ライブ配信の開始
みなさん、こんにちは。ということで、やっていきましょう。
実はですね、今朝、超久しぶりにライブ配信をしまして、
一時、結構集中的にやったり、波があるんですけど、久々にライブ配信を実はしていまして、
ちょっとまた、毎日とかは流石にあれですけど、できるタイミングを見つけてね、
短くてもライブ配信も活発にやっていこうかなと思ってますので、
特にフォローしてくれている方、通知を切ったりしていない方は、
多分、僕がライブ配信を始めたら通知が行くと思うので、
お気軽に今後いつでも遊びに来てもらえたらなと思ってます。
今日ですね、午後に健康診断に行ってました。
健康診断って午前中だったらそんなに負担じゃないんですけど、
午後ってめちゃくちゃしんどいんですよね、毎年。
僕の行っている病院がなぜか午後なんですよ。
一応朝食は8時までに済ませてねって書いてあるんですけど、
もともと食べないんですよね、僕って。
朝食はいつもコーヒーと小分けされているアーモンドっていう生活を
もう2年3年くらいかなやってるんで、
けどコーヒー飲めないから水しか飲めないんで、
水とアーモンドはちょっと違うなとか思うと、もう食べないんですよ、何も。
そうすると前の日の晩御飯から健康診断が終わるまで、
僕のところで言うと1時半くらいから始まって2時半とかに終わって、
帰り道一番近いコンビニに寄って2時40分とか45分とかにやっと食べ物にありつけるんで、
空腹の期間とか水しか飲めないし、でもあんまり飲みすぎも良くないよなみたいな、
なんか満たされない時間が長くて、
午後の健康診断年に1回ね、めっちゃ辛いんですよね。
今日も速攻でコンビニに寄って軽くつまむ物を買ったりもしたんですけど、
やっぱり反動かな?やっぱあるんですよ。
ちょっとなんか頭ぼーっとするし、
採血とかの影響あんま受けないんですけど、
多分最近の疲れとかも残ってるせいかな、ちょっと分かんないんですけどね。
まあまあそんな感じで、
ちょっと疲れは残ってる。
この声にね、疲れが残ってるかもしれませんが、
喋っていこうと思います。
で、ちょっと思考を変えて、
トラウマについての自己開示
今日はですね、なんかこう僕のちょっとパーソナルな部分を話していこうかなと思ってます。
あんまり話してないかもしれない。
ちょこっと話したりはしてるかもしれない。
ノートとか文章にちょっと書いたことはあるかもしれない。
あんまり僕もどこまで話して、
どこを話してないか記憶が定かではないんですけど、
なんかこう改めてね、自分のことをもっと話していこう、出していこうと思いまして。
リスナーさんとかね、僕のクライアントさんとか、
距離の近い人から僕のことがどう見えているかって、
まあ僕の想像通りの部分も多分あると思うけども、
一方でそんな一面あるんですか?とか、
そんな過去があったんですね?とか、
なんかそういうこともあり得ると思っていて、
僕ってラジオとか話すこと、
人に対して、誰か聞いてるか分かんないけど、
こういうなんか話すことに対しては、
特に抵抗もなければ怖いみたいな、恐怖心みたいなものもほとんどない人間なので、
なんかラジオだけ聞いてるとちょっと堂々としてるし、
人によっては僕より年上の人からすると、
こいつなんか年下なのに結構堂々としてるなとか、
自分持ってて自分の意見とかしっかり言ってるなとかって思ってくれたりする人もいるかもしれませんけど、
僕はなんか昔から大人の圧力みたいなものがすごく苦手なんですよね。
意外かもしれませんけど。
多分これは幼少期とか家庭での経験がすごく大きいんですけど、
なんか高圧的な物言いをしてくるとか、
極端に言うと手を挙げてくるとかね、
今の時代そんなにないのかもしれないですけど、
僕が子供の頃の方が今よりももう少し緩かった気がするんですよね。
僕は結構比べようがないんですけどね。
僕はでも同年代の同級生とかと比べて、
結構そういう厳しいしつけとか指導を受けてきた方かなと自分では思っていて、
比較的怒られたりとか、
自分が何かやらかしてしまったりとか失敗してしまった時に、
手を挙げられるような環境にずっといたんですよね。
一つは家庭で、
うちはなんか、
別に親のことをこの放送で下げようみたいな狙いはなくて、
本当に僕の自己開示の一環として話をするわけなんですけど、
父親が結構手を挙げるタイプの人間なんですよね。
でも頭に血が昇ると、
もう何かコントロールというか止めようがないというかね。
物は飛んでくるわ。
手は挙がるわ。
手ならまだしも物振りかざしてくるみたいなことも普通にあったので、
なんか僕が、
例えばね、母親に歯向かって反抗、
反抗期とかってあるじゃないですか。
反抗期とかですごい生意気な口を聞いてしまったりとか、
一応親の中ではそれはダメってルール決めされていることに
自分が納得いかなくて、それを守らなくて、
それを父親に報告されて、
父親から叱られるみたいなことは結構あったんですよね。
家庭でも何か大きな、
親の価値観に反することとか、
親の基準、親の枠の中からはみ出すような、
それは違うでしょみたいなことをすると、
結構厳しい教育っていうのかな。
親からの教育にしておこうかな一応を受けてたんですよね。
それが一つでしょ。
僕は小学校の時に野球を始めたんですね。
中学の時に中学校の野球部に入らずに、
地域のクラブチームに入ったんですよ。
中学校の野球部って基本的にはボールがまだ軟式、
柔らかいボール、割とね。
高校から公式に変わるのが一般的で、
けど僕は中学校の時からクラブチームに入って、
そこはもう公式なんですよ。
だから高校野球とかを見据えて、
あとは結構小学校の頃から能力は高い方だったので、
挑戦的な部分と先を見せてっていうところも含めて、
公式をやるっていうことはもう決まってたんですね。
自分の中で。
で、いくつかクラブチームっていっても候補があるわけですよ。
地域に。
その中で、まあ巷で噂のチームが一個ありまして、
あそこはやばいと。監督がやばい。
まず具体的に言うと、殴る蹴りは普通みたいな。
そういう監督なんですよね。
今の時代多分もうありえないですけど。
で、何をちまよったか、僕はそこに入ってしまうんですよ。
一つは父親の価値観と合ってる。
なんかやっぱり殴る蹴るOKみたいな。
とにかく厳しくこいつを、
教育というかこいつに厳しく接してくれる環境を
父親は好んでいたっていうのが一つ。
もう一つは小学校6年生とかね、
クラブチームに見学に行くわけですよ。
僕も行ったんですよね。
噂には聞いてるけど、どんなチームなんだろうと。
でね、小学校の子が練習を見に来ると、
監督は一切手を挙げないんですよ。
もうなんか怒鳴ったりとか、
手を挙げることを一切その日はしないんですね。
で、見学に来た小学生の子を呼んで、
親と一緒にね、うちこいやみたいなことを
誘ってくるんですよ。
僕も、僕が行った時も、
全くそんな噂に聞いてるような
ヤバい光景は一つもなくて、
なんなら監督に呼ばれて、
お前うちこいよみたいな感じで、
肩に手は置かれてないですけど、
そんな雰囲気ですよね。
あれ、なんか思ったことじゃないじゃんみたいな。
当時僕は素直だったんでしょうね。
父親の価値観にも結構あっていて、
僕的にも、僕がこの目で見たもの、噂はさておき、
この目で見たものに、
ヤバいものはなかったと思って、
入ることにしてしまうんですよ、そこにね。
で、一応3月31日までは、
小学校6年生、卒業してもね。
で、4月1日から入学式1週間前ぐらいだったけど、
もう中学校1年生として正式に
ゾナクラブチームの選手として認識されるんですね。
チームから。
見事に3月31日までは、
一切殴られない、蹴られない。
どんなミスをしてもね、野球で。
でも、4月1日になった瞬間に、
午前中の練習で僕も一発もらったんですよね。
っていう、そういう環境で練習時間も長いし、
休みもないし、学校終わってから練習行くし、
みたいな、かなりハードな環境だったんですよね。
で、やっぱそういう、親とか監督とかね、
小学校とか中学校の頃から、
大人の暴力なのかどうかをさておき、
そういう指導方法、教育方法が、
僕の中ではすごく身近にあって、
それがある種当たり前だった。
けど、やっぱ気持ちのいいものではないじゃないですか。
僕って、そんな物音しないタイプっていうよりは、
結構ビビってしまうタイプなんですよね。
怖がって足とか震えるタイプなんですけど、
大人が怒鳴ったら手を挙げてくるとか、
圧迫面接的なそういうコミュニケーションをされると、
この人は急にこの後大きな声を出して、
こっちに歩いてくるんじゃないかとか、
そういういろんなトラウマみたいな、
体に染み付いてしまって、
大人に囲まれたりとか、
大人から一方的に、
コミュニケーションの苦手意識
責められるじゃないですけど、
怒られたりとか、
大人対自分みたいな構図が、
すごく苦手になっちゃったんですよね。
ラジオを聞いてると、
あんまりわからないかもですけど、
僕って結構早口なのは早口で、
緊張する場面にすごく弱いんですよね。
中学校の時のチームの監督とかも、
監督の何か言ってきたことに対して、
僕のアンサーが、
返答が監督の中で間違っていると、
もうそれは手が飛んでくる対象になるんですよね。
だから、ちゃんと正しいことを
僕は言わなきゃいけない。
質問とか怒鳴ってきたことに対して、
僕は100点の返答とか、
100点のコミュニケーションをしないと
殴られるみたいなものがすり込まれてしまって、
それは家庭でもそうですけどね。
家庭とか野球の環境で、
僕はそういうものがすり込まれてしまったので、
大人になにか、
例えば自分から報告しなきゃいけないとか、
これを言いに行かなきゃいけない。
監督を監督室に呼びに行かなきゃいけないとか、
面接の場で自分から何か発信しなきゃいけないとか、
そういうシチュエーションが
すごく苦手になっちゃったんですよね。
なので僕、面接とか本当苦手で、
めちゃくちゃ噛むんですよね。
もう怖くなっちゃって、
多分それが今となっては、
多分もう怖さはないんですけど、
多分体が何かそういうものを覚えてしまっていて、
緊張すると早口になって、
なんかこう、どもってしまう感じ。
なんか言葉が出てこないみたいな、
自分の口から。
言いたいことは決まっているけど、
言葉が出てこないんですよ。
っていう言葉がすごく多くて、
中学校の時のチームで、
監督に何か自分が報告しなきゃいけない、
自分から監督のところに行って、
部屋にノックをしてとか、
何か言わなきゃいけないとかっていう場面でも、
自分の言いたいことは分かっている、
言わなきゃいけない内容は分かっているんですけど、
言葉が出てこないんですよね。怖くて。
何か言って間違ってたらどうしようとか、
これが監督の中でNGな僕の言葉遣いとか、
NGなコミュニケーションだったらやばいみたいな。
すごく怖くて、
だから対監督とのコミュニケーションとか、
対大人、対偉い人とのコミュニケーションが、
実はすごく苦手なんですよね。
なので高校の野球部の監督とかもそうだし、
大学とかもそうだし、
先輩ぐらいならあんまないんですけど、
監督とか大人ですよね。
だから就職する時も面接とかはすごく苦手だったんですよね。
空気が慣れてきて、
自分のペースをつかむと、
自分らしく話はできるんですけど、
特に最初、最初回でも一番緊張感あるじゃないですか。
そういう自己紹介とかね。
前半の部分が本当に今でも苦手で、
大人の前で緊張してガチガチになって、
言葉が出てこないとか、
どもってしまうとか、
言いたいことが言えないっていうのが、
すごくコンプレックスなんですよ。
緊張とトラウマの影響
これって一対一のコミュニケーションだったら、
目の前の一人しかそのことを知らないから、
まだいいんですけど、
例えば面接とかだとね、
集団面接とかグループ面接みたいな、
面接官2,3人と、
受ける僕たち5人とかってなると、
僕が言葉が出なかったり、
どもったり早口になったりすると、
周りの同じ面接を受けている人にも、
笑われるとか、
バカにされるとか、
こいつ何みたいな風に思われるっていうのが、
それもすごく嫌で、
本当に集団面接みたいなのも、
死ぬほど苦手なんですよね。
子供の頃にすり込まれたことが、
今となっては、
もちろん暴力を振るわれることなんて、
基本的にはないし、
怒鳴ったりってことも、
もう会社だろうが家だろうが、
全くないですけど、
大人に対してのコミュニケーションが、
ちょっと苦手。
体が何かしら、
怖いなっていう気持ちを抱えている、
怖いなって感覚かな?
多く持ってて、
反応してしまうんですよね。
これって隠そうと思えば、
いくらでも隠せるし、
多分僕は隠して生きてるつもりなんですね、今は。
あんまり集団面接とかって場もないし、
プレゼンとかも、
だからペースを掴んできたらいけるんですけど、
特に最初の1分、2分とかすごく苦手で、
名刺交換とかもすごい苦手。
初めて会う人に、
ただ名刺を渡すだけですよ、
自分の名前を言って。
なんかね、
体が固まっちゃうんですよね。
すごく苦手で、
対大人のコミュニケーションが怖い。
もう萎縮してるんですよね、
心と体が。
年々マシになってるとはいえ、
でもやっぱり子供の頃に擦り込まれたものって、
なかなか完璧には消えないんだなと思ってて、
いまだにあんまり人前でそういうのが出ると、
出したくないなって恥ずかしくてね、
隠して隠してやり過ごしてるんですけど、
あんまりそういうものが出てしまう場が、
だいぶ子供の頃より減ったので、
隠せてはいるんですけど、
やっぱ自分の中ではすごい緊張する。
初めての場所に行くとか、
初めての人とコミュニケーションを取るとか、
面接とかもそうですけどね。
本当にね、
僕ってコンプレックスそんなに多くないと、
自分では思ってるんですけど、
でもこれが一番治したいんだけれども、
治らないもの。
なんか言葉が出ないんですよね。
頭ではちゃんと文章とかストーリーできてるんですよ。
使いたい表現とかも。
なんか詰まるんですよね。
体がそうなっちゃってて。
こんなにラジオだったら堂々と普通に喋ってますけど、
そういう一対一のとか一対他で対大人、
この人は明らかに偉いとか、
この人は明らかにここの中でリーダーだとか、
この人を怒らせたらまずいとか、
そういう人と対するコミュニケーションが
すごく苦手なんですよね。
よく新卒から6年間営業やってたなって思うんですけど、
よく営業できたなと。
でも営業やってた時も本当にね、
お客さんのところに行くと本当に緊張して、
体固まってもめちゃくちゃ汗かいて、
どうしようもなかったんですよね。
慣れるまでは。
でもなんかこういうコンプレックスみたいなものって、
なくなってはないんですけど、
でもなんかこういうのがあるから、
何も悪いことばかりではなくて、
どうやったらこの緊張が和らぐだろうとか、
どうやったらこの同じようなことが起こらなくて済むだろうとか、
少しでもいいから克服できるだろうということを
やっぱり考えるんですよ。
それこそね、深呼吸してから話そうとか、
あんま深呼吸できる余裕がないんですけどね、
実際のところは。
何を考え、頭の中をどういうふうにしていけば、
どんな準備をすれば話せるかなとか。
いろいろ考えて工夫してって自分ではやってきたつもりで、
でもなんかまだ完璧には治ってないから、
まだまだ途中なんですけど、
でもなんかこう、
治らないものとか、
拭いきれないトラウマとかって、
たぶんなくなったほうがいいんですよね。
なくなったほうが気持ちいいし、
生きやすいし、
消えてほしいはずなんですけど、
でもなんかこう消えないからこそ、
どうやればこれがちょっとマシになるかなとか、
どうすればこれがもっと改善できるかなって、
そういうことを考えられるっていう見方もできる。
自己成長への試行錯誤
プラスの側面も、
まあ無理やりかもですけど、
見つけることはできて、
でもこの思考方法って、
仕事づくりとかね、
自分のやりたいことをやっていく上でも、
やっぱり共通する部分なんだなって思います。
どうすれば苦手な発信がもう少し上手くなるだろうとか、
どうすれば完璧ではなくても今よりもっとよくできるだろうとか、
しっかりとより良くするために、
今よりもちょっとでも良くするため、
成長するためには、
何が足りてて、何が足りてなくて、
次はどうすればいいのか、
じゃあ次はこういうことを試してみようっていう、
試行錯誤するような考え方につながっていく。
ここはコンプレックスとか、
自分の直したいところに対する向き合い方と、
もっとこうなりたいとか、
もっとこれを実現したいとかって、
今ポジティブな悩みと相反するようで、
実は共通点もあるなと、
自分が向き合ってきて気づいた部分でもあるんですね。
正直だから、
自分が試されているような場面が一番苦手なんですよ。
だから年上とはいえ、
僕の方が偉いっていうか、
コンプレックスとの向き合い
僕の方がここではホームですよ、
僕のフィールドですよ、
僕が主人公ですよみたいな状況だったら、
どうってことないんですよね。
僕が例えばブースを出展していてイベントでね、
僕のところにちょっと偉いような人が来ましたみたいな、
でもここは自分のブース、自分のフィールドだから、
相手がお客さんみたいな、
だったらまだいいんですよね。
けど面接って相手のフィールドらしい、
営業でお客さんのところ訪問するって相手のフィールドらしい。
怒られるとかって主導権が向こうにあるから、
こっちが何かを言われる対象、
こっちがアウェイ、ホームじゃない、
っていう状況が特に苦手。
こっちが見極められてる、試されてるとか、
お前どうやねんって言われてるみたいな、
その構図が特に苦手なんですよね。
だから今大人になったんで、
お客さんのところに仕事で訪問するとか、
あと面接を受けるとか、
そういう場面しかあんまりないと言えばないんですけど、
でもやっぱり未だにそういう自分のトラウマ、
コンプレックスが知らつく瞬間も、
もちろんあって、
それが出てくる度にまたかって、
またやっちゃったなとか、
また出てきちゃったなって思ったりするんですよね。
治らないなって。
こんだけやって治らないってことは、
多分治らないんだろうなっていう、
半分諦めもついてるんですけど、
だったら治らないなら治らないで、
じゃあどうやって付き合っていくのかっていうのが、
やっぱり次の考えるべきところかなと思ってます。
なくならないんだったら、
うまく付き合うしかないから、
どうやってうまく付き合っていく?
どうやってこれに自分の感情とかメンタルが
引きずられないようにする?
どうやってこの部分を肯定するかっていう、
さっきの話ともつながるかもですけど、
うまく付き合うためにはどうすればいいのかっていう
思考に今度変わっていくんですよね。
この放送を聞いている人の中にも、
何かしら自分のコンプレックスとか、
人に見せたくない、隠したいものって、
あったりすると思うんですよ。
できるだけバレたくないとか、
トラウマみたいなものとか、
出てしまうんだけれども、
できるだけ出したくなくて、
隠したいもの。
でも、頑張って頑張って何とかしようと思って
試行錯誤してるけど治らない。
条件が揃った時には、
そのトラウマみたいな症状が出てしまうっていう人。
どれくらいいるかわかんないんですけど、
今日の僕の話に共感できる人って、
これだけ人がいれば、
何人かはいるんじゃないかなって想像してます。
僕って完璧に見えたりとか、
上手くやってるように見られやすいんですけど、
実際はそんなことなくて、
緊張して全然喋れなかったりとか、
本当にこうどもって声震えて汗かいて、
もう終わってんなって自分でも思うことって
未だにたくさんあって、
でもそういうコンプレックス僕も持ってるし、
けど別にこのコンプレックスがあるからといって、
人生に絶望するとか、
自分を卑下するとか、
自分の可能性に蓋をするとか、
そういうことは全くなくて、
直したいから、
一工夫二工夫考えて試してってこともやりつつ、
心のどこかでは諦めてる部分もあるから、
そことどうやって今後付き合っていくのか
っていうことを考えたりとかね。
共感と対処法の模索
なんか僕もそうやって生きてるんですよ。
なのでトラウマ、コンプレックス、
なんか僕もあるっていうことがね、
どれくらい勇気につながるかわからないですけど、
工夫、どうすればこれがなくなる、
治る、マシになるっていうことを考えるのもそうだし、
どうすればこいつとうまく付き合っていけるのか
っていう答えを自分なりの答えを見つけていく
っていうのもそうだし、
なんかそういうふうに僕もやってるので、
なんかちょっとでもね、
自分の現状はまだ消えてくれない、
なくなってくれない、
トラウマ、コンプレックスみたいなものと
うまく付き合っていこうと、
うまく付き合っていくために
何をすればいいのかを考えようみたいな、
そういう気持ちにね、
この放送を聞いてくれた人が
なってくれたらいいなと思ってます。
はい、ちょっと変わり種の放送を撮りました。
概要欄には過去の放送1本貼ってるんで
ぜひチェックしてみてください。
長いね、26分喋ったよ。
なんかこれが響く人がどれくらいいるかわからないし、
26分なんて長い放送を
最後まで聞いてくれた人がどれくらいいるか
わからないですけど、
なんかちょっとでも響いた人がいたら
嬉しいなと思います。
ではまた次回お会いしましょう。
バイバイ。