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2023-05-23 36:43

富士見市とふじみ野市ややこしすぎる問題【サイタマニアクス#12】

埼玉県しりたがりラジオ『サイタマニアクス』

#12「富士見市とふじみ野市 ややこしすぎる問題」

パーソナリティ:こけ お相手:黒麦 さん


埼玉県西部にある「富士見市」と「ふじみ野市」。

こんなに似た名前の市が隣り合って存在するこの現状。

どうしてこんな事が起こっているのか、そこには色んなゴタゴタがありました。


この番組は「埼玉県」というコンテンツを様々な角度からいじり倒して、おもちゃにして楽しんでみようというコンセプトでお届けするラジオです。

埼玉県に馴染みのある方もそうでない方も、この番組を通して埼玉県だけでなく、身近な場所について考えてもらうきっかけになればいいなと思っています。


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00:07
どうも、くろむぎさん。
こんにちは。
どうもです。
こんにちは。
くろむぎです。
どうもです。
なんか世の中、似てるけど違うものっていっぱいありませんか?
ありますね。
例えば、まあ、なんだろうな。
ひらめとカレーの違いとかわかります?
なんか目がついてる向きが違うんでしたっけ?
ああ、そうそうそう。
目があるとこが左側がひらめで、右側がカレーみたいな。
どっちがどっちだったか覚えてるけど、どっちだか忘れたみたいな。
いや、そうですね。
どっちが右だっけみたいなね。
そうそうそうそう。
なんか結構そういうのあるなと思って。
例えば、最近ちょっと自分で思ったのは、国産牛と和牛の違いわかんないなと思って。
ああ、確かに。
知ってたりします?ちなみに。
説明しろって言われるとわからないかもしれないですね。
はいはい。なんか調べた感じだと、国産牛っていうのが日本で生産された牛のことで、
日本で3ヶ月飼育されてたら国産牛と呼べるよみたいな感じらしいんですけど、
その中でも特定のブランド、条件を満たしたやつに称号として和牛っていうものが使えるという感じらしいんですよね。
なるほど。
和牛はあくまで品種名みたいな感じで、黒毛和牛とか畑和牛とかあるらしいんですけど。
要するにブランドっていうことなのか。
そうそうそうそう。特定の場所なのかな、条件とかで飼育されたものに黒毛和牛って名前つけますよとかそういう感じらしいんですよね。
なるほど。
そんな似てるけどよく違いわかんないなってこの埼玉県の中の代表の話で、不死身と不死身の死っていうすごい似た死があるんですけど。
はいはいはい、ありますね。
これ違い何って、なんかどういう違いあるって言われたらなんか答えられるもんあります?ちなみに。
うーん、隣り合ってるしね、名前も一文字違いだし、ちょっと近くに住んでたりしないとピンとこないかもしれないですね。
いや、そうですよね。で、しかもなんか調べてみると結構こうなった経緯もだいぶややこしいっていうのと、
あとはそのややこしさをさらに拍車かけちゃってるある現象があるんで、ちょっと今回はこの不死身死と不死身の死の違いみたいなのを話していこうかなというふうに思っております。
お、楽しみです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。というわけで埼玉に訳す改めまして私、コケです。
私、クロムリです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。この番組は埼玉県をいじり倒しておもちゃにして遊んでやろうというコンセプトでお届けするゆるいおしゃべり番組です。
03:02
今回は不死身死と不死身の死がややこしずるぎる問題についてちょっとご紹介していこうと思います。
先ほど黒麦さんもおっしゃっていただきましたけど、不死身死と不死身の死って隣り合ってるんですよね。
で、どっちが北側とかってイメージつきます?
それは東部東上線ユーザーとしては不死身死が南というか東京側で不死身のが北側、川越側というか。
そうですよね。ちょっと土地系がゆりくんでるところもあったりするんで、一概には言えない部分もあるんですけど。
埼玉の荒川の西側にある都市を南から順番に並べていくと和光市、浅賀市、四季市で不死身死、不死身の死、川越市みたいな並びになってるかなというふうに思います。
東部東上線ユーザーっていうことをおっしゃっていただきましたけど、今言った和光市から川越市まで共通して通ってるものっていうのが2つあるんですよ。
一つは東部東上線なんですよね。もう一つって何かってわかります?
それは並行して走っている254ですよね。川越街道。
はいはいはい。これね、本当にそうだろうなって私も思ったんですけど、254って実際、今言った和光市から完全に全部通ってたかなっていうのがあって。
あれ?通ってませんでしたっけ?
というのが、四季とか通ってないんですよ。
ああ、なるほど。
四季地味に通ってないんですよね。
なるほど。
なので実は254は通ってないんですよ、全部に共通して。
そうか、あの辺は新座とか三好とかあの辺を通ってるのか、254は。
もうちょっと西側を通ってるんですよね。
なるほどなるほど。
だとすると東部東上線以外にもう一個通ってるものって何だと思います?
もう一つ?なんだろう。ちょっと思いつかないですね。
実はですね、言われたらピンとくるかもしれないんですけど、新樫川です。
ああ、なるほど。
新樫川って、荒川のちょっと西側を荒川に並走するような感じで通ってる川なんですけど。
実はですね、この藤見市とか藤見野市の歴史をひも解いていく上で結構重要な意味合いを持ってる川なんですよ。
へえ。
というのがですね、明治時代とか江戸時代とかの話にちょっと遡ると、
当時って船での運搬っていうんですかね、武士の流通って基本水運が主流だったりとかする時代だったかなというのがあるんですよね。
06:08
そうですね。
ちょうどこの辺りってやっぱり江戸と川越を結びたいっていう需要が非常に多かったんで、そこも水運でつなぎたいって話なんですけど、
川越城の近くって実は荒川通ってないんですよね。
ああ、そうですね。
ちょっと離れてるんですよ。
そうですね。
っていうこともあって、荒川は船の運行に川越から直で結ぶのがちょっと大変だったので、その近くにあった本川っていう川があったんですけど、
そこの川を使えば川越城に結構近いところに川通って江戸まで行けるなっていう話があったんですけど、ちょっと流れが安定しなかったり船の運行に不向きだったりっていうのがあったので、
当時川越藩主の松平信綱から、その辺の人がこの川越の流路を整備して水量を安定させて、
荷上用の河師みたいな、川岸みたいなものを作った、そういう整備をしたっていう経緯があるんですよ。
で、そういういろんな河師を設けた、河師って荷上する場所ですよね。そういったところを設けたってことで、名前を信賀市川っていうふうに呼ぶようになったっていう経緯があったりとかするんですよ。
なるほど。
なんで、この信賀市川っていうのが結構この川越と江戸の間の流通にとってはめちゃくちゃ重要な意味合いを持ってまして、
なんでさっき言った和光から川越の市、もともとそのあたりは村とか町とかだったところについては、結構その恩恵というか、そういったところで発展していったっていう経緯があります。
なるほど。
ちなみになんですけど、江戸時代に武蔵野っていわれるさっき言った地域が開拓とかが進んでいったときに、農作物を江戸の方にどんどん輸送していって、その辺の人たちは生計を立ててたんですけど、
農作物を送った後って船が空になるじゃないですか。その空になった船に、実は江戸から持ち帰って、逆に武蔵野の方に持ち帰ってくるものがあったんですけど、これ何かってご存知だったりします?
何でしょう。代わりに買ってきたものですかね。
買ってきたものなんですけど。
何を買ったんでしょう。
何を買うかってことなんですけど、これ実はですね、肥料なんですよ。
なるほど。
当時ですね、やっぱり江戸の町民の方が良いものを食べてるので、良い肥料が手に入りやすいっていう事情があったりするんですね。
なるほど。
っていうのがあって、農作物を送ったら代わりにそこに大肥、肥料みたいなものを乗っけて持ち帰ってくるってことは結構基本的な流通やり取りということをやっていましたと。
09:13
なるほど。
そんなことをやってたんですけどもちろん、さっきおっしゃってた東部東上線が大正3年に開通するんですけど。
そうなると基本的に今言った流通って船でやるよりももちろん高速になるし大量にできちゃうようになるので、それ以降は基本的には鉄道での輸送が主流になってくるというわけなんですね。
そうするとですね、やっぱり町の様子とかもだんだん変わってくるようになってきますと。
まず最初にこの辺りの村で言うと、富士見市が成立してきます。
富士見市は昭和の大合併の時に作られた市になるんですけど。
合併した主な村っていうのが、鶴瀬村、南端村、水谷村と。
ちなみに聞き覚えのある名前とかあります?
鶴瀬は駅の名前で残っていて、水谷でしたっけ?
確か北の方に公園があるところじゃありませんでしたっけ?
なるほど。もしかしたら水谷そうかもしれないですね。
確かに鶴瀬って名前は駅で今でも残ってるんで、あの辺りですよね。
あの辺りは鶴瀬駅が東部東上線ができたタイミングでできたので、結構その周りに人が集まってくるようになってます。
鶴瀬団地っていうのがあって、これが東部東上線沿線で初めて日本住宅公団、今で言うURってやつですね。
あれによって整備された団地があったりとかして、結構大規模な人の集客みたいなところが、鶴瀬のあたりはあったりとかで発展していったっていうのがあります。
南端ってところは、もともと南端城って城が戦国時代にあったらしいんですけど、そういう村があって、
あとさっき言った水谷ってところも結構その団地とかで栄えていて、そういった村々が集まって藤見村というものを形成したということです。
藤見村ですね、当時は。で、藤見村の由来って何だかは、ちなみに想像つけます?
藤見というと、あっちこっちありますけど、藤井さんがキレイ的な由来なんですかね、やっぱり。
まあその通りなんです。
当時、多分当時なんですけど、埼玉県の特に秩父から降りてきた、秩父よりももっと東側は、結構どこでも藤井さん結構よく見えたっていう話があって。
12:11
確かあげ尾あたりにも藤見ってあった気がします。
県内にまだ、確か今でもあざとして残っているのが4つぐらいあるのかな。
藤見という名前が。
たくさんあるんですね。
結構ちょこちょことあるんですよね。
なんでまあそういった場所だったんだなーって言ったところが分かってきますと。
でまあ藤見村だったんですけど、人もどんどんその団地とかで増えてきて、藤見町になって、その後藤見市になって。
って言ったところで藤見市が1972年のタイミングで設立される、整理するっていうような感じになってますと。
なるほど。
はい。
じゃあその時に、当時その周りの都市の状況どうだったかなって言ったところで、近くにあったある3つの市と町をショート紹介したいんですけど。
はい。
まず上福岡市っていうのがありましたと。
はい。
この上福岡市っていうのがですね、駅で上福岡っていう駅があるので、その辺で馴染みあるかなというふうに思うんですけど。
はい。
これも新菓子川沿いに結構江戸時代から大きい煮上げ場がありまして、そこを中心に発展していった村、町、そして市になった場所になってますと。
なるほど。
ここもですね、東部東上線の周りの開発に漏れることなく、結構団地とかが結構作られていて。
ほう。
特に上福岡駅の西側に霞岡団地っていうのが1959年にできるんですけど。
はい。
これ当時、さっき言ったURの関東の支所の中で一番大きい規模の団地だったりとかするんですね。
へー。
なんでもう本当に団地がこの辺り集まってくる場所ということで、結構人も集まってきて、上福岡市が1972年に成立しました。
はい。
実は上福岡市になる前って福岡町だったんですけど。
はい。
なんで福岡町がそのまま福岡市にならなかったかって想像つきますか。
九州の福岡と同じ名前にしたマズイとかですかね。
もう素晴らしい、その通りです。
あら。
結構こういう例、いろんなところであったりとかすると思うんですけど。
ええ。
別に何か間違いないと思うんですけどね。
まあね。
単純にでも確かに福岡市ですって言ったらあっちを想像しちゃうっていうのはあると思うので。
そうですね。
ちょうどその時、上福岡駅が結構栄えていたってこともあったんで、じゃあ上福岡市にしようかということで名前が付けられました。
15:09
なるほど。
上福岡の市はそんな感じであったんですけど、その近くにまた別の町がありまして、
入馬郡の大井町という町がありました。
はい。
大井町は川越街道とかの宿場町として江戸時代には結構栄えた場所でして、
当時は大井宿という宿場町があって、いわゆる本陣とかがちゃんと設けられていて、旗子とかも結構あったっていう、それなりの規模のあった宿場だったんですけど、
江戸時代が終わったら宿場の機能なんていらなくなっちゃうので、どうしたものかなと。
ちょうど駅とかも近くにいなかったっていうこともあって、いわゆるモータリゼーションじゃないな、こういう場合は鉄道から離れたところはどんどん宿題していくっていう運命にあったんですけど、
とはいえですね、東京から結構近いんですよね、位置的に。
そういうことがあって、結構ベッドタウンという意味合いで都市開発が結構盛んになっていったという経緯があります。
市にはならなかったんですけど、1966年に大井町、もともと村だったところが町になりまして、結構安定した町の運営っていうのをしていた、そういう町でした。
そしてもう一個町を、近くにある町を紹介すると、三好町を紹介します。
はい。
この入馬郡三好町がですね、江戸時代にこの武蔵野のあたりって一大川越い芋産地だったんですけど、
はいはい。
その芋の産地の中でも有名な産地の一つとして三富神殿っていうのがあったんですね。
ご存知ですか。
はい。
その三富神殿って三富っていうぐらいの三つのエリアに分かれてたんですけど、そのうちの一つのエリアがこの三好町にかかっていて、いわゆる畑の町みたいな形で運営していたというものです。
はい。
これ後々ですね、結構その土地の使い方を方向転換して、いろいろ面白いことになっていくんですけど、
当初は一大芋の産地として名をはずたまんまそういう町がございましたと。
なるほど。
はい。今回のその藤見市藤見野市総動で出てくる登場人物としては、最初に出てきた藤見市と上福岡市。
18:06
はい。
そして入馬郡の大井町と三好町。
はい。
この4つが主要登場人物になってきます。
はい。
でですね、ここから1990年代の頭の方に、この4つの町、都市で合併しようという運動ができてくるんですよ。
ほう。
はい。で、当時はですね、平成の合併の時期ということもあって、結構いろんなところでこの複数の町とかが合併して、都市作っていこうと。
そういった時期になっていて。
はい。
合併するといろいろ補助金もらえたりとか、いいこといっぱいあるんですよね。
なるほど。
なので、ちっちゃい町とかは合併しちゃえば、ちょっと資金も一時的に増えるので、その機会にインフラの整備とかいろいろできるよねっていったところで、結構こういう活動が県内でもそうですし、日本全国でいろんなところで行われていました。
なるほど。
はい。で、そういう合併の協議が行われる中で、東部東上線に新駅を作るっていう話が生まれたわけですよ。
ほう。
これは別に合併とは並行しての話になって、東上線側で必要性を感じて駅が作られるんですけど。
なるほど。
はい。で、この駅の駅名をですね、この駅がそもそも富士見市にできるよってことになりましたと。
はい。
で、ちょうどこの合併の協議があったので、その合併にちなんだ駅名にしちゃった方がいいんじゃないっていう話になったんですよ。
ほう。
で、当時なんとなくその4市町の中での協議の中で、新しい市名を富士見野市っていう市名にしようと。合併後の市名。
ほう。
っていうことが予定されてたので、じゃあ駅名も富士見野にしちゃおうかということで、この富士見市に東部東上線の富士見野駅が1993年にできることになります。
はい。
はい。これが後々様々な問題を引き起こしてくることになってしまうんですけど。
ほうほう。
はい。まあ今富士見市に富士見野駅ができましたというところです。
はい。
じゃあさっきの4つの市と町の状況を簡単にご紹介すると。
はい。
まず富士見市っていうのが一番人口が多くて10万人くらいいました。
はい。
で、その次が上福岡市で、こっちは5.5万人くらいなんですね。
ほう。
で、その次が大尾町で4.5万人。
はい。
で、一番少ないのが三好町で3.5万人なんですよ。
はい。
21:00
で、この4つのうち当時財政的に一番裕福だったところはどこだと思いますか。
裕福。やっぱり人口の多い富士見じゃないですか。
って思いますよね。
あら、と言いますか。
実はですね、三好町が一番売れ落ちてたんですよ。
へえ。
っていうのがですね。
それはやっぱり芋が売れたからですか。
芋はね、あんまり売れなかったんです。
売れなかったというか。
はい。
芋じゃないんですよね実は。
なるほど。
っていうのが、この三好町は芋を作るくらいなんで、開けた土地がかなりいっぱいある場所だったんですよね。
へえ。
ってことで、昭和30年の頃に各地から工場を誘致しようという条例を制定したんですよ。
なるほど。
はい。
で、これが結構ヒットしまして。
はいはい。
事業所とか物流倉庫とかを大量に誘致することに成功したんですね。
ああ、なるほどなるほど。
はい。
で、めちゃくちゃ税収が安定してたんですよ当時。
なるほど。
はい。
っていうことで、この四つの市町のうち唯一三好町だけ、いわゆる黒地財政だったんですよ。
なるほど。
はい。
逆に言うとそれ以外の三つは赤地財政だったんですけど。
ほうほうほう。
一番赤地だったところってどこだと思いますか。
そうなると逆に富士見だったりするんですか。
ああ、その通りなんですよね実は。
お、当たってしまった。
はい、いやいいですね。
あの、富士見市はですね、ちょうどバブルの頃にバブルに浮かれて箱物をいっぱい作ってしまったんですよね。
なるほど。
はい。で、建物だったりビルだったりインフラ整備だったりいっぱいしちゃったせいで借金が結構あったんですよ。
なるほど。
ということで、人口は多いんだけど財政的にあんまり安定してない富士見市っていうのが上に立っていて。
ほう。
で、人口は少ないんだけどそれなりに裕福でやっていけてるっていう三好町がいて、その間にその中間の位置づけにある上福岡と大井町がいるというそういうパワーバランスの合併協議でした。
なるほど。
はい。
で、さっき言った富士見市と三好町以外だと上福岡市はさっき言ったみたいに団地がいっぱいあるんですよね。
ええ。
ただ団地できたのってそれなりに前なので結構これから高齢化が起きそうだなっていうような。
なるほど。
そういう状況だったんで、まあその高齢化対策はしたいけど直近別に合併してもしなくてもそんなに変わらないかなぐらいのスタンスの位置づけでした。
ほう。
で、一方の大井町、もう一個大井町があったと思うんですけど。
ええ。
さっきあの富士見の駅が富士見市にできたっていう話があったんですけど。
24:02
はい。
実はですねこれ大井町のエリアにめちゃくちゃ近い、まっすぐ隣の富士見市のところに駅ができたおかげでその駅のメリットめちゃくちゃ得られてたんですよ。
ほう。
なんで人口がめちゃくちゃ増加傾向にありまして。
なるほど。
なんで頑張れば、今人口その時は4万5千人だったんですけど。
はい。
死になるためには5万人以上っていう条件があるんですね。
ええ。
だからこれワンチャン頑張れば単独でも死になれるんじゃないみたいな。
なるほど。
なんかそういう位置づけのだったんですよね。
なるほど。
っていう結構4社の思惑がバラッバラな競技会が2000年に設置されることになります。
大変そうだ。
いやもうこれはですね、善とたなんなんですよ。
ええ。
で、やっぱりこうなると財政的に潤ってる三好町の起源を取った方が安定しそうじゃないですか。
そうですね。
っていうのがあって、新しい役所どうするって話になった時に三好町の役場を新しいところに寝室役所にしましょうっていう風にまず決めるんですね。
おお。
まあそれは三好町の起源を取るっていうのもそうでしたし、あとは三好町財政的に潤ってたこともあって、ちょっと10年くらい前に新しい庁舎に建て替えてたんですよ。
なるほど。
だったらまあそれそのまま使っちゃった方がいいよねと。
そうですね。
はいはいはい。
ってことで三好町にしようってことで起源を取りつつ、じゃあ新しい新市名はどうするかって話になった時にちゃんと市民から募集しましょうということをやるんですね。
ええ。
そうしたところ第1位になったのが藤見野市と。
なるほど。
まあまあ元々過去から藤見野市にしようって考えてたってことはもちろん市民の人たちは皆さん知ってますし。
ええ。
まあそう決めてたんだからそれでいいだろうってことで圧倒的な票数1500票くらいかな。
ほう。
で1位になりまして。
ほうほう。
で2番2位が210票で全部平仮名の藤見野市。
なるほど。
で3位が137票で西埼玉市なんですよ。
ええええ。
まあそうなるともうほぼ決まったような正直にもんだなっていうところで。
そうですね。
まあ藤見野市にしましょうねというような流れになります。
なるほど。
じゃあ新しい市名も新しい市役所も決まったんでじゃあ最後住民投票をして賛否を確認しましょうということで各市ごとに投票を行いましたと。
はいはい。
でその結果がですねまず藤見市は賛成多数だったんですね。
27:03
ほう。
まあやっぱり財政的にも困難なので合併のメリットめちゃくちゃあるというところもありましたと。
はい。
で上福岡市。
はい。
上福岡市は賛成が多かったんですよ。
ほう。
賛成多かったんですけどあの得票率に達さなかったんですね。
なるほど。
要するに無効扱いですねこれ。
なるほど。
ああ無効だってなっちゃいました。
ほう。
で大井町。
大井町は反対多数だったんですよ。
あら。
反対多数だけどこれも投票率が未達だったんで無効扱いなんです。
あら。まだ1票しか出てないですね。
はい。
で三好町。
はい。
これは反対多数だったんです。
なるほど。
はい。
でこうなると賛成1位、反対1位、無効2位になってしまって。
ほう。
これ投票自体が完全に意味のないものになってしまいまして。
なるほど。
結局これはまあ、要するにこれは反対圧、投票が成立しなかったということで、
住民の意向は聞き入れられなかったので、合併はやめましょうというような流れになりました。
なるほど。
はい。
ということでまあ、2003年にこれまでいろいろ議論していた中で、
合併協議会がもうこれは解散だということになってしまったということなんですね。
なるほど。
はい。
ただですね、ここで実は次の動きを見せた市と町がありまして、
ほう。
これが上福岡市と大井町なんですね。
無効になった2つ。
そう、無効になった2つなんですよ。
ほう。
っていうのがですね、やっぱりこの2つは合併するメリットがそこそこあるんですよね。
なるほど。
特に大井町の方とかは、
はい。
合併をそもそもする、てかまあ絶対なるだろうって思ってたんで、
はい。
小中学校の改修とかを一旦中止して、合併してからいろいろ整備しようとか、
ほう。
あとは公園で使える水道の接水をしたりとかして、
ほう。
結構お金を使わないように節約節約をしてたんですよ。
なるほど。
ってことで、ちょっとその計画とかは無駄にしたくないっていう思いがありましたと。
なるほど。
でまあ上福岡市も似たような感じで、
インクラの修繕とか改善とかしたいっていう思いがあったんで、
まあじゃあやっちゃいますかと。
ほう。
ということで、
ほう。
2004年、その合併、4市町での合併が無効になった次の年に、
2つの市と町で、
赤見福岡市と大井町での合併協議っていうのが開始されましたと。
30:02
なるほど。
はい。
そうなると、この新しい市の名前どうするのっていう話になるんですよね。
ええ、そうですよね。
そうですよね。
で、そこでいろいろ検討した結果、
やっぱり富士見野市がいいんじゃないっていう話になっちゃうんですよ。
なるほど。
はい。
まあやっぱり、
富士見野駅が近くに、どっちの上福岡にも大井にも近いところにありますし、
まあこれまでいろんな協議をしていた中で、
まあ結構その富士見野っていうワードにも皆さんなじみが出てきたところだったりとか、
駅もできたりとかして。
そうですね。
うん。
なので他にも堺市とか大福市とかあったんですけど候補が。
ほうほう。
もうダントツで富士見野市がいいじゃんっていう話になってしまったんですよ。
なるほどなるほど。
はい。
でもそうすると一番困るのはその富士見野駅がある富士見市なんですよね。
そうですよね。富士見が取り残されましたね。
そうそうそう。だからまあめちゃくちゃ抗議するわけですよ。
はいはい。
富士見市の隣に富士見の市ができたら当たり前ですけど混乱するじゃないですか。
そうですね。
しかもその富士見の駅っていう名前は、
その4つの市と町で合併することを想定した候補から来てるものなんですよね。
そうですね。
だからなんか違くない?その名前使うの違くない?ということですよね。
そうですね。
ということで申し入れとかを再三したんですけど、
上福岡と大井は完全にそれを拒否したとか無視したという形になりますと。
なるほど。
今回この合併については住民投票をやらなかったんですよ。
やらなくてもこれ合併で実はできちゃうんですよね。
そうなんですか。
はい。
そうなんです。
なんでまあ、とはもうそういうことになったからってことで、
その翌年の2005年にこの2つが合併して富士見の市を成立させるという強行手段に及んだと。
なるほど。
なるほど。
はい。
埼玉県では2例目の平仮名を含む市長ができたという。
なるほど。
はい。
しかもさらにこれが混乱を極めることがもう1個起こって。
ほう。
っていうのがですね、富士見の市ができましたと。
はい。
なので、もともと大井町だったあるエリア側を富士見のっていう風に地名を変えたんですよ。
はい。
富士見の市、富士見のっていう地名ができましたと。
ただ、2010年にその富士見の駅がある富士見市の方が、この駅の周辺の地名変えたいっていう話が出て、
33:09
ここに富士見のっていう地名を付けたんですよ。
なるほど。
だから今、富士見の市、富士見の都、正確に言うと富士見の市、富士見の都、
富士見市、富士見の東と富士見市、富士見の西っていうややこしい地名が3つ混在している。
ほう。
状況になってしまったと。
なるほど。
ということで、もうなんか、もうぐっちゃぐちゃです、今。
っていうような状況になってしまっていて、
まあ埼玉県民みんな富士見市と富士見の市ややこしいよねっていう話になっているっていうのが実はこれ現状ですと。
なるほど。
はい。
なるほど、なるほど。
埼玉県知りたがりラジオ埼玉ニアクス。
この番組はアンカー、スポティファイ、アップルポッドキャスト、グーグルポッドキャストとYouTubeで配信されています。
番組宛にご意見ご感想などありましたら、番組説明欄にGoogleフォームのリンクがありますのでそちらから何でもお寄せください。
YouTubeでお聞きの方はチャンネル登録、高評価、コメントなど残していただけると嬉しいです。
ということで、ややこしい問題、富士見市と富士見の市ややこしい問題を今回ご紹介させていただきましたけど、どうですか、この混乱の具合わかっていただけましたか。
そうですね、なかなかカオスな合併だったんだなというのがわかりました。
はい、まあなんか合併ってこれに限らず結構いろんな問題があるという話は聞きますけど。
こんなにあえてややこしいことを選んでいる、その意図もあんまりわからない合併っていうのも珍しいなというふうに思って。
逆に住んでいる人たちはどう思っているんだろうなというのがちょっと気になったりはするんですけどね。
そうですね、ちょっと聞いてみたいところですね。
あともう一つ、なんで改めて合併しようという時に富士見を誘わなかったのかなというのもちょっと気になったところですね。
これはですねもう明確な理由があって、富士見の赤字財政じゃないですか。
はい。
だからめっちゃ赤字なところとちょっと赤字なところとちょっと赤字なところが3つくっついたらややより赤字になっちゃうっていうところがあって、やっぱり富士見を誘うんだったら三好を誘いたいなっていう気持ちが多分あったんだろうなって気がしますね。
なるほど。
これはまあ明確にそこの3個でがっついてもしょうがないなって思いはあったんだろうなって気がしました。
なるほどね。
36:00
これもまあいろんな動きがあってることだとは思いますけど。
ええ。
まあなんか合併に伴っていろんな、
埼玉県内結構いろんな合併が平成になってからもあったりとかして、
そうですね。
動きが激しいところだと思うので、今後もしそういったところで面白い話があったらぜひ取り上げたいかなと思いますので、ちょっとその時にはぜひよろしくお願いします。
はい、楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。
ということで本日は以上となっていただきます。ありがとうございました。
ありがとうございました。
36:43

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