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  2. #120 動物倫理学—僕たちはど..
2025-07-14 22:29

#120 動物倫理学—僕たちはどこまで動物のことを思えているのだろうか

📗『食糧人類』

📗『はじめての動物倫理学』


大学院のプレゼンします/クイズ・新しく生まれる子どもと新しく飼われる犬猫の数/かんちゃんとのんちゃん/野良とペット/マンガ「食糧人類」とペットの構造/家畜・動物園・植物園/権利はどこから出てくるのか/人間中心に考えてしまう


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サマリー

動物倫理学に基づいて、飼い犬の幸せやペットと人間の関係について深く考える機会を提供しています。ペットの数が増加する中で、幸せとは何かを問い直し、飼い犬だけでなく野良犬や家畜の脆弱な状況にも触れています。このエピソードでは、動物倫理学に焦点を当て、動物の幸せや権利についてどのように考えているのかを探っています。ペットや家畜、動物園の動物たちの在り方を考え、人間中心の視点から脱却する重要性が語られています。

動物の幸せを考える
散歩している犬を見るのが好きです。
りゅうちゃんの独り言
おはようございます。りゅうじです。
今日もよろしくお願いします。
今週、水曜日から東京に行きます。
17日かな?から20日まで行きます。
大学院の授業を受けに行くんですけど、
受けにというか、プレゼンを受けに行くんですね。
別に行かなくてもいいんですけど、
オンラインでできるんですけど、
行こうかなと思いました。
今日はプレゼンをちょっと長めにしたバージョンを
ここで事前にプレゼンしようかなと思うので、
良ければ聞いていただけたらなと思います。
と言っても、動物のことを発表しようかなと思ってて、
いわゆる動物倫理っていうやつですね。
最近、注目されつつある学問では、倫理学ではあるんですけれども、
そこから動物を考えることで、
逆に人間のことを考えるということになるのだなということを学び、
もう少しそこを深めたいなと思って、
今回プレゼンする機会があるということで調べてみました。
僕自身もワンちゃん2匹飼っているので、
そんなことも交えながら、
今日は皆さんにお話できたらなと思います。
ペットの急増とその影響
早速いきますね。
タイトルは、ペットの幸せについて一緒に考えようっていうところです。
突然なんですけども、台本通りいきますね。
突然ですがクイズです。
去年2024年、1年間に生まれた子供の数と、
新たに去年飼われた犬・猫の総数、どちらが多いと皆さん思いますか?
去年1年間に生まれた子供の数と、
新たに飼われた犬と猫の合わせた数、どちらが多いでしょうか?
正解は犬・猫なんですよ。
そうなんですよね。
クイズにしているのでそうなんですけど、
これはたまたまなんですけど、
日経の新聞を読んでいて、
7月8日の朝刊に載っているんですけど、
犬・猫の数が80.3万匹去年新しく飼われて、
子供の数が68.6万人とか、
いろいろそういうことが載っていることについて、
家族以上の存在になってきたんじゃないかなというところが、
この新聞には取り上げられていて、
すごくタイムリーでありがたい記事だったんですけど、
子供の数は70万人切ったということで、
ニュースとか、それこそ新聞にも載ってたりとかしたかなと思うんですけど、
逆に80万匹を少しずつですけれども超えてきて、
新しくペットを飼うという人が増えてきたというのが見て取れます。
やっぱり2020年、コロナのところぐらいから、
子供の出生数とペットの新しく飼われる数というのが逆転して、
今はここ4年間ぐらいずっとペットを新しく飼う等数の方が、
新しく生まれる子供の数より多いというのが出てました。
本当、家族以上というかね。
ペットもワンちゃんも長生きで15とか20ぐらい生きるワンちゃんもいたりするので、
そこを考えていくと本当に一人の家族だなと言えます。
その辺のペットのことも考えながら、
でもとはいえワンちゃんとかネコちゃんとかペットを飼ったことがないよという人もいらっしゃると思いますし、
これから飼おうかなという方もいるかなと思うんですけれども、
そういった方にも一緒にペットのことについて、
ワンちゃんとかネコちゃんとかそれ以外の爬虫類のことを分かっている人でもいらっしゃるかもしれないし、
金魚とか飼っている方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、
そこから幸せについて一緒に考えていけたらなと思っています。
僕もそんなワンちゃん2匹と3年間ぐらい暮らしていて、
徳島で暮らしているんですけど、
カンスケという今年5歳のオスのワンちゃんと、
ノンちゃんという今年3歳になるメスの犬と暮らしていて、
2匹とも保護犬で香川県から引き取らせてもらいました。
香川県まで迎えに行ったんですが、
カンスケは僕は幼少の頃というか小さい頃は見てないんですけど、
2歳から3歳になるときから一緒に住んでいるんですけれども、
ノンちゃんは本当に小さい生後半年ぐらいから見させてもらっていて、
一緒に過ごしていて、本当に小さかったのに、
いざのまにやら15キロぐらいになっていて、
カンスケは17キロぐらいあるんですけど、
一回り違うぐらいなんですけど、
本当に最初、それこそノンちゃん飼い始めた時とか、
もう全然戸惑うというか、
いろんなおしっこもいっぱいどっかにその辺にするし、
ご飯も食べへんかったりとか吐いたりするし、
カンスケもアレルギーがあったりとかして、
食事をすごく気にしないといけなかったりとか、
あと最近もちょっと調子悪かったりとかするんでね、
本当もう毎回心配になったりとかするんですけど、
それも保健だからっていうのもあると思いますし、
でもそもそも人間とは違う存在なので、
勝手が違うというか、
彼ら自身何がしんどくて何が幸せでみたいなのって、
僕たちも見ること観察することからしかわからないので、
なんか本当、よく見ないとなと思いますし、
それとこの食事とかトイレとか散歩とかお風呂とか、
やらないといけないんですね、やっぱり。
それがすごく幸せなんですけどね。
でも思いっく体が増えた、
一つ増えたかのような、一つ二つぐらい増えたかのような感覚で、
日々日々過ごしてて、
でも言い苦労というか、
うんちも触るし、おしっこも吹くし、
キムクジャラ、毛だらけになるし、
でもそれが何だろうな、
彼らにとってそれが生きていく上で、
やっぱり僕らがいないといけないのかなとも思わせてくれるし、
でもそれ以上に彼らも、
僕にとってなくてはならない存在にもなってて、
一緒に散歩する時間とか一緒に遊ぶ時間とかもそうやし、
近寄って行ったら尻尾振って寄ってきたりとかしてくれるんですよね。
ちょっと家開けて、
1時間とか2時間とかね、それ以上とか帰ってきえへんくて、
久しぶりに朝出て昼に帰ってきたり、
昼から出て夜に帰ってきた時に、
もう吠えて吠えて喜んでくれたりとかするんですよ、
ほんと飛びつくぐらい。
耳噛みちぎるんかぐらい、
ペロペロペロペロ舐めてくれたりとかして、
そんな、かんすけとのんちゃんの姿を見てると、
僕自身がすごく満たされるし、
僕はめちゃくちゃ幸せやなって感じるんですよね。
でもだからこそ彼らの幸せって何かな、
みたいなのを考えていきたいなと思ってて、
今回動物倫理のことも少し学んで、
プレゼンの機会が与えていただいたので、
それをもう一度ちゃんと深く考えてみようかなと思い、
これを題材にしてみました。
逆に飼われている犬ではなくて、
まだ日本には野良犬とか野良猫とか、
それなりにたくさんいるのかなと思いますし、
少し海外に行ってみると、
ほんとにその辺に寝てたりとかする、
どこの犬かなみたいな、
ちょっと近寄りがたいなみたいな犬もいるわけじゃないですか。
でもそれは、僕が今飼ってるかんちゃんとかのんちゃんとかではなくよりも、
自由に外を走り回れたりとかする。
でもやっぱりご飯にありつけなかったりとか、
もしくは病気とか怪我とかしてしまうかもしれへんし、
それを助けてくれる誰かもいないし、
結構犬とか猫もそうなんですけど、
繁殖力強いじゃないですか。
命が増えすぎてしまうっていうところもあるし、
日本では野良犬とか野良猫とか、
人間と動物の関係
保健所とかで見つけたら預かるんですけど、
1週間経って、
里を飼ってくれる人がいないと、
殺処分の対象にもなってしまうっていう現実もあって、
ほんとにこう、
野良犬は野良犬で大変だし、
でも1週間しか見てあげられないっていう人間側のエゴもあるし、
でも野良犬たちとか野良猫たちを放っておくと、
それこそ病原菌が回ったりとか菌が回ったりとかする、
共犬病もあるし、
そういう危険性も僕らに加えてくるかもしれないと思うと、
やっぱり殺処分しないといけないのかなっていうところもあったりとかする。
そんなことを考えると、
犬も野良猫も大変だろうなとも思うし、
飼ってる犬、飼われてる犬、猫も自由じゃないところもあるから、
彼らにとっての幸せってほんとに何なのかなっていうのは考えさせられます。
で、これって逆に僕ら人間にとっても、
同じような、似たような問いでもあるかなと思ってて、
そのペットの気持ちになって見てもらってもいいですかね。
例えば食事が勝手に与えてもらえる朝昼晩ちゃんと、
現行的な同じ食事が与えてくれる。
たまにおやつとかもらったりするかもしれないけれども、
基本的に同じカリカリのドッグフードを与えられるし、
まあでも安全保障される。
屋根の下、クーラーがついてる、暖房がついてる、
暖かい寒さもちょうど適温で過ごさせてもらえる家がある。
でも、自由に恋愛ができなかったりとか、
虚勢もされて、
生殖、繁殖ができなかったりする。
で、外出、散歩もリードにつながれて、
で、自由には外には出れない。
そうされると、僕たちがそうさせられると、
なんかこう、不自由さを感じてしまわないのかなと。
この話を聞いてるだけでも、
なんかそういう生活を言えないなって思われる人も
いるんじゃないかなって思います。
僕もそうなのかなと思いますし。
同じような漫画というかね、
ちょっとペットの話ではないんですけど、
食料人類っていう漫画があります。
ちょっとこうグローテスクというか、
大人なコミックなんですけど、
概要をざっくり言うと、
人類がより高次の知的生命体に管理されて、
食料として収穫されるっていうSF的な設定で描かれてるんですけど、
でもなんかこう、
これって僕たちがペットにしてることとも、
なんかこう構造としては一緒なのかなと。
知的生命体が人類を管理する。
僕たちがペットを管理する。
この構造って一緒なのに、
なんだかこう、
どこに幸せが、どこに自由が、
どこに豊かさがあるのかなみたいなのを考えられるかなと。
この視点をもう少し広げてみると、
ペットだけじゃなくて、
僕たちが毎日毎日食べてるであろうお肉ですね。
鳥とか、豚とか、牛などの、
家畜と言われてる動物たちは、
生まれた瞬間、生まれる前から、
人間の食料になることを前提にされてるし、
もう狭いところで牛詰めで、
地を奪われて、
まあでもご飯は出てくる。
でも、ふんわしたしっぱなしみたいな。
で、金が回るからってことで、
農薬の入った、農薬?薬品が入った、
ご飯は与えられたりとかする。
そういうのを管理される。
で、いい感じにバラバラ太ってきたなーってなったら、
首切られて出荷される。
うーん。
同じ命ではあるんですけれどもね。
動物の幸せを考える
そんな家畜もそうだし、ペットもそうだし、
そういった動物たちの幸せとか、
なんなのかなと。
だって、多分痛みは感じるだろうと思います。
だって、かんすけものんちゃんも、
足持たれたりとか、ちょっと引っ張ったりとかしたら、
高い場でキュイーンって泣いたりとかするし、
嫌なことがあったら噛みつこうとするし、怒るし。
なんかそれで、身の危険を感じる脳というか、
本能もあるし、生きようとしてるじゃないですか。
自然の動物たち、昆虫もそうですけど、生きようとしてる。
で、そんな動物たちの幸せとか、
動物たちの在り方を考えるというのが、
最初に言った動物倫理という学問なんですね。
ペットの話に戻るんですけど、犬とか猫とか、
それら他にも家畜もそうですけど、
こういった幸せ、彼らの幸せを願うことは、
僕たちが他の動物たちに対して、
幸せを与えてるのかなと。
そもそも与えられるようなものなのかと。
もしくは彼らが勝手に感じてくれるものなんですかね。
そういった幸せとか、自由とか、
本当に僕らは人間中心に考えてしまいがちだし、
そういった幸せとか自由という言葉も、
人間が生み出してるというか、
その枠でしか考えられない。
でもやっぱり僕たち、
ちょっと考えれる言葉を持ってコミュニケーションが取れるからこそ、
相手の立場、動物たちの立場になって考えることが、
ちょっとでも大事なのかなって思うし、
もう少しさらに視点を広げてみると、
植物。
植物って昆虫に葉っぱとかがかじられたら、
他の植物に教えてあげるとか、
苦味を出すとかっていう植物もあったりするみたいなのもあるんで、
植物にもそういった感情というか感覚みたいなのがあるのかもしれないし、
もしくは動物園で飼われてる動物とか、
水族館で飼われてる動物とかいるじゃないですか。
これも同じ動物ですよね。
その肉を人類に管理されてる。
なんだか見せ物にされてる。
和歌山のパンダも中国に返すみたいなニュースもなってましたけども、
そのわざわざ飛行機とか船かもしれないですけど、
乗せて国を越えて行ったり来たりするみたいな、
自然ではありえないじゃないですか。
なぜか人が移動させてる。
見せるためにしかも人に。
やっぱり自分たちが見たいからですよね。
それがまたお金になるから。
動物園も水族館も見られる。
見られることによってお金が発生する。
そのお金が儲かる。
そのお金でご飯与える。
もしくは新しい動物を飼う。
資本の一つにされてるんですよね。
家畜もそうですよね。
太れば太るほど、量が大きければ多いほど、
もしくは美味しければ美味しいほど、
いいとされてる。
そういう位が高いものに英語ラングだったりとか、
なんかラング付けして、
それがまたお金に変わってなる。
そういった人間中心で回ってしまっている、
世界になってしまっている。
そこに歪みがあるんじゃないかなと思いますし、
逆にそれが僕らがその立場、売られる立場。
なんならもう奴隷ですよね、言うたら。
動物の権利について
奴隷売買、人身売買みたいなもんですよね。
お金で動物を飼う。
お金で人間を飼う。
同じような構図じゃないですか、さっき言った通り。
そうなったらまた話は違いやろってなってくるんですけど、
じゃあどこから話が違ってくるんですかね。
さっき言った動物園とか水族館の中にも、
哺乳類、僕らと同じ哺乳類っていう属性を持つ、
イルカとかクジラとかもおるし、
なんなら猿、チンパンジーとかゴリラとか。
これ大型類人猿って言って、
僕らホモサピエンスと同じ、ほんまに近いカテゴリーに入ってるんですよね。
本当にDNAでも有名な話かもしれないですけど、
99%チンパンジーと同じとかオラオタンと同じとか出てるじゃないですか。
1%ぐらいですよ、違いがあるのって。
なのに人間中心で回してしまってる。
動物に権利を与えるなんてどういうことや、みたいなのあるかもしれへんけど、
じゃあ僕たちが持ってる権利ってなんのかなとか。
例えばそれは話せることや、権利を与えるのは権利を行使できるからや、
権利を与えられたときにそれを喜べたりとか、権利を使えるから権利を与えるんや。
じゃあ認知能力が低い人だったりとか、もしくは赤ちゃんだったり、生まれた赤ちゃんだったりとかは、
自分で権利だったりとかそういった概念がわからない人もいるじゃないですか。
でも同じ人、人類やからっていうことで権利を与えてる。
でもレイヤーと言うか、認知能力的に同じやった場合に人やから権利を与えて、
人じゃないから権利を与えないっていうのはどこかなんかおかしな感じもするし、
とはいえ動物に権利を認めてしまったら、
どこまでの動物を認めるのか、哺乳類でいいのか、哺乳類以外はどうなのかとか、
そういったところの問題にもなってくるし、なかなか難しいところではあるんですけれども、
動物倫理の重要性
ちょっと深いところというか脱線はしてしまったんですけど、
そういった一番身近である僕はペット観測とかのんちゃんとかの幸せを考えることから、
もう少し広げて家畜のことだったりとか動物園とか水族館の動物たちのことにもついでちょっと考えてみました。
僕の話がわかりにくいかなと思うかもしれないんですけれども、
そういったときはちょっと気になった方は動物倫理について調べてくれたらなと思いますし、
本も読んでいただけたら嬉しいなと思います。
今日はそんな感じで皆さんにちょっと僕が考えていること、興味関心を持ったこと、
かつそれをプレゼントで話そうとしていることをちょっとロングバージョンで、
ほんまはこれ7分にギュッて、ギュッてギュッと収めないといけないんですけど、
ちょっと僕の熱量が入ってしまったので、知った、見知ったことをお腹いつまんで話させてもらいました。
全然僕も数冊なんですよね、本読んだのも、そういった調べたことも、
本当に数冊やから全然知らないのに話しているぐらいの感覚なので、
あまり口調大にして大きくして言えることではないと思いますし、
僕自身もやっぱり僕中心で考えてしまっているところもあるし、
人間、人類中心で考えているところもあるかなと思うので、
気をつけないといけないんですけど、そんな感じです。
はい、以上です。ありがとうございます。
今週東京行くので、ちょっと来週の月曜日まで東京におるんで、
来週の配信がどうなるのかなみたいなのはちょっと心配してて、
配信できないかもしれないので、すいませんけれども、
できるだけやると思いますので、また楽しみにしていただけたらなと思います。
はい、ということでリュウちゃんのひとりごとでは、
皆さんのひとりごとをどしどし集めております。
ぜひこの概要欄のフォームから送っていただけたらなと思いますし、
今日の動物倫理の話とか感想とかお意見がありましたら、
もうウェルカムなのでぜひ送ってください。
皆さん今日か明日かお元気で癖強めで、
少しでも動物のことを考えてみてくれたら嬉しいなと思います。
ありがとうございました。
22:29

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