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埼玉県しりたがりラジオ、サイタマニアクス、パーソナリティのこけと申します。
この番組は、埼玉県というコンテンツを様々な角度からいじり倒して、
おもちゃにして楽しんでみようというコンセプトでお届けするラジオです。
埼玉県に馴染みのある方も、そうでない方も、この番組を通して、
埼玉県だけでなく、身近な場所について考えてもらうきっかけになればいいなと思っています。
さて、早速お話ししていこうと思うのですが、
一人でしゃべるのも難ですので、今回はお付き合いいただき方をご紹介しようと思います。
今回のお相手は、タイ語もしゃべれるハッシーさんです。よろしくお願いします。
サワディカ、イデティダイレジョナカ、こんにちは、ハッシーです。
こんにちは。
こんにちは。
そのタイ語が合ってるのかどうかそれは全然わからないですけど。
一応合ってますよ。
ちなみに何を挨拶してくれたんですか?
どうもはじめましてみたいな感じですね。
サワディカ的なところだけで終わるのかどうか、結構長くてびっくりしたです。
一応ね、初めての聞いてくれる方のために。
ハッシーさん、一応私、国圏の中学以来の友人的な方という位置づけなんですけど、
埼玉在住ということでお呼びしております。きっと埼玉は詳しいですかね。
詳しいかどうかはですけど、生まれも育ちも埼玉出身で、ずっと埼玉にお世話になっているというかね。
素晴らしいですね。
はい。
ありがとうございます。そしたらですね、簡単に今回初回なんで、私、国家の自己紹介をしておきたいなと思ってます。
はい。
私、埼玉県の埼玉市周辺で生まれまして、今は埼玉市になってますけど、浦和とか大宮とかいう時代に、
その辺り浦和市だったり大宮市だったり、そんなところを点々として、あとは川口市とかも住んだりとかしてまして、
今、いわゆる実家って言われてるものは大宮市、旧大宮市ですね、の辺りになってます。
埼玉に住んでる時はあんまり気にしてなかったんですけど、社会人になってから結構地域史とかそういうものに興味を持つようになりまして、
地元埼玉のことを調べる機会とかも増えていったんですけど、そしたら結構埼玉、面白いこといろいろあるじゃんということに気づいて、
ちょっといろいろ調べるように、より調べるようになったという感じで、今今回このラジオをやってみてるというような感じになってます。
はい、なのでちょっと高校以降はずっと理系で過ごしてきたので、結構その歴史とか、いわゆる文系チックなことは全くちゃんと勉強してないので、
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ちょっとそのあたりはね、対語も喋れる橋さんが補ってくれるんじゃないかなと思ったりはしています。
そんなに成績良くなったんですけど、頑張ります。
いや、別にそんなに深く考えていたらきっと大丈夫だと思って。
ちなみに、橋井さんって軽く自己紹介的なのってお願いできますか?
ありがとうございます。でもらって。
でも、本当に言ってくれたように、中学時代から知り合いとずっと友達をさせてもらっていて、生まれも育ちも埼玉で、
同じく埼玉の旧浦和と呼ばれるところにいます。
今ではやっぱり埼玉市の一部になっちゃってますけれども、非常にやっぱりいいところというか住みやすくてね。
都内まで出るのもすぐですし、結構やっぱり。
確かに便利ですよね。
そうなんですよね。
最近だとね、いろいろとも開発が進んできたので、都内に行かなくてもいろいろ住んじゃうというところまで。
それもすごい埼玉の気に入っているところですね。
ホケさんみたいにはいろいろちょっと移動はしてないんですけれど、
結構やっぱり浦和とか大宮あたりはもう自分の生息地として。
もう詳しい、自分の庭なんですね。
庭まで行けたらいいかな。
でも多分ポケモンみたいだったら多分そのあたりに出てくるような感じですね。
そのあたりでゲットできる感じ。
なるほど。本当ですか。モンスターボールで行ける感じですか。
ちょっとスーパーぐらい行かないとダメかなって。
なるほど。
ちょっとそれなりにリアリティは高いかもしれない。
ちょっと出てきたら捕まっておかないとまた次出るか考えたらみたいな感じです。
なるほど。
そうですね。だからまあその埼玉市あたりは自分の庭ということで結構詳しい。
頑張ります。
いいえ。
はい。
そしたらちょっと聞きたいんですけど、実は私今埼玉県に住んでいないんですけど、
埼玉県ってどんなとこですかって聞かれたらなんていつも答えたりしますか。
どんなところですかと聞かれると、一言で出るのは住みやすいですよっていうのはまず出ますね。
住みやすいですよっていうのは出ますね。
夏はすごく暑くて冬はすごい寒いですけれど、
夏はすごく特に暑さを感じますけれど、東京近くですし、都内までたぶん2,30分で行けるような場所にもありますし、
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かといっていろいろ物がないかっていうのもいろいろさっきのウラーとかを見や見やみたいにいっぱいメンタルでもありますし、
いろいろ買い物できるスペースはあると。
ただ、一言じゃあ名物って聞かれると、あまりパッと名物出さないのが埼玉県ってイメージがあって。
なるほど、名物確かにそうですね。地域ごとにちょこちょこといろいろ物はあるけどっていう感じなんですかね。
そうっすね。やっぱりあの、なんだろうな、こうネギ、深谷とかでネギがとかいうガチャンとかいますけれど、ああいう物でしたっけ。
ウラワとかですと、うなぎがとかでね、うなこちゃんと言われるね、キャラクターがいたりとかで。
ちょくちょくあったりはするんですけど、じゃあ埼玉県って言われると、なんだろうなっていうのは分かる。
なるほど。確かにまあ、なんかちょっとパッとしないみたいなイメージがある方も多いのかもしれないですよね。
確かにそうですね。
ちなみになんですけど、ちょっとここから難しい質問しちゃうかもしれないですけど、埼玉県のイメージ、今聞きましたけど、埼玉県って何?って聞かれたら、何ですか?自称的な埼玉県の意味って何だと思います?
何?
ちょっとここからもうけっこう毛色を変えてアカデミックな話しちゃおうかなと思うんですけど。
そうですか。そう、西の国とは。
いや、外国人の人が来て、What is 埼玉県?って聞かれたら、何?って答える。
ああ、でも本当、背景というか概念的なところはもう全然ですね、本当に。何?
いや、なんかさっきおっしゃっていただいたみたいに、例えば東京に近い場所だよーみたいな。
なんかそういうふうに説明したり、本当に埼玉のこと全く知らない人に説明するとしたら、そうなるのかなと思ったりするんですけど。
確かにそれになるのかなと思いつつも、でもそのバックグラウンドというか、なぜ埼玉と呼ばれるですとか、そもそも埼玉の意味というか、埼玉の意味する、語というか単語の意味するところとか、果て何だろうなっていうところが正直なところで。
なるほど。なんか実はその辺りのことをちょっと今回調べてきたので、ぜひちょっとその辺の話を聞いていただければなと、いい感じの導入をしてくれてありがとうございます。
むしろなんかいいパスができてよかったです。いいパスができて。
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ちょっと実は今の質問で聞きたかったのって、埼玉県の県ってどういう意味かなっていったところをちょっと改めて考えてほしかったんですよ。
県?
県って何ですかって聞かれたときに、なんかイメージって言っときます?
県のイメージ。
はい、県。例えば埼玉に限らず県っていろいろあると思うんですけど、県って何ですかって聞かれたらなんて答えます?
まあでも、いわゆる歴史というその背反知見というか、まあ範から県に変わり。全然あれ詳しくないですけど、何かって聞かれたら一つの自治区というか、基礎的なイメージですよね。
ああ、そうですよね。なんかここからここまで東京の北にあるここからここまでのエリアが埼玉県ですよみたいな。県の管轄はここですよみたいな感じ?
イメージですね。そこに今であれば知事というか、県衆、府とかもそうですけど、そこの人たちを中心として、一つの政治の区域というか、そういうイメージですね。
なんかそんなイメージできてるんですね。なんか私全然そんなことを考えてなくて、なんとなくなんだろう、ここの領域みたいなイメージだったんですよ。
エリア。
どっちかというと場所を表すみたいな、エリアを表す意味合いで、でもそう考えると、例えば県から手紙が来たよっていうと、これって別にエリアっていう意味じゃなくて、県庁とか県の施設みたいなイメージになるじゃないですか。
なんでこの2つの意味があるんだろうなーって言ったところから、実は問題提起させていただこうと思って、ちょっとその話をする前に、ちょっと歴史的なところを振り返ってみたいなと思うんですけど。
江戸時代の埼玉県ってどんな感じだったかって、なんとなく知ってます?別に調べたりとかしなくていいんですけど。
江戸時代…。
知ってる範囲で。例えばじゃあ、何国って言われて、何の国って言われてたかとか。
国?
国。
ごめんなさい、さっぱりわかりません。
埼玉県っていわゆる武蔵の国だったんですよ。聞かれたらわかる、言われたらわかりますよね。
確かに。
武蔵で634m、634mで東京スカイツリーの高さも634mにしてるよみたいな話もあったりとか。
ありますね。
埼玉から東京にかけて、今で言う埼玉東京のあたりと神奈川の一部もそうですけど、武蔵の国だったわけですよ。
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なんかその辺はなんとなく知ってたりしますかね。
そうですね、そういう銀行もありますね。
そうですね、武蔵って名前ついてるもの結構いろいろあったりとかすると思います。
ただ、国っていう単位ですけど、実はその中にいっぱい村とかがあるわけですよね。
そのいっぱいある村をどういうふうに管理してたかっていうと、めちゃくちゃ複雑だったんですよね。
っていうのも、例えば幕府が直接管理してたいわゆる天寮とか直轄地って言われるようなものもあるし、
あとはいわゆる大名藩ですね。なんとか藩っていう藩が管理してた場所もあるし、
あとはその大名の家臣が領域を確保してた旗本領みたいなのもあるし、
あとはお寺とか神社の領地の自社領もあるし、
いろんなところをほぼほぼモザイク状に管理してたって言うんですかね。
連続性の全くない管理の仕方をしてたんですよね、武蔵の、江戸時代は。
そうなんです。
だから隣の村と自分の村の間隔が違うなんてことは全然ありますし、
本当にバラバラだったということがあるんですよね。
やっぱりそれってめっちゃめんどくさいじゃないですか。
確かに。
なので、慶応3年にいわゆる大政奉還って言われるやつが行われるわけですよ。
イメージ知ってる範囲だと徳川義信が京都の二条城で政権返上するみたいなやつが有名ですけど、
あれでいわゆる明治政府が管理するように幕府がもともと持ってた土地は明治政府のものになりますよみたいな、管理しますよみたいな。
そこでちょっと移転が、管轄の移転が行われる感じなんですよね。
そこからやっと区画とかがいろいろ整理され始めるんですけど、
この辺の歴史を軽く説明すると、慶応4年、その次の年なんですけど、
武蔵知見寺っていうのが任命されるんですよ。
聞いたことあります?
知見寺?いや、おめでとう。初めて。
今でいう県知事ですね。
の役職に当たるところの武蔵知見寺っていう人が任命されて、
どういうふうに任命したかっていうとですね、
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武蔵の国って、埼玉、東京、川永の一部みたいな結構大きい領域を管轄してたんで、
そこを3人で手分けして管理してや、みたいな。そんな感じになったんですよ。
とは言ってもですね、いわゆる幕府領ってもともと、
お大官様って言われる大官ですね。大官って役職の人が管理してたんですけど、
その大官がだいたい武蔵の国の、今でいう埼玉県のエリアにある幕府の領地と、
東京の端っこの方とか、神奈川の端っこの方とか、
だいたいそれぞれの大官ごとにエリアが決まってたんで、
それに合わせてじゃあ同じようなところを管轄してね、みたいな感じで、
3人を割り当てられたんですけど、
これでその埼玉県、今でいう埼玉県のところの幕府領を管轄することになったのが、
山田雅典っていう人なんですけど、聞いたことないと思います。
これもともといわゆる推しの、推し藩って行田ですね、いわゆる。
行田にある推し藩の藩士だった人が、役職に当たったという感じなんですね。
実はここで、注意というか、一つ気に留めてほしいことがあって、
今でいう埼玉県の領域の幕府領を管轄することに、山田雅典さんがなりましたってなったんですけど、
その武蔵知見寺の役所、お役所が、まだ江戸の幕路町にあったんですけど、
そこにずっと置かれたままになってたんですよ。
なんで、管轄しなくちゃいけないのは埼玉県のエリアなんですけど、
江戸から見に行くときとかは、わざわざそっちまで行って、
報告資料とかをまた戻って作るみたいな、そんな感じの働き方をしてたんですね。
ちょっとめんどくさいけど、もともと大館の屋敷がそこにあったんで、
それそのまま使おうってことでやってたんですよ。
ほらこれ。
実はここからの話って、埼玉県がどういうふうに出来上がるかっていう話につながってくるんですけど、
明治の2年に、今度は反石放管っていうことが行われるんですね。
これ何するかっていうと、さっきちらっと橋井さんも言ってくれたんですけど、
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日本全国を府とか県とか、あとは藩に分ける。
府か県か藩にエリアを分けましょうねっていう。
そういうことをやって、しかも全ての土地だったり人だったりを、
もう政府で全部管理しますよと、そういうふうに言うっていうことをしたんですよ。
これでようやく、なんとなく日本の全体が一挙集中中央政府で管理できるような状態になったんですね。
府と藩と県なんですけど、いわゆる。
府はもともと幕府が管轄してたところのうち、重要なところ、江戸とか京都とか大阪とかが府になりましたと。
で、藩っていうのは、さっきも押藩っていうワードが出ましたけど、いわゆる大名が管轄していた領域ですという。
県は、さっき府で言ってた江戸とか京都とか大阪とかの重要な場所以外の幕府が管轄していたところだったり、旗本が管轄してたところっていうのが県になりましたよというような感じなんですね。
で、ちょっとイメージしてほしいんですけど、こうなった時って埼玉県ってまだ結構、なんでしょう、管理してるのがバラバラな状態なんですよ。
そうですね。分かんないです。分け方も。
そうですよね。例えば一つの例で言うと、秩父の山奥とか本城市のあたり、いわゆる埼玉県の西側の辺ですかね。
あの辺ってこのタイミングで岩花県っていう県になりました。聞いたことあります?
岩花って書くんですか?
そうです。岩に花です。で、これって群馬県の高崎に本拠地がある県なんですよ。
はいはい。
だから聞きなじみはあんまないのかなと思うんですけど。
だったり、あとは阪の市のあたりとかは倫良山県って呼ばれてて。これ静岡の出雲国市に今倫良山って場所があるんですけど、そこが本拠地の場所だったりとか。
あとは深谷市の岡部とかは半原半だったりするんですよ。
半原。
これ愛知県の新城が本拠地なんですよ。
だから全然遠い場所に本拠地がある、阪だったり県だったりが埼玉県内に管轄してるっていう、まだまだめちゃくちゃな状態なんですよね。
わかんないですよね。
まあこれ良くないってことはわかってたんですけど、この後聞きなじみのあるいわゆる廃藩地権ですかね。
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っていうのがあったりとかするんですけど、その前にですね、ちょっと一個事件が起こるんですよ、埼玉県内で。
これがですね、実は浦和と大宮の仲が悪くなる一つの要因なんですけど。
そんな対立が起こすような何かが。
対立が実は起こるんですよ、この後。
何が起こるかだかっつうと、さっき山田雅典っていう人が知見寺としてやってましたよって話があったんですけど。
明治2年になって、また別の人に交代したんですね。宮原忠秀さんってことに交代しました。
その宮原さん、1月10日に交代したんですけど。
1月23日ぐらいにですね、大宮の宿場が、中専道の宿場が大宮にあったんですけど。
そこの宿場の中に、工事用地を貸してほしいっていうような伝達をしたんですね。
その時、その辺りを収めていた、日川神社の管理、官の人が勤めていた大きい家があるんですけど。
そこに伝達が来て、なんか敷地貸してほしいんだって。
その翌日、1月24日に、どうやら元々曝露町にあった知見寺の役所を大宮宿に移転したいという話があると。
いうようなことがわかったんですよ。
要するに、県庁を大宮宿に設置しようとしてるんだなーっていうことがわかったんですね。
1月28日ですよ。
もうそのすぐ後なんですけど。
1月28日に、宮原忠秀が管轄している領域は、大宮県にしますよというような伝令が来たんです。
なので、大宮県ができました。
大宮県があったの知ってます?そもそも。
それはちょっと聞いたことがあります。
なるほど。
大宮か大宮か、わかるわかるって感じだったんですよ。
まあ確かにそうですね。
その時に、さっき3人いるっていうような話があったんですけど、武蔵知見寺が。
大宮県っていうのと、あとは葛飾の方に本拠地がある小杉県っていうところ。
あとは品川宿、あれは東海道の宿場があるんですけど、そこに本拠地を置いている品川県。
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大体その3つが設置されたんですね、そのタイミングで。
なので大宮県ができましたと。
でですね、大宮県できたぞーっていう風になって、2月に入ってですね。
今度は役人が大宮宿の中に、県の用地どこがいいかなっていう見聞をさせたっていう記録が残ってるんですね。
調べたわけですね。
なんか建物を建てようとしてるのかなっていう感じじゃないですか。
3月に入って、
3月に入りました。
そしたら、ひかわ神社の管主のところに、見聞っていうんですかね、様子見、うかがいみたいな感じで行ったって記録が残っていて。
3月17日に、さっき言った二室の池に、貸してほしいっていうような意向を示してくれたんですね。
なんでまあ、じゃあ大宮に県庁を建てるのが本格的に動いてきたなっていうタイミングの、3月18日にですね、その次の日なんですけど。
に、庁舎新築をしないでくださいっていうような通知が出されたんですよ。
ほう。
ほうと。
これが何か原因はわかんないんですよ。理由はちょっとわかんないんですけど。
国の方針として、新しく庁舎作るのは、特定の県はちょっとやめてほしいっていう中に大宮県が含まれてたんですね。
ほうほうほう。
何でかはわかんないですけどね。
あり得るものでやれっていうことなんですかね。
まあもしかしたらそういうことなのかもしれないですね。予算とか無駄にかかっちゃうとかね、そういうことがあるかもしれないんで。
で、まあそれが3月の18日だったんですけど。
ちょっとですね、4月11日になりまして、また宮原忠英さんっていう方が異動になりましたと。交代になりましたと。
今度は真嶋さんという方、真嶋冬道さんという方に交代されたんですけど。
で、まあ交代はですね、別にちょっと就任していた期間短かったりするんですけど、結構このタイミングは異動が結構激しかったというか、交代が結構多かった時期なんで、まあそれ自体はそんなに問題じゃないかなって感じなんですけど。
で、4月に交代して、5月になって大宮宿、大宮の宿場にですね、裁判とかの事務手続とかを行う役所みたいなのが正式に設置されたんですよ。
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で、まあこれがきっとその大宮県の仮役所みたいな感じの位置づけなのかなって言ったところなんですけど。
で、6月の3日になって、すごい時系列細くて申し訳ないんですけど、6月の3日になって、仮役所で大宮宿の大門町っていうところに開設されて、実際に業務をしたっていう記録が残ってるんですね。
で、まあその時も曝露町にもまだ役所は残っていて、2つあるような感じです。
で、その6月、さっきのが6月3日。で、その次が6月19日。19日になって、今度はさっき交代した真島冬道が、どうやら浦和宿の中で土地の調査をしているぞってことが発覚するんですよ。
なんか浦和宿に何かしようとしてるなっていうことが、人づてで、さっき言った寛主の家とかに伝わってくるんですよね。
はい。
ほうほうと、まあ大宮にとってはちょっと不穏な動きなんですけど。
そうですね。
で、これがきっと浦和宿に何か役所を建てようとしてるんじゃないかと。県庁をそっちに建てようとしてるんじゃないの?というように思った大宮宿の役人たちがですね、6月21日に、
つの池って西つの池と東つの池っていうのがあるんですけど、東つの池の方に帰島の依頼を行うんですよ。
どんな帰島かっていうと、大宮宿に知見寺に戻ってきてくださいっていう帰島をするんですよ。
そういうお祈りをしてくださいと。
しかも、みっちり7日間やるんですよ。
結構やりますね。
結構ガッツリやるんですよ。
帰島は行ったものの、その後特に何の進展もなく、今度は7月になっちゃうんですけど。
7月になったら、新しい政府の巡礼、視察とかをする人たちが大宮県の方に来て、
その調査結果みたいなものをまとめた記録が残ってるんですね。
その記録を見てみると、宿舎の建設候補地が浦和宿の郊外か、世の町か、別所村か、沼影村がいいって書いてあります。
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なんかいろいろ。ここに来て、あららら、なじみ深い地名が出てきましたね。
確かにそうですね。
ただ、大宮の名前がもう完全に抜けてるわけですよ。
もう候補ではないと。
そうなんですよ。
で、9月の15日に、県庁が浦和宿の郊外、鹿島田に移転されるんですよ。
あら、はい。
あれ?されちゃったんですか?
ああ、北桃村宿。
北桃村宿?しかも大宮宿だよね、ここみたいな。
大宮県なのに浦和宿のところに建てるんだ、みたいな。
面白くない展開が出てなると。
それが9月の15日なんですけど、9月の29日に決定的なことが起こるんですけど、
大宮県が浦和県に変わりました。
実は短い期間でしたけど、大宮県という期間があって、その後もうすぐに浦和県に解消されるっていうことが行われるんですよ。
大きな理由みたいなのってあったんですかね?
いや、これがですね、全くわからなくて。
ただ、いろんなところに浦和町の長誌っていうんですかね。
昔の歴史をまとめた本とかあったりとかするじゃないですか。
それとかを見ると、例えば、大宮のところにはいい場所がなかったから浦和になりましたとか、
浦和宿が一番発展してたから浦和宿になったとか。
書いてあるんですけど、浦和宿より多分大宮宿の方が隣は栄えてたんじゃないのとか思ったりして、ちょっと何とも言えないですけどね。
確かにこう、にわかには100%信じていいかも、微妙な話。
そうなんですよね。
まあこの辺りから大宮と浦和がちょっとバチバチしてたっていうのはあったりとかね。
それは確かにえ?ってなりますもんね、大宮の人は確かに。
入ってて。
そうなんですね。
そういうところにもなんかね、火種があったんですね。
火種が。
そうなんです。