1. りゅうちゃんの独り言
  2. #65 世界と私とピエロのAtoZ
2024-05-13 51:55

#65 世界と私とピエロのAtoZ

『世界と私のAtoZ』竹田ダニエルさん を読んで/この今の価値観はどこから来ているのか?/僕はメタモンからメタになる/ピエロが生まれた瞬間/ファストとスローのバランス/学びとは相対化(仮)/Instagramとアートワークを見てね
 
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サマリー

彼/彼女は、本『世界と私とピエロのAtoZ』を読み、価値観の多様性やメタ的な思考について考えています。その中で、自分がメタモンを残すのか残さないのかに思い至り、バランスを重視した刺繍作品を作り上げています。クリエイティブな発想と刺繍の時間が重要であり、自分のアウトプットを相対化することでファストとスローを組み合わせることができます。しかし、刺繍は時間がかかるため、その時間に意義があると感じられます。Podcastで話された内容は、アウトプットする仕事や学びの意味について考察しています。また、自己評価と他者評価の相対化を通じて、コミュニケーションの面白さについても語られています。自己の位置を相対化することで、円滑にコミュニケーションを構築する方法を探求する話が展開されています。

価値観の多様性とメタ的思考
こんにちは。お風呂とか、プールとか、タイルバリーのところあるじゃないですか。
あそこで、つま先立ちになっちゃいます。
じゅじゅです。じゃあ、今日もよろしくお願いします。
りゅうちゃんの独り言
今、世界と私のAtoZっていう本を読んでまして、竹田ダニエルさんが書いてる。
AtoZのことを書いてる本なんですけど、
全部で12章あるんですけど、そのうちの5章まで読んで、
いろいろ考えがブワーって広がっちゃったんで、ちょっと話したいなと思いまして、
話しながらまとまってるかわかんないし、まとまってるから話せてるのかもわかんないんですけど、
その広がりを、僕の広がりを話そうかなと思ってます。よろしくお願いします。
こうやって話そうとしたらやっぱり飛ぶんですよね。
僕、頭の中でめっちゃ考えてるんですけど、
自分の中で全部繋がっていくんですね。
なんて言ったらいいんだろうな、話を展開していくみたいな。
自分の中で論理があって、論理が繋がって話そうとしたら、
繋げてきた論理が消えるみたいな。
一回思ってるから入ってるので自分の中では納得してるんだけど、
話すってなると消えてる論理があるって訳ですね。
論理が消えてるんで話せなくなっちゃうんですよね。
めっちゃいろいろ思ったな。
まずこの今感じてる価値観ってどこから来てるんだろうって思って、
僕はすごく当たり前なことだと思ってたし、
その当たり前はいろんな要因があって、
今の当たり前になってるっていうのは言葉で理解した上でそう感じてるんですけど、
そういう今の当たり前、例えば多様性とか、
なんか、チル、ゆっくりとか、ゆとり、ゆるりというか、
あとは自分、セルフケアというか、利口からのリターとか、
自分を大事にするとか、相手ももちろん大事にするとか、
基本的には自分を大事にするみたいな価値観だったりとか、
こうやって価値観っていう言葉を使うこととか、
本質的に考えようとすることとか、根本を見直してみるとか、
そういう価値観というか、ものの捉え方、考え方って、
多分僕らの世代とかはよくするのかなと思うんですけど、
全員が全員じゃないと思うんですけどね。
で、そのいう考え方ってどっから来たんだろうかなっていうのは、
SNSだったりとか、情報の多さみたいな、日々過ごす情報の関わりみたいなのの、
量もやし質問だし、いろんなごちゃ混ぜになって、
カオスな状態で自分に向かってくるをすごく見逃すこともできるし、
少しでも、いやかなりか、心が惹かれたらそれに対してリアクションする。
リアクションしないまでにも、どっか心に突っかかって、
あとから気がめいたりとか、もしくは元気になったりとか、
その要因は自分が要因だったりとか、もしくはSNSが要因だったりとかもするし、
その要因はいろいろ、いろんな要素が重なり合った結果出てくる。
それもまたリアクションなんですけど。
で、そういうさっき言ったいろんな多様性だったりとかの価値観をどういうふうに
僕は養ったかみたいなのは、やっぱり出会ってきた人の数とか、
考えにくれた数とか、多分そういうので絶対的に決まったと思うんですよね。
で、人間、社会的な生物だし、ストーリーで理解するし、
そういうのが、そもそものホモサピエンス的な要因、考え方の特性か、
ホモサピエンス的な特性を持ちつつ、
その社会の中で他者と関わることで互いに影響し合い合う。
その影響をしている自分をさらに俯瞰的に見て、
自分が影響した、もしくはされたことを俯瞰的に感じて、
みたいなそういうレイヤー的に考えることもできて、
そういう考え方、メタとかもそうなんですよね。
メタとかも多分Z世代的なというか、
僕らの今生きてる人たちに用うる考え方の一つだと思ってて。
で、そういうメタって僕が想像するのは、
メタモンとかメタグロスとかメタナイトとか、そっからなんですよ。
つまりゲームとかサブカルって言われてたりとかしたやつね。
今はそういうメインストリームなカルチャー、日本のカルチャーではあるけど、
ポケモンだったりとかカービィとか、そういうアニメーションの中からメタをしたし、
そもそもポケモンはRPGゲームだから、
メタ的に自分を自分で操作するみたいな構造にもなってるから、
その中に出てくるメタモンっていうポケモンは、
どのポケモンにも変化できるみたいな性質を持ってて、
ポケモン、メタモン、
ポケモンを表すメタモンみたいな、
メタモンを表すポケモンみたいな、そういう意味合い的なのもあるんかなみたいな。
このメタモンの立ち位置みたいなのを考えるときに、
やっぱりメタ思考になったりとかするじゃないですか。
ラディカル、根本的に考えたりとかする。
根本的に考えたりするときに、
使う思考方法が相対化、俯瞰する、相対化するんですよね。
この相対化するみたいな考え方を持ったのも多分、
いろんな人たちと触れ合うし、
そのいろんな人たちがメタした上で、
自分を俯瞰した上で、
個人的な意見とか個人ではない意見を分けて伝えてくれたりとかするから、
よりメタをメタとして認識しやすくなって、
その考え方に寄っちゃうみたいなのがあると思いました。
メタモンとメタ的な影響
だからちょっと話に戻るんですけど、
メタモンとかメタナイトとかを作った人たちは、
僕らのだいぶ上の世代、お父さんとかの世代ですよね。
おそらく働き盛りだった人たちが、
それを作ってちゃんと残してくれてる。
その残してくれたものをこうやって、
メタ的に感じる人が出てきたっていう構造。
だからそれは、残してくれた事件を吐きながらかもしれないし、
汗水垂らしながら残してくれた人のおかげで、
こうやって僕は今メタモンからメタ的な思考を得てるっていう構造がすごく面白いし、
すごくありがたいというか。
こういうメタ的な構造をもう一度、
今働き盛りな30代40代の人たちがメタ的に研究なされたりとか、
ニュースだったりとか、
SNSで発信して残してくれてることに対して、
また僕たちはメタ的な影響を受けて、
そもそもそれはどういうことなのかとか、
俯瞰した時にどういうことになるのかみたいなのを考えていくようになるみたいな構造になると。
それは面白いなと思って。
ということは、
たぶんメタモンを残す人とメタモンみたいなものを残せなかった人、
残せなかった人も誰かしらに何か影響を与えてるだろうから、
そういう意味では残したものだと思うんですよね。
だからメタモンが有名かどうかみたいな話にもなるし、
残せなかった人が彼にいたとした時に、
でも残せなかった人がいるから、
残せなかった人がメタモンを生み出さなかったから、
違う人がメタモンを生み出して、
その人が生み出したからこそ残すことができたみたいな考え方もできると思うんですよね。
残せなかった人がいたが故に残せる人ができたっていう、
これも相対化ですよね。
そういう可能性もあるじゃないですか。
そういう可能性もあって。
バランスと刺繍作品
で、そうなった時に僕はになるんですよ。
この辺から僕はになってくるんですけど、
僕はじゃあ、二項体的に言うと、相対的に言うと、
残せる人なのか残せない人なのかみたいな考えになるんですよ。
けど、けどですここで。
でも、どっちにも転べるんですよね。正直。
それは多分気分によってとか、その日の調子によってもそうだし、
なんか読んだ本、それこそ今読んでいる本の影響によるものかもしれないし、
いろいろ日によって、時間によって、朝昼晩によって変わるんですけど、
でもどっちなのかみたいな。
自分はメタモンを残すのか残さないのかみたいなことを思った時に、
やっぱり残したいとは思う、残せるんじゃないかな、みたいなのを思ったんです。
最近、残してみたもの、つまりアウトプットしてみたものを考えてみたんですよ。
で、ピエロを刺繍したんですね。
僕、刺繍をずっと、ここも最近ずっとやってて、刺繍をしてるんですよ。
で、昨日まで、本当この本を読んでない昨日までは、
ピエロは、ピエロを発想した瞬間があって、その瞬間がすごく楽しかったんです。
で、それを下書きとしてノートに残して、その下書きを次は刺繍に残す、表すだけなんで、
その下書きをする段階が一番楽しい段階だと感じてたんですよ。
で、刺繍するのももちろん好きなんですけど、刺繍してる時間よりも発想がブワーって広がった段階の方が楽しいと思ってたんですが、
自分って、僕自身って、そういうファストなというか、一瞬で終わるものが好きだったんだっけみたいなことを考えたときに、
一瞬で終わるもの、その発想がブワーって広がって、すぐにノートに書き残せたんで、
そこまで費やした時間はほんまに1時間とかかからんぐらい、
そのピエロに至るまでのノート1ページ、文章でバーって書いていったんですね。
生きるって何かなみたいな話から書いていったんですよ。
で、その最後の行に達したときに、これってバランスが大事だなって思って、
バランスに乗ってるシーソーを刺繍したいなって思って、
そういう思いを刺繍に残したいなって思ったんですよ。
で、シーソーかと思って。
で、シーソーを乗る子どもと大人とかやったら、いい感じにバランス取れてるかなって思ったんですけど、
それって人工物質じゃないですか、全部。
人間から人間が作ったシーソーみたいな。
でもバランスが取れてないなって思って、シーソーが。
バランスって言ってんのに人工物質でグッと固まってるのって、
全然バランスが良くないなって思ったんですね。
で、なったときに次にバランス取れてるもの何かなって思ったときに、
下普通にシーソー書くときって三角に、シーソー横から見たときっすよ。
三角の上に長方形が乗ってるみたいな。
で、これは上下に、シーソーの端っこと端っこが上下に斜めになってる。
だから長方形が斜めに右上がりなのか、右下がりなのかになってるっていうのを思い描いたんですけど、
これ別に三角じゃなくても丸でいいじゃんって思って、
丸の上に長方形乗せたら、
バランスボールの上に、球の上に直方体が乗ってるみたいなのを思いついて、
これ結構サーカスチックだなと思って、
いいぞと思ったときに、サーカスって何かなと思ったときに、
昨日たまたま思い描いた日の前日に、
ジョーカー2。映画のジョーカーってあるじゃないですか。
ジョーカー2が制作されるかもみたいなニュースを見てたんですね。
多分それの影響だと思うんですけど、
ジョーカーかと思って、ピエロ乗せたらおもろいなと思ったんですよ。
で、ピエロって調べて、
ウェブサイトで。
で、同型とか同型種とか出てきたし、
ピエロの意味みたいなのも調べて、
なんと覚えてないんですけど、いいなと思って、
自分のコンプレックスとかを笑いに変えるというか、
笑いを届けるみたいな、でも自分はおかしな格好をしてるみたいな、
その矛盾を抱えてたりとかするところに、
ピエロのデザインとバランス
なんか惹かれたりとかして、これすごくいいなと思って。
で、丸の上に直方形のようにピエロ乗せたら、
絵になるなと思ったんですね。
これは絵になるなと思って。
でもこれもさっき言った通り人工物で埋め尽くされてるというか、
うーんって思った時に、やっぱバランスって何のバランスかなと思った時に、
今僕がというか多分誰しもがと思うんですけど、
直面してるのが自分の思いを実現するのかどうか、
もしくは経済的に成り立つのかどうかだと思うんですよね、
究極的には。
経済的にの中に健康面だったりとか、
寿命だったりとかそういう身体的な健康があって、
その身体的な健康と精神的な健康のバランスが大事かなと思ったんですよ。
これ来たわと思って。
身体的なバランスだから食事じゃないですか。
睡眠と運動と食事だと僕は思ってるんですけど、
物理的に書けるというか、無機物的に?
なんて言ったらいいんだろう。
物として書きやすいのが運動とか睡眠ではなくて、
食べ物だなと思ったので、食べ物だと思って。
じゃあもう一つは思いとかをどうしようかなと思った時に、
キリスト教の一文で、
キリストがパンの中にバラが必要だみたいな、
そういうパンとバラを二行たれて並べて、
そのメタファーとして愛と生活とみたいなのを、
両方大事だみたいな、
生きるのにパンは必要だけどバラも必要だみたいな、
そんなのがあった気がするんですって思い出して、
キリストバラとかで調べた中、
パンとかバラとかあんまり出てきてなかった気がするんですけど、
どっちが出てきてた?パンかな?バラかどっちが出てきてて、
普通にじゃあパンとバラでいいよと思って。
持たせるパンも、食パンがいいかなと思ったんですけど、
例えばね、ピエロがフランス発祥だったとした時に、
だったらフランスパンもらわせたくないですか?とか、
もしくはピエロがイタリア発祥だった時に、
ちょっとピザ持たせるのも面白いなとかって思ったんですけど、
多分ね、ピエロ発祥ってどこだったっけな?
ドイツとかだったっけな?
フォッカッチャとかそういうところが有名な地だったんですよ。
フォッカッチャかと思って、
フォッカッチャを刺繍するってなったら、
丸三角っぽい茶色いものを持ってるってなったら、
結構刺繍でまだ僕の技術レベルとは表しづらいなって思ったんですよ。
じゃあ食パンでいいかってなって、食パンを書き始めまして、
食パンとバラを持たせようと思って。
バラかと思った時に、
普通に刺繍したいけど、誰にも渡さなくなってもしょうもないなと思ったから、
母の日だからなと思って、お母さんにあげようと思ったんですね。
だからバラっていう意味合いもそこでカバーできるというか、
プレゼントした時に。
デザイン的にも可愛くしたら受けるものになるかなと思ったんですね。
そこでも裏メッセージ的には今話したような、
もしくは今から話すようなこともまだまだ全然あるんですけど、
っていうのを含ませつつ、
外見はポップにしておくみたいなのも考え思いついて、
パンとバラの意味合い
それってめっちゃピエロじゃんと思ったし、
そうそうそういうバランス、
自分の思いもあるけどそれを共有しすぎないみたいなのもバランスだなって思って、
すごくいいメッセージというか、
自分の中ではしっくりきてるメッセージが残せそうって思ったんです。
もう少しチップスを話すと、
右手にバラなのか、右手にパンなのかみたいな、
どっちの手にどっちを持たせようかなって思った時に、
それもちょっと調べて、
現在と過去と未来、
右が過去なのか左が過去なのかみたいなのを調べて、
両方出てきたんですよ結局。
なるほどねって思って、
でも資料とかに作成する時とか、
教科書とかめくるのってやっぱり右が新しいページになってたりするじゃないですか、
右肩上がりとか、
数学的なものって、
だから右手が未来かなと思って、
左手が過去かなって思った時に、
ピエロってさ、
ワンピースの同期のバギーってキャラクターいたなって思って、
僕ワンピース好きなんで、
ありだなって思って、
僕ワンピースが2年ごと2年前があるみたいなのが、
ちょっと面白いなって思ってて、
過去と未来を区切り分けてる、
空白の100年とかもあると思うんですけど、
過去と未来も表してる漫画だと思うんで、
おもろいなと思って、
バギーの2年前と2年後、今の姿を過去と未来で表してみようと思って、
ピエロから見て右側を、
2年後の赤一色の先竜同期のバギーのカラーリングにして、
2年前のルフィと出会った頃のバギー、
同期のバギーの衣装にしたんですよね。
なんかその辺もちょっと手込んでて、
服、それを着せてください、誰かに。
インスタグラム見てもらったらいいと思うんですけど、
僕のインスタを見たピエロの絵を見た時に、
見た人から見て、
右側が今言った過去のバギーの服装をしてて、
左側が未来のバギーの服装をしてるんですよ。
さっき言ったことと逆じゃないですか。
発想と刺繍の時間
人は右側を未来と思い込みやすいから、
本当であればピエロ自身の衣装の左側を未来のバギーにすべきで、
右側を過去のバギーにすべきだったところを、
ピエロ目線で右を未来、左を過去。
で、やったんですよ。
そこはテレコニーせずに。
だから自分、スマホを見てる人から見たら、
右側が過去のバギーの服装を着てるっていう、
みたいなテレコニーしたんですね。
それは、そこも矛盾というか、
相手視点なのか自分視点なのかみたいなのを相対化できるみたいなのも、
そこの意味として、
イミテーションっていうか、
イメージして付与したと思ってます。
自分の中では。
みたいなそういうのが結構いろいろ重なってて、
下書きは紙とペンなんで、
白黒なんですよ。
それをまた色にしたときに、
意味を持たせたいなとも思ったんで、
色の意味のところをバギーに、
バギーばっかり出てくるんですけど、
ワンピースのバギーのようなカラーリングにして、
全体的な配色的に、
シーソーって言ってた長方形と丸は、
配色的にはこの色がいいかなと思って作って、
バラを持たせて、
パンがそこでまた浮いてくるんですよね、茶色だから。
カラフルなところに、
浮いた色が入ってくるんで、
逆に目立つ。
パンって分かるみたいな見やすさも考慮した上で、
すごくいいデザインだなって思って刺繍しました。
みたいなのを考える、一瞬で考える時間、
1時間くらいで考えたんですけど、
すごく好きだったんですよ。
ちょっと話戻りますね。
発想する時間が好きで、
それを刺繍にするときは、
刺繍のことばかり考えるんですよね。
どういう順番で刺繍しようかなとか、
刺繍する技っていうか、
縫い方が何十種類あって、
それはどれを使おうかなみたいな。
でも自分ができる技っていうか、
ステッチの種類は限られているから、
新しいのを挑戦するのか、
もしくは今までのステッチをより向上させるのか、
どっちへするのかみたいな。
もしくは練習してからするのか、
みたいなのを選択するみたいなのに、
発想しないんですよね。
クリエイティブじゃないんですよ、そこは。
一応クリエイティブのを使ってるんですけど、
どういうステッチしようかとか、
どういう配色をしようかとか、
どういう順番で縫っていこうか、
クリエイティブのを使ってるんですけど、
一回ポンって決めたら、
それをずっとステッチし続けるだけなんで、
ずっとクリエイティブなのを使ってるわけじゃないんですよね。
なんで、この世界と私のA to Zを読む前までの自分は、
クリエイティブな時間が好き、
クリエイティブに、ファストに、
一瞬で想像する時間が好きで、
使用する時間は、
それに対して出てくるゆっくりした時間として、
スローを両方楽しめる時間として好きだと思ってたんですけど、
この本をちょっと読んで発想してから、
あれ、俺ファストが好きなんだっけと思って、
その一瞬でクリエイティブする。
いやいや待てよと、
そのファストを形にするのもやっぱり、
嫌いじゃないからしてるんだろうし、
そこに意味があると思ってるからしてるんだろうし、
ただ、そのファストで出てきた、すぐに出てきた発想で、
終わらせていくのはもったいないって思ってるし、
それをやっぱり物にする、形にするっていうのは時間がかかるし、
それをやっぱり色鉛筆とか、
アナログ、デジタルで書き写すことも今はできるじゃないですか、すぐに。
やっぱり刺繍するのはめちゃくちゃ時間かかる。
色鉛筆とか色ペンで塗るよりもめちゃくちゃ時間かかるから、
時間かかるんですよ、刺繍の方が。
だから、だからっていうか、でも刺繍を選んでるから、
やっぱりファストが好きだけとは言えないというか、
その時間をかけることにも意味があると思ってるし、
意味があるのは二の次なんですけどね。
本当は本来というか、刺繍してる時間がまず第一に好きで、
発想したものを自分で作ってるっていうのが好きだから作ってて、
すぐに色鉛筆とかデジタルで作ることは時間かけづらい、逆に。
時間かけづらいことだから、少し好みではないので、
時間がギリいい分に、いい感じに自分の負荷、
時間がいい負荷となって自分に降り注ぐ衆っていうのが好きなんだなって自認しました。
何が言いたいかっていうと、
昨日まではファストな、いや、刺繍の時間も好きだったんですけど、
やっぱり発想する時間っていうのが一番に来てて、
発想する時間が一番に来てて、その次に不自由して出てくる、
刺繍する、ゆっくりする時間が好きだと思ってたんですけど、
今はその好きっていう感情、両方好きっていう感情を踏まえつつ、
ファストの時間も好きだし、
そのファストの時間をスローの時間で作り上げていくっていう時間も好きみたいな感覚に変わったって思いました。
これはファストとスローをこの文章で読むことによって、
自分の中で相対化されて、
自分の中でアウトプットしてるものってなんだっけって思ったときに、
スローにアウトプットしてるな、
でも最初好きだって思ってたことはファスト、
発想はファストで出てくるし、
それをスローで出してるみたいな構造になってて、
やっぱりそのスローの時間が好きだなって思った。
どっちも好きなんですけど、
難しくなってきたって思いました。
アウトプットする仕事と学びの意味
次、Podcastで発信してることについて話しますと、
結構ファストにしようと思ってるんですよね、
挙動的に。
刺繍もそうなんです。
そういうところあるんですよ。
どうやったら効率的にというか、
時間を省けるところはどこかなとか、
システムで何も考えずにできるところはどこかなって
考える癖がついてて、僕。
だからファストを根本的には求めてはいると思うんですよね。
今ちょっと思いつきながら言いますね。
ファストを効率的にして、
ゆっくりな時間をゆっくりとして過ごすために、
効率化できるところは効率化したいって思ってるんだと思うんです、僕。
わかりますか。
だからゆっくりな時間をちゃんと確保するため、
一種で言うと、まずアイデアが出てきて浮かぶ時間と、
それを物にする時間という2つの時間があったときに、
早いのは前者で一瞬なんですよ。
その相対的に刺繍する時間と比べて。
後者の刺繍する時間をちゃんとゆっくりとるために、
このファストからスローに行くこの作業が転換するところに、
効率化ポイントがあるんじゃないかなとか、
そのスローに作業してる時間の中で、
ファストにできるところは何かなって探したりしてるんですよ。
やっぱり刺繍はステッチをする時間が好きだったりとか、
ステッチこういう風にしてたらかっこよくなるんじゃないかなって考える時間が好きなんで、
両方好きなんですよ。
考えるのも手だけ動かすっていう脳の使い方をしてるときも。
だからゆっくりをゆっくりとして共有したいために、
ファストをしっかりと考えたくて、
ファストをしっかりと考える時間っていうのは僕は何らなくしたいとも思ってるんですよね。
だってそれは本末転倒じゃないですか。
ファストがめっちゃ楽しくて、スローもめっちゃ楽しくて楽しんでるんですよ、自分の中で。
それをいかにファストを短くしてスローを長くするかみたいなのを考えるのって、
ファストでもスローでもない時間なんですよね。
第三の時間として出てくるんで、これもなくしたいんですよ。
けど、これをなくそうとするとファストがファストにならなかったりとか、
スローをちゃんとスローとして落とし込めなかったりとか、
享受できなかったりとかするので、
この第三の時間っていうのもすごく大事だなって思うんです。
そうなんです。
これめっちゃそうだわ。
以前前の会社で働いてた時もすごく感じるところがあって、
それは何かっていうと、働いてる時間があって、働いてない時間があって、
もう一個研修だったりとか、社内の人と社外のことを話すとか、
農に触れたり畑に触れたりとか、
会社の中の研修の一環として文化芸術に触れたりとかみたいな時間があった。
これはもう第三の時間、でも強いられてる第三の時間だったんですよ。
でもこの三つがあることによって、
仕事してる時間、仕事してない時間、
仕事してるけど仕事してない時間みたいなのがあることによって、
両方のことを俯瞰できたんですよね。
やっぱり仕事してる、仕事してない時間の二つだけだと、
相対化しづらい、俯瞰しづらい、メタになりづらいんですよね。
そのメタ、二項差率からもう一個出すためには、
三つ目の視点とか三つ目のポジションが必要だなと思って、
すごくそれを会社にいるときに感じました。
次、僕の使命としてアウトプットしなきゃいけないこと、
その仕事があって、
それの問いが、まずは前回言った同窓会をするには。
もう一つが、これは本物の問いというか、
ちょっと本質的な問いで、
学びとは何かについて考えるワークショップをするんですよ。
だからつまり学びって何かなっていう問いがあってみたいな。
もう一個が、そもそも仕事をするかどうかみたいな、
今来てる仕事、受けるか受けないかの仕事をするかどうかの
決めるための仕事があって、
つまりしたいかどうかとかできるかどうかとかを考えるための仕事があって。
真ん中の二つ目の学びとは何かについての問いに対して、
何かしらのアウトプットをしなきゃいけないっていう仕事があるんですよ。
その時に、だって僕自身がこうやっていろいろ考えてるじゃないですか。
ピエロにしろ、Z世代の本を読んだ感想にしろ。
自己評価と他者評価の相対化
その考えることとかが、そもそも学びだし、
僕自身にとってこれどこかで活かされるものだと思うんですよ。
で、活かされた瞬間が学びなのかな。
そうなってくると学びって、今思ったけど。
こうやって何かわかんないな、
だから問いかけをしてみるみたいなのから、
問いかけに対して理解しようとする。
で、理解した時が学びかもしれないし、
でもそれは本当に学んだだけというか、
入れただけ、インプットしただけだから、
それを活かす時、学びを活かす時、アウトプットする時が、
何かを学んだって言えるんじゃないかなと思うし、
そのもう一個先に、学んでやってみた上で、
いや、違うなみたいな、なんだろうなこれっていう問いを持った時にも、
より一層学んでるんじゃないかなとも思うんですね。
ってなった時に、学びとはっていうのを伝えることは、
すごく難しいんじゃないかなって思いました。
難くないですか、そうなってくると。
やっぱり学びとはに対して伝えるようにしちゃうと、
自分だけ学んじゃってるんですよね、それって。
向こうは入れてるだけ、それこそインプットしてるだけ、
それを実際にどっかで使おうと思ってもらわないといけないし、
使ってもらわないといけないと思うんですね。
それを強要するのがいいのかどうかみたいな、僕的な価値観もあって、
でもやっぱり一回やってみる、素直に一回やってみるっていうのが
大事だと思ってるっていう価値観もあるんで、
一回やってみたらとも思うし、一回やってみてもらって、
それをミスしようがどうなろうが、受け入れる自分の心持ちとか、
もしくは環境面のバックアップも自分の中に必要だなとも思うんです。
ってなってくるとすごくないですか、仕事上っていうか、
考えるものが。
どういうアウトプットにしようかなって今、漠然とですけどね、考えてる状況です。
で、1個思いついてるのが、あえて自分を考えてるもの、今のこの稽古をたどったときに
相対化して自分と相手との違いを見つけて、その違いって何かなって思って、
それを聞きに行くとか、その違いに対して一応理解した上で、
その相手を重んばかって話すことって結構学びになるかなと思うんですよ。
そもそも学びをその人が相対化しないと、学びにもなりづらかったりするし、
でもこの相対化っていう価値観を学ばせてあげたいのかなっていう自分もいるのかなって思って、
そういう話をしてるときに。
相対化したときに、難しいな。
学びを相対化して、その相対化した学びを学びとしてどっかに生かしたときっていうのは、
ずっと相対化し続けた上で、学びを相対化しようとしてる、
俯瞰しようとしてる、メタで学びを見ようとしてるっていうのがそもそも学びだなと思うし、
学びを自分の外から見たときに、
これって過去できなかったけど今できるみたいなので、
これも相対化じゃないですか、一種の。
でもそれって何をしてるかっていうと、
相対化してる、自分の過去と自分の今を比べてできたかできないか、
学びがあったのかどうなのか、
BDCAサイクルを回したときに、プランしたときに、
プランデュー、チェックアウト、アクション。
アクションしたときに、そのアクションがどうだったのかを
プランでもう一回考え直すみたいなのも相対化じゃないですか。
やっぱりこの相対化する力が学びになるし、
相対化することで、
次のアクションがいいアクションになる可能性が高くなりやすくなると思うんですよ。
ただ、こじらせもする可能性はあって、
僕結構こうやってそういう風に相対化することで、
落ち込んだりとか、しんどくなっちゃったりとかするときもあるんですよね。
こうやって厳禁にばーっと喋って、
相対化相対化って言ってる自分がいて、
何かアクシデントとかミスとかトラブルがあったときに、
相対化できない自分がいて、
相対化できない自分も相対化したことある自分ではあるから、
コミュニケーションの面白さ
なんとかしてテンションを上げようとするっていう相対化の力を働かして、
テンションを上げようとするんですけどできなかったりとか、
できるできないのその間のギャップの自分に落ち込んじゃったりとか、
なんかやらせなくなったりとか、
こんなことしても意味ないんじゃないかなって思ったりとかしちゃうんです。
だからその相対化っていうものを力を持ってるがゆえに、
しんどくなる人もいるんじゃないかなとも思いました。
いないとも言い切れない、いるとも言い切れないんですけど。
だから相対化が必ずしてもいいとは思わないみたいなのも根に持ちつつ、
どうしようかなと思います。
僕一人だけで作るものじゃないんで、話しながらですけど、
どうなるか楽しみっちゃ楽しみですね。
同窓会も含め、仕事をそうしないにも含め、
自習をどうするかも含めです。
相対化するワークの内容もちょっと考えついたんですよ。
そういったワークの内容もすぐ考えついちゃったりする時があるんですよね、なぜか。
その内容が、自分を5段階評価の3番として、
相手は1番なのか2番なのか3番なのか4番なのか5番なのかを決めるみたいな、
ゲームが面白いかもなって思って。
例えば、私はよく考える人だっていうテーマがあった時に、
自分をよく考える人だの中心に置いてみるんです。
3番として置いてみた時に、
そのもう一人と話す時に、例えばAさんが自分だとして、
自分を3番とします、仮に。
そのAさんがBさんのことを見て、
自分より高いのか、5に近いのか、もしくは1に近いのかをどうしようかなみたいな、
当てるのもいいと思う。
その人がどう思ってるのかを当てる。
もしくはBさんがAさんにどう思われてるのかを当てるとかも面白いなと思うんです。
もし、どっちでもいいです。
AさんがBさんを当てる、もしくはBさんがAさんにどう思われてるのかを当てる。
どっちでもいいんですけど、
そのセッションが終わってから、何でそう思ったのかとか、
何でそう思わなかったのかとかっていう違いが出てくるかなと思うんですよね。
ズレが生じると思うんですよね。
その時に、より一旦ファーストステップで3番。
自分は中心、1、2、3、4、5の3番とおいて、
相手を3番とおくか5番とおくかみたいな相対感のステップをファーストステップ踏ませる。
その次に対話させる。
何で3番じゃなくて4番と思ったのかとか、
自己の位置の相対化
何で自分は5番と思われてたんだろうって問い言を必然的に出させる。
それを擦り合わせさせることで、
君はそういう思いが持てるんだねというか、こういう違いがあったんだねってなる。
スムーズな行き方ですけどね。
年齢とか考え方の差異はあると思うんですけど、
ファーストステップ的により一層相対化した理由を聞くことで、
違いが明確化する。
よりクッキリと明確に相対化されるかなって思って。
ファーストステップ、セカンドステップでより相対化っていう練習を積み重ねていった時に、
例外と話す時に、自分は3番として仮において、
相手は4番だからこういう言い方の方がいいかなって、
おもんばかれる可能性が出てくるかなとか。
もし自分はあなたのこと3番、4だと思うんですけど、
どうですかって聞いて、自分のことは3番だと思ってたんだ、
私は4番だと思った、ちょっとここずれにありますね。
これ、なんでですか?
なんで3番と思ったんですか?なんで4番と思ったんですか?
みたいなコミュニケーションになっていく。
それを繰り返していくと、
自分と相手とのずれを相対化しながら、
うまくコミュニケーションを擦り合わせられて、
円盤になっていくんじゃないかなみたいな想像をしたりとかしました。
これすごく面白いかもなと思って、やってみてもいいかもなと思ったんですよ。
ゲームというか、自分を3番と置いて相手のことを考えてみようみたいな。
面白いかなと思って。
って思いました。
これが話したかったんですよ、正直。
『A to Z』を読んでの感想
全部話したかったことなんですけど、
ここまでたどり着いちゃったんだ、この本を読んでて話したくて。
まだ5章までしか読んでないんですけど、
本当にいろんな感想が出て、そこから自分に落とし込んだりとか、
社会と自分を目高したりとか、相対化して捉えてみたりとか、
自分の覚悟とか、昨日この本を読む前までとかを考えたりとかして、
自分がアウトプットしたものに対して考えてみたりとかしたきっかけになりましたね。
Z世代というか、何て言ってるんだろうな。
Z世代を知る目的でこの本を読んでもいいかもしれないし、
もしくは自分が共感するところはどこだろうとか、
自分が共感できなかったところはどこかなっていうズレを探すのにも面白いんじゃないかなと思います。
僕もこの本を5章までですけど読んでみて、すごい共感するポイントが多いですね。
やっぱりZ世代のことについて他方面から話してくれてる、説明してくださってるんで、
すごい共感するところが多い中に共感できないところがあったりとか、
この人有名、Z世代を代表するみたいなのがあるけど、
僕知らないなとか、そこはやっぱり僕がSNSあまり見てないからかなとか、
その辺の共感できない部分ができたりとかして、
より考えるきっかけにもなったりとかしたんです。
なのでそうやって自分の共感できるポイント、共感できないポイントとか、
相対ができるポイント、相対ができないポイントみたいなのを読みながら、
考えながら読んでいくと面白いんじゃないかなって思いました。
まだ全部読めてないんですけど、読み終わったらまた話したらなと思いますし、
話したくなかったら話さないかなと思いますし、
感想はSNSでシェアしようかなって思ってるんですけど、
先にポッドキャストで話させてもらいました。
よかったです、今日は本読んでて話せてよかったと思います。
今日もお聞きいただきありがとうございました。
りゅうちゃんの一人言では皆さんの一人言を募集しております。
読んだ本の感想でもいいですし、おすすめの本があったらぜひ教えてください。
そして話してる中にも出てきましてけれども、刺繍をして販売しております。
オーダーメイドでこういう刺繍してほしいっていうものがありましたら、
受けたまっておりますので、刺繍もできるものでありましたら、
あなたのお洋服にもさせていただくことも可能ですし、
もしくはロンティとか半袖とか、ドレーナーとかあるものに刺繍したいなと思っているので、
何でもその辺は柔軟に対応していけたらなと思うので、
ご注文していただけたらありがたいですし、
どういう作品作ってるのかなと思った時に、
インスタグラムとか見ていただけたらと思います。
ではちょっと最後長くなりましたけれども、
今日もお聞きいただきありがとうございました。
皆さん今日か明日かお元気で楽しんで、癖強めでお過ごしください。
ありがとうございました。
51:55

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