で、あともう一個が、
そうやってぐるぐるぐるぐるし続けてるから止めらんないですよね。
止まった瞬間ってたぶんそれが脳死だったりとか、
脳が活動しない状態だから止められないわけですよ。
何か今こうやって喋ってる時も、
電気信号回りながら喋ってるし、
この喋ってることを僕がまた聞いてるんで自分で。
それをまたインプットして、
それがまたぐるぐるぐる入って、
またアウトプットしてるっていうのを高速で、
音速?高速でぐるぐるぐるぐるやってるんですよ。
で、そうだから止められないわけですよ。
だからこう、だからっていうわけじゃないんですけど、
意味付けしちゃう、アノテーションって言ってたんですけど、
アノテーション、カタカナで。
これ意味付け、解釈付け、注釈付けみたいな意味らしくて、
人間とかホモサピエンスの挙動として意味付けしちゃうよねとか、
ストーリー理解が一番わかりやすいよねとか、
一番わかりやすいよねみたいな話を、
コテンラジオなりなんなり、僕らのポテキャスト、
散歩の言語とかでも喋ったかなと思うんですけど、
そうなんですよ。
例えば、トーナメント戦があって、
結果だけね、トーナメントの結果だけがバーンって見れる。
10人ぐらいが争って、
8番目の選手と3番目の選手が戦って、
最終的に8番目の選手が優勝したみたいなところまでの
ストーリーってあると思うんですよ。
例えば、1回戦この人とこの人がやって、
負けて勝ってみたいな。
こことここ、因縁の対決してたなみたいな。
でも出てる情報としてはトーナメント表だけなのに、
勝手に自分がストーリーで理解、意味付けしちゃう、
みたいなのが脳の癖らしくて、
これはさっきのインプットとアウトプットぐるぐるしてるよね、
みたいなのと、ちょっと近しいかなと思ってて、
何かトーナメント表っていう情報を受け取った時に、
それだけで終わればいいのに、
それだけで終わらせられないっていうのがこの癖で、
インプットしちゃったから次アウトプットせなあかんなってなって、
意味付けしちゃうみたいなところがあるらしいんですよね。
これは脳の癖なんですよね。
あともう一個、
全ての脳に来る情報っていうのが電気信号だって言ったと思うんですけど、
これつまり脳みそは自分のことを多分理解しない、
これちょっと難しいな。
理解しないというか、
電気信号が脳みその気持ちになってください。
ちょっと一旦脳みその気持ちになってね。
脳みそになってください、皆さん。
皆さんの脳みそになります、皆さんは。
で、皆さんは、
脳みそに目が直接ついてるわけじゃないし、
脳みそに直接手がついてるわけじゃないんですよね。
脳みそがあって、その先に神経があって、
その神経の先に筋肉があって、
皮膚なりがあると。
で、皮膚通って神経通って脳みそに来るんですよ。
で、その皮膚通って神経通って脳みそに来る瞬間には、
もう電気信号になってるんで、
ピッみたいな、
あ、光ったみたいなぐらいの感覚しかないんですよ、脳みそって。
これちょっと想像できますか?
だからどう言ったらいいのかな?
じゃあ真っ暗な部屋と無音の部屋を想像してもらって、
で、周りに何も触れないと。
で、その中に、
それが脳みその中の状態というか、
もう無音、暗闇、何も触れないみたいな状態が脳みその中ね。
頭蓋骨の中。
で、いきなり、
あの、そうな、声かもしれへん。
声じゃないな。
電気信号、ビリビリみたいな、
ビリビリみたいなのがこう伝わる。
どっかの流れてくる。
で、それに対して、
あ、これはこういうもので、こういう電気信号がここにぶつかったから、
じゃあ次の電気信号をまた次送ってみて、
で、あ、ここが反応するんだ、あ、ここが反応するんだ、
みたいなのがグルグルグルグルってして、
で、あ、これはあっていう言葉なんだ、みたいなのを理解するわけなんですよ。
理解するっていうか、
わかるわけなんですね。
で、えっと、
先週も言ったんかな、
いいインプットを配置したらいいアウトプットが出るんじゃないかみたいな話をしたかなと思うんですけど、
その積み重ね、
インプットの積み重ねで、
自分たちが物事を見てる、
それも言ったか、目の前にパソコンがあって、
パソコンっていうものを事前に知ってる、
何回も何回も触れたり聞いたり見たりしてるから、
パソコンっていう存在を知ってて、
で、それがまた無意識化になったりとか、
別にパソコンがここにあるパソコンっていうのは、
アプリケーションが入ってて、
iOSで、Macで、
2022年に発売されたもので、
いちいちパソコンの詳細情報とか、
使い方とかを文字起こしとか、
理解しようとせずとも、
パソコンっていうのがあるっていうことが分かるわけなんですよ。
で、
それはこれまでの蓄積化だから、
パソコンとか目の前にあるものを再解釈しなくても、
勝手に自動的にぐるぐるしておいてくれてるみたいな話ですよね。
ちょっと待って、
自分の頭の中ではめちゃくちゃ繋がってるんやけど、
これ喋るのすごい難しいですね。
まあいいや、このままいきますね、そのまま。
で、つまり脳みそ、つまりじゃないな。
やばい、興奮しすぎて、
いろいろ叫ばしてる。
何が言いたかったかっていうと、
先に結論から言ったらいいんか。
脳みそは、脳みそ自身と脳みそ以外のものを、
比べないと脳みそがあるっていうことが分かんないっていうことが言いたかったんですよ。
真っ暗な脳の中、何も触れないままにおるけど、
そうじゃないものがポンって電気信号で来たときに、
あっ、って気づいて、
これが電気信号だって気づいて、
見えてることっていうことを理解したりとか、
触ってるものを理解したりとかをするわけなんです。
だから、脳みそっていう存在は、脳みそじゃないものっていう存在がないと繋がらない。
だって脳みそが脳みそだけ世界にあったとしても、
それって脳みそがあるかないか誰も証明できないし、
意味わかるかな、何て言ったらいいんやろ。
そうやな、暗闇の中、真っ暗の中、脳の中に脳みそがあったときに、
それに何も触れられない。
それが誰も触れられない。
そこに脳みそがあるって誰も触れてないわけやから、
存在があるかないかってわかんないじゃないですか。
だから逆にそれは脳みそも同じで、脳みそは無音で暗闇の中におったら、
他に何があるかわからんし、自分が何かもわかってないし、
脳みそがあるっていうことさえもわからないなと思うんですよ。
脳を調べてたわけですよ。
そうしたら色々面白くて、脳の癖を分かったとしても、
今僕が分かっていることは脳の癖が、
インプットとアウトプットの循環とか、
自分だけで分からんよみたいな話って、
ちょっと前の有識の話とかもそうなんですけど、
Podcastで結構話してる気がするんですよ。
インプット大事だよねみたいな。
アウトプットしないとインプットならんよねみたいな話とかもそうだし、
自分だけじゃ答えにたどり着かんというか、
対話大事だよねみたいな話も、
それは他の人がいるから自分というものが浮き彫りになって、
勇敢でもよく言ってる違いを楽しむとか、
自分を受け入れるみたいな。
やっぱり他者が存在するから他者との違いを分かったり浮き彫りになったりするし、
自分という存在も他者と喋る中で分かってくるところもあるので、
そういうところの理解をしてたんやけど、
そもそも脳みそがそういう理解の仕方をしてるから、
そういう理解になるんやなみたいなのを思いました。
脳がそういう構造やから、これ以上の脳の理解をできないわけですよ。
この脳の身体構造上、
この脳の作り上、これ以上の理解はできない。
いや、できると信じたいんですけど。
それが癖ってことですよね、脳の。
で、これを使ってもう1個深めて考えてみたいなって思ってるのが、
最初に言ってたインプットとアウトプットの循環。
先週も言ってたと思うんですけど、
良いインプットしたら良いアウトプット出るんじゃないかな、
みたいな話をしたかなと思うんですけど、
じゃあここで良いインプットって何?みたいな話になってくるわけですよ。
これ教育の時にも同じ、これ何?みたいな話があったと思ってて、
教育とか学ぶことの意義、科学的な意味、意義は、
適切な行動を増やすこと。
適切な行動と不適切な行動は相反するもので、
不適切な行動を減ること、もしくは適切な行動を増やすことが、
教育の目的というか意義的なところにあるんじゃないか、
みたいな本の中で一部を見たんですよ。
その中の、この適切って何?みたいな。
僕の先の話に戻すと、良いインプットの良いって何?みたいなことを少し考えていきたいなっていうのが、
一つ僕の中での今思っている問いですね。
良いって何?
仮説としては、
有感で結構いろいろ言ってるのが、
個人っていう人と、社会的な存在としての人間っていうのと、
地球上、生物的な、ホモサピエンスとしての人っていう、
人、人間、人って僕らずっと言ってるんですけど、
最低この3支点は必要じゃないかなと思ってて、
個人的に良いとか、社会的に良いとか、生物的に良いって、
これ多分どっか区切れば定義できるかなと思ってて、
それがちょっと全部ね、個人も社会も生物的にも、
全部のこう、なんて言ったらいい?
なんて言うっけあれ?
うわ、どうするした?
あのさ、丸が3つ重なるみたいなやつ。
うわ、どうするした?みたいなそのやつよ。
うわ、えぐい。出てけへん。
まあいいや。
その丸、個人の丸と社会の丸と生物の丸が3つ重なるところが一番良いなって思ってて、
でもそれってこうまたもう一つ尺度を加えると、
時代とか文化とか国とかいろいろ重なってくると思うんですよ。
まあそれは社会に入るかもしれへんねんけど、
その個人の中でもいろんなフィルターがあったりとか、
社会の中でもいろんな視点があったりとか、
生物学的なものの中でも資材が高かったり低かったりとかがあって、
一概にこれが良いとか悪いとか適切不適切って言えないかなと思うんですけど、
でもなんかなくはない気がするというか。
あったらいいなぁと思いますね。
はい。こういいってなんすかね。適切ってなんですかね。
でもないんちゃうかなっていうわけではない気がするんですよね。
逆にちょっと考えてみましょう。逆に。
えっと、犯罪というか法的にダメだなみたいなことってあるじゃないですか。
殺人だったりとか、飲酒運転だったりとかね。
まあいろいろちっちゃいものから大きいものがあると思います。
で、それってなんで起こるんかなってちょっと思って。
そのインプットとアウトプットをし続けてるっていう話なのであれば、
どっかでこのアウトプットしようってなって、
その殺人なり飲酒運転なりをするんやと思うんやけど、
その、さっき言った通りその10人がトラック競技のリレー競技で、
10人並んでてバトン渡しまくってるリレーをしてるわけですよ。
で、それで殺人するっていうバトンがどっかから渡されてるわけなんですよ。
例えばの話ですけどね。
で、でもこのスタート地点っていうのが分かんないんですよ。
全く。
これ、あの、どの本にも。
あの、ニッサン殺人から出ないんですけど、
どの本にも言われててこのスタート地点が分かんない。
ずっと回ってるから電気信号が、シナプスがずっと渡してる。
ずっとバトン渡し続けてるからスタート地点が分かんないんですよ。
でもどっかで殺人するみたいなバトンが渡っちゃってるわけなんですよ。
これが、脳科学的に言うとね。
どっかでバトン渡されへんかったらいいのになとか、
どっかでバトン落としたらいいのになと思うんやけど、
そのどっかってやっぱむずくないですか。
で、これ、その先の個人とか社外とか生物みたいな話で言うと、
個人でバトン渡しちゃってるパターンもあれば、
社会がそのバトンを助長しちゃってるというか、