃったかなっていう。あとヨーロッパをどこからだ、フランスじゃないな、あれどこだったっけな、ドイツから入ってトルコまで一回行ったことがあるから、その時も結構国数は稼いだかなっていう。
ドイツから行って、トルコで行って、すごいですね。南下してったのか。
結構その当時は東に興味があって、東から結構優秀な指導者も出てたし、物価もそんな高くないって聞いてたから、これ結構滞在できるなと思って、いろんなクラブもあったりして、もちろん有名な観光地とか世界遺産結構好きだから見に行ったりとかもしてましたね。
そうなんですね、なるほど。なんか選手とかだとやっぱりプレイビデオ送ってっていうのがイメージでありますけど、監督はやっぱり現地に行って練習のなんかそういうの参加してみたいのが、そういうプロセスがやっぱ必要なんですね。
多分有名な監督さんとか日本で活躍されてて、メディアに取り上げられてるような監督さんであれば、こういうやり方はしなくてもチームはすぐ見つかると思うし、ただ僕のキャリアを見たりとか僕の実力を考えると、足で稼ぐしかないっていう。
それ以外他の指導者に勝る点がないので、まあガッツだけでやってきたっていう感じですね。
いやこれだって一番最初さ、いわゆる一部流の可能28歳とか9歳。 27かなフィリピンの。確か。
いやだから日本の指導者、今こうやって若者が、若者指導者が出てきたって言うけど、多分増田さんが多分一番だよね。
相当若いですよね。
そうそれは本当ラッキーで、正直言ってフィリピンのプロのリーグって日本のJリーグとかに比べたら全然だし、まあいい選手もいるんだけど相対的にはレベルが低い。
ラッキーだったのは、フィリピンにその前パチャンガデリマンというプロのクラブと契約する前に育成のクラブと契約をしていて、そのタイミングでプロの試合を見に行って履歴書を持って行って、
その時に現フィリピンサッカー協会の会長さんを見つけて、売り込みをかけて、その後連絡が来て契約するっていう形になるんだけどね。
そういうガッツがいいつようなのですね。で、今こうやって話しててるとなんか暴れたんで一個ずつ振り返っていこうかなと思いますので。
はい、お願いします。
はい、よろしくお願いします。はい、じゃあまず一つ目の質問で経歴のところをご紹介をしていただきました。もともとサッカーやられてたんですよね。
あ、小学校からずっとサッカーをやってて、まあ社会人の時も少しはやってたっていう感じですね。
イングランドでもやってましたし、それセミプロのクラブでだいたい5部ぐらいですね、一番上から数えて。
イングランドに行った時は、選手としてでも活動されてたんですね。
選手もしてましたし、プリマスターがいるっていうチームでアカデミーのコーチとかトップチームの通訳、通訳というか少し日本人選手がわからない文言だったりっていうのを教えてあげるっていうことをしてたんですよね。
日本人の選手がいらっしゃったんですね。
はい。林明洋さん、ゴールキーパーの元代表のとか、もう引退されましたけど太田選手、ジュビロで長くプレーされてた。
はいはいはい。
林選手はもうその後すぐにベルギーに行かれて、太田選手は練習参加だけっていう形だったんですけど、少しトップチームの方に来られてて、その時に自分が練習場に一緒にいて、少し言葉を訳したりとか、監督の意図を伝えたりとか、そういうことをしてましたね。
もうこの話だけで僕初めて聞いた、松田さんのこの話。そんなこともあったんですね。
松田 そうだね。それはあんまり多分言ってなかったよね。こういうほつかぼった話ってあんまりなくない。
いやいやいや、5部総統ってことは日本人の地域リーグってことじゃないですか。
松田 そうだね。
確か松田さんなんか上手いなとは思ったけど、じゃあ結構上手かったんですね。
松田 何中聞き方するんだよ。
松田さんがサッカーやってるのそんなに勝っちゃったの見たことないから、たぶん。
松田 いやけど、シンガポールのときそれこそ、たぶん岡ちゃんとか村中も一緒に、なんかどっかの大学生とかと試合とかしたでしょ。
大学生?
松田 やったよ。
親父レックスとかじゃなくて?
松田 いやいやいや、なんかあの子の大学生と、そう親父レックス説明して。
じゃあまあ親父とアルビレックスのマナー、お父さんとチームね。
でも松田さんって確かに自分サッカーやった記憶ありますよ全然。で、松田さん普通に上手かったのは覚えてます?
松田 そう、あのメンバーではマシな方だったかもしれないけど、一応後部ぐらいではやらせてもらってて、
けどまあもう指導者に行きたいってその時から思ってたから、そのプレーの方にはあんまり力を入れてなかったっていう感じかな。
指導者のキャリアをスタートしたのは結構ではかなり若い年齢だったと思うんですけど、
その年齢からそうやって指導者の道を進まれる方ってなかなかあんまり心出す方っていないんじゃないかなと思うんですけど、周りには。
海外は基本保険が効かないイメージなんで、あんまり現地で歯医者に行くイメージはなかったんですけど、いきなりイングランド行ってそこで歯医者に行くっていうのがすごいなってました。
痛さで耐えれなかったんよ。
なるほどね。
学校にも行けないぐらい痛くなっちゃって、もうすぐすぐ行ったっていう。
病院とかさ、僕8年間ぐらい海外で一度も病院にはいってないんだよ。
すごいんだ。すごいよな。
それこそ怖いじゃん。病院ってとんでもないお金請求されたらっていうのがイメージあったからさ。結構もちろん病院とか行ったりしたの?
俺もあんまり病院には行ってなくて、覚えてるのはイングランドの時にロングスケートボードで僕学校まで通ってて、それで坂道で思いっきり転んで、で、こけてお尻にすごいでっかい青たんができて歩けなくなったんよ。
それで行ったのと、あとカンボジアの時に選手をジェブに連れて行ってて、で、なんか椅子を調整しようとしてそこでなんか指が挟まっちゃって、それでジェブに日系の病院、タイやったかな、タイ系の病院にカンボジアに連れて行ってもらったって多分2回しかないかな。
なかなか痛そうな怪我をしてますね。
そうなんですよね。あんまり怪我とかしないですけどね。で、基本的に病院には行かないんで。
怖いっすね。
村中君と一緒です。
病院行くの怖いよね。僕もなんかシンガポールで寝起きで、それからスクールのなんか手伝いかな、松田さんと中村、寝起きでぐるって回んないといけなかったんでしょうけど、めんどくさくなってた。高さ5メートルは居過ぎかもしれない。かなり高いところがジャンプして、もう本当に腰とかやりましたね。
ジャンプした瞬間、あれ?全然着地しないじゃんって思ったら結構高かったみたいな。よくないね、そういうとおりで。
変な話。
あとミャンマーの時もあれだ、ちょっとイラついて物に当たってさ、指曲がってるもんこれ。
言ってましたね。
そうそうそう。
まあまあでもなかなか怖いですよね、日本の医療に絶対的な信頼がある分、海外ではなかなか、言葉の壁もありますし。
もう仕方ないよね、本当に。なんか僕一回、それこそ歯医者も行ったことあって、マレーシアで。で、もうなんかだいたい歯なんだよ、歯が痛くなっちゃうんだよ。もう仕方ないよね、そういう時は。
日本に帰るつもりがなかった。その時も確か就活のつもりで行ってて、渡航費考えたら、マレーシアでとりあえず見てもらっとくかっていう感じで行ったっていうのがあったね。
なるほどね、結構大変だよな、そういうところは確かに。
大変ですね。
その後に留学から帰ってきた後、セレスト大阪でアカデミーコーチをされてますよね、その後。
はい、だいたい2シーズンぐらいですね。
これはもう自分で売り込んでみたいな形だったんですか?
大学の時のゼミの先生が、その当時の育成部長とつながりがあって、それでいらっしゃってもらったっていう感じですかね。
なるほど、そういうこと。
その後にはアルビシンガポールに行かれるわけなんですけど、またこれ海外のクラブになるわけじゃないですか。
渡辺 さん、これはどういう経緯でアルビシンガポールには入られるんですか?
アルビシンガポールは確かB級のとき、B級ライセンスを取得するときに、同じライセンスコースにいたアルビレックス2型本体の指導者がいて、その方の紹介で入ったっていう感じですね。
なるほど。B級の指導、その当時ってB級、A級、S級っていう形ですね。
はい、そうです。
松田さん、かなりそのときB級ってあるのも若い方なんじゃないですか?そんなことないですか?
松田 いや、そんなに若くなかったと思います。最年少は自分よりもたぶんいましたし、年齢で言うとたぶん真ん中ぐらいだったのかなと思います。
そうなんですね。またそこで海外チームっていう形で。
松田 そうですね。
あれ、シンガポール来る前にベトナムもいたんでしたっけ?
松田 あ、ベトナムもいた。これはJATSっていうローカルのクラブで、一応日系の会社なんだけど、基本的には向こうのインターナショナルスクールとか日本語学校の生徒とかを指導するというか、サッカー一緒にするっていう仕事をしてました。
なるほど。それを後に繋がりでアルビシンガポールに入ってという形ですね。
松田 そうです。
プロ監督としてのキャリアは2014年のフィリピンからってことですよね?
松田 そうです。
これはもう自分で探してきたのかオファーをいただいたのかどういう形になるんですか?
松田 シンガポールのアルビレックスに行かれたシンガポールを退任しなければならないということになってしまって、理由はお二方がよくわかってると思うんですけど、無職になっちゃったので、仕事を探さないといけないと。
松田 世界中のクラブというか、アジアですよね。アジアのクラブに履歴書を送って、メールの返信があったのがオーストラリアとフィリピンがあって、なんとなくフィリピンに行こうと思って。
で、そこからさっき話した通り、最初アカデミーのクラブと契約したんですけど、現在会長、フィリピンサッカー協会の会長をスタジアムで見つけて履歴書を渡したし、そこで契約っていう感じですね。
すごいですね。てかその、自力でメールしたって、本当にいろんなクラブに履歴書を送りまくったみたいってことですよね。
松田 そうですそうです。皆さん指導者の方はやられてると思うんですけど、ホームページでメールアドレス見つけて売り込んでいくっていう形ですね。
えー、めっちゃ大変ですねそれ。
松田 そうですね、ただやりたい仕事なので、自分の実力を考えたらそれしか方法がないというか、若かったのでそこまで繋がりもないですし、日本でたくさん働いてないので、繋がりを使うってこともその当時は難しくて、そういう手段を取りました。
あとはよく聞く、フェイスブックメッセンジャーでひたすらそれっぽい人見つけてリアクション送るとかもよくあったりするんですか?
松田 そんなことあります。
そうだね、フェイスブックその当時だったらフェイスブックでも送ってたし、あとそれこそホームページのメールアドレスからっていう、いろんな方法でやってました。