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2025-02-24 42:46

EP072『人を賢くする道具』 PART2

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## 取り上げた本

『人を賢くする道具: ソフト・テクノロジーの心理学』D. A. ノーマン 新曜社 1996

『人を賢くする道具 ――インタフェース・デザインの認知科学』D. A. ノーマン ちくま学芸文庫 2022


## mixi2

https://mixi.social/communities/513e0bc9-582b-4962-a9c1-c5c076175e08/about


## ShowNote

https://gennei.notion.site/EP072-PART2-1a0c645d491180eb87b9f94b95a5bfc0?pvs=4

サマリー

エピソードでは、科学を体験することの重要性や教育におけるインタラクティブな授業の可能性について議論されています。また、フロー状態や体験的認知に基づく学習法のデザインが取り上げられ、ノーマンの洞察が教育や学習に与える影響について考察されています。認知のアーティファクトや心のパワーについて語られ、外部からの刺激が思考に与える影響の重要性が掘り下げられています。さらに、表現の力やデザインの意図についても考察されています。また、表現と認知負荷の関係について議論され、人間の認識にどのように影響を与えるかが探求されています。アーティファクトの適合や表層表現と内部表現の重要性にも触れ、物理的構造が人間の理解を助ける役割について考えられています。最後に、テクノロジーにおけるアフォーダンスの役割やその適切性の原則について議論され、情報の過不足がどのように影響を与えるかが探求されています。

科学体験の重要性
げんえい
じゃあ、2章に進みますか。 2章を進みますか。 2章のタイトルが、世界を体験するっていうタイトルですね。
面白い。 大きく出たなって感じはしますね。
なんか、MVBみたいな感じですね。 確かに。
きんじょうひでき
2章は、2章の最初の数ページ読まなくていいぐらいの感じがするんだよな。
げんえい
そうですね。別なところに気を取られて、シカゴの科学産業博物館の足が出てきて、
そんなのがあるんだとかって言って、わざわざWikipedia開いたり、リンクを探しに行ったりとかして、
何の話してんだっけと思って、ホームのことを忘れてしまうくらいに。
きんじょうひでき
そうですよね。科学産業博物館で、そこにあるコンテンツというか、展示物がすごいめっちゃイケてるみたいな感じになってたりはして、
エンターテイメントとしては楽しいんだけど、学びを得るために来た私としては非常に、結局何だったんだあれはっていう感じでしたみたいな。
げんえい
そうそう。体験した人にアンケートを取ったんだっけな。結局誰も何も覚えてないのであるみたいな。
そんな感じのことを書いてて、厳しいみたいな。いいじゃないか楽しかったなって思いながら。
きんじょうひでき
そこら辺の話も書いてありましたよね。
げんえい
そうそう。
きんじょうひでき
科学に興味を持ってくれるキッズたちを増やすたびには、こういうお楽しみコンテンツも強いでしょみたいな話。
インタラクティブな学習
げんえい
それは体験的認知だよねっていうようなことが書いてあるんですけど。
きんじょうひでき
第2章はどこら辺がグッときました?
げんえい
最後の方かな、メモしてる部分で、インタラクティブな授業や展示の話が出てきて、
人を引きつけて、学校の授業とかもこんな風にできないかみたいな話をしてるんですけど、
現代だとそうなってるよねみたいな。
ノーマンがこうなったらいいんじゃないって言ったことが結構そういう風に進んでるんじゃないって思ったりとかしていて、
これは余見してることがちゃんと当たっているって言い方をしていいのかちょっとわかんないですけど、
そこは結構やっぱノーマンすげえなって思ったりしましたね。
きんじょうひでき
ちゃんと未来の予測というか洞察みたいなものが散りばめられてますよね。
げんえい
こういうのって別に外れるじゃないですか。
だいたいこう言ってるけど、車は別に空飛んでないしさみたいな。
未来予測っていうのは外れていいから結構いろんなことを好きがっていう部分であるんだけど、
ノーマンが予期したことっていうのは結構当たってるなみたいなことをちょっと思いながら、
それぐらいシーンを送ったようなことを研究してたりとか、大事にしているというか、
いうところもあるんだなーっていうのは、この章だけじゃなく他の章でもそうなんですけど思ったりしましたね。
きんじょうひでき
そうですね。あとその学び方みたいなところがちょいちょい書かれてる章ではあるんですけど、
フロー状態と学習
きんじょうひでき
あれだな、僕結構オーって思って無線貼ったのが、僕の方で言うと34ページなんですけど、
体験をデザインするって言い方でいいのか、どういうふうにあるべきでないかみたいな話がその2種類の認知の話から書かれていて、
耐性すべき時に体験してしまうことを要請するようなデザインは良くないよねとか、
体験すべき時に耐性してしまうようなものは良くないよねみたいな話が書いてあって、
それだけ言うとまあまあそれそうじゃねみたいな感じかもしれないんですけど、
その体験的認知みたいな話からフロー状態の話にもつながっていってましたよね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
フロー状態は体験的認知が続きまくるとフローに入る?
なんも考えてないという、自覚的に考えてない状態ですもんね、ゾーンとかフローとか。
げんえい
そうですね。フロー状態、自分の方でいくと77ページとかに表にまとめてあったりするんですけど、
よく言えばフロー体験、悪く言うとコリコーナーだけとか不器用な場面転換と調子の良い音楽、
これがマルチメディアの娯楽的側面というわけだ。
つまりよく言えばフロー体験とか集中してフォーカスしてみたいな部分だけど、
悪く言うとまたまたにYouTubeで面白い動画がひたすら流れ続けて、それにかじりついてるだけだっていう言い方をしてて。
でも確かにフロー状態の話で、そういうふうに捉えたことなかったなって思いながら。
たぶんこれがちゃんとさっきの体験的と内製的の認知はちゃんと設計されてフロー状態になってればいいんだけど、
ただ単に内製を流したいのにフロー状態になってしまうとか、
だと多分あんまりちょっとずれてるねみたいな状態が発生しちゃうんだろうなって思ったりとかしましたね。
きんじょうひでき
小気味いいフィードバックがあってテンポよく進むとフロー状態に入りやすいみたいな話で、
げんえい
ロバートシー・マーチンはフロー状態は良くないぞみたいな話をクリーンクラフトマンシップで言ってて、
きんじょうひでき
TDDはいい感じにフィードバック、ゲーミフィケーション的なバーッと刺激が来るからフローに入りやすいみたいな話もあった。
でもただこの悪く言うとの方のフロー体験の地面を見ると、
あんまりプログラマーはフロー状態に入らない方がいいんだろうなって感じがしますよね。
げんえい
そうですね。
多分書いてるコードが本当にちゃんと目的を達成してるのかどうかを置いてけぼりにしたまんまコードを書き続けると、
ヤバそうみたいな感じは若干ありますね。
最強の設計DIで何でも差し替えできるぞって出来上がったけど、
ふと見た時にあれこれ要件と全然合ってなくね?みたいな。
でも一方でちゃんとフォーカスタイムを作りましょうみたいな。
カレンダーを寄せて、ミーティングを寄せて、隙間を作ってちゃんと作業できる時間を確保しましょうみたいな。
そういう部分もあるから、なかなかちょうどいい塩梅があるんだろうなって思いながら、
確かに別に15分だけ与えられても仕事はやりづらいよなみたいな感じもあるし、
適度に集中はしないといけないっていうのがまた難しいなってありますね。
きんじょうひでき
そうですね。小学生だったらドッジボールして帰ってこれるんですけど、15分あれば。
げんえい
確かに。
きんじょうひでき
なかなか大人はそうもいかないので。
まあでもフロー状態とディープワークみたいなのはまた違ったりしますからね。
全然余談なんですけど、77ページの図がみたいな厳重していて、
たまたま全然違う77ページに僕の方でも図があって、
この図が本当に良かったのっていう感じの図があったんで、今気づいて笑ってました。
げんえい
なるほど。じゃあ全然この挿し示しているものが違ったということが。
きんじょうひでき
違いますね。
げんえい
やっぱアドカバーを買うべきだったかな。
きんじょうひでき
いや、手に入りやすい方で。
でも第2章そんな感じかな。
何かあったっけな。
ああ、あれじゃない。3種の学習みたいなやつが。
げんえい
うんうん。ありましたね。
きんじょうひでき
ありましたね。
げんえい
数積と調整と再構造化ってやつですね。
きんじょうひでき
そうですね。
げんえい
なんか読みながら、うーんっつって目が滑ってましたね。割と自分のここ。
きんじょうひでき
僕はわざわざページ採って箇条書きしてるから大事そうだなって思って見てたんですけど、
何に繋がるんだろうな。
蓄積っていうのはデータ集めるとか、事実を集積するって書いてあるか。
暗記するとかパターンを知るみたいな話ですよね。
そうですね。新しい語彙やすでに知っている単語の綴りなどを学習する方法であるとかいうことが書いてあったりしますね。
げんえい
調整は覚えた公式をしっかり使えるようにするみたいな感じかな。
そうですね。
きんじょうひでき
知った言葉で自分で作文ができるとかも多分調整になるんだろうな。
そういうのなんか生み出しではないんですかね。
げんえい
そうですね。生み出すってよりは応用できるとかですかね。
公式を覚えたから公式を当てはめて出会ってない問題に対して、類似の問題に対して適応ができて問題が解けるみたいな。
こんな感じですかね。3たす4が7、3たす5は8みたいなのを見て、次3たす9っていうのが出てきて、これいくつですかみたいなのが答えられる。
きんじょうひでき
LLMっぽいな。
再構造化っていうのが一番難易度が高いというか負荷が高いというか最終段階なのかな。
で書かれてて、これ何かというと適切な概念構造を形成することであると書かれてますね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
でそのさっきの2つ蓄積と調整っていうのが割と体験的なもの体験モードが向いてる。で再構造化っていうのは内製モードが向いてるっていう風に書かれていて、
さっきまで体験的認知内製的認知って言ってたのにいきなりモードの話になってるんですけど。
げんえい
本当だ。
きんじょうひでき
そうだから学習をさせるものそれ別にカリキュラムとかコンテンツでもいいし、テクノロジーというか何か道具でもいいかもしれないんですけど、
っていうのを考えたと何か作りましょうデザインしましょうっていうのを考えた時にどういうモードで使ってほしいかとかどういう体験を生み出す体験って言うと紛らわしい。
どういう時間を生み出したいかっていうのを考えた時に調整とか蓄積だよねっていうんだったら体験有利かもしれないし。
なんかより高度な概念化とか本当にゼロイチみたいなものかもしれないですけどクリエイティブなこととかやるんだったら多分より内製できるようにしていきましょうっていう話なのかな。
げんえい
そうですねそうですね。でてなってやったら結局それがその後どう繋がっていくんだっけみたいなのをちょっとわからなくて、
ここのとこ読んでてうーんって感じだったんですよね。
きんじょうひでき
どう繋がるんですかね。一人称的関与三人称的関与みたいな話も。
げんえい
そうですね。ありましたね。
きんじょうひでき
いや面白いんですよね。面白かったんだけど確かにどう繋がってんだろうな。我々が今再構造化できてないんじゃないですかこれは。
げんえい
確かに。読んで体験的に面白いなって。
きんじょうひでき
知識も増えたし蓄積したし。
げんえい
よかったよかったって。
きんじょうひでき
まあでもいいか。第2章そんなとこですか。
げんえい
そんなとこですね。ちょっと全部に引っかかってるとこれ多分すごく大変なのになるので。次に進みますか。
きんじょうひでき
そうですね。ちょっとペースを上げた方がいいのかな。
げんえい
確かに。
きんじょうひでき
第3章表現の持つパワーですけど。
げんえい
これめちゃくちゃ好きですね。表現の持つパワーって言ってるのは単純にその何か事実を羅列するとか視覚化するっていった時にちゃんと分かりやすいフォーマットとか関連性のあるものを近づけるとか。
いわゆる表現なんですかね。見やすいデザインというかみたいな部分の話をしている章ですね。
情報設計とかあそこの辺とかに近いなって思ったりとかしながら読んでましたね。
全然今手元のメモを見ずに喋ってたんですけどパッて顔上げたらそのメモに全く同じことが書いてあって本当にそれを思って読んでたんだなってびっくりしました。
きんじょうひでき
そうですよね。このノーマンっていう人がフォーランスとかそういう話が大事にしてるというのはあまりあれなんですけどそこらへんの概念にすごい向き合っている人がこういうこと言ってるよねっていうのを考えると表現方法とか形式によってそれを見た人の中に生まれ得るものが違ってくるよね的な話につながっていくわけですよね。
げんえい
そうですねそうですね。
きんじょうひでき
まあねそれこそどのフォント使うかによって全然想起するもの違いよねとかそういう話もあるかもしれないし。
でこの章でいうとアーティファクト認知のアーティファクトっていう話が概念単語が出てきますね。
アーティファクトが結構なんかそのさっき言ってた2つの認知とこのアーティファクトっていうのがなんか僕がこの本1冊読んだ感じだとなんか最重要ワードトップ3かなー的な感じがしてますがしてるんですけどアーティファクトが結局何なのかよくわからなかったんだよな。
なんかなんとなく雰囲気はわかるんですけど説明できるかって言われるとなんだろうなーって感じだったんですけど。
認知のアーティファクトと心のパワー
げんえい
なんかあんまりこのノーマンテクニカルタームっぽい感じなのにあんまりその典容の言葉をちゃんと説明してくれないっていうのはちょっと不親切さありますよね。
きんじょうひでき
あんまりちゃんと説明してないですよね。
いやお前の読書技量が低いんやでって言われたらすいません○○とは○○である形式で読んでないとインストールできないですみたいな感はあるんですけど。
げんえい
意図的にそのこういうふうに認知してほしいという意図的な設計みたいなことなのかなーみたいな。
本当の人工物その目の前にある本当にある人工物ってよりはその概念をそれは人工的に意図的に設計して作ったもんだから認知のっていうのがついてアーティファクトっていう風に言ってるのかなーっていうような気はしましたね。
きんじょうひでき
何かしらの作為があって生み出されているものインタラクションを生むものみたいな感じですよね。
自然物はアーティファクトではないであってます?
げんえい
うん、言ってると思ってます。
きんじょうひでき
なんかでも例えば山の風景を見て想起するものはあるじゃないですか。
ってことはなんか私っていう観察者がその対象物を見て何かを感じてるわけですよ。
フォーダンスは眠ってるのかなーみたいな気はするんですけど別にそれはアーティファクトではない。
げんえい
そうですね、なんかそれを利用してあ、つまり山を見た時にはこういうことを想起するとか山を見たらあ、登ってみようって思うとか
そういうことを利用してじゃああるデザインの中に山の写真を埋め込んでみるとか山風景を取り入れてみるみたいなのが認知のアーティファクトっていうことなのかなって思ったりしましたね。
きんじょうひでき
なるほど、デザインされたものみたいな感じですかね。
げんえい
そうそうそう。
きんじょうひでき
って一言書いてくれればよりやすいんだけどなー。
げんえい
なんか自分は割とそんな感じで呼びましたね。認知のアーティファクトって言ってるのは。
想起させる以外にもまあもしかしたら何かこんな風に使わせるとか何か手に取ってしまうとか。
そこにやっぱり意図した仕掛けがあるから人工的、人が意図的に何かそこでしてほしいことがあるからアーティファクトっていうことをわざわざ言ってるのかなーみたいな。
なんか今だったらもうちょっと違う言葉を使いそうですけどね。
きんじょうひでき
またアップデートバトルアップする。
げんえい
普通に仕掛け学とかまあなんか広く言うとUXって言葉で片付けちゃいそうだなって思ったりもします。
きんじょうひでき
あともうちょい文脈を補うというか輪郭を削り出すとすると、
このアーティファクトっていう単語が最初に出てくるこの第3章の1ページ目だと思うんですけど、
第3章がどういう始まり方していくかっていうと、心の持つパワーは課題に評価されているっていう文章から始まってて。
普通にそういうことを言うから不安になるんですけど。
心とか思考とかっていうのが人間の中にあって、それが自律的に何でもかんでもできるかみたいな話で言うと、
たぶんそこまで完璧なものとか完全自立したものじゃなくて、誰のためのデザインでもありましたけど、
外部的な知識でしたっけ?言い方。
道具とか外から何かきっかけを得て初めて何か思い出したりとか考えたりとかっていうのが初めてっていうか、
ゼロイチじゃないですけど、外からの刺激によって1から100みたいな大きくエンパワーメイトされるよねみたいな話があって、
っていうニュアンスで心の持つパワーは課題に評価されているっていうことが書いてあって、
じゃあその心だけだとそこまでそんなにできないやろっていうのに対して何か支援してくれるものとしてアーティファクトみたいなものがあるよっていう感じのことが書いてありますね。
デザインと表現の力
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
僕でもここも結構好きなんです。読みづらくてイライラしてるんですけど、
あくまで心の持つパワーっていうのがあって、心のパワーを補完し増長するために作り出した認知のアーティファクトっていう表現してるんですけど、
なんかここも少し人間中心っぽい文章だなと思って、いいなっていう気がした次第です。
げんえい
確かに言われて、今すごい悩みましたね。
だからノーマンはやっぱり人を信じてるというか、
人を過剰に評価してしまうと多分それはできる人がいたりできない人がいたりさみたいな感じに人の方に原因を寄せてしまうかもしれないけど、
やっぱり人を中心に課題に評価しないとかいうところまでちゃんとやると、
やっぱり人間っていうのは別にそんなにすごいものでもないし、そんな悪いものでもないんだよっていうことがわかってると、
やっぱりデザインでできることってどういうことがあるんだろうとか、支援するためにはどういうものが必要なんだろうっていうことが話せるようになるから、
すごくテーマとして一貫してるなっていうふうに感じますね。
きんじょうひでき
いいですよね。人間も好きだしテクノロジーも好きだし、かといってどっちも全然完璧だと思ってないんだろうなみたいな気がする。
げんえい
なんかすごいバランス取れた人ですね。
なんか世の中のって逆バリでテクノロジー最高っていう人と、いやそんなわけないでしょ、テクノロジーは危ないことにも使われるし、
なんならほら危ないでしょってすごくどっちかの極端に触れる人いっぱいいるじゃないですか。
きんじょうひでき
そうですね、驚き屋と逆バリ屋しかいないですからね。
げんえい
そうそう、けどノーマンすごいその世界観で見るとすごいちゃんと真ん中にいるぞっていう感じがしますね。
きんじょうひでき
そうですね、あと多分思考が早くて深すぎてあんまり表現が追いついてないんだろうなっていう感はある。
げんえい
そうね、それはありえそうですね。
そっか、第三章少しだけ読み進めていくと認知のアーティファクトっていう説があるんですね。
ありましたね。
きんじょうひでき
線を全然貼ってないから多分そこまでなんだろうな。
げんえい
そうなんですよ、自分も貼ってなくて。
きんじょうひでき
アーティファクトによって複雑な出来事の把握が容易になるのであるとか書いてますね。
これはそうなんだろうなっていう感じですよね。
適切な表現とか表現の持つパワーは話にもつながってそうだし。
認知のアーティファクトを理解するためにはまず表現というものを理解しなければならない。
お前このページまでその説明してなかったやろみたいな気がしてますけど。
表現というものを理解しなければならない。
表現のシステムは図3-1に示す2つの本質的な要素から構成されているって書いてあるんですけど、
この図は別にそんなに大したことないので別に気にしなくてよくて。
この2つの本質的な要素って言っているのが1つ目が表現されるものの世界、2つ目が表現するものの世界って書いてますね。
で、表現するものの世界っていうのが何か記号の集合とか、
それぞれの記号は表現されるものの世界の中の何かを代替イコル表現したものであるっていうようなことが書いてあって。
げんえい
これはね、我々で言うと本当のモデリングってこういう感じじゃんみたいな感じがあって、
きんじょうひでき
すごいピンときやすいし、なんか恣意的にどの側面を切り取るか、どの要素を残すかっていうのは本当にアーティファクトというか人工的だよね、
恣意的だよねっていう気はするので。
し、どこを切り取って何をどう表現するかによって何がエンパワーメントされるのかと本当に違いよねみたいな感じもあるので、
これはなんか分かるって感じでした。
げんえい
確かに。さっきちょうど山で例えるみたいな話したけど、この絵に引っ張られてたんかな俺は。
表現するものの世界、ちょうどキトイ山みたいな話があって。
その後ろの方に行くとアーティファクトにはいろいろな種類があるって体験のためのアーティファクトと内装のためのアーティファクトとその機能が異なるとかっていう話があって、
アーティファクトにどんどんどんどんどんいろんなものがくっついてますね。
きんじょうひでき
そうアーティファクトの話結構ずっと引きずりますからね。
終盤になるぐらいまでは結構ずっとやってますね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
この後のパズル問題みたいなのがひたすら続いているところをほぼ読み飛ばしたんですけど。
げんえい
そうですね。この辺は表現の仕方に、同じ問題を別の表現で扱っていて、どっちが分かりやすいですかみたいなこととかの話が出てきたりとか、
グラフの表現の仕方でどっちがグラフとして読みやすいですかみたいな話とか、
人間の認知とタスク遂行にどれぐらい表現というものが影響を及ぼしているかって、
これを見たら分かるでしょみたいなのがいっぱい出てきますね。
きんじょうひでき
どういう形で表現しますかまさにアーティファクトってことですもんね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
丸罰ゲームっていうのがズレかけばゲームとして成り立つぐらい分かりやすいけど、文章だけでこれやるの辛いよなみたいな話とかが書いてあったり、面白かった。将棋か?みたいな。
げんえい
それはそうっていう感じで本当に。
でもやっぱりここで、この中で結構自分がいいなとか好きだなって本当に深えるなって思ったりした部分でもあるんですけど、
病院で薬もらってくるとこれは食後でこれは食前でとかこれは寝る前にとかっていっぱい言われて、
大体お薬手帳に貼られてるとか一緒にもらう紙とかに全部書いてあるんですけど、
で結局俺は今昼飯を食ったけど何を飲めばいいんだっけとか全然わからなくてその紙をもう一回取り出して毎回読むみたいなことをやったんですけど、
それをちゃんと二次元の表にして朝昼晩就寝前みたいな軸とそれを横軸に縦軸に薬の種類を書いて、
飲む必要があるときにはチェックマークをつけていけばこれを一目見ればわかるよねって言われて、
本当だーみたいな天才って思ったりとかしながら、やっぱり表現の力ってすごいなって思いましたね。
我々多分二次元表に対する相性が多分めちゃくちゃいいので、
そうですね。
きんじょうひでき
量と列で結構いろんなものを表現しがちじゃないですか。
げんえい
わかるわかる。めっちゃわかる。
でもやっぱりそうやって実際自分がこの本の話から外れちゃうかもしれないけど、
自分がデザインするとか、デザインするって別に大層なことをやるわけではなく、
漏れなく仕事をこなすとか忘れないようにとか抜け漏れがないとかいうためにはやっぱりこういう表現の力を借りて、
自分が考えていることがモーラ的であるかとかいうことは結構今までも意識してたし、
やっぱりそこが何に支えられているのかっていうことがここを読んでるとよくわかるなっていうふうに思いましたね。
メディアの特性とバランス
きんじょうひでき
マジですよね。だから。
げんえい
文章だけでね、やるのは結構辛さがあるんでね。もちろん文章が向いている場合もありますけど。
きんじょうひでき
音声の話出てきたのここでしたっけ?電話システムみたいなやつ。あれはもうちょい後か。
げんえい
電話のもうちょい後ろの方にあった気がしますね。結構ね、いろんなメディアの話をしていて、面白いですよねこの本が。
テキストだけではなくて音もそうだし、映像の話もそうだし、それが別に一応に良いとか悪いではなく、
特性があって、その特性に応じていろいろありますよねみたいな話があちこちに出てくるんで。
すごくバランスもいいし面白いなって思いながら、いろんなものに言及するなこの人はって思いながら読みました。
きんじょうひでき
これ明らかに一人で読んでる時より話しながら読む方が楽しい本ですね。
げんえい
そうですね。圧倒的にそうですね。結構大変でしたからね、読んでる時は。
きんじょうひでき
びっくりした。めちゃくちゃ面白いじゃんって思って。
これそうですね、第3章で言うと僕結構好きなのが、自然さと体験的認知っていうのを、なんで5000貼ってなかったんだろうっていうぐらい良かったなって思ったんですけど。
97ページです。
げんえい
はい、文庫で言うと133ページです。
認知負荷と表現の関係
きんじょうひでき
表現の特性と表現されるものの特性とか適合する場合に体験的認知が支援されるっていうふうに書いてあって、
これ概念モデルとかマインドモデルみたいな話と多分噛み合ってくると思うんですけど、表現の方法によってそれが違和感なく入り込んでくると、
さっき言ってた内製モードに入る前に体験モードで処理できるぐらいに咀嚼じゃないか。咀嚼っていうと内製になっちゃうのか。
インストールするコストが低くなるみたいな。インピーダンスミスマッチがなくなるみたいな感じですよね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
まあまあこれもわかりやすいものを書くとわかりやすいんですっていうふうに言っちゃうと、なんかトートロジーでしかないんですけど。
げんえい
これを逆に利用するとすげー認知負荷上げられて、脳トレみたいなことがやらされることになるんだろうなと思いながら、
赤って漢字が書いてあって、ただしそれは青色で塗ってあるみたいな。これは何色でしょうみたいな。文字は何色でしょうとか。
この色が示している色はどれでしょうとかっていうことをやると、多分もう頭が混乱してバグってしまうみたいなことが起きるんだろうなって思いましたよね。
きんじょうひでき
逆に言うとね、なんか注意喚起をするときとか、慎重さを求めるときとかには活かせそうだし、あまりにもその不自然な状態っていうのが続くと、やっぱりエラーに繋がるよねとかなってくるわけですよね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
だからこれもね、自然に認知する人にとっての脳みそというか思考というか認識というか、そういう自然さと正しさって違うよねみたいな話とかもあるだろうし。
山手線丸で書いてもらった方がわかりやすいでしょうね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
何も丸くねえのに。
げんえい
そう、実際は全然違うやんけって地図で見ると思いますね。
でも意外と第3章はそんなところですかね。
アーティファクトの適合
げんえい
そうですね。10章あるうちまだ3章しか終わってない。やばい。
4章いきますかじゃあ。
4章がアーティファクトを人間に適合させるっていう話で、でもなんか今さっきの話の延長線上みたいな感じはありますけど、
意図的に作り出すものをちゃんと人間が認識しやすいようにとか、認識させたくない場合は認識させないように適合させていきましょうという話ですね。
3章で結局話した表現には表現の力ってものがあるから、4章ではそれを実際やりましょうという話です。
きんじょうひでき
で、やっぱり印象に残っているのは表層表現と内部表現の話ですか。真相っていう表現も出てきてたんでしたっけ。
げんえい
真相はあれですね。自分が他のものを連想してそこに引っ張られて表層と真相って書いてますね。
きんじょうひでき
懐かしい本だな。
げんえい
この本だと表層と内部って言ってますね。
きんじょうひでき
悔しいな。思い出せないな。書いてましたっけ。
げんえい
今たまたまパッて開いた。うちで言うと143ページなんですけど。
きんじょうひでき
多分同じ文庫を持っているはずなんで。
げんえい
真相って言ってるのか。
きんじょうひでき
そうです。すみません。
げんえい
こっちはね、自分今手放しちゃったから本当は手元にいないです。
きんじょうひでき
すごい。
人に足を出したまま帰ってきてないです。
野生になっちゃった。
そうですね。表層表現と内部表現って言ってるのはまんまそういう感じですよね。
げんえい
そうですね。我々の世界観で言うとUIとデータベースみたいな感じかなって思いながら読んでましたね。
きんじょうひでき
ユースケースとビジネスロジックみたいな。ビジネスロジックって言うと技術詳細みたいな。
げんえい
実際内部でどう思ってるか、どういう状態であるかと、それをそのまま表に出せばいいっていうわけじゃないんだよっていう話ですね。
ちゃんとアーティファクトを適合させて人間が把握できるようにしましょう。
ないしは把握しなくていいものは隠しましょうみたいな。
たったそれだけと言えばそれだけな気がしますね。
きんじょうひでき
内部的アーティファクト、表現って言ってたのがアーティファクトって書いていいのか。
内部的アーティファクトではインターフェースが必要となるっていうふうに書いてあって。
げんえい
インターフェースですね。
きんじょうひでき
変換が必要なんですよね。ユーザーの必要に応じてですけど、
より直感的、体験モードで処理できるぐらいの簡単なものにしたりとか、
必要な情報がどこにあるかっていうのを求めやすくするための何か示唆を与えるようなインターフェースにしたりとかっていうのはあると思うんですけど、
それって必ずしも内部構造と一致している。要するに中身がそのまま露見する必要はなくて、
内部と利用者、観察者の間の橋渡しになるようにインターフェースっていうのを作りましょう。
それって表層的アーティファクトだよねみたいな話ですかね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
表層表現しか持たないアーティファクトには特別なインターフェースは必要ない。
物理的構造の役割
きんじょうひでき
内輪とかはいらないですもんね。
げんえい
そうです。いらないですね。別にそんな予期しないことは起きないですからね。
あそこの見た目が。見たまんまのことしかできないですからね。
この本の中では表層の方がユーザーに近いわけだから、わかりやすくみたいなところなんだけども、
プログラミングの話を考えていると、確かに表層は大事だが、内部構造がクソだと、
結局柔軟性はなくなり後で辛くなるんだとみたいなことを思いながら、
ちゃんと情報の整理は必要だぞって思ったので、
それ職業力かもしれないなって思いながら、ちょっと思ってましたね。
きんじょうひでき
内側がいくら腐ってても、ちゃんとできるのがいい設計じゃないですか。
げんえい
まあまあ確かに。
きんじょうひでき
技術詳細が腐敗したのに引っ張られて、全体が滅びるのが良くないので。
げんえい
まあでもだいたい内部が腐ってる時は、表層も引っ張られて腐り始めるような気がするなって思いながら。
きんじょうひでき
それは腐った内部しか描けないような人がいるって感じですね。
げんえい
いろんな制約を受けて。
きんじょうひでき
ベテランは手を抜いても、クソコード描けないみたいなのがありますから。
げんえい
そうね。天然物はなかなか養殖できないからね。
その手があったかって。
アルゴリズムを一回大学生の時に描いたな、みたいなことを思ったりとかしましたけど。
ああでもそうか。物理制約、物理的構造の話がちょっと面白かったか。
そうですね。応用編というか、物理的構造の話がちょっと面白かったかなと思いました。
わざわざルールにしなくても、物理的に移動できないじゃん、みたいなやつは言う必要ないよね、みたいな話があって。
きんじょうひでき
現実世界だと物理構造っていうのが、人間が認知する上での手助けになる。
けど、物理的に移動できないじゃん、みたいなやつは言う必要ないよね、みたいな話があって。
現実世界だと物理構造っていうのが、人間が認知する上での手助けになる。
けど、論理の世界とか、それこそプログラミングとかだと、
ちゃんとルールを決めないと、壁は抜けられません、みたいなルールを決めないと、壁はすり抜けてしまうし、
ここには重力がこのぐらいの強さでありますっていうふうに定義しないと、地面に何も引っ張られないし、みたいなところがあって。
物理構造がいろいろ助けてくれるやで、みたいな話は面白かったですね。
げんえい
実際、このハノイの塔をコーヒーカップに変えて移動させてみましょう、みたいな。
ルールを与えて移動させてみましょう、みたいなやつで。
コーヒーカップ以外にもオレンジだったり、無意味なボールみたいなものとかでやらせるのあったんですけど、
コーヒーカップで溶くときがやっぱり一番溶きやすいな、みたいなのはあって、
それってやっぱり自然と制約条件とかルールとかを頭の中に思い浮かべてるんだなっていうのはちょっとやってみて思いましたね。
面白いですよね。
きんじょうひでき
意識する必要もないような物理構造によるシーンによって意識するようなこともないものは、
内製モード的な感じで入らなくても処理できるみたいな。
要するに認知負荷を減らすんだよね、みたいな感じは型の話と同じやんって思って。
確かに確かに。
げんえい
いい話だなって。完全に食糧病なんでそういうことを結びつけながら読んじゃう。
今確かに型の話出るまで、だからこそプログラミングって難しいんだよな、みたいな。
いろんな前提がわからないというか、
いろんな前提がわからないというか、知らないからっていう部分もありますけど。
例えばウェブのデザインとかって重力が左にあるっていう言い方を言われて、
なるほどって思ったんですよね。
視線の移動的にか。
視線の移動もそうだし、CSSもそうなってるじゃないですか。
何も指定しなかったら左上に行くじゃないですか、自然と。
あれってあれですかね、
確かに
何も指定しなかったら 左上に行くじゃないですか 自然
きんじょうひでき
確かに あれってあれですか 右から各文化圏
いや でも違うか CSS とかブラウザの
辞荘は同じか スタイルシートで 指定すれば右始まりできるけど
げんえい
っていう
基本的にはオブジェクト DIV というか あれはブロック要素
は多分左上に集まっていくはず と思っているので それを聞いた
きんじょうひでき
後 すごく理解が進んだんですよ ね 自分の中で CSS やるとき
なるほど
げんえい
それまではフロートって やったら 当然ルール無視するし
クリアボスとかって書かないと いけないとかって よく分かんない
ルールをいっぱい覚えてたんだ けども ぱっとそれが その一言
言われた 左上に重力あるって言 われて なるほどそういうことか
みたいな気持ちになれて たまたま 同時期に iOS のオートレイアウト
みたいな部分を触っていて オート レイアウトは重力がないんですよ
だから どっち 左側に引っ張られる のか 右側に引っ張られるかとか
っていうのは ちゃんと制約をつけ てあげないと 配置がうまくいかない
隣のオブジェクトから何ピクセル 離すんだとかっていう指示を全部
つけとかないと おかしなことになる だから これはWebのブラウザの世界
と iOSの世界では全然そういうルール が違うんですよみたいなことを
言われて なるほど 完全に理解した みたいな気持ちになったことが
あって だから 重力とか物理的な 制約がない世界で突然離されて
人がいろんなものを理解しよう と思うと こんなにも難しいんだ
な でも 重力っていうメタファー 1個手に入れるだけで こんなにも
理解が済むんだなみたいな体験 をしたことがあって この辺とか
すごく面白い体験だなと思った ことがありましたね
きんじょうひでき
でも そうですよね 重力 とか言われると 別にそれが意識
される前から 発見される前から 自然法則として存在したみたいな
話もあるし でも そう プログラミング 的な話で言うと 我々がPHPとか書
いてる限りは メモリのアドレス どこだっけなとか 全然意識しない
じゃないですか たまに強烈に意識 させられたりはするんですけど
あれとかも ある意味 メモリ バンチ 万有引力が働いてるから
意識しなくて 知らなくても間違えない みたいな話 そっか 知らなくても
間違えないとか 知っていて かつ 意識する必要があるみたいな話
だと 当然 認知負荷のかかり方 違うよね っていう気がしますね
げんえい
まさに 表装と内部表現のっぽい 話だなって 今 言いながら 表装
の部分で上手に使えるように 内部 の状態 表現の部分を隠しましょう
必要なものだけを見せましょう みたいな っていうのは まさに
こういうことがみたいな
きんじょうひでき
そうっすよね ガイドライン引く みたいな感じですよね 紙出しよう
テクノロジーとアフォーダンスの理解
きんじょうひでき
がないルールを調整しちゃう みたいな
げんえい
メモリを バンチを読んでいって オーバーランスしないように マイナス
にすると 隣のとこに行かないように とか
きんじょうひでき
加重継承はできませんみたいな そういうルールになってるから
できないだけであって 別にしない ように気をつけなきゃいけない
世界性も全然あるわけですもん ね
げんえい
そうですね いいですね やっぱり 認知の話をしていくと われわれ
がプログラミングの世界観で話を すると すごくいろいろはかどる
なっていう感じはありますね
きんじょうひでき
そうですね あと あれか 適切性 の原則みたいなワードが出てきて
まさにそういうことだなっていう 感じですね アーティファクト
が用いる表現は ダスクにちょうど 見合った情報を与えなければならない
過剰であっても 足りなすぎても いけないみたいな だから カジュアル
な服装でお越しくださいっていう 情報を与えられると 過剰な情報
が来ちゃって じゃあ スーツ着て いかなきゃだめかみたいに 混乱
しちゃうみたいな ありますもん ね
げんえい
おだしょー ありますね 本当 難しいですよ
きんじょうひでき
大平 本当 難しいですね
げんえい
おだしょー 本当に この言葉は どこまで信用していいのかみたいな
それよりは カンファレンスTシャツ でお越しくださいって言われた
ほうが楽なわけですよ
きんじょうひでき
大平 カンファレンスTシャツでお 越しくださいは面白かったね どこ
までがカンファレンスだろうか っていうところもフォローされて
たんで お前の心の中にある それが カンファレンスだみたいな
げんえい
おだしょー これ 最初 パパッと話して よし じゃあ 次行くぞって
気持ちだったけど 意外とはやっぱり 喋れるな
きんじょうひでき
大平 喋れますね テクノロジー にはアフォーダンスがあるっていう
のが 僕でいう144ページに出て くるんですけど
げんえい
おだしょー 186
きんじょうひでき
大平 ここでアフォーダンスって 出てきたの ここで初めてですかね
多分 この本だと
げんえい
おだしょー そうだと思いますね ここが初めて
ですね
きんじょうひでき
おだしょー 3分の1ぐらいかな 今 ページ
数で 嘘 3分の1はやばいじゃない ですか
げんえい
大平 そうですね 3分の1 まあ 分の 1ではないが 半分はまだ言ってない
ぐらいですね
きんじょうひでき
おだしょー 半分言ってないですね テクノロジー
にはアフォーダンスがあるって 書いてあって これ テクノロジー
っていうのが一種の表現っていう のとニアリーイコールかなみたいな
気がしていて ニアリーイコール っていうと強引すぎるかもしれない
けど 僕 このフレーズ見て マクルー ファンみたいなこと言うなって
思ったら すげえ後ろのほうで マクルー ファンの言ってること
そんなに100パーぶりじゃないよ みたいな書いてあって すいません
っていう気持ちになり
げんえい
おだしょー そうですね まさか マクルーファンの話まで出てくる
と思ってなかったから 読んでて ちょっとびっくりしました 後ろ
のほうで
きんじょうひでき
大平 僕 目次読んでワクワクして たんですよ
げんえい
おだしょー なるほど
きんじょうひでき
一応 自分がいたが クビでマクルー ファン大好き 少女がいかんね
でも 第5章行きますか
げんえい
おだしょー 企画が
42:46

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