1. りょーちんのわがままラジオ
  2. 価値観や経験、解釈を発信する..
2025-07-12 16:10

価値観や経験、解釈を発信する前に他人の言葉を見てはいけない #1066

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サマリー

他人の言葉に影響されずに、自分の価値観や経験を発信する重要性について説明しています。特に、発信する前に他人の意見を見ないことで、自分の解釈を保つことができ、健全な自己表現が可能になります。このエピソードでは、自分の価値観や経験を発信することの大切さと、他人の意見に惑わされないことの重要性を強調しています。発信する前に他人の言葉を見ないように心がけることで、自己表現の機会を失わないようにしています。

発信の重要性
みなさんこんにちは、ということでやっていきましょう。
はい、土曜日ですね。週末ですけれども、ラジオをやっていこうと思います。
今日はですね、久々に発信の話をしたいなと思っていまして、
ただ、今日のお話は過去にも何回かしたことがある、結構似たような話をしたことがあるんですよ。
ただね、このタイミングで話したいなと思ったことを話す。
結局やっぱり、自分が話したいと思っているものを話す方が熱量もこもるし、より伝わるんじゃないのかなと思うので、最後までお付き合いいただけたらと思っています。
では、何の話をしていくかというと、自分の価値観とか経験とかを発信する時に、やめた方がいいんじゃないかなと思うことがあって、
それは、自分が発信をする前に他人の言葉を見てしまうこと、これは若干タイトルには見てはいけないという強めの表現をしましたけど、
でも本当そのレベルでできるだけ見ない方がいいと僕は思っています。
その理由とかを話していくわけなんですけど、まず僕は結構このビジネスっていう枠の中でも、自分の経験してきたこと、自分の価値観、
その価値観が生まれた経験とかっていうものを中心に発信をしているんですけど、趣味の延長線上でそういう発信をしていたりも実はするんですよね。
その別のアカウントで、このアカウントではなくて、そのこのアカウントっていうのはX、主にXですね。
このスタイフに紐づいている、自分がこう仕事を作っていく上で使っているのとは別のアカウントで、結構趣味のことを見たりとか発信したりとかっていうアカウントも実は持っているんですよ。
主に僕の趣味はというと、ラジオをある程度聴いてくれている方はもうご想像の通りかもしれませんが、
僕はもうアホほどライブに行っているので、結構ライブに行った感想だったりとか、そこから得たものとか、ライブに行く前の気持ちとかも含めて選択肢が止まりました。
そんな感じで、ライブっていう音楽っていう枠でも結構自分の感覚とか考えを言葉にして、
Xっていうある種電話に乗せて発信を、発信っていうものじゃないですけど、つぶやきみたいなものをしているんですよ。
やっぱりライブを見て実際に、そうするとライブに行った人たちの感想っていうものがどんどんどんどん出てくるわけですよね。
別に自分がフォローしていなくても、Xで言うと、おすすめ欄とかを見ると、自分の発信していることとか、興味があることに類似したものが出てくるので、自分が行ったライブの他の人の感想とか解釈も出てくるわけなんですよ。
わかりやすく言うと、めっちゃ良かったとか、微妙だったとか、お客さんが横の奴がウザかったとかね、そんなものも出てくるんですけど、
あれに、その人はそういう解釈をするんだなって思うことがあるんですよね。
僕はこのライブとか、あのMCのあの言葉から、こういうものを受け取った、こういうふうに解釈をして捉えていますよっていうことを、そんなニュアンスでね、僕はこういうふうに感じたなって思うことを呟いたりもする。
で、一方で他人はそれに対して、この人はこういうふうに思うんだなって、ある種自分と逆の解釈を見ることも稀にあるんですよね。
で、そういう時に僕は、これに関しては僕が先に言ってることだから、まだまだいいんですけど、僕が自分の価値観を発信、解釈を発信した上で見るので、
今日のタイトルとは、タイトルに書いてあったのは、やる前に見ない方がいいよ。
で、この今の例え話は僕はやった後に見ることが多いんですけど、
そういうふうに捉えるのか。そうすると、僕の解釈っていうのは間違ってるとかは別にないのにも関わらず、ズレてたのかなとか、自分の解釈間違ってんのかなって。
で、まあその、自分の好きなアーティストが見るかどうかは分からないけどね。
分からないけど、あの人が言ってる解釈がアーティストの意図と合致していた場合ね、万が一。
僕のこの解釈は、ある種間違っていて、もしあのアーティストが自分のこのつぶやきを見たとしたら、
ハッシュタグとかでね、見て、見たとしたら、違うんだよなーって思われちゃったりとか、そうじゃないんだよなーって思われちゃったりとか、
なんかこう、下手したらそういうふうに捉えちゃうんだなーとかっていう、傷つけてしまうようなことに、
もうあり得るんじゃないかなって、僕はこう考えてしまうタイプです。
で、ほんと直近でもそれが、昨日とかにあって、僕はこの事象に対して、起こったことに対して、こういうふうに感じた、こういうふうに捉えた。
だからこういうふうなことも言えるんじゃないのかな、みたいなことを発信しました。
自己表現の価値
で、知らない人、まあたまにね、オススメなんで出てくるアカウントの人が、
僕とちょっと逆に近いことを言ってて、ああ、そういう解釈もあるんだな、で、別にいいんですよね、それで。
別に僕がそれを否定したりとか全くなくて、いろんな人の数だけ解釈はあっていいと思うんですけど、
ああ、僕のこれってちょっとずれてんのかなって、ちょっと思っちゃったんですよね、ふと。
間違ってんのかなって。
もしアーティストが、僕の方じゃなくて、向こうの解釈の方が、うんうんそうなんだよねって思ったとしたらね、
これ全部想像ですよ。
もし思ったとしたら、なんか僕のこの解釈ってやだなって、なんか思っちゃった。
でもまあ僕は別にもう、あのさっきも言ったけど、先にもう言っちゃった。
先に僕は誰、他人の発信を見ずに、発信しちゃった後にね、その逆の解釈を見たから、わざわざ消したりとかはしないですけど、
これもし僕が、自分はこういうふうに捉えた、感じた、それを発信しようと思ってた。
そのやる前に、僕の思っているものと逆の意見とかを見ちゃうと、ちょっとこれやめといた方がいいかなとか、逆のこと、
うーん、なんかこう言わずに自分の中に留めといた方がいいのかなとかって多分思っちゃうんじゃないかなって僕は想像しました。
って思った時に、やっぱりこう、もったいないですよね。
だって価値観とか解釈に正しいも何もなくて、あの人にはあの人のがあって、僕には僕のがあって、あなたにはあなたのがあるんだから、
いいも悪いも正しいも間違ってるもないんですよ、大前提。
それは頭では理解しているんですけど、でもいざ真逆の意見とか真逆の解釈を見ると、ちょっと自分のこの感覚を疑いそうになったりとか、
ひどいと自分は間違ってるんじゃないかなと思っちゃったりとか、これでその経験、価値観、解釈を言葉にできない、発信できないってなると、
趣味だったらね、趣味の分野だったら別にそんなに大きな影響はないかもしれないんですけど、ここ僕たちはやっぱりそういう自分の言葉を使って、
文字とか音声とか動画とか、まあでもどの媒体にせよやっぱり言葉を使っていて、僕たちは言葉を使って誰かに何かを届けようとしていたり、
誰かに何かを届けた先で自分のサービスを届けていこうとしたりしてるわけですよね。こうやって発信をしていて、僕のラジオを聞いてくれている人の中にもそういう人はたくさんいると思うんですよ。
発信から自分の仕事を作ろうとか、自分の言葉を使って自分の思いとかを届けていこう、それで自分のことを見つけてもらう、好きになってもらうってサービスを買ってもらうっていうことを目指している人がたくさんいると思うんですね。
そういう僕たちにとって一番良くないことは発信ができなくなってしまうこと。自分の価値観とか解釈、経験を持っていること、感情を言葉にできない、それを表で発信できない。
そうなってしまうと僕たちがやりたいことは何もできないわけなんですね。もうなんかその辺に落ちている当たりされないこと、言葉を使うことしかできなかったりとか、もっと言うともう発信さえもできなくなってしまう。
これはもう本末転倒だし、これが一番やっぱり避けるべき状況だと思います。
だから自分がこれを言いたい、これを届けたい、これを言語化して伝えたいって思った時に、ついつい他の人はどう思っているんだろうとか、自分のこの感覚は正しいんだろうかと思ったりとか、
あのインフルエンサー、いつも見ている、いつも尊敬している、あの人はどう思っているんだろうとかって思ってね、これなんか誰かの発信を見に行ったりとか、そのワードで検索しちゃったりとかして、
もし自分とは違う意見を自分が尊敬している人が言っているとか、自分が大好きな人が自分とは反対の意見を持っているってことがわかった時に、やめとこって思ってしまう。
そうするとすごくもったいない。だってその僕とかあなたの解釈、価値観、経験、それを探している人が世の中にいるかもしれないんですよ。
それを待っている人、それを見つけてやっと見つけたって思ってくれる人がいるかもしれないのに、あの人と逆の意見を言いたくないとか、
たぶん自分の感覚が少数派だからやめといた方がいいかもしれないとか、そういうことを理由に僕たちがそれを言葉にできない、届けられないってなると、
自己表現の重要性
それを待っている人、僕たちの言葉とか経験を待っている人、まさにピンポイントでそれを探してましたっていう人が損するじゃないですか。
その人たちに僕たちがそれを発信すれば、いつかわからないけれども、いつか何らかの形で伝わったかもしれないのに、
その機会が失われるっていうのは僕たち自身がまず一番望んでいないし、本来出会えたはずの人とも出会えなくなってしまう。
こんなことはやっぱりあってはならないと思うんですね。こういう仕事、こういう活動をしていきたいって思っている中でね。
だから、最近まさに僕の場合は趣味っていう分野でしたけど、やっぱりなーって思ったんですよね。
過去にもこういう話をしたことがあるんですけど、やっぱり改めて思いました。
別に人の価値観とか解釈を否定するつもりは僕はやっぱり何回も言いますけどなくて、何でもいいと思うんですよ。
自分は自分でいいし、他人は他人でいいし、正解も間違いも関係なくて、自分の思ったこと、感じたこと、捉えたことを発信すればいいんですよ。ただね。
けどやっぱり反対意見を見てしまうとちょっと自分を疑いそうになったり、
それがもしインフルエンサーみたいな人とか声の大きい人、自分の好きな人、尊敬してる人、勉強参考にしてる人が自分と違う感覚だったらやっぱりこうちょっと躊躇してしまう。
でも本来その躊躇は必要なくて、大好きだからって、参考にしてるからって、フォロワーが多いからって、別にその人の解釈がいいも悪いもなければ、僕たちと一致していなくちゃいけないっていうこともないんですよね。
なので、多分このラジオを聞いてる人は普段から自分の価値観、経験、いろんな感情とか解釈とかっていうものを言葉にして、自分の言葉にして届けている、届けていきたいっていう人が半分以上は占めてるんじゃないかなと僕は想像しています。
で、そういう人たちだからこそ、やっぱりそれを躊躇するっていうことが一番望ましくない、それができないっていう状況が一番避けなくてはならない。
ってなった時に、自分が少なくとも発信をする前に他人の意見、他人の発信、言葉を見るっていうことは、やっぱり自分に無利益をかけることになってしまう可能性があるので、そこはできるだけ排除していった方がいいんじゃないのかなと思います。
感情との折り合い
なので、普通にやった後にね、見る分にはいいのかもしれないけど、まあでもやっぱりそれで消してしまったりとかってなるとやっぱりもともともないので、あんまりこう自分の言いたいことに対して他人がどう思っているのかっていうものを探ったりしない方がいいのかなって思います。
僕は今回たまたまね、流れてきちゃったんでしょうがないんですけど、でも自分から探しに行くなんてことは絶対にしないし、自分から他人がどう思っているんだろうなっていうふうに見に行くことはしない。もう流れてくる分にはしょうがないんでね。おすすめ欄を見なければいいだけの話です。
なので、このラジオを聞いてくれた人が自分の言いたいこと、伝えたいことをちゃんと伝えられるように、それを発信できるようにこの放送を聞いて、何かそういうふうにつなげてもらえたらなと思います。少なくとも誰かの言葉を見てやめておこうって思うことが少しでも減ってほしいなというふうに思っています。
はい、概要欄の方にはいつも収録、過去の放送を一本貼っているんですけど、今回は発信200点は必要ないよっていう話をしたやつを貼っておきます。80点で投稿しようねっていうことを伝えてます。よかったら聞いてみてください。
はい、そんなわけでですね。怒涛の今週僕は本当にいろんな感情に出会いまして、過去の放送を聞いてもらえるとわかるんですけど、なんかこう感情がね忙しくなると行動がついてこないんですよね。これなんか不思議だなと思ってて。
気持ちがね、もうグワングワしてる。別に悪い意味じゃなくてね、すごいこういろんなものを感じている時期ってそっちに精一杯で、なんかフラットによっしゃやるぞっていうことがちょっとしづらいなっていう感覚を今持ってます。
なので本当はね、もうとっこの昔にもう一本新しいノートの記事ができているはずだったんですけど、まだできていないので、まあでも自分のペースでね、やりたいなってよっしゃって思うときにやるっていうことを大事にしながら、でも早く書きたいなって気持ちももちろんあるんでね。
その辺自分との折り合いをつけながら、感情もね、だいぶ落ち着いてはきているので、いやでもね、またなんかあると一気にグワンっていくかもしれないけど、まあでもそれはそれとしてね、感情が豊かであることは人間としてとてもいいことなんじゃないかなと思います。
やっぱり人間しか持っていないこの感情というものが、これが死んでしまうとね、やっぱり果たして人間である必要があるのかみたいなことになってくるので、まあその辺の自分の感情とかも大事にしながら、でも行動もしっかりしていかなきゃなと思ってますので、まあその辺はバランス取りながら引き続きやっていこうかななんてことを考えてます。
では皆さん素敵な週末をお過ごしください。また次回お会いしましょう。バイバイ。
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