自己認識の重要性
物を投げるときに、シュッとか言っちゃいます。
りゅうちゃんの独り言
おはようございます、りゅうちゃんです。
今日もよろしくです。
今日は、4月19日土曜日、朝10時27分です。
ほぼ毎日お寺の掃除をさせてもらったんですけど、
お終わりすぐですね。
今日は話したくてたまらん感じなんです。
いっぱい出てきて、考えてる、言いたいこと?
いや、言いたいことというか、考えたことがいっぱい広がってる感じで、今。
それをなんとかここに残したいな、みたいな。
思って。
残しときたいな、みたいなのを、ここでできてるのがすごくいいなって思ってて、
なんか忘れるじゃないですか、ほんまに人って。
感じてたこととか、感動もそうやし、
悲しかったこととか、しんどかったこととかも、忘れるなって思って。
で、ここでこうして、1週間考えたことではないですけど、
1週間のうちに考えたことを、30分くらいかけて喋ってるんですけど、
でもこの、1週間が30分なわけないじゃないですか。
1週間あったことを30分で話すってなったらすごく難しいけど、
なんかこう、話したいことだけを抽出したら、逆に言うとね、
話したいことだけを抽出したら30分になるんですかね、今の僕は。
でもこう、話せ話せと言われたら、30分でも1時間でも話しちゃいそうな気もしますけど、
まあでも、30分くらいなんですかね、話したいこと、言いたいことを言うと。
でまあ、そうやな、30分、1週間を30分で話すっていうことは、
30分には入ってこないものたちがおるんですよね。
やっぱどこかで僕はこう、取捨選択して、何かを選んでここで話してるのは何かこう、
おそらく僕の中でも、こう、表しきれない何かこう、言葉があるかなと思うんですけど、
経験からの学び
でも30分で、このデュータの一人ごとの30分で出てくる言葉たちは、
やっぱりこう出てきた、何かしらの意図があって出てきてくれた言葉なのかなと思ったりしててね。
だからその、そうじゃないものたちもおるんだなーっていうことをね、最近はよく考えたりするんですよね。
あのー、またよしさんおるじゃないですか、ピースの火花とか書いてる。
昨日ぐらいからちょっとね、ハマって見始めてて、
100の3って言って、何だったかな、コンセプトはあんま分かんないんですけど、
とりあえず今連載されてるっていうか、ずっとYouTubeチャンネルで上げてるのが、
その30代に向けて思ってることみたいな、こうしといた方がいいよみたいなことを、
100個ぐらい、103個なのかな、言ってるんですよね。
それを見てて、面白いなと思って見てて、
でもまたよしさんに言ってることもそうなんやけど、
言ってることの背景というか、それを経験されたりとか、
それを考えたことがあるんだなと思って。
だから出てきてる言葉は、考えてきたことの一部ってやって、
そうじゃないもののことを考えると、考えれるなと思って、そうじゃないことも。
僕もこのポッドキャストをしてて、
やっぱり考えてることと考えてないことを話すわけじゃないですか。
順序立てて喋ってるつもりが、どっかあっち行ったりこっち行ったりしちゃうんですよね。
戻ってこれなくなってるとかするときも多々あって、
なかなかお聞き苦しいところもあるかなと思うんですけど、
またよしさんのYouTubeチャンネル見てて、
それも15分とか20分くらいの動画なんですけど、
その中でそうだなとか確かにそうかもなーみたいな思うことを言ってあるんですよね。
そこまでに至る考えとか、そこまでに至るプロセスとか経験とかがあって、
よしさんが喋ってるなーって思ってね。
そこから僕もそうかもなーって思ったんですよ。
1週間を30分に僕が切り取って喋ってるわけじゃないですか。
切り取ってるっていうか、30分にまとめてるわけでもないんですけど、
30分で1週間で思った僕の30分を言ってるみたいな、
ちょっとよく何言ってるかわからないけど、そんな感じなんですね。
それは今までのこの20何年間を過ごしてきた上での30分の表出のときもあれば、
ほんまにこの1週間のうちで考えた30分もあれば、
その日で考えた30分もあれば、色々あるんですよ。
何が言いたいかって言うほどのことでもないんですけど、
そこに至るまでのその人の背景とか、
なんでこの人こう考えてるんやろうみたいなことを考えるのってすごく、
なんか僕は面白いなーって思ってて、
なんでなんかなーみたいなことを思うと同時に、
こういう経験もしてたんかなーみたいなことを思うと、
例えばマトヨシさんが30代に向けて話してる話が今のYouTubeで上がってるんですけど、
そのマトヨシさんが30代のときに経験してた、
例えば飲み会での、この時間無駄やなーみたいなことの、
そこからの思考が言葉になってくるんですよ。
そこからの思考が言葉になってくるんですよ。
そういう風じゃない方がいいよっていうか、そうじゃない方がいいかもよってか、
もしくは、こうしといてもいいかもねーみたいな話をしているわけで、
だから、その経験があるわけですよね。
なんか、普通のことなんですけど、
あったりまえ、なんか最近やばいことがでてるんですよって思って、
嫉妬してくることがあっても、
そうふうに思っていて、
なんかやっぱり物事のことは、
あんまり本当に取り留めのないことをツラツラと喋っちゃう回になるかなと思うので、ちょっとお聞き苦しい方は本当にすいません、なんて感じなんですけど。
いやそうなんですよね。
またしさんは別に30代に向けて伝えてるけど、なんか別にそれが本当に30代に伝えてるかって言われたらそうとも捉えられなくて、何て言ってるかな、結構自分に言ってる気もするし、
なんか出ちゃってるみたいな。出ちゃってる?出しちゃってるみたいな。なんかその出そうと思って出してる感じではなくて、ありのまま伝えてくれてる感じなんですよね。
なんかそういう、なんか作ろってはないんやけど、でもこう、
なんか伝わるものがあるみたいな感じが面白いなーって思って見てるんですけど、
まあよかったらまたしさんのYouTubeのチャンネル見てもらったらいいのかなと思うんやけど、
なんかそう思ってですね、
で、これが結構僕にとっては、自分の調子を図るものでもあり、
何かしらアウトプットしてるわけですよ。何かしらを日々日々。
で、これが結構僕にとっては自分の調子を図るものでもあり、
あとはもしくはアウトプットしてる側の人の立場を考えてみるとか、
そういうのもあったりとか、
あとはもしくはアウトプットしてる側の人の立場を考えてみるとか、
そういうのもあったりとか、
あとはもしくはアウトプットしてる側の人の立場を考えてみるとか、
制作してる側の、制作してる人の気持ちを考えてみるとかっていう、
こういう思考にもなったりするヒントにもなるんで、
アウトプットはやっぱりいいなと思ってるんですね。
そうすることによってやっぱり次の自分の、
インプットにもなってて、
マトレスさんの話を聞いてる時に、
マトレスさんのこういう背景あるのかもなとかを考えたりとか、
こういう経験をされてきたのかもなとか、
もしくは今その言葉にされてることに至るまでに他にもこういう話してきたのかもなとか、
いろいろ考えるきっかけになるのはやっぱりアウトプットしてきたからなのかなとも思ったりとかしててね。
やっぱり言葉を選んだりとかをして、
15分なり30分なりに出してるから、
選ばれてない言葉というか、言葉にしてない言葉もあるかなと思ってて、
そこをこう、
想像してみると、
そこを想像するの面白いなって感じてはいるんですけど、
答えがない答えなんですけど、
そこは言葉になってないんで、
なーって思ってる。
なーって思ってるなーは何かよくわからないけど、
そんなことを最近ちょっと思っててですね。
空っぽっていう言葉をちょっと今最近、
ハマってるわけではないというか、借りてるというかしてて、
僕本来の言い方やったら、
何者でもないとかって言おうとしちゃうところをちょっと空っぽっていう言葉を使って、
今から話しますね。また違う話になるんですけど、
僕空っぽやなと思ってですね。これ人生2回目ぐらいなんですよ、感じてるのが。
最初1回目感じたのが、前の会社辞める前の時で、
自分って空っぽなんやっていうことで気づいたんですよ。
何が空っぽやったかっていうと、これがしたいとかあれがしたいとか欲がないとか、
そういう意味で空っぽだなと思って自分のことを。
だから何か入れなというか、何かこれ入りとかなあかんみたいな。
僕ね、選手とか先生とかももったいない話しましたけど、
使われてなかったら使わなあかんみたいな、こういう脅迫観念みたいなのが僕の中にはあって、
だから僕自身が空っぽやって気づいたら、そこに物を詰めとかないみたいな、
そういう思考になっちゃうんですよね。
どうにかせなってことで、どうにかせなっていうことでもないんですけど、
何かしたいなって勇敢したりとか、今こうしたポッドキャストしたりとかみたいな話をしてるんですよね。
空っぽやって気づいたんですよね。
多分この2年間ぐらい、2年3年ぐらいは空っぽじゃない自分で、
これが満たされてるってことなのかなっていうのに気づいたりとか、
自分使えてるわみたいな感覚なんですかね、これが多分。
最近もう一回思う。
最近知らしめられた。本読んでて、
そもそも空っぽなんですみたいなことを言われたときに思い出したというか、
確かにそういえば僕空っぽやったわと思って。
空っぽさの意味
空っぽが故にできることがすごくあるなと思って。
できることというか、例えば空っぽやから、
僕みたいに何か詰めるなって思ったりとか、なんかせなあかんとかって思ってたなって思って。
空っぽって認識することでね。
空っぽやったから、
下手に出るって言ったらちょっとあれですけど、
何も分かんない自分になれるというか、ゼロの自分というか、
何でも吸収します、の自分みたいに
慣れたんですよね。
何でもやりますとか、教えてくださいとか、
めっちゃ学びますみたいな、めっちゃ勉強になりましたみたいな。
空っぽが故に何も分からんが故に何でも吸収できるスポンジみたいな。
に慣れてた瞬間があったなと思って。
これでも忘れたあかんなっていうことの一つだなとも思ったんですね。
もう一回自分って空っぽやって気づいた最近の本読んで思ったときに。
だからその空っぽじゃない、
もう空っぽじゃなくなっちゃってる自分もおってですね。
でも空っぽだった自分もやっぱおるわけで、
空っぽな状態も覚えておくというか、
残しとかなあかんなって思ったんですよね。
大事やなと思って。
そういうこともこのPodcastでそれこそ残せてる感じがいいなっていうのはあって、
Podcastやってて。
やっていくと思うんですよね。
その空っぽの状態が分からんくなるのかなと思って。
でもこの空っぽの状態があるから、
それこそ学ぼうとかやろうとかこれしたいなって思えるなと思って。
大事やなと思ったんですよね、空っぽ。
こう思ったらね、自分って空っぽなんやと思ったらすごく僕は楽になれたというか、
これでもいいんやと思えたというか。
何も分からんもんだって。
学ばなば分からんもんみたいな。
逆に無敵になれるみたいな。
そう思って。
でもね、20代の最初の頃とか18ぐらいかな。
分からんけど、何かね、何かになれると思ってたんですよ。
本当に。
これは自分はこうできるやろうなとか、こうしたいなとか。
思って。
何かになれると思ってたんですよね。
でもね、何かになれないんじゃないかなって思ってて。
これ結構ね、危ういというか、
綱渡りみたいなイメージなんですけど。
何かになれるって思って、何かになれるというか、
例えばヒーローになるとか、そういう具体的なこれになりたい、これしたいみたいなのが
あったらあったで、そこに向かって走れると思うんですよね。
でもそれって結構リスクがあるというか、
慣れなかった時とか、それをやめてしまった時に
自分に跳ね返ってくる反動みたいなのってデカいなと思ってて。
何かそれにビビる時がある。
でも逆に自分で何もないなとか、空っぽやなって思っていけると
そのリスクがない反面何もできないですよね。
何もできないというか、さっきの話とちょっと違うことなんですけど、
諦めてしまうというか、俺できへんわとか無理やからみたいな。
何もないから、何者でもないからできへんわみたいな感じの、
極端に言うと何かを求めてる人と何も求めてない人を並べると、
極端に並べてしまうとそういう表現になるんですけど、
どっちも綱渡りじゃないですか、これって。
何かになろうとして慣れなかった時の危険性もあれば、
何者でもないって思って生き続ける重なさというか、
幸福なんそれ?みたいな感じがあるなと思ってて。
でも僕は最初は何者かになれるはずやと思って生きてたんですけど、
でもそうとも限らんなとも感じたりとか、
うーん、そうとも限らんなとも思ったりとか、
そう…そうやな。
思ってたけど思ってなかったみたいな感じの中途半端やってんけど、
でもいつか何かになれると思ってた。
けど、最近と会社辞める前ぐらいの、
あ、俺って空っぽなんやっていうか、
何者にもなれない?なれないわけじゃないけど、
何者でもなかったんだってことに気づいた時に、
なんかマイナスな影響、その反動もあったんやけど、
何者かになれるから頑張れてた。
でもそれが叶わなかった反動があったのだけれども、
でも自分何者でもなかったから何でもできるかもなっていう、
方向にも価値が取れたというか、
価値が切れたというか、
って思って。
何も…うん。
空っぽな自分に気づけて、
なんか楽になった時もあるんですよね。
何者かになることのリスク
あ、それでよかったんや。そんなに気張らなくてよかったんやとか思って。
空っぽでもいいんかと。
空っぽでも生きてきたし、みたいな。
変な自信が出てきたというか。
なんですよね。だから、
極端に空っぽで生き続けるとか、満たされて生き続けるとかじゃなくて、
やっぱり生きてると空っぽじゃないじゃん。
1割入ってるとか、半分まで満たされてるとか、
8割満たされたとか、いろんなグラデーションな状態が、
日によってそれも、時間とか朝はこうやけど、
昼は全然満たされてないとか、
次の日にはめちゃくちゃ満たされてるとか、
いろいろ波があったりとか、
する日によって変わる時によって変わるかなとか、
場所によって変わるんかなって思うんやけど、
一概に空っぽな状態でずっとおるとか、
ずっと満たされてる状態でおるって言うわけじゃないと思うんですけど。
でも、空っぽな状態を知っておいたりとか、
満たされてる状態を覚えておいたりとかすることって、
いるんじゃないのかなっていうか。
僕には、その情報を持っておいた方が、
僕は言いやすくなってきたなーっていうのを思ってるんですよね。
すごく。
で、
そうやな。
空っぽなんですよね。
で、その空っぽっていうのこと最近気づいたし、
20代になっててもう一回気づいたしみたいなことで、
まだ何か伝えれるものもそんなにないのよ。
ないのよ。
伝えられる、伝えたいこともあると思ってたんですけど、
何かあると思ってたんですけど、
今年の目標もひねり出すというか絞り出すみたいな、
自分をアウトプットし続けてひねり出すみたいなことを言ってるんですけど、
そもそも空っぽだからひねり出すものもなくて、
ひねり出せるものもなくて、
積み上げてきてるものも確かにあるけど、
何かそれがこう、
まだなんですよ。まだ。
積み上がってるし、それを僕は今ポッドキャストとかの動画で垂れ流してはいるけど、
なんかまだ全然なんですよね。
まだ全然空っぽの状態、空っぽの状態というか、
成熟してない。
全然こう、新味が出てきたぐらい。今、ほんまに。
やっと目出てきたなぐらいよ。
それで何か言ったところで別に誰かに伝わるわけでもないし、
伝えられるわけでもないなっていうのを最近思ってね。
すごく矛盾してるんですけどね、僕の今話してることは。
今こうやってポッドキャストに誰かに伝えてるってことは、
何か伝えたいことがあるはずなんですけど、
でもその伝えたいことがあるはずって言ってる僕は伝えたいことがないって言ってるっていう、
すごく矛盾してる。
つまり伝えたいことがないっていうことを伝えてるのかもしれないんですけど、
すごく変な、いびつな感じなんですけど。
けど、でもずっと出し続けることで、
それこそ本読む時とか人の話聞く時とかに想像できたりする力にはなってるんですよね。
やっぱりアウトプットする側に立ってみることで、
アウトプットしてる側の人のことをわからないなりにも想像してみたりとか、
その過程とか、そこに座って喋るまでの過程とかを想像してみたりとかしちゃうんで、
やっぱりそれを出し続けてることの意味は非常にあると思ってるんですけど、
けどとはいえやっぱりまだまだ僕は空っぽだなっていうことを思いながら、
アウトプットする側なんかちょっと変な感じになっちゃうなって思ったんで、
なんか今日話しとこうと思いました。
でもね、変ですよね。
変ですよねって言ったらおかしいですけど、じゃあ別にサポートキャストせんでええやんみたいな。
じゃあ別にノート書かんでよくないみたいな。
別に言いたいこととかやってることやりたいこととかないんやったら、
なんか僕自身も最近感じているのが、
自分にとっての課題ってまだ課題持ってへんなって思って、
僕課題持ってへんのじゃないのかなって思ってて、
危機とか危険とかリスクとか、
これせなあかんとか、
みたいな解決せなあかんとか、
なんか自分がこの体とかこの頭とかこの心とかってできる、
したい、叶えたい、解決したいみたいな課題って、
僕にはまだぶち当たってないなっていうことを思ってて最近。
それは周りに課題にぶち当たってる人、
課題にぶち当たってるって言ったらちょっとやばいやん、
助けなあかんやんみたいな話になる、聞こえるかなと思ったけどそうじゃなくて、
目的があるとか目標があるとか、
そういう前向きにこれを解決したい、
解決、僕ができるなら解決したいみたいな人がおってですね。
で、そういう人を見てると、
なんかあれ?みたいな。
僕、りゅうじね。
りゅうじは課題持ってないんかなっていうのを、
僕自身がそう思って。
でもなんか、
何パターンか考えれることもあって、
例えばその誤認してる課題、
その人が課題として誤認しちゃってるパターンもあれば、
でも本当に課題としてそれを解決したいと思ってる人もおれば、
もうそうせざるをえへんから、
それを課題と設定してやってる人もおるんかなと思って。
で、僕みたいに課題は持ってないけど、
課題に参加しといて、
それに参加してるから、
ここからやりがいをもらえてたりとか、
生きがいをもらえて生きてれてる人もおるかなって思って。
なんかいろんなパターンもある。
考えれるなっていうのを思ったときに、
いや本当に僕自身、りゅうじ自身に、
課題って何なんかなって思ったときに、
パッと思い浮かんでないというか、
これや!みたいな一言で表せるみたいなのもなくて。
あるっていう感触も、
僕の言葉にしてない中からは感じれてなくて、今のところ。
でも、どっかのタイミングでが、
パチッと合えばはまりそうみたいな、
空っぽからの成長
そういう感覚はあるんですけど、
言葉にできるまでの感覚にはまだ表出してきてなくてですね。
そう、けど、なんか、みたいな。
課題ないんや、それこそ自分って空っぽなんやっていう気づく、
一つにはこれがなってるんですよね、これが。
そう。
でも、でもというか、
なんというか、
自分、自分でその、
でも握れちゃってるというか、
課題がなくても進めちゃってる自分がおったりとかしてて、
それでもいいんやけど。
そうそうそう。
いや、そうなんですよ。
で、えっと、
両方の面で、
うわーっていうのがあって、
課題も出てなくても進めてる自分に、
うわーっていうのと、
いや、その自分をはたから見たときに、
いや、大丈夫かそれというか、
周りに人がおらんくなるというか、
えっと、自分本位で動きすぎじゃんみたいなうわーがあって、
なんか、どうしようっていう。
僕もおるんですけど、
まあでもその、実際その課題に直面戦と心から解決したいとかって思わんと、
やっぱりその嘘に感じられるというか、つくろってみられるというか、
意図がばれるというか、
この人なんか、それこそ自分本位で、
その課題を解決しようとして、
その課題解決してる自分に酔いし入れようとしてるこの人って、
分かっちゃったりするじゃないですか、
周りの人って、課題を解決されてる側の人ってね。
だからやっぱりお互いが気持ちよく、
ありがとうとか、どういたしましてみたいな感謝感謝の、
このハートフルな関係性が生まれるのは、
心から課題を解決しようとか、
これをやりたいんだ自分はって思ってる人だと思うんですよね。
そういう意味で僕は、
幸せなのかもしれないですね。
その課題に殺さなあかんみたいな課題にぶち当たってない僕は、
今は幸せかもしれないし、
もしこの課題にぶち当たったとしても、
それをまた今のこの自分が覚えれてるから、
その課題に対しても、
これが僕の使命や運命や天命やと思って、
ぶつかって幸せを感じるとも思うし、
そんなことを、
ちょっと今日ね、いろんなこと考えて、
喋ってみたんですけど、
本当にまとまりがないですね、今日は。
けどなんかこう、話してみて、
やっぱりその空っぽっていうキーワードもそうなんですけど、
他者との関係性
そうやな。
結構ありのまま喋ったけど、
ほんまに僕あれやね、
感覚で生きちゃってるんですね、僕。
イメージで生きちゃってて、
それを言葉にするのすごく難しいし、
こうやって説明するのがほんまに難しいと思ってるからこそ、
なんとかそれを乗り越えてみようと思って、
ポッドキャストをしてる節があるのかなと思ったりとかしました。
いやー、はい。
なんかもっと伝わるように伝えたかったんですけど、
まあでも、くそやな。
もやもやしましたね。
僕は結構もやもやして、
いや、もやもやを晴らすために喋ってきたんですけど、この30分くらい。
もやもやして終わっちゃいますね、これ。
ちょっとまたチャレンジしますわ。
チャレンジ、何をかわからんけど。
なんかこれまた僕自身、もう一回聞いてみて、
もう一回どう感じるかとか考えてみたいなと思ったし、
でもこの今日話したことの、
それこそ欠片が結構僕の中では縮められてるんだなっていうのを認識できたのは、
まあ一つ良かったことかもしんないですね。
ただその欠片が欠片のままで集めて、宝石とか集めてパンになったとか、
ちょっとこのイメージもよくわからんけど、
なんかそういう料理できたみたいな、
その欠片を集めた上での成果物が出てきたわけじゃなくて、
欠片が欠片あるなぐらい石ころつってたな、ここにみたいなのを拾って見てみた30分だったんで、
まあ意味あるっちゃあるけどみたいな。
すいません、こんな感じの30分でしたけど、いかがでしたでしょうか。
りゅうちゃんの一人言ではですね、皆さんの一人言を集めてまして、
皆さんの一人言と言われましても、特に一人言やから別に言わんでもいいよ、
みたいなことかなと思ったんだけど、
そうじゃなくて、この僕の話を聞いて、
考えてみたこととか感じたこととかがあれば書いてほしいなと。
それこそ僕今日紹介したまたよしさんの動画を見ながらやっぱり考えてるんですよ、何かしら。
自分の人生と照らし合わせたりとか、
昨日の自分と考えてみたりとか、
この前話したあの人の会話と今のまたよしさんの動画を見て、
そうかもしれへんなと思ったりとか、
なんかそういう、皆さんの中でも僕のこの30分を聞いていただいて、
本当にありがたいことに聞いていただいて、
何か皆さんの中に欠片が存在したかもしれないなと思ったりとか、
もしくは僕の話を聞いて、
これこの欠片あったんや、みたいなことが感じたりとか考えられたりとかしたかなと思うんで、
なんかそれをちょっと欠片を言葉にしてみていただけたらすごくすごくありがたいなって思ったので、
今日はちょっと皆さんの一言を書いていただけたらありがたいなと思いました。
ということで、今日長々とお聞きいただきありがとうございました。
皆さん今日か明日かお元気で楽しんで癖強めでお過ごしください。
ありがとうございました。