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みなさんこんにちは。5月24日火曜日ということで、実は今これ撮ってるのが5時58分、朝です。
めちゃめちゃ早い時間に撮ってるんですけど、多分これを聞いてくれているのは早くても今日の夜だと思うので、
まあこの僕の朝のテンションで申し訳ないんですけど、最後までお付き合いいただけたらと思います。
はい、ということで今日のお話は、もうほぼほぼ自分語りになりそうな気がしているんですけど、
僕自身が本当にこう、なんか厳しい環境で、大人に厳しく、厳しい大人の下で育ってきたので、
なんか自分にすごく厳しくなっちゃったなーって思ってるんですけど、
なんかそういうちょっと過去の話を交えながら今日は喋ります。
これまでこのラジオでもそうだし、ブログとか他のSNSとかでも言ってきたんですけど、
僕って自分に対して厳しくて、しかも完璧主義なんですよね。
まあこれでも随分マシになった方なんですけど、
でもなんかやっぱりそういう一面がなくなることってなくて、
完全に新しい自分に生まれ変われるのかって言われたら、そんなことはないんじゃないかなと思っています。
実際僕もマシにはなってきたものの、やっぱり時と場合によってはまだまだこう自分に対して厳しい目を向けているような自分がいるなっていうのを感じることがあるんですよ。
なんかこう、やらなきゃいけないなーって思うこともあるし、
最近ちょっと休みすぎかな?ゆっくりしすぎかな?って思うこともあります。
あとはこう、なんかリラックスタイムなんだけど、時間を無駄に使っちゃいけないなって。
リラックスすればいいのにね。なんかその時間さえも無駄なんじゃないかなって思っちゃったりとか。
だいぶ減りましたけどね。減ったんですけど、まあまあなかなかというか、きっとこれはなくならないだろうなっていうのを感じています。
だからこういう部分、なんか昔からの環境とか、これまでの経験で出来上がった自分の性格。
性格はまあね、変わる部分もあると思いますけど、なんかこう、こういう自分じゃなくなりたい、こういう自分から変わりたいって思っても、
やっぱり完全に変わるっていうのは、まあすごい長い年月をかけてこういう自分になってきたわけなので、
完璧にすべてガラッと変わることはないんだなって思うと、そういう自分と共存しないといけないというか、
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共存できるようになったら、なんかこうまた次のステップに行けるんじゃないかなっていうのを感じています。
今振り返ってもね、結構やっぱ同級生と比べても、家庭環境というか親の方針みたいなものは結構厳しい方だったと思ってます。
それこそこう、友達同級生と同じようなタイムスケジュールで遊べなかったりとかもしましたね。
なんかもう、暗くなって帰ってきたら遅いみたいな。
暗くなってというか、特に小学生とか中学生の頃って、友達は例えば7時まで遊べるけど、僕は6時までとかね、なんかそういうことも少なくなかったし、
遊びに行くのを禁止とか、ゲームを禁止とか、なんか携帯持ったばっかだと携帯を没収とか、あれを取り上げるとかっていうのも結構あったんですよ。
あとは、僕はね、小学生の頃から大学までずっと野球をやってたんですけど、野球に関しても、どうせやるんだったら、
例えば小学校って野球部とかないんで、近くの地域の野球チームに入るんですけど、なんかより指導が厳しいチームに入りなさいみたいな、そういうプレッシャーも親からありましたね。
で、案の定僕は中学校で、もう学校の野球部ではなくて、クラブチームに入るんですけど、その時もなんかこう厳しいチームに、監督が父親と何か価値観が合うような、
すごいね厳しい監督だったんですよ。小学校の時も結構厳しかったんですけど、中学校の時は結構もう、今はね多分ないと思うんですけど、
誰かしら必ず殴られてましたね。 僕自身も上級生になると減ってはくるんですけど、監督、コーチ、
何人かコーチとかいる中で、誰からも殴られずに帰れる日なんていうのはほぼなかったぐらい、
結構そういう意味でもね、身体的にも厳しいような指導が多かったので、
でもなんかそういうところに父親は入れたい、入れみたいな感じのプレッシャーを僕に与えていたように、僕はね受け取ってました。
あとは、始めたことを辞めるなんてことは許されないような環境、父親の性格的にもね、一回やったこと辞めるなんかありえんみたいな感じだったので、
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そもそも野球を始めた時点で辞めるっていう選択肢はなかったんですよ。 結果的に大学まで続けたのは自分の意思なんですけど、
でもなんかこう、いつからか楽しくできていない、野球が別に面白くないなっていうのを感じながらやっていたような時期もやっぱりあって、
まあ今振り返っても、家でもそうだし野球でもそうだし、なんかこうすごい厳しい、なんならちょっと怖い、僕が萎縮しちゃうような厳しい大人っていうのがずっとなんか、
小、中、高校のね、高校はまあね、でも先生なんで、監督はね学校の先生なんで、そんななんかね手を挙げるとかはなかったですけど、
特に生まれてから中学校ぐらいまでは常に家の中でも外でも、すごい強烈な厳しい大人がそばにいたんですね。
そういう経験をしてきて、僕はなんかこう、その現場のいわゆる監督者みたいな一番偉い人の前ではなんかこう失敗しちゃいけないとか、
完璧な自分でいないといけないっていうのをすごく思うようになっちゃって、そうじゃないと殴られる、そうじゃないと怒られるって思っちゃうんですね。
だからこう、そういう恐怖心、萎縮、過度な緊張みたいなものがすごく染み付いちゃって、今でもそうなんですけど、別にこう怖い上司とか、怖いリーダーみたいな人がじゃなくても、
この人はリーダーだ、この人は上司だ、この人はここで一番偉い人だって思うと、なんかすごい固くなっちゃうんですよね。
なんかもう昔からの経験で、もう体が覚えちゃってるというか、ここではちゃんとしなきゃ、ここでは崩しちゃいけないじゃないと、っていう風に思っちゃうんですよ。
だからこう自分に厳しくなっちゃって、誰からも求められてないし、ましてやそのいわゆるリーダーみたいな偉い人も、僕に厳しい目を向けてるわけでもないんですけど、
なんかもう体が反射的に、この人の前では、みたいな感じでなっちゃうんですよね。
だからもうこれは軽減されることはあっても、無くなることはないんだろうなっていうのを、もうそこから高校、大学でバイト先で、会社1社目、今2社目ってなってきて、やっぱ無くなりはしないんですよね。
だからもうこれは共存するもんだろうなって思ってます。
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もちろんこういう、自分に厳しいことが全部が全部悪いことばっかではなかったんですけど、
良くも悪くもこういう自分になったっていうのが、結果というかそうなっちゃったっていうところですかね。
なんかもうこんなんじゃダメとか、もっともっとしっかりしないと怒られちゃうとか、もっともっとしっかりしないと認められないとか、
なんかもっともっとまだ足りない、こんなんじゃダメっていうのが、なんかもうね脳みそに染み付いちゃってますね。
あんまり良くないんですけど、でもこれでも自分の言葉でちゃんとそんな風にしなくてもいいよっていうのを、こうやってねメディアで言えるようになってきた。
こういう自分の媒体で、ちゃんと自分の言葉で、自分が過去にやってきた失敗ではないんですけど、今の方ががぜんらくなので、生きやすいので、
そういうだから自分の変化とか経験を踏まえて喋れるようになっただけでも、なんかこう軽減されてる?
過去よりも今の方が断然生きやすくなってるなっていうのは自分でも感じています。
良くも悪くもね、こうなったっていうので、全然良いことももちろんありますよ。
それはきっと僕だけじゃなくて、あなたもなんか自分のこういうところは嫌だなとか、自分のこういうところを直したい、変えたい、消し去りたいって思ったとしても、
多分そういう一面が良い方に転じた?
そういう一面のおかげで、なんかその場を乗り切ったりとか、うまく成功につながったとかね、そういう経験も思いつくかどうかは別として絶対ゼロではないと思っています。
だからこう自分自身を、過去から積み上がってきた自分自身を消し去るんじゃなくて、共存する。
こういう一面と上手に付き合っていくっていうのが、すごく大事なんじゃないかなって自分の経験を踏まえても思っています。
僕はこう、自分との付き合い方がコーチングを受けて以降すごく上手になったなって、これはもう自我自賛ですよ。
でも本当に自分でそういうふうに感じていて、そこからすごく生きやすくなりましたね。
別に自分自身はそこまで大きくは変わってないんですけど、同じことが起こったり同じシチュエーションになっても、なんか自分と上手に付き合って、自分と会話して、考え方をね。
強制っていうとなんかちょっと無理矢理感ありますけど、ちょっとずつ改善していく、今までと違う方向にずらしていくだけで生きやすくなりましたね。
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まあそれはもともと悪いことだけじゃなくて、良い面もあるこういう今の自分。 昔から積み上がってきた自分なので。
まあちょっと付き合い方を変えたり考え方を変えるだけで、同じ世界に生きているのになんか別の世界を生きているような生きやすさとか、
楽さみたいなものをね、すぐに味わえる、味わえるというか、なんかそういう、
うまく言えないですけど、なんか自分を消し去るとか自分を一新するんじゃなくて、この自分と上手に付き合ってちょっと工夫してっていうのが、
できるかできないかっていうのは結構これから先生きていく上で、
なんかこう自己肯定感みたいな言葉は僕は使わないんですけど、なんかそれに近いようなものが、
ものに影響を与えるんじゃないかなっていうのを思っています。 なんかちょっとね抽象的というか、もっと噛み砕けて喋れたら良かったんですけど、
なんか今これぐらい限界でちょっと申し訳ないなと思っています、今。
なのでこうまとめていくと、リスナーさんも僕だけじゃなくてね、あなたもみんなそれぞれ性格とか、生で生きてきた環境っていうのは違うので、みんながみんな同じではもちろんないですよね。
だからこうまあそんな、自分はAさんはこういうふうにこんな自分が嫌だ、Bさんはこんな自分がちょっとな、Cさんはこんな自分を変えたい、
全部ねバラバラのはずなんですけど、そういうなんか自分の嫌いな部分がきっとありますよね。
なんかもうなくしたい、変えたいけどなかなかこうなくならなくて、もうそれで自分自身にうんざりしている人ももしかしたらいるかもしれないけど、
今日僕がお伝えしたいのは、そんな自分を別に消さなくてもいいんだよっていうのをね、伝えられたらなと思っています。
上手に共存していく方法はあるし、共存することによって良い面も必ず出てくるので、
僕自身も自分に厳しくなっちゃったのはなっちゃったんですけど、なんかもうこれで良かったなって今はやっとですけどね、ようやく思えるようになってきました。
その分なんか過去の自分のような人、過去の自分が持っていたような生きづらさを持っている人の気持ちが痛いほどわかるので、
そういう自分と共通点のあるような人の気持ちが理解できるだけでも、すごく良い経験だった、今思えば結果的には良かったって思えていたらいいんじゃないかなっていうのを僕は思っています。
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だからそういうこう、あなた自身が自分を受け入れる、自分と共存できるようになる、なんかそういうお手伝いっていうのを僕は自分の仕事を通して、対話を通してやっていきたいしね、やっていけたらいいなっていうのを、自分が大好きな人のそういうお手伝いができたらすごく自分もハッピーだなって思うので、
そんな感じですかね。
この中のリスナーさんの中でね、いつか僕と一緒に仕事をする人も出てくるかもしれないんですけど、
なんかこういうね、過去の自分の僕の経験だったりとか、僕の考え方とかに共感できる人っていうのはきっと僕といいセッションができるはずなので、
今日はなんか僕の自己開示って言うとなんかね、生きてますけど、なんか過去の自分の話を少し交えながら話してきました。
ちょっと長くなっちゃったのでもうサクッといきますね。
概要欄の方に今日は、自分を変えるために頑張るのは良いことなんだけど、そこで頑張りすぎるよりも、こうした方がいいんじゃないっていう話をした収録を貼っておこうと思うので、
この長い収録を聞いた後に大変かもしれませんが良かったら聞いてみてもらえたらと思います。
はい、そんな感じで朝5時58分からよくもまあこんなに喋れますね。
途中からだんだん乗ってきまして、テンションは朝のテンションなんですけど、ついつい話し込んでしまいました。
もう僕は家でないとやばいんですけど、そろそろ終わりたいと思います。
そんな感じですかね。
これからもね、こういうなんか僕の過去の話とかね、結構ブログ、ノートの方では書いてるんですけど、あんまりラジオで長々と喋ってきたことはないかもしれないので、
なんかそういう話も交えていこうかなーなんてことを今思っています。
はい、そんな感じで長々と聞いてくれてありがとうございました。
ではまた次回お会いしましょう。
バイバイ!